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過去に漫画クラブと漫画クラブ以外にブログなどで書き連ねた「放言」を集めてみました。
的外れのことを書いていたり、予想や妄想が当たってしまったりと、まさに放言ですが、その時代を振り返るのも面白いかと思い、ここに再録することにしました。

−2005年−


日    付 初期掲載
2005.1.2 「堤義明の転落」

かつて世界最高の資産家と言われた男が違法な経営・違法な証券取引で指弾されている。
報道されている限りでは、その無法ぶりは相当なものだが、堤義明についての悪い噂は以前からかなり多くの人が耳にしていた筈だ。
今回おおっぴらになるまで彼と彼の部下達が犯してきた違法行為を事実として周囲の人間が知らなかったとはとても思われない。
JOC(日本オリンピック委員会)に君臨していたことについても、既に何年も前から堤義明による私物化が問題とされていたにもかかわらず、今回の騒ぎで本人から名誉会長を辞任するまで彼の地位を脅かそうとするものはないに等しかったようだ。
西武鉄道グループもJOCもまさしく伝統的日本の村社会の典型に見える。
堤個人の人間性もさることながら、こうした独裁者の存在を許してきたことがあまりにも日本的過ぎてウンザリしてしまう。

漫画クラブのコラム
2005.1.8 「水際で犯罪者の侵入を防がなければ」

昨年末にはまた外国人(らしい)集団による強盗事件が頻発。
最近の日本の警察の検挙率が先進国の中でも下位にあるのは、たぶんに外国人犯罪の激増が背景にあることだとは誰でも想像がつく。
偽造パスポートやその他の不法手段で自国民を平気で他国に出国させている国が日本の周辺にあることは、もちろん重大な問題には違いない。
しかし、それにもまして国防とか称して非効率的な自衛隊とかいう軍隊の装備にばかり国費を浪費して、(海上保安庁が担当する)沿岸警備や(財務省管轄の)税関の臨検をおざなりにしてきたことの結果が、戦争以外で他国から侵略されている事態を招いたのだと言わざるを得ない。

漫画クラブのコラム
2005.1.10 「NHK視聴料に対する疑問」

NHKの一連の不祥事の責任をめぐって海老沢会長に「辞めろ」「辞めろ」の大合唱が浴びせられたかと思うと、紅白歌合戦の視聴率がまた下がったとか、大河ドラマ「新撰組」の平均視聴率が振るわなかったとか、新聞や民放はまるで鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいる。
視聴料不払い世帯の増加が止まらないとも報道されて、ふと考え直すといったいNHKは必要なのかという疑問に突き当たる。
法律上はともかく、いったいなんの権利があってテレビアンテナをつけているというだけで(NHKがなくとも困りはしない)国民からさえNHKは視聴料を取っているのだろう。 
衛星有料放送のように実際に受信する世帯からだけ視聴料をもらうようにするべきではないのか?

漫画クラブのコラム
2005.1.14 「開発費用は企業に負わせておいて成果はわがものと主張」

青色発光ダイオードの開発をめぐる訴訟が決着した。
開発した元研究者中村修二氏は結果的に元所属した日亜化学工業から8億円以上もの和解金を勝ち取ったのに、憤懣やるかたなしというコメントを発表している。(訴訟費用もかかったからいくらも儲からないみたいなことまで言っていて、実にセコイ)
研究開発には資金などのリスクが伴うのに、個人としてリスクを負わない研究者が成果が上がったときにはまるで成果の大半が自分の力によるものであるかのように、その対価を要求するというのは、どう考えてもおかしい。
もしそのような要求がしたいのならば初めから企業などに所属して研究するべきではない。企業に所属するということは成功も失敗も組織の一部として認められるということのはずだろう。
現に日本の所謂中小企業で大企業の庇護を受けずに特定の技術を自主開発して世界的なシェアを握っているという事例がいくつもあるが、こうした企業の経営者たちはリスクの全てを自分たちで負ってきているではないか。
また企業に属していて表面には出てこない下積みの研究者たちは上司である研究者にただ利用されるだけ、といったことだってあるだろう。
というのが世界的な研究とは無縁の凡人の発想なのだが、そうは言っても研究者に対する企業の成功報酬を低いものにしておけば、中村修二氏が勧めるように優秀な研究者はアメリカなどの外国に流出してしまう傾向がますます強まるだろう。
技術立国日本の地位が危うくなっている今日、まことに難しい問題提起には違いない。

