烏リハビリフィールド報告
2002年10月17日 から 12月22日 まで
摂食障害と躁鬱病の中でのフィリピン・ネグロス島、
東ネグロス州・ドマゲッティ滞在記録
これは、摂食障害と躁鬱をかかえ(ちなみに大鬱状態で飛び立った)た烏が、2か月フィリピンの田舎でどたばた過ごした記録です。病気なんだけどさ、研究費もらってたからいかにゃならんと思った訳よ。だから大変珍しい状態の人が、とんでモナコとを繰り広げる(とんでもな場所で?)どたばた記録です。
で、今回は街の下宿も場所を変えて、街の中でも比較的高級住宅が多い地区にいます。
で、管理がきちんとしている、外人向けの高い下宿にいます。アメリカ人と以前結婚して、離婚しためっちゃやり手のおばさんが大家です。実際の所、最近になってようやくぽつぽつ外人向け住宅が増えてきたのですが。それでも、すぐにフィリピン的あり地獄のええ加減な世界に陥ります。
だから、外国人の「安全・清潔・快適」のつぼを満たしてくれるところは、探すのが大変です。高いのは仕方ないです。それでもいい物件は少ないので、学期や学年の変わり目にあらかじめ予約して押さえておくしかなく、この下宿も半年前からよけいな家賃を払って押さえておいてもらったのでした。
だって烏、今回もまだまだ病気。自分の限界を知っているので。フィリピンにいつ戻っても、以前のような山の家暮らしや、アル中パプの所は無理だろうと。フィリピンにちょっと調子が落ち着いたら戻りたいけれどいつでも、いい下宿が見つかるわけではない。そこで掛け捨て、保険だと思って友達が以前にいた下宿にいもしないのに、この半年家賃を払い続けていたわけでした。あれ?ちょっと学習機能ついてる?
今回は、落ち着いた「静養」生活になるといいな。
結局 なりませんでした
詳細は以下にGO!
リハビリ現地報告1
暑い中で寒い所のことを思う
烏が、フィリピンまで来てしていることはお習字とお昼寝と、時々ちらりと本を読むこと。そして、ぽろぽろこうやってお字書きすること。なんだそれでは、京都にいる時とかわらんではないか。そう、ぜんぜん変わんないの。
だったら「何もむんむんくそ暑い、時々トンガラがっしゃーんと雷落ちてザアザア雨の降る所までわざわざ来なくても良いんじゃないの」って思われるかもしれない。実は烏も、そう思ってる。ちなみに、ここでは雷はダログドッグと落ちる。ゴロゴロ様みたいに。そしてたたきつけるような雨が続く。この季節は、雷様はだいたい午後にやってこられる。
海辺で遠くの方に、雷が落ちているのをみるのは好き。だけど、山だとほぼ毎日のように雨が降る。すると道は川になる。そして、山の小さな家に降り込められる。ひっそりと。雷が落ちたときのために、電灯も消される。雷いと雨音があまりにひどいと声も届かない。空気も重い水を含んだようで。体もぐったり重くなる。実際、洋服ばかりでなく体中が冷たい湿気を含んだように重く感じる。どうしてだろう。
で、体も頭もいかれている現在の烏は、今も又、山のあの急変する気候や、厳しい暮らしに堪えられないので街の下宿で温んでいる。扇風機が一日中ぬるい空気をかき回している。ぬるい。頭のねじも2・3本はずれたようにぬるい。
この街の下宿屋は郊外にあって不便だけど静かで、部屋は大変気持ちよい。朝早くから隣の大家一家の妙なる生活音とともに、部屋の前のカラマンシー(沖縄のシークワーサーと同じで、スダチみたいなの)の木に小鳥が巣を架けていてぴちゅぴちゅ鳴いて賑やかだ。それを聞きながら鬱で動けない烏は、老衰の象のようにキングサイズのベットの上で、物憂くのたくってる。
そんで昼ぐらいになると、本を読んだりして動き出せるようになる。腹這いでだけど。最近のお気に入りは宮沢賢治の童話集。岩波文庫版の2冊。夢中で2回ずつ読んでしまった。もっと本は持ってきたのだけれど。今はどうやら難しい本は読めない。だから、10歳ぐらいかなあと思う。良寛の漢詩の本は読めるけれど。いわゆる専門書が読めない。立派で賢そうだから。
去年の今頃、1ヶ月間いきなり病院を飛び出してきたときは、周りの人が大変だった。友人達に世話や迷惑のかけっぱなし。今は、おこもりしてはしゃぐこともなく、じっとしてる。ほんとに5歳児らしく1冊も本が読めず、ろくな字も書けずお絵描きばかりしていた。だけどお絵描きが、お字書きより簡単かというとそうでもないようだ。最近はお絵描きが難しいので、お字書きばかりしている。
お気に入りの宮沢賢治の童話集に「オッペルと象」を見つけた。子供の頃に絵本で何度も読んだのがよみがえる。その絵本は、ずいぶん文章と一致していて、何度も何度も読んだことを思い返した。あれは宮沢賢治先生の作であったか、と。子供だから、作者の名前なんて気にもとめなかったけれど。内容や絵は実に細かく覚えいて、白い象の毎晩の「サンタマリア」というお祈り。脱穀機が「のんのんのんのんのん」と建物を揺るがせるような音を立てて動いているとたこと。怒った仲間の象がグラアアアガアと地響きたてて押し寄せきたところ。などなど。擬音語、擬態語の使い方がおもしろくておもしろくて。今、活字だけで読んでもみてもやっぱりおもしろいのだった。
どうしていいか分からない烏は、今は白い象と一緒に「サンタマリア」ってお祈りしたい気分。とりあえず一日の大半を寝ている象のように腹這いになっている。
で、銀河鉄道の夜を読んだら、映画の時も泣いたけれどまた泣いてしまって、もうおろおろぼろぼろ泣いて泣いて。子供の時はそんな泣いた覚えがないのに、どうにも涙が止まらない。年を取って分かる悲しみがということか、それとも「鬱だねぇ烏」というところか。
宮沢賢治詩集は難しいので、すこおしずつ読んでいる。ぽろぽろと。「永訣の朝」から。どうしてかって云うと、烏はかつて合唱団員だった折りに宮沢賢治の「永訣の朝」を歌ったのだな。これは賢治の最大の理解者で最愛の妹のトシが24歳にして結核で死ぬときに、最後に一椀の雪を賢治に頼むのだ。そのときの心引き裂かれるような賢治の思いと、「今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」というトシの祈りが、真っ白な雪に託された歌なのだ。
歌い終わったときに本当にコンサートホールの天井から何かが降ってきそうな気がしたよ。
でも、本当は烏にとって必要な詩は、「永訣の朝」に続く、「松の針」ではないかしらと今回思った。
「 おまへがあんなにねつに燃やされ
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるところでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことを考へながらぶらぶら森を歩いてゐた 」
ああ本当にそうだ。そうやって気づかぬままにいろんなことはすぎてゆく。残るは後悔ばかり。賢治もいざトシが死ぬときになって一緒に連れて行ってくれと言うほどの慟哭を表している。いつも人は失ったときに、それが何であったかを考え出す。だけどこの詩はそれだけで終わってはいなくて
「 おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ
私は緑のかやのうへにも
この新鮮な松のえだをおかう
いまに雫もおちるだらうし
そら
さわやかな
turpentineの匂いもするだろう 」
ここら辺が人を引きつけてやまない宮沢賢治の賢治たるすごい所なんだろな。後悔や悲しみを表すことは人には必要。それを押し殺してはだめ。哭するときにきちんと泣けないでいると、どこかが壊れる。烏みたいに。だけれど、その悲しみや苦しみを意味あるものに、意味のあるように転化する力が人には備わっている。この彼の信念がけざやかに、切り開いてみせるてある。そう信じるようになるには、時間や力が必要だろうけれどもね。
烏は今どうして良いのか、その転換点の上に立ち途方に暮れている。賢治がトシのために雪を取ろうとして、あんまりどこも真っ白なので途方に暮れたように。途方に暮れている。途方に暮れた子供は、それでも徐々に成長はしてきているみたい。スペイン行きの前は7歳程度だったけれど、その点でもちょっとは進んでいるのかもしれない。微速前進。でもどこに行くのか目的地不明てところだけれど。
微速前進といえば、去年の今頃5歳なみの状態でフィリピンに来たときは、あらゆることに友人の手助けがいった。めちゃくちゃしてたし。判断力はまるでなかった。英語は一言もしゃべれなかったし。会話は日本語以外、全部セブアノ語だけで通した。というより、脳の中の英語回路が閉じていて、本当に完璧にしゃべられなかった。
まあ、入院中にもっともっとちっちゃく退行してた時は、日本語も不自由で、うつむくと開いた口からツーとよだれたれてたけど。で、5歳の時は日本語と不思議なことにセブアノ語だけしゃべれた。まるで英語の言語野が閉じてたみたい。
だけど、5歳児の状態では、躁鬱病である。摂食障害を伴っている。自覚はある。日本で、これこれの治療を受けており同様の処方をしてほしいなどと、医師の前できちんと言えるわけがない。でもって、こちらの精神科医の前で、まともに英語を聞き取ることもしゃべることもできない烏は、必死で英和辞典からメモって、メモを指さしてわあわあ喚いてた。向こうの医者にもなんだかよくわからなったにちがいない。しかも、糖尿だのなんだのと。それで即入院っていわれたようだ。経験のために、入院しても良かったのかもと思ったりもしたるが(この好奇心がいかんのか?)。
後でうちの精神科の先生に「躁鬱病って英語で言うのも大変だったんだよお」と言ったら「わしもそんなんしらん」って嫌がらせを言われた。烏は、いつも精神科の先生が嫌がるのを無視してぷいって外国へ行ってしまうから。よく嫌がらせを云われる。つきあって1年以上たって「ああ、あんたには遠回しな言い方は通用せんのか」って、云われてつんのめった。烏みたいな子供に、遠回しな言い方が通じてたまるか。何でも真に受ける大馬鹿野郎でここまで来たのに。
だから、今年はちょっと大きくなってずるがしこくなった烏は、入院中に研修医の先生に英語で処方を書いてもらった。その英文レターを見たら添削したくなったけど、10歳児にはそんな力はないのでやめた。疲れるし。
今はちょっと英語がしゃべられる。そういう意味でも少しは成長したようだ。だけど以前みたいに辞典を引くのがいやなので、症状や病名を一生懸命書き写したページは手帳に残してある。今回は、できることしかしていない。無茶は何一つしていない。ちょっと大人になったよ。今のところ。この今のところというのが油断ならんのだが。
しかしまあ、英語のことわざに「椰子は松にあこがれ、松は椰子にあこがれる」とゆうのがあるけれど。この椰子だらけの島に来て烏は東北地方の童話だとか、秋から冬の漢詩の本ばっかり見ているぞ。なにしに来てんだか。
ということで、今回は現地にいても現地報告ではない、烏の現況報告でした。しかし、ほんまこのくそ暑い南で、ようこんな厳冬や、寒さ、秋のわびしさについて書かれた本ばっかながめているなと笑える。京都にいた方が読んでいる本の気候にはあっているのにね。
だけどその現地にいるからといって、そうすぐに現場がよく見えるわけでもなし。想像力の方が観察力を圧倒してしまうことだってある。だけどここに来て、思ったこともあるから。それらを思い出しも含め、整理してアウトプットしてゆこう。まだまだ頭は混乱しているけれど。ゆっくりゆっくり。10歳児並みに、行かふではないか。「烏は植物と一緒で引っ張ってものびません。烏にも、どんな花が咲くのか分かりません。痛いです引っ張らないでください。」と、以前先生に云ったことを自分に言い聞かせて。
熱帯性の花を咲かせに来たわりには、寒い地方の松の話をおもしろがりながら。
リハビリ現地報告2
それでも今日も機能している
私のいる街ドマゲッティは東ネグロス州の州都。なのに、この街には、信号が一つもない。ここ4~5年のいきなりのモータリーゼーションの開花で、バイクやバイクタクシーや車が一気に増えた。それらが、交差点に四方から突入してくる。真ん中でお巡りさんが必死で整理したり、どんどん一方通行の道を増やして何とかしようとはしているけどね。まあ、めちゃくちゃもいいとこ。
マニラよりぜんぜんましだけど。マニラで鼻をかんだら排煙で鼻水が黒いから。だから、フィリピンの街中で走り回って仕事をしていた頃は、風引くと気管支細炎になったりしていた。1ヶ月は激しい咳が止まんなくて、咳で体力を消耗する。でも、仕方ないからアメリカ製のチェリー味のおぞましい味の咳止めシロップを飲み続けて、仕事してたけどね
とにかくここも街の中心部やハイウェイ沿いはひどい。排ガス規制もないし。烏の脳の中もそんな感じ。ちょっと整理整頓のお巡りさんや、もう振り返らないという一方通行や、モクモク頭をくもらせる排ガス規制が必要なのかも。
お習字用に李白先生の本を持って来たら良かったな、と思う。あの人ならぐじゃぐじゃ迷っても、迷いそのものを迷いの詠として見事に詠い上げただろうな。そうしたならばそれはもう迷いではなく、一つの詠で。難しい言葉ではなく心が表せたのに。迷いそのもの
が詠になる手前なのかな。よくわかんないけど。
あっダログドッグがなってる。ざあざあ雨ふって。雷落ちると街にいても、時々電圧状態がおかしくなって、変圧器を入れていていてもその許容量を超えちゃうの。だからすぐパソコンとかのアダプターや電池がいかれて、あの世に召されてしまう。ここにいると文化の変圧器も、ぶっ飛ぶこと多いけど。
まあでも、街にはアダプターぐらいだったらすぐに直しちゃうマジシャンがいるのだけれど。トランクの鍵を2秒で開けるマジシャンとか。街にはいろいろなマジックを持つ技能者がいるのだ。いちいちメーカーに修理してもらわなくてすむ。持久(自給)体制があるのだった。島だからね。そのマジシャンを見つけるのは全部、口コミなんだけどね。
電圧の加減で早速プリンターの調子が悪くなったので、マジシャンの所に持っていった。通常彼らは、テクニシャンとかエンジニアとか呼ばれているのだが。どうやっても動かなかったプリンターが、なんだかよく分からないうちに彼がふれただけですぐ直ってしまった。だから私にとっては、やっぱりだ。
交通事情もめちゃくちゃなら、何がなんだかよく分からないうちになんとかなってしまう。この街。そして、烏。大事なのは、めちゃくちゃだろうが、とんでもだろうが、なにがなんだか分からなかろうが、それでも機能していると云うこと。そういうわけで烏も、のたくらごにょごにょ今日も生きている。
リハビリ現地報告3
初めて軍艦を見た
なんと、ドマゲッティのとぼけた田舎の港で軍艦を見てしまった。ここに来るようになって初めて。ここの港はちっさくてとぼけているけれど、一応ミンダナオのザンボアンガ(イスラム原理主義者の爆発事件が絶えないところ。もっとも華人が、保険目当てや古いビル取り壊し目当てでやっているという噂の絶えない街だけど)から、大型客船がマニラやセブへゆく船が途中で寄る港なのだな。
ついに政府は形だけでも、ザンボアンガ以北のホロ諸島(フィリピン人はJって発音が苦手だ。それを知らない人はジョロ諸島って読んじゃうんだけど。スペイン語もJがhになる事が多いようだ。)の海賊というかモスリム退治に力を入れることにしたらしい。最近港が改修されたのはこのためか。ってつい勘繰っちゃう。
っていってもそれほど大きな船じゃなくて、砲門1つの灰色の船だ。いっちょまえに国旗翻してるけど、いったい米軍から何年前に払い下げられたんだ。建造されて何十年だって云った様相の貧弱な軍艦だった。ベトナム戦争にも行ったんだろうか。うーむちょと複雑なかんぐりの気持ち。烏この街に8年ぐらい通ってるけど、軍艦を間近で見たのは初めてで、ほんとに子供のようにびっくりしてしまった。やはり烏も平和ボケしている日本の子か。
ザンボアンガからはすぐ隣のマレーシアのサラワクのサンダカンに逃げ込める。サンボアンガからサンダカンやマレーシアに向けていっぱいフィリピン人労働者が、自由に行き来していた時期もあった。そういう意味では、烏が調査を始めた5~6年前って一番治安が安定していて、どこでものんきな外国人が気安く入っていけたいい時期だったと思う。今だったら、烏が行った最奥地は治安上の理由でとてもいけない。当時でも、知らないうちにゲリラから接触されていたし。勢いとは恐ろしいもので、ひょいと危険なところに突入していたなあ。
今覚えば、あのパワーはどこからでてたんだろ。日本に帰って病院にいたとき、烏が行った最奥地、ドブドブ村の小学生の女の子から手紙をもらった。その子が烏の手を引いて家の周りを案内してくれたんだよ。手紙には「また来てね。いつでも歓迎するからまた来てね。」って。たぶんその子の1ヶ月の小遣い代のほとんどだったろう切手代と、最寄りの郵便局まで7時間の道のりをついやして。それを思うと切なくて、涙が止まらなかった。だけれど申し訳ないが当分いけないなあ。
だが度重なる引っ越しと研究室の引っ越し、入退院の繰り返しで完全に住所が散逸して女の子の宛先が見つからない。物の整理が悪いのだ。それに、だいたい体力的にいけない。気力的も。今日は腰痛でほとんど1日寝ていた。痛みと痛みの間の瞬間に、起きてトイレに行って何かつまんで、薬を飲んでまた横になる。そして良寛の詩の本を眺めてた。切なさだけがつのる。
そこの村に行くにはほんとに大変だった。途中のバイクタクシーはぬれた赤土で滑って転倒するし。ぬかるんだ道に足を取られ、裸馬にひょいと乗せられた。くつわをとってもらえる代わりにたてがみをつかめだって。その馬も、ぬかるみで滑ってよろめく。そして、股までびちょびちょぬれながら川を渡り。あの時は、本当に何度か死を覚悟したなあ。
そのとき、すでに烏はゲリラ側にマークされてたようだ。だから、帰国後、ゲリラから、「金塊を買わないか」などと接触された。そのゲリラとは、親切に村まで案内してくれた見知らぬおじさんだった。村から帰ってから、いろいろ内情を知らされたけど。知らなくて良いこともある。ここにいると時々、そういう目くらましにあって、何を信じていいのか分からなくなるときがある。それでも何とかなっちゃうから不思議なんだけど。ちょっと治安と私の様態が落ち着くまで、当分そこにはいけないなぁ。
あとで山の方の出身の親しい女の子から密かに聞いたり、いろいろな人たちの言葉を総合すると。アキノ時代、ネグロス島は米軍の対ゲリラ戦のマイクロウォーズの作戦の対象になったのだ。山の人の人心の中には、その時の村人をゲリラと民兵に別れさせて、互いにリンチをさせあう。などといった隠された経験が、密かに村の中の人間関係に尾を引いていることがあるとか。何とも云えないできごとだ。
インドネシアやミンダナオなどのテロ事件。ミンダナオには、烏の苦境を救ってくれて家族同様に扱ってくれたファミリーがいる。日本にいると遠くの事件が、近くの事件になる。ミンダナオのファミリーはね、烏が初めてフィリピンに行って睡眠薬強盗にあったとき、身柄も知らないのに預かってもてなしてくれた。ここにいるだけで、遠い事件が身近な話題になる。
そして街。今まで金持ちと中産階級と貧乏人が顔を合わせていたのに。底辺からてっぺんまで丈の低い三角形の中で仲良くやっていったのに。この数年のモータリゼーションの開花など、豊かになっていってる人もいるが、相変わらず底辺にも人はいる。底辺はそのままで、ビローンと天辺が途中の中産階級を含めて、のびたみたい。 とここまではわりと正気でしたが、ここから少し酔談です。というか睡眠薬酔いして時に書いたから、睡談か?
「自分が何やってんだろうと思うとぐるぐるして眠れない。だからこうやって書いて吐き出している。でも烏は、実は書くこともうまくできないでいる。苦しい。自分のことで精一杯。でも仕方ない。仕方ないと自分を贖罪したくて仕方がないのだけれど。眠れない。だからこうやって吐き出す。ああ現地報告とは贖罪記でもあったか。頭がぐるぐるする。寝させて。寝させてほしい。」
と書いたのはおとついの夜のことで、おとついは頭がぐるぐる回りすぎて睡眠薬を、やまほどのんだのだけれど一睡もできず。薬ボケした頭で、かなり苦しんでいた。薬ボケした頭で書くと、悪酔いみたいなもんだから、理性が飛んで、感情面の本音が出てくる。と、冷静に読み直したら思うなあ。泥酔状態だよ。烏。だけど、ちょっと正直にくだを巻いてみました。烏は以外と泣き上戸だったらしい。まっ普段から、感情調整剤を楽勝でぶっちぎって。怒ったり、笑ったりしているからな。たまには泣かせたれや。
で、おとつい一睡もできなかった反動で、昨夜はかっきり12時間は寝た。まだ寝られると思って、昼寝もした。いったいどうなっているのだか。昨日は街へ出て、郵便物を出して、食べ物を買ってきた。ここの下宿はいいところなのだが街の中に遠く、洗濯と掃除はしてくれるのだけれど最寄りに食べ物屋がないのが不便。これでご飯とお薬の時間が付いてたらで、完全に病院と一緒なのだけれど。朝は小鳥が起こすし。だが来てからしばらくはおみやげに持ってきた日本のチョコレートと飴を食べて暮らしていた。すごい食生活だった。まあそんな感じ。
リハビリ現場報告4
羊頭狗肉な話1
街で、食べ物とついでにクッションを買ってみた。いやあこの田舎街も発展したもんじゃと驚いた。ちょっとおしゃれなクッションが見つかったのじゃ。びっくり。今まで、そういったものは、少なくとも隣のセブ島のショッピングモールまで行かないとなかったのじゃ。街で唯一のデパートの売り場面積が、いつのまにか1.5倍になっていたのじゃ。でも無理矢理(無理矢理な、強引さがフィリピンぽいのじゃ。羊頭狗肉なんて平気じゃからな。羊頭狗肉で、なお機能するところがさらにすばらしいのじゃが。)斜め裏のビルとくっけたらしいので、烏にはまるで迷路じゃ。
烏は、病院でも家でも不安の強いときにはぬいぐるみを抱いて寝ているのじゃ。それでおとついの不眠後、何か抱くものが必要じゃったのではと結論づけた。そこでしんどいのを押して買い物へ出た。ヨーロッパでは、シングルでも必ず枕が2個あったし。1個の枕は抱いて、その上だいたいが体に無理をさせていたので、体の力でなんとか寝ていた。将来への漠然とした不安より、明日のために。体が寝させていた。脳内物質vs薬+体。烏は気性が激しいので、烏内部の分派闘争も激しいのじゃ。
体の声が聞こえない烏は、時々、体の声と反するニューロンへ行く脳内物質が圧倒的勝利を締めてしまうのじゃ。それに、調子が乗ると体がついていけずに倒れる。だから体の声と脳内物質のバランスがうまくとれないので、お薬の力を借りているのだが。それでも、薬に勝ってしまう。羊頭狗肉のごとく頭と体がくっついていないのじゃ。
ちなみに、いつも暴言や極論を吐いている烏の研究室の教授は、ごっつい手をしていて、ごっつい体をしている。ごっついことを云うのも得意じゃ。しかし初老に達し、ごっつい脳内物質に体がついていけなくなって、ようやく切なさや哀愁を知るようになったようだ。いいことじゃ。が、じじい、退官間際になって悟っても、烏にとっては間にあわんのじゃ。じゃが、まだまだ生きそうなじいさんにとってはいいことじゃ。人間、できないことを悟るのは大切なことじゃ。と、何もできなくなった烏は、そう自分を慰めている。
烏は30で倒れ、今なんとなく「人生わずか50年」の時代の閑吟集や、梁塵秘抄と相性がよいのじゃ。もうほとんど人生が終わった気分なのじゃ。閑吟集を持ってこなかったのが残念じゃ。が、重かったのじゃ。重くても持ってきたら良かったな。まあいいか。梁塵秘集の文庫版は持ってきたし。年若くして既に老いたりじゃ。10歳のくせに
入院中もリハビリをかねて、精神科の看護助手の姉ちゃんの仕事にくっついて京大病院の外来本館をカルテをもってくるくる回っていた。すると2人でいつも、老年科の「ものわすれ外来」の案内を見つめ合ってしまうのじゃ。2人いても、いつもどこかの科を回るのを忘れ「私ら、若年性痴呆症?」って云いながら。その上、二人とも体が年寄り臭く、5階まであがるので精一杯なのじゃた。ばばぁじゃばばぁじゃ。
で、机といすの座高の高さも合わないと云うか。家でパソパソ打つ時も、お習字する時もずっとこたつと床の高さでしかも座布団や、クッションでかなりかさ上げしてお字書きしていた烏は、どうもここの下宿の机といすの高さが合わんと、枕を椅子おいていたのじゃが、枕カバーに墨を付けるに至って、いかんクッションを買おうと思いったのじゃった。
やすもんだから抱くとばりばりいうところが気にいらんのじゃが。見かけ倒し大好きのフィリピンだから仕方ないか。スポンジの中にビニールの固まりを入れて分厚さをごまかしていたらしい。うーむやはり羊頭狗肉じゃ。まあいいけど。
烏はきちんと幼児退行しているので、時々スヌーピーのスナイダーの毛布(いつも毛布引きずっていて、取り上げると泣く奴)みたいに、お気にいりのぬいぐるみ(今回はとりあえずクッション)がいるのじゃ。
だけど、これは烏だけじゃなくて、病院でも思春期鬱の子や摂食障害の子達の多くは、そういうものを大事にする。でけぇドラエモンのぬいぐるみを抱いたままいきなり廊下で倒れるおしゃれな奴やら。その上、論文でも摂食障害の場合、治療過程でこういったものに愛着を示すのは重要である。とまでお墨付きまであるしな。実践プラス、クロスチェックじゃ。
烏の京都の下宿にはカエル1号(お父さん)とカエル?号(おっちゃん)とゴー君(ゴーヤマンの特大ぬいぐるみ)とコゲパン枕、その他がいる。よりどりみどりのハーレム状態じゃ。30すぎて自分がぬいぐるみを買ったり必要とするとは思わんかったが。年相応の時に年相応の発達をしていないとそうなるのじゃ。枕も3個あるしな。だいたい腰痛と脊柱側湾の激痛で泣きながら横になっていると、寝るにもいろいろ姿勢補助グッズがいるのじゃ。
それで、実家にはカエル2号とクマがあるが小さいのじゃ。それでむかし自分でパッチワークしたクッションも使うのじゃ。昔も今と変わらず暇人じゃったのじゃ。持ってきた漢詩集も、閑吟の詩を集めてあるのじゃ。日本は忙しいのじゃ。じゃから暇人であるべき、自分の本文忘れそうになるのなってこけるのじゃ。じゃが、大きくて柔らかければなんでもいいかもしれないが、やっぱり寝辛いのぉ。
発病当時は、というより摂食障害が激化した時代は、カエル1号からカエル3号まで必要でその上マイ毛布とマイ膝掛けとコゲパン枕までいったのじゃ。スナイダーどころではなかったのじゃ。物持ち烏。退院時には大変だったぞえ。入院中、火曜日のシーツ交換の時も、ころっとベッドの上を片づけるのを忘れると後が大変じゃった。シーツ交換のおばちゃんの怒りが炸裂するかのように、烏グッツが方々に積み上げられたものじゃ。
今いるこのフィリピンの下宿は、料金の高い外人用下宿なので掃除洗濯付きなのじゃが、火曜日と金曜日の掃除の時は大変なのじゃ。掃除のおばちゃんがいろいろ片づけてくれるのじゃが、その後は烏にとっては結局どこに何があるかわからんようになるのじゃ。ちなみに入院中より、ものは少ないはずじゃ。もってこれんからの。
3度目の入院の時、でかい鞄とバケツを下げて行ったら「どうせすぐもっと増えるんでしょ。烏さんのことだから。」と看護主任さんに言われてしまったのじゃが。ばれておるのじゃ、ゴミイ様な事は。京都の下宿でも、他の人と部屋の広さはかわらん筈なのに、他の人の部屋より動けるスペースがぐっと少ないのじゃ。とんと不思議な事じゃ。
じゃが、フィリピンの山の上の農家には、以前烏が留学し調査などをいたしておった折りにためまくったものを置いてもらっている。なんであげてもあげてもこんなに残ったのじゃろ。家具類はほとんどあげたのじゃが。ボホール島で買ってきた、人間が入れるぐらいでかいカゴとかあるからの。どうするもりなんじゃろか烏は。
その上、すぐに頭も混沌化し混乱するのじゃ。良寛の本などを読んでいるとよくそんだけのもんでたったな、と思うぐらいものがなくて充足しとる。かくありたいと思うのだが、何故に烏は、このようにもの持ちになってしまって混沌化するのじゃろうか。
ちなみにその後はいろんな人がカエルグッズをよこしてくれ、ちっさすぎていなくなったカエルもいて。結局何匹いるか分からないのじゃ。象徴的なことに、烏がはじめて親の前でパニック発作を起こしたとき買ったちっさいカエルは行方不明のままで。そのかえるをにぎりしめてふるえていたのじゃが。部屋を引っ越ししたときも見つからず、烏ガエルは未だ行方不明なのじゃった。烏は仕方がないから、自分でちっさいカエルからじゅんばんにやりなおしておるのじゃった。で、あいかわらず不安時の愛着の対象を求めさまよう烏じゃた。三子の魂百まで成長せずじゃ。
今回は、とりあえずガサゴソいう安もんの(といってもペソ感覚でいうとそうでもないのじゃが)、黄色い花柄クッションとともにここにいるのじゃ。どうせ烏の頭の中はイエローサブマリンじゃからの。
そんで、烏はすぐになんかに感化されるのじゃ。宮沢賢治が東京にいた数ヶ月、貧乏でジャガイモばっかり食べていたと読んだら、ではジャガイモを買ってみようと思い立ち、スーパーの野菜売り場に行ったのじゃ。そこでジャガイモは、パンや他の食べ物よりずっと高くここは日本の気候とは違うのじゃ、と気がつき自分の愚かさを恥じのじゃ。
ジャガイモはね、熱帯湿潤気候では作るのが大変難しいんじゃ。あんた一応農学士でしょ、と。やはり「ものわすれ外来」ものじゃ。宮沢賢治ごっこをしたければ、水・日の夜中市(夜中に始まって朝終わるので朝市ではな」い)に行って、ひたすらバナナでも食べているべきなのじゃ。とジャガイモの棚でううううううと落ち込んだ。
内科病棟にいた時代も、たくさんのものたちに囲まれていても足らずに、夜中にしくしく泣いていると、今ほど枕や座布団にされてぺったらこになっていなかったコゲパン枕をそっと胸の上に置いていった看護婦さんがいたのじゃ。その看護婦さんは精神科の経験がなかったが、分かる人には分かるのじゃな。いつも明るくて元気が良かった人じゃったが、夜中に熱を出した時、黙って熱いタオルで背中を拭いてくれた。一番安心できる人じゃった。こういうことは感受性プラス知性がいるのぉ。
感受性と知性がくっついていない烏の言動も羊頭狗肉っぽいかの。うーむ。
リハビリ現場報告4
羊頭狗肉な話2
夜中市まで歩いていく気力はない遠いし、途中で野良犬多いし、夜中なので乗り物ないし。今、烏の足のバイクがないのじゃ。バイクはきれい事ばかりいうボケ牧師がかりていったまま返してくれないのじゃ。この牧師に関しては、口先ばっかりきれい事をいうのはやめましょうと思う。どの口がそんなこといわせとんのじゃ。行動と云っていることがずれとんぞ。
と、烏は、大人の方便が通じない子供らしく怒っている。むしろ融通の利かない年寄りのようにか。しかし、この件でふりまわされているのも事実で、まあフィリピンらしい、ちゅやあフィリピンらしい事件じゃけど。「次はちゃんとするよー」っていって、その次があったためしのないフィリピンじゃった。
で、ここで怒るとまた全身に活性酸素が走り回って、体のどこかを傷つけると思うと怒りたくないのじゃが。ああ、怒りと落ち込みと安定剤。「牧師!お前の神さんに言いつけるぞ。」てっいっても7days
Advantestの神さんってどんな奴なんじゃろ。ちなみに信者の人たちは土曜日が安息日で、イカ・タコなの鱗のない魚は召し上がられん。アルコールもなしじゃ。じゃが、ようわからんもんには意義の申し立てようがない。困惑と怒りがあるのみじゃ。キリスト教ちゅうってもいろいろ宗派があって、「あんたの宗教は何か」はどこの国でも聞かれることじゃが、ここでは「何派か」と聞かれる事があるのじゃ。
この街には、烏も前に留学していたフィリピンで唯一プロテスタントの大学があるのじゃ。だからプロテスタント系のアジア人留学生がたんと集まる。インドネシア人とか韓国人とか。じゃもんでここでは一応、烏はプロテスタントで通している。それでも、長老会派か何とか派とかつっこまれると困るのじゃ。えせプロテスタントじゃからの。洗礼受けたわけでなし。
根拠は、昔プロテスタントの学校で、雨の日も雪の日も礼拝守っとたということだけじゃ。そのときも、物の良くわかってる牧師もいたが、ただ権威だけで押さえつけようとする憎そい牧師もいたしな。だから、教条主義的に「~だから立派」とかいう頭は、烏には全然ないんじゃ。羊頭狗肉牧師に、13歳で泣かされたのじゃから。ほとんどマグダラのマリアじゃ。
羊頭狗肉といえば、フィリピンにも犬肉を食べる習慣があるのじゃ。実際に殺すところも、料理するところも見た。で、あるとき妙な味の肉料理が田舎の屋台で出され、異常に味覚が鋭敏な烏は「これは」と思ってあまり食べなかったのじゃ。そのとき一緒にいた、フィリピン人の先生や学生は、やすい割にうまいうまいと食べまくっていたのじゃが。烏は自分の本能を信じたのじゃ。すると烏をのぞいてみんな、次の日激しい下痢に襲われ、2~3日学校に来られなかったのじゃ。で、烏だけピンしゃんしているので、日本人の胃は異常だといわれ大変心外じゃった。ただ、やばそうな味と思ってほとんど食わんかっただけじゃ。後の噂では、あの肉は犬肉で、寄生虫にみんなやられたのではという話じゃった。
ここに来るといろんな羊頭狗肉話に振り回される。じゃが、そうでもないいい人もいっぱいいて。結局はどこにいてもその人次第ということか。
話がぐるぐる長くなったの。ばばぁの炉端話のようじゃ。
やっぱり「ものわすれ外来」か?
じゃが、このぐるぐるした話の進行方法は躁鬱病患者に特有なのじゃ。
リハビリ現地報告6
身近な動物の話
相変わらず街でも夜になるとザアザア間欠的に雨が降る。山では午後一杯もっと激しく降っているのだろうな。
街の下宿でも時々窓の外にテッケ(白いヤモリ)がいたり、トッコーというトカゲが鳴いたり。トッコーは東南アジアの田舎では、トッケーとも呼ばれて、どこでもいる奴です。はっきり言って、うるさい。トッコーが住み着くと家に良いことがあると云って、皆に大目に見られているのですが。一度泊まった家で、壁越しにトッコートッコーと枕元で大声で鳴かれ、あまりのうるささに発狂しかかりました。その部屋の壁に掛かっていた銃で、壁越しに撃ったろうかと思うほどでした。
あと、とんでもない時間に鳴き喚く、闘鶏用の雄鳥もたまりません。何であんたら1羽鳴いたら、1km四方みんな鳴くの。ネグロスは闘鶏用の鶏の産地でも有名な場所です。結構飼育場があっちこっちにあります。今の場所は住宅地なのでまだましです。以前に住んでいた街の郊外では、隣に許せん1羽がいました。声ばかり大きく、気が小さいせいか夜中でも、しょちゅうなにかに驚いてしょっちゅう鳴き喚いていました。憎たらしいくて、いつかお前を殺してばりばり食ったる。と思っていたほどでした。
テッケはそれに比べるとかわいいです。テケケケケケと鳴き声もかわいい。が、こいつも油断はなりません。酸性度の高いしょんべんをひりたくり、電気製品を壊すという特技を持っています。蟻ンコを始め、見た目より油断ならない生き物が多いです。
以前、留学して調査していたときは、街の下宿と山の上の農家という2本だてでやってました。何しか山の上には電話もないし、電気や水や道の状態も大変悪かったから。大雨降るとすぐピンチ。で、しょっちゅう大雨は降る。というと、あーまた大雨ということは1週間は水が濁るなー。とか道が崩れるなーとか。山の家に住み続けるのは、都市生活になれている人間には結構ハードです。近所づきあいや、親戚のいざこざにも巻き込まれるし。でも、山の家の話はでもまた今度。今回は、以前住んでた郊外の街の下宿のお話です。
そのときの街の下宿は、今これを打っている部屋のようこぎれいではなかったです。もっと不便な郊外の集落にある大学の先生の2階を間借りしていました。今いるところは、国道で街を分けると中心部街よりで、前の家は国道の向こうの田舎側。国道の向こうは、しょっちゅうある停電や断水の復旧も遅いし。今のようなちょっと高級住宅地が集まっている地区と違って、いきなり道路にガチョウや牛や山羊なんかが出てきました。バイクに乗っていると、突然出てくる動物は結構、危険です。
当時、烏はあの集落に住む唯一の外人だったのではなかろうかと思います。そこのベランダにはテッケがわんさとおり、部屋の中にも4匹すんでいてテッケ1号から4号と名付けていました。4号だけ小さいくて分かりやすいのですが、あとは判別は難しかったです。
今の京都の下宿にも、はえ取り蜘蛛1号と2号がいますけど。鬱になってぼーっと天井見ていると、2匹並んで止まってたりする。それを見てはなごんでました。が、2匹の見分けはつきません。ただ自分が動けなくても、勝手に動く生き物がいてくれると和むなあ。と、前回の入院時に、なぜか机頭台のところでベタ3号という熱帯魚を飼って思ったのですが。これは付け足し。
しかしある夜、前の下宿では烏は見た。暗がりをちょろちょろ走り回っている者を。ネズミだ。なめてはいけない。奴らはマホガニーでも食い破る。何でもかじる。その上壁の中で暴れるので、ちゅうちゅうがたごと眠れない。
そのときの大家はおおらかというか。忙しい人だったというか、あまり家の管理に関しては当てにならんと云うか。まあとにかく、そういう人だったので自分の部屋に関しては何とか、穴をふさぎ壁と床の隙間に殺鼠剤をまき倒し手当てしましたが。夜、階下の台所に行くと生ゴミ箱から、ネズミがウワッと沸いてでるのはあたりまえでした。
まれに大家がご飯を食わせてくれようとしたが、そこの食卓は油断するとあっという間に蟻だらけで。おおらかというか、老眼で細かいものが見えないのか、蟻ぐらい気にせんというか。「マグロの蟻の黒山まぶし炒め」を食わせてくれようとしたこともありました。ヒッチコックの世界です。
で、その下宿を離れなかったのは単なる成り行きと、動くのがめんどくさかったのと、フィリピン人と暮らすのはどんなもんだろうという好奇心からで。後で、自分のいるうちはかなり周りのフィリピン人とずれていると思いましたけれど。フィリピン人の土地感覚や近所との関係を具体的に知るには、集落の中にいたのは良かったのかもしれません。
庭にはガマのようなカエルだの、キノボリトカゲだもいました。蟻んこはそこらじゅうを我がもので占拠してましたし。食卓に長時間、むき出しの食べ物は置けませんでした。だけれども大家の家は、庭が広くて沢山マホガニーの木を植えいて、晴れた日はとても気持ちが良かったです。そこで大家は自分家をマホガニーパークと名づけていました。ここでは地名は自分で勝手に住民が名乗るものらしい。緑が豊だったせいか同じ街の中でもめちゃくちゃ雨が降りました。ここでは雨は、局所的に降ることが多いのです。
ここにいたら、この生き物たちに負けてはいけない。と思うほどタフな生き物に囲まれて、烏という生き物は、のんべんだらりとやってます。
リハビリ現地報告7
マホガニーパークでのお話1
大家が勝手にマホガニーパークと名付けた、以前の下宿のある集落内の道が、ある日突然変わってました。勝手に15mほど家をずらした所帯があったので。おかげでいきなり、朝と夕では道が違って曲がり、元々未舗装で雨が降るたびにむかるむ道が、地面が固まってないところに新たに道がえけ替えられたので、バイクや徒歩だとぬかるんでぬかるんでえらい往生しました。ぬかるみに足を取られてどろどろになったり。ここら辺の土地問題は、ちょっと郊外になると集落内でなあなあにやってる所があって、部外者にはよく分からないことが多いです。部内者でも、「えっ」ていうことが生じると大家は云っておりましたが。
だいたいイリーガル(違法)とか云っても、集落に入ればリーガル(合法)も違法もなくて、その家族間の力関係や情やら人間関係ですべて決まるのだということが、つぶさに見てとられました。法治国家は、ハイウェイまでで、ハイウェイから中に入ったバランガイの世界はまだ別なのでした。という意味で、郊外の集落の中の家に下宿したのはおもしろい経験でした。
ともあれ、庭には大きなマンゴーの木やアボガドの木、そのほかにも果物の木があって楽しめました。烏は、庭に果物の木がある家に生まれました。そのせいか、山の農村の調査地も家の周りが食べられる実をつける木ばっかりだという理由だけで選んでしまった気がします。とにかく烏は、季節の果物とりが好きなのでした。
だけど、マンゴーが熟してくると、たびたびドカーンと2階の屋根を直撃し。安眠は妨げられる。直撃のたびに、2階のトタン屋根がずれて雨漏りがする。何しろ夜中に突然雷雨がおそう地域だから。はっと気がついたら水浸しなんて事も。「大きなマンゴーの木の下で」なんて一見、絵本のタイトルにもなりそうだけれども実際暮らしてみると、死活問題です。
何回「マムー、水浸し、バケツとぞうきん」と叫んだでしょう。で、次の日、近所の親戚のなんたらという大工が仕事に出かける前にやってきて、イージーに屋根のずれをなおしてゆくけれど、また2~3日したら、マンゴーの直撃のせいでイージーに雨漏りがするのでした。ある日「マミ、今度はトタンと天井板の一部を取り替えてみたわよ」と大家が明るく云いました。やれやれと思ったら、やっぱりマンゴーに直撃されると別の所からぼたぼた雨漏りしているのでした。
マンゴーの木は、街では専門の収穫屋がいて、マンゴー木の持ち主はその収穫屋と契約することが多いのです。マンゴーは値も高いけれど、何しろ農薬やったり、袋懸けたり手間をかけないと良い実がなりません。そのうえ木は、めちゃくちゃ大きくなる。だもんで、木登り能力が退化した都市住民は、収穫を分け合う条件で収穫屋と手入れを含めた年間契約を結びます。
で、時々収穫屋が農薬も撒きに来ていた。が、すると網戸しかない2階の烏の部屋は農薬の直撃を受けてました。だもんで、実はあのマンゴーの木は、何かにつけ烏の体に悪い木でもありました。
だけれど、マンゴーの収穫の日、家中にあふれたマンゴーとその香りは忘れられません。床じゅうマンゴー。あのさわやかな甘酸っぱさ。その日の幸せは格別でした。それから、4~5日間は大家の冷蔵庫のマンゴーを食べ倒していました。口の周りがかぶれるのもおそれず。
ちなみにマンゴーはウルシ科なので、汁が皮膚にくっついてかゆいのを放っておくと、かぶれることがあります。
でも、今回は「あかん」と思いました。山の家も以前の街の家も。山の家は、山の激しい気候の変化や、生活環境の不便さや、交通の便の悪さで「あかん」のですが。以前住んでいた街の家も、以下に述べる理由で、烏の病気にとってはたいがいなのでした。
リハビリ現地報告8
マホガニーパークでのお話2
あるいはフィリピン的酔っぱらいが生み出される一過程
実は、烏が下宿していたマホガニーパークの家は、パプ(お父さん)がアル中でした。烏家は、マム(お母さん)が大家で、マムは烏が留学していた大学で英語や言語学の先生をしてました。で、一応このマムが烏の身元保証人なので、まずその家に住んでから別の下宿を探そうと云うことにしていましたが。上記の理由で、ずるずるそこに住んでしまいまた。烏は、けっこうなりゆきで生きているのであった。
北杜夫が躁転すると、株に手を出しめまぐるしくなりゆきで売り買いしまくるらしいですが。烏は、自分の生活そのものをなりゆきでやってます。計画性つまり「後先を考える頭=学習能力」があまりないらしい。とよく精神科の先生に指摘されますけど。
マムはちょっとビジネスライクなところもあるけれど、英語でセブアノ語文法の基礎を教えてもらえ、調査票とか作るときの翻訳や手伝ってくれて親切でした。マムは外国暮らしの経験もあるので、相対化してフィリピン生活の特徴を説明してくれました。そういう利点もあって、街の不便なところにあっても居着いてました。
しかしパプは、よく喚き、叫び、切れました。直接、烏にとばっちりがくることはなかったけれど。階下の騒動によく耐えていたと思う。何度か、マムが寝間着で2階に逃げてきたし。それで私が愚痴を聞いていたり。摂食障害児の悪い癖で、親の愚痴を一方的に受け止めてしまうという。マムの娘の代わりに、烏があの家のバランサーになってしまいました。おかげで、あの時期は大変良く英語が分かったともさ。
後で、近所の洗濯を頼んでいたおばちゃんから、「マミがここに来る前は、もっと騒動がひどくてマムが一時期、マムん家の隣に住んでるパプの妹の家に避難してた」だの「パプが酔っぱらって椅子振り回して暴れた」とか聞かされました。さもありなんというような喧嘩や、言い争いが2階まで聞こえてくるのはしょっちゅうでした。
あの時は、せい一杯突っ張ってたから「ほー」「ふーん」とかわしていたけれど。所詮烏はのみの心臓、でも強がり。パプの気持ちもわかんない訳ではないので、結局、摂食障害児として間にはさがった良いショックアブソーバーになっていました。今から思えば、両方の気持ちを察し、ひたすらマムの愚痴を聞く子供という典型的な役割をしていましたね。
パプはできすぎる妻を持つつらさを持ち、しかも短気だった。マムはせっせと稼げるし、常に一生懸命、人生の目的を持ちそれに邁進している人だった。歳が行ってから博士号を取ったり、アメリカで雑誌の編集の仕事をしたり、タイで英語教師をして一発金を当てたり。街の家と別荘の維持費はすべてマムが稼ぎ出していた。パプはちょっとした小作人がいる土地持ちで、することがない。で、暇というか、自分の生きる目的が見いだせなくてキッチンドランカー化してました。
でも、そういう生きる目的や経営に興味のない小地主はパプだけじゃないみたい。パプみたいなおっちゃんがたまって、昼まっからビールを飲んでいるレストランが街にはある。そこには、昼過ぎには地元老年キッチンドランカー組と、若いフィリピン人の姉ちゃんと結婚したけど、昼間はすることない老年不良外人組がいつもいる。
しかも、フィリピンにはスペインの影響のマチズモ、「男は男らしくなくちゃ」精神がある。だけどマムに比べると、パプは全然かっこいい出番がないから、酒飲んで暴れてたんだろうな。威厳見せたくても、見せ場がない欲求不満で。でも、これはしっかりもので働き者の女性が多いフィリピンではよくあるパターンなんだな。
烏は自然とフィリピンの家庭の問題の一つにバランサーとして組み込まれることで、その現状を体で会得して行った。実際、烏がそのうちに下宿するようになって、騒動の回数はぐんと減ったらしい。だけど烏以外でそこに下宿する人は、みんな短期間で移っていきました。
マム曰く「マミみたいに信頼できる子じゃないと、下宿させるのは嫌だわ」。いやあ烏以外には住み込むのは無理だったでしょう。それに烏には山の家という逃げ場があったしね。
全然つっぱてない、幼児退行している今の烏だったら。ずっとあそこに住むには、毎日だばだば精神安定剤ものでしょう。すごい騒動が、時々ありましたよ。はっはっはっは。よく耐えてたねぇ。はじめの頃は、怒鳴りたくるパプのセブアノ語がわかんなかったから良かったんだろけど。
家族に問題があるとき一番弱いものにとばっちりがいって、その子供が病気になることはよくあること。マムんちでは、4人の子供のうち一番下の子だった。この子がパプの八つ当たりとも云える、威厳の誇示のような怒りを受けまくっていたという話です。馬鹿な奴と思えますが、かわいそうではある。
上の3人は女の子達で、マムに似て医師だの弁護士だの、インターナショナルスクールの先生だのとばりばりのやり手になった。末っ子の男の子はパプと同じようにアル中になりかけた所を、田舎の別荘に隔離され真夜中のニンテンドー君になっていた。
テレビゲームのことをフィリピンでは全部ひっくるめて通称ニンテンドーと呼ぶんだよ。たとえば、写真を撮るって云うのをコダックでなくてもコダックといったり、歯磨き粉はメーカーを問わずコルゲートっていう。まあ日本人も、ホッチキスをホッチキスの会社でない製品のものまでホッチキスって呼んでいるようにね。
そんで、彼は昼は起きてこれず、人前にもほとんどでずにいる。高校の成績とかものすごく良かったらしいのだが。大学に入って力尽きたようだ。大学に途中で行かなくなって飲み出して。街ではお酒飲んだりして遊べるバーも多少あるのだが、それをおそれた両親に、田舎に隔離された。昼は寝て、夜中にひたすらニンテンドーをしている。何もする気が起きないらしい。
これって鬱じゃん。たぶんマムは、長女が医師だから分かっているかもしれない。だけど、精神科医なんてものは州に一人。しかも処方箋もらうのだけでもばか高い。心理療法なんてとんでもない。実は去年、精神科医を見つけるのにえらい苦労しました。たった一人でもいたのにも驚いたほど。そんでマムは転地療法で何とかしようとしたらしい。
だが、ニンテンドー君はいつの間にか近所の女の子とちちくりあって、孕ませてしまいました。これいかに。パプん家は中産階級で、この街に有力な親戚もいる一族郎党の一派。近所の女の子の家は名もない庶民の一族。近所の同じ集落でいつも顔つき会わせている家の女の子でなかったら。そしてニンテンドー君がこれほど不甲斐ない奴でなかったら、女の子の泣き寝入りでしょうね。そういうパターンは結構多く、いわゆる家の格があわないという奴です。
マム達は同じ集落内でもめ事を起こしたくなかったのと、結婚を機にニンテンドー君が変わってくれることを望んだらしい。でもだめでしたね。嫁さんが、せっせと別荘の切り盛りを手伝い、ニンテンドー君は相変わらずです。まあそうそう人間変わるものではないというところでしょうか。
リハビリ現地報告9
読書子に寄す
相変わらず鬱で、午後になってからでしか動けません。腰痛や背中の痛みがひどいし。その上、いま薬ともバランスがとれてなくて、いきなり日中に意識が飛んだように眠る。あげくに、夜中に眠剤をだばだば飲んだ状態でも眠れず、追眠を入れても眠れず、しかも「あかん、あかんてー」ってい自分で自分に云いながらも、ふらふらとバイクで出かけてしまう。まあ出かけたって、行く場所決まってるんですけどね。
雷があっちこっちに落ちるなか、海岸にいって坐ってるんです。そして、ぼーっと周りに落ちまくる雷の光輝を見ているんです。この世のものとは思えないほどそれはそれは。それでずぶぬれになったり。
やばいなぁ、入院していたほうが良かったか?とちょっと思ったりもするけれど。まあいいや。もういいやきちゃったし。もうどうしようもないや。とにかく、生きて帰るように。ぼろぼろでも良いから帰るように。それだけ。
ところで、宮沢賢治の童話集は5回以上読んでます。他にも本はあるんですが。今のところこれがお気に入りらしい。そういえば、子供の頃は気に入った本だと10回だろうが20回だろうが、ほとんど全文覚えてもまだ読んで。それが年を取るにつれ、だんだん通り一遍にしか読まなくなって。専門書なんか、斜め読み、とばし読みが多くて。文章を味わうと云うより、情報を得るためだけに読んでいる。つまんない読み方するようになりましたね。
で、宮沢賢治の童話集はついつい最後のページについてある、岩波茂雄の「読書子に寄す― 岩波文庫発刊に際して―」まで読んでしまって、えらく感動した。曰く「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら求む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことは常に進取的なる民衆の切実なる要求である。云々」昭和2年7月の言葉に、2002年の10月、烏は感動している。簡潔かつ明瞭、そのうえ意味深い。格調高い文章だなぁ。
「読者は自己の欲するときに自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容は厳選最も力を尽くし」いい文章だなあ。おかげで梁塵秘抄は持ってこれたので、今んとこ烏の主要なお習字のお相手です。頼むよ、近々、烏のために、閑吟集も出しておくんなまし。そういえば専門書は重たい思いをして持ってきたんですけど、未だ眠ったままなんですう。
そういえば、前回の入院での数少ない収穫の一つは、岩波文庫の「ゴッホの手紙 上・中・下」を読んだことぐらいだった。不安定でほとんど本が読めなかったし。その上、本当にお疲れ入院だったので、ほとんどを寝て過ごしていた。そういやあ、この前、ゴッホが入っていたアルルの精神病院に行ってきたのですが。ゴッホの絵の中に「ミストラル(嵐)」という絵があって、アルル地方の嵐の中に星が瞬いている絵なのですが。そんな感じで烏も雷の中一人で坐っているようです。でも、安心してください。とりあえず人の二番煎じは嫌いなので、発作を起こしても自分の耳は切りません。
リハビリ現地報告10
嘘つき牧師を神の手にゆだねる
嘘つき牧師から、ようやく烏のパルパルバイクが帰ってきました。こやつ、嘘ばかりつき、言を左右する牧師にあるまじき奴です。烏は鬱でなかったら、バイブルで両頬ぶん殴って、おまけにバイブルの角で頭をどつき倒してた所でした。烏は切れたところを、こちらでほとんど人に見せたことがありません。たいがいは営業スマイル。だもんで、適当にあしらってうまくすれば、そのままバイクを我がものにしようとした形跡があります。ボケ牧師、牧師のくせにほんま油断ならん。
なにしろ、烏の大家さん(今の大家さんはいろいろアパートを持っている実力者)が電話したときにも「あれはマミが僕にくれたんだ」だとか。いつ、誰がそんなことを云ったんじゃ、何調子こいとんじゃワレ(所詮、烏は大阪人)。烏が子供の頃、そんな見え透いた嘘をついたら、親に「どの口がそんなことを云わせとる」と口をひねりあげられていた所です。
バイクは一杯壊されていた上に、無理矢理改造されてました。ガソリンタンクのある座席は焼き切ってから付け直してあって、ふたが閉まらない。仏陀の絵(去年も奴には怒っていたのですが、5歳だったので文句が言えず、黙って嫌がらせに絵を描いた)はナイフで削り落としてあって車体は傷だらけ(ベンジンで拭くという知恵はないんか)。ミラーは割れて変なのがついているし。チェーンはゆるんでる。
何よりもスピードメーターが壊れている。恐ろしいことにハンドブレーキはほとんどきかない。ランプもつかない。「なにーようこんなんで乗ってたな」ちゅうほど壊れてて、修理代が部品代だけでめちゃくちゃかかった。烏のスキ(フィリピンでいうお得意さん関係。)のエンジニアの兄ちゃんに、けたけた笑われながら「新しいの買った方が良いんとちゃう」といわれたぐらい。走るくず鉄と化していた。
烏は今回は珍しく計画的に、1ヶ月以上も前からこの日に帰ると奴に予告してその後も電話をしているのに。なんやねんこの有様は。烏が教会に電話して、奴の上司にわあわあいい、うちの大家のきつい押しがなかったら、絶対返すつもりなんてこれっぽちもなかったに違いない。
その上、返す際にごめんなさいの一言もなく、「言い訳ばかり」。それを思い出す度、に大変胸くそが悪くなります。うちの親やったら、口ひねりたおされとったぞ。口を持ってぶら下げられたら泣きも叫びもできひんからこたえるぞ(あれ、うちの親って世間より厳しかった?)。その後、新しい故障箇所や、改造箇所を見つけるたびにクラクラしてます。烏が躁期で、薬も使ってなかったらな、お前は一発かまされてたぞ。烏みたいなガキにはな、バイブルもアイアンハンマーも変わらへんねんど。
わざと携帯電話も切っていたようで(今フィリピンは携帯電話が大流行、だって電話線ないところが大部分だから)、なかなか連絡がとれないので教会に電話し、上司におもくそ嫌みを言ってしまった。「あんたらは祈る人(プライヤー)じゃなくて、嘘つき(ライヤー)なのか」って。だけど、これ以上怒ってても壊れたバイクは直らないので、後の裁きは奴の神様に任せようと思います。これ以上、活性酸素を増やさないために。どんな神さんか知らんけど。
リハビリ現地報告11
止まること
とりあえず、バイクはぼろぼろだけど動いている。というか、そのフィリピン人感覚が怖い。フィリピン人は「とりあえず、動けばいい」感覚で、後は野生の勘で乗り回している。だけど、烏にとっては、外観はともかく走行系に関しては完璧じゃないとだめなのだ。はっきり言って、烏運動音痴。しかも躁状態に入ったら見境ない。鬱状態だととっさに反応ができない。そんな烏にとっては、「走ることより止まることの方が重要」なのだ。
どうにも止まれない。もしくは、止まったら交差点の中でも止まったきり。動くことより、上手に止まるのことが難しいのだ。今回の入院の退院計画書に、研修医に「躁状態の時、がんばりすぎないこと」とたわけたことを書かれてしまったが。上手に止まってセーブできてたら、こんな病気になっとらんわ。と悪態をつくほど、止まるのが下手です。
で、ここのところ午後になったら、無法の交通渋滞の中、怖い思いをしてパルパルバイ
クでスキの兄ちゃんの所に通ってます。その度に、スキの兄ちゃんに笑われてます。「またこけたんかー」って。くそお、くやしい。
どうして烏と修理専門の兄ちゃんがスキ関係かというと、烏はよくこけてあっちこっち壊していたから。でもすぐに修理してた。メンテナンスだけはとにかく良くしてた。自分の能力の低さをカバーするのに。現在、病院がよいを続けて、とにかく人様に体のメンテナンスをお願いしているのと一緒ですね。とにかくバイクも体も、運転する能力引くいもんで。スキの兄ちゃんも、2年たとうが3年たとうが覚えていてくれた。
烏は、調査をするためにフィリピンで生まれて初めてバイクに乗った。だのに、いきなりホンダ70cc、ギア付き、キックスターター。山道のオフロードでモトクロス状態。バックライド(後ろに調査助手とかいろんな奴が乗ってくる。3人乗りなんか当たり前)。荷物満載。もちろんノーヘル。
だから烏は、バイクを走らせることはかなりできる。だけどバイクは、止めるときが難しい。バランスとれなくて。スリップしたときに、うまくスピード殺せないと、ほんとうに大けがする。体もほどほどで止めらんないから、病気してんだけど。
烏は留学してた頃、後半はほとんど山にこもっていたので、留学生仲間では伝説の山姥と化していた。そして新しく留学しにやって来た子達に「山にはねカガワサン(ちなみにセブアノ語ではカガワサンは自由という意味)というすごい人がいるんだよ」と伝えられていたらしい。その伝説の山姥は自分の送別会の日、にこにこしながら血みどろで現れた。後で聞いたら、新しく来た子は大変たまげていたらしい。まあ、そうかもしれない。
いきなり、バイクでこけて左肘から手首にかけてぽたぽた血を垂らし、笑いながら現れたからなあ。実はその上に、肋骨にもひびが入ってた。後で写真を見たら、にこにこ血みどろの山姥が笑っている。その体で、20kgのザックを背負って京都に帰って行きましたとさ。本当に躁ですねぇ。躁だよな。
そのほかにもこけて、手をついたとき尺骨と橈骨が行き違われて、関節はずれてギブスしてたりしたしな。重いんだよ石膏固めは。右手だったし、指先まで固められてらえらいこと苦労した。そのうえ、ギブスはずしてもめちゃくちゃ痛い。ギブスはずしてからも2ヶ月はドアのノブも回せなかった。未だに何か絞るのは苦手。大小の火傷やら、怪我は数知れず。
だもんで、無事に生きて帰るために走行系にだけは、金がかかっても良いから徹底的に直すことにした。病院通いを続けているように。ハンドブレーキは結局、前輪のブレーキシュー(がっとタイヤの回転を止める金属)が壊れてたのでお取り替え。後輪のフットブレーキだけで止めるとブレーキランプがつかないから、後ろを走ってる人にブレーキかけてるのがわかんなくてオカマを掘られる危険性が大きいから。電気系統は全体的に弱ってたのでバッテリーの交換。ライトは電球切れとった(恐ろしい乗り方をしとったな牧師)。よくぞまあこう次々と、人のものだと思って。
前輪と後輪と両方、ブレーキ効かないと危ないだろうがボケ牧師!ここまでやって良いという限度で「止めとけ」。烏のお人好しにも限度があるんだぞ!
