秩父・長瀞 巡礼の旅A


しばらく行くと前方に奇妙な白い山が見えてきた。
さほど高い山ではないのだが、木が全く生えておらず、白い岩肌をさらけ出して、
付近の景色から際立っている。
おそらく秩父セメントが原料を削り出している山なのだろう。
何十年も削り続けてあんな姿になってしまったのだ。

それからもう少し走ると、道の左手に「和銅発掘の地」の看板を目にした。
昔この辺で銅が掘り出されていたんだとか。
発掘場所の遺跡があるというので、脇道にそれた。
木立の中の細い急な坂を駆け上がってゆくと、こんな所にもぽつぽつと民家があり、
田んぼや畑が営まれている。
百円札の板垣退助(古い?)みたいな立派な髯をした老人が畑の脇に立って、
なにやら腕組みをしている。
なんか突然タイムスリップをして、江戸時代の農村に紛れ込んだような気分だ。


「和銅採掘露天掘跡」はこの下。

和銅遺跡というのはこの辺から少し谷間に歩いて下った所にあるというのだが、
時間もないのでパス。
そのまま坂道を登ってゆくと、一瞬景色の開けた所に出て、秩父の山々が見渡せた。
道路脇の看板によれば、この道を登り続けると蓑山山上の美の山公園というのに出るらしい。
かなり広い公園で、埼玉県が整備したらしいのだが、こんな所に来る人がいるんだろうか。
しかも、こんなに自然に囲まれた場所をわざわざ切り開いて、人口の公園を
作るというのは如何なものか。
もう時間も遅いので、この辺で引き返す事にした。


秩父の山々を望む。

山道を下って国道に戻ると、空はもう暗くなり始めている。
そろそろ帰りの事を考えなければいけない。
秩父市まではあと20分ほどの行程だが、そこまで行って帰ってくる余裕はないだろう。
地図を開いて調べると、往きに来た道を引きそのまま引き返すルートと、小川町まで
30キロほどを山越えするルートがある。
後者はかなりうねった山道だが、距離的には短いようだ。
ここは迷わず山越えのルートだ。

夕暮れの国道を無心にバイクを走らせる。
顔にあたる空気は一段と冷たくなってきた。
その中に時折、夕食の調理の匂いが混じる。
なんだか幼い頃の夕暮れ時を思い出した。

先ほどから道の所々に「○番○○寺」という案内看板が目に付くようになった。
秩父霊場巡りの札所だ。
この辺にいくつか固まってあるらしい。

霊場巡りといえば四国の八十八箇所が有名だが、ここ秩父のものは全部で34ヶ所ある。
第一番の四萬部寺(しまぶじ)から第三十四番の水潜寺までを、お遍路姿でお札を
納めて回る。
四国のものほど有名ではないが、お手軽なお遍路として試みる人も結構多いらしい。
ほかに西国三十三箇所と坂東三十三箇所というのもあって、全部で100ヶ所回ると
コンプリートということだ。


巡礼マップ。

最近は定年退職後に四国にお遍路に行く人も多いと聞くが、実は私も密かに
お遍路には憧れているのだ。
定年後とは言わず、出来ればすぐにでも休みを取って出かけてみたい。
普段ストレスの多い仕事をしているので、精神の浄化という気持ちがあるのだろうか。
あるいは非日常性の中にどっぷり漬かって、それを人生の転機にしたいのだろうか。
辛い旅の中で自分自身を見つめ直そうというのか。
それは自分でも良く判らないのだが、自分は必ずいつかはお遍路に行かなければ
ならないといつも考えているのだ。

年をとるとともにその気持ちは強くなってきている。
まあ、今の超多忙な日々の中で、半月でも(実際には2ヶ月くらいかかるらしい)
そういった時間を捻出するのは大変な事なのだが(その割にはこんなHPを作ってるけど)、
それは自分の人生の中の重要な節目になるといつも思っているのである。