漫画クラブのコラム
2005.1.17 「サヨクと決めつけるヤツに気をつけよう」

「中立的」ということばはあいまいだ。
最近の日本の保守主義者たちは自分たちは中立的立場であると称して、そうでない立場の人たちを「左翼的」とか「偏向的」とか呼んでいる。
不景気が続くと大衆は右傾化するのが歴史的にはよく見られる現象だが、今の日本はその典型の様相を呈している。
こういう時代にあっては「保守主義」や「右翼」が中立的と自称しても疑うものは少ない。
まして新聞・テレビまでが歩調をあわせるとなれば、まともなことを発言し、行動しようとするには相当な勇気が必要になる。
勇気ある人々が「魔女狩り」の対象にならないことをせつに祈る。

漫画クラブのコラム
2005.1.22 「軍隊に指揮権がなければただの無駄遣い団体」

大野防衛庁長官がミサイル防衛(MD)システムで他国の弾道ミサイルを迎撃することの裁量権を現場の指揮官に与えるよう、法改正の考えを述べた。
これからあれこれ議論があることだろう。
しかしミサイルが国土に向かってくる時に閣議決定や総理大臣の指揮を待っていられるわけがないので、全く当然の法改正には違いない。
もしこれが問題であるのならば、多額の予算をつぎ込んでMDシステムなどを導入すること自体を問題にしなければならない。
より根本的には有事法制問題で明らかになったように、法を整備しなければイザ戦争となったときに法的な制約のために有効に使用できないような自衛隊の装備に、これまでなんの批判もなく多額の税金をつぎ込んできたことを、もっと日本の国民は認識する必要があるのだ。

漫画クラブのコラム
2005.1.26 「やっぱり起きた反社会勢力の暴力行使」

富士ゼロックスの小林陽太郎会長宅に右翼の嫌がらせと思われる事件が起きている。
小泉(愛国者気取り)首相の靖国神社参拝を批判したらこうなった。
他の財界人も犯人を批難する談話を新聞に載せてはいるのだが、どうにも威勢が悪くて腰が引けているような談話ばかりだ。
あくまでも言論に対する暴力的封殺を批難しているのであって、小林会長の同調者とは受け取られたくないとか、靖国神社参拝賛成だけど対中問題があるから発言できないとかいう意識が見え見えだ。

漫画クラブのコラム
2005.1.28 「裁判所は被害者を救うことが第一なのに」

那覇地裁が1月28日にふざけた判決を出した。
戦争犯罪人を祭った靖国神社に総理大臣が公用車で参拝したことは、戦争被害者にとって「法的利益を侵害していない」のだそうだ。
法的利益とは何だ。精神的苦痛を司法判断したくないためのヘリクツではないか。
精神的苦痛を法的に評価しないこんな司法判断が許されるのならば、国民は個人や団体の悪意からどうやって心の平和を守ればいいというのだ。

漫画クラブのコラム
2005.1.29 「組織犯罪を野放し同然にする警察」

最近になってようやく「振り込め詐欺」の組織が摘発されたが、これで警察が仕事をしていると胸を張るのなら大間違いだ。 
「振り込め詐欺」と言い、ネットやDMでの架空請求詐欺と言い、裏に暴力団が絡んでいそうな、いかにも組織的な犯罪であったのに、今の今まで警察は何をしていたのだ。 
どうせ法整備が不十分だとか何とか言い訳するのだろう。 
そもそもこの国は暴力団を許容する人が多すぎる。
芸能界や政治家は言うに及ばず警察でさえも暴力団とのつながりを断ち切れてはいない。 
だから無知な大衆から金を巻き上げるこんな組織的な犯罪が堂々とまかり通る。
もはや社会的な問題にさえなっているのに、それでもこの国の警察は組織犯罪を放置している。 
それもこれもお人好しの納税者のお陰である。
なにもしなくとも彼らの給料は税金によって保証されているし、少なくとも警察は倒産することはない。

漫画クラブのコラム
2005.2.5 「良識というものを失った教育委員会」

町田市の教育委員会が卒業式・入学式の国歌斉唱の声量を指導するように昨年12月に学校に通知していたことが、1月に報道された。
「鳴かざれば鳴かしてみしょうホトトギス」というわけだ。
「鳴くまで待とう」というのがオトナの考え方だが、どうやら肩書きだけは立派でも町田市の教育委員には子供じみた発想しかないらしい。
なぜ大きな声で唄いたくないのかという問題を解決することが先決だろうが、そういうものごとの道理でさえこの国の教育行政には通用しないのが現実だ。