リハビリ現地報告12
ゆっくり走ろうネグロスの道
そしてスピードメーターも修理した。フィリピン人にとっては一番どうでも良いものだろうけれど。スピード違反で切符きられることないから。街の中心では、駐禁で黄色い切符を切られることはあるけど。烏は、黄色い切符をもらったとき、即、市役所まで払いに行きましたとも(切符切られることより、それを口実にしたお巡りのたかりの方が怖い)。で、なぜスピードメーターがフィリピン人と違って烏に重要なのかというと。躁鬱病だからだ。
烏のパルパルバイクが安定走行できるのは時速60kmまで。60km超えると、たとえ整備が完璧でも車体がぶれる。だってエンジンちっさいし、軽いもん。それでも、必要とあれば、時速80kmぐらいは楽勝で出せる。メーターの目盛りは時速100kmまであるし。で、実際出してた。だけど、この「出せる」と云うところが怖い。「出せる」のと「出しても安全」というのはまったく違う。
時速80kmぐらい出してると、パルパルバイクでは何かトラブルが1つでもあれば吹っ飛ぶ。「はい、さよーならー」の世界。幸い今まで大きな事故をしても、まあせいぜい時速40kmかもっと遅いぐらい。泥でスリップして、そのうえ減速かけながらこけた。事故を起こした時、もし時速80kmだったら、もう烏はこの世にいないかもしれない。
だけど、烏は、かつては時速80km以上だして殺人セレスと競争して勝ったりしているのだ。殺人セレスとはネグロスのハイウェーの主、セレスライナーバス。このセレスは、ネグロスの周回道路のバス路線をほぼ押さえるメインのバス会社。これが怖い。時速80kmぐらい出してとばす。だけど道ばたで客を見つけたり、客が降りたいというと、いきなり止まる。無茶な追い越しは平気でかける。もうハイウェーの王様。そこのけそこのけセレスが通る。セレスと競争するっちゃ、命かけてるのも同然。
別に、競争したくてするんじゃないけど、目的があって何が何でもになると、目的一直線になる烏。そうなると烏には、セレスがハエの王様になっちゃうんだな。うるさいよ、じゃまって。パルパルバイクのくせに、道路の王様の殺人バスに喧嘩うっちゃう。ここで交通事故を起こして人をひいても罰金5万ペソ(今だったらペソが落ちてるから15万円以下?)ですんじゃう。そして、実際セレスが起こしている人身事故は少なくないのに。
だのにだ、去年も躁転したときやっぱりセレスと競走になって(競争したくなくても、ハイウェーの路線をうじゃうじゃ占めてるから、そうなっちゃうの)、抜きつ抜かれつの大激戦をして勝っちゃったんだな。向こうの運転手もパルパルバイクに負けているようじゃ商売になんないしね。途中から明らかに、意地になっていたみたい。
そのとき、待ち合わせ場所で待っていた友達は「もしかしたらやるんじゃないかと思ったけれど、ホントにやってきたから青ざめたわ」。だもんで、今回こっちに来るときの、お友達とのお約束。「セレスとは絶対競争しない」「事故に気をつける」「バイクで山にあがらない」を守るために、スピードメーターが壊れていたら困るのだった。
今?時速40kmも出してない。鬱だし20km~30kmでゆっくりのたくら道のはじっこをパルパル走ってる。いろんなバイクに抜かれながら。あまりにのろいので、目の前に山羊が飛び出したって、大丈夫だった。こないだ半泥酔状態で帰ったときも時速10kmぐらいだったし。とにかく、ゆっくりぱるぱるぱるぱるぱるぱるー。
リハビリ現地報告13
餓鬼
大事な用事のある日だったのに、日中は何もできず。鬱の風がきついです。躁の風が、追い風だとすれば、鬱の風は向かい風。それでも上手に細かく間切って行けば、少しでも進むのに。それができずに、倒れたまま薬が効いてくるのを待ってます。そして、とんと日が暮れて、今更何ともしようがない時間になってから動き出します。後悔で一杯になり
ながら。気を取り直せれば良いんですけどね。
だけど、こんな日は、烏はいじけて、ただの餓鬼なってしまう。餓鬼は、床にしゃがんでやたらとものを口に運ぶ。賢治が修羅ならば、烏は修羅なんてもんでなく餓鬼道の餓鬼。
そうだ、食って食って食らいつくせ。人の姿からかけ離れて、一人でがつがしつ食いつくせ。何でもかんでも食らいつくせ。そしてカエルのようにばんばんに張った腹を上に向けて、倒れ込む。苦しくなるのど元まで、つめこめ。もっともっと。
これが過食症の正体です。冷静に振り返れば、ゴッホの耳切ほどドラマテックではないですが自傷という点ではほとんどかわりません。やむにやまれぬ点では。そのうち血液が胃の周りに集まってきます。頭がスッカラカンになるぐらいに、必死に消化器官がお働きなる。そして、そのために意識がぼーっとしてくる。だから絶対自分から吐かないよーだ。
無意識下で血流を変えて、自分の意識レベルを下げてるんだもん。
後で、消化され吸収されたカロリーは、どっと血管に流れ込む。結果的に血管に流れ込んだブドウ糖が脳にいって、手痛いしっぺ返しを受けんだけどねー。めまいがするのは、高血糖のせいか、薬のせいか、鬱のせいか、その複合効果か。ああ、くらくらする。
餓鬼道から烏はいつ救われるのでしょうか。食べ物のない、どこか地の果てに烏を追いやってください。マジエル様。切ない願い。こんなに豊かな世界で、餓鬼の海に沈んで行く。ああ、あまりに腹がくちくなったので、意識が次第に不明朗にぼんやりしてきました。
これ以上、自分に悪いことをさせないように安定剤と眠剤をフルセットで飲んでみました。が、食らったものが吐き出せないので、脳の中をぐるぐる全力疾走しています。だもんで、居寝もいていられず。
だから書いて、吐き出してみました。あー苦しい。もし烏に「書く」という表現手段がなかったなら、もっと不幸な人生だったでしょう。
書くことは烏にとって吐くことと同義で、それがこんなに苦しく吐くのではなく、息を吐くように、さわやかな歌の息を吐くように、心からの声を吐くのが願いです。 しかし、朝まで安眠もできず。何度も夜中に、意識がもうろうとしたまま、断眠が続きどこで寝ていいのか分からずに、部屋中うろうろゴロゴロしてた。本当にお馬鹿さん。お馬鹿さんは今腹這いになってこれを書いているので、膨れた胃が圧迫されて大変辛いです。気持ち悪いちゅうねん。うぷっ。読んでる方も、気持ちよくはないでしょうが。こらえてください。ゴッホも耳を切った自画像を描いてます。烏は書くことで吐くけど、ちゃんと帰ってきますから。
リハビリ現地報告14
お墓参り
今日はフィリピン全国「お墓参りの日」で、午前中は土砂降りでした。で、昨日の埋め合わせせをするべく、バイクで山に上がってしまいました。昨日の自己嫌悪は、月日の感覚がぼけていて「全国お盆の日」を間違えて、しかも鬱で動けず山に上がらなかったことと。11月1日2日はカトリックの盂蘭盆会のようなもので、全国的にお盆で休日になるのです。そして、11月1日は家族や親戚で盂蘭盆のお祀りを家でするのですね。2日が花やろうそくを持って墓参りの日。
去年は、日程的にぎりぎり世話になった家族のママの新盆に間に合わず、今年こそはと思っていたのですが。ちなみにママの死因は糖尿病でした。
で、せめて今日の墓参りだけは間に合おうと、しんどくても早く目が覚めるように目覚ましを2個かけ。抗うつ剤や安定剤を入れて、効いてくるのを待って動かない体を動かして、飛び出していきましたとも。花束買って、土砂降りの中。
はい、やはり時速40kmは超えておりました。途中でジプニー(乗り合いジープ?最近は軽トラ型が多いけれど)抜かして。がうん、がうん、がうん。「絶対に山にバイクで登らない」と約束した友人に云われそうです。「やっぱりね、1回はやると思ったわよ。」烏の行動パターンはあまりにも見え透いて、分かりやすいのですぐばれます。何しろ嘘ついたら、口をひねられるからな。すぐにばらしてしまう。
でも、意外と登れたのにはびっくりです。気合いでしょうか。でも一歩間違えたら、雨の中、視界も悪いしスリップして怪我してたらからもうやめようね。で、雨のおかげで家族も動けず待ってくれていました。それで、雨がやむのを待って家族全員で、お墓参りに行きました。
おもな墓地は村がいくつか集まった町に1カ所で、墓地内の小さな礼拝堂でカトリックの坊さんが祈祷して、みんなそれに併せて詠ってました。で、墓がうじゃうじゃある。近年墓所も道路を挟んだ向こうに拡張気味なのですが、何しろ死人の数が多い。墓所内には残った土地はほとんどないのでは、というぐらい無秩序に墓がひしめき合っている。
目的の墓にたどり着くまでには、誰かの墓を踏まないとたどり着けない。大胆な奴は墓の上から墓の上へと飛んで歩いている。墓の上に靴跡が一杯ついているのはちょっとなんですが。墓についたら花をお供えて、ろうそく飾って。ちなみにろうそくは墓の入り口あたりでがきんちょがずらりと並んで、手作りのろうそくを1本1ペソで営業活動しております。花は、烏のファミリーが居る村は花卉栽培で知られた所なので、ちょっと他の所の墓所より賑やかかもしれません。
で、親戚で縁の深かった人の墓、最近死んだ人の墓を全部巡ります。おかげで親戚関係の確認が今頃になって出来ました。烏も念願の世話になったママのお墓がようやく分かりました。お墓の形はいろいろです。一般的にはコンクリートの箱に、棺桶をそのまま入れてふたをし、墓碑銘を置きます。だけどゴージャス版だと、一面にタイルを張り巡らせてあったり。町一番の有力者ファミリーの所なんかは、更に豪華で屋根付きです。はっきり言って村の貧乏人の家より立派です。
ママのお墓は、白いコンクリートでシンプルですがそれなりにちゃんとしてました。これがお金がないと、お墓を作るお金ができるまで埋めて、石にペンキで墓碑を描いただけとか、ここ何かが埋まってることを暗示するかのような石が置いてあるだけになります。
墓地の奥は、お金のないファミリー用のアパートタイプで、いくつもの棺桶を入れるコンクリートの棚が蜂の巣のように何段にも積み重なっています。そのアパートタイプでも2000pの使用料がないと使えないと、パパの甥が嘆いてましたけれど。で、10年たつと合葬ができるそうです。だから、急に死者が出た場合や、墓所を確保できない場合は昔死んだばあちゃんと大叔父さんをまとめて一つの所に入れて、場所を空けそれを使うとか。そのあわてて合葬をする光景は見たことないですが、ちょっとぞくっとします。
まあとにかく墓地には、いろんなお墓が歩く隙間もほとんどないぐらい、ひしめき合っていて、今日は更にその墓地を花やろうそくを持った人が沢山うじゃうじゃひしめいていて。本当に賑やかしいお盆でした。
で、パパの娘の一人の姿が見えないので、どうしたのと聞いたら街に降りて花を売っているだそうで。そういやお盆の時は、バレンタインデー、卒業式シーズンとともに、花作りをしているこの村のかき入れ時だったよな。ということを思い出しました。ちなみに烏の母方の親戚は花屋なので、盆・暮れはかき入れ時で、やはり休む暇もないです。
だけど、ママはその花売りに一家みんなでかけている間に、低血糖昏睡を起こして死んだので何とも云えません。
現地報告15
花のこと
で、山から下りて、おばちゃんが花を売っているよって云われたところにいくとおばちゃんとともに「あれ?見たことのあるアレンジメント」が。そうそれは、烏が3年前に教えたアレンジメントだ。うちの村の人相手にアレンジメントを教えていたら、偶然それを見かけた烏の大学の職員組合の人から、自分たちのミーティングでも講習会をしてくれと頼まれた時やってみたデザインだ。やっほー覚えて身につけてくれていた。うれしい。
いやぁ、あの時は元気でしたねぇ。40人ぐらいを相手に講習するのに、村中走り回って。いろんな人から、バラだの蘭だのクジャクソウだの菊だの、手にはいる限りの花材を安く仕入れ。シダなんか自分で刈り取りに行ったもんな。デパートや荒物屋などをかげずり回って、ワイヤーやリボンを手に入れ。ネットなんて、日本やマニラじゃないからなんにもなく、荒物屋で普通の金網を切ってもらい。躁だぜ。ハイパワーだぜ。
英語と図解で、フラワーアレンジメントの基礎のテキストを作って。テーブルの真ん中の盛り花、玄関や壁際の花、花束、ブーケ、コサージュと一通り教え、最後にみんなそれぞれの人に贈り物用の花束を作ってもらった。みんな個性的でいろんな花束作って見せてくれて、ホントに烏も楽しかった。あの講習会の時のテーブル花だ。
で、そのアレンジメントは一通り、おばちゃんのところで練習していったもんな。で、協力してくれた村で花を売っている人へのお礼にあげたテキストの烏オリジナルデザインだ。値段を聞くと、他の盛り花の倍ぐらいで売れているそうで。自分がしたことがちょっと役に立っているようでうれしかった。
あの時、烏は盛んに、「ただ花を売っているだけじゃだめ、付加価値が大事なの。」といかにも、農業経済学者らしくわあわあ云ってたんだよなあ。
ちなみに烏、フラワーアレンジメントは習ったことがありません。ですが門前の小僧で、子供の時におばあちゃん家に遊びに行ったら、手が足りないときなど他のいとこと一緒に結婚式のテーブル花など作るのを手伝っておりました。その後、自分でどんどん、こなしていくようになり。友人のウェディングブーケを作ったり。
だけど、日本と違い花材の補強材がないところで一からデザインするのは、大変だった。このくそ熱い熱帯で、徒手空拳でやれるもんならやってみい。わはははは。習ったことがなく、自力で全部テクニックを工夫して覚えていったおかげでありましょう。
烏は、よほど花が好きらしく病院でも枕頭台に生花をかかしたことはないです。なぜか今年の夏は熱帯魚の飼育と、カイワレ大根栽培も行われておりましたが。すみませんお魚先生、ニックがただで熱帯魚を配っていたのでついもらってしまったのです。カイワレ大根栽培はリハビリで(食っただろうな、精神科の先生)。
ついでに、洗面所に勝手にアレンジメントし出すわ、1年以上病院でためた花(なかなか捨てられない)のドライフラワーでアレンジメントもするわ。
スペインに行く前の躁時代には、病院横に花壇を作成してしまった。入院患者さんのために。たとえ鬱やらなんやらで外に出られなくてもひまわりや朝顔などの夏の花が見られるようにと。ところがスペイン帰国後すっかり、鬱転して自分がその花を建物の中から外に出られず見ることになるとは。計算違いなのは、ひまわりが建物陰で全部反対向いていたこともだぜ。どうせ烏のやることは誤算だらけなんだぜぇ。
ただ本当に、情けは人のためならずだぜぇ。「ただ人は情けあれ、あさがほの花の上なる露の世に 閑吟集」だぜ。日本を出てくるときはコスモスとマリーゴールドが満開だったけどな。後、百日草も良い感じだったし、サルビアとブルーサルビアも植えてきたけどな。帰ったら花壇どうしようかな。まだ2ヶ月さきだちゅうねん。
うむ、ちょっと、今日は花にまつわる情けのことでいろいろ「ほろっ」としてしまった。ちなみに枕元にバラや生花を置いておくと、香りで少し落ち着いて眠剤が減ります。
リハビリ報告16
お薬の話
「風の又三郎」と「銀河鉄道の夜」は10回以上読んでしまった。この2冊に入っていない、「シグナルとシグナレス」とか「月夜の電信柱」も読みたくなってしまった。専門書も読めっちゅうに。で、せっかく持ってきたのでコラムなど読みやすい所を中心に「医療人類学」の本を読んでいる。なにか助けになりそうなのだけれども、今のところ混乱した頭はまだ崩壊中です。
だいたい村の家族での例を1つ取っても、あああああああです。偏頭痛がひどいからあげた痛み止めを、良く効くからって一度に2錠飲むのはやめなさいって。1日に2錠以上飲んではだめっていうのを、1日に2錠以上じゃないからって、いっぺん2錠に飲んでどうする。飲むなら朝と夜2回って云っただろう。「腹をこわすから、2錠一度に飲んではだめ。」と、改めて説明したけれど。使用上の注意なんか守らないので、危なくてそうそう薬は渡せない。もろにダイアナ・メルローズの「薬に汚染される第3世界」です。
だいたい私がこっちの薬を飲まなくて、山のように日本からしょっていってしまうのは、こっちの薬で過去ひどい目に何度もあっているから。
だけど、その烏自身がものすごく薬が必要な状況下でこちらに来てしまっているので、とんだ薬長者だ。トランクの1/4が薬たっだ。しかも、薬の効きがいまいち不安定で、たまらん。だけど、手持ちの薬は限られているし、何が何でも後7週間、これで持たせるのだと思っている。だから毎週だいたい1週間分を、まるでごちそうのように鏡台の前の器に盛って、それで過ごしている。
来るときも薬の勘定が大変だった。一日6錠飲んでる薬は、70日で420錠。一日2錠のは140錠。薬を数えるだけでも疲れて2日かかった。定期薬だけで10種類以上あるもん。2日おきにうちの部屋を掃除してくれているおばちゃんは、「なんなのこの子」と内心びびっているだろう。ゴミ箱にざらざら薬のかすが入っているもの。一応、規定量しか飲んでないんですけど。これだけ飲んでいると、自分でも時々なんだか分からなくなるので、薬のチェック表を鏡に貼ってます。ちなみに飲まなさすぎても、鬱がきつくなるので。
その薬物中毒者烏が、薬に対して批判的なことを云うのはなんですが。
3年前のことでしたか、山の家族と一緒に居たときに家族のおばちゃんが激しい、偏頭痛を起こしました。烏も、時々、偏頭痛を起こすので痛み止めとは縁の切れない奴なのですが。偏頭痛もひどくなると、上から下から来ます。頭痛で転げ回った上に、下痢と嘔吐が起こります。
非常に重篤で典型的な偏頭痛持ちの烏の友人は、まず光が見えて、それからトイレとまぶだち(親友)になります。烏は光は見えませんが、枕や壁にがんがん頭をぶつけたくなるほど苦しんで、やっぱりトイレとまぶだちです。おばちゃんの場合は烏より激しく、それはそれは辛そうなのです。なまじ、烏も偏頭痛のつらさを知っているだけに見てはおれませんでした。
そのとき、山の烏用薬箱のストックの痛み止めが切れておりました。そのうえ烏は、痛み止めを自分用に村に携帯して行くのも忘れておりました。だけど、街の下宿には、どっさりストックはあったのです。のたうち回るおばちゃんを、見ておれず烏は「誰かバイクに烏を積んで街まで取りに行かせて」と云いました。日はとっぷり暮れておりました。いくらモトクロスレーサー烏でも所詮はビギナーですから、夜は怖くてバイクで降りられません。
でも、家族は「いいよ、そんなことしなくても」。といって、誰かが家の近くに生えている薬草を探しにゆき、薬を煎じて飲ませました。もちろん、近代薬品とちがって即効性なんかありません。そのかわり、家族で交代ごうたいに背中やら手足をさすって一晩を明かしたのでした。それで随分、痛みは痛みとしてあるにせよ気持ちは和らぐようでした。少なくとも、烏のように人知れずのたうち回って、枕にがんがん頭をぶつけるようなことはありませんでした。
どっちが幸せなんだろうか。入院してても、痛いとかしんどいと云えば、すぐ薬です。確かに薬は良く効きます。だけど、「手当」の本来の姿って、こういった「あなたのつらさや痛みを分かっているよ。だからそれを分かち合おうね」というところにあるのではないのかなあ。だからといって、近代医薬品を否定するわけではありません。(それどころかジャンキー烏です)だけれども、何がいいのか。未だに混迷の中にいるのが事実です。
入院中は苦しかったら、いつでも担当の研修医を呼び出していいはずの精神科ですが。苦しかったらすぐ頓服のお薬を飲んですませる、大変意地っ張りな烏でした。そこら辺が、烏の病気の病気たるゆえんで、未だに薬はへらんわ。かえって増えるわ。それが、小さい頃から熱を出しては、すぐ病院に連れて行かれて注射うたれたせいなのか。親の背中でげろ吐いてても、保育園に連れて行かれていた厳しい生育歴のせいなのか、理由は知りません。
リハビリ現地報告17
閑中好
一昨日から床の上でしゃがんで、餓鬼状態でかつがつ食べてたから蟻がいっぱい来ちゃった。ああ、精密機械のピンチだぜ。生き物vs人間。今日が床掃除の日だったら良かったのだけれど、あいにく洗濯の日だったのだった。掃除の日か、洗濯の日か、何にもない日かで、かろうじて曜日を認識している烏だった。
入院しているときとかわんない。月曜日から金曜日までは研修医が覗く日。だから平日は、調子が悪いとか、薬を変えてとかぐちょぐちょ苦情がいえる。火曜日はベッドメイキングの日。水曜日は作業療法の日(鬱になってからは行かないけどさ)。土・日は何にもなくて外来もがらーんとしてて、詰め所も静か。仲良しの看護助手さんも来ない日。掃除のおばちゃんもかたっぽしかこない。平日だったら掃除のおばちゃんが2人いるので、10時の休憩時間に2人の間にはさまっておやつが食べられる。
学校の研究室に遊びに行っても、土・日はお魚先生や秘書さん、編集室のお姉さんがいなくて誰も遊んでくれない。教授は時々おやつをくれるけれど、子供との遊び方は忘れてしまったみたい。一人はすぐにカヌー遊びとかに行っちゃうし、一人は閉じこもったまま。「あほ抜かせ、お前と遊んでるほどこっちは暇ちゃうわ」と言われそうだけれど。
最近お魚先生は、会議続きで大変そうだ。時々意識が飛んでる。どうしてうちの講座は、というか研究科はこんなになるかねぇ。沢山予算を取って、雑務やプロジェクトを増やすより、もっと楽しいことしたらいいのに。
「学問って何か知っているか?」「わかんない」「遊びや」と言ったのは、烏の精神科の先生だった。だのに、最近はお魚先生も雑務で振り回されていて、お魚先生は大好きなタナグモとか昆虫の名前も、思い出せないときがある。かわいそうだ。ももしーはずるくて(賢くて)、遊べなくなって煮詰まりそうだとすぐに海外に逃げる。
産婦人科の先生も、いとおしそうに自分が実験しているネズミについて語る。とても楽しそうだ。ずるい。でも、烏は鬱になると自分で生き物の世話ができなくなるので、鳥類とかほ乳類を買うこうとを禁止されている。お魚先生は、ほ乳類が苦手。特に会議、会議でわあわあ騒ぐ訳のわかんない大人の大型ほ乳類が。気の毒だなあ。だから、烏も部屋の前のカラマンシーの木に来る小鳥で我慢している。
そんで、暇なのはいいな楽しいな。なんて云う意味の「閑中好」っていう中国の漢詩のお習字なんかしている。白居易の「夜雨」なんか、特に気に入って何度も写してる。「コオロギが鳴いたかと思うと鳴きやみ、ともし火が消えたかと思うと明るくなる。窓の外に、夜の雨が降り注ぐ。芭蕉の葉の先にまず音が聞こえた。(石川忠久訳)」。
なかなかシチュエーション的にぴったり。白居易も若いときの血気盛んな頃の詩は鼻につくけど、いろいろ人生けつまずいて隠居してからのは良いよな。思い通りにならない、ままならないけどまあいいやって。だけど、白居易君もなかなか眠れなかった夜が多かっようですね。そう言う意味では、烏ともまぶだちだ。
本当に日中、体を起こしているのが辛い。だから、少しやる気があっても、床に腹這いになってお習字してたりする。だけどその床が蟻んこだらけとは。これからなるべく、おやつは起きて食べよう。
リハビリ現地報告18
閑中忙有り
長期休業中の烏は、ようやっと村に置いておいた荷物を、街まで持ってきました。だけど、だいたい普通の人みたいに1日動いたら、次の1日は死んで寝ている。まじで目も開けられないぐらい、くたくたになってる(神経性胃炎とか風邪ひきになって、体が強制終了させられる)。だから明日は1日中、寝ている日だろうきっと(後述、やっぱり寝てました)。
荷物を下ろすのも、悪魔のロザリーという性悪妻にとりつかれた日本人のダイバーのおっちゃんに頼んで車を出してもらった。だけど悪魔のロザリーも一緒だったので、高くついた。でも、これからは荷物のあるときにはおっちゃんをドライバーに雇って無理しないでいよう。ついでに、街で唯一のデパートで念願のプラスチックのタンスを買ったし。フィリピンでも物持ち(がらくたともいう)烏は、フィリピンに置く荷物はできるだけあのタンスに収まる範囲にしよう。
ダンボール箱を開ける度になんでこんなんとっといたん、ちゅうものが一杯。せっかく今日はお掃除の日だったのに、床がすでにゴミの山。箱詰めした時は、すぐにフィリピン生活に復帰するつもりだったけど。それ以後、ずっと入院してたからな。荷物は寄る年月で埃はたまるわ、一部は黴びてだめになって使えなくなってるわ。
醤油丸ごと1本(未開封)とか、日本酒1L(未開封)とかまである。飲めるよね3年ものの日本酒。人からもらった3年ものの真空パックの赤飯もあったけど。これも食べられるよね、たぶん。賞味期限なんか完全に無視してるけど。
箱詰めのとき結構、いろんなものを人にあげてきたのに、それでも多い。世話になったうちには家具とか大物あげたし。だけど、わざわざオーダーメード(っていっても、ここの家具はほとんど手作りが当たり前なんだけど)した勉強机がテレビ台になっているを見るのはちょっと辛い。烏、自分の姿勢に会う机と椅子がなかなかないから。まあ有効利用されて、大事に使われているから良いか。
今の下宿の机と椅子とも相性悪くて、黄色いクッション買っちゃったけど。一番お気に入りなのが床に腹這いになって、枕とクッションを支えにパソコン打ったり、お習字すること。ありがとう、お掃除おばちゃん。大好きです。昔の下宿じゃ、蟻が怖くてパソコンを床に置くなんてできませんでした。書き物をしているときは、ほとんど床を蛇女のように這いずってます。
しかも帰国直前にばたばた箱詰めしたので、詰め合わせが何がなんだかわかんない。ラジオは3年ぶりにテープをかけたらテープが切れて、ラジオもカセットのところが分解して壊れた。本当にバネが飛んで、ぼろって自然分解したんだよ。「はにゃ?」です。もういいや、なんでもいいや。
音楽はほとんどパソコンのCDで聞いているし。ラジオは、誰かにあげよう。そいつが意地でも直すだろう。烏はそう言うの、今はめんどくさい。切れたテープは実は、昔の合唱団時代の貴重な録音だったけどあきらめよう。そう言う運命だったんだって。もうこのフィリピン生活と、闘病生活で、烏は、すっかり運命論者です。なるようになってんだって。
リハビリ現地報告19
良いビサヤっ子
笑けたことに悪魔のロザリーが自分でばらしたのか、村の家の人たちがロザリー行状を知って気をつけなさいよ。と、さんざん注意された。ロザリーは浮気して、他の男とできた子を偽って日本人ダイバーに育てさせているという豪儀な奴です。村の家には、まだランソーネスと言う果物がなっているのですが、だまっててもくれるのにくれくれとも云ったらしいし。一応、黙っているのが美徳なっですけどね。そして、相手が黙ってても、山ほど収穫物を土産に持たせるのも美徳だったりする。
特に子供がひどかったらしく、「あの子はすっかり、母親の悪い性格を受け継いでいる」って。そう言われれば、村の家の女の子は小さいときから烏の荷物の中に欲しいものがあっても、じっと指くわえて「あげる」って云うまで我慢して見てる。これが良いビサヤッ子のしつけだよ。おっちゃん子供に甘いって。
いやあー、2階で荷物の整理してたら、村の家の人が二人してこっそり忠告に来たので笑えました。そんで、「ロザリーのひどさは烏だけじゃなくて、日本人はみんな知っているから大丈夫だよ」って云っておきました。おっちゃんはちょっとこすかっらいけど、結局は全部知ってもロザリーみたいな疫病神をけり出せないという、人が良いと言うか、情に弱いというか。フィリピンの田舎に居着ちゃう日本人には、こんな情にほろっとってタイプが多いです。情が薄い奴の場合は、自分の子供でも捨てて逃げちゃう。
ここにくると、まあこんな家族の出来方もあるのね、という不思議なファミリーのパターンをいくつか見受けます。
まあ、烏の長い病院暮らしも、烏にとっては一種の疑似家族の中での治療だったんだけど。その病院の疑似家族(同室の患者さん)の中には、自分を「宇宙の女王様」だと思っている人もいた。烏は、いきなりその人に「あなたも宇宙人ね」と言われた。その時、烏はずっと日本で生き難いものを感じていたので「やっぱりそうだったか」と変に納得してしまった。不思議な不思議な家族ごっこでした。
村の家の女の子に誕生日かクリスマスになったらあげようと思っていた、ティーンエイジャーのドレス(実はうちの姉ちゃんのお古)をあげたら大喜びで大喜びで。早速、着替えて鏡の前で、スカートひらひらさせてくるくる回っていた。そういや、烏クリスマスも、その子の誕生日の6月もここ数年こられてないしなあ。ちなみにその服は、烏は着たことないです。暗あぃ幼少期だったので。あまり華やかなことには縁がなかったねぇ。今もだけど。
その子のママは、街の金持ちの坊ちゃんと恋愛して結婚の約束までしたのに、相手の母親が「家の格が違う。そんな貧乏人の子なんて許さない」と言って反対し。結局シングルマザーになってしまったので、その女の子はお父さんの顔を知りません。まあだから、情や結婚の問題って日本人男性に限らないんですけどね。それでもフィリピンの村の中で何一つ悪びれることもなく元気いっぱいに育っちゃうところが、大変にうらやまい人間関係でした。
荷物を片づけていたら、沢山の調査用品を発見してしまった。ますます鬱になってしまうではないか。調査用品は、こちらの大学院にいた日本人の友達にあげたら良かったと思うほど。質問票を取るためのボードから、記録を分けるための一杯袋のついたファイルから、色分けしたファイル。聞き取り・記録用のノートまで一杯予備がある。もっと他にも調査機材はあるんだけど、また再び使えるほど元気になれるんだろうか。今の烏には、まさに豚に真珠だな。働き者のビサヤっ子になりきれない烏でした。
ちなみにビサヤとは、フィリピンの中でマニラのあるルソン島と、カニのような形をしたおっきな島ミンダナオ島の間にあるごちゃごちゃした島々のことを云います。ビサヤはフィリピンの中でも所得が低く、貧しい人が多い所です。マニラでもお手伝いをしている人には、ビサヤの人が多くて働き者で知られています。
ビサヤっ子とはセブアノ語で「ビスタック」と言います。「ビスタック コ(私はビサヤッコだよ)」と言うときは、ビサヤにいる限り胸を張ってられまが、マニラだと差別されます。その代わり、ビサヤにいてタガログ語しかしゃべれないと、「タガログマン シャー(タガログもんやで)」とちょっと嫌がられます。
烏は、完全にビサヤッ子でセブアノ語(ビサヤの方言ですが一応リンガフランカです)しかしゃべれません。だもんで、マニラなどに行くとダガログ語がしゃべれないので「プロビンシャーノ オイ(田舎もん)」と言って馬鹿にされます。
おまけですが、セブアノ語の2割はかつての植民地の宗主国だったスペイン語を語源としています。だのでスペインに行ったときも、相手の云っていることはおぼろげながら分かることもあったのですが、返事がセブアノ語だったので相手をきょとんとさせてました。
リハビリ現地報告20
たとえ不十分でも
来る前に、鬱がきつくて精神科の先生に「入院前の状態に戻してよ」って泣き言云ってしまいましたが。どうも、学校の諸先生方におかれては(未だに、親もだけど)、烏の症状への理解がない方が多く。もう以前のように、向こうを張って強がれなくなっているので、いろいろ余計なことを云われるとたまりません。
実はフィリピンには、そう言ったうるさい状況から逃げてきているのかもしれない。なんて、だらだら書いているのかというと、荷物を出そうとしてゴミの山化した部屋を見たくない。のと、片づけるのに疲れたからだ。
といいつつ、また一休みして続けてたら、ろくでもないものを見つけてしまった。結局は出さなかった手紙が沢山。出さなかった手紙は、今読み返しても涙が出そう。だけど相手にはわかんないだろなって思って出さなかったんだな。
理解し合うにはお互いに持っているコンテキスとが違いすぎる。と思ってたり、果たしてこんなもん書いて、この状況が分かってもらえるのって。烏は変なところで完璧主義。分かんないなら分かんないなりに、通じないなら通じなくてそれでもコミュニケートする努力をすればよいものを、書くだけ書いて、途中で涙とともにためておいた手紙が沢山。結局、あきらめて出さなかったんだな。
今は、もう少し前向き。分かんないなら分かんなくてもいいや、伝わらないなら伝わらなくてもいいや。烏は、烏のために吐く(書く)。と、あれ以前よりちょっと大人になった?受け取っている先生方は迷惑かもしれないだろうけれど。これが、この患者のリハビリ法の一つです。独自のリハビリが多いけど。
リハビリ現地報告21
ゲロ吐き烏
久しぶりに、止めどなくゲロを吐いてしまいました。比喩的なゲロではなく本当の嘔吐。ちょっと今日は対人関係や、いろんなことで無理をした上に、いろいろと行き違いが重なって。10歳児には大変ストレスフルな1日でした。だもんで、また餓鬼道に落ちて、なんといつもの5倍のお菓子を食ってしまいました。食べ出したら、どうしてもどうしても止まらないの。これが始まると、理性君は死にます。
その後あまりの苦しさに腹這いにすらなれず、お腹が張りすぎて気持ち悪いのを、気晴らししながらじっと耐えていたのですが。胃の物理的な限界を超えていたらしく、その上罪悪感が後押しいたようで。嘔吐が始まってしまいました。「あ、きぼち悪。」読む人も、さぞかし気持ち悪いこととは存じ上げますが。私の病態、および現地での状況をお知らせするという意味で書きますね。
書けると云うことは、ようやく腹這いになっても吐かないほど収まったということなので。まあ、最後に食べてから4時間以上たっているので胃が空に近いので、書けるのですが。嘔吐中は薬も一緒に吐いてしまうので、ただ嵐が過ぎるのを待つように待つしかありません。一応、薬も飲んだけどさ。吸収されずに、すぐに外界にお戻りになったんだな、ああもったいな。
1時間前に何とか嘔吐を押さえようとして、安定剤飲んで気晴らしにお習字もしようとしました。ところが腹這いになったとたん、胃が圧迫されて鼻から吐きました。鼻から半分消化されたえびせんが出てくるとは、「げげげげっ」ちゅう気持ち悪さです。もうトイレとまぶだち状態でした。だけどこちらの水洗トイレは日本のようにスムーズに流れてくれない。しょうがないので、自分の吐瀉物の上にかがみ込み続けましたが。これは、本当に最低だと思いました。
烏はいわゆる「過食嘔吐」を自主的にしません。過食嘔吐とは摂食障害の病態の一つで、短時間に大量に食べて、喉などに指をつっこんで吐くという行為です。吐くために食べている。食べることと、吐くこと、その両方でストレスを放出している状態です。烏は、吐くために指をつっこむことなんて、もったいなくてできないたちです。そんなローマ貴族のようなことができていたら、こんなフィリピンの田舎に来てません。だもんで、ずっと過食がつづいて、太っていったのですが。別の言い方をすると、容姿なんてどうでも良かったぐらい追い詰まっていたんですけどね。
しかし、糖尿病と過食は両立しません。それでどうしていいか分からなくなって、激しく混乱をきたし3週間、全く食べられなかったのですが。点滴のバッグ捧げ持って、大学構内を走り回っていた頃です。いまは、過食および偏食(いわゆるご飯が食べられない。カロリー源の多くをパンや菓子類に依存している。)状態です。烏は「白いご飯が怖い」ので。ヨーロッパには白いご飯がなくて幸せでした。
今回フィリピンに来てからも、ほとんど白飯を食べていません。たまに人と一緒でないと、ご飯らしきものも食べてません。ほとんどが、麺類かパンやお菓子。それでもできるだけスナック菓子は避けていたのですが。ここ数日、チョコレート菓子や、オイシイのスパイシー味(ほんとうに日本語で「おいしい」とかいてあるOishiというこちらのメーカーのお菓子)えびせんにはまってしまって。
こっちに来てもあまりにも誰とも連絡を取らず、挨拶にも行かずの状態だったので気がとがめてました。烏、ここ数日「このままでいいの」とちょっと自分を追いつめていたかもしれません。だから、今週は少しは頑張って動こうとしてみました。それで、10歳児が耐えられるストレスの限界ていたようです。だから変なスナック菓子にはまり込んでしまったのかもと、自己分析してみたりはするのですが。
(一応見本に研究室への土産はこの一連の「Oishi」ブランドの、おいしい?お菓子にしようかしら。吐くほどおいしいから。うっ、ちょっとそう言うことを考えるのも、今は気持ち悪いからやめよう。)
リハビリ現地報告22
頑張らない
で、過食嘔吐を自主的にする方々ですと、もちろん消化吸収したくないわけですから、食べた直後からトイレにこもって自主的に嘔吐活動に入られます。だけど烏は別にそんなつもりもなく、「ああ、食っちまったぜ」と後悔の気持ちで一杯になっただけです。そして、気晴らしに、山から持って降りた段ボールに入っていた、昔の雑誌などをぺらぺら見ておりました。
ら、心のどこかで「罪悪感君」と「まあいいや君」の駆け引きがあって、いつの間にか「罪悪感君」が勝ったのでしょう。(だいたい最大の気晴らしのお字書きが、苦しくてできないぐらい食うからじゃ。)突然、食後2時間もたった頃から嘔吐が始まってしまいました。もうこの状態だと、メインのハイカロリーな部分は腸に送られているはずです。
烏の場合は、カロリーがどうのとは関係がなく「起こるときには、起こる」のです。たとえ、胃に未消化の糸こんにゃくや山菜、キノコしか残っていなくても。そのうえ、この手の嘔吐はいったん始まってしまうとよほどのことがない限り止まりません。しかも波状攻撃でおそってきます。
いきなり全部吐いてしまうのではなく、胃がけいれんするかのように波のような嘔吐が連続して起こります。しかも吐き気とかいうものもなく、気がついたら口の中いっぱいにに嘔吐物がやってきていると言う状態です。だから、いつ次の「うっ」という波が来るかも分かりません。一番嘔吐の波がきついときは、ゲロのにおいが立ちこめる中「銀河鉄道の夜」を読みながら便器を抱えて待機しておりました。
しかも、最低なことにいつ終わりかが分かりません。ちゃんと食事を取っていたら食事中の消化の悪い物が出てきたりして、あっそろそろ胃が空に近くなってきたなと分かるのですが。食事でなくずっとおやつだったので、どこら辺がめどか分かりません。で、だんだん吐瀉物の色が薄くなってきて、これは胃液かさっき飲んだ水の方が多いなと思っていたらようやく落ち着いた次第で、これを書いてます。
吐くというのは胃の電解質バランスが壊れるし、体への負担が大きいので大変好ましくないのですが。まあしゃあないですね。入院中にはしょちゅうあったことだし。ホントいきなり始まるから、気がついたら靴の上に吐いてたり、病院の詰め所の洗面所で吐いてしまったことも。去年はひどかった。バイク乗りながら吐きつつ走ってた。
と、読む人まで巻き込んで気持ちの悪い思いをさせたので。Oishiやチョコレート過食から何とか離脱しよう。
で、やっぱり病的状態は完治していないのだ。と言うことが、再確認できたので「あれをせねば、これをせねば」はひとまず置いておいて、静養に専念しよう。「無理はきかない」のだから。と強く自分に言い聞かせた。と、言う1日でした。
しかし、ゲロ吐き烏が再発したって知ったら、おばちゃん(と烏が呼んで慕っている看護婦さん)は「ほれ見てみい。だからあたしはスペインに行くのは良いけど、フィリピンはだめやって云うたんや。あんた人間関係で頑張るから。」って云うやろな。やっぱりおばちゃんはえらい、プロです。あうー。
でも、おばちゃんが心配するような、薬の飲み過ぎだけはしません。あれをやると、鼻からえびせんどころの苦しさではない、胃洗浄と導尿が待っている。そのうえ、薬でラリってったら、救急車を呼ぶこともどうもならんて(だいたい、ここだとどうやって呼べるんだ?)。持ってきた薬の数も限りがあるし。
でも下宿の掃除の人は、絶対烏を怪しんでいるにちがいない。大量の駄菓子の袋。薬の山。むちゃくちゃ変則的な睡眠時間。野菜を一杯買ってきている割には、滅多に料理せずにどんどんしなびさせて行っている(料理をしたい気はあるんです。だから、このことについては大変心が痛んでいるんですけれどね)。枕元には、高価なバラの花が飾ってある(だって、バラの香りがするほうが寝やすいんだもん。だけど熱帯だから、熱くてすぐに花が開ききってしまうけど。)何をやっているか、怪しさ一杯の下宿人だった。
それでもいったん外国に出たら、たとえボロボロになっても、何が何でも帰国する。その直後に入院しようと、「帰る」。それだけが外国に出たときの、最大にして唯一の責務だと思ってますから。
だから「ここでも頑張らない」!と。堂々と宣言する次第です。学生としてはどうかと思うが、病人としては正しいのだ!と開き直ってふんぞり返ろう。
それにしても気持ち悪い。
リハビリ現地報告23
烏ゲロを吐かれる
この間から、ゲロ話ばかり続いていて申し訳ない。だけど、今回は烏がゲロを吐いたんじゃないから。ゲロを吐かれた話。それも原因は、烏じゃなくて船酔い。10月、11月のここらの海は、風がきつくて波が高くて荒れるのだ。特に午後は、他のシーズンに比べてびっくりするほど波頭が高い。
烏は、子供の頃から良く乗り物酔いをしていて、特に車がだめだった。でも、なぜが電車は良い、とかいろいろあるんだけどさ(なかを自由に動き回れる乗り物だと良いらしい)。たとえば保育園の時に行った海水浴の帰り、乗っていたバスでものすごく気持ち悪くなった。バスは混んでいて、父親はバスの離れた席で眠りこけてる。仕方がないから、一人でバスの窓から首をつきだして昼食に食べたカレーライスを全部吐いたさ。周囲の人々は目が点になってたけど。もちろん、後で起きた父親にはそんなこと云わなかったけどね。昔から、親にはあまり何も言わない子だったようだ。
でね、烏はフェリーには強い。どんなちっこくても耐えられる。なかを動けるからね。しかも、揺れるときは重心を体感的に捜し出して、そこで寝ちゃう。だめなのが、ジェットホイルのような高速船。座席指定だし。一度、ボホールからミンダナオまで、波のきついなか4時間乗って、吐いて吐いて死にかけた。だけど、なんだかアメリカのロードショー物のコミック映画のビデオをやっていて、お笑いのシーンの時は大丈夫でケタケタ笑ってて、お笑いのシーンじゃなくなると、とたんにゲーロゲロ。
烏がノーマン・カズンズの「笑いと治癒力」を信じちゃうのは、ゲーロゲロ吐いてても、笑ったらとまるちゅう経験が積み重なっているからなんだな。人間笑ろうてなんぼです。ちょっと自傷症的ギャグがすぎると逆効果だけど。
今回は、ちょっとまた余計なことをしに、向かいの島に出かけてしまいた。「ご静養中」なのに。小型のジェットホイルにのる機会があった。しかも夕方。
沈みつつある夕日はどこまでも美しい。ビサヤの夕焼けは本当に美しいよ。透き通る淡い青空に、夏の雲の白ががさっとはかれて、その雲をキャンバスに茜色、スミレ色、黄金色、紫色幾重にも幾重にも薄い水彩絵の具を重ねた色が映って。しかも刻々と色が移り変わる。天が描く大カンバスの見事な芸術。そしてそれが海にうつり、ところどころに緑の島影が見える。本当にこの夕焼けを見るためだけに、来ても良いと思うぐらい。
その美しい夕焼けを見ながら、烏は危ぶんでいた。だんだん緑の波頭が高くなる。この港に来てから、折り返すジェットホイルの来る時間が遅い。風もきつい。やばいぞ。かつて、それでいきなりジェットホイルのキャンセルがあったしな。たとえ来てもこれはかなり荒れるぞ。しかも、ミンダナオに行ったときの船よりずっと小さい。小さければ小さいほど、揺れるよ。一緒にいたインドネシア人やフィリピン人の若い女子学生がはしゃぐなか、一人烏はかなり危惧していた。「やばいよこれは」。
それでも何とか、当該船はやってきて、別の船(この別の船で、去年とんでもない思いをした)越しに、何とか乗り込めた。で、幸いチケット番号も通路際(重心に近いほうが、揺れがまし)でやれやれと思っていたら、周囲の子が「マミサン、マミサン」と余計なサービス精神を出して、窓際に押し込んでくれた。ええっちゅうねん。でもそこで、あいかわらずNOといえない烏だった。この性格が烏をいつもとんでもない目に遭わせる、最大の元凶だっちゅうに。
で、仕方がないから窓際に座って、この船に慣れたフィリピン人の女の子が気を利かせて、配ってくれた飴をなめながら、真っ暗なガラスに必死で頭を押しつけて、激しい揺れに耐えていた。あらかじめ安定剤を飲んでいたら良かったかな。今から飲んでも遅いかなと反問しながら。作用時間を計算して飲んでおけば良かった、とか。烏は普段から、飲んでいる量が多いけど。
だから、窓に頭をぐりぐり押しつけながら、何度も何度も時計を見て、後30分ぐらい、後15分ぐらいでつくはず。薬が効くより先につくはず。そろそろドマゲッティの灯りが見えてるはずと、必死で耐えてた。
そしたら、隣のフィリピン人の女の子がエーロエロ始めてしまいました。やっぱし。その船に乗りつけている子は、にっこり笑って通路際を取ったのに。その吐いた子はビギナーでした。通路際が一番、その意味を悟らんかい。危惧は当たった。だてに烏、しょっちゅうビサヤのいろんな島を巡ってた訳じゃないよ。こんな波の日に小型のジェットホイルに乗るのはな、吐きそうなジェットコースターに乗ってることと同じやねん。
だけど、感情調整剤と精神安定剤を飲んで、この手の乗りもんに乗って平気なのはちょっと反則かも。と言う気がしないわけではない。2年前、日本で立ったまま乗るジェットコースターに「何が何でも(いつものことです)」乗ると主張し、友人を巻き添えにして乗ったことがあったのだ。
烏は、今を去ること10年ぐらい前に、同じジェットコースターに乗って、怖くて怖くて大爆笑したことがある。それ以外の例を取っても、どうも以前の烏の感情の反応は他の人とずれが大きく誤解されやすい。怖いと笑ってしまったり。だからよく人から誤解されたんだけど。
で、その同じジェットコースターに乗ってもう一度、自分の反応を見てみたかったのだ。そしたら、横で友達が「きゃーきゃー」と普通に恐怖で叫んでいるなか、ぐるんぐるん上下に回りつつ、ぼーっ空を見上げて「秋空がきれーだな」などと。どうも反応がおかしい。冷静すぎると思ったら、あっ薬のせいかと気がついた。友達にそう言ったら一言「卑怯者」と。はい、烏は卑怯者です。
だってそうしないと、日々の生活そのものがジェットホイルに乗っているかのようなんだもん。感情の波が激しくて、通常の域を超えているんだもん。
で、こうやってちょっと元気になると、余計なことをしに出かけたりするので、明日は倒れて死んでいるでしょう(結果的には、訳のわからん流動食過食に走ってました。牛乳かけたふにゃふにゃな食べ物をがつがつ飲み込むのはやめなさいって。でも鬱の時は、堅いものが食べられないんですう。)。いい加減自分が鬱やってわかれちゅうに。抗鬱剤を飲みながら余計なことしなさんなちゅうに。あきらめの悪いだだっ子、10歳だった。
リハビリ現地報告24
お薬の話
ちなみに昨日、久々にいっぱいダニに食われました(これで、田舎で余計なことしたのがばれましたね)。ダニの食い口は、蚊と違って穴が二つなので分かりやすいです。手首の所なんかガンガンに腫れています。レスタミン軟膏を塗っても塗っても痛がゆいです。堅くなってかなり赤く腫れています。
感情の反応だけでなく、免疫反応も異常に激しい烏だから。もうこれは、リンデロンでしょうか。それとも、掻きすぎて黴菌が入ったせいでしょうか。膿んできたらゲンタシンにしてみようかな。いまいち自分の使っている薬の使い分けが難しい。とりあえず順番に3種類塗っていったら少し腫れが引きました。どれが効いたのでしょうか?
そのうえ昨日港で風のきついなか、しゃべってたらものすごく喉がかすれてきました。昨日あたりからトローチかイソジンでうがいが必要かなとも思っていたのですが、あいにく手元になかったので、のど飴でもいいやとも思ったのですが。
そしたら突然、港でつれのインドネシア人の姉ちゃんに、有無を云わさず水とともにいきなり「なんだかよく分からない錠剤」を口に放り込まれました。後で喉の薬と云われたのですが、あれは何だったのでしょう?一瞬の隙をついて飲み込まされました。あれはいったい何やってん。気になる薬品名。
今度海外に行くときは、是非、『京大おくすり手帳』の英訳版を下さいちゅうねん。しかも、商品名じゃなく物質名で書いてある奴。
「新しく医師の診察を受けるときや、お薬を買ったりするときは『おくすり手帳』を医師、薬剤師に見せましょう。」ちゅうても日本語の商品名しか書いてへんやんけ。ちなみに糖尿病は、英語版糖尿手帳がある。そのうえ「お薬は正しく保管しましょう。直射日光を避け、湿気のない、涼しいところに保管しましょう」。っても直射日光は避けれても、これだけの量の薬を冷蔵庫に入れられへんしな。
そういえば、前にいた下宿ではあまりに湿気が多くて、クローゼットのなかの物まで黴びるので、押入などの「湿気取り」を置いていてました。あっという間に、水が一杯たまります。日本の倍以上の速度でお取り替えラインまで水がたまります。その時のあまった湿気取りの予備は封を切らずに、新品状態で保管して置くことにしました。
で、3年後に段ボールを開けると、見事に半分以上水がたまってました。それでほとんど使いでがなくなったので捨てました。あの銀色の密封の蓋は何だったんでしょう。毎年防虫剤とか黴び取り剤は欠かさず入れ替え、黒いビニール袋に入れて密封しておいたのに。まあ、フロッピーディスクが黴びるというサラワクよりましですか。
リハビリ現地報告25
花井せんせの世界?
烏は名作「じゃりんこチエ」が大好きだ。なかでも烏はじゃりんこチエのなかに出てくる「花井せんせ」を尊敬してる。花井せんせは大学でなんかあったらしく、若い頃に大学の研究室を飛び出して小学校の先生になった。そんで主人公チエのお父さん?のテツの小学校時代の恩師になってしまった。でも密かに李白の研究をつづけていたんだな。気骨ある市井の研究者だ。
烏が今、お習字しているお手本のなかで、せんせとゆうてもええ気がするのは、李白せんせだけ。白居易とかもぐだぐだゆうてるけど、李白せんせには勝てへんで。
なんでかって?「めちゃくちゃやからやー」「あんなめちゃくちゃな奴おらへんわー」「勝たれへん」。白居易君が李白の墓についての詩を書いてるけど「さい石の大川のほとりの李白の墓。 墓辺の田の周りには、草が茂り、雲まで続いているかのようだ。 何ともまあ、この荒れた墓の下、黄泉に眠る骨が、天地をも驚かす名詩を作ったのだ。 詩人には不幸な者が多いが、あなた以上はないと言うほど、とりわけ落ちぶれてましたね。(石川忠久訳)」ほっといたれや、白居易君。
李白せんせは「(有名な人の墓の)土台の石は欠け落ちて、すっかり苔が生えている。 名にしおう堕涙の碑も、これじゃあおしまい、その前で涙を流す人もいないし、悲しんでくれる人もいない。 だからまあ、死んでから先のことなんぞ心配してもしょうがない。美しい飾りとてどうせ灰になるだけ。 すずしい風とさやかな月影は、一文のかねも必要ない。」っていって酒ばっかり飲んでたんだから。
そういやあ摂食障害で完全に、肉・魚が食べられなかった時代(あの当時は、肉のにおいがするだけでも吐き気が)、直ったら一番食べたかったのがジャンジャン横丁のどて焼きでした。1本80円、今も昔も変わらぬ良い値段。ただあの辺り一帯が、
昔、釜ガ崎で医療ボランティアしてたとき、帰りに一人でどて焼き食べて酒飲んで帰ってた。釜ガ先の世界と自分が普段生きてる世界が、どうやってもすぐ結びつかへんかったから。で、まっすぐ電車に乗られへんで、間にワンクッションいった。で、どて焼き食べて2合ほどカーっとお酒飲んで、電車乗って帰ってた。
そのジャンジャン横町や通天閣やら天王寺公園あたりが、ジャリンコチエの舞台なのだ。で、チエもホルモン焼き屋をやっている。そう言えば、「ホルモンうどん」というよそでは見たことないもん食べたんも釜ガ崎やったな。おっちゃんらと一緒に並んで、100円のお好み焼きこうたり。なぜか配給の弁当を一緒に食べてたりもした。
そう言えば、どて焼きって、こっちで云うトッシーノに似てる。インドネシアだったらサテなんだろうけど、ちょっと違う。もっとみみちいし、お酒が付き物。港の近くとか、ちょっと裏ぶれた場所のいろんなとこに屋台がある。豚肉がみみちく・みみちく細切れになって、たれが付いて串にさして椰子殻炭であぶってある。ほんでサンミゲルとか、もっと安いレッドホース(まずい、悪酔いする)ってビール飲んだり、タンドアイ(サトウキビの糖蜜で作るラム酒)のコカコーラ割ちゅう、体に最悪の飲みもんでみんなできあがっちゃうの。
ついでに、肉が食べられるようになったら、フィリピンで一番食べたかったのがこのトッシーノの鶏肉版。手羽先が一番好き。手羽先の骨までがじがじ囓んの。手で食べるし。所詮チープな烏だった。チープやけどB級グルメ。変なとこで、味にうるさい。
何で、フィリピンに来てまで、烏は漢詩の本読んでお習字したりしてのかなあと思ったら、まるで花井せんせの世界みたいやなあとちょっと思った。勉強もしろよと思うけど。何の勉強したいんかも混乱してるし。まあいいや、しばらくこうやって遊んでよ。
リハビリ現地報告26
郵便でーす!