そういった訳で、本番の巡礼に出る前に一度は本物のお遍路を見たいと思っていたのだが、
これはちょうどいい機会だ。どこか一つ寺を見に行ってみよう。
そう思いながら走っていると、その時目の前に「一番四萬部寺」というサインが現れた。
おお、これはグッドタイミング。神(仏?)のめぐり合わせか。
霊場巡りのスタート地点を見に行ってみよう。
まさかこれから34ヶ所回るわけには行かないけど。

寺は国道から脇道にそれ、5分ほどの所にあった。
森を背景に建てられた小ぢんまりした古刹で、すぐ向かいには古めかしい宿坊もある。
巡礼に旅立つ人が前の晩ここで過ごすのだろうか。


かなり古いお寺らしい。


木立にひっそりと佇む。

駐車場にバイクを止めて、本堂の裏側から境内に入った。
寺の裏には小さな築山があって、そこにたくさんの水子地蔵が祀られている。
地蔵の横でカラフルな風車がからからと回っている様子は、昔訪れた事のある
青森の恐山のよう。
静かで、寂しげで、なんだか霊界への入り口にやってきたような気分だ。


あの世とこの世の境目。


成仏してください。

築山の中ほどには大きな石碑が建てられていて、何やら文字が刻まれている。
石碑そのものはごくありふれたものなのだが、その基部を見ると、斜面の土に縦横50センチ
ほどの横穴があいていて、石碑の下の地中を覗けるようになっている。
・・・なんとそこには別の石碑が埋められているのだ。「忠魂」という文字だけ見える。


こわい・・・。

う〜ん、これは・・・。

なんだか背筋にひやりとするものを感じた。
その意味するところは良く判らないのだが、何やら曰くありげで、以前見たホラー映画「死国
のようなおどろおどろしいものを感じる。
あの映画では「四国=死国」で、そこをめぐるお遍路は死の国の旅人だというような話だった
が、ひょっとすると秩父霊場巡り第一番のこの寺も死の国への入り口なのかもしれない。

実際、昔の人々にとってお遍路とは、死へ向かう旅であったようだ。
高群逸枝の「娘巡礼記」という本には大正時代のお遍路の様子が詳しく書かれているが、
そこに出てくる遍路たちはさながら霊界をさまよう亡者のようだ。
現世に身の置き場のなくなった人々が、全てを捨てて四国に渡り、乞食同然の姿になって
ぐるぐると霊場回りを続ける。
そしていつか自分に死の訪れるのを待つのである。
お遍路には元来そういった「世捨て」と「死出の旅路」の意味合いがあったらしい。

寺の正面に回ると人影はなく、薄暮の中境内は静寂に包まれていた。
本堂の建物は古めかしく風格のある作りで、梁には地獄極楽の彫刻などが施されている。
元来建物全体が極彩色に塗り飾られていたようだが、ほとんどの色が褪せて渋みのある色に
変わっている。
本堂の前には「本日はつごうにより扉をしめました。あしからず。」の立て札があったが、扉は
まだ開かれていて、中を覗き込むと朧な光の中にご本尊の姿が見えた。


荘厳な本堂。


反対側には「極楽之図」もあった。


ご本尊は観音様。

本堂の脇には「施食堂」という吹き抜けのお堂があり、その中央にはなにやら祀られて
いるようなのだが、私にはよく意味がわからない。
そのすぐ手前に木造の小さな建物があり、「納経所」となっている。
中に入ってみると納経所というよりは売店になっていて、お守りやお札を売っていた。
店番の六十がらみの男性に訊ねてみた。
「あの、お遍路の人って大勢いるんですか?」
「うん、最近はブームなのかな、大勢いるよ。自動車でさっと回る人も結構多いみたいだ。」
「それぞれのお寺に行って、何をしてくるんですか?」
「昔は納経と言って、自分で書いたお経を納めたんだね。今はお札を納めて、
そのしるしに帳面に朱印を押してもらうんだ。ほら」
ショーケースの中に積まれた錦張りの帳面を見せてくれた。一ページに一個ずつ
はんこを押してゆくらしい。
なんだかこうなってくるとスタンプラリーだ。
ちなみにこの四萬部寺というのは誰かが4万部のお経を読み上げたところから
名付けられたらしい。
「みんなどんな格好で行くんですか?」
「まちまちだけど、やっぱりお遍路装束の人が多いね。うちは一番のお寺だから、
一通りのものは揃っているよ。」
見ると背後の壁にはお遍路グッズの一揃いが掛かっている。菅笠、白装束、杖、
足袋、雑嚢なんか。
何事もまずは格好から、ということらしい。
バイクのキーに付ける交通安全のお守りが欲しかったのだが、適当な大きさのがなく、
子供用のお守りを買った。