漫画クラブのコラム
2005.2.8 「バカブッシュの大統領就任演説の本当の主旨」

2006年会計年度のアメリカ国防予算の対前年伸び率は4.8%だと報道されていた。
アメリカ連邦政府の歳費全般の抑制の中にあっては突出した伸び率であるとも。
ブッシュの大統領第2期就任演説の「圧政に終止を打ち自由を拡大する」というほんとうの主旨はこれか、と思わず言いたくなる。
慢性的なアメリカの財政赤字の一つの要因であった国防費に対しての議会と国民の見方が、ソ連崩壊以来厳しくなる一方だったことを考えると、ブッシュの再選はアメリカの軍需産業にとっては願ったりかなったり、ということであることが証明された。
この馬鹿げた軍需費拡大に同調してMD(ミサイル防衛システム)を共同開発しようという馬鹿な国が日本という国だ。

漫画クラブのコラム
2005.2.9 「バス釣り愛好者の独善的論理が司法によって否定」

2月7日の大津地裁の判決でブラックバスの再放流の禁止を含めた滋賀県条例についての訴訟でタレントの清水國明らの原告が敗訴。
清水國明の主張では「県条例は自然保護に対しての実効性が無い」そうだが、こんな論旨ではブラックバスの被害に悩む人たちに対しての説得力が無さ過ぎる。
ブラックバス(オオクチバス)はちょっと見ても次のように問題点が多すぎ、管理水域以外で繁殖させるべきではなく駆除すべき生き物であるというのが、バス釣り愛好者以外の平均的な意見ではないだろうか。
1. 日本の自然の生態系を狂わせ、稀少古来種の絶滅を促進する。
2. 淡水域の漁協の生活基盤である鮎、ワカサギなどの稚魚、若魚を食い荒らす。
3. 同じ釣り愛好者でありながらバス釣り以外の愛好者の対象魚である鮎、ワカサギの生域を狭められる。
今回の原告たちは「釣った魚を生きたまま返すのがマナー」と言っているようだが、自分流のマナーが世間一般のマナーであるものと勘違いしている。
釣った魚は食べる、食べる分だけしか釣らないというのも、また釣りのマナーであるのだが、そんなマナーはバス釣り愛好者たちには通用しないようだ。

漫画クラブのコラム
2005.2.10 「人類の最後まで続くであろうイスラエルとパレスチナの対立」

イスラエルとパレスチナの首脳が停戦宣言をしたと思ったらもうパレスチナ人がイスラエル軍に銃撃されて死んだ。
まったくひどい話だ。
イスラエル政府に本気で停戦する気など無い。
停戦宣言してもパレスチナの抵抗勢力がテロを終息するとは毛頭考えていなかったはずだし、むしろ停戦を合意した後にテロ行為が行われることで、より積極的な武力行使を正当化できるという打算があったのだろうと想像する。
しかし最前線のイスラエル兵士にはそこまでの打算や理性は働かない。
それだけにパレスチナの武装勢力がこれで報復行動に出るのかどうかが見ものだ。
結局はより理性的に行動した方が最終的に勝利するだろうと期待するしかない。

漫画クラブのコラム
2005.2.12 「6か国協議を中断させて何を望むのか」

いったいこの先どうなるのだろう?
などと書くのはかえって無責任な傍観者的な感想となるかもしれないのが、今回の北朝鮮の「6ヶ国協議中断」「核兵器製造済み」宣言だ。
わざわざ世界から孤立するような外交政策を採っているのはいったいなぜなのか。
実は孤立してなどいないから、あんな強気な態度が取れるのだろう。
それでは同じ共産主義独裁国家である中国に比べたら市場として何の魅力も無いに等しいあの国に友好の手を差し伸べる国とはいったい何が目的なのだろう?
北朝鮮は世界の相場に比べて格安の価格で手に入る兵器や核兵器製造原料(既に大量の「イエローケーキ」をあの国では製造しているとも書かれている)の供給国でもある。
中国にしてみれば、アメリカに敵対した場合の試金石として格好のモデルでもある。(中国にしてみれば周辺の台湾など未帰属地域を武力編入しようとしたときに、アメリカがどう行動するかは一大関心事であるはずだ。)
何の根拠も無い想像の世界でしかないが、北朝鮮の外交政策をじっと見透かして見えてくるのは、やはり中国という得体の知れない巨人だ。

漫画クラブのコラム
2005.2.19 「ホリエモンの勝手し放題」

ライブドアという会社というか堀江貴文という人物は面白いことをする。 
ニッポン放送の株取得と将来的なフジテレビとの業務提携の希望に対し、フジテレビ側は敵対する構えを崩しそうに無い。 
一般人の傍観者としては「勝手にしてください」といった気分だ。 
ろくでもない情報・文化垂れ流し企業がM&Aでのし上がった企業に牛耳られようが逆襲しようが、この国のあるべき未来の姿には何の関係も無い。