やっぱり今日は鬱がきつくて、昨夜も睡眠状態が悪くしんどい。睡眠パターンが乱れるのが一番応える。続けて4時間ぐらいしか寝られないし。今、入眠困難、断眠、早朝覚醒といろんなパターンがでています。だもんで朝からずっと横になっていました。が、出さなきゃいけない手紙があるし、トイレットペーパーも切れかけてるし、牛乳もコーヒーもない。でも、郵便局は4時半に閉まる。しょうがないので夕方、パルパルバイクで出かけました。帰ってきたら、疲れ切っていて2時間ぐらいお夕寝したけど。
郵便局にはいつものことだけど、おもくそ人が並んでいた。この街にはポストがないので、街に一つしかない中央郵便局(と言ってもしょぼいの)の、一つしかない窓口にいる愛想の悪いおばちゃんの所に出さなきゃなんないんです。ええ、烏は郵便物を出すだけでも、実はかなりのパワーを使っています。こっちの郵便局が開いている時間は月~金の8:30~4:30。しかも、昼休み1時間はたっぷり閉める。その上どれだけ人が並んでいようがおばちゃんは、おばちゃんのテンポでしか仕事しない。
だったらメールつなげばいいのに(一番楽)、意地でもつながない烏だった。入院中はほとんどメール見なかったし(3ヶ月に一回ぐらい、まれに見た。と言うより捨てていた。連絡とかのメールが150通とか貯まってるもん。)。その上、日本でパソコン2台とプリンターも盗まれてから、さらにパソコンが嫌いに。それにインターネットも嫌い。情報過多で、不要な情報に振り回されて混乱するから。
けっこう、入院中に始めたお習字のおかげで、筆で紙に字を書く「お字書き」が自分にあってることが分かった。それに入院中は、葉書か手紙以外は出さなかったし。相手も、それでしか連絡のとりようのない状態だったし、それで結構用が足りてた。IT革命とは無縁でありたい烏だった。入院中に携帯電話もなくしたし。結構それはそれですっきりして携帯を持たない方が楽な人になった。と、超アナクロ烏。でも、まあ作文や現地報告はワープロとラジカセ代わりのパソコンで書いてますけどね。
それでリハビリ現地報告は、愛想の悪い郵便局から、能率の悪いフィリピンの郵便で研究室に送っています。そこから「申し訳ない」と思いながら研究室の秘書さんに学内便で出していただいております。とにかく、人手と手間がかかっとりますです。だからペッて送信を押したらおしまいではないので、我慢して読んでください。
メールの簡便さ、と引き替えになくしてしまった心はありませんか。簡便さの裏返しに、無神経さがある部分を感じてしまう10歳児は、ちょっとメールが嫌いです。しかもオールユーザーとかのは、ことのほか。「あなたに」と言う対象性が消えてしまったようで。
郵便局は烏の好きな海辺の公園に近いので、割に自分を励ましてゆけます。それでも行くだけで疲れ切ったときは、海辺の公園に面したところにあるドイツ人の店で本日のデザートを食べます。ここは嫁はんがフィリピン人、旦那がドイツ人の店で結構おいしいドイツソーセージとかライ麦パンを売っていたりします。
ドイツハムの薫製を作って、この店に卸しているフィリピン人と結婚したドイツ人のおっさんもいます。日本人がフィリピン人の姉ちゃんと結婚すると、相手にたかられるだけのパターンが多いのに、ドイツ人はどうしてこうしっかりやってるのか驚きます。が、結局、夫婦関系のあり方の違いか知らんと思います。
ちなみに、店の表の海辺のテラスには、若いフィリピン人のねーちゃんを連れた不良外人が複数、昼まっからビールを飲んでます。
烏は、昼は客のいない店内で、一人でおやつとコーヒーです。本日のおやつは、ほうれん草入りキッシュパイでした(今日はいつもより、比較的健康的だった)。一昨日はマンゴーパイだった。いまんとこ、おやつが主食なもんで。はい。
リハビリ現地報告27
それまか縁の禅定か、賞嘆するにあまりあり
(良寛の漢詩ばっかり写してたら抹香臭くなっちゃった)
それでその後、頑張って街で唯一のデパート兼大型スーパーに行きました。で、コーヒーと牛乳をとって。いかんいかん駄菓子のコーナーに入っちゃいかん。と、ネギとグラノーラ(「去年の研修医にそんなまずいものをよく食べるな」とめちゃくちゃけなされた干しぶどうとか大麦の入ったコーンフレークみたいな奴です。高いです。でも、今は料理するのが難しいので。)と、便所紙をつかんでレジに行きました。
鬱の時は、たったこれだけでもかごに入れて下げるのがきついです。今日はそれで、めまいと立ちくらみがして、「鬱だあこれ以上、外にはおられん。はよ帰って倒れて横になろう。」と思ったら。
バイクのところで「マミ!」と叫ぶ人がいるじゃないですか。あ、村のおばちゃん達だ。ランソーネスを売りに来たところだったらしい。街が小さいもんで、いろんな人とはち合ることが多いんですよね。密かに見られてたり。去年は「糖尿病」と言っているくせにアイスクリームを2個食っていたのを見られてしまいした。そこで、村の人たちからは「いつ来るの。いつ又、来るの。」って。ありがたいんですけどね。鬱って云えないところが辛いのよ。
村のおばちゃん達は、マミは重症の糖尿病だと信じています。「体が悪い」と。実は「頭が悪い」んですけど。鬱って云っても、村だったら、みんな心のままの「躁鬱病」みたい奴であふれてるから、云っても分からないだろうと思う。でも、村では大変に感情豊かな人たちも、村から街に降りてくるジープのなかでだんだん感情を殺しておとなしくなってしまうのだ。おらんちじゃない街は、ちょっと怖いみたい。
村では、クギハン(こつこつまめな働き者)か、タプラン(原則的には、怠け者。時にお祭り好き、まれに「やるときゃやるぜ、がってんだ親父」になることもあり。)のカテゴリーで分けられちゃうから。タプランのサブカテゴリーとして、フボゴン(酔っぱらい)、とかボゴイボゴイ(遊び人)とか、ギリンギリン(いっちゃってる、気が狂ってる)がありますが。例外的にクギハンでフボゴンな奴もいるけど。
一応烏はこのカテゴリーのなかでは、クギハンに入れてもらってました。昔、一生懸命調査してたから。だから烏は、今は(実は前から)タプランのコーナーへ移行したんだよお、と云っても信じてもらえないでしょう。
で、精神科的に、ここの文化特有の事例としてはアモックがあります。ニューギニアでアモックがあるのは知ってましたが。ここでもアモックはアモックと呼ばれています。いきなりプッツンして、刃物とか持って走り回って周囲の人を傷つけまわるの。ランニングアモックとも呼ばれている奴。いやあ、かつてスンダン(山刀)持って走ってきたアモックから逃げてきた人や、傷つけられた人に会って驚きましたが。アモックは発作がすむとけろっとしてるんだけど。取り押さえるのが大変なのだった。
かつてアモックになった人に会ったけれど、アモックになった時は母親を叩き切ろうとして、兄貴にエアガンで撃たれて取り押さえらえたらしい。烏が会ったときにはすっかり普通のフボゴンなお人好しでした。そのエアガンに、もっと空気が一杯詰まってたら死んでいたと、けらけら笑いながら眉間の傷も見せてくれました。
で、こんな村なんですけど。これじゃあ鬱も説明できないし、摂食障害はもっと説明できないと思いません?この前、烏についた精神科の研修医に「アモックって知ってる?」って聞いたら「知らん」って。うーむ、たまには社会学とか人類学も勉強しろよ。それぞれの文化に固有の精神疾患があって、文化や社会と精神疾患のありようは切り離せないんだぞ。
それで明日の午後、ちょっと村を覗く約束をしてしまった。またバイクで上がるんかいなぁ。がうん、がうんって、はぁ。でも、まあ下に置いておいてもしゃあない蚊帳とかも、持って降りちゃったから持って上がろう。
その上、今日会った時に売りものの八丁ササゲを沢山もらってしまった。知ってます?八丁ササゲ。日本でも時々作ってるんですけど、長ーいサヤインゲン。1mぐらいあるの。この体を起こすのも難しい烏に、どないせいちゅうんじゃ。今、料理もできないちゅうに。おやつか、いいとこグラノーラをざらざら牛乳で流し込んでいるというのに。流動食烏は、コーヒーを入れるので精一杯。せいぜい3年物のレトルトおかゆにネギ入れるとか。この八丁ササゲ、大家さんに半分あげようかな。
リハビリ現地報告28
手紙をもらった
今日3通まとめて手紙を受け取りました。ちょっと遠出した件が引っ張って、相変わらずどよーんと鬱です。体調が悪い。痰が絡みまくって、喉の調子がめちゃくちゃ悪い。鬱が悪化して、眠剤飲んでも朝の4時まで眠れなかった。最近、1000mgに減らせたはずのテグレトールを再び1200mgに戻してます。そうしないと、どうしても眠れない。
で、朝の11頃起きて(と言うか大家んちの生活音で目が覚めた)、コーヒーをぼーっと沸かしながら、もそもそコーンフレーク(最近、流動食過食ぎみ。何か食うためでないと硬直したまま動けない。)を食ってたら、めっちゃくちゃハイテンションの大家さんに、「Good Morning!」って。こっちは口中コーンフレークだらけだし、テンションは低いしとてもGoodって云えずに、ようやくなさけなく「Morning」って返事しました。で、ご機嫌の大家に、冷蔵庫の中でぐるぐるとぐろを巻いている八丁ササゲを、半分以上をあげました。
それから、日本から来た手紙受け取りました。 手紙の消印を見たら3通とも別の人が同じ日に出していて、11日ばかりで届いており、さすがにハイウェイのこっち側(街の中心側)は違うわ。と感心しました。かつてハイウェイのあっち側に住んでいたときには、2週間以上かかってたもんな。同じ街でも都会やー、ここは。
母親からの手紙は達筆すぎて、何が書いてあるのかようわからんかった。絵手紙を習い初めてから、行書だか草書だかイトミミズが暴れたような字を書きよる。人の字を汚い汚いとけなし続けてきたくせに、だったら万民に分かる字を書けと思う。
ちなみに文字の発達の歴史をさかのぼると、楷書が一番最後にできたらしい。文字文化の発達の最後の形。だから烏は堂々と楷書しか書かない(他の字体を知らんだけという話もある。)。旧字体はなぜその字が、こういった意味を表すのか分かって好きだけれど。
だから、思わず「読める字で書け」と返事してしまいました。母親にしてみればショックでしょうが。10歳児に分からん字を書くな。小学校の先生だったんだから、小学校の4年生にでも分かる字を書けっちゅうに。いまいち、娘の精神状態が分かっていない人だった。親心子知らずと言うけれど、読めん字で書いてあったら知りようもないわい。
ほんで、郵便屋さんをしている摂食障害で入院中の姉ちゃんからも手紙をもらった。11月から職場復帰するつもりが、引き留められてめっちゃショックだと書いてあった。わはははは。烏もだよ。2年前の11月には、フィールドに復帰しているはずがそれから1年以上病院にいたもんな。そんで今回フィールドに戻ってきても、ままならない体。3歩進んで2歩下がる。じゃなくて、1歩進んで、2歩下がるだもん。
烏がこの夏、熱帯魚を飼っていたベッドで寝起きしているらしい。彼女も子供の頃から摂食症が続いているという珍しい人なので、まあ烏のように子供に還って楽しくやって下さいと言いたいけれど。ちょっと今はそれを受け入れるのは無理かな。不甲斐ない自分に泣いてるって。ここの郵便屋のおばちゃんのように、どれだけ列が並んでいてもマイペースちゅう訳にはいかんらしい。
そういやあ昨日、おばちゃんは切手代のおつりを間違えて5P(15円ぐらい)多くくれた。あとで気がついたので、そのことで心が激しく痛んだ。でも、今日行ってみたら、いつもの調子で淡々と無愛想(えらそう、かつ乱暴)に仕事をしていたので、あれーそんなことは問題にもならんかったんかいなぁ。と、おつりが多かったことは黙っていることにした。たぶん、その入院している郵便屋さんの子が聞いたら仰天するだろうけど。
些細なことは気にされない、いい加減な国にだった。「あー、おつり多くもらってしまった」と気に病んだ烏は、些細なことでストレス貯めて活性酸素の貯金をしたようなものだった。もっとフィリピン人に慣れんと。と言うか、ならんと。
リハビリ現地報告29
降れば土砂降り
とりあえず、昨日山に上がるよと云ってしまったので、背中の痛みに耐えつつコルセットをし、痛み止めと安定剤を多めに飲んで、よろよろと出かけることにしました。郵便局のおばちゃんのところで「何書いてあるか読めん」という、葉書を出すついでに。天気も良いことだし。
幸い、州の事業で道の途中まで改修が進んでいるので、去年より上がるのがちょっとは楽です。でも途中からやっぱり、がうんがうんがうん。この運動音痴で、こと平衡感覚が人より劣っている烏が、1速と2速のギアチェンジをこまめに繰り返す。ほんと、ほとんど気を抜けない道を上がっていくんです。バイク歴20年で慎重な人が、雨の夜にこけて5針も縫ったというような道です。
ちなみにパルパルバイクは、日本で云うカブでしかも郵便屋さん色の赤です(いやあ、もうバイク買うなら、郵便屋さんと同じ赤のカブって決めてましたから)。で、去年も嘘つき牧師に怒っていたのに、「クソぼけ、いてまうぞワレ」という力のなかった烏は、怒りのあまりバイクに落書きしたくりました。
仏陀の絵は削られていましたが。「烏号」とか、あくまで「ありがとう」「ごめんなさい」と言わない牧師のかわりにこれらの言葉を大書してやりました。精神科のとある窓辺の作品と同じような表現が、バイク全体になされているのですね。
ここではバイクの盗難が多いのですが、幸い烏のバイクは一目で分かります。結果的に「取れるもんなら取ってみ、オンドレ」仕様になってます。実益をかねた、5歳児のみごとな作品です。
で、話を戻すと山に登っても午後だというのに珍しく天気がよい。だまされましたね、すかっり。山の天気は変わりやすいってことに。ひさびさにゆっくり、だらだらよもやま話をしておりました。体がえらいので、寝椅子に寝そべりながら。
じいちゃんの誕生日が近いので、今年はレチョン(子豚の丸焼き)がないというので、代わりに烏が街から鶏の丸焼きを買ってくだのと。去年、せっかく高いケーキを買ってきたら当のじいちゃんには受けなかったので。じいちゃんは慣れない食べ物は、好きでないらしい。
おばちゃんは、「ケーキは美味しい、大好き」とか云ってましたけど。おばちゃん「あんたも糖尿病やろ、ええんかそんなんで。」って、人のこと云えへんから黙ってたけど。「2月に子宮筋腫の手術をするっちゅうに、血糖コントロールはどないなってんねん。」って、云えへんかったけど。ねえ、婦人科の先生。云ってもしゃあないこと、切ないことはもう云われへん烏でした。昔やったら怒ってたけど。おばちゃんのために、たぶんケーキも買っていくんだろうな烏、ああ。どうしたら良いんでしょう、糖尿科の先生。
ら、やっぱり雲がかかってきたじゃないですか。やばいんちゃうん。でもまだ薄雲やしいいか、と思ってランソーネスを食べながら、だらだら話をしてました。そしたら、やはり天候は刻々と変わってくる。これは来るぞと思って、「街に降りるわ」って云ったらランソーネスを持たせてくれました。
そこで、ついでに降りる用のある人がいたので後ろに乗せて降りようとしました。たら、やっぱり、乗り出してしばらくしたらザーッて。もう土砂降り。後ろから傘を差し掛けてくれるのですが、眼鏡さえ濡れなければ何とか走れるけど、もうびしょぬれ。
おまけに途中からガスガスガスって、妙な音がする。あ、久々のパンクの音。わお。後ろの人はその先でおろして、その人は乗り合いバイクに。で、烏は一人で街へ降りる途中の道でパンク修理屋を探し回りました。パンク修理屋は、街中だと専業でやっている場所があるので見つけやすいんですけど、町外れだと見つけるの大変。営業してたら見つけやすいんですけど、町外れだと副業でやっている場合が多いので誰が修理やなんだか分からない。もういろんな人に聞いて、聞いて聞いて聞き倒して、修理屋というか修理もするおっさんを見つけました。
烏、セブアノ語が分かんないところではバイク乗る自信がないです。ホント。故障や事故に対応できないし。田舎にはガソリンスタンドはもちろんないので、ガソリンがそこらの家でコーラの瓶に入れて売られてる。田舎の人は英語なんてわからんし。
ちなみに、今回見つけた修理屋のおっさんは女房がご飯の屋台をしてて、自分はビニールシートの屋根だけのビリヤード屋だった。
で、ここのパンク修理は暇かかる。まず水に沈めて空気漏れの場所を探すところまでは日本と一緒。そこからが違う。その穴の周辺をグラインダーではなくヤスリで削って、適当なゴムをはっつける。そして、その適当なゴムの切れっ端とタイヤのチューブが、まったりと解け合うまで、チューブを締め付けた上に火を乗せ永らくあぶる。大変気の長い作業です。おっさん火であぶってる間ビリヤード見に行ってましたもん。
で、お金がちょっきりでなかったので、そこいらのガキに金を持たせ使いに出して、向かいの屋台に両替に行ってもらいました。今、街中だと3年前はほとんどおつりがなくて使えなかった高額紙幣(ちゅうても、300円とか1500円だけど)が割に使えるようになっては来ているのですが。田舎エリアは昔と一緒ですねぇ。ちなみに修理代は、60円ちょっとでした。
いやあその間は、烏いらいらと緊張がとんでもなく高まりましたとも。途中、雨はザアザア降って気分は落ち込むし。しかも穴があいていただけでなく、空気を入れるところのムシまで壊れてて。結局、別の中古タイヤのムシを代わりにくっつけて、おっさんの唾で蓋をすることで収まりましたが。急に「わおぉ、追加の安定剤、安定剤がいるぅ」という全身硬直の緊張ものでした。
で、その後何とかバイクは走り出せたのですが、薬はすぐには効きません。そのまま緊張と硬直が続くなか、急に横から出てきた車をガッとさけ「オンドレ、何さらすんじゃあ」と絶叫し、ぶち切れたままバイクを飛ばしてしまいました。でも、あの時テンションが高くなかったら、車を避けきれず事故られてに違いありません。
ら、途中で追加した安定剤が効いてきたらしく、もとのパルパル状態に。でも、あんまりパルパル状態だと車やバイクの波に乗れずに、それもまた危険なんですけどね。ぼーっなっているから。
と言う、降れば土砂降りの一日でした。それにしても、無理が続いているから腰はめちゃめちゃ痛いわ、痰の絡んだ咳はとまらんわ。やな予感。
リハビリ現地報告30
烏ゲロの海に沈む
なんか毎回ゲロの話ですが。今度は烏はゲロを吐いて倒れ、というか、倒れてゲロを吐き、ゲロの海に沈みました。今回は「摂食」の問題ではなくお薬の話。
ここのところ夜間に眠れなくて、眠れなくて。眠剤の効きがおかしい。断眠に次ぐ断眠で、熟睡感が乏しくたまりません。「さあ寝るぞ」って、ベッドも整え、電気も消し、眠れるお香なんか焚いてみて、完璧にお眠り体制に入ってから、お薬を飲んでも眠れない。
それに変な眠剤酔いをするようになった。明らかに酔ってるのにお習字を始めたり。朝になったら床が、散らばった紙やあやまってつけた墨で、もうめちゃくちゃ。李白先生や良寛さん(良寛にも酒を飲んで詩をひねるのが楽しい、と言う詩がある)じゃないから、酔って書いてもただの紙の無駄。と最近は中途覚醒にも困ってます。とにかく眠剤酔いしている間だけは、何があっても「外に出ない」ようにだけはしようと思ってます。ここだと「外に出ること=バイクに乗ること」になるので。
そのうえ、ふらふら中途覚醒したときに、眼鏡をどこか適当に置いて、又寝入るらしくて毎朝の眼鏡探しが大変です。見えない目で宝探しをしているようなものです。だから、自分をちゃんと寝かしつけようと、また眠剤が増えます。
でもちょっと元気になると、すぐに余計なことをして反動で鬱が悪化したり。最近はUp Dawn
が激しく、自分に振り回されています。それでも、なるべく無理はせんとこうと下宿におこもりしています。とにかく食べ物の供与がこの下宿にはないので、料理する気力がないから、外には少しは出なくちゃいけないし。ほんと、日中に疲れてひっくり返っていることが多いです。それも睡眠障害の原因の一つでしょうが。頑張って1日起きてたときも眠られないので、原因はよく分かりません。
で、今回のゲロ話になるのですが、今回はどうもお薬のせいではないか、と。ただでさえ眠剤の量が増えているのに眠りが浅いので、大家の生活音で起きることが多いのです。すると、眠剤が引っ張ってる(眠剤の効果がまだ残っていてぼーっとしている)けど朝だしな、起きたしな、朝のお薬を飲まんと。と、薬を飲んで、モーローとしたまま買ってあったものを、昨日入れた残りのミルクコーヒーやお茶で食べてのみます。朝からお湯沸かす気力ないですもん。
有り体に言うと、烏は、今、感情調整剤(抗躁剤)と言う、気分を下げて感情を一定にするお薬と、抗うつ剤と云う気分をあげるお薬と、安定剤と言う気分を穏やかにするお薬を飲んます。つまり、お薬でアクセルやブレーキをかけ安定走行をはかって「烏号」という体の運転をしているのですね。何故、抗躁剤を使うかというと感覚が異常に鋭敏になっていて、ちょっとしたことでもたまらなくなる事が多いから。
それで、今朝は十時過ぎに、ハイテンションの大家の話し声で(何でいつもあの人はあんなに元気なんでしょう)起きてお薬を飲みました。でも、鬱ベースだから朝はどよーんとしか動けない。だから朝は横になっている(最近は腹這い)になっていることが多い。だけど、30分ぐらいしてくると抗うつ剤が効いてくるから、動けるようになってくる。
それで今日は、午前中に郵便物を出してしまおうと、薬を飲んで30分ぐらいしてから、しゃきしゃきバイクに乗って出かけました。ちなみに抗躁剤が効いてくるのは、飲んで1時間ぐらいたってからです。だから作用時間のずれる30分だけ「異様に」しゃきしゃきした人になりやすくて出かけました。
で、郵便局に行く途中、今度は前輪がパンクしているのが発見されました(こないだは後輪)。だいたい街中でも、道路のメンテナンスがかなり悪いちゅうか、メンテナンスなんかされてないちゅう道がほとんどなので、穴だらけの道が多い。だから、たとえ舗装されていて油断がまったくなりません。
とりあえず郵便物だけ出して、街のパンク修理屋さんの所に行きました。街には、ハイウェイ沿いに何軒か修理屋が固まっているところがあります。で、その一番手前の修理屋に行ったら、ちょうど12時頃だったしおっちゃんは飯時だったらしい。
で、おっちゃんはここらの金のない人の標準的な昼飯を食っていた。要するにてんこ盛りのご飯とサバウ(肉か魚が申し訳程度にちょっと入ってて、菜っぱなんか浮いている汁)、日本でいうところのご飯とみそ汁です。「いいよ、ご飯食べてからで」と、烏は、すでに抗躁剤が効いてきて、ぼーっとした人になっていますから。穏やかな気分で待つことにしました。もはや、わざわざハイウェイを渡って反対側ある修理屋に行く気力もなくなっている。
でもおっちゃんは、「いいよ、いいよ、わしら貧乏だから仕事のあるときに仕事をせんと」「それにお前は、昔は反対側の店のスキだっただろう。」いやあよく覚えてるもんですね。そんな2年も3年も前の話を。「うん、だけど。ハイウェイ渡るの怖いし」。確かに、ハイウェイだけではなくてここ2~3年で街全体の交通量は倍以上に増えています。そんな中、パンク状態でガスガスガスガスって渡るのはすでに鬱になっている烏には怖い。
おっちゃんがチューブを取り出すと、それはパンクどころではなくムシの所から数センチに渡って裂けてました。「取り替えなきゃな」「うん、チューブごと取り替えて」ってことになった。それで、おっちゃんの所にある他の中古チューブ!とお取り替えになりました。まあ、ここではよっぽどなことがないかぎり新品じゃないといや!なんて贅沢は言ってられませんから。(と言う割には他の部分の修理には、ホンダの販売店の裏で修理をやっているスキの兄ちゃんに頼み「マレーシア製ホンダ!」の純正品を使っているのですが。)
それで、朝からものすごく仕事をした気になって、自分にご褒美をあげるために近くのケーキ屋さん(街で唯一)に行きました。ケーキ屋さんの姉ちゃんと烏は、もはやスキです。毎日、行っているような気がする。1日に1食はケーキなの。だけど日本のコンビニみたいに「どこでも」ある訳じゃないから、このケーキ屋に行ってる限り、過食にはならないのだった。だって恭しく、姉ちゃんがスライスしてくれた一切れだけだもん(それでも、こっちの人からすると高いです)。
だから烏がチョコレートチーズケーキ(オレオチーズケーキという日本では見たことのない希代なものですが、けっこうおいしい。)とインスタントじゃないコーヒー(と指定しない限り、この国ではだいたいネスカフェがでる。)が、好きなのも知ってくれています。
それで、「今日はオレオチーズケーキあるわよー(いつも同じものがあると限らないところが又この国らしいのだけれど)、それとコーヒーでしょう」って姉ちゃんの方が先に行ってくれて、「うん」って答えました。それを食べて、お昼ご飯をしたつもりになって12時半過ぎに、又お昼の薬を飲みました。そしたら、又30分だけ余計に元気になってしまいました。
そういやあこのケーキ屋の近所の大学病院(街で3つしかない総合病院の一つ)に、山の親戚のマリセールが入院してるって云ってたよな。と思って、ケーキ屋さんでマリセールのお見舞いにチョコレートのお菓子を買ってしまいました。だけどよく考えたら烏は、マリセールの本名を知りません。
一般的にフィリピン人は、本名を呼び合わないのです。だいたい山のおばちゃんだって、さんざん世話になったくせに、みんながずっと通称のイキアムとしか呼ばないので、本名がペリグレーナなんて最後まで覚えきれなかったほどです。しかもマリセールは、結婚してるから名字も違う。
でも元気になっているので、山まで上がってマリセールについて聞いてきて、ついでに誰か見舞いに行く人が連れてこようかと思いました。が、山に上がる途中で30分のタイムリミットが切れ(ウルトラマンみたいです)クヤのビッグを探しに行きました。クヤとは義理のお兄さんという意味です。確かビッグは、この道沿いの街の浄水場で働いているよなって。で、浄水場に行ってみたら、ビッグは今日はもう一つの浄水場にいると言うではありませんか。で、だいたいの場所を聞いて走ってみても、よく分かりません。それに途中で、ものすごく抗躁剤が効いてきてだるくて眠くなってきました。
こりゃいかん、と思いあわっててハイウェイを引き返し(途中でエンストして死にかけましたが)下宿に帰ってとりあえず、ミルクコーヒーを飲んで、例のお見舞いにするはずのお菓子を食べかけました。ら、もう食べようとする意識ももたない。だから決して過食ではないのです。それで、お習字の散らばる床に倒れ込みました。よく考えたら、朝と昼は2時間しか間をあけないで薬を飲んでいる。抗鬱剤はともかく、抗躁剤は普段から人体の限界量まで飲んでいます。
で、異常に薬の血中濃度が上がったためでしょう。なんとか体の薬の濃度を下げようと、胃が反応したに違いありません。床に突っ伏して起きあがる力もないままに、ゲーロゲロ。オレオチーズケーキがこちらの世界にお戻りに。なにしろもともとが柔らかいもんですからね。既に液状化されておられました。それでゲロの海に。ようよう近くにあった水のペットボトルの水を多少飲み、5時間はそのまま死体化していました。
午後疲れて死んでるっていっても、普段ならせいぜい1時間半か2時間で回復するのに、今日は丸5時間、数ミリも指先さえ動かせない状態でお亡くなりになっていました。眠っていたわけではなく、倒れていた後ろのドアが網戸のままで、通路をお手伝いさんが通るたびになんとかしなきゃ。とかせめてベッドに乗りたい。とかゲロを拭きたい、とか今はいったい何時とか、ずーっと意識はあったんですよ。
脳梗塞の人の気持ちが嫌と云うほど分かる5時間でしたとも。意識と体がこれほど離れる経験は少ないでしょう。でもぴくりとも体が動かない。情けないぐらい動かない。
「体は脳が動かしてんだよ!!!!」ちゅうことが嫌と云うほどわかりました。
5時間たってようやく薬を肝臓がある程度、分解し終わったのでしょう。徐々に動けるようになって、ゲロまみれの床を拭こうとしたら、既にゲロはコベコベに乾いておりました。それにしても抗精神薬ちゅうのはあつがいが要注意だよな。今までも分かってたけど。今まで以上に、気をつけようという反省の1日でした。
リハビリ現地報告31
ああああ?
うぉ、なんか左肩がかゆいなと思ってTシャツ脱いだら左肩から二の腕にかけて、全面に無数の赤い発疹が。蕁麻疹じゃなくてダニに噛まれたようだぞ。一部脇から胸にぽつぽつ渡っているし、たぶん。なんで?今日は山に上がらなかったし。
昔、調査してたときはよくあったけど。山の果樹園の調査ったって、ごちゃごちゃ果物の木が植わってて、下草も一杯生えてる森みたいなもんだもん。その調査をしていたときは、よく木の上からダニが落ちてきて、それが襟からはいると襟首から上半身、さらには足の先までやられる。ようは体半分やられ、発疹だらけになる。だから毎日首にタオル巻いて、ダニが入らないよう防御に努めていた。
それに、山だと毎日水浴びできるわけでもない。未だに庭の隅のドラム缶にためた水をくんで、天気の良い時に服の上からかぶるだけ。
山にはマリガスというアリもいた。これが人を噛む。畑の調査をしているときに巣を踏んで、一瞬でわわっとたかられ、足首を十数カ所噛まれて熱出して寝込んだ。それ以来、足首まであるスニーカーはいてしか、畑には入らなくなったんだよな。いくらこちらの人がゴムゾーリでも、素足でも。体質が違うんだよ。
海外に出るときに山のように、軟膏類や薬を持たせてもらうのは、こういう油断のならない生き物がいて、油断のならない反応をする烏がいるからだ。しかし、この発疹はほんまにダニか?Tシャツについていたのかも。Tシャツ干してたときについたのか?すぐに全身お召し替えじゃ。シャワー浴びてこ。
今日は、マンゴーの木とかアメリカアカシアの枝落としの下とか通ったから、そのときに落ちてきたのか?だけどバイクで一瞬、通りすがったんだけなんだけどなあ。こちらの人にはとって、どうでもいい「原因」について考える烏でした。もっと、「現象」に対応せんといかんのにな。ようはその分、現実への対応能力が低いのだった。
とりあえず薬用石鹸で洗ってみました。で。後でレスタミン軟膏をたっぷり塗り込んでみました。蕁麻疹にしては発疹が集中していない。ばらつきがあってあっちこっちに島のように固まってる。これは蕁麻疹では決してない。既になんとなく、かゆいかゆいと思っていた烏に掻きむしられている。で、レスタミンが効かなければリンデロンで、掻きむしった後はゲンタシンなんだよな。ううううううう。
蚊にも刺されにくけりゃ、蚊に刺されても腫れもしない、掻きむしってもへのカッパという人がいますが(うちの教授か?)。烏はそう言う人がうらやましいです。蚊に刺されやすいし、蚊に刺されたら人の倍か3倍は腫れるし(抗原抗体反応が激しいに違いない)、腫れたらかゆいから、無意識で血が出るまで掻きむしるし、掻きむしってかさぶたができたら20回ぐらいはがします。このかさぶたはがしは「自己確認」のせい。と、うちの精神科の先生に云われましたが。こんなことで自己確認したないわい。でも、無意識にやってるから止めようがない。
ちなみに以前ここで足の甲を蚊に噛まれ、掻きむしって化膿したことがある。これもお得意のかさぶたはがしと、雨期だったせいで傷が乾かず悪化したんだよな。足首がサラミみたいに赤白まだらになって、足首も分からないぐらい太いハムほど足の全体が腫れた。それで足を地面につけられないほど痛くなって、歩けなくなって片足でケンケンして大学病院に行った。
そしたら医者が鼻歌歌いながら、直径5cmぐらいになった膿だまりから膿をぐりぐり掻き出してくれた。だけど麻酔も何にもなしだし、こっちは痛くて絶叫阿鼻叫喚ものでした。エマージェンシーの診察台についている手すりを両手でがしって握って、歯を食いしばって「うおおおおおおおおお」って耐えたら、診察台ががたがた揺れました。でも当時その大学の学生だったから学割が1割きいたんだよな。京大病院も学割効けばいいのにね。
何故、烏がフィリピンに行くって行ったら、たくさん薬を持たせてとリクエストが多いのか、これで分かってくれるとうれしいです。
リハビリ現地報告32
いっそおしっこの話もしちゃえ
ゲロとか膿の話しかないと、また教授が怒るよな。今年度でご退官遊ばされる、うちの研究室の教授はシモネタが嫌いです。別にシモネタが嫌いなのは、烏10歳としても喜ばしいのですが、かつてはウンコやトイレネタもお嫌いでした。お酒の席で、ウンコの話をしただけで激怒してましたもん。生き物なんて、口から入れて排泄口から出してなんぼのもんやろう。余裕があったりもしくは、生存の危機の時に繁殖するんや。生き物が「排泄」できなかったら死んでるちゅうに。と言うのが烏の見解なんですが。
ウンコの話は食べ物の話と同じぐらい大事だって。そこで認識が一致している烏とお魚先生は、楽しくウンコネタを話していたのに激怒する教授に、きょとんとしたものです。ところが同じ教授が、排泄物から「生態を探るだの」、排泄物がいかに大事かという話をどこかで聞いてきたらしく60歳を過ぎてから、いっぺんに認識を改めたというのにも、きょとんとしました。
芦生の京大の演習林に実習に行った時に、動物の生態の調査をしていた学生に、狸のウンコを自ら御突きになり「これで何が分かるかね」と話を振ってきたので、びっくりしましたもん。が、ご本尊はけろっとしたものです。
60歳を過ぎても認識を改める力があるのがうちの教授の良いところですが、認識が改まるまでのクソ頑固じじいぶりは何とかならないのでしょうか。いくら自分と異なった認識を持った人に、ああも頑固に自分の主張をせんでもいいのに。だから急に認識が改まったときに、相手がきょとんとしたり、おののくんだって。退官するまでに「物忘れ外来」のパンフレットでも持ってきてあげようかな。ちったあ、以前の言動を自分を思い出せちゅうに。
教授と違って、烏の生活はトイレとまぶだちでした。幸い、今まで教授が「ゲロ」とか「排泄」で苦しむことがなかったから「トイレ」ネタを軽蔑できたんですって。そのうちよぼついて、嚥下能力が低下したり、括約筋や泌尿器系に障害が出てきたら、もっとゲロやトイレネタが愛おしくなるぞ。と言うか死活問題になってくるぞ。そのとき、本当に「トイレ」に会えて良かった、トイレって大事だと思うぞよ。先生の好きな汎神論には、ちゃんと厠の神様もいるんだから。
だいたい、女の人にとっては普段からトイレのありようは重要だもんな。中国にいたとき(何故か昔短期留学をしていた)、溝トイレやら、ドアなしトイレやらになんとか慣れたけど、女の子には婦人科的に苦痛な場合があるんですって。立ちションできるわけでなし。中国で、一度だけいわゆる高級ホテルの「化粧室」に入ったら、へたり込むほどうれしかったもん。
ちなみにフィリピンの田舎で、ずっと田舎の人と一緒に生活するには「アリヌーラ」と呼ばれるオマルが使えるかどうかが、分かれ道かと思われます。アリヌーラとは取っ手のついた蓋つきバケツです。最近のはプラスチック製です。一度、鍋と共有している家があると聞いて唖然としました。まあ、洗えば上も下も一緒なんだろうけど。
フィリピンの家はだいたいが、夜になったら家じゅう鍵をかけちゃうのだ。で、田舎では、もともとトイレはないかあっても家の外だから、部屋ごとに(って、いったって何部屋もないけど)アリヌーラが配られる。そんで部屋ごとのしきりも、そんなたいしてきちんとしてないから、おならもおしっこも下痢の音も家中に響き渡る。人のを聞くのはまだ耐えられても、なかなか自分でアリヌーラを使いこなすには根性いりました。一応、女の子でしたもん(じゃあ今はなんやねん?)。
だもんで去年、病院で一日分のおしっこを「尿がめ」いっぱいに貯める検査をした時は笑ってしまいました。糖尿科のは自動で計ってくれるけれど、精神科はまだまだ看護婦さんの肉体労働です。でかい「尿がめ」がトイレに置かれ、「烏氏」って書いて堂々と鎮座している。それに一日分のおしっこをためて検査するので、ちょっとアリヌーラを思い出してしまいました。アリヌーラにはウンコもするけどさ。
そう言えば、以前の研修医に「かがわさん、いくらセルシン(安定剤・抗うつ剤)が好きだからって、そんなに愛用しちゃあだめですよ。海馬が堅くなって記憶力が悪くなりますよ」。安心しろ、既に記憶力は悪い。昔から「モズ頭(モズのハヤニエ。自分で捕ってきて木に引っかけて捕っておいた虫や蛙などの餌を忘れてミイラ化させる)」とか「ざる頭(編み目にひっかからん)」とか云われていたし。
そのうえ烏も、精神科の先生お墨付きの「学習能力のない頭」だからな。人のことは云えない。だが本当のところを云うと、こうやって駄文を書いているのはだな。左肩が真っ赤に変わってかっかとしているのから、何とか気を紛らわそうとしているからだ。パソコン打ってりゃ両手使ってるから、掻きむしれんもん。
しかし赤みは、多少収まってきたが、ちりちりちりちり散り痛がゆいぞ。しかも熱を持っていてかっかしてる。やはりリンデロンも塗ってみよう。で、しばらくしてもどうにもなんなかったら、掻けないように上からカトレップをテープで張って寝てみようっと。そうでないと寝ている間に血まみれにしてしまうぞ。なんか湿布薬の目的外使用だけれど。ううううううう。背に腹は代えられん。一応、湿布も消炎鎮痛が目的だし。
ついでに腰も痛いから腰にもはっとこう。それにしても腰が痛いぞ。ロキソニンか。それらが穏やかになるよう、ついでにセルシンとデパスも飲んでみました。ますます海馬が堅くなって、更にモズ頭化するでしょうけど。このモズ頭は、学習能力はないけれど、変なところでずるがしこいのが問題です。子供の浅知恵だけど。
今から10年近く前のことです。とある健康診断で、「絶対に問題なし」と言うお墨付きをもらわねばならなかった時がありました。でも、タンパク尿で要精密検査になりました。その時は大変過労状態で、再検査してもタンパクがでるのが分かっていました。で、どうしたかというと自分の尿を水道水で10倍希釈して、提出したんだよな。タンパクか糖しか計らない検査だったから。10倍も薄めたら通常は、ひっかかりっこないって。塩素とか計ったらででたかも、くすくす。
あの時だけです、検査の「ずる」は。だもんで、一昨年は学内検診で立派に糖Ⅲプラスをもらってしまいました。
リハビリ現地報告33
マリア様の行列
久しぶりによく寝たぜい。っても6時間だけれど。人の生活音で起きたんじゃなくて、自然覚醒だし、途中で起きなかったし。眠剤のレンドルミンの広告の「さわやかな目覚め」って奴です。でも起きる時、又ベットから転落したけど。気分はまあまあ良いけど、体が鬱なので動けません。気分の良さと体の鬱状態がずれているので、起きようとしても体がままならず、ベッドから「落ちた」気がする。この気持ちと体のずれの大きさが、たまらんぜい。
腰痛もひどいし。時々、痛みで死んでた方がましと思うけど、それでも今日も生きてゆく。生きてゆくったら、生きて行く烏号だった。たぶん寿命が尽きるまで。うちのぼろバイクのように、まめにメンテナンスしつづけて。他の人より壊れやすいみたいだけど。
昨夜の肩の発疹は、やはりなにかの虫さされと云うことが判明しました。肩全体が、かっかと熱を持っていたのはさめて、ぽつぽつと星のようにあっちこっち発疹がもりあがってる。もう一回「掻いちゃだめ、掻いちゃだめ。掻いちゃだめったらだーめ!」と、レスタミン塗ってから、上からカトレップを全体を覆うように2枚張っておこう。
その上、何とかコーヒーを沸かしたものの、買ってきておいたパンの袋に穴があったらしくアリンコまみれです。これは、ハコットという蟻で噛まない。だけど果物と違ってパンは洗うわけにもいかんし。適当に蟻を払い落としても、蟻はパンの中まで潜り込んでいる。仕方がないので、取りきれない分は蟻ごと食べた。胃酸vs蟻酸。絶対胃酸が勝つだろう。糖尿科の先生、自分の指示カロリーの計算を久しくしていませんが良いですよね。もうここまで来ると。「とりあえず生きてるし」でやってるんですが。
あまりゲロだのお上品ではないネタ。医学に携わっている人に受けるネタばかりでなく、ちょっと昨夜にあったお話でもしよう。
昨夜は硬直からさめたら、既に外は暗くなっていました。そこで、ゲロ掃除をした後「あーなんか食べなきゃなあ、胃が完全に空っぽだ」と思って食べにでました。そして、こんな時ぐらいまあ良いか、とサラダバーまでついている高いレストラン(街でたった一軒。例のドイツ人の店の姉妹店です。ここは、まだ「ましな外人」と金持ちフィリピン人のたまり場)に出かけました。で高かったけれど(っていっても600円ぐらい)、豚肉と野菜のクリーム煮にサラダバーとおまけにパンまで付いてるメニューをえらんだ。その上、そこの姉ちゃんは愛想が良いもんだから、ビールとカプチーノまで飲んでしまった。ここのコーヒーだけは唯一ヨーロッパの味がします。日本でも出会えないなつかしい味。
それで海岸通りにでたら、お祭りが近いので路上封鎖されて、路上ロックコンサートをやっていた。しょうがないから、ハイウェイに出た。出たら、めちゃくちゃ混んでいる。事故か?とジプニーや車の間をすり抜け前に出てみた。烏は物見高いし、パルパルバイクはちっこいので。するとマリア様の聖像を担いだ一行がしずしずと行列をしている。像の前後に尼さんやロウソクとロザリオをもった、女の子やおばちゃん達が続々と続いてハイウェイを横切っている。
てんでに、マリア様の像の後ろの車から信者のおばちゃんが放送する(こういった放送はスペインにはない)お祈りの祈祷文や賛美歌にあわせながら。ロウソクもロウがたれてこないように、ただ段ボールをはめたやつから、きれいな紙のランタンをこしらえた人もいて、といろいろでした。夜のとばりの中に揺らぐロウソクは、とてもとてもきれいでした。そこで10歳烏は、銀河鉄道の夜にあるカラスウリのランタンみたいだなあと、途中までついて行ってしまいました。
だけど、いくらパルパルバイクとはいえ、人の歩く速度に合わせるのは大変です。行列の最後尾にくっついていっていた交通課のお巡りさんも、自転車に乗ってましたし。で、ずーっとどこまでもついて行くのは途中であきらめたのですが。
ちょっと、セルビアの夜を思い出してしまいました。セルビアでフラメンコを見た後、有名なホテルに泊まっている、多くのお客さんは迎えのシャトルバスに乗って帰りました。でも、安宿に泊まっている烏にはそんなお迎えなんてありません。
それにスペインは本当に夜が遅いのです。フラメンコも夜10時に始まって、11時半に終わりましたし。それで、何とか来た道と違う道をたどって帰ってやろう、と思った烏は、旧ユダヤ人街にある烏の宿を目指して歩き出しました。でも旧ユダヤ人街は本当に迷路のようになっています。その上、太陽もでていないので東西南北もいまいちよく分からなくなってしまいました。
そしたら、楽隊の音が聞こえ、花々の中のロウソクの光でかがやく、白と金で飾られたマリア像の御輿が目の前を通るじゃありませんか。
それはあまりに幻想的で美しく。思わず又ついて行ってしまいました。道に迷って良かったなと思う、地元のほんのささやかなマリア様の行列でした。が、おかげで宿とはもっと反対方向に歩いて行ってしまったらしく、人に聞き倒して宿にたどり着けたのは夜中の1時前でした。
烏はたぶんハーメルンの笛吹や、子供十字軍に真っ先について行って、すぐにどこかに売り飛ばされるタイプの子供だと思います。
リハビリ現地報告34
パルパルハイウェイクイーン
久しぶりにやってしまっただよ。今日は鬱で、起きたものの2時過ぎまで止まってました。で、なんとかちったぁ動こうと、前から気になっていた、お世話になった先生の別邸に行くことにしました。行くためのご褒美に、遅いお昼ご飯として例のケーキ屋でケーキを食わせてやらねばならなかったのですが。
で、今日は趣向を変えてウォルナッツケーキを食べてみました。チョコレートのスポンジにホワイトチョコのコーティングがなされて、なかにクルミがはさがってたので美味しかったです。その上、ケーキ屋とは完全にスキ関係になってしまい、今日は新作のケーキの試食までただでさせてもらいました(あ?糖尿病だったか烏)。
クルミ入りリンゴケーキ。どうもオーナーの旦那が外人みたいで、旦那と一緒に試食をして、二人して「美味しいけど、ちょい甘過ぎ。もっと砂糖を減らした方が良い。」って。この旦那が試食をしているから謎のケーキが出てきても、それなりに外人受けもするケーキが完成するのだわ。
だって、ここのアップルパイは日本でもヨーロッパでもいけるなと思うほど美味しいもん。はい、烏フランスでは、さんざんサンドイッチ(お金がないから)とパティスリー(デザートには目がないから)を食ってました。おやつにはうるさいんです。
で、例のチョコレート菓子(好きなんです、烏が)をおみやげに買って、マム(要するにマンゴーの落ちてくる家にいた先生です)の、街から約20km(でも道が曲がりくねっているので実質の距離は倍ぐらいあります)ほど離れた別宅に行くことにしました。で、行く前に、一応薬の時間を計算し、今日は朝の薬から3時間半以上経っているし、これだけいろんなものが胃に入っているから大丈夫だよな。と鬱の薬も躁の薬も安定剤も、全部飲みました。
マムの別宅には、くつろげるデッキ・キャビンがあって(マムがタイで英語の先生をして稼いだ金で作った)リラックスできます。今度いったらそのキャビンの裏にコンクリートの穴を掘って、川から水を引くプールまで作っていたのでおののきましたが。これもマムがせっせと外人留学生相手にチューターして稼いだお金で作ったんでしょう。
そのマムの別宅に行くために、パルパルパルとバイクでハイウェイに乗りだしました。が、今回初めて時速60kmを超えてしまいました。パルパルパルが、途中でバウンバウンバウン、バウバウになって。もはや躁状態です。次々とバイクやジプニーやトラック、バンまでぶっちぎっていく。クラクションも3回ほど鳴らされました。
目の前に対向車がいなくなって、オールクリアになるとアクセルぶん回して、瞬間最大時速80kmちょいで抜いていく。無茶な追い越し大平気。バンなんかはパルパルちゃんに抜かれて、明らかにプライドを傷つけられて怒ってクラクションをブァーなんて鳴らしてましたけど。その時は、躁に突入しているので、そんなもんしらん。抜かされるお前が悪いんじゃボケ状態です。
で、とばすとばす。まあ所詮はパルパルバイクで、ボケ牧師のせいでがたがたになっていますから、ずっと時速80kmは維持できなくなっていて、60kmオーバーでいましたが。でーたよでたよ、パルパルハイウェイクイーンが。これがでたら、止まりません。実はこれがでるから、いつも整備状態を最良にしておかないといけないんだな。整備状態が悪いと、吹っ飛ぶもん。いざという時にハンドブレーキと、フットブレーキと空いてる左足まで使わないと止まれないもん。
それにつけても、ディスクブレーキの100cc のホンダドリームが欲しかった。烏の街では、烏が買った時はホンダエコノという70ccのカブが主流だったんです。でも、その次の年ぐらいからホンダドリームがはやりだしたのだ。100cc の方がパワーがあって、山にも上がりやすいし高速度で安定走行できるんだよな
くすん。でも神様が、お前はとばすなと言う意味で70cc
をお与えになったのかもしれない。ドリームのドルドルドルって云うエンジン音にはあこがれるんだけど。今回は、ほとんど時速40km超えてない鬱々烏だし。
ちなみにパルパルバイクで血相変えてとばすと、時速50kmを超えるあたりで、周りの風景は飛んで注意書きも見えなくなります。50km以下になってやっと、Danger だの Caution! Accident
Areaとか見えだします。だけど一時期、広大な日本向け冷凍エビの養殖場だったところが、すっかり廃れて徐々にマングローブ林戻ろうとしているのは、しっかり確認しました。
それに、やっぱり田舎のハイウェイも交通量が増えていて、以前より追い越しがかけにくい。目の前をちんたら走るバイクや車もかなり増えた。
確実にハイウェイでの危険度が増している。うーむ。鬱もしんどいけれど、躁も怖い烏のパルパルハイウェイ報告でした。抗躁剤をぶっちぎってとばした烏が死なないことを祈っていて下さい。
リハビリ現地報告35
松明の思い出
山まで上がるのが、めんどくさいのでパウナイ(農民の夜中市)に降りてくるおばちゃんを捕まえようと思いました。毎週、水曜日と日曜日の夜中ちゅうか早朝の1時から7時にチャンゲ(市場)の横の道路を路上封鎖して、農民の(青空とは云えない、真っ暗だから)露天市がひらかれます。
おばちゃんは毎週日曜の夜中の2時ぐらいに降りてきて、6時ぐらいには撤収に入る。その頃から、チャンゲの店はがたがた開きだして、おばちゃんは魚や干し魚、スパスという米の粉をバナナの葉につつんで作ったお菓子などを買って、又山に帰って行く。
だから6時前に捕まえようとして、5時半に目覚ましをかけていたのに。目は覚めたが、しんどくてちっとも体が動いてくれない。ので、パウナイに行くに失敗しました。7時半頃にようやく1m先にある鏡台まで何とかたどり着け、お薬を飲み。10時半頃まで、じっと横になっていました。
やはり、昨日パルパルハイウェイクイーンをやったのがたたっている。筋肉痛みたいだな。ちょっと頑張って躁になって「しまう」と、次には鬱が待っている。しょうがないから思い出でも書いていよう。今日は腰痛大魔王で、腹這い蛇女だ。
パウナイのある日は、早い人は1時前から店開きしています。でも、おばちゃんの村は夜中の12時に村でチャーターしたジプニー(運転手は村の人)が、村の道路の一番上までやってくる。人は、車の上れる場所よりもっと上まで住んでいるので、道路の端っこに、おのおのの収穫物をかごに入れて置いておく。ジプニーは来たよ来たよってって賑やかにクラクションを鳴らす。そしたら山の上から、めらめらと椰子の葉をたいまつ代わりに燃やした人たちが降りてくる。山の小道沿いには、松明の口火にするために樹皮がはがされた松の木があるし。闇の中を無数の松明が降りてくる。電気もないし、それはそれは幻想的な光景です。
で、道路のてっぺんで拾った農民と収穫物だけではなく順次、道沿いの農民と収穫物を拾って降りる。もうぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう詰め込むから。人間は狭い座席にぺちゃんっておしつぶされて横になっている。満員電車もかくもあらんです。
そうやって、ジプニーの中にも天井にも荷物や人を満載してゆっくり降りてくる。本当は、烏はジプニーの天井の上に乗りたいのだけど、一応法律で「女・子供」は天井に乗ってはいかんらしい。それでも、強引に乗ったことあるけれど。
で、街の市場に着くのが午前2時頃。村ごとに、おらが村の場所が決まっていて、自分の村の場所に野菜や果物とともに座る。おばちゃんの村の場所はちょっと奥まっていて、「なんで、そんなとこにしたん(場所は村ごとの協議で決めたらしい)」って云ったらすぐ頭上の街路灯を指さして、「ナ アナ スガ(電灯があるもん)」。ああそう言う考え方であったか。早くから来ている人は、自前の乗り物を持っているか、共同ジプニーのでない遠方の村の人が多い。
ここで野菜や果物を買ったら、とにかく安い。市場やスーパーの半値ぐらい。卸市みたいなものです。で、店開きしていたら、そのうち市役所の係員がIDの確認と(毎年、自分は「正真正銘の農民」でパウナイの参加資格があるという、市役所のIDを取ることが必要)税金のチケットを切りに来る。ちなみにできることがあったら何でもする手から口へのフィリピンの田舎で、正真正銘の農民なんてほとんどいないけど。主に農業をするけど、実は何でもする百姓が一杯いるだけなんだな。
パウナイに行くと、いっぺんに知り合いの村の人に挨拶できて便利だったんだけどな。まあいいや。で、7時になると例の交通課のお巡りが追い立てに来る。農民は7時までには道路の「清掃」をすませて、道路を明け渡すという約束だからあわてて、荷物を片づける。まだ残っている人は道路はきをする。
と言うのが、我が街の農民市の様子でした。
隣の島のとある烏と縁ができた村の、共同の野菜運びジプニーに乗った時のことです。バイクタクシーとバスを乗り継げば4時間足らずでつく距離を、野菜を乗せたり降ろしたりで12時間かけて州都まで行きました。
可能な限り積み込むので、野菜に圧迫されて死ぬかと思った。その上天井に、ジプニーの高さと同じぐらいゴンゴン荷物を乗せてるし。烏確か肋骨は丈夫だったよなとか思いながら。で、ゆっくりゆっくり山の上から時間をかけて降りてきたのですが。
途中で野菜を積むために泊まった家の前の木に、蛍が、数千、数万の蛍が。木全体がまるで松明のように明るく、蛍の光で明滅している。「もちもちの木」と言う絵本に出ていた、最後のページの光る木みたいだぁ。と言うものすごい量の蛍。それが普通の家の庭先の木に何げにいる。言葉も失うほどの、わずかに黄色みを帯びた青白い明滅する無数の光。
後でお魚先生に聞いたら、そう言う蛍の場所はマレーシアでは既に有名な観光地と化してしまい、蛍の群生地は東南アジアでもどんどん減っていっているそうです。あの山の不便さ。外人なんてほとんど来ないし、地元の人はいつものことだから返って気にもとめない、密やかな場所。だから、蛍の松明が生き残っていたのでしょうかね。
野菜の売り方の農業調査のために、野菜につぶされそうになりながら、夜中にぎゅうぎゅうのジプニーに乗ったのですが。結果的には両方とも、かけがえのない幻想的な松明の思い出として残っています。
リハビリ現地報告36
パレードの路上封鎖に会う
そろそろだよなとは、思っていたさ。公園でガキどもが練習していたから。何故か、こっちのお祭りにはパレードがつき物。パレードっていっても例のマリア様の行列みたいに、しずしずした奴からいろんなのがあるけどさ。
今日はバランガイ(集落)ごとのパレードで、街中の集落全部から1チームごとにダンスチームが出てる。バランガイごとに大人数で衣装もそろえ、人がたくさん出て、装飾も大がかり。だいたいがハイスクールの生徒ぐらいな年頃だった。たぶんみんなハイスクールの中から選抜されたんだろう。
もう子供ん時からこうやって、みんなとリズムに合わせてノリノリで踊ることになれているから、ダンスがうまいうまい。その代わり、すごく練習もするんだけど。ダンスのリズムは、それぞれのチームの後ろをついて歩く、ドラム缶や金属缶で上手に作ったドラムのドラム隊が決める。ドラムもうまいよ、はっきり言って。
今回は、ダンスのコンセプトが、スペインが来る以前を表しているチームが多かった。ただでさえ黒いのに。その上をさらに真っ黒に塗ってたりしてる。編み傘かぶって竹製のネックレスじゃらじゃらつけて、竹製のざるに模様書いてたり。背中にカゴをしょい、椰子の葉っぱを編んだものを振り回していたり。パンボートのオールに絵を描いて、船をこぐまねをする踊りがあったり。そのチームは、ちゃんと海に見立てた長い青い布を、子供が振って横を歩いてた。
スペイン時代のお嬢様のかっこをして、扇子広げてひらひら踊るチームもあったし。アバカの繊維でつくった、烏達が小学校の運動会で桃色のちり紙で作ったボンボンの巨大版をつけて踊ってたチームもあった。いろんな端切れを縫い合わせ派手た衣装で、化粧もなんだか訳のわかんない派手なチームもあった。
それに今回は、かつて見たことのないチャイナ風というコンセプトがあった。チャイナドレスっぽいのを来てひらひら踊ってた。まあここはセブと一緒で華人が多いし、かなりフィリピナイズされて訳が分かんなくなってるけど、中華料理屋も多いし。中華学校もあるし。唯一のデパートだって、「スーパーリー」ちゅうもろ華人系の店で、入り口にでかい大理石の唐獅子が1対鎮座ましましている。
で、中央通りが路上封鎖されていたので海岸道理に出たら、海岸通りも封鎖されていた。そこで烏は行き場を失って、立ち往生した。だけど、強引な烏はバイクのエンジン切ってチームとチームの間をガアーッて押して横切った。今日は何が何でも、中央通りの真ん中のとある場所に行かなくてはならない。
何故なら、烏にはほとんど金(フィリピンペソ)がなかったからだ。しかも土・日と続いたので、ちゃんとした両替屋は開いてない。でも、中央通りの真ん中にはいつも、日暮れとともにいなくなる私設の路上換金屋がいて、交渉によっては両替屋とほぼ変わらないレートで変えてくれる。そのあたりをちんたら走っていたら「チェンジマネー、ダーイ!」ってうようよ声をかけてくる。
あっダイってのは若い女性、ドンってのは若い男性の呼び方。初めてここに来た時は、そう言うことも知らず、やけにダイさんとか、ドンさんちゅう名前の人が多いなと思ったんだけど。
でも今日はパレードだし、いないかなって思って人混みかき分けて探したら一人だけ見つけた。向こうは1万円しか換えないんだったら、交渉レートを多少低めに云ったけど。「ここまでくるのに人混みかき分けて、どんだけ苦労したか。その分おまけして。」って云ったら少しレートを上げてくれた。ここら辺が人情のビサヤなんだな。
で、せっかく換えた高額なお金を、盗まれたり、すられないように人混みが少ないところまで誘導までしてくれた。「ダイ、鞄ちゃんと抱きしめろ」とか云いながら。
で今回は、ここに定住している外人ダイバーに見られた。観光客にしてはセブアノ語しか話さんし。いつもはチャイニーズフィリピノに見られるけど、前髪だけ金髪ちゅうヤンキー頭が外人ぽいようだ。どおりで、いつもの年に比べて「チェンジマネー」って云われることが多いわけだ。だけど、一応ダイには見えているらしい。別にドンでも良いけど。
で、又人混みをかき分けかき分けパレードの途中を突っ切って、バイクを置いた公園に戻りましたとさ。パレードは街の中央教会(カテドラル、カテドラルが街に付き物なのはスペインも一緒)を通ってから公園に入っていった。たぶん、そこで市長の演説と今年のパレードのナンバー1とかが発表されるんだろな。でも、ものすごい人混みに辟易して、順次路上封鎖が解けていった海岸通りに迂回して帰ってきました。
リハビリ現地報告37
わーいカルナバルだ!