ズーマーの鍵にジャストフィット。

境内から外に出て、寺の正門を振り返った。
なかなかに威厳のある門で、お遍路を決心した人を迎え入れるのに相応しい作りだ。
門の左右の柱に「梵音新響第一霊場」「秩父勝境永開和祥」と書かれているのは、
どのような意味なのだろうか。
いずれにせよ、そこをくぐる事は即ち現世との決別を意味することなのだ。
お遍路にはそれだけの覚悟が必要なのだ。
・・・それはいいのだが、隅っこに置かれた一休さんの看板はちょっとなあ。


一休さんはやめて欲しい。

四萬部寺を出ると、空はもうかなり暗くなっていた。
秩父の山々もすっかり闇の中に溶け込んでいる。
さあ、帰り道を急ごう。
山越えの道を目指し、バイクを走らせる。

・・・おっと、ここでメーターを見ると、自宅から既に140キロくらい走っている。
思えば遠くに来たものだが、ガソリンは大丈夫だろうか。
計算だとまだ少しは持ちそうだが、山中にはスタンドもないだろうし、今のうち
入れておいたほうがいいだろう。
道を少し引き返して、スタンドにバイクを入れた。
スタンドマンに訊く。
「東京方面はどの道で行ったらいいの?」
「国道を戻るのが一番いいですね。」
「えっ、山越えで行くのはダメなの?」
「うーん、あんまりお勧めできないですよ。」
なんだかちょっと不安になってきた。
まさかオフロードということはないだろうけどね。
ちょっと迷ったが、まあ何とかなるだろう、という事で山越えに決定。
おじさんもたまには冒険する。(笑)

山道に入るとあたりは急に暗くなった。
道は左右に曲がりくねったワインディングで、勾配も急だが、バイクにとってはむしろ
楽しい道のりだ。
ズーマーのアクセルを全開にして、右に左に車体を倒しながら坂道を登ってゆく。
明るいうちにこの道を走りたかったなあ。
街灯のない道は真っ暗で、バイクのヘッドライトだけが頼りだ。
対向車はまったくなく、しんと静まり返った山の中に、バイクのエンジン音だけが
響き渡っている。
うーん、こんな気分の歌があったなあ。陽水の「夜のバス」だ。
この曲はよくギターで練習したっけ。

あ〜 夜のバスが〜
ぼ〜 くを乗せて走る〜
う〜 暗い道を〜
ゆ〜 れることも忘れ〜

例によって大声で歌いながら、ひたすらバイクを走らせる。

しばらく走ると大部高度が上がってきたようで、空気がさらに冷たくなってきた。
右手のはるか下には秩父市の夜景がきらめく星のように見える。


きらめく街の灯り。本当はもっと暗い。

やがて道は緩やかな下り坂に変わった。
相変わらず他の車の姿はまったく見えず、一人で暗い道を60キロくらいのスピードで
飛ばしてゆくと、少しずつ左右に民家が現れ始めた。もうすぐ小川町だ。

小川町では一ヶ所見ておきたい場所があった。
「花和楽(かわら)の湯」という日帰り温泉なのだが、最近評判の施設で、
かなり繁盛しているらしい。
実は私は今仕事の関係で日帰り温泉の開発プロジェクトに携わっているのだが、
この花和楽の湯がモデル店になっているので、一度見に来たいと思っていたのだ。

