番外編・上海バイク事情B


*

あっという間に中国での6日間は過ぎ去り、旅の最終日になった。
お昼過ぎのフライトで成田へ帰る予定だが、その前にしておきたい事があった。

7時頃起きると、朝飯も食べずにホテルから出掛けた。
地下鉄に乗って出掛けたのは、昨日も訪れた外灘だ。
帰る前に見ておきたいものがあった。
きのうは遊歩道の端まで歩く事ができず、あたりも暗くてよく見えなかったので、
今日残された最後の時間を使って再度やってきたのである。


近代的な上海の地下鉄

地下鉄を「人民広場」駅で降り、そこから30分ほどかけて外灘までぶらぶらと歩く。
道の両脇には包子(肉まん)を作る人、新聞を読む人、野菜を運ぶ人、会社へ出掛ける人
などが、それぞれの朝のシーンを繰り広げている。


朝からみんなけっこう忙しい


包子は一個10円くらい

途中で私も朝飯が食べたくなり、道路わきの古いビルにあるコーヒーショップに入った。

――おお!

店内に入ると思わず目をみはった。
天井いっぱいに美しいレリーフが施されていて、まるでパリのクラシック・ホテルのようだ。
租界時代の建物のままで営業しているのだろう。
コーヒーと共に土鍋で出されたお粥がとてもおいしかった。


上海の古き良き時代・・・

外灘の遊歩道にたどり着くと、あらためて周囲を見回した。
夜空に怪しく光り輝いていたビル群は、昼間の太陽の下ではむしろ風景に溶け込んで
穏やかに見える。
租界時代のクラシックなビルは100年の歴史を何も感じさせずに立ち並び、
対岸の新興ビル群と対峙している。

川沿いの遊歩道には、まだ9時だというのに、かなりの人が出てきて散歩している。
20年前この辺では大勢の人が太極拳の練習をしていたのだが、それが全く
見当たらないのは、時間が遅いせいなのか、それともブームが過ぎ去ったからなのか。
いや、おそらく上海でも中心部には人口のドーナツ化現象が起きて、住民が減少し、
観光客に置き換わったという事なのだろう。


朝の外灘はまた別の表情


対岸の未来都市にカスミがかかる

私は手にしたカメラのシャッターを時々切りながら、ぶらぶらと遊歩道の端へと歩いていった。
遊歩道の一番端は小さな広場になっていて、なんだかの記念碑のようなものが立っている。
このあたりだけは人影もまばらで、そちらに一人、こちらに二人と、地元の人らしき
男女がたたずんでいるだけだ。

広場の一番端の手すりに寄って、その向こう側を眺めると、「それ」はやっぱりそこにあった。
古い鋼鉄製の橋と、その背後に聳えるクラシックなビル。
上海大橋と上海大廈――またの名を「ブロードウェイ・マンション」だ。
ビルのてっぺんに掲げられた「BAYER]の広告も昔と変わらない。

20年前、私はこの橋のたもとのホテルに部屋を取り、毎朝橋を徒歩で渡って
上海見物に出掛けた。
その往きと帰りに必ず目に飛び込んでくるのが、橋の脇に聳えるこの
ブロードウェイ・マンションだった。


思い出のビルと鉄橋

当時上海に高層ビルはほとんどなく、外灘のはずれに無気味な姿を見せる
この戦前の巨大ビルは、ある意味上海のランドマークだった。
その異様な姿に私はブリューゲルの描いたバベルの塔を連想したものだ。
それが今は――上海の街中に屹然と聳え立ち、周囲を睥睨していたこのビルが、
今や高層ビルの谷間に埋もれて、かろうじて細々と昔の姿を保っている。
その圧倒的な存在感は消え去り、今や解体を待つばかりのおんぼろビルのように
老醜をさらしている。
いや、ビルが古くなったのではない、周囲があまりに変化しすぎたのだ。