昨夜ポンポンポンポーンってきれいな花火が何発も上がるのを見た。むふっ、方角から云えばあれはカルナバル(移動遊園地)が今年開かれる場所じゃない?最近の都市開発で、空き地の場所がどんどん減ってきており、なんか毎年空き地を求めて、カルナバルの開かれる場所が移動しているような気がするけど。
もうじきフェスタだもんね。実はパレードもフェスタに向けた行事の一環だったんだけど。フェスタとはその街ごと、村ごとの毎年のお祭りで、一応その土地に由来するカトリックの聖人の日に関係している。花火が上がったと云うことはカルナバル開きじゃないの。
スペインにもそう言うおらが村の祭りがあった。でも、フィエスタと言わずにスペインでは、フェリアと云ったんだが。スペインにいた時は、漁師町の地元のお祭りに参加して、なんと300人前のパエリアのご相伴にあずかりました。で、お祭り行事はだらだらと何日もつづき、けちくさいカルナバルが出るところも、地元の女の子の美人コンテストがあるところも一緒だった。フィリピンみたいに街一番のオカマコンテストはないようだが。
スペインの美人コンテストの入賞者にはかなり太っている子もいた。日本のようにデブ=ブスではないようだ。中学でいじめに遭ってから太ってしまった烏も、スペインだったらもうちょっと明るい青春時代だったかもしれない。
でもメインはやはり宗教行事で、烏がいたスペインの漁師町(今はヨーロッパのバカンスの場所として汚染されつつある)のお祭りでは、船に大漁旗を一杯つけて海岸に埋めてあったマリア様の像を乗せ、港を一周して又同じ所に埋める。それで豊漁と安全の祈願をするんだな。
フィリピンでも、やはりカトリックの宗教行事は大事で、先日のマリア像の行列もフィエスタに関するものだったのでしょう。が、烏にとって、この街のフィエスタはわーいカルナバルだカルナバルだの日々なのです。幼児性満開ですが。
海辺で夜中にぼーっと、遠くの雷の光輝を静かに見ているのが好き。と書きましたが、それができるのも11月半ばまで。それ以降、11月25日のお祭りのための様々なイベントがあちらこちらで開かれ、先日の海岸通りロックンロールコンサートもその一つ。これからおまつりの日まで静かな海辺の日々は遠のきます。
その代わり、烏にはカルナバルがある!カルナバルは3つのパートに分けられる。「乗り物」、「見せ物」、「賭け事」。どれをとっても「しけ」ている。でもこのしけ具合が、湿気たせんべいをキシキシ噛むのが好きな烏にはたまらんのだな。どのようにしけていて、どこが烏のツボにはまっているのかの報告はまた今度。
リハビリ現地報告38
電話と一緒?
ここのところの多少の活動の反動と、薬の影響でかかめちゃめちゃ鬱がきついです。ベノジールという眠剤がひっぱているせいか知らんけど、今朝は午前中いっぱいどぼんでした。まったく動けんちゅうに。
最近、烏の電話も調子が悪い。烏の電話は大家さん名義になってます。それで烏がいない間に、大家さんがお手伝いさん向けにこちらから遠距離通話をかけられないロックをしたらしい。いなかった間の電話の基本使用料は、烏の家賃にプラスされてますが。今も、ロックがかかったままです。ロックはずしてと言ったのですが、なにかの手違いで大家さんもはずせないらしい。でも、そんなに遠距離電話かける用事もないし。かかってくる分にはどこからでも問題ないんですが。
ちょっと困るのは、フィリピンの周りの人みんながセルフォン(携帯電話)のメールでやりとりしていることです。なんと山の家族もそうです。さすが、電話会社の電波塔がある(壁と言う絶壁みたいな名前の)村だけあって通信状態は良いみたいです。いやあ、こんなちょっとの間にセルフォンが普及しているとは。本当ににみんな持ってる。びっくりです。しかも電話としてではなく、安いメール送信機としてしか使わない。
で、それはともかく、烏の電話は最近もっとおかしくなった。かけてくる人の声ははっきり聞こえるんだけど、烏の声は雑音だらけで聞こえないみたい。ジャックの所を開けたら埃だらけの上に蟻が這ってた。掃除して、ジャックの配線をつなぎ直しましたが、通話状況がいまいち。
通話がうまくいかず、かけてきた友達が怒り狂ってた。友達はこっちの電話事情が分からないので「国際電話料金を返せ」とか「電話機を買い直せ」って怒鳴っていたけど。「そう言う問題じゃないと思う。」っていう私の返事も聞こえないようだ。電話会社に行けばいいのかもしれないが。行ってすぐになおらん気もするし。最近ほんとうに鬱がきつくて。やる気がおきん。
ほんで昨日、大家に電話機の話をしようとしたけど、だるくてできませんでした。あの大家のハイテンションにあわせる体力がなかったので。何であの人はいつもああハイなんでしょう。でも、今週の目標は電話の件を何とかすることにしよう。と思う。
一応今日の昼過ぎ元気を振り絞って、大家に云ってみた。大家がジャックと電話のコードをつなぎ換えてもおかしい。大家の推測は土曜日に大家んちのマンゴーの木の枝落としをした時に電話線を切ったのではと言うものだった。烏の個人的見解としては、ジャックの中に蟻が入ってショートしたからなのでは、と思ったんだけど黙ってた。まあ、彼女が何とかしてくれると祈りたい。
リハビリ現地報告39
烏病院に行く
「またか」と思われる方も、「今度は何やったんじゃ」と思われる方もおられるかもしれませんが。烏はちょっとバイクでこけて、擦り傷をした以外は今のところ無事です。その時できた膝の擦り傷の上を、ヒランタウ(あんま術師)のばあちゃんにもまれて、おもくそ痛かった以外は。
ちょっと擦ったのが広かったんで、消毒する時に絶叫してしまいした。後で口の中も切っていることが分かり、デキサルチンと言う口内炎の薬も持ってきて良かったと思いました。膝は打ち身になっていてひどく腫れたので、湿布も貼りました。とにかく、何でもかんでも一通り持って来ておいたので、とりあえずこちらの病院と薬のやっかいにはならずにすんでます。
反省です。朝、動けないのに思い切り安定剤を入れ、モーローとバイクで山道を走ってはいけない。たとえ人に頼まれたって。ただでさえ、朝は鬱がひどくて反射神経や、その他すべてがぼけているのに。
その上、過去の教訓から、烏は今、もし病院に行かなくてはないほどひどい状態になったら、何が何でも日本に帰って「おうちの病院(京大病院)」に駆け込み入院しようと思っています。ここの街の病院の治療はかなり懲りた。だから、日本まで帰ってこれなくても、せめてマニラの病院まで飛んで誰かのお迎えを待ちます。
病院に行ったのは、親戚のマリセールのお見舞いに行ったからです。マリセールは腹水がたまって本当に辛そうでした。明るくて、いつも強気だったマリセールがすっかり弱り、蚊の泣くような声です。病名を聞いたのですが、烏には、さっぱり分かりません。あれは英語だったのであろうか?とにかく自分の病名でさえ、辞書で予習をしないと分からない烏なので、人の病名まで分かるはずがありません。
分かったのは10日程前に腹水がぱんぱんにたまって、救急車で病院に担ぎ込まれたと云うことです。担ぎ込まれた先は、かつて烏が留学していた大学の大学病院でした。はじめは水も薬も飲めず、鼻から2本の管を入れられていて、2日程前から点滴に変わったそうです。倒れてからずっと食べる事も飲む事もできないので、どんどん生理食塩水と薬を点滴で入れて、飲み薬も飲ませてて、おしっこをさせて腹水を抜いて行くらしい。と言うことだけです。
鼻から管を入れられた時に、喉をひどく傷つけられたらしく「喉が痛い痛い」と言いながら、しきりに痰を吐いていました。管の一本は酸素のようでした。あれほど痰を吐いていたら、喉の痛みのせいで飲んだ薬もほとんど痰として戻しているような気がしましたが。飲み薬は錠剤を砕いて、少しの水で溶いてどろどろにしたような変わった薬でした。
喉が痛くて痛くて痰ばかり吐いていたマリセールに、弱々しく「喉の痛みの薬ない?」って聞かれました。薬長者の烏は、その手の薬を持っていないわけではない。って心は大変痛んだけれど、入院中の患者に勝手に薬をあげるのはためらわれて「ない」と言ってしました。薬の話の問題は相互作用や副作用があるので、烏は自分があまり問題のなさそうだと思える場合にしかあげられません。薬の扱いは怖いのだ。烏は医者でも薬剤師でもないので、「自分の病気」のことしか知らないのだ。
腹水は確かに以前より減って、おしっこをするためにオマルに座ることもできるぐらいに元気になってきているようです。水も雀の涙程、飲めるようになっています。ですが、病名はさっぱり分かりません。こちらの家族にとっても原因である「病名」は重要ではなく、現象である「病態」が重要なので、あまり病名は気にしていないようです。
ただ、たまんないなあと思ったのはお金のことです。毎日、前日にかかった医療費が細かく書かれた請求書が病人に渡されるのです。病人が意識不明だったらまだ良いものを、意識があったらお金の心配で、治療どころではないような気がするのですが。点滴1本うつのにも、いちいち本人か家族の受取書への署名が必要です。マリセールは何度も何度も請求書を見て、ため息をついていていました。
それを烏は見ていられなくて「今はお金のことなんか考えると、もっと病気(ちなみに、セブアノ語では「痛い」も「病気」も同じく「サキット」と云います。)になるからだめ」と言いました。家族もそうだそうだと云って、家族がマリセールから請求書を取り上げてしまいました。マリセールが逆の立場だっとしても同じようにしたでしょう。
でも現実問題として、日々支払い続けないと点滴一本打ってもらえないのです(病院に借金という形で借りることはできますが)。たとえば救急車にしろ、300P(100Pが街の高卒のお姉ちゃんや、どかたをしているおじちゃんの平均的な日給です。)なければ病院まで連れて行ってくれないのです。今は、もう親戚中からお金を借り集め、何とか毎日しのいでいるようです。しかし受け取り書がない限り、点滴1本打ってもらえないとはな。
ようやくおかゆが食べられそうになったら、すぐ退院予定です。理由はお金がないから。烏は、退院時には粉ミルクや栄養ドリンクや果物を沢山も持たせる心づもりです。
たとえ、あぶく銭(学振)であれ、1年7ヶ月も悠々と入院できた烏とは大違いです。国民保険に入っておいて良かった。と言うか国民保険があってよかった。もう、何でもしちゃえって、せっかく入院したんだし血液検査も、MRIも、脳波も、筋電図も、エコーも、レントゲンも、これでもかこれでもかって云う程、検査したからなあ。
だけど前回の入院では「たった」5週間で、いきなりかつてない25万円以上の請求が来てあわをくいました。それでスペイン帰りの烏は入院費を払ったら、預金がはじめて1万円を切りました。だもんで、フィリピン行きの費用と生活費のためにのしょっちゅう会計係のお姉さんに「ねえ、まだ?まだ?まだ科研費は降りないの?」って聞きに行ってました。正直に言って、今回のフィリピン行きの目的のいくらかには、科研費をもらうための「出稼ぎ」が入ってます。
なんで25万もかかったんかなあ。くわしい明細が知りたい。内科で好きなだけ検査をしても月に22万ぐらいやったのに。と、学振費をもらっても、所詮はほとんどを文部省収入係に取られてしまっている烏は悩むのだった。どえらい研究や。もらった金をもらったところに、ただそのままかえしているだけや。まあ、それはおいといて。
今は、飲むことも、食べることもできないマリセールに直接どうにもしてあげられなくて、マリセールの妹のギンギンとさんざん内輪の笑い話をして、(烏がバイクでこけた話も当然入っている)笑わせ元気づけました。そしてギンギンに、だいたい一日分の入院費に相当する1000P(3000円ぐらい)を握らせて帰ってきました。他にどうにもしようがない自分にちょっと切なくなりながら。
ただ、興味深かったのは近代病院の中に、堂々とビネサヤ(ビサヤ独自)の治療法が入っていたことです。マリセールはたとえわずかでもと、良く効くと家族が信じているアユンゴンの呪術師の祈祷済みの水を飲まされてました。マリセールの同室の、別の人は烏がしてもらったようなヒランタウ(あんま術師)によるヒロット(あんま術)を受けてました。マリセールの妹のギンギンが薬草を持っていったこともあったしな。もちろんこういった治療は、家族が病院とは別に、勝手に頼んでするのですが。病院の方も、それに対しては文句をいうつもりはないようです。
京大病院にも全快地蔵とかが、あることですし。ようは良くなれば何でもいいのかもしれません。精神科の先生が「わしらは現代の呪術師や」と言ってましたが、「従来の呪術師」が点滴を受けている病人に対して、病院で堂々と仕事をしていたらこれいかに?
どおりで、州に精神科医が一人しかいらないわけだ。「現代の呪術師」を呼んでこなくても、もっと安価に「従来の呪術師」が病院に来てくれるもんな。だけど、それだったら烏も、のんべんだらりと1年以上入院できなかっただろう。けっこう入院が、おもしろかったらしいからな。
そういえば、うちの精神科の先生は「どうや、ロールシャッハテストってよう当たるやろ。わし仕事無くなったらロールシャッハ八卦見でもしようかな」と言っておりました。この人はいつも思いつきで、訳のわからんことを云います。「寒いのが嫌だから、沖縄の医者になりたい。」だの。何を考えてんのか。そんなに寒いのが嫌だったら、フィリピンの呪術師のでもなれっちゅうの。フィリピンの方が、沖縄より暑いぞ。それなら、烏もここの「ヒランタウ(あんま術師)」になれそうだわい。
リハビリ現地報告40
パッタイ
ここでは、「死ぬこと」も、ものが壊れて「二度と使えなくなること」も、ひどすぎる「無体なこと」もパッタイと言う。ついに扇風機様がパッタイなされた。今まで何度も死にかかり、その度に扇風機の首をはめ直し、微妙な角度に持っていってやると復活なさっていたのですが。今日はバチバチッと火花をお吹きになり、ビニールコードが焼ける嫌な臭いが立ちこめてそれきりになられました。今度こそ本当にパッタイだろう。
それで、テラスにあった扇風機と取り替えた。テラスにあった扇風機は、ナショナル製の上物だ。だけど、あの壊れかけたフィリピン製のどうしようもないけだるさが好きだったんだけどな。首も自動でまわんなかったから、烏がいつも足でちょいちょいって気に入った角度に回してた(だって腹這ったきりだもん)。ナショナル製は風が強くてちょっと立派すぎ。何を言ってんのだか。
それはともかく、ここにいると、すぐに家族や親戚の誰かが「病気で借金」だとか、「病気の上に葬式で借金」で首がまわらん。っていう事件に巻き込まれているな。パッタイって、しょっちゅう云っているような気がする。それが本来の人の世のあり方なのかしらん。と思ってしまうほど。
それにパッタイには、その次にロオイが付いてくるんだな。ロオイは、心配するとか、かわいそうだとか云う意味。パッタイが本当に悲しみのこもった人の死になってしまった時、パッタイはマタイという言葉に変わる。
ビサヤでも一世代前までは、このロオイは無敵だったような気がする。ロオイをなくすと情け知らずと思われる程、ロオイロオイで助け合ってきた。最近は街ではロオイが、ネゴシオ(商売)やクワルタ(お金)に変わってきたような気がするが。でもやはり田舎にはロオイの世界観が生きていて、何かあるとロオイロオイで助けあう。すぐにサキット(病気)になってパッタイしマタイする世界には、「再び」は無いから。
いつもバリックバリック(帰ってきてね、又来てね)って云われるけど、それは「又」、「再び」がめったに無いから大事な言葉なのかもしれない。パッタイが身近で、ロオイにあふれているからこそ「又」、「再び」の「バリック」があったとき、それだけうれしいと思うのかもしれない。
最近、ひらがなでお習字する材料に事欠いて、悪魔のロザリーの旦那から西行の本を借りた。悪魔のロザリーは今、親戚の葬式でルソン島のオロンガポにしばらく行っている。で、暇な旦那が豆腐を作ったから食わしてやるというので、ほいほい食いに行った。この人は豆腐もみそも自分で造っているので、豆腐は大層うまかった。
今後もし烏が「碁」を覚えると、もっと食わせてくれるらしい。だもんで「碁」の入門書を無理やり持たされた。「碁」と「将棋」は幼少のみぎり、父から手ほどきを受けかけたが。烏は父がトイレに行っているすきに、自分に有利なように勝手に石や駒を並べ替えてしまうので、父はそれに根負けして、と言うか率直に言うと怒ってそれきり教えるのをあきらめた。だから未だに、はさみ将棋と将棋倒しと、五目並べしかできない。
昔からそう言う余計な知恵だけ働いたので、体系だって何か習ったり、覚えたりせずに来てしまった。有り体に言うとだ、習うだけの根気がないのだ。パッタイ。だが、食い物がかかっていると多少はやる気がでる「かも」しれない。
まあそれはともかく、西行は昔から好きだったので、今回再び西行の歌を読み返してみた。昔は分からなかった、無常観にあふれてる。簡単に人が死ぬ世だったからなあ。貴族社会から、武士社会に移る乱世だったし。しかも、あきらめた世の中に、あきらめきれず。捨てた身に、捨てきれず。特に30歳代から50歳代は、乱世の始まりのなかで、親しき人を次々亡くして。西行のパッタイや、マタイでロオイな気持ちの歌が続く。
西行自身は自分が病気になった歌をあまり残していない。が、良寛なんて病気やじじいになった歌がいっぱい。それに、年を取るにつれ親しい人をどんどん無くしマタイで、ロオイな歌がいっぱいだ。友達が来たら、次の日まで切ながって思い出して歌を作っているし。人が死んだら、いつまでもしつこく、ここに来てもあいつに会えないって嘆いているし。李白も酒飲みで適当でええ加減なおっさんだっだが、友人を亡くして哭すとか、友人をどこまでも見送る、という別れの切ない歌がいっぱいだ。無常観とは、ロオイな世界観であったかとちょっと思ってみたりする。
昔は、西行の歌では「ねがはくは花のもとにて春死なむ
その如月の望月の頃」
と言う歌が一番好きだった。 10年ぐらい前、中国の留学生楼にいた時に、記念にいろんな国の奴が壁に自分の好きな言葉を残してた。だから、烏はこの一首を落書きした。今思えば、あの頃はまだ自分の「死」のことばかり考えていたような気がする。
でも今、西行の歌を読み直すと
「津の国の難波の春は夢なれや
蘆の枯れ葉に風わたるなり」 と言う歌が気になって仕方がない。その分、いろんな人の生病老死を感じるようになったのかもしれない。自分が津の国(摂津)で育ったからかもしれないが。
だけど
「われもさぞ庭のいさごの土遊び
さて生ひたてる身にこそありけれ」 でも、烏は、未だに庭の土遊びに夢中になっている。本当は「さて生ひたてる身にこそありけれ」なんだけど。本当にパッタイだ。
今から「碁」も覚えなあかんらしいし。ようは、陣取りゲームなんだろうけど。モズ頭の10歳児には難しすぎるぞ。万が一、覚えられたら精神科の入院生活が、もう少し楽しめるかもしれないが。ちなみに精神科の主なゲームは、卓球、碁、将棋、花札、麻雀、オセロだ。いつも、烏はオセロで負けていた。目先の利益に走るからだ。最初はいいけど、後でパッタイしまくって、ついにはマタイするのだ。長期的な展望をする頭がない、といえよう。ロオイマン コ(あわれなやっちゃ)
リハビリ現地報告41
烏3度目のパンクをする
ここのところ1週間足らずで、3度パンクしている。烏躁転しかかってんのか?と、多少危惧する。
とりあえず、「行ったら絶対これだけはしないといけない」と思っいたじいちゃんのお誕生日祝いをした。ただし、行くことだけで疲れて、山ではほとんど寝てた。街で鶏の丸焼き3羽買って、巨大なデコレーションケーキを持って山に上がるのでせいいっぱい。行くだけで、本当に疲れた。
だもんで、行ってすぐに今年新たに作ったというテラスの手作りの寝椅子に倒れこんだ。おおよそ、2時間程意識が飛んでいた。このテラスも、親族のうちの大工仕事が好きなものがよってたかって手作りした。疲れていた烏は、夜のお誕生日会までパワーを温存するためにお手伝いをしてはいかん。と、目が覚めてからも薬をまた飲んで、わざと自分を寝かせておいた。
ジャガイモの皮むき(やはりジャガイモは田舎ではごちそう料理なのだった)や、スパゲティのチーズ削りとか、いつもはしている料理のお手伝いもせんかった。ちなみに田舎のごちそうのスパゲティとは、ぶにゅぶにゅにゆでたスパゲティに挽肉を混ぜ、バナナケチャップ(トマトケチャップの半額)であえて、最後にプロセスチーズの固まりをフォークでぶっかいたものを混ぜるのだった。当然スパゲッティはどれも5cm以下になるのだが、それが田舎の正当派スパゲティなので、この世の中にはもっと違うスパゲティがあると云っても通らないのだった。
そこで「本当に、料理が上手でしょ。」と、おばちゃんに同意を求められると苦しい。しかも、たらいに一杯程作っていた。
もう今回は完全にお客さんモードだから、寝ている間にそっと蚊取り線香を焚いてくれたのも知らず、夕方には寒いと言って上着まで借りてさらに寝た。テンションはすべて、お誕生日会までとっておいた。じいちゃん達は鶏を2羽つぶした。おばちゃん達は、こんなに食べられんのか?お客さんは何人来るねんと言うぐらい、大量に料理していた。ご飯も大鍋で、あけたら小山になる程炊いていた。
結局お誕生日会は、いつも畑仕事を手伝ってくれている人や、近しい間柄でごく内輪に行われた。それでも12~13人は越えていた。だけど食べ物の件で案ずることは、ちっともなかった。来た人全部に、おみやげとしての「お持たせ」があったからだ。来た人の家族の翌日のご飯になる程、みんながそれぞれの料理を、帰る時に持たされていた。
お誕生日会の間、いつものお祭り騒ぎと比べて烏は静かだった。だが、お客さんへのサービス精神というか悪のりがでて、犬や人と踊っていた。これが出るからパワーを残しておかなきゃいけない。烏を会の主催者にすると、フルパワーでサービスするから。
入院してからこの方、烏が主催するとハイパワーを出して倒れるので、古くからの友人のなかでは集まっても、烏はいるだけで何もしなくていいことになった。だいたい当年取って10歳だし。子供はいるだけでいいのだ。
その夜は、当然烏はお泊まりだった。その前の晩は、どのケーキにするかから始まり、どうやって持っていこうなど、諸々のくだらない事で気が立ち、ほとんど寝られなかった。そのくだらない悩みには、病院以外の自由にならない場所で寝たことがないから、山で寝られなかったらどうしようというのも入っていたんだけど。
とりあえず、夕薬と眠剤を一緒にすると寝やすい。だから、山ではとっぷり夜が更けたことになる10時頃にまとめて飲もうとした。するとただでさえ多いお薬が、山のようになる。10数錠をいつものようにまとめて飲もうとしたら、おばちゃんに「ハラ!バリン ダグハナ(ええ!なんてたくさんの)」ってびびられた。まあ日本人でも、これだけの量をいっぺんに飲んでるのを見たらびびるだろう。
ほとんどが同じ目的の薬なんですけど。卵巣ホルモン以外は。抗うつ剤と感情調整剤をのぞいたら全部眠剤だもんな。だけど目の前でざらざら薬を飲むことで、「本当に病気」だということが分かってもらおうとした。
それで、蚊がぷんぷん飛ぶのをうるさいなあと思いながら寝た。そう言えば、昔は蚊帳をつってたんだよなと思いながら。じいちゃんの揖斐をずーっと聞きつつ、枕元に追眠を置いておくのを忘れたなあと後悔したけれど。それで、みんな既に起きている気配がするので、翌朝は6時過ぎには起きた。でも、家で一番遅かった。
みんながすでに「生活」を始めているなか、一人朦朧としていた。で、朝薬を飲み「これが効いてくるまで30分はうごけん」と言って、寝椅子に犬みたいにくるまっていた。のに、何が何でも人に飯を食わせないといけない文化だから「朝飯を食え、朝飯、朝飯」と騒がれて、横にならせてくれなかった。病気やっちゅうたやん。薬の量も見せたやん。から怖いちゅうねん。病院以外のよそでお泊まりするのは。たとえ実家でも。
その後、まだ全身鬱モードというか、脳内物質が安定していないと言うか、脳が腐った状態でバイクの後ろに人を乗せ、近くの親戚の家に行く事になって「こけた」。山の石だらけのオフロードで。でも、自分のことより後ろに乗せた人が怪我してないか、気になって自分はバイクの下敷きになったまま「大丈夫か、大丈夫か?」って喚いた。幸い、後ろの人はたいした怪我じゃなくてすんだので笑われた。烏ときたら、もっと怪我していたのに。その上、鬱で自分でバイクを起こす気力も体力もなかった。病気やっちゅうねん。
やはり朝はだめであった。それでもなんとか街まで降りたら、やっぱりハンドルがぶれる。それ以後、どんなに慎重に運転していてもハンドルを取られる感じがする。下宿に帰って、後で見たらやっぱり前輪がパンクしていた。それで、昔はなかったところにできていた一番近い修理屋に行った。すると、ムシのところが取れかけていてまたもやゴムを巻き付けて、まったりと火にあぶられた。
こけたショックで、右足を乗せるステップがえらく後ろに曲がってた。スタートする時のキックもしにくければ、フットブレーキも踏みにくい。明日直しに行こうかな、と思っていた。でも、何にも云わないのにパンク修理の兄ちゃん達が、「これじゃ不便だろう」って、ぐいって元に戻してくれた。親切な人たちだ。バイクに乗っていると時々こういう親切な人に会う。
烏はよくライトを消し忘れたり、スタンドを降ろしたまま走ってしまう。スタンドを降ろしたままだと大変危ない。すると、それを見つけた誰かが大声で叫んで教えてくれる。ありがたいことだ。だからやっぱり、セブアノ語じゃないところではバイクは乗れない、と思う。
うーむ。これでもちょっと頑張りすぎたかね。自分ではよく分からないのだが。とにかく朝はだめ。特にバイクに朝早く乗ると危険だ。あれは午後の乗りもんだ。それに山では、どうやっても「鬱」は分かってもらえない。と、言うことがよく分かった。
去年は最低限しないといけないと思っていたことも、友達の手を借りていた。それでも、結局出来なかったことがほとんどだ。それが今年は自分なりにこなそうとしている。それが、ちょっとは成長しているのか、頑張りすぎの結果なのかよく分からない。だけど背中は痛いわ、朝から動けんわ、ほんまに体全体がえらいのだった。
でも、こけた時ミラーとかどうでも良いところが壊れたし、エンジンオイルも変えなきゃいけないし、排気管も掃除した方が良いし。やっぱり明日は笑われるだろうけれど、明日の午後になったら、「またこけたー」っていって例のスキのエンジニアの兄ちゃんの所に行こうっと
リハビリ現地報告42
ギャップ
宮沢賢治詩集の「母に言ふ」を読んだら、此奴は本物の阿呆だ。と思った。阿呆になることは簡単で、大変に難しい。気がついたらすぐ小利口になる自分に嫌気がさして、時々死にたくなる。だけど、「こんな事ぐらいでいちいち死んでいては、ますますやってはいられないから、とりあえず生きることにする。」と言う詩も、どこかの詩人が歌ってのを昔読んだいたなぁ。と、思い出す。烏も今、そんな感じ。
山から街に下りてきて、下宿でぼーっとしていたらインドネシア人の友達が呼びに来た(電話が壊れていることに怒っていた)。彼女はキリスト教系のインドネシア人で、姉妹そろってフィリピンに留学している。だから、インドネシアでは、彼女の家庭はけっこうお金持ちだ。
彼女は、中流家庭出身の日本人学生達とはつきあいやすかったらしい。かつて遊びに行く時は、彼女と日本人達という不思議な混成グループがあった。それで「妹がクリスマス休暇で帰国するので街のレストランに行こう」、と言う誘いと、「カメラ貸して(烏の方が性能が良いから)」というので、わざわざやって来たらしい。
だから夕食は彼女たちと食べに行くことになった。最近改装した、街ではかなりお上品な外国人や、金持ちフィリピン人が行くレストラン。そこで夕食に200Pもかけながら、今日の昼までいた村の暮らしとのあまりのギャップにくらくらしそうになった。メニューには、もちろんいろんな種類のスパゲティがある。バニラアイスとフルーツのクレープなんて、街の他の場所では見たこともないメニューがある。
一緒に食べたのが全員インドネシア人だったので、会話のほとんどはバハサ インドネシア(インドネシア語)だった。でも、それはインドネシア研究研究者や、インドネシア人留学生の多い京都の大学の飲み会で、共通語がインドネシア語の事もあったので気にならなかった。時々インドネシア語の単語が分かるので、一緒に食べていた子達におののかれたぐらいだ。さびしいけれど、京都の大学に帰ってもセブアノ語なんて分かるのは、烏の他は2人いるフィリピン人の先生のうちの一人だけだもん。
で、烏は黙ってにこここして食べながら、クラクラしていた。なーんにも矛盾や問題もなく外の世界と同居できている彼らと、昼までの村の生活とのギャップについていけない烏と。今、5人で食べているけれど、その支払いだけでマリセールの1日の入院費だよな。今日ギンギンは育てていた豚を売ったが、あれもマリセールの薬代にするためだよなと思いながら。
インドネシア人の友達は日本人学生とのつきあいが長いので、決して一般的に思われている程、日本人学生が金持ちではないことを知っている。学期休みに帰って、思い切りバイトをしてお金を貯めてきたり、節約できるところでは、無駄なお金は使わなかったり。ましてや、毎晩は飲みに行ったりはしない。
でも、その友達の妹は、日本人は金持ちだから、毎晩遊び歩いていると思っているらしい。「毎月たくさんお金を使うんでしょ」って聞かれた。すると姉である友達が「説教してやって説教。妹は毎晩飲みに出かけたがるし、タバコ代はたくさん使うし」。彼女たちは安くて狭い下宿屋に住んでいるが(お金のためだけでなく、大勢で一つ屋根の下に住むのが好きだとしか思えない)、妹は毎晩、バーやビリヤード場に行って、飲んで遊びたい盛りなのだ。
烏は、病気なので下宿からほとんどでないし、寝たきりだし。健康と精神衛生のために多少、食費はかけてるけど。でかけても、夜ぼーっと一人で海を見てたり、離れた海辺にバイクを飛ばしておぼろ月を見ていることが多い。だから「コーヒーも自分で入れるし、自分の家でほとんど食べているし。あんた達みたいに、いつもいつもスーパーリーのコーヒーショップで見かけたりなんかしない。タバコも吸わない」って云った。すると、すぱすぱタバコを吸う妹は「パッタイ」っていってけらけら笑った。
阿呆になるのは簡単で難しい。阿呆になりきれず、今日も烏はのたうつ。
リハビリ現地報告40
ンガノマン?
3年前には、何故か日本人学生や。青年海外協力隊員や、NGOの兄ちゃん達がいろいろいた。だから、時々日本人のなかでも話の分かる人たちとご飯を食べていたりした。今は日本人自体がめっきり少なくなって、日本人学生の親しい友人はみんな卒業してしまった。遊びで語学留学している姉ちゃんとは話す気にもなれんし。仲の良かった協力隊の姉ちゃんはサマール島と言う別な島で、もっとハードなプロジェクトに取り組んでいる。
こっちの人と何とか取っ組み合ってでも、真剣につきあおうとする日本人がめっきり減った。だから、悪魔のロザリーの旦那(女房に振り回されているが、めげんなぁ)にたまに会うぐらいだ。自分が育てている子供も、大層パパっ子なので、おじいちゃんが世話するように相手をしてやっている。最近では、血がつながっていようと、いまいとどうでも良くなってきたらしい。なつく生き物はかわいい、と言う感覚みたいだ。
その人を除くと下宿のおばちゃん達と話すか、山の村の人らと話すか、そこらの街の人と話すか。街の友達の家族の所に転げ込むか。で、セブアノ語ばかり。でも、一度山に行く度に「どどどどどどどど」ってセブアノ語が、音を立てて戻ってくる。一つでたら芋蔓式に、わわわわって押し寄せてくる。来た当初はすっかり忘れていたのに。
だけど烏はセブアノ語を全部思い出したわけではない。しかもボキャブラリーが10歳児なみに偏っている。「おなら」とか、「げっぷ」とか、「鼻くそ」とかどうでもいい単語が思い出されて、「走る」とか大事な単語が思い出せない。でも、少しずつ生活に必要な単語が戻ってくる。
山の家は動物好きで、花好きのクヤ・ビックによって九官鳥が2羽も飼われていた。総じて山の家族は、動物好きなのだ。犬も5匹いるし、猫も5匹いる。牛も豚もいて、鶏なんか無数に走り回っている。その鶏を、じいちゃんは全部把握していると云う。昔、烏が気にしていた片足の悪い雌鳥のことを覚えていたので、たぶん本当だろう。体を悪くして、畑を耕せなくなった今でも、自分の家の牛の分だけでなく隣の親戚の牛の分まで草刈りに行く。でも、これらの動物はみんな、家の番をしたりネズミを捕ったり、食べられたり、売られたりして生活の役に立つ。
だけど、九官鳥みたいなもん飼ってどうすんだ?こいつが「ウンサマン(何)?」ってしゃべる。だけど烏には、「何?」も大事だけど、「ンガノマン(何故)?」が知りたくて、しょっちゅうンガノマン?って聞いていた。だから冗談で家族に「今度来るまでに、九官鳥がンガノマン?って云うようにしといて」って頼んでおいた。
とにかく、ここの人とっては「原因を検討すること」より、その場の「現象に対応すること」が大事なようだ。もっともらしい理由より、もっと直裁的に動く。だから、烏があらゆることに「ンガノマン?」って聞き倒すのは不思議だったらしい。で、なんで九官鳥を飼ったか「ンガノマン?」って聞いたら、「しゃべるから楽しい」だって。それこ「そンガノマン?」だ。高かったろうに。預金より、日々の生活を楽しくするためにお金をぱぁって使っちゃうんだろうな。で、病人がでたら大あわてで、金策に走り回る。
常々思っていたけれど、日本人は「明日のために、今日を預金(がまん)する」。だけどここの人は「今日のために、今日を使う(楽しむ)」。どっちがいいか分からないけど。
烏は入院してから、預金というものを全くしなくなった。次々に、遊びを見つけてお金(学振と言うあぶく銭)を使い果たしてきた。以前は、バイトしたお金を自動積み立てとかしてたんだが。信じられない変わりようだ。子供がもらったお小遣いを毎月すっかり使い果たすように使っている。
いろんな種類の本格的なお絵描き道具から、お習字の道具。本代。お香、野点用の茶器。映画。枕元には花をかかさなず、魚も飼って、花壇も作った。スペインにも行ってみた。もっとも入院費などの医療医が、馬鹿にはならなかったのだが。いろいろな検査は受けたいから受けていた様な気がする。一度やってみたかったていうのがあるに違いない。
大概の人に不審がられるというか、不気味がられるものが烏の部屋にはある。烏の上あごと、下あごのそのままの石膏型。それとは別に舌の型まで付いた、烏の歯形。それに産婦人科の先生が貸してくれたフィルムを焼いた、烏の脳のMRI写真。目ん玉なんかが輪切りになって映っている所なんて、けっこうおもしろい。
形を変えた、烏の自己確認。血液検査だって、血糖値検査だって徹底して自己を数値化することで自分を見てみたかったという自己確認の1種のように思っているんだけど。ちなみに最も手近なところでは体重計がある。最初の入院の時は毎日血糖値。去年フィリピンに来た時は、毎日体重を計っていた。でも、今は「まったく」使ってない。だからスペイン行き以後、かなり太った。
今は「行動すること」や「書くこと」で自己確認しているのだろうか。そこら辺はよく分からない。「いつかしたい」と思っていたことを、「今しかない」あるいは「何で、今だったらいけないのだろうか」と、後先考えずに次々している。
だんだん「ンガノマン?」が、とれていく。研究者としては、それがいいのか分からないけど。いまはンガノマンよりぼーっと、そこのときのながれにたゆたっている。
スペインに行く前、いつもプロジェクトや雑用で走りまわっている助教授に「何で行くの?」って聞かれた。それに対して、「暇だから」って答えて唖然とさせてしまった。本当は、ずっとスペインに行きたかったんだよ。そして、それにはいろんな理由がくっついていたんだよ。だけど理由はともかく、その時に初めて「いける余裕」ができた。だから行ってみた。
今のところは、「それでいい」と思っている。と言うか、思うことにした。今まで理由を考えすぎた。でも、今は子供のようにしたいからする、でも先は知らないよーって。だってケーキをどうやって運ぶか考えただけでも、寝られなくなるもの。今は子供みたいに、深く理由を考えないでいよう。後付けで理由はいくらでも考えられる。
その上、九官鳥みたいに「おしゃべりするのが楽しい」からしゃべっていよう。そのおしゃべりにつきあわされている、先生をはじめとした大人達は大変かもしれないけれど。そんなこと、知らないよーだ。子供は、もはやそれを考えない。だってここに居たら、おしゃべりを聞かされて辟易しているかもしれない、大人の文句は聞こえないもの。「あっかんべー」だ(いやあ、ほんまに子供ですね)。
それはあまり研究者っぽくないかもしれないが、研究以前に、自然と生きられる人間になりたい烏だった。
リハビリ現地報告41
タイガーバーム
烏は沢山の種類の薬を使い分けている。何かがあった時に痛みやかゆみなどの体の反応が激しい。そのうえ化膿しやすいからだ。だから、いつも一杯いろんな薬を持ちあるかなければならない。入院する前からずっとそうだった。日本にいた時も、フィリピンに来る時も薬長者だった。今ほど、神経質でも大量に必要でもなかったけれど。
有り体に言って、今また全身がかゆい。山で、またけっこう虫に刺されてきたせいだ。だが、本当にかゆいスポットは限られているのに全身がかゆくてたまらん。かゆくて発狂しそうだ(もうしてるって)。ガンガンレスタミンを塗って、必死で止めようとしているが、止まらないので掻きむしりまくっている。うぉー。
たまらないのでシャワーを使ったら、左肩に無数の星をばらまいた様にかさぶたができていた。このあいだのダニ事件のせいだ。はっきり言って土方焼けしているので、Tシャツの袖口から上だけ異様に白い。と言うか袖口から下だけ異様に黒い。だから、白い方のかさぶたがやけに目立つ。あれだけ必死で止めてもこれだぜ。くすん。
で、やっぱりズボンの上から擦り傷と打ち身を作った膝が、めちゃくちゃ痛い。烏は腰と背中の痛みと、左足の神経の鈍さで神経内科に何度かお世話になった。神経内科では膝蓋腱反射の検査をいつもされていたけれど、今されたら絶叫ものだ。ちょうどそこの上をざりざり擦って、膝蓋腱のあたりを打ったのだ。それは、腹這で生きている烏としては大不都合なのだ。
だから擦り傷には消毒とゲンタシン。打ち身には湿布を貼っておく。だが消毒薬が予想以外の所にだらだらたれたらそこがまた「うっ」。知らないうちに、ひっ掻いて傷を作っていたらしい。本当に油断のならない烏だ。傷になる程、掻くなっちゅうに。でも知らず知らずのうちに、自己確認をしてしまうのは意思の力の範疇外だ。
だから烏は、レスタミンというかゆみ止め愛好者だ。体にあんまり良くないのを知りつつも、子供の頃からリンデロンなどの抗ヒスタミン剤が大好きだった。かゆかったら、血が出るまで、皮がむけるまで掻かないと気が済まない。無茶によるための怪我も耐えない。だから、消毒のためにイソジンをいつも持っている。そして皮膚以外のところが痛かったら、ロキソニン、湿布、インテバンと各種総動員だ。
体の1カ所に「わわわっ」て神経の爆発が起こると、そこに意識が集中してしまう。もう、これは烏が持って生まれたものだからどうしようもない。かゆみ止めや痛み止めと同時に、安定剤をゴンって入れて自らに御静まりいただくしかない。お薬で神経伝達物質に御静まりいただきつつ、何とか気晴らしをして意識を別の方向に向ける。だからいつも気晴らしやお遊びが必要だ。そうでないと死んでたほうがまし、になってしまう。薬と心理療法を、自らに対して併用する。かわいそ。
で、山で烏が、しこしこ蚊に刺されたところにレスタミンを塗っていたら、おばちゃんがタイガーバームを持ち出して「真美のは臭いがないね」って。確かにタイガーバームのあの強烈な臭いに比べたら、無いよな。
そして次の日、朝は辛いのにヘルニアのベルトを巻いて、ロキソニンを飲んで歩いていたら(実はせっかく畑とか案内してもらっても、ここのところ朝はずっと鬱でかなり意識が飛んでいた。興味がいつものように持てない。歩くのもしんどい。)背中が痛かったら薬を塗ってあげると、またもやおばちゃんのタイガーバーム様がお出ましになった。一応痛み止めには、湿布とインテバンも持ってきているのですがね。
で、いつものように体温調節もおかしいので、ドウドウ冷や汗をかいていたら「おかしいよ、この子は」って。「だから病気やってゆっとるやろう!」とは云いませんでしたけれど。「頭が痛いのか、痛かったら頭にも塗ってやろう」と、危うく頭にもタイガーバームを塗られそうになりました。頭痛にもタイガーバーム。何でもタイガーバームかアルコールの消毒液。
万能薬のタイガーバーム様。さすが香港にタイガーバーム公園をぶっ建てただけのことはある。安いし、万能。ちょっと筑波山の「がまの油売り」か、富山の薬売りの「万金丹(でしたっけ、辞典がないもんで)」を思い出してしまった。
この家族と居るとタイガーバーム様やアルコールが大活躍。たぶんフィリピンの他の家庭でもそうだろう。タイガーバーム、アルコール、アスピリンは田舎のサルサリストア(雑貨屋)でもあるもの。これらだとまだついてゆける。
だけどそのうち、アユンゴンの呪術師の水薬が出てくるからな。何が一番効くおまじないかは、その家族ごとによって違うのだけれど。ここの家はアユンゴンの呪術師が祈祷した水。マリセールが、無理に飲まされていた奴。飲まされるだけじゃなくて、紙に浸しておでこに張られたり。家族にとっては、プラシーボ効果がたっぷり含まれている。
去年、烏が中耳炎になった時のこと。耳が痛いと云ったら、耳の上にアユンゴンの水でびしょびしょに濡らした紙を耳に張られた。中耳炎が悪化したのは、その水が耳に入ったからだと思うんだけどな。少なくとも烏には、アユンゴンの呪術師の水はタイガーバーム程の効き目がないようだった。烏は5歳に戻ってもアユンゴンの呪術師を信じられない、へりくつ娘なので
リハビリ現地報告42
鉄のロバ
バイクを直しに行ったら、スキの兄ちゃんが「また事故ったんかあ」とあきれつつ笑っていた。そして取れたミラーやら部品をくっつけてもらい、以前から気になっていたエンジンオイルも取り替えた。ここまで来ると部品を売っている別の兄ちゃんも気の毒がって、3P(10円ぐらい)店とは別に自分の裁量で負けてくれました。
なんと今度は金色のミラーだ。部品を売っている兄ちゃんがおもしろがって、どうせなら金色にしたらって出してきた。で、悪のり烏は、派手でめちゃくちゃの方がバイク置き場に並べた時に見つけやすいので金ぴかにした。京都で乗っている自転車も同じのりで、ぼろぼろの紫の車体に赤いサドルだし。このバイクも、おんぼろのくせにだんだん派手になるよな。
それで事故る前から気になっていた、ガスガスガスっていう、いまいちな音も何とかしようと思った。だから排気筒の掃除も頼んだのですが、なんと「エンジンから排気筒へ接続するパイプに穴が空いている。」だと。「溶接しないとだめ。」だと。このガスガスガスっていう音は以前からしていたので、くそ牧師がやったに違いない。エンジンオイルも真っ黒だったし。どおりでやたらと燃費が悪くなってると思ったんだよな。エンジンオイルを変えただけで、かなり軽やかになったもの。
だから明日はスキの兄ちゃんと、溶接屋に行って穴を修理することにしました。スキの兄ちゃんは9時にこいと言ったのですが、そんなに朝早くから動ける自信のない烏は、10時にしてと泣き言を言いました。
その修理屋で、部品の取付中やエンジンオイルの交換中に、つらつら修理中の他のバイクを見ていました。他の大きなバイクも修理中で外面のカバーを取ってあります。だからエンジンや車体やブレーキという骨格や内蔵がむき出しになっている。その分、中身の立派さが目につきます。「鉄の馬」という感じです。
烏のはそれに比べて、外見も中身も貧弱に見えて、まるで「鉄のロバ」です。だけど、烏の道連れはこの「鉄のロバ」君なので、せいぜいメンテナンスだけはきちっとしてやって、これからも飼い続けてやろうと思います。「鉄のロバ」とサンチョ・パンサのような烏。なんだかおかしな組み合わせです。そのうえ、このサンチョ・パンサは時々ドン・キホーテ化するし、笑えます。そういえば、スペインのコルドバの、サンチョ・パンサが泊まったといわれているポトロの宿の近くのボテルに、用もないのに4日もいたんだよな。毎日摂氏41度で、暑い暑いと云いながら。
くそ牧師が使っている間に、びりびりにほころびたサドルにも派手なサドルカバーをつけてやろう。クヤ・ビックは同じバイクに20年も乗り続けている。烏もこの島に通う限り、このロバを道連れにして行こう。他者の追づいを許さない「烏のロバ」にするのだ。フィリピン人でも唖然とするような、落描もする!(またくだらないことに能力を使いそうです。)
で、次の日。「溶接屋に一緒に行くから朝の9時に来い」と言った兄ちゃんに、泣き言を云って遅くしてもらったけど、やっぱり朝はだめでした。脳内物質がむっちゃ不安定。がんばって9時に起きようとしただけで、くらくらする。
友達が、部屋に置いていったでかいミッキーマウスの目覚まし時計は、かけた時間になると「Good
Morning! Good Morning!」と、しゃがれた明るい声で喚き散らします。あまりのうるささに、ミッキーマウスの頭をどつき(頭にボタンが付いている。)、ベッドに再び突っ伏して呻いていました。ミッキーマウスの明るい笑顔に憎しみすら覚えました。うううううう。
「朝はあかんて・・・・・・。」で、薬を飲んで動けるようになるのを待ちました。だけど薬ぐらいじゃ動きそうにないので、9時半頃、道中にあるいつものケーキ屋でケーキ食わせてやるからと自らを励まして下宿をでました。ですが、エンジンオイルを変えて、加速が軽やかになった分、危険になりました。頭がぼけているのでブレーキを効かせ切れず、ケーキ屋の前の工事中の砂利の山につっこんで止まりましたもん。それを見ていた工事のおっちゃんとかは、唖然としていましたが。まあ、そんなもんです。「朝はあかんて・・・・・・。」
ケーキ屋で、例のオレオチーズケーキとコーヒーを頼み、どうかコーヒーのおかげでこのボケが、少しでもしゃっきりすることを願いました。なんかしらんが、最近はケーキの一切れを大きく切ってくれ、コーヒーもなみなみと入れてくれるようになった。スキの絆を感じるぜい。そのうえ、チョコブラウニーまでかじりました。
が、やっぱりぼけたままで、混み合うハイウェイの側溝にはまりました。「朝はあかんちゅうに・・・・・・」。それでようようにして、スキの兄ちゃんの所にたどり着いて、一緒に溶接屋に行きましたが「酸素が切れているので午後の3時にまた来い」と言うではありませんか。溶接屋の場所も分かったし、壊れた箇所も溶接屋に分かったので、また午後に一人で出直すことにしました。「なんやったちゅうねん。この朝は・・・・・・。」家に帰ったら、気力が切れて、ばたんとベッドに倒れ込み2時間程気を失っていました。
それで、午後に出直したら溶接の仕事を再開しています。酸素が届いたらしい。何人かが、そこで働いていたのですが、ゴムゾーリと短パンでアセチレン溶接をしている。しかも不可解な造形物を作っている。どうせ個人から頼まれた、訳のわからんオーダーメイド作品だろうが。ここでは何でもオーダーメイド。何が必要とされるかは、すべて顧客の好みと必要性による。だから、既製品なんかとおらない。だけどそんなかっこで溶接の火花とばして、危なないんか、おっさん。見ている烏は、怖かったぞ。
で、烏のバイクの修理も無事終わり、最後の総仕上げにびりびりに破れた、サドルカバーを直すことにしました。このひどい破けようは、ボケ牧師が人のもんだと思って雨ざらしにしておいたからに違いない。くそ。でも、サドルカバーだけ売っているサドルカバー屋には、いろんな色のサドルカバーがぶら下がっているます。むふふふ。
だけど烏のにちょうど合うのがない。だいたい、普通はバイクなんて一財産だから、烏の型のバイクのサドルカバーが、こんなにすぐに破れるような扱いをしないもん。それにつけてもボケ牧師。今度会ったら殺す。
で、結局オーダーメイドに。その時、店にあった生地の色がピンクと黒だけで、店の人は当然、元の色と同じ真っ黒にするだろうと思っていたのですが。烏はいっそのことと、ピンクと黒のツートンカラーにしてしまいました。おんぼろだけど、烏ズオリジナルのど派手なロバ。
烏は、あと何度この島に来るのかさっぱり見当もつきません。こっちの大学の大学院を卒業した日本人の友達は卒業した3年目に、バイクを含め、全部人にあげるか売り払うかして帰ってきました。そうやって、きれいさっぱりこの島から足を洗いました。もし、彼女がまた来たとしても、それは短い休暇ででしょう。
でも、烏はまだ、まだこの島にずぶずぶと因縁浅からぬものを感じています。だから、もういいやってこの島に対してお別れする日まで、ロバとはつき合っていきそうです。腐れ縁を感じるぜい。ポンコツロバと、ポンコツ烏。一緒に走ろうどこまでも。
リハビリ現地報告43
24時間時計
今回ここに来る時に、友達が24時間時計なるものを餞別にくれた。それまでも過去2回彼女から時計をもらっている。だけど烏は今まで10年以上に渡りほとんど時計をせずに生きてきた。烏はかなりいい加減なので、時計はあまり重要ではなかったのだ。「日本人に見えない」と言った人は、「まったく時計をしていないし、時計の日焼けの後もないから」だって。
はっきり言えば、全然規則正しく生きてこなかった。躁鬱だしな(という言い訳ができて、実はうれしい。やっぱり烏は、理由をほしがるのだ。)。ちなみにここに来てから、今日が何月何日で何曜日か分からなくなりつつある。やばいよ烏、と思って時々パソコンの時計の所のカレンダーを開けて見たりする。気がついたら、すでに1週間も経ってた。あらぁ、いつのまに?
彼女から最初にもらった時計は、短針と長針がフォークとナイフの時計だった。ほとんど使わないままに糖尿病で入院した頃、何故か止まった。食うなと云うことか?