花和楽の湯の場所はすぐにわかった。
広い駐車場にバイクを入れると既に沢山の乗用車が停まっている。
入場料1200円はやや高め?
受付のカウンターで浴衣とサウナスーツを貸してくれるのがユニークだ。


和風旅館の趣。


タオルと浴衣とサウナスーツを借りて入場。

中に入ると建物は比較的小ぢんまりとしているが、天井が高く、農家風の太い梁が
何本も渡っていて、安っぽい感じはしない。
さっそく露天風呂に入った。

ふう…。

体が冷えていたので思わずため息が出てしまう。
やっぱり温泉はいいなあ。
ライダーにとって日帰り温泉はツーリング中のオアシスだ。
お湯はやや硫黄臭のあるアルカリ泉で、しばらく入るうちに体が内側から火照ってくる。
泉質はとてもいい。
普通、東京近辺の温泉は泉質があまり良くなくて、茶色く濁ったヨード質の塩泉が多いのだが
(例えば「大江戸温泉」「LaQua」「龍宮城」なんか)、ここの温泉はかなり上質のものだ。


高い天井と太い梁。

しばらく湯につかって体を温めてから、今度はサウナスーツを着て、低温サウナへ移動。
薄暗いサウナ室には環境音楽が静かに流れていて、その中で大勢の老若男女が
さまざまなポーズでごろ寝している。
隅っこの空きスペースを見つけて、私もしばし横になる。
石張りの床からじわじわ熱が伝わってきて、それが体の緊張をほぐしていくようだ。
気持ちよくて、少しうとうとしてしまった。
このままここで一泊していきたい気分。

サウナで30分ほどごろごろしたあと、食堂でざるそばを食べて、さあ、あとは自宅に
戻るだけだ。


なかなかうまい。

すっかり温まった体にジャケットを羽織り、再び路上に戻る。
冷たい風が心地良い。
例によって頭の中ではビールが点滅しているが、それはあと2時間くらいお預けだ。
何度も書くようだが、バイクのツーリングではこれが一番辛い。
まあ、それだからこそ帰ってからの一杯が美味いのだが。

往きの渋滞が嘘のように帰りの道はすいていて、すいすいと川越街道を通り抜け、
都内に入った。
途中、関越道のインターの前を通過したところ、頭上の道路情報表示板にこんな
表示がされている。
長岡―三条燕間 地震のため通行止め
…ふうん、地震かあ。けっこう大きかったのかな。
その二、三時間前に今回の新潟県中越地震が起きていたのだが、私には知る由もない。
実は私の仕事は新潟に関係しており、その時も関係者が私と連絡を取ろうと
懸命になっていたようなのだが、携帯が繋がらなかったようだ。
私が実際に地震の事を知るのは、自宅に戻ってからのこと。

それはともかく、バイクは夜の都内を車の波に乗って順調に走り抜け、自宅に近付いた。
自宅の直前でついにメーターは1000キロを突破。
約一年という、長いような短いような期間での達成だった。
一年間事故もなくこれたのが何よりもラッキーだ。


ついに達成!

家に戻ると時刻はもう10時に近かった。
1000キロ達成を祝い、さっそくビールで祝杯。
ふう、この達成感はまた格別だ。
今日はちょっと辛い道のりだったが、それもまたバイクの楽しみだ。
今度はどこへ行こう。
バイクで巡礼(?)の旅は、まだまだ当分続きそうだ。



さて、このHPも始めてもうじき一年になる。その間、半年もほっぽらかしにしたりして、
読者には大変迷惑をかけたと思うが、まあ我ながらよく続いたな(バイクもHPも)、
というのが正直なところ。
それから、1000キロを走って、ようやく自分もライダーの仲間入りをできたのかな、
という気持ちもある。
45にして初めてバイクの楽しみを知った私だが、今後ますますこの世界には
のめりこみそうだ。
このHPも末永く(のんびりと)続けたいと思うので、今後ともよろしくお付き合いください。

2004年11月25日  まこぷん



戻る
戻る