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 その1 -1 あれは、龍だろうか

 昔、結婚はしたが仕事もなく、女房になじられながらブラブラしていた頃、スーパーの屋上で寝っころがって空を見ていた。青い空に白い入道雲がのしかかり、子供たちや母親の声が遠く聞こえ、いい年をした男は俺一人、こちらに向かう胡乱な視線がはっきりと感じられた。

 ぎらつく太陽が湿気を追い払い、空は青く高く、入道雲は成層圏に届くほど伸びている。

 てっぺんに目を凝らせば、ムクムクとカリフラワー状に新しい雲がわき起こっている。

 こんな形で雲は伸びるのか。押さえきれない内実が噴き出すように入道雲は充実していた。おそらくあの瞬間、一番輝いて美しかったのはあの雲だろう。

 それから俺は雲が好きになった。

 

 色々な雲の表情を鑑賞するのに一番いいのは空の上だろう。

 飛行機に乗る時は俺はいつも窓に顔をくっつけて外を見ている。こんなおもしろい地球のショーを誰も見ないのは不思議なほどだ。曇り空の空港からでもガタガタと揺れる灰色の幕の間を抜ければ、群青の空が輝き、強い光線が雲の海を真っ白く漂白する。スチュワーデスのティーオアコフィの声にざわめきはじめる乗客をよそに、俺の心は機体を抜け出し裸のまま雲の上を飛び続ける。生命圏をはるか離れた薄い大気の中、自由に、そして果てない寂寞感と共に。

俺は多分この空の下で死ぬだろう。

 やがて雲は途切れ眼下に青い海が広がる。クラゲのような小さな雲が連なり、水平線の先に白い傘を伏せたような塊が見えてくる。近づけば海岸線と緑が白い隙間から見て取れ、それは島を丸ごと覆った雲なのだ。たぶん下ではスコールのつぶが、地表を人々を打っているのだろう。

 上空にはスジ雲が打ち寄せる波頭のようにいく筋も続き、遠景には積乱雲がわき起こり、その頭を成層圏まで届かせようと、伸び上がっている。

 様々な形で楽しませてくれる雲たちは混じりあうことなく幾重にも重なっている。見えない大気の層がそこにある。

 熱気球乗りはこの層を見分け、風向きを読み、気球を上下させながら目的地に向かうそうだが、そんな技を掌としないこちらは、ただただ感歎してこの中空の黙示詩に眺め入るばかりなのだ。

 弧を描く水平線の彼方に太陽が沈む頃、見渡せば積乱雲が一面にそびえ立ち、赤くそして徐々に紫に染まっていく姿は、神々の天上の集いのように人外の秘跡を語り合う。あるいは永遠の沈黙。

 ちっぽけな生命体でしかない俺には、確かにそこにあるはずの永遠というものの秘密を言葉に置き換えることができない。ただ盗み見るのみ。

 そして総ては闇の中に溶けて行く。

 

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