次にもらったのはスペインに行く前で、やたらと縦長の時計だった。金属製のベルトがその子にあわせてたあった。だもんで手首の細い烏は、いつも手の甲にぶーらぶらぶら下げていた。だがあまりにも縦長の時計なので5・6・7・11・12・1時あたりが見分けにくかった。それで1時間間違えて、バスに乗り損ねるという失敗をしたり。
そして今度は24時間時計だ。文字盤が1~24時まである。「これで一日の時間の流れがよく分かって、有意義に過ごせるでしょう。」って。とっても理系な彼女には大変合理的でお気に入りな逸品をくれた。決して普通の時計はくれる気がないらしい。
でも烏の1日って、途中で意識を失って2時間ぐらい吹っ飛んだり、1日元気だと次の日まるまる死んでいたり。めちゃくちゃ朝早く起きたり、昼まで動けなかったり、規則正しくも計画的でもないので、一日が24時間という意味があまり無い。
それに24時間時計に慣れるまで、たいそう暇がかかった。というか意識の変革を迫られた。意識を失ってベッドで倒れていて、ふっと時計を見ると9時半の位置に針がある。「あああああ?ご飯やさんにも行き損ねた。」と焦っても、よーく見るとそれは18時半なのだった。12で区切る視点に慣れたものを24の区切りの視点で見ようとするのは大変だった。実は今も時々、見間違えてあせっている。
今まで自分の意識の中で、固定観念として持っていたものを取り替えるのは、この24時間時計に慣れることより難しいのかもしれない。でも24時間時計は、そう言った自分の頭のかたくなさに気がつかせてくれるいい指針だなぁ。と実は焦るたびに半分腹立たしさを感じながら思う。
例えは、何で1日の区切りが12や24じゃないといけないのかとか。延び縮みする一日があってもいいじゃないかって。
ここにいると時間は本当に延び縮みする。おおむねその場の状況によって、どんどん時間の流れが変わってしまう。烏だけじゃなくて、みんなそうだし。ここでは焦ってもだめ。お天道様やいろんな状況で、一般的だと思われている約束事すら変わってしまう。絶対がない。烏にとっては何故、という事態にあふれている。だけど、ここでは何故を問うても無駄なことが多い。
何故より、どうするが先にある。そのどうするかも絶対ではなく、状況によってどんどん変わってしまう。適当、だいたい、おおむねそうなっている。とりあえず今日はこうだったと言うことを書いているけれど、明日はどうなるか分からない。
周りの状況も予測できないが、本当は自分自身が一番分からない。今夜、眠れるか、眠れないか。明日まとめて寝ちゃうのか。一日のどこで意識を失うのか、失わずに過ごすのか。とりあえずお薬のおかげで、何とか数日単位で自分のバイオリズムの収支決算をつけようとしているけれど。これがまたなかなか世間様とはあわないでいる。ここのおおらかな時の流れにも、あわせきれない。まあ今のところ大問題を起こしてないからいいけど。朝の10時に出かけるのだって、今の烏には大騒動だ。
「規則正しく時間にあわせる」のが大変だと言う傾向は、子供の頃から既にあった。大学に入ったら、朝一番の授業はほとんどつづけられなかった。それで教員免許も取れなかった。教育学部の教員免許用の授業が、全部朝の一番だったからだ。一応頑張ろうとしたけれど、途中で挫折した。
朝一番で、唯一毎回出ていたのが熱帯農学の授業だった。よく考えたら、けっこう当時から興味があったんだ。ふうんと今更になって気がつく。
筑波の大学院時代も朝がだめな時が多く、夕方ふらっと学校に行っていた。夕方は4階の廊下の窓から、夕焼けの中にぽつんと富士山のシルエットが映える。その頃になって研究室に現れる。だから先生に「トワイライト ギャル(その言葉のセンスはともかく)」と呼ばれていた。
京大に戻ってきてからも、朝一番の授業に出るために学校に寝泊まりしていた。有り体に言うと学校に住んでいた。起き抜けに、寝間着代わりのジャージでぼさぼさ頭のまま歩いていたら、先生に「寝起きの番犬」って呼ばれた。
今は学校兼病院の真ん前に下宿を構え、「玄関開けたらすぐご飯」じゃないけど玄関を出られたらしめたものとなっている。学校の場所からちょっとはみ出して住んでいるようなものだから。それでも、病院や学校にたどり着くのが難しい時がある。だいたい、玄関以前に部屋のドアを開けるのが一苦労。もっと正確にいうとベッドから体を起こすのが大変なときが多い。
ああ、今なら堂々といえる。「病気なんですう!」。だけど烏にとっては、「時間通りに動く社会のほうが病気!」に見えるんですう。
前回の入院時ではこの病人は早朝覚醒がひどかったので、6時半にきっちり起きて着替えをし、朝7時からお習字をしてた。ただ朝ご飯を食べ終えたら、疲れ切って寝たきりになっていたけれど。朝、1時間お習字するだけで、1日分のエネルギーを全部使い果たしていた。だけど朝のうちにお習字をした事で1日の仕事をした気分になり、何とか自分を許してやっていた。その上、病院では絶対に夜の10時には寝かされていたし。
今は、お習字するにも物憂くて、パソコン打つのもしんどくて腹這っている。眠剤を飲んで寝る時以外は、ずううううっと床の上にヤモリのように張り付いている。実は、この部屋のお掃除のおばちゃんは、烏が暑いのでタイルの床に寝転がっていると思っていたらしい。「フィリピンはお前にとって暑いのか」と聞かれた。ほんまに暑くてかなわんかったらエアコン付きの部屋に住んでるわい。それに山の村にいたら夕方以降は寒いぐらいにすずしいからな。
だのに、エアコンもなしで床にパソコンを置いてなにやらしている。お習字のような不可解なこともしている。時々、昼間そのまま床の上で意識を失っている。これらの今までに見たことのない行動が、大層不信だったらしい。烏から見てもやっぱり変だと思う。だけど「いやあ、実は背中が痛くてさあ(これは本当、いつも背中と腰の痛み、全身倦怠感と戦っている)」と言うと、ようやくおばちゃんは「おばちゃんなり」の納得をしたようだ。やれやれ。今頃、大家の一家で噂になっているに違いない。まあ同情されているようならいいけど。
病院でも下宿のベッドでも腹這ってたし。退院してからも時々、外での行動可能時間が朝の5時から7時か8時もしくは、夜の10時から朝の2時とかになっていた。昼間や朝に動ける時もあるけれど。とにかく12時間の区分で決めた時計のうち、人が社会活動を行うと期待されている9時から5時にあわせるのが、どうにもこうにも大変なのだった。よく考えれば保育園の頃からすでに睡眠障害があって、布団の中で腹這いで夜中にこっそり絵本とか見てたしな。
整形外科の先生にも「あなたには普通の人にとって良い姿勢というのが、あっていないんです。だから無理に姿勢を良くしようとしなくてもいいんです。」って云われた。ここまで来ると、お墨付きの姿勢の悪さだ。教授、もう烏に姿勢を良くしろと云わないでくれ。もしかすると、腹這いが基本姿勢なのかもしれないんだから。これからはヤモリちゃんとでも呼んでくれ。
ここに来てからますます、お薬使ってても睡眠のコントロールが難しい。調査で村にいた頃、よく毎日あんな朝から山に登ってたなと感心する程だ。時々、眠れない日が続いていたのに。眠れないまでも10時かっきりに床について、5時半に鶏の声とともに起床して、一応1日働く。日が暮れると終わり。雨の日は休み。薬もなくよく頑張っていたぞ烏。後で、どっと体に来たけど。
時々、あれはきっと別の人だったに違いないと思う程だ。日本にいても、早朝覚醒が起こると「朝の5時から女」になってしまう。朝7時にはもう家にいない。どこかへぷいって行ってしまう。誰だそれは、信じられん。「腹這い書家」を目指している、今の烏には驚天動地ものだ。
烏には、一日が24時間の日もあれば15時間の日や30時間の日とかよく分からない日が多いんですけど。だいたい4時間以上、連続して寝たら次の日と見なしている。
4時間しか寝なくても、途中で意識を失うことが多いので、全部あわせたらけっこう寝ている気もするが。睡眠による、一日の区切りのパターンが多いの。
だから烏の中にはいろんな時計があって、なかなか24時間というわけにはいきません。揺れ動き浮動する時のまにまに今日も生きてます。近頃は珍しく、たまには時計を身につけながら。24時間時計っていう稀代な奴ですが。
リハビリ現地報告44
マミスタ
日曜日の昼頃、またパンクした。パンクばっかりしてるよな。例の牧師の呪いか?
それで、こないだの気のいいおっちゃんがいた修理屋に持っていった。そしたらおっちゃんはいなくて、若い衆が烏のタイヤを見た。またムシのところが裂けてる。兄ちゃんに「もうだめだから、近くのバイク部品屋で新しいチューブ買ってこい」っていわれた。烏が買いに行ったらそこになく、そこで云われた別の店にもなく、市場に行けと言われた。
市場に行ったら、日曜日(と言うよりフェスタの前日だってことが大きいんだろうけど)で何軒かあるバイク用品店は締まってた。食べ物屋とか食料品店は開いてるのに。1時間半ぐらい探し回っても、開いてる店がない。今回は市場をあまり覗かずにいたが、予定外の市場見学だった。暑いなか、歩き回ってへとへとになって修理屋に戻った。
そして「どこにもない。仮でいいからくっつけて。」って押し切った。兄ちゃんは嫌そうに「こんなんあかんて」って、例のとろ火であぶり出した。あかんでもなんとかしろ。
そしたら、こないだのおっちゃんが出てきた。「おっちゃあああん」って泣きついてしまった。するとおっちゃんは「金よこせ、わしが買いに行ったる」って云ったのでお金渡した。おっちゃんが救いの神に思えた。おっちゃんはすぐに近くの店で見つけてきた。烏のときは「無い」って云ったくせに。人間関係がものを言う、と言うか人間関係だけの国だけど。
で「おっちゃん、なんでおらんかったん」って聞いたら「イハウ バボイ(豚殺してた)」だって。それはフィエスタの前の日には付き物なので、文句は云えんな。フェスタちゅうたら、豚を食いまくる日だからな。フェスタに参加することをマミスタというのだが、マミスタとはすなわち豚をひたすら食う事だ。と言い換えても良いぐらい。
接待する方は、前日から豚を殺して様々かつ大量の豚肉料理を用意して客を待つ。もう台所はてんてこ舞いで、ほとんど夜を徹して料理が続けられる。最初の料理は殺した豚の血から作られるモツ煮、最後の方は豚は挽肉になるまでみじん切りされ春巻きになる。パックの豚肉からは想像できないって。だけどこれが本来の食い物の姿じゃなかろうか。
それと同時に、餅米をババナの葉に包みココナツミルクで煮たちまきも作れば、ココナツミルクで作るデザートあり、台所方はもう大変。例のスバゲティもあるし、春雨料理もある。何をどこまで作るかは、家ごとに違う。けれど、これに子豚の丸焼きまでつく所もある。もうひと騒動。
作る方にも参加した事がある。作る方は大変だ。だが、およばれする方も、実は大変なマミスタなのだった。マミスタするとはすなわち、食って食って食いまくることなのだ。年に一度のポトラッチ的饗宴だ。でも、たった1軒の家にマミスタするのなら、そう大変ではない。それに、こんな街なら知らんぷりもしやすい。だけど村にいて、知り合いや親戚が一杯だったらあっちこっちに顔を出さなくてはならない。そして儀礼的に会食に参加しなくてはならない。で、どこもご丁寧に、コカコーラを出してくれる。糖尿だなんて言い訳は効かない。何しろ彼らにとっては年に一度なんだから。
この前、向かいの島の、山中のとある村にマミスタした。その村出身のおばちゃんに連れられて。恐ろしかよ。あっちの家でもこっちの家でも、皿とスプーンとフォーク持たされ、コーラの入ったコップが出てきて。
そして豚。最初に行った家は、豚の脂で豚の頭が揚げてあった。大迫力の豚の共揚げ。そして豚は延々と続き、あっちゃこっちゃの家を回っているうちに、とある家で、目の前にきれいなバナナの葉が、さっとテーブルに広げられた。ら、竹に刺さったままの子豚の丸焼きが。
ええ、フェスタとは豚の受難の日なんです。豚肉が苦手な人は、絶対に参加できない行事なんです。コーラが苦手な人にも。ダイエットコークも無いですしね。豚肉で始まり豚肉で終わるんです。
別の村にマミスタしたときは、つれられたすべての家でブッブと呼ばれる餅米のちまきを食べねばならず。「あいつんちで食べたなら、何でうちでは食べられないんだ」って。山の村に住んでいたときも、400本のちまきを作る手伝いをしましたともさ。疲れてめまいがしたが、ほとんど徹夜で働いているおばちゃんをほっとけず。お持たせも込みだもんね。
だからマミスタで村を回るのも一苦労ですが、用意する方も大騒ぎです。昔ながらに餅つきし、すべてのおせち料理を作っているのとどっちが大変かと思う程です。しかも、昔はおせち料理を三ヶ日がすんでも延々と食べねばなりませんでしたが、烏がいた家でも、1週間は豚肉が続きました。最後はモツを油で揚げたなんだかよく分からない料理でしたが。皮も煮たり揚げたりして食べるので、本当にきれいさっぱり隅々まで食べられてしまうのでした。
ええ、村の人にとっては1年に1回か2回の豚肉ウィークなんです。そのために豚が飼われているです。烏が世話をした豚子ちゃんも、それできれいさっぱり記憶のなかにしかいなくなりました。もしかしたら、烏のボイヨン(ぜい肉)かビルビル(脂肪)に残っているかもしれませんが。
肉とはそう言うものなのです。まるで京都のにらみ鯛。鯛の代わりに豚がにらんでる。それで、みんででわいわいがやがや。山奥のどんな不便なところにでも、人が帰ってくる。ほんま行くだけで疲れるけど。
はっきり言って太りました。鬱で動かないは、いつも食ってるわ。今日は我が街のフェスタで、子豚の丸焼きやら、脂身を煮込んだフンバ、ジャガイモとにんじんと肉の煮込み。血をどろどろに煮たディノグアン。もう数ヶ月、豚肉を食わなくて良いぐらいよばれました。で、そこで会った糖尿病友達のおばさんにいろいろ聞きましたが、誰か栄養指導きちんとしてやれとつくづくおもいました。せっかく仲良くなった、栄養士さんやお医者さん、看護婦さんにに期待する次第です。
烏一人じゃ手に余る。リラックスタイムも入れるから手伝ってくれ。
と、最近は「医食同源の農業=食物摂取のあり方」に興味津々の烏だった。でも、とうてい一人じゃ無理だな。助けてくれる人がいることを信じよう。そんな気分。
だけど今、ブラウンアウト(停電)して真っ暗です。ちょっと、今の烏の気分みたい。このパソコンもバッテリー切れまでの命です。そろそろ、終わる潮時でしょう。理由は何だろうか。雨降ったからかな。まあどっちにしても適当な理由でみんな納得するんだろうけれど。
ちなみにパンク修理が終わってから訪ねた友達の家で、子供達が大騒ぎしながら帰ってくるまで2時間程意識を失ってました(疲れ切って、勝手によそのうちで寝てた)。良い風が吹くなか、意識が飛んでた。
でもまあ日本とは別の意味で、疲れる国だった。
リハビリ現地報告45
昆虫化する
一昨日、マミスタしてお愛想を振りまきまくったら、案の定、昨日は夕方まで強制終了していた。ほとんど体を起こせず。ひたすら横になっていた。途中でちょっと訪ねてきたり、電話かけてきたりした人はいたけど。朝の6時にかかってきた「海に行かないか」と言う脳天気な電話には、「馬鹿やろう、朝は寝てるって云っただろ。寝かせろ。」と暴力的に返事をして倒れ込んでしたまった。
どうして烏が病気だってこと、分かんないんだろうか。まあ親ですら分かんないから、一般人に分かれと言っても無理なのは承知しているけれど。この張り着いた、あいまいな笑顔がいかん。とにかく、寝かせろ。脳の神経を休ませろ。特に朝はだめなんだって。無理はきかないんだって。
一日中、這って暮らしているのに。それがあまりに悔しくて悔しくて「誰かにこの病気を丸投げしてやりたい。」。いろいろ烏に愚痴を言う若者は多いが、体が動くだけでも感謝しろって思う。こっちは30歳にして老いたりって気分なんだから。そう言う「どうにもこうにも動けない」ときには、死にたい気分になるんだから。だあああ、完全に鬱っているようだ。
ちなみに朝もはよから電話をかけてきた馬鹿者は、「日本人」の彼女が欲しいサドルカバー屋の息子だった。何が運命の出会いだ、ぼけなす。烏は「既に」、病気と運命の出会いをしとるわい。病人に見えんだろうが。そりゃあ「ここに来たら、海に行きたい!」さ。でも、「海をぼんやり眺めて過ごすしかない、こっちの辛さも考えろ!」ちゅうても無理だわなって分かっているけど。
分かってても、穏やかには対応できない。せっかくと言うか、ようやく(4時半頃に寝付けた。最近、入眠導入剤の効きが悪い。)寝たところを叩き起こされたので、不機嫌な烏だった。そう言う奴には烏の薬を一服盛ってやりたい!「寝る」・「食べる」・「ご挨拶」などの「生物としての基本的な行動」のコントロールが不可能になるんじゃ。この病気は。
ほんまにしんどいときは、腹這っていても、パソコンの画面も見られん。だから昨日は、パソコンの画面がまぶしくて、全く画面を見られなかった。ひたすら目を閉じて床の上で死んでいた。まるでコガネムシの蛹のように。丸くなって。だけど烏はコガネムシの蛹のように、何かにかわる日があるのだろうか。果たして、コガネムシのように飛び立てる日はあるのだろうか。
烏は虫を沢山飼って(お魚先生が、飼わされていたとも云う)、虫たちの劇的な変化に感動した。お魚先生にコガネムシの蛹が、繭のなかでくるくるって回っているのも見せてもらった。だけど烏には、この腹這い状態が蛹化しているせいなのか、ただ腐っていっているだけなのか判別できない。
今は烏は芋虫状態で、床に張り付いている。流動食過食で、最近とみに太ってきたので「蛇女」改め「芋虫」と呼んでくれい。光が辛い時があるのも、芋虫君と一緒だ。精神科の先生は、あまりにも強情な烏に「早く蛹に入ってくれ」と言っていたが。見事に蛹化しているぞ。腐っているだけかもしれないが。だから、お魚先生一緒に「ムシの女(by
戸川 純)」を絶唱しよう(完全に内輪ネタだな)。
そのうえ、背中に冬中夏草が生えてきているようだ。大変にしんどい。何が生えてんだ?蛹は自分の背中が見えないで困っている。何かをしょっているようなのだけれどそれが見えない。体中、「黴」だらけ。菌糸が這って張り着いとるぞ。そのうち菌糸に食われて無くなるかも。キノコになってたらどうしよう。キノコになったら動けんぞなもし。それでも粘菌になって、ねーばねーばそこらをスライムみたいにはいずり回るか。何を考えてんのか、烏。完全に脳が疲れているよ。
マミスタ以降、体の方もお疲れみたい。このように過労になるとろくなことを考えない。だからオーバーワークはやめよう。だけど他の人にとって、当たり前で何でもない行動が、オーバーワークになってしまうこの状態が口惜しい。
腹這い芋虫は、今そんな状況。しばらくお習字さぼってパソコンでお字書きばかりしていた。でもお習字の方が、今の烏には良いみたい。パソコンの光が烏の目を射って疲れる。虫は字を書きたいのに、何の字を書いていいかも分からない。とりあえず虫とでも書くか。虫・ムシ・無視・夢死。
ああ、酔生夢死っていいなあ。「夢死」{ゆめのように暮らし、何もせずに、無駄に死ぬこと}と国語辞典にある(何でお前はフィリピンまで国語辞典を持って行ってるんだ。)。それもまたいいなあ、と言うかそれが良いな、と言う鬱の世界だ。なかなか余人は知ることがないだろうが、これが烏の鬱なのだあ。
良い夢を見られずに、怖い悪夢が続くので安定剤系の眠剤愛用者(中毒者とも云う)のくせに。何いばってんの、烏?鬱でも威張るから疲れるのよ。そう言うのを虚勢と云うのよ。いつも、「勢いだけ」で生きてるけど。
リハビリ現地報告46
シティジェイル
何故だかわからんが、陸運局と市の刑務所(監獄)は隣り合っている。で、陸運局に行くと窓に一杯ハエのように囚人がたかっていたりするのに遭遇する。
最近、とみに体型の芋虫化が進んでいる。すなわちウェストがない。シリアル系から、クッラカー、パンも牛乳で、びしょびしょふにゃふにゃにしてにして食べている。鬱がきついと、普通のパンの堅さでも歯にこたえる。で、用事のあるときは、ついでになじみのケーキ屋にいってオレオチーズケーキを食べる。全部ふにゃふにゃだからな。
今日「なんでお前はチーズケーキがそんなに好きなのか?」とスキになった店員に聞かれた。答えは「柔らかいからだ!」とは云わんかったが。今日はオレオチーズケーキがなくてブルーベリーチーズケーキだった。ほとんど毎日ケーキ食ってる(こっちの感覚では、めちゃ高い)。そうしないと用事のために家からでんからな。トイレットペーパーすら買いにいけん。
食べ物のご褒美を自分にあげないと、烏は動けないのだ。
今日の用事は、陸運局に行って今年の登録ステッカーをもらうこと。登録すんのに外人だからって、すげえぼったくられた。そんで11月の第3週からステッカーの配布が始まった。このステッカーがないと盗難車に間違えられて警察ともめる。だから烏愛用の「鉄のロバ」のステッカーをもらいに行った。
ステッカーをもらいに行ったら、陸運局の前のシティジェイルの鉄格子の一つの窓のなかに、いっぱい人(囚人)が張り着いていた。烏は何も考えずに、格子にしがみついていた人たちに、ご機嫌で手を振ってしまった。珍しくすんなりステッカーがもらえたので。ステッカーに行き着くまで、4回も陸運局に来なければならなかったからな。ついにもらえて、ほっとしてちょっと薬が回ったらしい。そしたら、手を振りかえしてくれた人もいたけど。
そのいきおいで監獄の前で売っていた、きらきらするクリスマス飾りを買ってしまった。たぶん囚人が作ったのか、囚人のための厚生費にでも使うのだろう。監獄ではろくな飯も出ないそうだから。で、薬もまわってほろ酔い状態で、いつものように後先考えずにど派手なでっかいのを一つ買ってしまった。
こっちのクリスマス飾りには、仙台の七夕みたいに派手で大きいのがある。今、街はあっちもこっちもクリスマスに向けた電飾だらけ。季節感が、雨季と乾季以外あまり無いから「季節を自分たちで演出する」のだ。時々電力不足で停電するけど、エアコン以外の要因は、このむちゃくちゃな電飾とちゃうのかと思う程。気が狂ったように街中で電飾の派手さを競い合っている。で、そのでっかいクリスマス飾りにも、ちゃんと電飾用のコンセントがついていた。
買ってから、こんなもんどうすんねんと思った。山の家族まで持って上がるのか。たぶん、村に持ってたら有数の派手さだと思う。また噂のネタを作ってしまった、ごめん。でも、烏の下宿には飾れない。そこで市の水道局で働いている親戚のおっちゃんを思い出した。それで人づてに聞いて、必死で街の周辺の浄水場(と言うか水のくみ上げ場)を探し回った。
ようやく親戚のおっちゃんを見つけて、山まで持っていってくれるように頼んだ。「マミはクリスマス前に帰ってしまうので、Maayon
Pasko(メリークリスマス)ができない。だから代わりにこれを飾っておいて」って。親戚のおっちゃんは、きらきら光るでかい固まりを持って、いきなり現れた烏を見てたまげたようだ。「ごめんなあ、いらんこと頼んで」と言う気分でいっぱいだ。
まあおっちゃんは村に住んでて、調査時に唐突に何かを聞き出したり、やり出したりする烏を見ているから。いまさらの、烏の唐突さには慣れているにちがいない。何しろ、烏も行ったばかりの頃は、言葉はしゃべられんは何して良いかもわからんで、右往左往していたからな。言葉が分かるようになっても、突飛な行動は多かったけど。
ど派手なクリスマス飾りを、自分で山まで持って上がっても良かったのだが。持って上がる段になって薬酔いが覚めて冷静になった、と言うか鬱転したからだ。もっと分かりやすく云うと、薬酔いでほろ酔いのご機嫌さんだったのが、はっと我に返って「なにやってんの」と、いつもの鬱になったからだ。
山は、午後はいつも雨降り。鉄のロバはちっちゃくて上がるのが大変。鬱で腰や背中は痛いわ、すぐ疲れて横になりたがるわ。もう買ったときの勢いはどこかに飛んでいた。で、おっちゃんにおしつけてしまった。これを「はた迷惑な奴」という。
でも、なんとか近々上がって、今年、家族が作ったテラスでひたすら寝るために行こうかな。例のど派手なクリスマス飾りの下で。寝椅子もあるし。
山に行くと、食べ物の自由がきかんし。ケーキなんてもってのほか。堅いご飯に、魚と菜っぱの汁であるサバウ。干し魚や魚の塩辛が申し訳程度。もしくは芋かキャッサバの蒸したの。運が良いとバナナ。取れたものをありがたくいただく生活だからな。冷えて固まったご飯にサバウをぶっかけて食べるのは、今の烏にはきついのだった。
それがあるから、今回は鬱だし、かなり山の生活がきついだろうと街で一人、ゴジャースアパート(京都の下宿の倍以上の広さで、台所、テラス、水シャワーとトイレ付き)で外人様の生活をしている。掃除も洗濯もお手伝いさんがしてくれる。そう言う基本的な生活ですら、自分でするのが辛いほど、鬱なのだ。ただし貧乏なのでエアコン・テレビは無い。それで良いと思っている。文明の利器が少ない方が楽。
だけど、いつも「いつ来る、いつ来る」って聞いてくれる村の人に悪いなあって思いながら。ほとんど、山に行けていない。「だって病気だもん!」って、自分に言い訳しても良いよな。そう言ったときもあって、良いんだよなって思いながら。
いろいろ考えるにつけ、やはり神は人間を不平等にお作りたもうたのだ!としか思えん。そおいう毎日。だから、どんなに鬱がきつかろうと死にたくなろうと、とりあえず烏は死なない。烏は、いろんな意味で恵まれているから。死にたい気分の時は、そう自分に言い聞かせている。烏の中には、シティジェイルの囚人と、ど派手な飾りできんきらきんのご機嫌さん。その両方がいる。
リハビリ現地報告47
薬がない!
何故か、またやってしまった。薬が足りない。420錠だの140錠だのの薬を2日かけてカウントしたのにな。うーむ、その上1週間分ぐらい余分を持ってきたはずなのに。薬が足りない!前回ここに来たときに、薬が足りなくてあわを食った記憶があるのでそこら辺はきちんとしてきたはずなのにない。
しかも、わりと好き勝手に飲んでいるマイナートランキライザーではなく、きちんきちんと一日3度飲んでいるメジャートランキライザーがない。なんでや。そのうえ街中の薬局を探したが無い。無いもんはない。ちなみ抗精神薬は、おっきくて真新しい全国チェーン薬屋や、街の中心の薬局にはない。需要があまりないのだろう。街の場末にある市場の近くの怪しい薬局が売っているのだった(前回の時もそうだった)。
それで困っていたらスーパーリーの地下の薬局で、にこやかな華人のおっさんが出てきて「鬱ならお困りでしょう。これなんかいかが?」と、勝手に処方して薬を売ってくれた。違法やろ完全に。でもここら辺の違法と合法のスレスレでもうけてゆくのが華人の彼らだった。でも、困った烏は買ってしまった。高かった。
その直後に、出会った日本人の面倒な行事(あほくさいとも云う)に無理矢理に参加させられた烏は、めっちゃテンションが下がった。明るい希望にあふれた若人にはついていかれへん。で、しょうがないから、烏は「とりあえずそれを飲んでみた」。なんだ、セルシンという烏が沢山持っている、マイナーな薬と効きようが一緒やんけ。くそ、華人め。でもその時は「それでも薬があって助かった」けれど。
街で唯一の精神科医の所に行くか?でもあいつに会うのが嫌なんだよな。5分の診察で馬鹿に高い金は取るわ、訳のわからん薬を処方するわ。その薬のせいで、烏は去年、まじで死にかけたからな。しかも州で、精神科医と言う奴があのデブ親父しかいない。とりあえず、その時あった日本人がマニラに帰るというのでマニラに発注してみた。もしマニラになかったら、仕方がないのであのデブ親父の所に行こうっと。ああ。
烏が欲しかったのはトリプタノールという、昔から使われている作用が穏やかな奴。去年、デブ親父が処方して死にかけたのは、プロザックという作用が強い最近の薬。日本では未認可だけど、アメリカでは中毒に近い程の愛用者がいる。アメリカもストレスフルだしね。でも、何で最近の薬が置いてあって、昔からある穏やかな薬が無いねんここは。プロザックなんか馬鹿高いぞ。昨日の薬の4倍もする。誰が使うねん。とまた、一言も二言も言いたくなってしまう烏だった。
ちなみに、例の華人の薬を「飲んでから」京大病院に電話した。何でもやってみる烏だから。そしたら研修医が電話に出て、セルシンと同じようなマイナー系の薬だって教えてくれた。やっぱりな。効き方が同じだと思ったよ。そして、トリプタノールがなかったら、似た奴にこんなのあるとか調べてくれた。ありがたいんだけども、それが売っているかどうか分からないのがうちの街の怖いところだった。電話代が高くついた分、実りがあるかは未定だ。
のんびりした声で研修医は「24日に帰ってきたら入院するんだよねぇ。その日僕は忙しくて、ゆっくり話を聞いてあげられないけど」と来たよ。てめえの予定なんざぁ聞いてへんわい。国際電話で、電話代高いのに余計なことをいうなっちゅうに。何で今から24日の予定がわかっとんのじゃ。お前はあほとちゃうか。と、明日の予定も分からない烏は思った。
だが電話の後、2度目の薬屋巡りをする気力が無く。そのままケーキ屋に突入して、ケーキを2個食って果てた。そして帰って横になってから、腹這いでこれを打っている。もう今日はデブ親父に会う気力がない。しかもあのデブのオフィスアワーはやけに短い。
そのうえ電話が終わって、外に出たら電話屋の外に止めてあったバイクに、駐禁キップがきられていた。バイクの横に情けなさそうな交通警察のおっさんが、ついさっきキップをきったばっかりという感じで立っていた。「5分ぐらい電話でしゃべってただけやろ」ってこっちが云っても、情けなさそうにごにょごにょ云う。それで、かわいそうなので思わず黄色い駐禁キップを受け取ってしまった。
でも、市役所まで行って払いに行く気力がないので、これは余計なことを云った研修医にフィリピン土産として記念にプレゼントしよう。気力があったら、烏の代わりに市役所まで払いに行ってくれ。150円ぐらいだ。でも奴には、暇がないか。まあどうでもいいや。鬱だし。
烏は1日1個の用事もできんし。今日は電話をするという大仕事をしたから疲れた。洗剤も何とか薬局で買ったし。洗剤が切れてんだったら先に云えよ。洗濯姉ちゃん。
リハビリ現地報告48
2通の手紙から
病院で知り合った摂食障害の友達から、手紙が2通同時に来た。一人は、普通の高校から単位制の高校に変わって気が楽になったようだった。自分のなかの「絶対」という魔術が解けたんだろう。良いことだ。それで、「おばあちゃんと一緒に行った清水寺の紅葉がきれいだった」とモミジの押し葉を葉書に張って送ってくれた。今年「も」紅葉は見られないなと思っていたから、とてもうれしかった。
もう一通はまだまだ「絶対」の魔術にがんじがらめになっているようなお姉ちゃん。「死にたい」とか、いろいろ書いてある。ここにいるのに、どないせえちゅうねん。ほんまに。だが身近に自分の病気を分かってもらえる友達もいなくて辛いのだろう。こんなフィリピンくんだりまで、自分の悩みを書いてくるところをみると。
だが、烏は烏のことで手一杯で、それでここに逃げているのに。ここはここでいろいろあるけどよ。「帰ってきたら、また入院してくるんですよね」と来たよ。入院が各所から期待されているらしい。烏が入院するときは、本当にしんどくて入院しているのに。なんか間違ってないか。ここのところ、「クリスマスとお正月は病院で」が続いているけれど。
京都に帰ったときに大鬱になっていてもいいように、こたつにヒーターを出して冬支度を終えてきた烏だった。既にすげえ鬱だけど。それぐらいやっとかないと、このくそ暑いフィリピンから帰ったら凍死するかも。それでなくても気象の変化に身体をあわせきれず、むちゃくちゃ風邪ひくのは目に見えている。京都の冬はあなどれんからな。骨にしみいる寒さっちゅうの?
スペインの夏はくそ暑かったけど(41度)、からっとしてたから、日中はぐったりはしたけど汗をかいた記憶がない。昼間はドライアップしそうな感じはあったけど、夜はすずしく寝やすかった。その後、京都に帰ったとたん気力が切れ、その上じとーって暑くて、みるみる体力が落ちてぐんなりとなって入院した。どろーってロウが溶けてロウソクがぐにゃりとなるように。
「死にたい」と書いてきた姉ちゃんの手紙には、「烏さんは、元気そうでいいですね」と来たよ。元気というか、ごくあたりまえに「鬱」やってんですけど。時々、過食が入りつつの。
こっちのおきまりのご挨拶[Kumusta
ka!元気かい!]に、おきまりの返事[Maay良いよ]と答えかねてる毎日なのに。ちなみに[Dili
maayo悪い]って正直に答えている。どうやっても[Maay]っていう気がしなくて。こっちの人は、太っていると健康そうに思うから、良くなったじゃったじゃないって云うけど。実は一度も[Maayo]って答えていない、大変に機嫌の悪い烏だった。
気分的には[Buhi
pa koまだ生きている=どうにかこうにか生きていると言うジョーク]なんだな。これからずっと[Buhi
pa ko]って答えてやろうかな。めんどくせえなぁ、もう。それに律儀に返事を書いている、烏も烏だが。入院中、その子についている研修医にここから手紙書いてやろうかな。
しかし、その先生がポリクリ実習の時、いわゆる躁状態で暴れていた烏を覚えていたらしいから、人間悪いことはできん。どこで誰が見てるかわからん。しかも、その先生の口癖が「あせらない」「あせらない」だしな。いいことだ。だけど、手紙をくれた子は「その先生の上についている先生に嫌われたみたい」と書いていた。
ただその上の先生は、くそ忙しくて余裕がないだけだと思うけど。余裕がない人間って、それだけで人に畏怖感を与えるからな。そう言う人は、場合によると「うっとおしい」ともいうけど。誰とはいわんが。余裕がないと言うことは、他人や自分に暴力的な存在になりやすいんだよ。と、余裕が無くなるとすぐにパニックに陥る烏は思う。
紅葉の葉っぱを送ってくれた子は、高校を変わって少し余裕が出てきたみたいだ。ま、もう一人の子はこれからだな。
リハビリ現地報告49
のぶちゃんに会った
ドマゲッティのフィエスタのためにサマール島から帰ってきたのぶちゃんに、久々に会った。ひたすら、農業や村の話ができ楽しかった。のぶちゃんは、烏が留学していた時期に、この街で青年海外協力隊員として農業指導をしていた。今は国際ボランティアとして働いている。
のぶちゃんも烏も、ひたすら体を張って実際にやってみるってところが似ている。有り体に言うと、お互いに馬鹿だった。それで、気があったんだな。なんだか、いつ会っても話が尽きない。しかも、日本であったのは1回しかなくて、いつもドマゲッティで会ってる。二人の心の待合い場所だ。そのうえ、のぶちゃんは喜怒哀楽も激しいけれど、ものすごくハイパワーなのだ。
サマール島の山間部は、今はとても危険地帯になっている。そのゲリラと軍が睨み合いしているところで、プロジェクトをやっている。UP出身のオフィサーがビビルようなところに入っている。そんな所で、苗作りプロジェクトなどを実行し、村人自身が、「自分たちの力」で生活を「確実に」「少しずつ」変えるように。それが紛争解決への、一番の近道だという信念を持って。
だから、のぶちゃんに会うと、いつもパワーをもらう。
烏は今は、双六で云う「休み」か「振り出しに戻る」。だからハイパワーののぶちゃん達の活動には、圧倒されるけど、まあいいや。のぶちゃんがしつこく、ドマゲッティのフェスタに毎年帰って来ているように、烏もゆっくりひつこくやっていこうっと。Hinay
hinay lang!(ゆっくり、ゆっくり)
のぶちゃんはいつかはサマール島の経験で、論文を書きたいと云っていた。紛争地帯の住民へ援助のあり方について。ほとんどの人が体験してから考える事ができない程、貴重な経験だからって。そのために、いつか大学院に修士だけでも行きたいって。学位ないと不便なのもあるらしい。人それぞれに順番はいろいろで、大学院に行ってから体験する人もいれば、体験してから書きたくなる人もいる。
とりあえず烏はお休みなのだ。お休み烏は、のぶちゃんに会っても、去年ほどは「何が何でも今、サマール島ののぶちゃんの現場に行きたい」とは思わなかった。Next
time na lang!(また今度)って思った。
やっぱりサマール島の現場はきついようだ。だから今、体の自由がきかない烏は「行ってはいけない」。そんな危険なところで、「足手まといには絶対なりたくない」もん。だから次に3月頃にドマゲッティに戻れたら、そんとき考えよう。旨く予定通りに、戻れるかどうかもわからんが、とりあえずここの下宿の家賃だけは前払いしておこう。
昔、サマール島に行ったことがあるけれど、Underdevelopmentってこういうことかと云うぐらい「なにもない」。Underdevelopmentで知られているうちの島、ネグロスが都会に見える程「なにもない」。うちの街はバイクタクシーがバタバタ走っていてうるさいが、向こうの州都ではロウソクのランタンともした自転車タクシーが走り回っていた。静かで、ゆらゆら揺れるランタンの火がとても幻想的だった。今は少し事情が変わってきたみたいだけれど。
「サマール島には牛がいないのよ。どうせゲリラに取られるから。」や「NPA=新人民軍New
Peopul ArmyのことをNice
Peopul Armyという皮肉があるんだよ(全然ナイスじゃないから)。」って争乱が身近なところにある、サマール島の内情から生まれる笑い話いろいろ教えてくれた。
のぶちゃんの活動を聞いて、自分の今のスタックされた状態を思うとうらやましいと思わないわけではない。いや、実際はめちゃくちゃうらやましい。躁だったら、突入してただろうと思わん訳ではない。でも、烏は烏でいいのだ。と言うか、烏は烏でしかないのだ。と、最近は思えるようになった。
このごろとみに思うのだが、烏はものすごく「書く人」らしい。だから書いていようっと、いろんな事を。おしゃべりするように。「腹這い物書き」として。
リハビリ現地報告50
芋虫の日常
最近ようやく、年配のお手伝いさんに「実は腰痛なので、いつも腹這いになっている」と説明したら、納得してくれた。やっぱり不思議だったらしい。今頃は大家の家中が知っているだろう。勝手に納得してくれ。停電の理由を適当に理解するように。この薬の山も、腹這っている理由も。ちなみに「腰痛だから腹這いになっている」と説明する以前に、「フィリピンは、お前にとってそんなに暑いのか」と聞かれた。
タイルの床はひんやりしてて好きだけど。汗でぺったりくっつくのが嫌で、最近はマロンをひいてその上に腹這っている。マロンはフェリーなどの旅で寝袋のように使う布。インドネシアで腰巻きに使うサロンが、フィリピンに来て寝袋に化けたって感じ。だから、ほとんどがインドネシア製。ビサヤはルソン島と違って、それだけミンダナオやインドネシアが近く感じられる。モスリムがいるミンダナオなんて、本当にちょいそこって感覚でいる人が多い。
実際行き来は頻繁だし。毎日、ミンダナオへの高速船も出ている(安心して、今回は「乗らない」ことにしたから)。フェリーもいっぱい出てる。特に夜には、夜行フェリーが出るから「あっ、あれに乗りたい」ってものすごく思う。昼間はそれほど思わなくても、夜行フェリーの船の光が海を滑って行くのを見たら、そう思ってしまう。どこかへ行きたい、と。
これらのフェリーは、ほとんど日本から払い下げられたもの。瀬戸内航路なんかの地図が、船のなかに張ったまま。だけど、畳は取っ払われて蚕棚のような寝棚が甲板まで一杯詰まっている。この蚕棚で寝るときに、マロンが大活躍する。エアコンの効いた上等の場所より、甲板なんかの安い蚕棚が好き。外が見えるし。風が強かったり雨が降るときは、ビニールシートを降ろしてくれる。
なんで夜行フェリーなんか見ちゃうかのか。こっちに来てから料理もほとんどできずケーキとか甘いもんばっかり食べてるのに、時々、危機感(嫌気とも食い気とも云う)を感じ、夜遅くまで開いている外人向けの海辺のレストランに、夜中に出かけてサラダバー(街で唯一)しちゃうからだ(野菜の食いだめ)。高い(600円もする)。だけど、他に方法がないので仕方がないと思っている。
料理も出来ないし、なじみじゃないところは気が重くて入れない。だいたい、夜中しか野菜なんか噛めないし、食べる気がしない。それで、サラダバーのついた料理を頼んで、一杯ビールも引っかけて帰る。その時、海岸通りをバイクで走りながらフェリーの光を見て思うんだな。どこかに行きたいって。どこかに来ているのに、もっとどこか見知らぬ所に行きたいって。普段は床の上からほとんど動けんくせに。そう言うときだけは。日中は、近くの山にもよういかんくせに。
シーツ交換のようなお掃除の日は、何とか自分に用事を作って外に出る。郵便局に行くなんて良い口実だ。外を走っているときにお楽しみがあるとすれば、タフー屋に会うこと。タフー屋は「タフータフー」っていいながら、天秤の両方にアルマイトのバケツを下げて歩いている。タフーとは豆腐のこと。片一方のバケツにその日作った緩い豆腐をいれていて、反対側のバケツに黒蜜とサゴパール(サゴ椰子でんぷんの丸い玉をゆでたもの)を入れている。で、注文すると、コップに豆腐とサゴパールと黒蜜をぐるぐる混ぜて入れてくれる。豆腐はここでは子供のおやつなのだ。ぶにゅぶにゅつるつるして柔らかく、しかも甘いので烏向けだ。
掃除のおばちゃんに「腰痛がひどくて、床の上でパソコンを使うから床掃除だけきちんとしてくれればいい」って説明してから親切になった。それに花を飾ってるのも、バレンシア(以前の調査値の山間部、花の産地)に知り合いが居るからだと納得してくれた。実際、山の親戚からももらったし。買ってる時が多いけど。料理ができないので、村の人がくれた野菜もお裾分けしてる。と言うかあげちゃってる。
かつてない変な下宿人のようだが(ほとんど床の上で腹這っていて、戸も網戸のままにしているから丸見え)。でも、少しずつ相互理解がなされてきた「ようだ」。だから、徐々にお互いの生活のテンポが取りやすくなってきている「ようだ」。大家に花の種をあげたらたいそう喜んでいた。大家の趣味は園芸だけど、それを「人にやらせる」のが好きなのだ。早速ガーデンボーイのおっちゃんが庭に穴を掘っていた。
リハビリ現地報告51
お片づけ
病院で入院していた頃、烏と同室になった人は、かなり面食らっていた。一つは、ものすごく散らけ魔だと云うことに。常にいろんなものがごちゃごちゃになってベッドに散在している。そうしてもう一つは、唐突に「お片づけ」が始まることに。「お片づけ」はおおむね、夜に始まる。消灯時間になってもまだ片づけていることも、就寝時間になって、やむなく終わる時もある。
烏と同室になった人は、このガタゴトガタゴトお片づけが始まると「お片付けも、後30分で真っ暗になるから気張りや」と励ましてくれる。もしくはかなり奇異な目で見られる。何故、昼間に片づけないんだと。でも、烏のお片付けは、「お片付け衝動」の様なものが突然わき上がって、片づけ始めるのでいつ起こるか予想もできないんだよな。
今日は部屋を片づけよう。って予定で生きてないのだ。自分のなかに何か混沌に対する臨界点があって、それを越えると唐突にお片付けが始まる。
烏の精神科の先生はこのことを知らない。単に散らかすだけの子供だと思っている。退院の時「わしが若くてもっと元気があったらな、部屋を片づけるの手伝ってやったんだがな。」なんて云ってた。とりあえず先生は「自分の部屋を片づけてから云え」、ちゅうに。烏は普段は限りなくごみためのなかで暮らしているが、ある日突然、お片付けの時がやってくるのだ。それで、ものすごく疲れはてるけれど。
烏の「お片づけ」はとても徹底している。中途半端はだめなのだ。「お片づけ」をはじめたらとことんかたづける。でも「お片付け臨界点」が来ない限り、混沌のままだ。実家なんか何年もろくに帰っていなかったので、「お片付け」する気も起きなかった。それでこの間、親にお片付けをされ、いろんなものを適当に放り込まれて発狂しかかった。余人には分からないが、一応、烏には烏の法則があるのだ。
この部屋に住みだして、1ヶ月半になるが、ようやく今夜の1時を回ってお片づけが始まってしまった。で、ある程度お片付けが終わったのでこれを書いてる。ああ、しんど。
タンスの引き出しを全部抜き、本棚の本を並べ替え。机の上もパーフェクト。明日お掃除に来たおばちゃん達はさぞやびっくりするだろう。この散らかし娘がやってきてから、初の理解可能な分別だ。いつも適当にそこらに物を置いていたからな。おばちゃん達はお掃除のたびに、床掃除だけではなく机や鏡台、本棚の上も拭いてやりたいのに、できないと思っていたに違いない。何がなんだか分からない。混沌の部屋になっていたから。
最初のうちはおばちゃんはおばちゃんなりに一生懸命、整理して片づけようとしてくれていた。でも、烏の散らかしようがあまりにひどいのと、烏が「床掃除だけ完璧にしてくれたらいいよ。」って云ってから、床掃除とベッドメイキング、窓ふきに専念するようになった。特に、ごちゃごちゃと層をなして盛り上がっている机には手もつけなくなった。
とりあえず明日のお掃除の時は分かりやすいぞ、完璧だぞ。無くしたトリプタノールはどこにもなかったが。持って来忘れたのか、間違えて捨てたのか、無いことだけは、はっきりした。なかったらどうなるのだろうか。それもまたしかたないけどさ。その時はデブ親父の所に行こうっと。
いろんなものが見つかったぞ。ホッチキス2個とかセロテープ沢山とか。ボールペン山程とか。それを適当に分類して捨てるものは捨てる。分けるものは分ける。ゴミイ様は突如、分別収集の人になられた。まあ、すぐに元のごみために戻るにせよ。おばちゃんがだいたいの場所を覚えておいてくれるとうれしいな。
この片づけたいという衝動はいったい何のだろう。頭のなかも同じで、時々お片付けが始まる。そこでいろんなものにラベリングやレッテルを貼ってしまう。勝手にKJ法の世界だ。このラベルが間違っているって気がついても、後ではがすのは大変だ。もうちょっと曖昧さを認めてやれればいいのに、こうでならねばならぬ。という頭のお堅い人におなりになる。本来の自分は、何でも興味を持つゴミイ様のくせして。
分別収集はある程度重要だ。だけど、その中間処理をもっと緩やかに穏やかにやりたいな。と、思う今日この頃。がらくたの山の中に廃棄物処理問題の本も見つけたことだし。
リハビリ現地報告52
またマミスタさせられる
烏は、またマミスタさせられました。深い知り合いができると、マミスタするちゅうより「しなければならない」という域に達してしまう。で、マミスタするためのお迎えが来てしまった。マミスタするっちゅうても、どこもまあだいたい同じなんだけど。そこに住んでいたら、フェスタにまつわる宗教やパレードなどの一連の行事が見られるけれど。よその街や村に当日だけマミスタしても、するこたあ同じ。山でも海辺でも一緒だ。
「豚肉をただひたすらに食う」のだ。
豚を食って、食って、そして食うのだ。海辺だと、多少魚料理がつくけれど。おまけとして、いろいろ別な料理やデザートも付いてくる。鶏もつぶされるから。そして、コーラかビールかラム酒のコーラ割を飲んで、できあがる。もうここまで来ると、モスリムかどうかの踏み絵の世界だな。楽しくマミスタできるかどうか、宗教の分かれ目のような気がする。烏は何でもありの、ごたまぜの日本人で良かった。
まったくカロリー計算をする気がないので、かりかりに焼けた豚のしっぽもかじってました。できないちゅう話もあるが。焼きたてでまだ熱い子豚の丸焼きから、大好きなしっぽをむしり取って。がりがりってかじってしまった。この軟骨と皮の焼きぐわいがまた。鶏の手羽先とも違って旨いんだな。がーりがーり。何故かこういうとき「だけ」堅いものが噛める。たぶん、かなり頑張って総体的に自分のテンションを上げているからだろう。だから後で疲れるのだろうが、無意識のうちにそうなってるから何とも云えない。
一般的に子豚の丸焼きは、ぱりぱりに焼けた皮が最上と云われていますが。烏は、あばら骨の周辺とかが好きだったりする。肉の付いたあばら骨を揚げたやつとか、めちゃくちゃハイカロリーだろうけれど、好き。
で、その町は昔下宿していたマムの別宅のある町だったので、帰りはマムんちに落としてもらいました。マムは都合の良いプロテスタントで、こういうフェスタ行事には参加しません。烏は「ご都合プロテスタント」と呼んでいる。そうすれば、こういったポトラッチ的消費など余計なことに金を使わないですむから。
でマミスタで疲れたので、マムんちのホビーデッキという別屋で寝てよかなと思いました。けっこう広くて風通しが良くて(壁が無いとも云う)、フェスタの村ディスコの音が遠くに聞こえる他は静か。
この村ディスコというのも、フェスタに付き物です。例え電気が通って無くても発動機で電気を起こして、ミラーボールを回してガンガンうるさいダンスミュージックをかけて踊り倒す。で、しかもフェスタまでひと月ぐらい毎土曜日ごとにやる。これには寄付金集めの意味もあって、参加者は入場料の他に例えわずかでも寄付をする。
「その曲を寄付してくれたのは、誰でいくら寄付してくれた」ってマイクで放送までされてしまうのだ。まあ、村に入れてもらっている参加費だと思って、烏は山の村に行ったとき、むしろ寄付するためにディスコに行く。
ムーディな曲の時には、男の子が女の子を誘うために、男の子が主催者に寄付金を払う。一度、かっこいい男の子から踊りを申し込まれて「あんた歳いくつよ」って聞いたら、「16歳」だなんて。倍も歳がいっていた烏は「げげげげげげ」って思いましたが。その子はちゃんと烏を誘うために、お金を払ってくれました。
今回は、昼の参加だけしかしなかったのでひたすら食っているだけでした。それでも疲れたぜ。マミスタとは疲れるものだ。と、しみじみ思った。鬱だなあ。
かつて、よくディスコなんかに参加してたあれはいったい誰だったんだ?日本で、ダンスはおろか踊りなど踊ったこともないのに。烏のディスコのパートナーになる男の子は、ちっともステップが分からない烏にあわせるのに苦労してました。烏は、訳も分からずにむちゃくちゃ手足を降り動かしていただけだからな。
ここでいっておくと、烏は「右と左が分からない」。繰り返し云うけど、その上に運動音痴だ。だから行進さえできない。右とか左とか考えた瞬間に手足がバラバラになり、蹴躓く。だからラジオ体操も嫌い。70歳になっても社交ダンスを習っている、元小学校教諭のうちの母とえらい違いだ。いったい誰の子なんだ。
ちなみに経験則で云うと、10人に一人は、右と左が分からない。そう言う人は、右とか云いながら、手ぶりもつける。圧倒的に手の方があっているので、言葉と身振りが違う人に道を聞いたら、身振りの方にいきましょう。脳のなかではあっちとこっちは分かっているけれど、あっちやこっちと右や左という言葉が結びついていないのです。
リハビリ現地報告53
烏幼児に振り回される
鬱でもマミスタした烏は、とっても疲れた。だもんで、最寄りのマムの別宅で休むことにしました。マムの別屋はマムが出稼ぎやチューターで、こせこせお金を儲けるたびにゴージャスになって行く。この建築費の何パーセントかは烏の家賃やチューターで巻き上げた金が少なからず入っているに違いない。ついには川の水を引いてプールまで作っていた。
で、風通しの良い別屋でクッションをひいて倒れていたら、マムの孫娘が襲ってきた。例のニンテンドー君の娘です。来年5歳になるらしい。普段は広い敷地でも遊び相手が犬ぐらいしかいないので、烏は良い遊び相手、と言うか襲っても怒られない遊び相手に見なされた。静かに、寝かせてくれない。くそお、去年の躁状態の5歳児の烏だったら、良い相手になっただろうが。