そしてビルの手前に掛かる鋼鉄の橋も同様だ。
かつて外灘のビル街のはずれに堂々とその姿を見せていた黒い鉄橋は、
その役目を半ば終えて、目立たない小さな橋となってしまっている。
20年前には多くの人や車や自転車が行き交い、戦後中国の発展のシンボルとも
なっていたのに、今では新しく架けられたコンクリート製の橋に取って代わられ、
誰も利用する者がいないようだ。
無数の鋲で覆われたその巨大な躯体がとても古ぼけたものに見える。

橋から右に目を転じると、クラシックな外観のビルが一棟、今も川に面して立っている。
赤い屋根に覆われた5階建てほどの低層ビルだが、洋風の装飾が施されて
何やらいわくあり気だ。
そしてその隣に、もう一棟同じようなビルが並んでいるはずだった。
「海員ホテル」という名の、おそらくは外国の船乗り相手の安ホテル。
当時はそこが上海を訪れるバックパッカーたちの定宿だった。
天井の高い広々とした室内には20〜30台ほどのベッドが病院の大部屋のように並べられ、
そこに各国からの旅行者たちがたむろしていた。
枕もとには鍵のかかる小さなキャビネットがあり、荷物をしまえるようになっていた。
室内のあちこちにロープが張り巡らされ、旅行者たちの洗濯物が干されていた。
共用の水しか出ないシャワーと、便座の壊れた洋式トイレがあったが、私たち旅行者は
それに充分満足していた。
というのも、それは当時の中国のトイレ事情に比べ遥かに満足の行くものであったからだ。
ご承知の通り当時の中国ではどこへ行っても公衆便所は例の扉のないトイレで、
これは海外からの旅行者にとっては大きな悩みの種だった。
そしてもう一つ、われわれ旅行者の間で囁かれていた噂話というのは
「上海の家庭にはトイレがなくて、室内で壷の中に用を足しているらしい」というものである。
これが本当なのか、あるいは一部の貧しい家庭だけのことなのかは確かめる術が
なかったが、そういった上海のトイレ事情におびえていたわれわれ旅行者にとって、
この海員ホテルのトイレは極めて満足のいくものだった。

 20年前、この海員ホテルのドミトリー(大部屋)を拠点に私は上海の市内を歩き回り、
また宿に戻っては旅行者たちと情報交換をして翌日のプランを立てた。
あのクラッシックな建物は今でもあるのか。
そう思いあたりを見回してみたのだが、見当たらない。
うーん、残念、もう取り壊されてしまったのか。確かあのあたりだったのだが・・・。

 かつて海員ホテルのあったと思われる場所には、15階建てほどの近代的なビルが
建っている。
おそらく跡地に建てられたのだろう。
そう思いビルの上方をよく見てみると、そこには「海員ホテル」と書かれているではないか。
なんと、かつてのおんぼろドミトリーホテルは近代的なホテルに生まれ変わっていたのである。
のちにKさんに確かめたところでは、17年程前に彼が初めて上海に来た時に
このホテルに泊まったという。
私が上海を訪れてからまもなく建て替えられたのだろう。
ちょっと残念なような、嬉しいような、複雑な気持ちである。


変わる上海と変わらない上海。右にちょっとだけ見えるのが海員ホテル。

*

その日の午後の飛行機で私は上海を飛び立ち、3時間後には東京の土を踏んでいた。
5泊6日の中国旅行はあっという間に終わってしまった。
20年ぶりの中国は期間こそ短かったが、私の中国熱を再び掻き立てるに十分な
感動を与えてくれた。
やっぱり中国はいいなあ。
20年前とは大きく変わってしまったが、その魅力は少しも失せていない。
いや、昔にも増して魅力的な国になった。

 そして同時に中国は変わらない。
四千年の歴史の前ではたかだか20年の社会の変化など、無き事に等しい。
いつになっても中国は中国のままで、人民は四千年前と変わらぬリズムで「今」を生きている。

悠久の中国。
いつかまたこの国を訪れよう。
おじさんになってもじいさんになっても、中国はいつもそこにあるのだから。

(おわり)


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