今回は、烏「少し」だけど大人ですから。しかも鬱だし適当にガキをかわしていたら、図に乗りやがる(人のことは云えないが)。だもんで、攻撃してくるガキを防ぎきれない。無茶をしよるので、ついに烏は切れて、ひっぱたいてやりました。そこらへんが烏もガキだな。すると目に大粒の涙をためてこらえてる。仕方がないから、だっこしてよしよししてやりました。ママん所に行くかって聞いたら、こらえていたのが堰を切ったように「ママー、ママー」と泣き喚くので、ママの所まで抱いていってやりました。
どんなに辛くても、2歳から保育園に放うり込まれて、夕方まではそれっきりだった烏とえらい違いだ。くそガキ。だが、どこに行ってもガキのおもちゃにされる烏だった。たぶん奴らは精神年齢に近いものをかぎつけて寄ってくるに違いない。生後1ヶ月の赤ん坊でも、おむつが濡れてたりやおっぱいが欲しい時以外の、単にむずかっている時に烏があやすと喜ぶしな。
おかげで絵本を描きながら、首もすわらん赤ん坊をあやすこともさせらた。とかくガキは、烏が相手をしてやると喜ぶのだ。今回も、休養にいったはずがええ加減疲れた。何で腰痛で背中も痛い烏が、ガキをおんぶしたりだっこしたりせなあかんねん。プールでも振り回されたしな。ガキを水にはめないよう遊んでやるのは、とんと苦労なことじゃった。
孫娘は、ゆっくりホビーデッキでお習字でもしようと持っていった習字道具の一つ一つにおびただしく興味を示した。そりゃ見たこと無いだろうさ。墨も硯も。興味を示すのはよいのだが、陶製の蛙の水滴をもて遊ぶのはやめなさい。それは気に入っている上に高いんだっちゅうに。水滴の背中から入れた水が口から出るのは、そりゃおもしろかろうよ。だが、その水で残りわずかな半紙をびしょびしょにするのはやめなさいちゅうに。
それで烏に怒られて、しばらくは「バキ バキ バキ(セブアノ語でおっきい蛙のこと)」と言いながら、蛙の水滴を床の上を這わせて一人で遊んでいた。が、そんな良い子は長くは続かない。
烏は休息に行ったはずなのに、自分よりガキな奴に振り回され大層疲れました。だもんで、薬をかぱかぱ飲んでホビーデッキで昼寝してやった。孫娘は「マミはいつも寝てる」ってぶうたれておりましたが。お前が悪いんじゃって。
それで、一夜明かして次の日の夕刻に帰る寸前になって事件が。マムの愛用の電子ピアノにスロムと言う蟻がわわわわって巣くっている。ここの生き物は電気製品の敵です。それで嫁さんやお手伝いさんや近所のおっさんやら総出でピアノを分解して掃除することに。パプは一人悠々とビールを飲んでましたが。
電子ピアノのマイコンのボックスの中を巣にしたらしく、蓋を開けたらもう卵を抱えた蟻だらけ。刷毛で払っても払っても取れるもんじゃなし。近所のおっさんもあきらめて放り出したほど。しかも、このスロムは人を噛む。痛いの何のって。
それを虫よけの薬をしみこませてあるテッシュで、ホロコースト作戦に出たのは烏です。途中で何回か噛まれ、痛いのを我慢しながら電子部品の一つ一つを拭いて回りました。さすがの蟻も、虫除け薬の紙でぬぐわれて何度も拭きまくられたらほとんどパッタイしました。ピアノの音も元に戻りました。だからこの事件の第1の殊勲者は烏の筈です。だのに、近所のおっさんがバナナを一房と鶏を1羽もらって帰り、パプがもう1本ビールを飲んだのは解せません。
烏にもご褒美をくれ!と叫びたかった、がしょせんそう言うときには無口な10歳児だった。ああ、烏もあの孫娘みたいにやりたい放題のガキになりたい。
リハビリ現地報告54
リアから電話をもらう
リアとは2回目にフィリピンに来たときからのつきあいです。実際にあったのはたったの2回ですが、ずっと文通もしくはe-mail友達でした。リアは同じビサヤの別の島、ボホール島に住んでいます。以前は、ボホール島やセブ島、ミンダナオまで調査しようと走り回っていましたから。よくそんなに走ってたよなと思うぐらい走り回っていた。今じゃミンダナオなんて入りたくても紛争がらみで入りにくいのに。平和な良い時代だったよなぁ。烏も元気で。
そのリアにフィリピンに来たけど、「隣の島のボホール島まで行けない、ごめん」というカードを送りました。リアは義理堅い奴なので絶対返事をくれるだろうと思って。リアと烏はだいたい同じ年頃で、仕事は看護婦です。
最初にあった当時、リアはもっと勉強したくて、なかなか結婚しないことを親から責められていた。そのシチュエーションは烏そっくりで、「そんな、結婚が大事って云われても嫌だよね。勉強を続けたいよね。親って頭堅いよね。」なんておしゃべりして、気があってしまった。
当時はお互いに頑張って英語でしゃべってた。今回、電話がかかってきた時は最初は頑張って2人とも英語でしゃべろうとしたけど、2人ともめんどくさくなってビサヤ語になってしまった。リアはビサヤ語のうちの一つボホラノ語で烏はセブアノ語なので、ボキャブラリーや言い回しは少し違うのですが。関西弁と標準語ほども違いません。
だけど時々、分からない。ボホラノのせいと云うよりは、烏のセブアノ語力がまだ以前の6割程度しか戻っていないからだ。それでも英語より楽って、あんた。烏の英語力は、以前の2割程度に落ちたままらしい。それでも去年よりましだけど。どうにもこうにも、英語がしゃべ「れない」ようだ。うーむ、これほど英語がへただと、デブ親父にまた、変な薬を処方されるのでは。
2回目に会ったときは、ボホール島への調査に立ち寄った帰りでいきなり訪ねていった。そしたら、リアの街で偶然やっていた「全国大学生の会」の世話役のボランティアをしていた。で、その時リアの家に泊めてもらった。ちなみに突然よそんちに行って、お泊まりするのは田舎では当たり前だったりする。
次の日リアは病院の勤務があったはずなのに、烏を案内すると云って無断欠勤してしまった。田舎だと、電話がないからな。「次の日曜日、今日の代わりに出勤するから良い。」って。日本の病院関係者には信じられないだろう。烏も信じられず、いいのかそんなことでってびびった。それが「本当に気のいい奴です」で済んでしまうところがビサヤなんだけど。
まあリアの勤めていたところは州立病院で、完全看護なんてありえないから。病院のランクで云うと下の方だし。このあいだ行った大学病院でも、投薬や注射など医療的な処置だけ看護婦がしていて、後は全部家族が面倒を見ていたもんな。金持ち向けの私立病院でないと、完全看護なんてありえないもんね。
で、リアに「どうして最近フィリピンに来ないの」って聞かれたので、「糖尿病と鬱で、長いこと病院にいた。」答えた。すると早速ウエストと体重を聞かれて怒られた。もっと体重落とせって。こっちにきて芋虫化が進んでいるのを怒る人に初めてあった。だいたいこっちの人は、若い女の子は別にして肉付きがいい方が良いと思うから。うむ、さすがは看護婦だ。
「だけど、最近マミスタが多くて太っちゃった」っていったら、こっちのマミスタの「あれ食え、これ食え」攻撃が分かってるから笑ってた。「でも、デブの豚にはなっちゃだめ」ってさ。「だけど、コーラだけは飲まないようにしてる」っていったらほめられた。
血糖値も聞かれて入院する前は435mg/dlもあったって云ったら、びっくりしていた。「日本はストレスが多いから、フィリピンに引っ越してこい。」って。まあ確かに病院を無断欠勤できる国だけど。でもそう言うことをすると、烏が気に病むから、どっちもどっちなんだけど。
で、「フィリピンに来て糖尿の人が多いのにびっくりした。」っていうと「そうなんだよ。コーラとかいっぱい飲むからだめなんだよ。」って。今度、フィリピンの糖尿病についての文献のコピーを送ってくれるらしい。持つべき者は友だ。
で、「こないだ大学病院で近代医療の他に呪術師とか案魔術師とか、薬草とかみんなこれが効くって思ったものを、病院内で堂々とやってたのを見たんだけどどこの病院もそうなの?」って聞いたら、「どこでもそうだよ」って。実に興味深い話ではある。躁状態だったら、即調査したいって云っていただろう。でも一応「調査しようと思ったらできる」って聞いたら「病院長の許可を取ればできるよ」って。うーむ。
精神科看護の本の1節が、頭をよぎる。『生活習慣病化した躁鬱病。学者に多い。躁状態で計画を立案し、実行段階で鬱状態となり周囲の支えで計画をやり遂げる。』烏のことか?またろくでもないことを考えているが、もう少し鬱が収まって計画がまとまったら、再考してみよう。体が動かんかったら話にならんって。
だって、社会保障のないところでは近代医療にばかり頼っていられないもんね。近代医療が全くないなら、それはそれであるがままに生きて死んでゆく。けれどフィリピンは何でもお金次第だから。近代医療もあるけれど、全面的に近代医療に依存できる金持ちは多くない。するとお金のない者はいろんなものをごちゃ混ぜにして使うしかないわけだ。
ハロハロ(まぜこぜ)っていう、いろんなものが入ったかき氷がフィリピンの名物だけれど、医療もハロハロだ。セブアノ語だと、まぜこぜはサゴルサゴルっていうのだが、かき氷だけはハロハロで通っている。何でもハロハロ、ハロハロフィリピン。病気が直るのなら何でもありだ、でも烏はちょっと頭がハロハロなので、考えが落ち着くまでもう少し待ってみよう。
ちなみに、リアよると糖尿病に関してはアンパラヤ(ニガウリ)が良いそうだ。あの苦いのが効くそうだ。糖尿病に関する代替医療として毎日ニガウリを食べると良いらしい。本当に効くかどうかわからんが、糖尿病になったおかげでいろんな事が分かるな。でも、「鬱はここ(フィリピン)にいたら絶対良くなるって」だって。だったらあのニンテンドー君はいったい何なんだ。ここにはここの問題があるのだった。
で、そのリアはつい最近、結婚していた。3年前に会ったときは、アメリカ人と文通していた夢見る乙女だったのに。今年の3月、身近な人と堅実な結婚をしたらしい。裏切り者め。で、週2日は学校に行って勉強を続け、3日は病院で働いているそうな。理解のある旦那で良かったこと。と言うか、だいたいこっちの人って奥さんがしっかり者だけどさ。まあ何はともあれ、夢が現実化して何よりです。
で、烏の結婚相手にはいろんな人をネゴシオ(仲介)してくれるんだと。糖尿病なんて気にしなくていいし、そんなに落ち込まなくてもいいからねって。だけど、烏の摂食障害と躁鬱病はどうなるんだろう。最近はそっちの方が、問題なんだけど。 ああ、またあのデブ親父の所に行くのかと思うだけで気が重い。さらに鬱になりそうだ。日本の精神科の先生は、先生が鬱だけど。毎日毎日、重たい話ばっかり聞き過ぎたらしい。だったらあのデブ親父の陽気さは何なのだろう。処方するなら、街で売ってる薬にしてよね。前回処方された薬も、5種類中3種類しか売ってなかったし。
と言う、非常にありがたいリアからの電話でした。で、リアは携帯電話を持っているので烏に持てってさ。本当にあっちもこっちも、爆発的に携帯電話がはやっているよな。それで、テックスメイト(携帯メール友達)になろうって。本当にこっちでも、日本の若い子と同じように頻繁に携帯電話でメール交換をしてるよな。どこでも人の集まるところなら、しょちゅう信号音がしている。
日本でも携帯電話を持たないし、持っても使いこなせないぼけナスの烏とはえらい違いだ。烏は文明の利器に弱いんだって。だいたいマニュアル読まんしな。このパソコンは後輩が買うのをつき合ってくれて、セットアップもしてくれた。
ちなみにリアに何で鬱なのって聞かれた。でも既に生活習慣病化している烏には、なんで自分が躁鬱病なのか問わないことにした。なんでじゃなくて、どうやって生きて行くかだ。
リハビリ現地報告55
出張美容師
烏の所には、ここのところ毎週、出張美容師が来る。ヘアカットしてもらったり、髪を染めてもらったり、美容パックをしたり。別に美容パックなんてどうでも良いいけど、好奇心でやってみた。「蜂蜜と卵でとてもきれいになるわよ」と云われたから。でも、烏にはべとべとして気持ち悪いだけだったから、一回でやめた。綺麗になった気もしないし、今更ちょっとぐらい変わったところでどうなるものでなし。
来てもらっている本当の目的は、美容マッサージ。とにかく背中や腰が痛いので、1時間、全身をもんでもらっている。それで700円ぐらい。仕上げに背中全面にインテバン(湿布薬)を揉み込んでもらっている。どこが美容マッサージや、という烏の要望だが、とにかく背中や腰が痛くて座ってられないので仕方がない。
髪も烏の髪は、もともと大変に染まりにくい。だからアメリカ製の安全な奴では染まらず、中国製の大変しみる怖い奴で勝手に染め直された。もちろんパッチテストもしてない。日本じゃパッチテストを、染める前にすることが義務づけられているけど。 以前、フィリピンでオカマの美容師に「勝手に」マホガニー色に染められたことがある。今回はその第2弾として「勝手に」マロン色に染められた。だいたいが、鬱なので相手に勝手に「こうするわよ」って云われたら抵抗できない。「はあ、さいですか・・・・・・」と、受け入れ、相手のいいようにされている。それで髪染め液を混ぜるタッパや、液が垂れてくるのを防ぐのに使った日本の黒いゴミ袋をあげたら、とても喜んでいた。もうどうでもいいや。
もともと美容院なんて緊張するから大嫌い。髪型をどうするのか聞かれるのも困る。知らない人にそんなこと聞かれても、緊張して答えられない。だから出張美容師はありがたいのだが、この人になれるまでが大変だった。全身もまれたのに、後でまた肩こりの湿布を貼った、緊張感の高い烏だった。予想外かもしれないが、ものすごく人見知りするから。もんでもらっている途中で、あーデパスかセルシンが飲みたい。飲むともっと楽だろうな、なんて。もまれながら薬が盛ってある皿を見つめてしまった。
でも不思議なことに、こっちでマッサージしてもらうと次の日まで風呂に入ってはいかんと云われる。なんでじゃ。それがフィリピンマッサージのやり方なのよ。っていわれてもな。で、とにかくこっているからかなりの力でもまれても痛くない。木でゴーリゴリもむ「足もみ屋」よりは全然ましだし。ばしゃばしゃアルコールをかけてもまれる。アルコールの他に使うローションは、雇い主のお好み次第。だから烏は「インテバン」。
何で、こんなに消毒用アルコールを愛用するのか分かんない。スーパーの棚でも、山のように消毒用アルコールが積んであるし。もむのにもばしゃばしゃかけて使う。フィリピン人はとかく消毒用アルコールを愛用しているのだ。スーッとするのが良いのだろうか。謎だ、そのくせ怪我したら、彼らはヨーチン大好きなんだけど。烏がイソジン大好きなように。あれは便利だよな、うがいと消毒とに使えて。本当は消毒に使ったらいけないのだろうが。効くからいいのだ。
彼女は美容院を持ちたいのだけれど、旦那が事故で死んで金がないそうだ。子供が2人いて、子供がかわいそうだから再婚しないんだと。フィリピンには珍しい二夫にまみえずだな。だけど大変なおしゃれさん(だから美容師をしているのだろうが)で、外見なんてどうでも良い烏とはえらい違いだ。
烏に彼女を紹介してくれたインドネシア人は、いつも約束を破ったり忘れるので困ると云っていた。彼女はわざわざバスに乗って遠くからくるのに。烏もこのインドネシア人の女の子のいい加減さには、ほとほとあきれている。とにかく、約束を守らない。海に石をつけて沈めたろうかと思う程。なので美容師の彼女には同情している。
リハビリ現地報告56
ヒランタウ(あんま術師)とマナナンバル(呪術師)
その上最近は、あんま術師も愛用している。烏が調査していた山には、上手なあんま術師がいる。村の人にそんなに背中が痛いならと教えてもらった。とにかく安い。あんまが終わったら、60円か90円か、その人の財政によるお心次第をマリア様の祭壇に置いて帰る。烏は外人だし、悪いので、150円ぐらい置いて行く。
そのあんま術師はおばあさんなんだけど、もむのがとにかく上手で、頭ももんでくれる。
手の指先も含めた、上半身全部。そしてアルコールではなく、おばあさん特製のなんだかよく分からない緑の薬を付けてもんでくれる。たぶんオイルやメントール系の何かも入っているのだろう。再利用されている空き瓶に入っているので、中身の正体は不明だ。マリア様へのお祈りも入っているに違いない。
村の人は体調が悪くなったら、まず病院に行く前にここに来る。何故か、子供も熱を出すとここへつれてくる。けっこう強い力で頭から上半身全部をもまれるので、子供は怖がって、痛がり泣き叫ぶ。もうぎゃあぎゃあ泣く。でも親は、効果があると信じているので連れてきている。
烏は腹が悪いと云われた。腹にいらん空気が溜まっていて、何とかを飲めと言われた。その何とかがいまいちよく分からなかったけど。最近とみに太って、ぷよぷよのお腹になっているからな。
ここに来るとたくさん村の人が来ていて、とにかく待たなければならない。でも烏は、勝手に置いてある枕を使って椅子に横になって寝て待っている。ずっと座って待っているのがしんどいから。
周りの村の人に「どこが悪いんだ」って聞かれるんだけど、「頭」って答えられずに、「背中の骨が曲がっていて、痛くて座っていられない」と答えている。そしたら「事故か」って聞かれるけど、「子供の時から」って答えて納得してもらい、同情をかって椅子を一つ占領する。本当はその椅子は、あんま術が終わると。どっと疲れるというかほっとするので横になりたくなる人のためなんだけど。
あんま術師のおばあちゃんのあんまは、美容師のお姉ちゃんより上手な気がする。だけど、自分で山まで行かなきゃならないので大変だ。と言うわけで、最近は患者としてあんま術にもかかっている。経験の幅が、またひろがったよな。
以前、村に住んでいたときは、あんまなんて全然興味がなかった。「子供が熱が出したし、あんま術師の所に連れて行く」って聞いても、「ふーん変なの。熱冷ましを飲んだ方がいいんじゃないの。」って思っていた。だけど、自分の体がしんどくなって、とにかく薬でもあんま術でも、病院でも何でも「使わざるをえないようになって」から、いろいろ知った世界は大きい。
まあ、去年と今年、すぐ隣の島の呪術師(マナナンバル)の所に行ったのは好奇心だけだったけど。以前書いたゲロを吐かれるって奴は、このマナナンバルの調査をする子に「ついて行った」だけ。鬱なので、積極的に何かする気がまったく起きなくて、人が聞き取りをしている横でぼーっとしていた。
実はこの島のすぐ向かいに見えるシキホール島は、黒魔術で有名なのだ。でもなかなか黒魔術師には会えない。呪い返しが怖いから。ここの人は本当に呪いを怖がっている。だから人づての紹介がないと、めったに黒魔術師には会えない。ヒーラーである白魔術師は、そこらの道ばたの店でミシンで洋服縫ってたりしていた。ヒーラーの仕事はおおむね副業のようだ。だもんで、前回も今回も白魔術師にしか会えなかった。
でも山の家族がアユンゴンの呪術師を信用しているように、「苦しいときの神頼み」ではないが、有名なヒーラーには遠くマニラやセブからも顧客がくるようだ。
去年は躁状態だったので、白魔術のヒーラーに自分から出かけて病気が直るようにお祈りしてもらった。これも料金はお心次第。祈り方は人によってだいぶ違うようだ。烏の場合、サンタマリアに祈ってから竹の筒で地の霊のお告げを聞いてもらった。で「これとこれとこれを煎じて飲め」って薬を聞いてもらった。もちろんその通りに飲まなかったので、相変わらず病気の烏である。でも、その時もらった薬草の根っこは記念品としておいてある。
もうちょっと元気になったら、いつか村の家族が信頼しているアユンゴンの呪術師の所にも行ってみようかな。アユンゴンはここからけっこう遠い。だけど、あの呪術師の霊水はごめんだな。
リハビリ現地報告57
ノープロブレム親父のプロブレム
あるいは大躁親父の糖尿病
烏が、かつてかなり世話になった親父が山にいる。名付けて「ノープロブレム親父」。この親父が、ノープロブレムと言ったときに、プロブレムがなかったためしがない。だから、世話になった反面、振り回されていたといえる。
親父は常に躁状態で、しかも大躁状態だった。精神科看護の本の一節、『躁よく躁を制する』と言う言葉が、ぴったりくる。この親父とつき合っていた頃の烏は、おおむね躁状態で仕事をしていた。だが、この親父のめちゃくちゃさには、さずがの烏もついていけず、何度もひどい目にあわされてきた。
調査を始めるときに、1度だけ本気で泣きそうになったことがある。烏の村が属する町の町長からこの親父を紹介され、この親父にいろいろ案内してもらえと言われた。当時、この親父は、町の下の村の村長をしていた。ところがこの親父。いい飲み友達ができたと思って、朝から烏を酒の肴にして動かない。いとこや、たまたま来て会う人と毎日酒盛り。そしてノープロブレムばかり繰り返す。
やる気の烏は、丸1週間、朝の9時から夕方の5時までひたすら、ラム酒のコーラ割りを飲まされ続けたときは泣きそうになった。いつになったら山の人を紹介してくれるのって。こっちは頑張って朝の9時には山に上がっているのに、今日も酒飲んだだけで夕方にはパルパル降りてくる。いい加減、親父の家より上に前進させろって。口惜しくもあったし、自分の無力さが悲しくもあった。
親父は常に大躁状態で、大言壮語でご機嫌がいい。別に烏のために乾杯を続けてくれなくっていいって。烏はとにかく上の村に行きたいんだって。あの時は、さすがにこたえたぜい。親父、もしテグレトール(抗躁剤)を知っていたら一服盛ってやりたかった。
ようやく1週間ぐらいたったとき、調査したい山の村の村長を紹介された。幸い、その村長は「まとも(酔っぱらいではない)」な人だったから良かったけれど。その村長にその後、世話になることになった家族を紹介された。この家族もまともな人たちだったから良かった。そこで「もう、酔っぱらいはごめんじゃ」と本当はいける口のくせして、山では飲めないことにしてきた。
でも、そうすると全然飲めないので、多少不自由だった。だが朝から晩までひたすら飲まされることを思えば、ぜんぜんましだ。そのうえ、ノープロブレム親父は助平で知られていて、いらぬ嫉妬を親父の妻のおばはんからかったり。50歳過ぎの大躁親父なんか、相手していらんちゅうに。
これはどこで調査しても同じこと。村長などに近づくときは、その妻への配慮を忘れると、妻からいやーな目でじとーって見られる。だから、おみやげは家族みんなへってする事にしている。でも、山で世話になることにした家族は働き者だで嫌な思いをしなくても、気持ちよく一緒に過ごせた。と言うか、おばちゃんが家の中心になって動いていた。おばちゃんとまず仲良くなったのが良かったんだな。女が頑張りやだと、その家庭はなんとか持つ。それが、ここでの鉄則のような気がする。
で、話を戻すと、その大躁親父のおかげで随分いろんな目にあった。まあ、いい経験させてもらったとも云うけれど。例のドゥブドゥブ村に行く手配もしてくれたし。山の村の更に上、タリニス山の頂上近くを目指して上がることにもなったり。当時、親父はエコツーリズムの商売を始めようとしていた。そのために州から金を少しせしめ、初めての客が烏と、その他数名。でも、何故か親父のせいで夜間行軍させられた。
これが日本軍の敗走ルートと同じで、山ビルに血を吸われるわ虫に食われるわ、何度も道から滑り落ちそうになるわ。真っ暗なのに懐中電灯の電池の予備はないわ。雨が降ってきて松明もともせないわ。もう泣きそうと云うか、マジで死にそうと云うか、夜中の2時に親父の山小屋に着いたときには、どろの様に疲れていた。大躁親父は、山猿のようにピンしゃんしてたけど。
次の朝、足の甲全体が血でどす黒く覆われているのを見た。足首まである靴を履いていたのに、山ビルが血を吸った後だった。その日、山小屋の近くを案内してもらったが、周りは日本軍の塹壕後や死体を埋めた後が、いっぱいあった。当時はマラリア猖獗地だったのを思うと、涙しそうだった。
だけど、村の人はこんな日本軍に追われて更に山の上に行かねばならず、水牛もみんな日本軍に盗られたんだな。だから山には未だに身内を日本軍に殺されて恨んでいる人がいる。烏が日本軍以来、山の上までやってきた初の日本人の場合もある。だから身をもって、戦争はしてはいけないと思わされましたとも。
2日後、山から降りるとき、烏ともう一人の膝を痛めた日本人を残し、親父はさっさと降りてしまった。麓の村に着くと、親父は既に酔っぱらってできあがっていた。そして一言「ノープロブレム」。これは親父の口癖だったのだが、親父のノープロブレムはいつもプロブレムばかりで怖いのだった。
烏が夜中に滑り落ちそうなった後を見たら、ぞっとするような崖ばっかりだったし。あの時本当に、落ちていたらどうするつもりだったんだろうか。きっと何も考えていなかったに違いない。さすがに頭にきたので、「もしなんの準備もせずに、外人を夜に連れて事故が起こったら裁判沙汰になるぞ。」って脅しといた。
でも、村のいろんな所を案内してもらえ、むちゃくちゃだったけれど便利な親父だった。で、しっかり愛もささやかれた。げげげげげげ。もちろん烏にはプロブレムだったので、怒ってきっぱり断った。大変なつきあいだったが、それなりに世話になったので、今回はおばはんのいらぬ嫉妬を買わぬように「家族みんな」へおみやげに日本のチョコレートを持って挨拶に行った。何故か日本のチョコレートは、ちらで人気があるんだな。
でも、親父にあったらどうしようかと家に行くのはドキドキものだった。烏鬱だから。そうしたら親父はおらず、おばはんと娘がいた。家族へってチョコレートを出すと、彼らは猿のようにむさぼり食っていた。このおばはんがまたたまらない。「日本人は金持ちだろう。」とか、「お前は金を持っているに違いない」とか。やめれ。金の話ばっかりするのは。烏は医療費が高くついたので貧乏なんだ。
大躁親父は40歳になってから、烏が留学していた大学のマスコミュニケーション学部を出たという努力家だ。おばはんとは世間の広さが違う。大躁親父が烏に愛をささやいたのも、こういうおばはんに嫌気がさしていて、話し相手には烏が良かったのかも。
だから、おばはんと話をするのは嫌だな。うざったくてだるいな、と思いながら大躁親父を待ってた。強引にその家族に引き留められたから。鬱だと、強引に人に勧められるのを断れない。もう、人に巻き込まれまくり。躁でも、あの親父の大躁状態には勝てないけれど。恐怖の「ノープロブレム」親父だから。仕方がないので、おばはんの「金・金・金」のうっとおしい話を聞きながら待っていた。
しばらくしたら、運良く親父が現れた。あれ?親父、前と違っているぞ。前から細身だったが、もっと細くなっている。そして、元気がない。しんどそうだ。どうしたんだ親父?と思っていたら、親父は烏が分からなかったようで怪訝そうにしている。痩せた烏を見たことがないからな。何しろ以前は70kg級だ。今、太ってきたと云っても60kg級だもん。
しばらくして、親父は烏が分かったようで、ちょっとテンションをあげてウェルカムのポーズをしたけどやっぱり元気がなさそうだった。「どうしたの?」って聞いたら「糖尿病」だって。烏の持っていたチョコレートも一口も食べなかった。長いこと続けていた村長も糖尿が原因で辞めたという。リーダーを取る親父が明るくノープロブレムを繰り返すので、この村の自治会はとても活発だったのにな。
うーむ。以前の躁状態2人組は、二人とも糖尿病から鬱になったか。ノープロブレム親父の元気のなさは、糖尿病で体がしんどい以上に鬱っぽいぞ。初めて大躁親父の鬱を見た。笑らける話だが、笑ってもいられないのがこの国の糖尿病の現状だった。あんなに痩せたなんて、尿糖がかなりおりたからに違いない。だけど、「継続的」に充分な治療が受けられないのがこの国だった。生活習慣病は、ながーいおつきあいが必要だ。定期的な検診、治療が欠かせない。でもそんなことは、ここの普通の人たちには望めないのだった。悪化したとき、初めて病院に行く。
それで、山の家族のママは死んだのだ。ノープロブレム親父がそうならないかとても心配だ。それにしても、友達が調査していた村のおばちゃんも糖尿病で痩せてきたと云うし。去年は姉妹で糖尿病のおばちゃん二人の間に挟まって、「糖尿病3人組」の写真を友達に撮ってもらってげらげら笑ってたのに。もう笑えなくなってしまった。
ここに来たらあっちもこっちも糖尿病だらけだ。ノープロブレム親父はあんなに好きだった、ラム酒のコーラ割りもすっかりやめたという。そして口癖だった「ノープロブレム」も、1回しか云わなかった。何という変わりようだ、と思った。
親父は「おばはんには、かつて烏に愛をささやいた事は秘密にしといてくれ」と云いながら、また遊びに来いと言った。でもなんだか、気が重い烏なのだった。
リハビリ現地報告58
「フィリピンはまり組」
「フィリピンはまり組」と言う言葉がある。女関係でどつぼったり、一攫千金を夢見た事業に失敗して帰れなくなったり。とにかく理由は何でもいいけれど、フィリピンにはまって日本に帰れなくなった人たちだ。そこが留学生とは違う。留学生は大概は、きちんと期間が終わったら日本に帰る。今日、偶然にうっとおしい「はまり組」のおじちゃんにコーヒーショップで遭遇してしまった。
今日は自分でコーヒーを入れる気力もなかったから。と言うか、大家が予告なしに水道のタンクの掃除をしたので、水が真っ黒な上に泡立っていて、しばらく飲めそうになくなった。絶対、水道管に鉛管を使っているに違いない。その上にこの泡立ち。何の洗剤を使ったか聞くのも恐ろしい。いつでも思うけど、何でここでは予告なしに何でもやるわけ?まあいいけど。
女関係でどつぼる人はたいてい、日本でフィリピンパブの女の人とできちゃったり、こっちで怪しい仕事をしているお姉ちゃんに、はまったりといろいろだ。だけど、そう言う女の人の家庭にはろくでもない家族がついていることが多いので、ろくでもない結果を招く。すなわち、女や女の家族に金を使い倒されて終わる。で、結果的にこっちで、ツアーガイドという名のポン引きや。怪しい仕事をしている人が多い。
まあ、どつぼってこっちにはまっても、まともに稼いでいる人もいるけれど。例のロザリーの旦那もそう。日本で貯めた預金や退職金を、全部悪魔のロザリーとその一族に使い倒された。でも、何とかダイビングのインストラクターで日々の糧を稼いでいる。まあ、「はまり組」の中ではまともな方だ。だけど、ロザリーと知り合ったはオロンガポという、元米軍基地のあった所で有数の売春地帯だった。ロザリーもその手の仕事をしてたんだから、褒められない。娘に体売らせてまで、何かしようって家族はたいていろくでもない。
村にはもっと貧乏な家族がいるけれど、まともなカトリコ(カトリック信者)の家族だったらたら、絶対にそう言うことを娘に「させない」。娘が自主的にやっちゃう場合は別だけど。家族の借金とか、自分もお金が欲しいなどの場合に娘は自主的に営業活動に入る。家族思いと、自分のステップアップが交錯しているんだろうな。
それに街のストリートチルドレンというほとんど捨て子同然になる場合、売らざるを得ない。村だと、捨て子にされても誰かに育ててもらえる。けれど、街ではそうはいかない。その点では村の方が、健全だよな。精神的に。
もう烏は、日本の生活がだるいので、ここにはまっちゃってもいいかなと思う程ドマゲッティでのたくらしている。だけど体にがたが来たということは、休養してもいいけど、隠遁してはいけないと云うことなのだろう。これから先のお金もないし。ポン引きする能力はないし。
来年の4月以降のことを考えるとクラクラする。それに一番の問題は「やる気がない」と言うことだ。もうこの鬱どっかにやってくれ。「躁鬱病その他一式、差し上げます」って段ボールの蓋に書いて捨ててやりたい。ほとんど動けんし、仕事をする気にはならんし。年金で隠居したい。ここだと、月5万の年金でもさぞや使いであるだろう。
あーもう嫌だな。今日会ったおっさんは、マニラに6年にてドマゲッティに2年いる、もろにろくでもない「はまり組」のおっさん。話していて胸くそが悪くなる程。自分でも「はまり組」って言っていた。「だけど、ここは夜遊ぶところが少ない」、とかぶうたれていた。8年もフィリピンにいて、全然言葉もできんお前って、いったい何しとんじゃ、ここで。「そんなに退屈やったら日本に帰れや。」って云いたかったけど黙ってた。
烏は夜も昼も体が動かんか、動いたら動いたなりに、することがいろいろあるわい。夜、遊ぶっても一人で海辺にいて雷見てたり、海を見ながらビール飲んでたらええやん。字を書いていてもいいし、一人でも充分遊べるやん。その点、豆腐やみそ造り、パイ生地作りと、あらゆる食べ物の手作りに邁進するダイバーのおっちゃんの方がまともだ。良寛じゃないけど「一人遊びこそ我はまされり」だ。時々、鬱になった時に話し相手がいないと寂しいけど。そう言うときはお字書きするからいいのだ。
烏は山に上がったら、何かしら「エストリア エストリア モ(おしゃべりが続く)」だし。その上、山の人は何でも手作りするから。鶏肉食べるにも、イハウ(動物を屠殺する)から始まるから。台所でも薪をくべたり、やるこたあ多いのだ。
本当にいちいちやることが多いし、雨も続くので、烏は今は山に行くのが大変なのだ。この間、あまりにしんどいので寝椅子で休もうとしたら、椅子に鶏が糞をしていた。くそお、鶏の野郎。この次に行ったらイハウしてもらうぞ。それで行ったら行ったで、しゃべり疲れて大部屋で「さあみんな寝よう」になる。
そう言うときは、どれほど眠剤を飲んでも何度も中途覚醒が起こるので困る。山ではほんとうに眠りが浅いのに、あまり動けないからしんどい。今はちょっと、彼らと共同は生活できないようだ。鬱なのにサービス満点の烏がでて、葛藤が起こり、神経が立ってしまうからだろう。
だけど、夜間の眠りが浅い分、こないだは5時半から起きて働いている彼らをよそに、気がついたら7時過ぎまで寝こけていた。そうしたら7時に学校に行く子供は、もういなかった。あー昔のかっきり6時前には起きて、なんかしら烏もお手伝いをしていた頃が懐かしいぜ。
烏もある意味で「はまり組」かもしれない。もう科研費も学振もでないのに、来年以降の街の下宿の家賃を前払いしようとしている。誰が金くれんだ?まあ京都の下宿代の月3万円を考えたら、月1万足らずで安いんだけど。1万円で、ベランダ・台所・水シャワー・お掃除付きだ、しかも安全。掛け捨て保険みたいなものだ。でも今、貧困妄想がでているらしい。一人で、どうしようかな、どうしようかなってうろたえている。
後1年、日本とフィリピンを行ったり来たりしながらはまってようかな。先が見えないことでは「はまり組」のおじさん達のように一緒だ。
しかし、本当に考えるのさえ、だるい。薬が無くて抗うつ剤を減らしたのは失敗か。一応、感情調整剤をいっぱいいっぱいにつかって、足らなくなった抗うつ剤を半量にして帰国時まで持たせることにした。しんどいときはセルシンをめいっぱい使って、アルコールもつけるってフォーメーションにしてみたけれど。
あくまで、デブ親父の所に行きたくないらしい。でもかなり体がしんどい。薬をくれ薬を。ジャンキー烏は大変つらい。マニラからの返事を待っている今週いっぱいは我慢の時だな。ううううう。だけど、マニラでもなかなか、抗精神薬は手に入りにくいらしい。烏はこっちにはまりたいけれど、体が許してくれない「はまれない組」だった。ちくしょう。
リハビリ現地報告59
宮沢賢治やお習字など再び
相変わらず宮沢賢治の童話集しか、読まない。何のためにくそ重たい専門書を持ってきたのか、ちっとも分からない。しかもお気に入りの話が決まっている。眠剤を使ってもどうしても寝付けないとき、お気に入りのお話を読むと少し満足して寝付く。子供の時みたいだ。好きなお話は、20回以上読んでいる。だから本がふにゃふにゃになりつつある。
気に入っているのは「セロ弾きのゴーシュ」「北守将軍と3人兄弟の医者」「オッペルと像」などなど。よく知られているお話は「セロ弾きのゴーシュ」ぐらいだ。傾向としては、登場人物の性格が馬鹿やろ様で、かわいらしいのが好きらしい。
むしろよく知られているメジャーな作品は、話ができすぎでお利口さんなので苦手だったりする。自己犠牲の固まりのような「グスコードブリの伝記」や「銀河鉄道の夜」とか。烏は自分が全然お利口さんではないので、お利口さんな話はちょっと苦手なのだ。
良い子になれない烏だった。わお。
子供の頃からお利口さんな話が苦手で、馬鹿な子供や唐突な話が出てくるイギリスの少年少女向けの話が好きだった。日本の子供向けのお話って、烏が小さい頃は、やたらと教訓くさいのが多かったんだよな。
ハリーポッターはいきなり出てきたわけではなくて、そのベースに分厚いイギリスのファンタジー小説の層があるんだな。なんでそうなんねんと言う奇想天外なおもしろい話の作りは、19世紀から子供を引きつけてやまないイギリスの児童文学の伝統だ。
楽しくて、ドキドキしないと子供を引きつけることはできない。教訓や、お利口さんなお話は後で充分。烏は子供だから、楽しい話じゃないと入り口でぐんにゃりしてしまう。お説教は後でいいって。といいつつ、つい120円でハリーポッターの映画を夜中に見に行ってしまった。おもしろかったけれど、英語が難しかった。
良寛の詩も若い頃は、肩に力が入っていてしんどいけれど、後になるとだんだん馬鹿馬鹿しくなってきて笑えてきて楽しい。笑える程くそまじめなんだけど、どこか少し離れたところで、その自分を本当に笑っている良寛がいる。
この間久々に、良寛の詩をお習字しようと松煙墨で墨を擦った。松煙墨は、青僕ともいう、わずかに青みがかった黒い墨。水墨画などによく使われる。だが、なかなか濃くならないので、こっちに来てからはずっと使っていなかった。するのが本当に面倒で。それに、にじみも激しいし。しんどいのでお習字していても、そのにじみをおもしろいととる余裕がなかった。本当に思うとおりにならない墨なのだ。
で、こちらに来てからずっと油煙墨を使っていた。油煙墨は茶色味がかった黒い墨。漢字や写経によく使われる。今回持ってきたのは、硯に比べて大きな墨だったから、すぐにすれる。あまりにじまない。いってみれば、楽して思い通りになる墨。
それが何を思ったか唐突に松煙墨を擦ってみた。すると、ぱっと立ちのぼる墨の香り。以前は長いこと松煙墨しか使わなかったから、久々の香りだった。ああ、この香りも好きで烏はお習字をしていたんだ。と、思い出した。でも、松煙墨の字は、本当にままならない。油断をすると、とんでもなくにじむ。だけど、それがおもしろいって思えたり、いらだったりいろいろだ。それに書く紙や墨の濃さによってもにじみ様や、字の滑りようが違うし。本当にこっちの人がよく言う、「デペン デー(状況次第)」。
だが良寛の漢詩は長くてしんどいなぁ。もうちょっと短いのにしてみよう。その上、こっちに来てからまだ一度も自分の字を書いていない。こんなに書き殴っているのに、「何云ってんだ、てめえ」と言われそうだが、作品としての字なり文章なり歌を詠んでいない。
まあいいや、今回はとりあえずリハビリと云うことでとりあえず、おしゃべりのようにパソコンで書いていよう。
尾籠な話だが、抗うつ剤を減らしたとたんウンコの形状が変わった。今までは白い腸の粘膜のような物に包まれたウンコ様が出てらっしゃたのだが、その粘膜が取れて普通のウンコになった。だけど感情調整剤や、その他一杯を使っているのでウンコが兎糞状であることは変わりがない。
動物性タンパク質をあまりとらないので、ウンコが水に浮いている。でもタンパク質は足りているらしく、黒っぽい茶色。これが山の生活が続くと、黄色いウンコになる。タンパク質不足なんだよ。体って正直だなあと、感心する。このように排泄物の観察は動物の生態以前に、烏が烏の生態を知る上で重要なのだった。
宮沢賢治の童話集は、そう言うトイレにこもる時の友でもあった。
リハビリ現地報告60
日本人の元看護婦さんにあった
昨日、フェリス女学院から来た交換留学生の元看護婦さんに会った。この人は8年程、看護婦さんをしていて、歳も30歳を超えているし、ちょっと話せるかと思って飲みに誘ってみた。烏は飲むなら彼女と二人きりで飲みたかったし、彼女もいろいろ溜まっていたみたいで、しこたま飲んだ。
烏は暇だったから、入院中に看護学の本もかなり読んでた。で、共通の話もできるかなって。看護と国際援助って、人間関係論的に考えると似てるんだな。だから看護学の最先端で問題にされていることは、援助学・脱援助学に応用できる余地は大きいんだよな。こんなこと暇人にしか思いつかないだろうが、烏は暇人だった。
そのうえ、いま指導教官並びに、主治医達+信頼する看護婦さんおよび栄養士さんに烏リハビリ報告を送っているし。もうここまで、めちゃくちゃ本音を言っていると、Coming Outどころか西行の
「惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは
身を捨ててこそ身をも助けめ」
の気分だ。
で、その人としゃべっていたら、看護専門学校を出て看護婦になったけど、燃え尽きそうになったんだって。8年間やっている間に婦長さんからは押さえつけられ、新人は何でそんなことするんだってことをするからフォローに走り回ってたんだと。しかも彼女は完璧主義で、いつも自分を責めていたそうな。
もっと患者さんによくしてあげられたんじゃないかって。まじめすぎるぐらい、まじめだよな。いつも仕事第一で、ボロボロになるまで働いて、本当にこれでいいのかって抑鬱気分が続いていたそうな。彼氏もいたけど、いつも仕事に追われてたんだって。
どこかで聞いたような話だよな。烏が長期入院していたと云ったら、開口一番「じゃあ、看護婦は敵でしょう」って云われた。烏にとっては大概の看護婦さんは、仲良しだったんだけどな。「病院がおうち」だったし。内科の看護婦さんにも好きな人や、分かってくれようとしていた人が少なくなかった。だけど彼女は、かなり自己否定が強いようだ。それだけ仕事で疲れていたのかな。
で、その時にひょいとフェリスの社会人入学コース(2年間)に受かってしまい、流れ流れて、フィリピンの果てにたどり着いたそうな。で、1年でイングリシュオリエンテーションとリサーチをやって、半年で日本で卒論を書くことになったらしい。そんなのもう少し本人の自由にしてやれよって思うけど。フェリスって学費が毎年100万円もするらしいから、お金の面で厳しいらしい。
彼女はお嬢様大学に、間違って紛れ込んだ社会人って気がする。交換留学じゃなくて休学できたら良かったのにね。もうちょっとゆっくりする時間が彼女にはいるのではないだろうか、と思った。彼女の精神的な面で、少しゆとりを持って自己肯定できるために。
でもまあ、看護婦ってお休みしても「資格さえあれば」、どこでも再就職は簡単だしな。うらやましいことに。
そこら辺が高学歴プータロー、病気持ち、やる気なしの烏とはどえらい違いだ。烏は、すでに余生のつもりだもん。何もしたくない。だけどこの先も生きていかねばならない、それがめんどくさい。
その時、大好きなベテランのいろんな科を経験した看護婦さんの言葉がよみがえる。「人間は、寿命が来たら死ぬんや。寿命が来るまでは生きるんや。」自殺や老衰も含め、何人もの生死を看取ってきた人の言葉だけに重いなあ。
リハビリ報告62
烏うろたえる
とりあえず日本に帰るけれど、しばらくフィリピンの下宿の家賃を払っておくことにした。大家は家賃を500p(1500円)あげようとしたけど。どうせいない時が多いんだし(長期間いない時、大家は烏の部屋を好きに使っているようだ。)、その時は電気代とか余計な費用いらないし、電話代の基本料金も烏の家賃についてるじゃねえか(これは予想外で驚いた。しかも大家宛の間違い電話が一杯掛かってくる。)って云って上げさせなかった。鬱だけど、ちょっと頑張ってみた。でも、大家に「なんでいないくせに家賃を払うのか」聞かれて、上手く返事ができずにうろたえた。
まあ、月1万円の心の保険だ。この2ヶ月全然いない京都の下宿の方が月3万もする。だが下宿を2カ所も持って、しかも来年度からは金がないちゅうのは考え物だ。この件ではすごく悩んだし、今も悩んでいる。親に頼るのは好きじゃないから。行き来するにもお金かかるし。
で、行き来しながら、なんとかまとまったものを書きたいなあ。何について書くのかが問題なんだけど。すぐ鬱になるから、先のことはわかんない。妙に完璧主義のうえに、頭ん中がとっちらかったままだ。ほんとうに一寸先は闇の鬱の烏だった。実際の所、予定は未定だ。だからこんな所に相談相手なしでいると、一人でうろたえて悩む。
父ちゃんは、烏を2年ぐらいは泳がしてくれると見た。だけど母ちゃんとの相互理解には、断崖絶壁がある。だから実家には、おちおちおられない。実家にいると、鬱が悪化する。お互い悪気はないんだけどさ。でも下宿には、とうてい烏の本を全部置けないんだよな。娘は本持ちの「やくざ」なのに。と、ここで考えても仕方のないことでもうろたえている。♪そーよ烏は鬱なのよ。と、もう歌っちゃえ。
そう言えば、うちの姉ちゃんは夫婦と子供の一家でボストンに留学したとき、親から借りた300万円を堂々と踏み倒したような気がする。烏もボストンで姉ちゃんに、交通費は烏持ちで1ヶ月半ただ働きのお手伝いとして使われた。この姉ちゃんのあっぱれぶりと、みみちいことで悩む烏は人間の出来が違う。
その時も、母ちゃんはお金のことでぷりぷりしていた。だから烏が「貧困妄想に陥って追いつめられる」んだな。姉ちゃんの時も、父ちゃんが「出してやれ」って言ったんだよ。
今回、母ちゃんはフィリピンに来たいようだったが、烏は何が何でも来られたら困るので、来られたら困るわけを懇切丁寧に手紙に書いて出した。父ちゃんは分かってくれて、電話したとき「自分の目の手術もあるし(父ちゃんは緑内障と白内障)、お前も無理はせんほうがいい」と返事してくれた。だけど母ちゃんは「何が何でも来る!」って。来るなちゅうに、我が身さえままならない鬱なのに。
でも、父ちゃんが体を張ってでもとめるだろう。だから目の手術を12月頭に入れたような気がする。父ちゃんナイスだぜ。
娘はこっちで、ほとんど寝ている。必死の思いで、山のパパのお誕生日会や最低限の義務だけしているのに。その上、痛み止めガンガン飲んで生きてる。マニラにあるかどうか発注した薬の件はどうなるか分かんない。この件では、人に手間をかけさせて申し訳ないと思うが無いと困るのだった。ドマゲッテイの薬屋には、どこにも烏の薬はないし。またあのデブ親父の所で変な薬を出されるのが嫌で、せっかく研修医に処方箋を書かせたのに。今連絡を待ってるが、薬切れが厳しい。完全に薬中だ。
でも、そろそろ帰りの支度を考えないとな。土産も買わねば。また重いのに、馬鹿だなあ。だけど来るときに、病院の掃除のおばちゃん2人からこっそり5000円も餞別をもらった(ええんかな、こんな事ばらして)。おばちゃん達は、時給700円前後で早朝から働いている。一見は元気そうなおばちゃん達だけど、心臓病や肝臓病を抱える70歳だった。
申し訳なくて、「もらえないよ。」って云ったら「黙ってとっとき、その代わり帰ってきたら元気な顔見せや。」だってさ。なんだか泣けてしまう。まあ「捨てる神あれば拾う神」、なんだろうな世の中は。もちろんクリスマスカードは書いた。
ちゅう調子で、またおみやげフィーバーしちゃうんだろうな。もうマニラで買える分は、ここでは買わない。変な物好きの友人向けには、夜店で「稀代な物」を見つけた。烏は露天の夜店好き。烏は、普段からいろんな人に世話になって生きている。だから、鬱だけどまだしばらくは生ていられそう。
リハビリ現地報告62
イミグレーションのオカマに会う
やっぱり抗うつ剤を減らすとあまりにもしんどいので、なくなるまでやっぱりきちんと使うことにした。そんで全部なくなる前にデブ親父に会おう。もう最低。このどうしようもない体と気力を何とかして欲しいものだ。と言って、床の上で果ててたら薬が効いてきたのでちょっと持ち直した。みごとに脳内物質の奴隷となっている。
例の看護婦のねーちゃんのために、調査許可の英文レターとか書いてんのに何で自分のはできんかな。他人のためには生きられても、まだまだ自分のために生きるのが難しい烏だった。自分を大切につっても、その自分が一番怪しいんだから仕方がない。
で、抗うつ剤でテンションをあげて、何とか両替屋とイミグレーションに行ってきた。ビザが切れそうなのが気になって。うちの街のイミグレーションはマニラや大阪の領事館と違って、すぐビザをくれる。だから、このごろはいつもうちの街でビザを取ることにしている。
だけどこのビザ代が馬鹿にならないので、まず両替屋に行かないといけない。今日は、例のスキになった両替屋がちょっと良いレートで交換してくれた。それでもあらかた8000円以上取られた。先月より2500円ぐらい高いぞ、なんでや。ここ役所関係のシステムは分かんないことだらけだ。すぐに法律とか料金とか方法が変わるし。
その時々や、人、シチュエーションで何でこうも違うのと言いたいぐらい異なる。けれど、以前は偽造就労ビザで1年以上いたので、あんまり大声で文句は言えない。偽造就労ビザつっても、ビザ自体は本物だったんだな。
でも、ビザを取るための目的と、やっていたことが全然違っていた。烏の留学していた大学のマニラオフィスのおばちゃんがドマゲッティ市長の手紙を偽造して、烏はドマゲッティ市で農業指導をするために招聘されたことになっていた。烏が「え?」って云うと、おばちゃんは「いいのよ、市長と私は友達だから」って。「そういう問題か?」。たぶん、そういう問題なんだろうここでは。
で、留学ビザや就労ビザだと毎年、年末に外人届けを出さなければならない。うちの街のイミグレーションはマニラみたいにいちゃもんをつけたりしないけど、所長がオカマだ。外人登録をするときには、まず両手の指の全部にたっぷりインクを付ける。その指を所長が小指を立ててつまみ、べったり書類に全部の指の指紋を押捺してくれる。ちゃんとイミグレのドアの外には水道の蛇口があり石鹸も用意してある手際の良さだ。でも、このインクはなかなか落ちない。
それで、1ヶ月ぶりにここのイミグレのオカマにあった。観光ビザだと毎月会わないといけないから面倒なんだよ。病院の検診みたいだ。
ビサヤはオカマに非常に寛容だ。特にドマゲッティは一度、市長がオカマになって職員の大半がオカマと入れ替わってしまったことがある。オカマ天国だ。以前はだいたいオカマの仕事と言えば美容師だった。だけど、今では美容師に限らず大学の先生にもいたり、こういう役所の職員にもいたり。オカマが堂々と正業に就いている。
村にもオカマがいる。こないだ村の親戚のオカマに鏡をあげたら喜んでいた。そう云う人に面と向かってオカマって云っても怒らない。オカマじゃない人にオカマって云うと怒るけど。マチズモって云うスペイン由来の男らしさの礼賛があるから。
ここのオカマについてはよく分からない。妻子持ちで、子供もオカマの家族がいたり、あるときはオカマ、あるときは男に変化する奴もいる。「何で男になったの」って聞いたら「好きな女の子ができたから」だって。ジェンダーとは、かように容易な変更が可能なのか?疑問が渦巻く烏だった。
ある時、村の小学校を見学したら「あの子はオカマなのよ。」と、小学校低学年の子供を指して、先生がささやいた。オカマは、大概子供の頃からそれと認知されるようだ。「望まれるべき性への適応」に対する強制がなく、オカマはオカマとして暖かく認知されている。性適応障害が重症化せずに済み、まことにけっこうなことだ。
もちろんオナベのおばちゃんにもあった。だけど圧倒的にオカマが多いよな。と、法外な金をオカマにふんだくられながら思った。鬱だから抗弁できない。あぁ。
ちなみに烏10歳は、かたくなに思春期以前を固持している。精神科の先生が女を辞めろと云ったので、女以前に戻ってしまった。そしたらホルモンバランスが更年期障害状態になった。子供に返ったつもりが婆になっただけかもしれない。こういうのをなんて云うの、ねぇ?
リハビリ現地報告63
いきなりの休日
明日は金曜日なのに、こっちのナショナルホリデーなので郵便が出せないことが分かった。予想外の休日だ。また、文章がだらだら長くなってしまうではないか。困ったな。困ったついでに、泥をはいちゃえ。精神科医のデブ親父のオフィスも休みだろうし。
家族にもあまり考えていることをしゃべらないで来た。一度、いじめられていることを話したら、母と姉に「普通じゃない、お前が悪い」と責められた。その頃は既に、鬱だったちゅうねん。高校時代、あまりにも家で無口なので母に「いつも何を考えているの」と尋ねられた。それにまじめに答えたら「お前の考えていることはさっぱりわからん」と一蹴された。本が友達だったからな。
子供の頃は父とは非言語コミュニケーションで遊んでたが。父は遊びを知っている職人肌なので。時々、その頑固親父ぶりにまいるけど。
職人肌の父のモットーは「東大や京大を出た奴にろくなのはいない」。でも、娘は2人ともそのろくでもない京大を出てしまった。しかも下の娘は、始末に負えないで、まだひつこく居る。居るためには、何らしかの理由が必要なんだろう。だが、どうにも説明できなので困った、困った。追い詰まったぞ。
だけど「なぜなに、烏」はとりあえずやめて、「どうするか烏」で生きようと思っていたら、「どうしていいか分からない烏」が出てきて、ただいま発狂中だ。最近はあんまりパニック発作を起こしてなかったのに、ここのところ頻発だ。やっぱり、抗うつ剤を減らしたせいか?いろいろ下宿のことも含めて、この先どうしたらいいのか決断の時を迫られているせいなのか?将来に対する、ぼんやりどころか著しい不安だ。それで、あんまりパニックと鬱がひどいので、泥を吐くことにした。
来年、何をしたいんだろう。これからどうしたいんだろう。と思うと、書きたいだけの烏がいる。だけど何を書きたいのかがいまいち分からないし、しかも金がない。ここの大家に、「何故、いもしない下宿の家賃を払い続けるのだ」と聞かれ、しょうがないから「病気をしたので、予想外にこっちにいられなかった。だけどフィリピンでリサーチしたから、なんとかそれについて卒業のための論文を書きたいのだ」と答えた。それで、大家は納得したけど、烏はその場限りの詭弁という気がしてならない。ほんまに論文を書きたいんか。と、ちょっと思っている烏がいる。
だいたい論文を書くだけなら資料も文献も日本に置いたままだから、日本にいた方がいいし。うわーん、どうするつもりなんだ。今はとにかくリハビリだと思って、なりふりかまわず書いているけれど。もはや「書く」と云うこと自体が目的化している。もうちょっと書く目的がはっきりしている「かのように思えた」時期もあったんだがな。いきなりの休日で、道を見失ってしまった。何しろ明日だけじゃなくて、ここ2年以上お休みしているから。
わお。と書いたところで意識も失った。あんまり薬を飲むと眠くなるんだな。突然の意識不明だ。まあ、そうやって寝てる方がぐちってぐるぐるしているよりまだましか。と言うわけで2時間程、意識不明だった。いま、意識がさめた。気がついたら、とっくに暗くなってる。ご飯を食べにでも行こうっと。まあ、そういう最近の烏の日常だった。しばらくはやっぱり抗うつ剤は抜かんとこ。
で、ゴージャスなサラダバーのレストランに行った。それで、いつもよりゴージャスメニューを頼んだので、野菜だの芋だのを食い過ぎてしんどい。内容的には、菓子やケーキばかり食べているより良いけれど。胃の限界まで食べんでもいいって。
そういや良寛の詩に、「人は誰でも飯を食う。でも何のためにかは悟らない者が多い。私がこんなことを言い出すと、世の人はみな私をあざ笑う。それは当然だから、私も笑う。世の人よ、私の言葉をあざ笑うより、自らをごまかして世を生きていけ。ごまかしのない生き方をするとき、いまの私の言葉を悟であろう」って云うのがある。
だけど、禅宗日課聖典が子供の頃のお友達だった烏は、その答えを知っている。知っているだけに、このくちくなって膨れたお腹が辛いわ。
ちなみに、明日の休日はモスリムのラマダン(断食)入りのためらしい。カトリックの聖日だけじゃなくて、モスリムのために全国が休みになるのは紛争回避のためか?ようわからんが。とにかく、郵便局が休んでばっかりの気がする。
リハビリ報告64
勝手にメリークリスマス
12月になったので、勝手にメリークリスマス(マアヨン パスコとセブアノ語では云う)な人たちが増えている。端的に言えば正月の餅代を稼ぐように、稼いで回る門付け芸人の人たち。普段は路上の片隅でお布施を待っている河原芸人や、クリスマスだけの臨時ギタリストとか合唱する人たち。
とにかく強引に人の家の前にやってきて、何かしらの布施を施さない限り立ち去らない。もし払いたくなければ、かなりの忍耐力を要する。それに要する忍耐を考えれば、なにがしか払って立ち去ってもらった方がましなぐらいだ。と言う程の、住民とクリスマス門付け芸人の間の根比べ。しかもその芸が上手かったらともかく、聞くに堪えないというか有り体にいって下手くそ。わざと住人が根負けするのを狙っているのか、と思う程だ。臨時の合唱隊の出現が一番たまらん。
以前、郊外のマムの家に住んでいたときは高い塀もなかったし、集落の中にあったのでこのような勝手にクリスマス門付け芸人の襲来をたびたび受けた。烏しかいないときは、すぐに根負けして、はした金をお渡ししてお引き取りいただいていた。しかもいくつもいくつも来る。
この間、いつものケーキ屋でいつものケーキを食べていたら、店先にも「勝手にクリスマス芸人」が現れた。店側もあんまり入り口に居座られると、営業妨害に等しいので売り物のブドウパンを1斤を渡ししてお引き取りを願っていた。芸人はあくまで現金が欲しかったようだけれど。
この期間、臨時ストリートチルドレンも増える。烏が最初に来た頃に比べると、ストリートチルドレンは減ったように思う。それはもしかしたら、街の推進する「クリーン アンド グリーン」作戦によって追いやられている「だけ」なのかもしれないけれど。少なくとも、閉まっている店の前の路上で寝ている子供などは減った。街の発展に比例して少なくなったのかな。そこら辺の実情は、よく分からない。
だが、やっぱりこの期間は臨時ストリートチルドレンというか、勝手にバイク整理屋やとかバイクふき屋の子供が現れる。以前は、中心部の路上に止めるバイク整理は勝手に整理屋(自主的とも云う)のおっちゃんがやっていた。いまは、胸に資格有りのIDをぶら下げた兄ちゃんがやっている。
でもこの期間は、やっぱり数年前と同じ。路駐禁止ではない場所でも、勝手にバイクを整理して置いたり、日よけや雨よけの段ボールを置いて「くれる」子供たちがあちこちに現れる。ご飯を食べている間に、勝手にバイクを拭いてくれちゃったりして。そうすると嫌でも小銭を渡さなくてはならない。確かにバイクを出しやすいように手伝ってくれるので、ありがたいときもあるんだけど。
場所ごとに、少年達のチームのなわばりがあるらしい。公園の夜店に行っても、バイクを出そうとすると、そこらで遊んでいた子供のうちの一人が飛んでくる。で、さりげなく「出すもんだしな」という風情で立っている。で、小銭を渡すと自分たちのグループのプラスチックのカップにチャリーンって投げ込む。
本当に分かち合い、恵みあいのクリスマスだよな。幸せの独り占めは、許さない。ちゅうの?みんなでハッピー、あなたもハッピーって所か。それなら、あの気の狂ったような各家の電飾もうなずける。もう光の渦だ。カテドラルも大学も電飾でびっかびか。海岸沿いの公園の木も電飾一杯ブーラブラ。まあクリスマス期間に街にいて良いことは、このど派手さを楽しめることかな。
だとするとあの強引な門付け芸人の布施も、勝手にバイク整理屋の料金も、そのクリスマスの楽しさを分かち合うための、必要な経費と見なさないといけないんだろうな。
って書いた次の日の午後、早速やられた。バイクを家に入れようとした、わずか一瞬を門づけガキンチョ3人組に狙われた。油断も隙もない。門を閉められないように押さえ込まれ、強引にジングルベルを聞かされてしまった。瓶の蓋の王冠を3つぐらい重ねて木に釘で打ち付けた、お手製マラカスまで振ってくれやがる。気の小さい烏は、もちろん小銭を渡してお引き取りいただきましたとも。
リハビリ現地報告65
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すばーらしい朝が来た
すばーらしい朝が来た。すばらしい朝が。もうやけくそ。今朝はいつも約束を平気で破り、日本人学生にたかるインドネシア人の女の子に対して怒っていた。そんな奴の相手をしなければいいのだが。馬鹿がつく程、律儀な烏だった。
彼女が8時半にカメラを借りに来ると云うというので、ぴったり8時には起きて(鬱なのに)待っていた。でも来やしねえ。それで朝からわざわざ英和辞典ををひきつつ、手紙を書いちゃった。「お前みたいな、甘ったれたアホはもう知らん」って。積もり積もった彼女への、ここ数年の怒りの積載可能容量が越えてしまった。英語で手紙書くなんて3年ぶりだ。10歳児の烏にしてみれば「あれ?脱鬱した?やったー!」って程のパワーだ。怒りはものすごいパワーを呼び起こす。後でその分、疲れるんだけど。
だが鬱の時に、そんなパワーは長くは続かない。怒った手紙を書いて、ご飯を食べて薬飲んだところで、ゼンマイ仕掛けでチキチキチキ動く人形が止まるように止まった。パワー切れだな。元来はアドレナリン系の烏は、怒るとものすごいパワーを出す。躁転するとも云う。だけど、いまのベースが鬱だから後でどかんと体に来る。
それで腰が痛い、と言うか背中全体に激痛がきて、またもやへたり込んで寝ている。安定剤と痛み止めを飲んでも収まらない激痛にひたすら耐えている。心身症状態だ。ちなみに、いま11時、なのに彼女はまだ来ない。連絡もまるでない。くそお。こんなに激痛で、身動きがままならない状態でなければ、さくさく起きて奴の部屋のドアに怒りの手紙を貼り付けてきてやるのに。
ちなみに彼女の宗教は、烏の研究科の一部で名高いキリスト教の一派のペンテコステ・カリスマ派だ。研究科の友人がインドネシアのペンテコステ・カリスマ派の研究をしていたから。ペンテコステ・カリスマ派は、フリーメイソンみたいな内輪受けを狙った稀代な宗教だ。中産階級の人が信者の中心で、自分たちがハッピーだと後は関係ないらしい。フィリピンにも信者がいっぱいる。夕方の礼拝時などは、この近所にある集会所が大賑わいだ。
だからこうやって怒られると、彼女はいつも泣いて神様の許しを請うている。だが、行動が改まったためしがない。お前が許しを請わなきゃならない相手は神様じゃなくて、周囲の人たちだろうと思う。って手紙に書いちゃった。
烏は、あんな歌って踊って泣きあって、信者同士がカタルシスを感じて済むご都合宗教なんて信じられない。信者同士が集団洗脳によって自己満足しているだけじゃねえか。烏は例の止まらない好奇心から、実際に集会に出てみたんだな。その時、あまりの異様さに、さすがについていけずに困惑したからそう思うんだけど。
そういえば例の元大躁親父の、大嫌いなカネ・カネ・カネ女房もペンテコステ・カリスマ派だった。元大躁親父は、女房の宗派を嫌ってたけど。
彼らは自己満足を集団で演出している。まあもっとも、その自己満足の集団が、国家とか学校や会社にすり替わったって、ちっとも不思議じゃないとは思うけど。その集団に同調できる限り、安心できるから。あの自己満足すなわち、お互いに神の名で泣いて笑って抱き合ってが、軍歌を歌って肩くんで「天皇陛下万歳!」に替わったって原理は一緒だ。だけど、その中の一人一人の行動のありようは、人それぞれだから烏には相変わらず「疑問」だらけだなんだけど。
ってぷりぷり怒ってたら、全身に激痛が走って、痛みで書くこともできなくなった。痛くて痛くてロキソニンも効かない、安定剤も効かない、湿布を張ってもだめ。肩はゴーリゴリ。首も回らなくなった。ストレスはこのように「大変に」体に悪い。ここまでストレートに出る烏は、珍品だと思うけど。
あまりに肩や背中が痛いので、手紙を烏ちの門に張って例のヒランタウのおばあちゃんの所に行くことにした。もし彼女が遅くなってでもやってきたら、手紙を見るがよい。そうしたら許してやろう。と11時半に、あんま術をやってみたいと云っていた元看護婦の女の子を誘って、パヒロット(あんま術)に出かけた。
やっぱり待たなきゃならなかったけれど、いつものように横になって待っていた。おばあちゃんちは川沿いにあるから、待っていても気持ちがいい。ヒランタウのおばあちゃんはいつもの穏やかさで「日本人の友達を連れてきた。」と言ったら、「お金も一緒に連れてきてくれてうれしいよ」って冗談を飛ばした。
で、「背中と腰が痛ーい」って泣きそうに云ったら、背中を中心にもみほぐしてくれて、その後はほっこりして湿布もいらずに済んだ。友達の場合「ここが堅い」とばあちゃんが云って、肩胛骨から肩、上腕骨にかけてゴーリゴリもまれた。もんでもらう本人は痛がってたけど後で「楽になったー」って云っていた。
で、ついでにいつものケーキ屋に出かけたら、今回はサンタやクリスマスツリーの形をしたクリスマスクッキーのサービスがついていた。試食品らしい。ラッキー。
それで家に帰ると、烏の門の手紙がはがしてあった。それで一応、烏の怒りは収まったのでカメラを貸すために、わざわざ彼女の家まで行った。やっぱり烏は喜怒哀楽が大変に激しい、暇人である。
だが人への感情が自分に向いて、自分の体をおびただしく傷つける心身症状態になるのがたまらん。あのヒランタウのおばあちゃんのように「おだやか」になりたいものだ。
リハビリ報告66
不思議なご縁の病気と食べ物
またサラダバーしてしまった。と言うより、鬱だと目新しいことが考えられない。人見知りするし。ケーキ屋の姉ちゃんとサラダバーの姉ちゃんはスキ(お得意様)だから、あまり云わなくても分かってくれるし。緊張しなくていいんだな。それが何より。「この子はチーズケーキとコーヒー」とか「サラダバー付きの料理とサンミゲルライト(ビールの名です)」とか。
ケーキ屋は一応パスタとかの料理も出しているのに、最近はメニューすら「見せてくれない」。遅い朝ご飯だろうが、昼ご飯だろうが、絶対にこの子はケーキとコーヒーだって。摂食障害児、面目躍如だ。日のでている間は、お菓子の国の人だった。と、今日も遅いお昼ご飯にケーキを食べながら、サービスでつけてくれたサンタや雪だるま、クリスマスツリーやお星様のクッキーを喜んでぽりぽり囓った。10歳児の視覚に訴えるには、大変好ましいデザインでした。
こっちに来る前は、いろんなバナナやマンゴーを食べまくるぞと思っていたのに。なんでこうなるねん。果物を売っている市場(チャンゲ)まで、なかなか行きつけん。理由の一つは夕方には閉まっちゃうから。もう一つは「郵便局」より遠いから。
たまにチャンゲに行っても、花売り場で止まっちゃうしな。花売り場の先に野菜売り場とか、肉売り場、魚売り場があって、その先に果物売り場がある。今回はどうやっても、肉・魚売り場に近寄れない烏だった。いつもは好奇心満々で、魚売り場とか見て回るのに。本当にただの1度も覗いていない。
下宿のガスコンロは、かわいそうなことにコーヒーのために湯を沸かすか、ごくまれにラーメンをゆでる以上のことがなされていない。きわめてやる気のない烏だった。鬱だと、お湯を沸かすのも一苦労。沸く間、立って待っているのが辛くて。
夜はウェイトレスして、昼は大学に行っているサラダバーレストランのスキの姉ちゃんの笑顔がまばゆい。烏は今、そんなに動けんって。で、スキの姉ちゃんがこっそり口をもぐもぐ動かしているのがおかしくて、くすくす笑ったら「どうして笑ったの」って聞かれた。「何食べてんの?」って云ったら「あんまりお腹がすいたので、目が回ったの」だってさ。
そのレストランに新しく入ったバイトの姉ちゃんがいた。さすがにそのレストランは街では高い目なので、おつりの小銭をチップに置いてくる。スキだし姉ちゃんのおやつのたしにでもしてって。今日も15円ぐらいをチップに置いて出ようとしたら、新人の女の子が本当にうれしそうに「ありがとう!」って。初めてもらったチップなんだろうな。ういういしいなあ。
烏も、昔はバイトを一日に2つも3つもこなしながら学生やっていた。はっきり言って、動きすぎやって。家が嫌で飛び出してから、むちゃくちゃ働いてたもんな。だが鬱転して以後、かつてのバイトの女王の面影はどこにもない。「烏は、働けるようになるのだろうか」とさえ思う。鬱だからな、何事にも悲観的なのだ。
ちなみに、フィリピン料理のバナナの花(タケノコの芽みたいな食感)やパパイアのサラダにスイスのブルーチーズソースをかけると意外と美味しい。この不思議な取り合わせも、この街ならではだろうと思う。サラダーバーのレストランに通っているうちに、ドイツ系スイス料理の通になりそうで怖い。
そのうえ他の客は英語しかしゃべれんヨーロッパ系の外人が多いのに、セブアノ語しかしゃべれない不思議な外人、烏。早速、新人の女の子がなついてくれた。
それで今日、何故サラダバーで野菜過食をするのか説明するのに「実は、糖尿病で」って云ったら、新人の女の子が「実は、私も」と返事したのでぎょっとした。だって20歳前後のとっても痩せている子だったので。「それじゃあ、コーラとか甘い物食だめじゃん」って云ったら「昔は大好きだったの」って。
フィリピンのペットボトル症候群か?Ⅰ型の若年性糖尿か?それとも烏の同類か?と、ちょっと思ってしまった。「また来てね」って云われた時に「また来るよ(絶対)」と、考え込みながら答えてた。
リハビリ現地報告67
「何故・何故」じいちゃんと、「どうやって」おじちゃんに会う
ライ麦パンを買いに行った例のドイツ人の店で、ついついマグカップでカプチーノを飲んだ烏です。しかも今日の午前中は、「土曜日だし」停電してたから。でも、珍しく海辺のテラスに女連れの外人がいなくて、一人の外人のじいちゃんがケーキ!とコーヒーしていた。そこで薬がちょっと回ってホロって来ていた烏は、じいちゃんと少し話をしてみることにした。薬酔いしたまま、バイクで帰ったら危ないしな。
すると、じいちゃんはドイツ人かなんかで、今ひとつ英語が分かりよらん。烏は英語が下手くそで、しかもフィリピンイングリッシュだっていうのは承知しているけど。だけどフィリピン人にだけでなく、アメリカ人にだってもっと分かってもらえるぞ。しゃべっていて、あー疲れた。「お前はヨーロッパの田舎もんか?」と言いたくなった。
じいちゃんは旅行者なようで、ここに住んでいる烏に執拗に「何故」を繰り返す。「何故、ここにいるのか」「何故、ここの大学にいたのか」「何故、農民の調査をしたのか」「何故、山の農民なのか」まるで学振の面接を受けているようだった。云っても云っても執拗に「何故」が続く。学振の面接で抜いた伝家の宝刀、「円滑な国同士の相互理解と援助のためだ(大嘘もいいとこ)。」って言ってもわかりよらん。
執拗に、「何故、お前の国はフィリピンについて理解しなければならないのか」とまで来る。最後の方には。もう面倒くさくなって「ここが好きだから」と答えても「何故、好きなんだ」と来る。
同じ質問をじいちゃんにしても「海が見えるから」とかしか答えよらんくせに。「何故ここの海なんだ」って聞いても「いろいろ旅行して回っているうちの一つだ」とかしか答えよらん。そのうえ、奴は英語がめちゃくちゃわかりよらん。
もう烏はくたびれきって、いつの間にか違うテーブルに座って本を読んでいた日本人のおっちゃんに、目で助けを求め、「じゃあ、あっちに日本人がいるから行くね」って「何故・何故」じいちゃんにバイバイした。
疲れたぜ。ほんまに。今、烏があえて伏せている「何故」を問うな。しかも、フィリピンイングリッシュや日本人英語と違って、rとlを使い分け、はっきりthは舌を噛み、fとvはきちんと唇を噛まないとだめだった。じじい、コンテキストでそれぐらい理解できんのか。耄碌しとるんか。ほんまに執拗に「何故」が続いたので、とっくに薬酔いは覚め、発狂しそうだった。肩こりばきばき。
で、その助けを求めた日本人は初めて会った人だった。脳卒中で倒れてから、右半身に麻痺が残ったそうな。一度倒れたら、何故もくそもなく、「どうやって」それから生きるかが残る。だから日本の冬は、寒くなると不自由な右半身がしびれてくるので、一家で11月から3月まで暖かいでここに住むことにしたらしい。日本人の奥さんと、子供も連れてきていた。烏は、なんとなくこのおっちゃんとしゃべって安心できた。
烏は、何が何でも国際結婚に反対じゃない。ただ、50歳や60歳を越えたじいさんと20歳前後のフィリピーナの結婚は。あんまり見ていて気持ちよくない。まあ、誰がどうやって結婚しようが、彼らの勝手だけど。しかも結婚するならともかく、セカンドワイフとしてここで一緒にべたべたしているのは、烏はちょっと見たくない。セカンドワイフをやっているフィリピーナもそれなりにしたたかで、一概に女が被害者って訳じゃないのも知ってるけど。烏は変なところで、「誠実」さを人にも自分にも求め過ぎるのかもしれない。
その脳卒中で倒れた人は、ここと日本で3年間リハビリして随分良くなったそうだ。英語の方が母音が少なくて、話しやすいと言っていた。烏も、話したいのに話せない、動きたいのに動けない辛さはよーく知っているから、このおじちゃんとは話しやすかった。トイレにも一人で行けなかったり、話そうとして口を開けても舌が回らず、つーっとよだれが垂れた経験は一緒だもんな。
だけど、脳卒中の場合だったら、烏のようにお薬が手に入らなかったり、気分の波が激しくて「わお」ってならないので半年もいられていいな。しかも家族一緒だし。と、おじちゃんにしてみたらとんでもないことをうらやましがった烏だ。云わなかったけど。烏の場合は安定期もあるし、お薬で抑えることもできるけど、おじちゃんの麻痺は一生ついて回る。
でも、今年11歳になる娘の教育について聞いたら辛そうだった。だから、それについては聞かないことにした。おじちゃんは若い頃から、東南アジアが好きでいろいろ回ってきたけれどこの街が一番「のんき」そうだから、リハビリに選んだんだって。うーん、やはり超のんきな街、ドマゲッティだったのか。
だけどそこらあたりで、薬の副作用の「眠気」がおびただしく生じてきたので、このおじちゃんにも「またね」って云って帰って寝ようとした。
それで、「どうやって」おじちゃんと話して、頭のねじがゆるんだままバイクに乗った。すると、せっかく買いに行ったライ麦パンをすっかり忘れてきて、パンを持った店員が追っかけてきた。こういうビサヤ的親切って大好きだよ。と、眠くて仕方がないぼけぼけ烏はパルパルバイクで帰ってきて、ぱたんっとそのまま寝てしまった。気がついたら、もう夕方近くだった。
リハビリ現地報告68
天国がやってくる
宮沢賢治風に、三日(みそか)の月が静かに昇ってきました。と言いたいところだが、気の狂った12月の日曜の三日月夜だった。カテドラル(中央教会)は、日ましにべっかべかの電飾が派手になり、屋根にでっかいお星様も取り付けられた。カテドラルの隣のベルタワーは、もれなく電飾で埋め尽くされまばゆいばかりだ。昼間は貧相な崩れかけの塔なのに、夜の何という美しさよ。演出された美しさの真相は、見ない方が良いらしい。
カテドラルの前の公園は夜店の他に、回転木馬が回り出し、ホラートレインの線路も設置された。どおりで今年はカルナバルがさっさと終わったわけだ。去年5歳児だった烏は毎晩カルナバルに行っていた。だのに今年はあっという間に終わってしまい、堪能できずに悔しがった。でもなあんだ、中央公園に移っただけじゃねえか。
夜のカテドラルでは、英語の礼拝の後にセブアノ語の礼拝をやっていた。ご都合キリスト教徒の烏は、聖歌隊の歌声に惹かれてするりと中に入ってしまった。沢山の敬虔な人々の中をてってってっと抜けて、ふっと聖歌隊の前に出た。思いのほか聖歌隊の人数が少なかったけど上手だった。教会って、構造的に音が響きやすいんだよな。
確かこの教会はオルガンがなかったよな、と思って伴奏を見てみるとギターだった。スペインのカテドラルはもれなくパイプオルガン付きだったが。ギターって所がフィリピンらしいよな。
で、またするりと外に出て、バイクでパルパル走っていると海岸通りからポーンポーンと火花が上がっているのが見える。それでまた、海岸通りにパルパル走って行くとだんだん本格的になって、ボカーンボカーンと打ち上げ花火が上がっている。気がついたら、ほとんど花火の真下で、パルパルバイクはエンストしていた。久々に本格的な花火を近くで見たよ(よく考えたら、夏は3年ぐらいずっと入院中だった)。
今年の病院の夏祭りも、大鬱状態で花火にも参加できなかったし。そういえば、去年の病院のクリスマス会も途中で倒れて寝ていた。なんだか今夜は、去年の病院のクリスマス会と今年の夏祭りの両方がいっぺんに来たようだ。例えがみみちいけど。
花火は海岸通りに新しく開いたメキシカンレストランの開店祝いの一つらしい。この街もどんどん変わって行くよな。観光客などのカネがある客がくるところは。カネが回ってこない場所は、ずっと変われないままだけど。
今日のお昼、以前からある、というか以前では街で唯一まともといえたレストランのオーナーの別荘にご飯をよばれに行った。別荘には香港から取り寄せたジャグジーバスやサウナ、ホームバーまであって目が回った。カネはあるところにはあるものだ。
15年前には砂糖の国際価格が暴落して、この島の危機と言われた時代があった。このオーナーは砂糖ハシエンダの地主から拝み倒されて、仕方なく砂糖を次々買い取ってやったらしい。すると、国際価格が反転して砂糖が高くなり、一生使い切れない程の大もうけをしたそうな。情けは人のためならずというか、カネはカネを呼ぶというか。
だが、病院の行事に参加できなかったことを悔やむ、しょせんは貧乏くさい烏には遠くの天国の話のようだった。
そういえば、12月に入って、夜雨が降らなくなった。来た時みたいに夜に空に雲がない。それで、新月の夜に電飾の渦の街をはずれたら、星が降るようにみごとに天の川が空の真ん中をしめて流れていた。息をのむような、美しさだった。天国が本当にあるのならば、あの銀河のどこかにあるのかもしれない。と、少し思った。
リハビリ現地報告69
サトウキビの季節
季節感が乏しいフィリピンだが、果物などにはしっかり季節感がある。むしろ、季節を問わず一年中なっているのは、バナナやパパイヤなどの少数だ。だから、季節物は街中にあふれる。季節でないものは、滅多に手に入らない。もしくは、よその土地でできた品を持ってきているので高い。
実はサトウキビにも季節がある。12月に入り出してから、サトウキビを満載したトラックがハイウェイを頻繁に行き来するようになった。これから1月2月が刈り入れの最盛期だ。もちろん9月頃~5月頃の間なら、時期をずらして収穫する畑がない訳ではない。 だけど、これが「ネグロスだ!」ちゅうほど、休む間もなくサトウキビを満載した大型トラックがハイウェイを行き来するのはこの季節。砂糖価格が暴落したときに、サトウキビの大型精糖工場(セントラル)のいくつかがつぶれ、いま残っているセントラルも他の産業に取り残された気配があり青息吐息だ。だから、サトウキビは以前より遠くのセントラルに送られるようになり、街を轟音とともに通り抜けハイウェイを突っ走る。
烏の街の近くは、山地がせり出して平坦部が少ない。だから、だだっ広いサトウキビプランテーションは街のずっと南や北に多い。南にあったセントラルにつぶれたのがあるのでサトウキビの一部は街を突き抜け、北に残ったセントラルに向かうものが出てきた。ネグロス島の南は未開発な土地が多く、政情不安な最近はゲリラがでたりしているからかもしれない。北部の工場の方が港も近いし、隣の州との交通の要衝の地にあるし。
州の北部のサトウキビ畑は整備が進んでいて、刈り取った後、ディーゼル車が引っ張る貨物列車に積み込まれる。サトウキビが積まれた無蓋貨車が何車両もつながり、ドコドコドコドコと引っ張られてセントラルに送られる。北部には、サトウキビ収穫専用の線路がハイウェイを横断して引かれている場所が何カ所かある。そこには「列車の横断に注意」の看板も立っている。もちろん、列車が走る季節や時なんて限られているから、引っかかるなんてめったにない。
でも万が一、この列車がハイウェイを通る時に引っかかると延々と待たなくちゃならない。ディーゼル車は鈍い、貨車は何両も続く。ハイウェイの通行止めは、ため息をつきたくなる程の長さだ。まあ、州の北部は街の近くと違って、交通量がまだまだ少ないからいいんだろうけれどさ。
サトウキビ畑(トゥボアン)は、サトウキビが生えているときはススキ野原のような背の高い稲科の草本に覆われている。白い穂(花)を出すところも似ているし。だけど、刈り取った後のサトウキビ畑は独特だ。特に、刈り取って2・3日後のサトウキビ畑の臭いは、忘れようがない。腐敗と発酵は、同じ現象を人間の都合によって使い分けているだけだ。人間の役に立たないのが腐敗で、役に立つのが発酵をさす。
サトウキビも刈り取られて数日後、残った枝葉が腐ってくる。この腐った臭いが、サトウキビから作る、安いラム酒にそっくり。烏が何度も泣かされた、ラム酒のコーラ割りのラム酒の臭い。この安いラム酒はタンドアイ45とか65とか呼ばれる奴で、数字の部分はアルコール度数。山奥のちんけな雑貨屋でも売っている。甘ったるくてきつい酒。で、なんと言っても安い。安上がりにべろべろになりたい人にはお勧めな、庶民の酒だ。
このラム酒、実は絞ったサトウキビの汁を精白したサトウの残りの蜜から作る。サトウキビの汁を煮詰めると、どろどろの黒い汁になる。それをそのまま乾燥させて固めれば、黒砂糖だ。含蜜糖とも呼ばれる。セントラルでは、サトウキビを絞るだけでなく、いろいろな成分が混じった黒蜜と、糖分(ショ糖)のみの精白糖に分離する。この精白糖の残りの黒蜜を発酵させてラム酒は作られる。
同じことが、サトウキビの刈り後の畑で起こっている。むわわわわわわって、サトウキビの腐る臭い、すなわちラム酒の発酵過程と同じ臭いが辺り一帯に立ちこめる。バイクでその中の道を突っ走っている「だけ」で、酔っぱらいそうだ。だいたいタンドアイなんて安酒は、きつい上にろくでもない悪酔いをする。道を走っているだけで、悪酔いしそうな気がする程だ。踏切で待っている時なんて最悪。これで、コーラを飲んだら、臭いだけはラム酒のコーラ割りのできあがり。うぷっ。考えただけで胸が・・・・・・。
烏は、いまはコーラもラム酒も怖い糖尿病だった。そのくせ、例のレストランのオーナーの別荘で、食事のシメに「タミイス ナ、タミイス ナ(甘いものちょーだい、甘いもの)」と喚く子供だった。烏の知らないうちにデザートのケーキがなくなっていたのだ。子供は大変悔しかった。それでオーナーは喚いている烏のために、別にウベ(紫色の山芋)のクッキーの箱を開けてくれた。
リハビリ現地報告70
大宴会でハッピーエンド?
ここまで書くと、コピーしてくれている秘書さんに申し訳ない気がする。ほとんど自動書記化している。だがよく意識を失い、気がついたら2時間ぐらいたってることが多い。「一日」と言う単位で意識が保てない。だから一日仕事ができる人がうらやましいなあ。
一日が2分割とか、3分割されてしまって、この時間だったら毎日「必ず」起きて意識があると断言できる時間が少ない。それで正午からやっている映画館なのに、決まった時間に間に合わず、9時からの終映でハリーポッターを2回見た。ノーカット版だから9時から見ると終わるのが11時半を回って、帰ってくるのが夜中の12時近くになる。だが、のんき都市ドマゲッティでバイクに乗ってるのならどうってことはない。
ハリーポッターは入院当初に、人が本を貸してくれたので読んだ。映画は前半はいいんだけれど、後半は本のがおもしろかったな。と言うか、映画はハリウッド的な派手な演出をしすぎで想像力を殺している部分が大きいなあ。と思いつつ2回見に行って、もう1回ぐらいは見に行きそうな気がする。
理由の一つは、英語がよく分からないからだ。2回目で、ああここはそう云ってたのかって分かった所が多い。3回見るともうすこしは分かるだろう。で、もう一つは宮沢賢治の童話をひつこく読むように、烏はハリーポッターと言う童話世界を堪能している。10歳児向けだ。最後の理由は、今うちの街でやっている映画がハリーポッター「だけ」だからだ。
だが、烏はもっと隠れた本当の理由を知っている。それはハリーポッターの学校の食堂の風景が好きだからだ。大食堂にずらーっと子供達が並んでいて、テーブルの上には山盛りの様々なごちそう。最後のシーンで、大食堂に子供達や先生が並んで、食べ物があふれんばかりに並んでいる。天井にはゆらゆら宙に浮く幻想的なロウソク。
そこで、子供達が感度の再会をしたり、校長先生が演説したり、蜘蛛になってた子供達の友達のおじさんが帰ってきたりと、いろいろストーリーがハッピーエンドに向かってゆくのだが、烏が気になるのは、ストーリーよりてんこ盛りの食べ物のようだ。だってハッピーエンドなんて想像力がいらない。それより、映画の最後まで食われることのない鶏の足の山とかグリーンピースの山が、烏を呼ぶ。
子供の頃から好きだったんだよ。大団円で終わる、食べ物がいっぱいの童話が。それが好きで何度も何度も読みかえしていた話は多い。これも摂食障害の一形態かしらん。と、今になって、烏10歳は振り返る。
リハビリ現地報告71
「約束?」
だるい。ここ二日ほど、体調が絶悪でパソコンにすらさわれなかった。例の光が痛いという奴です。実は昨夕、山に上がる約束をしたのだがあまりの体調の悪さに止めた。今までの烏だったら、「約束」を守れなかったことで、自分を責めて、責めて、責めまくっていただろう。だが、責める余裕もないほど、疲れてた。ぱらっと雨も降りかけたしな。最近では珍しく曇ってたし。山はきっと雨だろうと、自分を納得させていた。
そうすると夜になって晴れてきて、綺麗なお月様が上がってきたので大変心が痛んだ。で、代わりに今日山に上がろうとしたけれど体調がどろどろに悪い。もう仕方ないや、と今日も心を痛めながら明日にすることにした。肩の奥の方の神経がしこって、ばきばきだ。
だいたい体調が悪くなったのが昨日からで、それは一昨日、寝付きが悪かったせいなんだけど。寝つけたのがようやく朝6時なのに、朝の9時前に叩き起こされた。カメラを貸したインドネシア人の女の子に、「今度は約束を守って、ちゃんと返せよ」と言っておいたら。何も自分の朝一番の授業の前に、人を叩き起こしてまで返しにこんで良いって。
しかも、「いつも自分勝手に約束破ってごめんなさい、悪気はないんです。」っていう反省文付きで。朝はあかんって云ってあるやろう。そういう自分の都合にだけ合わせた「自己満足」な善意。「彼女にだけ」都合の良い善意を満載した、自分勝手な行動が嫌いなのに。ぼけ。
またそれから薬を飲んでも眠られず、体がしんどいのでぼーっとしていたら、昼頃に日本の友達から電話が掛かってきた。日本は珍しく12月の大雪なんだと。彼女も過食症で、いい加減なところはいい加減だけど、人一倍気を遣うきっちりしたところがある。だから大雪なのに会社に行ったらしい。すると会社は臨時休みで、社員のうち来ていたのは彼女の他はもう一人だけだったそうだ。彼女の親父もくそまじめで、車で出勤途中に彼女を会社まで送ってきたらしい。そのため、いつもより朝早く彼女が家をでた直後、休業の電話があったそうな。律儀もんの馬鹿やろ様。二人して「お互い馬鹿だよねー」って笑いあってしまった。
だが、さすがに睡眠時間が3時間以下だと体にこたえる。それに、昼すぎに例の出張美容師が来るといった時間に来やしねえ。「約束」をなんだと思ってんだ?日本人が、というか烏が、約束に「こだわりすぎ」ているのかもしれないが。
先週その美容師から、「インドネシア人の女の子達が、全然約束を守らない」と云う愚痴を聞かされたばかりだというのに。1時間キリキリして待っていたのけど来やしねえ。お腹もすいたし(たぶん甘い物のご褒美が欲しくてたまらなくなったにちがいない)ので、1時間後に門にメモを張ってケーキ食べに出かけた。郵便も出したいし、停電でとまった冷蔵庫の牛乳は腐ってたし。
1時間後にケーキを食べて所用をすませ、帰ってきたらメモがはがされている。そこで昼のお薬をカパカパ飲んで、ようやく意識を「失えた」。気がつくと夕刻で雨も降りかかっているし、村に行く「約束」を破ることにした。なんだか村の人には全然関係ない話なのに、悪いなあと思いつつ。
で、とにかく昨夜はと言うか昨日は、丸一日、気分も体調も悪かった。その埋め合わせに今日は村に上がろうと思った。そのために充分な睡眠を取って体調を回復しようと、昨夜の9時前に眠剤をカパカパ飲んで寝た。最近は宮沢賢治の童話も効かないぐらい調子が悪いので、久々の眠剤フルセットになった。それでも中途覚醒は起こるし。なんで薬飲んで2時間でしゃっきり目がさめんねん。薬飲んでいるから外には出ちゃあ如何、とだけは思いましたけど。
仕方がないので、気晴らしにマニラの知人に抗うつ剤の件の問い合わせ及び、愚痴をたれに電話した。やはり、マニラでも抗精神薬はなかなか手に入りに難く、烏の薬はないそうだ。せっかくだったが、残念だったよ研修医君。「ないものない」のだ。そういう所なのだ。手持ちで何とかするしかないな。もう、全然、デブ親父の所に行く気がなくなっている。体調が悪いのは、それでちょっと薬が不規則になっているせいもある。
ちなみに、マニラの知人には「お酒飲んでもだめなの」って聞かれた。烏は1升酒飲んでもパーフェクトに記憶が残ってるし、だいたいアルコールって飲んでから4時間でかっきり覚醒が来るんだよ。烏の場合、アルコールは脳に作用するより、消化器系に来る(それほど飲む)。次の日が下痢したり、全身アセトアルデヒドで気持ち悪くて大変なんだな。酒飲んで眠れる人は幸せだ。幸か不幸か、強いんだよ烏。しかも、アルコールごときで、寝られたり憂さを晴らせたら病気やないって。好きで神経の爆発が起こるんやないって。
それでも何度も夜中に目が覚めた、たまらん一夜だった。そのうえベノジール君(長時間作用型)という薬と相性が合わなかったらしく、朝、目が覚めて起きようとすると意識は起きているけれど、ベノジールの作用のおかげで体が意識についてこれずにベッドからもろに落ちた。受け身もくそもなくベチャンてそのまま全身強打。床がタイルなので、死ぬほど痛かった。痛くて痛くて、痛みとベノジールのせいで体が動かず床の上で死んでいた。
すると、昨日の埋め合わせに、勝手に、出張美容師が朝の9時に現れた。インドネシア人の女の子たちの所に行く前に一仕事しようと思ったらしい。もうたまらん。こっちの都合も考えろちゅうに。昨日はおしゃべりしているうちに、約束の1時間が過ぎていたことに気がついたんだと。ぼけ。
なんかいろんな奴に、いいようにされているよなあ。それでも烏は払いの良い客だから、押しかけてきたんだろうな。彼女曰く何よりも烏のいいのは「怒らない」所だそうだ。やっぱり烏が「怒らない」ことをいいことに好きなようにされてる気がする。来週は腹いせに、門にメモを張って「約束」の時間にSorryって書いて消えてやると決意した。13日だし隣町の「おびんずる様」のところに行こうっと。烏だって怒るのだ。
それでも朝薬プラス、カパカパ安定剤飲んで全身もまれたら少しは楽になった。と言うか強い全身倦怠感が3時間ぐらいつづいた。それがマッサージのせいか、ベノジールがひっぱているせいか、安定剤のせいか分からないままに、だるくてだるくて全く動けずに3時間ほど止まってた。
でも、安定剤が切れると元の木阿弥でまた痛みがしこってくる。それも、痛み止めも効かない、ご飯を食べにいってもだめ。ちょっと痛みと疲れが収まった頃には、外は既に暗くなっていた。こんだけだるいと、今日も山に行かない方がいいなと決断した。「約束」っていったいなんだ。って思いながら、反省文みたいなこの文章を書いている。
リハビリ現地報告72
烏頑固者
ご飯の帰りに、気晴らしにまたハリーポッターを見ようとしても、腰が痛くて座席に座ってられない。あまりにしんどいので映画の途中で出た。疲れていたので、近くの甘い物の店で、いつものケーキに似ているケーキを頼んだら、まずかった。
烏は、甘い物にはうるさいのだ。この店のケーキはほとんど、まがいもん。と言うか、フィリピンでしか通用しない。はっきり言って見かけ倒し。派手なだけ。だから、それはそれでフィリピンオリジナルケーキと言っても良いのだが、烏のどこかがそのケーキをチョコレートムースと呼ぶのを許さない。
烏は、柔らかい甘いものフリークだからシャーベット、ムース、ババロア、プリンやブラマンシュは自分でもよく作っていた。だから云うのだが、こんなもん「ちょっとのセンス」があれば、もっと美味しく作れるやろうと、プンスカ来た。
そういえば昔この店で、ただの生クリームをゼラチンで固めたものにブルーベリーソースをかけたのを「ブルーベリーチーズケーキ」として売っていたのを食べた。それ以来、ここには2度と来ないと誓ったのを思い出した。やっぱりケーキもどきばっかりや、見かけだけのニセケーキ屋の域を脱してない。これがいくらフィリピンのケーキだと言われても許さん。
だから烏が、この街でケーキ屋と呼ぶのはなじみのケーキ屋の唯一つなのだ。一般的にこの街でケーキ屋と言われているのは、ここと、なじみの店の2軒なんだけど。なじみの店の方が小さいし、今は店の前を道路工事中でなお良い。あえて工事中の道路封鎖を突破してまで、毎日かよう様なあほな常連が烏だけなのだ。だからなじみの店の姉ちゃん達とはとてもなかが良い。
もう一軒の店のケーキを、他の女の子がいくら勧めようが許さん。だったら、そこらへんのパン屋で売っているシナモンロールやチョコレートドロドロケーキ、ブラウニーの方がよっぽど、フィリピンのオリジナリティがあふれていてうまいわい。ココナツパンとか、これは人間の食い物か、と思うぐらいとんでもない色をしているウベ(紫山芋)ケーキとか。見かけはともかく、以外と旨い。
で、いつものケーキ屋に行き直し、いつものケーキとスキのお姉ちゃんとのいつもの冗談で、ようやく少し腹がおさまった。ちっちゃい子と一緒だから「いつも」同じじゃないとだめなのかもしれない。烏は大変に頑固なのだ。特に食べ物に関しては。
だけど頑固じじいとちがって、違うものを受け入れる余地がないわけではない。スペインにいた時は、間違って牛レバーのステーキを頼んだ時以外は、何でも美味しい美味しいと食べていた。レバー以外に吐きそうだったのは、ファンタレモンだけ。ファンタは何が悲しくて、自主的にOGTT(糖負荷試験)せなあかんねんと半分で捨てた。
フランスではコーラやファンタをほとんど見なかった。清涼飲料水としてボルビックとかボルビックレモン味(甘くない)の方ががよく売られていた。スペイン人はコーラとファンタレモンが好きなようだ。もちろんスペインにはダイエットコークがあったけど。
フィリピンに来たら、清涼飲料水はひたすらコーラやスプライト、セブンアップとかネスティとか死ぬほど甘いもんばっかし。もちろんダイエットバージョンはない。砂糖が国内で余りまくっているからな。それでまだビールの方がまし?って、珍しくご飯を食べる時はビールを飲んでいる烏でした。本当に良い子になりたかったら、水でも飲んどけよ、一応ミネラルウオーターもあるし、とは思うけど。
本当のことを云えば、全然受け付けないほど嫌いなのはレバー、魚の血合い、硬ゆで卵と、中身が半分雛なったゆで卵のバロット(東南アジアに広くあるようだ)、鯖寿司、白くて堅く固まったご飯(フィリピンではよくある冷やご飯)。実は、普通の炊きたての白いご飯も時々「怖い」。白粥、マヨネーズ、サウザンドアイランドドレッシング、マーガリン、植物性ホイップの生クリーム以外は、あまり嫌いなものはないのだ。昔はもっと多かったけれど。
だが、口がおごっていることは認める。あんまり安っぽい植物性油脂でごまかしてあるマーガリンとか入ったパンとか嫌いだもん。その点ヨーロッパは良かったな。マーガリン天国じゃなくて。ちゃんとバターやクリームの味を味わい分ける人がいて。だからパンも旨かった。ただ、まがいもんの味が嫌いなんだよ。だから「味の素」も嫌い。
病院では大偏食を通して、あれやこれや因縁をつけられた研修医の兄ちゃんがこの部分を読んだら唖然とするだろうけれど。俺の苦労は何やねんって。唖然、呆然としてくれい。ちなみに糖尿科にいた時は、拒食が始まるまで食事量記入の用紙に一言「マヨネーズ嫌い」と書いた以外は、普通の糖尿食をほとんど全量食べていたさ。
それに大偏食で、食の頑固者の烏が、ここに居着いたのにも不信を抱いてくれ。烏も不思議だ。たぶん何かの縁なのだろう。少なくとも、日本に輸入されているバナナより旨いバナナは食える。焼き鳥もかつてはもっと旨かった。
だのに、最近大型養鶏場が増えているのを危惧している。そこらの庭を走り回っているネイティブチキンは食うところが少ないが、旨い。特に肉よりも、手羽などを骨ごとがりがり囓ることが一番好きな烏は、ネイティブチキンの丸焼きの方が好き。
大型養鶏場と言ってもケージ飼いにはほど遠く、縦長の巨大なニッパハウス(椰子の葉の屋根の小屋)に、ぎゅうぎゅう押し詰まって肥育されているのだが。この島は、強い闘鶏を育てることでも、鶏肉が旨いことでも知られていたのだが。最近、ちょっと焼鳥屋の鶏の味が落ちたような気がする。
ちなみにハリーポッターで一番気になる食べ物は、ハグリーというおっちゃんの小屋にあったライ麦パンの固まり。庶民の食べもんだ。一番食べたくないなと思ったのが、2人のデブが思わず食べたチョコレートマフィン。あのデブが抱えていたマドレーヌも嫌いだと思った。最初に出てくるフィリピンチックな、派手派手ケーキ(アメリカ人が演出を考えたに違いない)も、人間の食い物に思えん。もしかしたら、烏はハリーポッターの食い物しか見ていないのだろうか?可能性は高い。
リハビリ現地報告73
スペインからフィリピンへ
例のメキシコ料理屋に行った。臨場感や演出は満点なのだが、料理の味がやっぱりフィリピナイズされている。唐辛子辛いのが苦手なフィリピン人向けに、ホットソースのものが全然辛くない。なんだか妙に甘ったるかったりして。味には、大変ご不満な烏だった。
オーナーはスペイン系フィリピン人なんだけど。完璧に白人の容貌をしている。どうやらフィリピンだけでなく、メキシコや中南米にはスペイン系の同族組織というか、スペイン系どうしの結託があるらしい。結婚は国境を越えても、そのスペイン系同士で行われ、現地人の血が混じらないようにしていると言われている。嘘か本当か知らないが、さもありなんと思う程、名家と呼ばれるスペイン系の一家の中には、幾世代も白人の純血を保っている。
スペインで庶民のスペイン人にその話をしたら、かえってびっくりしていた。庶民と雲の上の方々は、フィリピンと同じように考えていることが違うのかもしれない。このメキシカンレストランのオーナーも、この街のはずれにある、ちょっとリッチなリゾートのオーナも一家全員がスペイン系で完璧に白人顔だ。セブの有力者一家もそうだし。
フィリピンのカトリックは、メキシコ経由で来たという。だからかなりフィリピナイズされている。それをフォークカトリシズムというのだけれど、烏はその現地化がどれほど進んでいるのか知りたくてスペインに行った。食べ物も興味の対象だったけれど。本家本元とフィリピンってどれほど違う訳って。
だいぶ違ってた。というより、スペイン人にとっては、もはやレコンキスタや大陸征服の時代は過ぎ、宗教の重要性は失われてきているように見えた。相変わらずカテドラル(大聖堂)は街の中心にあるのだけれど、市民戦争、ファシズムで押さえつけられたフランコ独裁時代、それからきた民主化の時代のなかでもっと現実的に生きているように思えた。
スペインには教会はうじゃうじゃあったし、王権神授説の時代は何が何でもカトリック。
カトリック以外の人々は迫害されて他の地に追いやられるか、新カトリックとして結局国内で、魔女裁判の犠牲になったりして迫害されていたのに。今ではすっかり、アルハンブラ宮殿をはじめとした旧アラブ時代の遺跡や、旧ユダヤ人街を観光の目玉にしている。かつてのミックスカルチャーをネタに、お金儲けに一生懸命だ。
だからアンダルシアの方には、モロッコの商品やアラブ風を売り物にした商店街もある。トレドにだって、ユダヤ教の教会シナゴーグを売りにして、ユダヤ博物館やユダヤ教にちなんだおみやげ物があった。かつて、これらの人々へ行われた迫害はなんやってん。と、気の毒に思えるほどの変わりようだ。
教会フリーカーの烏は、スペインで教会の礼拝時を覗いたけれど、スペインの教会のかつての栄光はともかく、今ではフィリピンの方が賑わっているように思えた。スペインのカトリックは、大聖堂などの博物館的遺物に閉じこめられている気がした。でも、フィリピンでは、キリストやらマリア様やらサント・ニーニョ(聖なるキリスト)があっちこっちになにげにいる。
日本で交通安全祈願のお守りをぶら下げている人がいるように。ジプニーや車のフロントや、バイクのレバーにロザリオをぶら下げている人がいっぱいいる。イージーライド(軽トラを改良した乗合自動車)の側面にサント・ニーニョ(聖なる子供のキリスト)と書いてあったりするところといい。このサント・ニーニョと書くのは、日本で云う立ちションよけの鳥居と同じ様な衝突予防か?と思ったほどだ。
そういうことはスペインではいっさい見なかった。もっとクールちゅうか、スマートちゅうか。教会に来ている人も、スペインではおばあさんが多かったし。フィリピンではとってもかわいいお姉ちゃんとかが、一生懸命にうるうる祈ってたりする。フィリピンの信仰形態の方が、かわいいというか。直裁的で一生懸命ちゅうか。
でも、フィリピンでもだんだんそのいじらしさが薄れて来つつあるようだ。日本でお正月に車にしめ縄をつける人が減ってきているように。人にも寄るけど。昔は、フェスタと言えば今ほどいろんな種類の料理がなかった。そのかわり必ず教会に行ったそうだ。今は土地柄や人によるけれど行かない人が多い。ただひたすらに客に豚肉や酒、コーラを振る舞う日になっている。
それにもっと気になるのが、ここ数年でサント・ニーニョ像が減っている。ルソンはマリア信仰、ビサヤはサント・ニーニョ信仰が盛んだったのに。赤いマントのサント・ニーニョは家内安全、緑のマントのサント・ニーニョは商売繁盛と使い分けまでされていたのに。セブにマゼランがやってきた時、初めてセブにサント・ニーニョ像とともにキリスト教をもたらした。だからセブではサント・ニーニョ信仰が盛んなのだ。
だのに今年はあまり見かけないし、売っているところも見ない。うちの街やその周りだけかもしれないけれど。最近、うちの街は妙な華人グッズや中国系の商品が多いからなあ。プラスチックの金色の銭がじゃらじゃらついて赤い房のたれている飾りものとか。道ばたでも露天の夜店でも売っている。セブも金持ちな華人がいるけど、うちの街も華人が幅をきかせている。
だからセブのサント・ニーニョ信仰がどうなっているのか、そのほかの場所どうなのか行ってみなくちゃ分からないけど、今年は行けないからなあ。
でもスペインに行って、はじめてスペインにもまだアシエンダ(ハシエンダ=大土地所有制)の問題が残っていることを知った。スペインの場合は、地中海性気候が生んだオリーブとブドウ。オリーブオイルと、ビーノ(血)と呼ばれる赤ワイン。どっちとも加工できる農産物だった。そしてどっちにせよ、高温多湿のフィリピンでは生産できない作物だった。烏のいる島では、そのアシエンダの生産物がココナツとサトウキビだった。ココナツオイルと砂糖。
最近日本では、オリーブオイルや赤ワインは健康に良いと人気を呼んでいる。一時期のナタデココブームや最近のエスニック料理人気でココナツミルクは使われるようになったが、あまり人気がない「ココナツオイル」と「砂糖」だった。実はコンビニに行けば、ココナツオイルはポテトチップスを揚げる時などスナック菓子に使われるので、「ココナツオイル」も「砂糖」もあふれているんだけどさ。
リハビリ現地報告74
約束はできない約束
りちぎもんのリアが宅急便で、ちゃんと部厚な糖尿病の論文をコピーして送ってくれた。が、中はまだあまり見ていない。血糖測定器の使い方の説明からあったからな。それで、ちょっとぐんにゃりして、本棚にそのままに置いてある。すぐにお礼の電話をしようかと思ったがクリスマスカードの方がいいかなと思って、あてにならんフィリピンの郵便局からクリスマスカードを送った。
あてにならん、というのは都市部では「着かない」というより「いつ着くか予想できん」ということだ。特に12月はクリスマスカードシーズンなので、郵便がいつつくか予測が全くできん。国内ならば、ある程度の量ならば、むしろ郵便よりは宅急便の方がよっぽど正確で値段も安い。だからリアも民間の宅急便で送ってくれた。
日本の郵便局は、何とか宅急便に対抗しようと早い・正確を心がけているが、こっちには全然そういう気配はない。そのうち倒産するんとちゃうかと思う程だが、外国宛や成績表や請求書は郵便で送るから殿様商売だ。その上クリスマスシーズンに突入し、いつも10人ぐらい並んでいる列が、40人ぐらいになっていてうんざりした。
何しろ何人並ぼうが、相変わらず例の愛想の悪いおばはんが唯一の窓口だ。あまりの列の長さにうんざりして、めまいがした。近くの店でキッシュパイとコーヒーを飲んで出直してみても、列の長さが短くなっているようには見えない。要するにおばはんの処理能力と、人の蓄積スピードがほぼ均衡しているのだ。
朝一とかで出したら、人が少なくてましなのは知っている。だが、8時半にここに辿りつけんのじゃー。と言うことで仕方なく、40人の列の後ろにアリンコのように並んだ。おばはんの処理能力が遅い訳では決してない。おばはんはいつもと変わらず淡々と仕事をこなしている。ただクリスマスカードなどを持った人が群れる量が多いだけだ。おばはんは、平常心の鏡のような奴だ。人生の師と呼びたいほどだ。
ただ、烏の前の人の所でおつりの小銭が切れて「ちょっと」困っていた。本当にちょっと困っただけで、その人を待たせ次に烏を呼んだ。烏はさっき飲み食いした店でおつりがなく、ゴンってコインを10枚まとめてセロテープでがんじがらめにしたものをもらって大変に重かった。財布も閉まらなかったので、これ幸いとゴンとおばはんにその固まりも含めて、ちょうどになる金額を渡したらおばはんは喜んでいた。この郵便局で2ヶ月近くいろんな郵便物を送っているが、初めておばはんの微笑みを見た。これではいつつくかわからんなあ、と思いつつかわいいカードを送ってみた。
やっぱり、カードが着く前に宅急便が着いたかどうか心配になったリアが電話をかけてきた。こっちから先にかければ良かった。で、リアに「ドマゲッティで何してんの。なんでボホールまでこれないのよ。」と言われたが、昔はあんなに近かったボホール島が、今はあまりにも遠い。
ビサヤの島々やミンダナオのあちこちをかけずり回っていた頃が夢のようだ。ボホールなんて隣だからな。朝にセブに着く鈍くさい夜行フェリーでも、途中にボホールに立ち寄るから夜中に下船してたどり着ける。なんでこれないのかと責められても仕方ない距離だ。気力さえあれば、1泊2日ででも行ける。だが、行けないのだー。
と書いたところで突然、激しい腰痛に襲われ安定剤と痛み止め飲んじゃった。激痛がいきなりドンだからな。神経系統に激しい葛藤が起こったらしい。「本当は行けるくせに、何やっているの」という罪悪感が、神経系統をびりびり走ったようだな。最近、すぐに心身症の人になってるよな。前からか。
だからリアには正直に「ごめん。鬱だからうちのお医者さんに、リラックスしろと云われている。で、ゆっくり休養してなきゃいけないから動けないの。時々鬱で、立ってるのや歩いてるのが、難しくなるから。」と言った。リアを驚いてたけれど。いちおう鬱という単語の意味が通じる人で良かったぜ。その中身はともかく。まあ看護婦さんつっても実際の精神科の経験がないと、分かんないだろうな。
フェリスのねぇちゃんもそうだったし。「ロキソニン?毎日定期で3錠でてるよ。」とか「入院中はカトレップ毎日1袋使ってた。」って云ったら目が点になっていた。内科じゃそんなに出せないもんな。
最近うちの病院の先生達は大活躍だ。あっちからもこっちからも、「今度はいつ来るの」って約束を求められているから。約束の苦手な烏は、と言うか約束に対しどうしていいか分からない烏は、「たぶん2月末か3月、でもお医者さんがどういうか分かんないから。お医者さんの云うことによるから。」と約束ができない理由を、普段は烏にぼろくそにののしられている精神科の先生や、他の先生のせいにすることにした。
リアにも、そう云うしかなかった。苦しい時の医者頼み。「もしお医者さんが、またフィリピンに行って良いって云って、その時に、元気ならボホールに行くね。」って
烏には、今、責任処理能力がない。「約束」を守る能力がない。いま烏が絶対守らなきゃ行けない約束は、「ちゃんと日本に帰って年末までに診察に行くこと」だけだ。
だから、お医者さんを盾に約束から身を守っている。家賃だけは何ヶ月か分余分に払っておくけれど。最近はずるがしこいガキになったもんだ。普段あれほど医者の云うことを聞かず、好き勝手しているのに、こういう時だけ「お医者さん」を盾にして身を守ることを覚えた。
いざとなった時云うことを聞くかわからんくせに。だが、約束をしないことで身を守ることも大事だよな。と、必死で約束をしないことを自らに誓う、烏10歳だった。おばちゃん、烏を褒めて褒めてと、「お前はアホやからな」と云いつつかわいがってくれる看護婦さんに報告してみる。あてにならんフィリピン郵便を使って。
リハビリ現地報告75
いきなりDVD
ここのところ大変体調が悪いので、しょっちゅう横になっている。と言うか、昼間は意識を失って、タイル床に倒れている。烏死体化。お手伝いさんも気の毒がって、網戸の隙間から、気がつかないようそっと手紙を入れてくれた。
何とかケーキ屋とか食べ物で自分をつって、日中に1つでも用事ができたらおめでとうだ。その代わり、お駄賃のケーキ屋に行くのに死にもの狂いになる。工事中の路上封鎖を突破して、鉄柵を「むっ」と腕力で動かし、全力でバイクで道を仕切ってある丸太を乗り越えさせたら、道路工事夫のおじちゃん達が唖然としていた。何をそこまで必死になってんねん、この子はって。
摂食障害児のフルパワーを見よ。餌のためなら何だってするのだ。その代わり餌がないと何もしない。そこまでしてケーキを食うことで、たった一つの些細な用事を済ませるとぐったりとなる。その後は、速効で家に帰ってきて「床に倒れている」。
最近はその用事をこなすのも、だんだん難しくなってきている。人がいっぱいいるスーパーリーにクリスマスカードを買いに行くこともできない。人混みがたまらん。棚の前で倒れそう。それに、あっちにもこっちにも勝手にバイク整理屋が頻発するようになったので、常に小銭の携帯だけは欠かせないし。
今日は、勝手にメリークリスマス合唱隊の気配を感じただけで、日中はドアから外に出られなかった。やつらは近頃、金持ちと見なされる外人アパートがあるこのあたりを張っているらしい。大家の門の外で3人組が待機しているのを見た。うーむ。
するとまともに動けるようになるのは日が暮れてからで、それだと山にあがれない。ので、今日も街でだらだらしている。今日も夕方雲って、夜に晴れた。ああ、ごめんなさい。夜に、ほんの一瞬、5分ぐらいざあぁぁぁって雨が降ったのが、まるで救いのように思えた。神様、「言い訳」をありがとう。で、夜になると動けるのでご飯を食べて、公園に出ている夜店に行った。
街には信じられないぐらい、コピーCDがあふれている。去年か一昨年までテープしか売ってなかったのに。CDそのものは、コピー商品だから安い。だがCDプレイヤーなんて高嶺の花で、誰も買えなかったのに。今年は屋台の3割ぐらいが、この手のコピーCD屋だ。うそみたい。
コピーCDは、ここ2~3年前から中国でブレイクしていて、中国に留学している友達が帰国の度になんかしら買ってきてくれた。そのコピーCDも年々渋くなり、イージーリスニングから始まって、ついにはバッハ全集の一部の10枚組まで買ってきてくれた。だが、烏はバッハに関して「だけ」、演奏の好みがうるさい。だから申し訳ないが、実はあんまし聞いていない。
フィリピンにはクラシックなんてほとんどなくて、だいたいがフィリピン人が好きなダンスミュージックとかアメリカンポップスとか。知り合いの前で賑やかなのをかけられると、踊ってしまう烏にはあまり選択の余地がない。というか、一人でいる時ぐらい静かな曲が聞いていたい。
で、友達のおみやげに最近気に入っている「ハリーポッター」のサントラとおぼしきCDを買ったら、コピーDVDだったのでびっくりした。いきなりDVDかよ、おい。って感じ。本当にびっくりした。夜店でこれだけ売られているんだから、さぞや需要が多いのだろう。なんか、携帯電話の普及といい、テクノロジーの進歩が段階を経ずに、ホップステップジャンプしている感じがする。留学していた頃には予想もつかん。うーむびっくりだ。あまりの変わりようについていけん。
烏はアナログへアナログへとじりじり退行しているのに。あんましテクノロジーの進化に巻き込まれると、体に良うないよ。と言いたいぐらいだ。街中にインターネットカフェはあふれてるし。これは烏がいた頃から始まってはいたんだけど。
それでぼーぜんとしていたら、街の空き地に昔からあるドゥルドゥルの巨木(カポックというパンヤ綿が取れる綿の木)を見つけてほっとした。どうか、この空き地が開発され切り倒されませんように。最近じゃ、けっこうお金にもなる成長が遅いマンゴーの巨木でも平気で切り倒しちゃうからな。マンゴーはじいさんが孫のために植えるなんて云われる。だが、開発の前には、そんな心温まる話も消し飛ぶようだ。
烏はフィリピンの下宿にも京都にもテレビすら置いていない。だけど、京都においているパソコンではDVDが見られるのでついでに、「少林サッカー」という馬鹿馬鹿しいコメディのDVDまで買ってしまった。
「少林サッカー」はうちの街の映画館で予告編をやっていて、あまりのばかばかしさにちょっと惹かれてしまった。Coming
Soon!なんて云ってても、いつ来るか分かんないしな。この街の映画館はいきなり倒産して閉鎖になったり、再開を繰り返している。DVDの普及でまたどうなることやら。
しかし、フィリピンも中国も著作権保護法に入ってなかったんだよな。税関でみつかんないように隠しとこ。
リハビリ現地報告76
匍匐前進
シーツ交換の日のようなお掃除の日の午後は、なるべく出かけるようにしている。けれど、出かけるのもしんどい時は、テラスの掃除が終わったらパソコンごとテラスのガーデンチェアに移動して、お字書きしている。とにかく部屋とトイレやシャワーの掃除の間に何か気晴らしをしてないとだめだ。そうでないと、テラスの椅子にも座ってられずにずるずるとタイルの床にずり落ちそう。
それで、パソコンのバッテリーを使って音楽をかけたままお字書きしている。これはB5ノートで小さいのでフィールドでの「研究のため」、持ち運び用に買った(科研費の名目)。でも、単にリハビリ報告と手紙を書くのに使われている。
こっちのパソコンっても、デスクトップがほとんどだから、大家はこのかわい子ちゃんのパソコンを「売ってくれないか」って云ったけど。今は、これがほとんど唯一の遊び道具になってる。だから、さすがに、何でも言いなりの烏も「やだ」って云って断った。
最近はお習字をさぼっている。お習字する気力もないちゅうか。習字するのって、ちゃんと筆を縦に持たなきゃいけないから、二の腕から持ち上げなきゃなんないんだな。あごじゃなくて、支えの点に胸をつけて顔を少し上げないと、書けない。パソコン打つのって、あごと手を支えの枕とクッションにつけて、指だけ動かしてりゃいいから楽。習字よりは、道具として障害児向き。
と言う訳で最近は「腹這い書家」、あらため「腹這い物書き」になってしまった。だいたい本読むのだって「腹這い」が一番好きだしな。と言うか、文庫本はまだ仰向けでももてるけれど、専門書は重いので支えきれず「腹這い」じゃないと読めない烏だった。以前は「腹這いお絵描き」もしてたし。
半年以上、病院の椅子にきちんと座り、机で読書やお絵描きしていた躁状態の日が懐かしい。まあ、あの頃は座るために、机の周りを3週ぐらい全力疾走しないと座れなかったけれど。躁か鬱しかないんかい。それでも、躁状態の割には、よくぞ机に座ってたよな。朝食前と、精神科の先生が来る日の午後だけだったけれど。
当時、朝食前のお習字は鬼気迫ると云われ、声をかけることもできないほどの気迫を発していたらしい。だーらだらした今とえらい違いだな。今は、あらゆる人になめられている烏だが。まあいいやどうでも。烏の美徳は「怒らないこと」らしいから。烏をよく知っている人には、信じられないだろうが。
腹這っている方が、怒ってぷりぷりしているよりいいや。今日、インドネシア人の女の子をそれとなく許してやった。そのためにまた安定剤とロキソニンと湿布が必要だったけれど。いつまでも怒って、活性酸素貯金をしているよりいいや。
その代わり、さりげなく彼女の誘いや願いは断った。体調が悪いって。またお医者さんを盾にしたけど。「夜遊びはお医者さんがだめっていってるから」って。実は、夜しか動けないから、夜遊び烏なんだけど。
夜に一人で外人向けの高いバー付きレストランで飯食って、ビール飲んでたりする。ヘンなの子に気を遣わないから、この方が楽でいいや。スキの姉ちゃんがいる所だから寂しくないし。外人と英語でしゃべれるようにセレクトされた姉ちゃん方だが、烏とはセブアノ語で世間話をしている。姉ちゃんも、欧米人と英語しゃべってる時より気楽そうだ。身のうえ話とか聞かせてくれる。
一人でご飯って寂しいけれど、ケーキ屋とそこの店の姉ちゃんとはスキだから、気を遣わずに、「適当に受け答え」しながらなごんでる。姉ちゃん達も烏が帰国するのが寂しいようだ。他の日本人学生を下手に誘うと高いだけに気を遣う。烏は20歳代はvery
chipeに生きてたけど、もうよれよれの30歳なのだ。それに、今は他の人にあわせるのもだるいし。
そんで一人で、中央公園の夜店の屋台をぶらぶらして帰ってくる。村のおじちゃん達はそんなとこ、ボゴイボゴイ(遊び人・不良)がいるから一人で行くなって云うけど。烏は、本当はボゴイボゴイなのだ。ただ他の人とつるんだり、絡まないだけ。
ちょっとだけ何とか自分なりに、ここでの過ごし方や距離の取り方を学んでいるのかな。腹這っているから匍匐前進でしかないけど。まあ、そんな感じ。
リハビリ現地報告77
いつも突然
1時に眠剤をいつものように飲んで寝たら、突然に朝5時に目が覚めた。それもお習字している夢を見て。いきなりお習字しているつもりになってガバァっと、起きあがってしまった。その時は、李白先生の詩を写している夢見ていた。李白の詩を写している「つもり」になって起きちゃったんだな。
病院にいる時は一応パターンがあって、まず李白撰集から1つ。何でもいいから偶然に開いたページの詩を写す。次に良寛の本から1首。その後は、気分次第。どうも李白先生は、お習字をするための準備運動のようだ。李白も良寛も、自分の感情に馬鹿正直で、飲んだくれで、しかも心がしなやかだ。お習字の柔軟体操のようなものなんだろうな。
そんで完全に起きちゃったから、本当に李白先生の詩をお習字することにした。たまたま選んだのは「江上吟」という、とんでもない詩。「船遊びをして、酒飲んで大ご機嫌。(李白先生は、頑固者の屈原君が好きだ。)屈原の詩は永遠に輝いているけど、屈原君を冷遇した楚王の御殿は朽ち果ててる。詩歌は山々に響くが、この世の栄華が永遠に続くなら川の水も逆さまに流れるわい。」と、まためちゃくちゃのことを云っている。
何でも真に受けちゃう子供が、こんな詩を読んだら不良になっちゃうぞ。と思いつつ、寝ぼけた頭で久々に朝からお習字した。写し終わった後は、大変血糖値が下がっていたらしく、腹が減ってしょうがない。既にコーヒーを入れる気力も尽きていたくせに、いきなりバイクに飛び乗った。それで朝のきらきら光る海を見た後、まだシャッターを開けきっていない、ケーキ屋に突入しケーキを2個お持ち帰りして食った。そこでやっと一息ついて、朝の定期薬プラスアルファで3時間ほどお休みいただいた。
ほんまにてのかかる子供。眠剤入れててもこうだからたまらん。普通に生活できんのかお前は。それにケーキ以外じゃだめなんか。だからといって、これ以上眠剤を強くすると、弊害が大きいと身をもって知ったしな。ベノジール君と相性が悪かった朝、ベッドから落ちた時、タイルの床に顔から落ちたらしい。顔の右側の骨が大変痛い。レントゲンを撮ったらひびが入っているかも。このように、薬物乱用(してないけど)は大変に危険です。顔がゆがむ。
で、その日の午後は少しテンションが上がって、しんどいながら帰国が近いのでいろんな人に会いに行った。夕方には突然山にまで上がり出すし、ここのところずっと「約束」を守れずに苦にやんでいた村です。既に御暗くなりかけているし、道はでこぼこでほとんど見えないし。パルパルバイクのライトはアクセルに連動しているので、1速とか2速に落としてゆっくり走ると光も弱くなる。以前はそれでも根性で夕方に上がっていたけど、自分でもしまったと思うほどぞっとした。道は椰子の木などに囲まれてるし、家はまばらだし。
それでようやく村の家にたどり着くと、「は?」という光景になっている。突然、なんだこりゃのきらきらさ。テラスじゅうにびっかびかのライトが点滅していて、烏の買った飾りの真ん中の星にも光がついている。しかもちかちかまばゆいクリスマスツリーまである。あまりの見事さに拍手してしまいましたともさ。
「どうしたのこれ?」って聞いたら、烏のお星様の光をつけるついでにテラス全部を電飾することにしたらしい。中国風の赤いぼんぼりのライトもびっかびか点滅している。クリスマスツリーはじいちゃんが山から木を取ってきて彩色し、みんなでデコレイテイングした手作りらしい。「わーお」だ。一緒にやりたかったよお。それで晩ご飯まで、電飾テラスでおしゃべりしていた。
烏も突然な奴だけど、ここの人のやることも大概突然が多いよな。計画性がないちゅうか。たぶん烏を喜ばせるために、ついでだやっちゃえってやったんだろうけど。家の中にも、きらきらする飾りが下がってた。わーおゴージャス。でも、おばちゃん、あんたの2月の子宮筋腫の手術には金がいるやろ。節約はせんでええのか。いまいち、ここら辺の感覚がまだついていけない烏だった。
まあ、だけどほとんどが手作りのデコレーションで、かかったのは電飾代がほとんどだからいいけど。しかもこの町の、奥の方の別の村には日本の援助で作った地熱発電所があって、隣の島のセブまで電気を送っている。だけど、実は公害企業なので、その代償に町の人全部の電気代はいくら使っても使い放題で一緒なのだった。
ちなみにその別の村には温泉もわいている。でも、村の人は洗濯に使うだけなので一度友達と、打たせ湯に行ったことがある。というか、浴槽がなく、だらだら沸いて落ちるだけなので打たせ湯にしかならないのだった。
この間から、あれほど気に病んでいた約束は破って正解だったらしい。町ではぱらぱら降っただけの雨が、山では豪雨になったらしい。やっぱりな。それで、真美は絶対に上がってこないと思っていたらしい。やっぱりな。約束の件では烏の一人相撲が多いんだよ。それでその後疲れて、ご飯の後、テレビを見ながら自然にとろとろ、寝ては起き寝ては起きしてしまった。目が覚めたのは、夜中の11時半。完全覚醒。あんたは薬がないとまとまって寝られんのか。ほんまに。
それで、暗い中、久々にアリヌーラ(おまる)でおしっこし、かすかな光に薬を透かしてみながら飲んだ。次の日は7時前には起きた。それで、8時頃までがやがやわいわい村の人たちと話をし、10時に街で人に会う約束があったから村を降りた。
例のヒランタウのおばあちゃんの所に行こうとした。新しく舗装工事をしている隣村への道を通ったらいきなり、舗装が終わっていてがくんて道から落ちた。突然終わるなっちゅうに。こけはしなかったけど、バイクの一部に足を引っかけて怪我した。で、また血をだらだら垂らしながらおばあちゃんの所に行ったら、シブランの病気平癒の聖人の日のためにいないんだと。それでまっすぐ街に降りて、シャワーを浴びて友人が来るまで意識を失っていた。
リハビリ現地報告78
シブランの聖者の日に行ってきた。
ドマゲティの隣町のシブラン町の教会は、病気を治す聖者が守護神だ。毎月13日が、聖者の日だ。病気を治してもらいたい人がお願いに来たり、病気を治してもらった人が
お礼参りにわんさと来る。そのうえ、屋台も一杯でて、京都で云うと、天神さんの日か弘法さんの日のようだ。
家族や親戚の人が病気の人の代わりに来たりする。お願いする病人の数だけロウソクを立てる。病人烏も病気だらけだし、周りにも病気の人が多いし。病人ばっかしで、何人か数えきれんほどだ。それでまとめて15本ほど立ててきた。だいたい教会に入るには、ろうそく売りのおばちゃん達の強力なロウソクの営業活動をかき分けんとたどりつけん。あっちで5本こっちで5本と買っていたら15本になった。だいたい15本以上だと手が一杯になって、なかなか持てんしな。
ロウソクを供える場所は、日本のお寺の線香たてよりすっと広い。だが、いろんな人の切ない願いが解け合って、ロウソクを立てる場所はロウの海のようになっていた。一杯ロウソクが立っていて熱くて仕方がないから、適当に立てたら何本かこけた。こけたのは烏の分かしら、あらー。
ついでに聖者像をなおりますようにと、なでてきた。教会内では聖者像にキスさせられ(これはあまりうれしくなかった)、像で頭や肩をなでてもらってきた。いつもよりお賽銭(ドネーションという寄付)もはずんでおいた。みんな直ると良いけれど。
烏は、ヒランタウ(あんま術師)のことを「あんま屋」とは呼ばない。あくまで「あんま術師」と呼ぶ。ヒランタウのおばあちゃんは、毎月この聖人の日のお祈りを欠かさない。わざわざシブランまで、毎月お祈りにやって来る。だから、おばあちゃんのあんまには「みんなの体がよくなりますように」という祈りが込められている。こんな風にヒランタウのあんまには「祈り」がこもっている。だから、あんまに込められた祈りを大切に思って、あんま屋ではなく「あんま術師」と呼ぶことにしている。
でも、うちの精神科の先生の病気のことをお願いするのを忘れたので、わざわざ夜に出直した。はっきし云って嫌がらせ。うちの先生はこういうおまじないが大嫌いな、科学的データ信奉者。以前にも嫌がらせに「釘抜き地蔵」のお札をあげたぐらいだ。心の釘を抜きなさいって。烏の行為は、とんでも烏のすることなので時々、善意か悪意か区別できないことが多い。烏は思いついたことを、そのままするだけ。どっちに取るかは、受け取る方の解釈しだいだ。
シブランはドマゲティからバイクで20分ぐらいだ。そしたら、昼間はおばちゃんばっかりだったロウソク屋に、学校が終わったガキどもが加わっていた。烏はガキには勝てない。だもんで、教会にたどり着くまでに、あっちでもこっちでも買わされて、片手で握りきれないぐらいになった。それでも売りつけようとするおばさんがいるので、「あんたは、ロウソク買いたいんか。売るほどあるぞ。ホレ。」と言ってロウソクを突き出したら、周囲の爆笑をかった。所詮は、お笑い烏だった。
それで明るいところでロウソクを数えたら、45本もあった。昼の分とあわせると、60本だ。これで、うちの先生の分もヘルニアの看護婦さんの分も、お魚先生の痔の分も掃除のおばちゃんや皆々関係者一同、何とかみんなの病気をカバーできただろう。と、思いたい。夜のロウソク場はとても幻想的。真っ暗な中に、いくつもいくつも百を超えるほどの灯火が揺らめく。祈りが込められた灯火の数々。
夜は昼と違って、多少は落ち着いていた。だから、そのゆらゆら揺らめく炎に、命の揺らめきを感じて見入ってしまった。1本だけ立ててあるロウソクや、バラバラのロウソクは、すぐに風などでバランスを失って倒れる。10本、15本とまとめて立ててあるロウソクは支えあうことでまったりとロウの海に沈み込むほど、最後のほうまで燃えている。これって、人と人との支え合いに似ているなあ。
一人だと弱いし、バラバラでも倒れる。だけど、心を共にする人々となら生き抜けるんだろうな。と、烏もなるべくしっかりするよう幾本かずつ固めて立て来た。ゆーらゆら揺れる炎の中にたたずみながら。
リハビリ現地報告79
えええええええ?
パソコンが壊れた。「え」のキーが暴走する。だもんで、今「え」のキーと戦いながらこれを打っている。たぶん、「え」のキーに蟻かなんだかがはいったせいなんだろうと思う。例のマジシャンの所に持っていった。マジシャンは「このパソコンはメーカーの無料保証期間内だから、自分がこのパソコンの蓋を開けると保証が効かなくなるからよせ。日本でメーカーに出す方が無料で確実だ。」と言った。正直で良い奴だぜおっちゃん。
と言う訳で、烏は今、「え」と戦いながらパソコンを打っている。疲れる。ほんまに、「ええええええええええええ」っていいたい。左手で「え」のキーを抑えながら、必死で暴走する「え」を右手で素早く他のキーを打って「え」を止めている。薬で何とか右脳君と左脳君のバランスを取ろうとしている、烏みたいだな。わお。
ここでいろいろあった「え?」なことを、次々手当たり次第に書いてきた。ここに来てここの文句ばっかり云ってる日本にも会ったし、ここがけっこう気にいっている日本人にもあった。文句ばっかり云っている人の代表は、英語しかしゃべれない日本人の奥様。「フィリピン人なんて仕事は遅いし、人の物は借りたまま持ってちゃうし。」とひたすらブーたれていた。
烏はあんましそういうことで、嫌なめにあうことが少なくなった。とういうか嫌なこともこともあるけど、あんまりプリプリしないことにした。仕事は頼んでやってくれなければ、しつこく「哀れっぽく」押せば「いつか」はやってくれるし。金を持っていそうだから、持ってかれちゃうんだし。烏は貧乏だけれど出せる時は、気持ち分は、分かち合おうと思うし。
例の牧師は烏の友達じゃなかったし。友達には、あんまり嫌なことする人いないし。申し訳なるぐらいの律儀者がいるし。奥様には、あんたがいろいろ「持ちすぎ」で、金にあかせて「英語」でごり押しするからそうなるんじゃないの。まわりに友達がいないから愚痴ばっかりなんじゃないの。って思ったけど云わなかった。
セブアノ語で話して、事情を分かってくれたなら、もっと気軽にやってくれるって。セブアノ語で話ができたら、相手の誠意の程もすぐ分かるし。誠意ある人は、日本人より誠実だ。その代わり外人だと、外人からむしることしか考えていない奴がいるも事実。でも、誠意云々を云えば、日本人だってそうじゃないかなって思う。
また、約束を「果たしたい」のに、「果たせない」事情があったりする。「お金がない」っていうのが一番多いけど。彼らは彼らなりの、矜持というものがあるのだ。それが分かんないで英語という高見の世界をから、彼ら見降ろしているだけなんじゃないの。って思っちゃう。ここに住むには、ここなりのお約束があるのに。
ロオイの国では、イソッグ(怒る)ことよりロオイ(哀れみ)を買った方が、話は早いし、お互いがうまくいく。ここの人が一番嫌がるのが、人前でイソッグ(怒られて)されて矜持を傷つけれれることなんだから。金よりも何よりも、矜持が大事な文化がまだ生きているんだから。そのかわり、常に感謝を怠らないこと。相手にロオイを訴え、相手を立てる方がよっぽど何でも旨く行く。
矜持がある人は、例えどれほど貧乏をしても、些細な恩でも受けっぱなしなのを嫌がる。その相手の矜持がいかほどのものなか。口先だけか、本当に矜持がある人か分かるにはセブアノ語が分からなければ。セブアノ語を話すことで、どれだけこちらが近づこうとしているかが計られる。だって「金さえあれば」、英語で何でもかたが付く国だから。だけどセブアノ語で話し出すと、相手の態度は全く変わる。
烏もな、もう少しここの医者と医療体制や薬が信用できたらなぁ。もっと長くいたいんだけど。日本人でもほとんど分かんない、烏の病気だからな。ちょっとこの数年間の経過を分かっている人たちの元へ、戻りたくなった。パソコンも壊れたしな。烏の心身もちょっとガタが来てるっぽいし。薬もなくなってきたし。
なんかフィリピン耐久70日間レースの終盤にかかって、ほっとしたような寂しいような。でも、また帰ってくるもん。うちの先生は嫌がるだろうが。でも、この程度が限界かな。2ヶ月おきに行ったり来たりしようっと。とりあえず後1年は。
リハビリ現地報告80
ちょっとだけ医療のお話
例の日本人看護婦さんの通訳に、シブランのヘルスセンターに行って来た。ヘルスセンターとは、町の保健所みたいなもん。彼女は英語がいまいち苦手の上に、セブアノ語がしゃべれないので。烏にしてみたら、彼女みたいな専門の技術があると良いなあと思うけど。とりあえず何にでも首をつっこみたがる烏は、良い機会なのでついていって、町単位でのヘルスケアの現状を知ってみることにした。
だが、烏はますます自分の専門がよく分からなくなっている。「農業経済学」だったはずだったんだけどなあ。入院中や退院してからも、医療社会学とか医療人類学の本ばっかり読んでいたから。精神医学の本や、精神科看護の本は烏が「いかに生活するか」の指針に役だっていたからなあ。
だいたい医食同源の元なる農は、生老病死の根幹だしなあ。と考えると、少しずつバラバラだったものが烏というるつぼで、今、まぜあわされてぐつぐつ煮えている気がする。だけど鬱だし、烏はまだ混乱中なので、自分からはヘルスセンターに行く気力はないのだった。けれど、人に便乗してついてちゃえって行ってきた。
しかし、医学用語は難しいよな。英語の専門用語も難しいが、セブアノ語でもいまいち分かんない時があった。もうセブアノ語、英語、ゼスチャーと何でもありで、その上に、烏が知っている過去の事例からの推測もフル動員した。「点滴」って単語も知らんしな。頑張って結核と、ぜんそくと、肺炎の違いを理解してみた。そうか、結核ってTVって云うのか。
医療制度もわかりにくくて、烏の町の事例を考えていろいろ聞いてみた。村ごとに助産婦がいて、助産婦が村の人の健康状態をほぼ把握している。薬の配布も、避妊の指導も避妊用品の配布も彼女がやっている。だけど薬が無いことも多いんだな。
3か月効く避妊薬も注射していると云っていた。烏が以前に聞いた時には、二の腕に埋め込み式のピルを打ってるって云ってたんだがな。だけど、それに旦那が避妊に協力してくれることはまれで、コンドームをもらいに来る奴なんてほとんどいやしねえ。スペインの持ち込んだマチズモのせいで、子だくさんは男らしさの象徴なのだった。だから女房が、こっそり注射してもらいに来るんだな。
女性にとっては何度も妊娠し出産することって、体への負担が大きいばかりだ。40歳代ぐらいで、おばあさんみたいに見える人もいるもの。家計的には、8人生もうが9人生もうが変わりないのかもしれないけれど。女性の方からすると4人ぐらいが良いらしい。
町での出産は病院で。村での出産は家でが普通のようだ。村でも、村の助産婦さんでは手に負えない出産や病気の時は、町のヘルスセンターの看護婦や医師が看る。それで手に負えない時は州立病院に送る。
昔と違って、携帯電話の普及で山の方からでも、すぐに看護婦や医師に病状の確認や救急車の要請ができるようになったらしい。携帯電話の普及がもたらしたものってすごいよな。例え救急車の導入が、1995年だったとしても。技術が、ホップ・ステップ・ジャンプで山奥まで届く。
だけど日本よりここは、箱だけ文化だからなあ。法律とか、立て前と中身は全然違ってあたりまえというか。でも、なかなか立て前ガードが破れない。まあ、初対面で予備知識が少ないから仕方がないけれど。時間も長くなることだし、ヘルスセンター長から何をやっているかだいたいの立て前の概要を聞いた。医療は無料だが、無料でくれる薬の種類や、救援体制についても。
薬を無料でくれるったって、実はその種類はとても少ないのだった。けっこう、WHOとかの寄付に頼っている。現実には患者や患者の家族が、買わなきゃいけない薬の種類の方が多い。それに、村のヘルスセンターは「いつも」薬が切れっている場合が多い。救急車はただって云っても、心付けに家族がドライバーにガソリン代を渡すとかは当たり前。
彼女には、「日本でも、上司にお中元やお歳暮を贈れ。とか、香典や香典返しをしろって法律はないでしょ。だけど習慣として、そういうことは絶対やるって云うふうになってるでしょう。ここはもっと、甚だしくいろいろあるの。どこにも書いてないし、誰も言わないけど、やって当然っての事が。だから言葉の分からない間は、じっと何やっているか見ていなさい。すると、箱と中身の違いが分かるから。」って、説明しておいた。後は、彼女が自分でがんばれって云うしかないよな。
一応貧しい人向けの医療援助もあって、一家族あたり月に250P(700円)だそうだ。こんなの雀の涙じゃんよ。と思うけれど、無いよりはましか。烏の精神科医のデブ親父は、しつこいようだが5分の診察で500Pの診察料を取った。しかも親父の処方したプロザックは10錠で1000Pした。烏のメインドラッグのテグレトールは、てんかんの薬にも使われ汎用性が広いから安かった。安いお買い得なのが好き。お安いのが、体にもあっているというチープな烏だった。
だけど糖尿病がこんなに蔓延しているのに、糖尿病に対しては何の対応策も取られていないらしい。尿糖を計るのなんて、簡単なのに。糖尿病だというとすぐに、「インシュリンがどうの」とごにょごにょいいだす。インシュリンに行き着く前にもっとできる簡単な措置があるやろう。予防や、食事療法や運動療法や、もっと安い薬で対策が立てられるやろうに。公的にはほったらかしのようだ。それには、大変悲しいやら、腹立たしいやら何ともいえませんでした。
糖尿病にも、簡単で経費も安くついて実効性のある、プライマリヘルスケアのあり方ってあると思うんだけど。インシュリンに行きつくのを止める手段って、Ⅰ型糖尿病でもない限りたくさんあると思うんだが。そういうことが全く考慮に入れられていないって悔しい。と思って、ヘルスセンターを後にした烏だった。
テレビのコマーシャルでやってる、保険証のナースコールや酸素吸入やら読書灯やらがセットなった病院施設っていったいなんだ?あれは夢の国の話か、やっぱりマニラは別の国なのか?と、思いながら。
リハビリ現地報告81
今年もやってくれたぜ、Drアブシン
うちの街には元祖電飾というか、本家電飾というか。気の狂ったようなクリスマスの電飾で屋敷も庭も輝かせる事で知られるDrアブシンがいる。Drアブシンは、家中の外壁も内側もあらゆる所を電飾で埋め尽くすことを生き甲斐にしている。この人の家の電飾は他家の追随を全く許さない見事さだ。と言うか、とんでもなさ。
Drアブシンは、「結婚もせず、ひたすらこのクリスマスデコレーションに命(金)をかけているのではないか」と云う噂がある。さもありなんと思われるほどの見事さだ。一応、本業はお医者さんらしいけど。烏の知ってるお医者さんって、変な人多いよなあ。ちなみにDr.アブシンは「オカマ」だと云われている。
ライティングが始まると、家の前の道が渋滞するほど見事だ。みんな見物に来るもん。普段はがらがらの夜道が行きも帰りも大渋滞。あんまり車が動かないので、烏のパルパルちゃんは2回もエンストしてしまった程だ。パルパルちゃんはエンジンの回転数が落ちると、すぐにパッタイ(エンスト)するのだ。そういう時は、いまいましそうに「パッタイ!」叫んで動きたくても、動けない状況にあることを周囲に知らしめなければ危険なのだ。しかもキックスターターだから、かなわん。
家の中もびっかびかのクリスマスツリーやデコレーションで埋め尽くされる。もうトンデモよ。あらゆる部屋にツリーや人形やおもちゃなどが飾られて、子供の頃の夢の世界さながら。ディズニーランドのその手の展示なんか目じゃないってほど、ゴージャスかつリアル(だって全部本物だもんな)。
まあ人の価値観っていろいろだどさ。屋根にトナカイ飛ばし、壁をお星様で埋め尽くし、塀際は天使様だらけ、何もそこまでせんでもええのに。立木は皆、綺麗に刈り込まれ、青白や黄色な光を放って輝いている。庭にはユニコーンまでいたよ。家中びっかびか。
その庭でアブシン家はガーデンパーティをしたりするらしい。しかも、クリスマス前後にはお屋敷の一般公開を無料でする。だから中にはいると、フィリピンの旧家のお金持ちのお屋敷の間取りってこうなっているのか。ってつぶさに見て取れる。
ただ一般公開するだけじゃない。目倉めくような飾り付けまでなされている。階段には、おっきなプレゼントの包みを抱えた、巨大なクマのぬいぐるみが置かれてる。その周りにも、沢山の人形達。不安発作がでた時のために1個もらっていきたいぐらいだ。羊頭狗肉の中国製じゃなくて、本物のヨーロッパ製らしい趣がある。だから、大変抱き心地が良さそうだ。
その階段の前の部屋では夢のような世界にデコレイトされたクリスマス飾りの中を、シャーシャーっておもちゃの列車がくるくる走っている。そういや「あまりにやることなくて、退屈のあまりに、いつもへべれけに酔っぱらい、列車のおもちゃにはまった御貴族様のおっちゃんが出てくる映画を見たよな。」あれは、フランスの映画だったけか。その御貴族様の夢の世界が目の前にある。シャーシャーという列車の後ろにはグランドピアノと、ハープが鎮座していた。もう住む世界が違うって。
最近でこそ、Drアブシンを上回る勢いの派手派手な電飾も見かけるようになったけれど。やっぱりDrアブシンのお屋敷は違う。何が違うかと云えば電飾に込められた、ファンタジー性だ。とってもファンタステックというかファナテックというか。ただ派手ではないのだ。夢を感じてしまうのだ。何故かそこに、幼児が持ちえる夢の極限を感じるのだ。
だけど、現実の中に生きる烏はいつまでも夢の世界に浸っている訳にはいかない。だから「ああ」とため息を一つ残し、ドリームランドを後にした。庭には無数の蛍のようなライティング。そこを一人でてくてく歩いてぬけていった。アリスが現実の世界に帰るように。その烏を屋根の上の無数の踊るトナカイ、天使達、御星様がちかちか瞬きながら見送ってくれた。
バイバイ、マイドリームランド。その夢を心の中においておく事と、現実化することの違いを思いながら、絵はがきにもなっているアブシン家の門を出た。アブシン家は金持ちには珍しく、誰でもその夢を共有できるようにわざと垣根を低くしている。そのうえに、誰にでも一般公開までしている。その期間は一般公開するために、一家そろって別宅に移り住んでいる。私もハッピー、みんなもハッピーって所か?
私の夢のきらめきを、みんなのクリスマスにもって思ってるんだろうな。
リハビリ現地報告82
烏、海へ その1
こういうあほなことをするからご入院するんだよ。と思いながらも、また烏は海に潜ることにした。ダイビングライセンスのアドバンスを取りに。前から、悪魔のロザリーのインストラクターの旦那に頼んでおいたのだ。だが11月の半ばまでは、部屋から出られえない劇鬱で、ほとんど日中は床に寝てた。それに以下の理由で、ダイビングは帰国直前にのばしてもらった。
はじめから、今度こっちに来たら次はアドバンスライセンスを取りたいなって思っていた。でも、烏は大変に耳の空気抜きが下手だ。と言うより、子供の頃から中耳炎になったりくりかえしている。これは「技術の問題」と云うより「耳の鼻の構造上の問題」だと思うんだけど。飛行機に乗っても降りる時に、時々、耳がきーんと痛くなってしばらく激痛で涙しまくる。特にジャンボジェットがだめ。高く飛ぶから気圧差が激しいもん。怪しいおんぼろの小さい飛行機の方が、体に良い烏だった。
それでも、去年もダイビングライセンスを取ることに挑戦した。そしたら、耳の空気抜きがうまくいかずに中耳炎になった。仕方がないから、その後こっちの金持ち向け病院に行ったら外耳炎外とまちがえられた。それで、ちがう治療をされてひどい目にあった。日本の医者にもフィリピンの医者にも「もっと患者の云うことを聞け」って云いたい。中耳炎は痛いんだぞ。頭に近いから。ロキソニンとレンドルミンを2時間起きに飲まないと一睡もできなかったんだぞ。
その時のレジテントはアホで、烏がわざわざ辞書まで引いて「中耳炎だ!」って強力に主張しているのに、外耳炎の治療をしやがった。おかげえで、奴が処方した強力な抗生物質のおかげでカンジタが再発しただけだった。ぼけ。
今回は、耳抜きの下手な日本の耳鼻科医がおいていったという点媚薬を、あらかじめ使ってみた。だがやっぱり1本目に潜る時には、耳抜きが旨くできなかった。しかも今回のテーマはディープダイビングだったので、深く潜る。もう途中でこんなに耳が痛いんだったら2度と海に潜らなくても良いやって思うぐらい、キーンと痛かった。途中でようやく耳から空気が抜け始め、ほっとした。
それで水深30mの所で、3桁のわり算をしたら50秒かかった。「窒素酔いのせいで脳がうまく働かなくなって馬鹿になるんですよ」、と言う実習だったらしい。だけど烏が馬鹿なせいって、生まれつきとお薬のせいだと思うんだけど。大変危険な烏だった。そのうえ、ロザリーの旦那んちから帰る時はビールまで飲んでたしな。
で、一本目に潜った時はやっぱり鼻血をたれてたらしい。家に帰ってから、なんとなく耳が痛い。念のためにフルモックスという、京大病院の耳鼻科でくれたのと同じ抗生物質を飲んでいる。本当は耳浴もしたい(耳のお薬風呂)。そこまでして潜りたいか、と云われても、はっきり断言したい。「それでも烏は、海に潜りたい。」
今年は去年と違って、使い捨てコンタクトを使っているからよく見えるぞ。珊瑚もお魚も、イソギンチャクに住んでいる、小さいエビも。1cmあるかなしかの黄色いかわいいウミウシも。沈没した船の残骸(沈船)から、ひょんな顔を覗かせているピンクのウツボも。わーおだ。そして沢山のお魚にかこまえれて、ゆらゆら光の差す波の下でぼーっとしていられるのは本当に幸せだ。ゆらゆらゆらゆら。光が揺らめき、沢山の魚の群れがつぃーつぃーって周りを通り抜けて行く。もわもわ波間で揺らめいているのはプランクトン。いろんな生き物が、生き物なりの生きようを見せてくれる。
特に今日のポイントには、サンドイールが沢山いる。サンドイールは砂の穴から体をにょろりんって突き出して、一斉に頭をゆらゆら動かして踊っているように見えておもしろいから好き。でも人が近づくと、一斉にすすすすすすって穴に引っ込んじゃう。人が遠ざかると、こいつらは、またすすすすって穴から顔をだして踊るんだな。「ドリトル先生のサーカス」優雅な蛇踊りみたいだ。
ダイビングにはまる人って、けっこうお医者さんや看護婦さんに多いそうな。それだけ日常がストレスフルだかららしい。その気持ちが分からないではないような。だが、烏は確実に帰国後に病院巡りだ。去年の耳鼻科では学会で医者が全部で払っていて、たった一人しか診察して無かった。おかげで鬼のように待たされたあげく、鬱で床に倒れた。今年はそうならないことを祈るばかりだ。
リハビリ現地報告83
烏海へ、その2 夜の海
今夜は十四ヶの月。宮沢賢治のおかげで月天子様の様子に、随分注意を払うようになってしまった。
ここは闇が深いので、月の様子が京都にいる時よりなおさら深い意味を持つ。新月の時は、少し街を離れると本当に天の川がずどーんと頭上に流れているのが手に取るように見えて見事だった。これが村に行くとなおさら見事かというとそうでもない。高い椰子の木がひょいひょい生えていて、空が見えにくい。確かに灯りが少ない分、星は綺麗なんだけど椰子の木にさえぎられ、空はときれとぎれにしか見えない。
その上、夜は外にカスカス(吸血鬼)がいるしな。ほんまかしらんが。カスカスが、どういうものか分かるまで随分苦労したが。カスカスがいるおかげで、夜に一人でぼーっと空を見に外に出ることなんて許してもらえんかったもん。
でも今日は、ナイトダイビングだ。灯りのほとんど無い浜辺から見る月夜が綺麗だ。ダイビングスポットになっている珊瑚礁のすぐ横で、夕暮れ頃から地引き網を始める人々がいた。暗くなると、お魚の動きが鈍くなるから。
すると、そこの村のおじさんが現れてダイビング料金を徴収に来た。と、思ったら違った。ハイウェイからその浜辺へでるために、おじさんの畑を横切る料金だそうだ。上手に道の両側にトウモロコシを育てたもんだ。と感心するやらあきれるやら。でも畑のおじさんについつい「金取るんだったら、もうちっと道の草刈りしておけよ」とのたもうた烏だった。畑のおじさんは、いきなりセブアノ語で悪態つく小娘に苦笑いしてたけど。
で、懐中電灯持ってざぶーんと海へ。すると、すぐに懐中電灯の2個のうち1個が切れた。だが、ひもをつけときゃなきゃどこに行くか分からない烏を「ポチ」と呼ぶダイビングのインストラクターはそれぐらいではひるまない。だいたい客をポチ呼ばわりするか?まあ烏も、「おじちゃん、餌」って云ってるけど。
おかげで、暗くてよくわからん。ただ波間ごしに届く月の光が大層美しく、ありがたかった。でも、寝ている、おっきな赤い鯛みたいな魚も見たぞ。ポリプを広げている珊瑚も見たぞ。昼間はすばしっこくってなかなか捕まらない、ハリセンボン君も捕まえた。ハリセンボン君は、必死に風船みたいに体を膨らまして針を立てるので可笑しい。
後でダイビングのテキストを読んだら、「噛まれると大変痛いので、ハリセンボンで遊ぶのは絶対止めましょう」って書いてあったけど。でも、「問題ない、心配あるだけ」で予備のライトも持ってこないおっさんにはだいじょーぶな事らしい。ええんかこんな、インストラクターで。
まあ「お友達価格」に値切り倒し、しかも飯付き、とか云ってる烏が文句云えた義理ではないけど。おじちゃんは料理上手なのだ。ウエットスーツは本来、陸上では蒸れる。だけど、何故かおじちゃんのところのは、所々すけていてすずしい。まあいいけど。
なんと言っても美しかったのが、夜光虫。少し水を手でかき混ぜるだけで、キラキラ光が。沢山の宝石を身につけているよりずっといい。指の動かす後を、キラキラ光の粉が舞う。じっと見ていると、海底のそこここでも静かにキラキラ光っている。まるで光の宝石箱を、ぶちまけたみたい。久々に夜光虫を見たので、とてもうれしかった。しかも海の中で見たのは初めてだ。初めて夜光虫を見たのは、7年ぐらい前に練習帆船に乗った時。空にも満点のお星様、船の舳先にも満点のお星様。あれも美しくて見事だったけれど、今後は泳ぐ烏にきらきらきらきらお星様がついてくる。
きらきらの幻影は、暗い1つだけのライトのおかげとは決して云わない。「問題ない、心配あるだけ」親父がつけあがるから。くだんのこわれたライトは海面にでた後、明るいお月様の下で叩いたら直った。役立たず。
しかし、ノープロブレム親父といい。「問題ない、心配あるだけ」親父といい。なんで烏の周りにいるおっさんってこんなんばっかりなん?ちなみに、テキストには「薬物使用中は、絶対にダイビングは避けましょう」とある。そんなこと云われたって薬物常用者、ジャンキー烏には無理だよう。たぶんそれも「問題ない、心配あるだけ」なのかな。おじちゃんはその点を考慮して、ゆっくりのメニュー+食事付きでやってくれた。ビールも付いてたけどいいのかな。
烏は、最後は「入院あるだけ」と思ってやっているけれど。
リハビリ現地報告84
烏海へ、その3
今日はマラタパイからアポ島だ。しかも水曜日。マラタパイにメルコレサンの立つ日だ。メルコレスはスペイン語でもセブアノ語でも水曜日。メルコレサンはセブアノ語では水曜市という意味で、毎週家畜市が立って屋台も沢山でる。取れ取れの魚をその場で料理もしてくれる。この辺り一帯で水牛や、牛などの大型の家畜を売り買いするのはここでと決まっている。豚も売っててるけど。売り買いの中心は水牛と牛。屋台は干し魚、塩、農具、お菓子、織物、古着と本当にいろいろ。
で、その賑やかな中を車でかき分け岸辺へ。烏は意地汚い子供なので浜辺で焼いていた、売り物の子豚の丸焼きのしっぽをもらってしまった。子豚の丸焼きはしっぽにかぎる。誰がなんと言おうと。みんながせっせとタンクなどを車から降ろしているすきに、売り子の兄ちゃんと話をつけてせしめてしまった。
ダイビングって機材が重いから、鬱だと陸上で自分で担げない。最初は日はヘルニアのベルトをしたまま、気がつかずに泳いでしまったほどだ。だいたいフィリピンのダイビングって、重い機材を自分で担がなくていいので殿様ダイビングと言われている。担ぐのはおっちゃんやボートの兄ちゃんらの仕事となっている。烏も躁状態だとちょこまかちょおこまかお手伝いするんだけど。今回は鬱なので、全く自分からは何もせずに「お姫様」と呼ばれていた。あんな重いもん、陸上で自主的に担いだら倒れるって。
で、今日はそのマラタパイから船で向かいの小島のアポ島へ。しっかり船の上でタンクを担がせてもらって、どぼんと海に突き落としてもらいましたとも。運が良かったら、ギンガメアジ(きらきら光るおっきな銀色のあじ)の大群が見られるかもだって。
だけど。だけど。ふざけんなー、海に放り込まれたとたん、まだ耳抜きもできていないのに。上も下も横も辺り一帯、このでかい魚の群れは何だー。
はい、偶然にそのギンガメアジのおっきな群れのど真ん中に放り込まれたようです。黒みがかった婚姻色の大きめの雄と銀色の雌がペアーになって、わーっと泳いでいくどまんなかにおりました。こういう「運が良かったら」もあるのでしょうか。ねえ。あーびっくりした。魚の方もびっくりしただろうけれど。
ウミヘビも見たし。去年はコンタクトがなくて見えなかったものが見えるぞ見えるぞ。黒いもじゃもじゃのひげだらけの妙な生ええき物が、フヨフヨ動いているのも見える。あんまりあっちもこっちも見得る物が多くて、ドロップオフの珊瑚礁は特におもしろかった。珊瑚の階段みたいだ。
でもボートがお弁当のために、アポ島の岸に着きそうになるとアポ島名物のもう一つの生き物が沸いて出た。アポのTシャツ売りのおばちゃん達だ。頭にいっぱい、Tシャツの入ったビニール袋を乗せて連れ立ってくる。あれ買えこれ買えってうるさい。しかも、他の客と違ってビサヤな烏だから「クリスマスのため買ってよ」「仕入れ値がこれこれでこれぐらいクリスマスのために買えって(要するに「もち代ぐらい」稼がせて)と、わんわんうるさい。仕方ないので、そういやハナカサゴも見たよなと思って、カサゴの絵のついた黄色いTシャツ1枚買わせえていたきましたとも。毎回、ここに沸いてでるおばちゃんという生物には勝てんな。
でも、さすがに帰りの船では疲れてレインコートかぶって横になってた。だってちっこいパンボートなのに飛ばすから、揺れて大変なんだもん。それでマラタパイ側につくなり、ダイビングスーツを全部脱いで「おしっこ」と一言、言い置いて海に入ってザブザブしてきたのだった。確か去年も、そうだったなあと思いながら。タンクや装備は、お姫様がおしっこしている間にお片付けされてました。
本当に、暖かい海の中でおしっこするのは最高です。
リハビリ現地報告85
ちょっとはやめの村のクリスマス
烏が村が含まれる町のライティングが綺麗だから、見に来い見に来いと山のおばちゃんが云うので今回はこれでバイバイって云う意味も込めて山に上がった。鶏の丸焼きと、蚊取り線香一箱、クリスマスクッキー持って。後ろに看護婦さん連れて。途中、日が暮れてきて、暗くて勘が狂って転けた。椰子の木の間を走るから月の光も届きにくいんだよ。人家もまばらだし。オフロードの道が見えない。だけど、用心してものすごくゆっくり走ったから人もロバも無事。
おばちゃんちでも、これがクリスマスのお別れ会だって分かっているから鶏をイハウ(屠殺)して料理してくれて待っていてくれた。新しい日本の友達を連れて行ったら、喜んでいた。連れて行くまで看護婦さんは、そんないきなり云って良いんですかって心配してたけど。心配なーい。問題なーい。烏はビサヤでどれだけ見知らぬ人のうちに、いきなり泊まったことだろう。
だけど看護婦さんはとにかくタバコをよく吸うので、じいちゃんの分のタバコを土産に持っていったら、自分も吸いやすいよって云って買わせといた。だって村の人には、ばあさんでもない限り女の人がタバコを吸うなんて信じられないもんね。
一応、日本では「看護婦さんや働く女の人っていうのは、大変ストレスがたまるので吸っちゃう人多いんだよ。」って説明しておいたけどさ。精神科にいたら、チェーンスモーカーみたいな患者さんが多いけど。烏家は、母ちゃんだけがタバコを吸うので、烏は自分で吸うのが「嫌」なんだよ。
で、またこけたことですっかり信用をなくした烏に変わり、親戚のハバルハバルドライバーも呼んできてきてくれた。これは大型バイクの後ろに、荷台や足のせがついている。そして多い時には一台に5人ぐらい乗ってしまう、恐ろしい乗り物だ。だけど、バイクが大きいのとドライバーの腕が確かなので滅多に転けない。1度だけドブドブ村に行く時、ぬかるんだ赤土で滑り転けた。だがたいていは、自分の村の中を走るので転けない。それで、みんなでクリスマスライテングを見に行った。
はい、反省しました。田舎やと思って馬鹿にしたらいかん。町の、知っている親戚の家に行きました。ものすごくすてきでした。電飾以外は全部手作り。マリヤや、ヨセフ、東方の3賢者の顔はココナツの実を上手に削って、髪の毛と顔を作ってます。胴体はバナナの茎。肥料や米の袋で綺麗に衣装も着せられています。キリストの小屋は、ココヤシの葉で屋根もふかれ、バナナの茎の柱やバナナの花で飾り付けらえています。まわりにはポインセチアや様々な花の鉢植えが飾られています。
極めつけは幼いキリスト。若いココヤシの実に顔が描かれて、白い肥料袋に包まれています。そして胴体は、レッドホース(安もんのビール)の大瓶。わお、です。あるものをとことん使って家族そろって楽しく作ったんだろうなと思うと、うらやましいやらくやしいやら。烏も作るのに参加したかった。だから「このキリスト、ビールのおしっこするの?」って効いてやったらうけにうけて。これでしばらくは、何度も思い出して受けてくれるでしょう。田舎の人は一つの楽しい思い出を何度も何度も反芻して、味わうすべを知っているから。
そして、キリスト誕生の舞台のまわりにもちかちかライテング。巨大なクリスマスツリーもぶっ立っていました。よおく見ると、竹で大きなツリーの枠組みを作りそこに、沢山ココヤシの雄花のかれたのをぶらさけて覆い、飾りは、どうやら使い捨てのプラスチックのコップやお皿のリサイクル。ちかちかライティングは確かに街で買ってきたんだろうけれど、後は全部村にある物か、廃物利用。ツリーはインデアンのテントほども大きく中に余裕で人が入って過ごせるぐらい。まわりは一面のポインセチアの鉢植え。そう、ここは花の産地だから。ものすごいなあ。
その後で行った町の公園のおっきなお星様が沢山木ぶら下がったまるで幻灯のような光景にも感動しましたが。やっぱりこのとことん手作りクリスマスデコレーションには感動しました。すごいなあ。全部ハンドメイド。作る知恵と作る喜び。お金では買えない喜び。ツリーの下には親戚が寄り集まって談笑してました。良いなあこういうクリスマス。
既製品じゃない、我が家のクリスマス。それでみんなが楽しんでいる。創造する喜びがはちけていたクリスマスでした。これこそ創造主の子供が生まれるにふさわしい、飾りだなあとちょっと感動しました。
リハビリ現地報告86
火事場見物
今日は、この町内へのクリスマス合唱隊の攻勢が強く、夕方6時~8時まで怖くて外に出られなかった。ドラムバンドまでついてる奴から、大規模合唱隊がひっきりなし。この家の前の道でパレードやってんのかって思うほど。一応、金持ち地域なので。門を閉ざしたっきりの家も多いけど。高い塀の中にいたら、あっやってんな。ですむ。だが外に出ようものなら、砂糖に群がるアリンコちゃん達だ。ひえええええええっ。
と、夜遅くになってから街に出たら、なんだか街の中心の方でわあわあやっている。これはなんかあるぞ、とパルパル走っていったら、交通封鎖されている。それでも迂回して騒ぎの現場近くに行って、しかも人をかき分け歩いて前に出た。鬱でない時は、大変物見高い烏なのだった。
物見高いのはフィリピン人も一緒で、下がれって云われてもいつにか前にでている。ビデオや写真まで撮ってるのがいる。それとは別に、地元のケーブルテレビのカメラマンもいる。これで、明日の街の話題は決定だな。
ものすごい火事だ。道路に面した1階にはいろいろ庶民的な店の店舗が入っている3階だての古いビルが、ぼうぼう燃えている最中だった。例のスーパーリーの斜め向かい。火勢が強かったらしく、電線も一部焼けていてあたりは停電していた。だが停電には強いダウンタウンなので、自家発電のある店はそれで明かりをともしていた。
ビルは全部中の天井が焼けて抜け落ち、それで抜け落ちて1階にたまった諸々もがゴウゴウ燃えている。黒煙がモクモク上がって、あっあそこは確か安物の靴屋、ビニールやゴムだらけだ。さぞや、ダイオキシン、2酸化硫黄が一杯発生中だろう。
しかも1階の店舗は7時頃に閉まるので、いったん厳重に閉めた店のシャッターを消防士がガンガン手斧で壊している。ものすごく苦労しながら、めりめりって作った裂け目のところから、炎がぼおぼお見える。今度から動力カッターを導入しろよ。
もちろん給水栓なんてほとんど無いから、おっきな給水車が来ていた。消防車につなげていてザアザア水をかけている。もはや、どうやって延焼を食い止めるか。ビル近くにある電線に何基も取り付けられた変圧器を、どうやって守るかに焦点が置かれていると見た。 だけどうちの街にこんなに沢山消防車あったっけ。と、消防車よく見たらシブランとか近くの街の消防車が来ている。タンハイなんてハイウェイ突っ走っても30分以上かかるところの街からもきている。シアトンなんて余裕で1時間近くかかりそうな街からも来ている。
でっかい給水車は水がつきるとどこかにくみに行って、またすぐ帰ってくる。あれは絶対海水じゃかかろうか。海辺の街だしな。海まで200mぐらいだし、幸い今夜は満月で大潮だ。波が岸壁まで押し寄せて来ている。
地元のテレビ局や新聞記者も来ている。野次馬、盛りだくさん。消防団も警察も出ていて下がれ下がれって云っても、一瞬下がるだけ。素人も悠々とビデオやカメラまで構えている。元来フィリピン人って野次馬な人たち何じゃなかろうか。ピープルズパワーとか云う以前に。自分の好奇心に素直というか。騒ぎには一口乗ってみようというタイプというか。
烏も、もちろん最前線で見物していた。烏は消防士にはなれないな。一人前になる前に、冷静な判断を失って炎の中に飛び込んで死にそうだ。消防士はえらいなと思った。炎と戦いつつ、自分も「死なない」でいるところが重要だ。
烏の所は、テレビもラジオもないのが普通だけど、こういう時だけ情報が知りたくなる。地元ラジオのが一番詳しくておもしろい。携帯が普及する前は、口コミとラジオだけが情報源だった。だから村の家族は「誰それが事故で死んだ」とかの毎朝のラジオニュースのチェックを欠かさなかった。
有力者や遠くの親戚になんかあったら、自分にも関わるもの。だから朝のニュースは、いつも真剣に聞いていた。だからガンガン大きな音でいつもかかってた。その、セブアノ語のラジオニュースが初めて聞き取れた時は感動したよ。ほんと。
「ねえ、今タンハイの誰それが昨夜バイクの後ろから落っこちて死んだって云わなかった?事故の原因はスピードの出し過ぎで、バイクの後ろに相乗りしていた人が落ちたって。」「そうそう。」あの時は、ようやく訳のわからん音の集まりが、意味ある物として飛び込んできたのを捕まえたって気分だった。死んだ人には申し訳ないけれど、大変うれしかった。
で見ているうちに風が巻いてきて、ものすごい臭いと空気の悪さで息が苦しくなってきたので立ち去った。バイスという2時間ぐらいかかる町の消防車も到着した。すごいな。付近一体のちょっと大きな町の消防車全部をかき集めた感じ。2時間かかる町の消防車が来たと云うことは、一番燃えていていた時が過ぎたのだろう。
するとそのビルの裏に、その消防車は入っていってった。裏はテグマチャウと言うこの街では、有力な華人の電化製品や家屋の内装用品を売るビルだった。と言うことは、あの燃えているビルはテグマチャウの敷地な訳?うーむ。ここでよくある、仮説が成り立つぞ。テグマチャウは、あの表のビルを燃やしたかったんじゃ無かろうか。
古い小規模店舗が入っているビルを一新して、スーパーリーみたいなのをぶっ建てたかったんじゃ無かろうか。表通りに面しているし。可能性は薄くないな、と思いながら海辺で一杯飲んで帰った。やっぱり大潮だ。狙ったみたいなハイタイド。
次の日その前の道を通ろうとしたら、見物人ののろのろ運転で道が混んでた。悪臭が立ちこめてまだくすぶっているけれど、付近のビルへの延焼は免れたようだ。そのビルだけ見事に天井まで焼け落ちている。
ザンボアンガというミンダナオの町では、テロに紛れて夜間に自分のビルを爆破させる華人の事件が多いらしい。一番楽なビルの建て換え。うーむ。テグマチャウは最近拡大したスーパーリーに押される危機感を持っていたからな。テグマチャウがやったって云っても烏はびっくりしないな。
と、火事場を離れて、ゆっくり夜行フェリーが海を横切って行くのを見ながらビールを飲みつつ思った。何でもありのフィリピンだしな。
次の日の街の噂も、やっぱりテグマチャウがやったに違いないという噂で持ちきりだった。だってあんなに綺麗に「古いビル」だけ延焼も起こさず燃える事って無いもんな。持ち主が保険かけて燃やしたに違いない。なかの小売商には一銭も保証せずに、有無を云わさず追い出すために。ここに長くいると、直感的にそう思うのだけど。日本から留学してきて間がない子は信じられないようだった。
あんた華人をなめたらあかんで。ザンボアンガの爆弾テロも半分は、テロリスト、半分は自分の古いビル壊しを狙った華人がやってるという噂やで。だいたいすべての小売店が閉まって1時間以上たってから燃えだして、死者ゼロ、建物だけ全焼っておかしいやん。
まあ、普通の日本人には想像できないだろうが、世界中に根を張り発展する彼らはタフなのだ。でも焼け出された、ゴムゾーリ屋とか、サリサリストア(何でも屋)をおっきくしたような店の小売商の人たちはかわいそうだなあ。
と、次の日まだゴムの焼けた臭いが立ちこめる、ビルの隣をバイクで走りながら思った。
リハビリ現地報告87
烏ディスグラァシィア(事故る)
烏はついに、とんでもなディスグラァシィアに会ってしいまった。つってもバイクでスライドして転けたんだけどもさ。それも、メディカルセンターのすぐ近くで。工事をしていて、砂がむき出しになっていていきなり坂になっている所でスライドした。幸いバックライドさせていた友達(例の元看護婦さん)には、ほとんど怪我もなく、烏のロバ君も無事だったのだが。烏だけが重症だった。烏の精神的には看護婦さんや、ロバ君に重傷を負わせ無かったのはまことに幸いだ。烏はすぐ帰国するけど、看護婦さんが怪我をしたら残りの留学期間が台無しになって申し訳ない。ロバ君が壊れていたら、メンテを頼んだおじちゃんに申し訳ないもん。
いきなり、ずるりんて転けてひっくり返ったので、付近にいた人たちは驚いて目を点にしていた。が、例の如く近所の見知らぬ人たちが、わわわわわって寄ってきて助けてくれようとした。好きだぜこのビサヤンマインド。ロオイな人には、すかさず手をさしのべ手くれる人情臭さ。だけど烏は血をぼたぼた垂らして、立つことも難しかった。そこで、そのまま付近のペデキャブに連れ込まれ、目と鼻の先のメディカルセンターのエマージンシールームに直行。
ペデキャブとは、バイクにヤドカリのような小屋をつけた乗り物だ。トライシクルとも呼ばれフィリピン全土にある。だけど、ドマゲッティのがフィリピンで一番大きい。乗りやすいし。まるでバイクのヤドカリみたいだ。その代わり、ヤドカリのように鈍い。定員は、ドライバーを除いて六人。最近は、台数が増えてぎちぎちハイウェイやいろんな道を走っているから、便利と言えば便利。道路のじゃまと言ええばじゃま。だけどいっぱい荷物もつめるから、市民にはかかせない重要な足だ。バイクだから片目だけど、けっこう車幅があるから夜は見えにくくて危険なんだけど。
それでだーらだーら血を流しながら、エマージェンシールームに連れ込まれた烏は即診察台へ。だけあまりにほこりっぽくて、汚いので傷口洗って着替えるために「自分でシャワールームへ行け」と言われた。あのー歩くの大変なんですけど。それでも仕方がないのでへたこらへたこら歩き、ようようにエマジェンシールムの中のシャワールームへたどり着いた。10mもない距離だったけど、たどり着くのが大変だった。そこでほこりっぽい傷口洗った。わうっ、痛いちゅうねん。服を脱いだら入院患者用のエプロン、ほんまただの割烹着みたいな服を着せられて、また診察台へ。
そこで、顔に布をかけられて口の中やら、肘や膝と2人がかりで縫いまくられた。帰国のためにマニラに行く飛行機に乗るから、2時間後には空港に行くと宣言し、「はよ縫え」って医者に喚いたからな。医者は珍しいことに、鼻歌も歌わずまじめに縫ってくれた。その上、幸いなことに、麻酔も打ってくれた。
以前、親戚のおじちゃんが同じエマ-ジェンシールームで5針縫われた時は、医者不足で3時間も待たされ、麻酔もなしだったからな。しかも鼻歌を歌いながら縫われていた。烏も、同じ診察台で足の膿をぐーりぐり繰り掻き出された時も、医者はラジオにあわせてスウィングしながら鼻歌を歌とった。だから、ここの医者は鼻歌を歌わんと処置できんのかと思っとたがそうでもなかったようだ。
以前の時とは、えらい違いだ。ちゃんと外人に見えて良かったと思った。後で領収書をみたら細かい明細が出てえいて、キシロカインがいくらって書いてあったからな。麻酔を打っていた気配は感じたけれどさ。
だけど、「お前はシリマン大学の学生か」と聞かれて「今は卒業した」って云ったら「学割が効かなくて残念だな」って云われた。それどころちゃうちゅうに。医者の支払いは現金だったけどそのほかの料金には、なんとVISAが使えた。その代わり、痛み止めの注射も抗生物質の注射も、病院の玄関の薬局でアンプルを買ってこないと売ってくれなかった。友達の看護婦さんが、代わりに買ってきてくれた。全部で一万円ぐらいかかった。
でも、口の中だけ溶ける糸で、びじと膝は溶けない糸なので日本の病院で取ってもらわなければならない。レントゲンを撮っている時間もない。だいたい今日は土曜日だ。その後の処置は、全部「いつもの病院(おうち)」で見てもらおう。お仕舞いに、薬のこれとこれを買って飲めっていう処方箋をもらった。内容を聞くと、痛み止めと飲む抗生物質と塗る抗生物質と、消毒薬とうがい薬だった。やったー、薬長者の烏は全部持っているぞ。飲む抗生物質なんて3種類も持っていてどれが良いか迷ったほどだ。薬屋に行く時間が省けた上に、こっちの怖い薬を飲まずにすむ。
友達の看護婦さんには、「参考のためにどうするか見とけよ」って、処置されながら烏は叫んでいた。相変わらずの性格やなー。だけど、彼女はまともな人だったので、急いで替えを取りに行ってくれた。服が埃っぽくて、汚すぎて着替えなきゃいけなかったから。まさか、大学病院の名前がでっかく入った割烹着で出る訳にも行かないしね。
それから、以前から留学していた男の子のツヨシ君が迎えに来てくれた。昔なじみのオカマのジャレットも烏のバイクを引き取りに来てくれた。看護婦さんは、事故現場から、烏のバイクを押して来てくれようとした。ここではすぐバイクは盗難に遭うのだ。だけど、烏のロバ君は、鍵がついたまま近所の人が温かく見張っていてくれた。そして看護婦さんがバイクに乗れないと分かると、それも近所の知らないおじさんが病院まで運転して運んできてくれたらしい。ああ、ビサヤンマインド。
でも、ツヨシ君が一言「真美さん、帰るまでに何かしでかすと思ってましたよ。」だって。まあ前歴があるからな。自分の送別会に血まみれで現れた、山姥としては。あの時も送別会場に行く直前で事故って、左肘がずるむけで肋骨にひびが入ってたもんな。そんでも、烏は絶対帰ってくるのだった。
リハビリ現地報告88
バイバイ、ドマゲッティ
下宿に帰ったら、大家は烏の顔がゆがんでいたのでびびっていたようだった。何しろあごを強打したから、アッパーカットを食らってリングに沈んだ負けたボクサーのような顔だ。あごにパンダの目のまわりのようなあざと、傷ができていた。口の中も唇も切れていたし。しゃべるたびに血のよだれが、だーらだら。
なにはともあれ、荷造りを全部すませていて良かった。荷物は、大家の軽トラで空港まで運んでくれることになったし、マニラの知人とは連絡が取れて空港まで迎えに来てくれるし。空港には村のおばちゃんが送りに来てくれていた。おばちゃんは、烏の顔を見て、びっくりしてたけど。いつもクリスマスカードを送るのに、返事がないってぼやいていたからクリスマスカードを持ってきてくれた。すまないねぇ。我が儘娘で。
ちょっとしたことでこっちの心を察してくれるので。うれしいけれど、すまない気持ち。ほんとうにありがとう。バイクの件やら(もう2度と嘘つき牧師には貸さない)何やらで連絡したいことがあったから、降りてきてもらったんだけど。こんな恐ろしい顔を見せるなんて予想外だったよ。びっくりさせてごめん。
そしてマニラへ、マニラでの滞在も1日早めに切り上げて急いで日本に帰ることにした。マニラの知人も、歩けない烏のためにご飯を作ってくれたが。あごが痛いのと、口の傷がしみるのとであんまり食べられなかった。ごめん。
それで、重傷者として1日早く飛行機に乗せてもらったら。マニラ空港でも関空でも車椅子を空港職員が押してくれた。それで、おみやげにサンミゲルビール買いたいって言い出せず約束を破ってしまった。トイレ行くのにも、とんできて車椅子を押してくれるグッドホスピタリティなフィリピン人。ありがたい、大変ありがたい。ありがたくて文句を言ってはいかんのだが・・・・・。またもや自己主張のできない烏だった。
それで急いで帰ってきたら、なにー次の日は天皇誕生日だと?こんな日に産まれんなよ。と、ぶつくさ言いながらいろんな人の手を借りて予定通り24日に無事?入院できた烏でした。怪我しまくっていたのは予想外でしたが。とにかく、みんなありがとう。
と、云うわけで長い長い現地報告を終わります。読んでくださったかたどーもありがとう。
長すぎ書きすぎ、ご批判ごもっとも。
だけれど、書いているうちにふっと思い出しました。そうだ。烏は「書く」人だったんだって。どんなに孤独な時にも、辛い時にも書いて書いて何とか生き抜いてきた人だったんだって。
まあそういうわけで今後は文章と、内容の向上に勤めますです。まだまだ、どうしていいのか分からない混乱は続いていますが。その混乱も書いているうちに糸口が見つかるかもしれません。当面は、ギブスマンで、病棟からの脱走も無理なようですから。
それでは本当にこのたびは、ご苦労様。そしてありがとう。
ばいばい。
あとがき
ネットに載せるために、2年ぶりに読み返してみたけど。とんでもな毎日だったな~。ちなみに烏はあれからフィリピンに行けていません。事故ってね。足の肉のえぐれの修復に3か月以上かかったの。それから膝にコルセットをはめてのリハビリでしょ。2年たっても古傷が痛む奴になってしまった。その上(注目!)新しい病気が増えた。低ナトリウム血症と、主婦湿疹、逆流性食道炎、座骨神経痛、そして気管支喘息。喘息辛い。台風怖い(気圧が下がるから)。
事故のショックでホルモンバランスも大きく崩れて、穏やかに沈静化するのにながくかかったよ。だもんで今は訪問看護と介護のお世話になっています。だけどいつかまた行くもんね(あきらめていない)。ただ、前みたいに無理をおしては、押しても押せぬ体になりました。週3回鍼灸院に行っているしな~。
今は体調優先で生きてます。が、その代わり絵を描いたり、書を書いたり、篆刻を彫ったりそれなりに自分のテンポでゆっくり回復を待ってます。
それでは、このとんでも超長い記録を読んでくださった方ありがとう。