漫画クラブのコラム
2005.2.20 「犯罪対策を用意しないでカード支払いを普及させれば」

新しい手口のカード犯罪が次々に出現している。
インターネットを利用したフィッシング、磁気カードのスキミングは言うに及ばす、磁気カードに変わって登場したICカードでさえ無接触式という利点を逆用してポケットやバッグの外からICチップの情報を読み取る機械がすでに横行していると言う。
カードなど持たないのが一番安全かというとそうでもない。
現金を持ち歩くのはもっと危ないし、カードだけを空き巣狙いに取られた場合は気づくのが遅くなるから家の中の保管場所にも十分な用心が必要だが、誰もが隠し場所の豊富な家に住んでいるというわけではない。
結局個人の力ではハイテクなどを駆使した犯罪を防ぐことは容易ではないのだが、カードを普及させた業界はこうしたハイテク犯罪の時代が来ることを想定していなかったから、万全の対策を取れるのはメガバンクなどごく限られた一部の企業になりそうだ。
最も手軽に使いたいクレジットカードなどはハイテクの本人認証システムをカード取扱いの店や施設全てに導入することは容易ではないし、まだ標準となる本人認証システムが確立されていないからこの先どうなるのかさっぱりわからない。
技術力と組織力を背景にした現代の犯罪には今の警察制度などまったく役立たずなのだが、この国の官憲は本気でそうした犯罪を取り締まるつもりがあるのだろうか。

漫画クラブのコラム
2005.2.23 朝日新聞は新聞の公器という役割を自ら放棄しつつある。
今日(2/23)の夕刊の一面トップ記事は廃止されるブルートレインあさかぜ・さくらに関わるJR職員二人についてのドキュメントだった。
ブルトレの廃止がいったい今の日本の社会になにほどの意味を持つのか、トップ脇のNY原油急騰(4ヶ月ぶり高値)の記事と比べた場合いっそうこのトップ記事の無意味さが際立つ。
こういつもいつも情緒的な記事ばかりでトップを埋めるのはいったい何の目的があるのか。
一般大衆に政治・経済・社会問題に対しての関心を持たせたくないからなのか。
これは何も朝日新聞だけの問題でも活字媒体だけの問題でもないが。
漫画クラブのコラム
2005.2.24 フジサンケイグループがライブドアによるニッポン放送の経営権支配に撤退的に反発しているのは、ライブドアが間接的にフジサンケイグループの経営権に関与することがフジサンケイグループの企業価値を下げるということに(たてまえ上は)尽きるようだ。
しょせん娯楽産業に過ぎないフジサンケイグループの企業としての価値が何ほどのものとも思えないのだが、株式発行額の時価評価総額とかでいえば、そんな理屈も成り立つのだろう。
しかし一般人の目で見れば、堀江社長のような「ワカゾウ」が自分たちの上位に立つことを面白くないという「旧世代」の「ジジイ」たちの自己保身にしか見えない。
たしかにライブドアは急成長企業で、しかもそのやり口が虚業と呼ぶにふさわしい企業には違いない。
だが、フジサンケイグループだって元はといえば大同小異ではないか。
たかだか3・40年ライブドアより先んじて世に出ただけのことで、企業価値が上がるの下がるのと言うのもおこがましい。
フジテレビの日枝会長の虚勢に近い態度を見ると、この人物とホリエモンとどこに決定的な違いがあるのか見出しがたいという感が強くなる。
ただの娯楽産業の経営者があまり偉そうなことを言うと、庶民が反感を持つだけのことだ。
そんなことぐらい、つい最近読売新聞のナベツネが世間から袋叩きになったばかりだから分かりそうなものだが。
漫画クラブのコラム
2005.2.26 トナミ運輸がかつて行っていたヤミカルテルを内部告発した社員が30年間にわたって不利益を受けたことに対する訴訟の判決が2月23日にあった。
富山地裁はトナミ運輸にたったの1360万円の支払いを命じている。
実態が不明なのであくまでも一般論であることを前置きしておくが、不正を内部告発した社員を報復的に処遇した企業に科せられる金額としてはあまりにも安い。
この程度では企業側は内部告発者に報復することに歯止めにならないどころか、「内部告発などして損をするのは社員の方だ」という脅しにさえなってしまう。
まさかとは思うが最近の企業の不祥事と内部告発の頻発に対しての歯止めをかけたいという圧力でもどこかから掛かっているのではないだろうか?
漫画クラブのコラム
2005.3.3 「南セントレア市」は誕生しないことになった。
常識的に考えればこんな馬鹿げた市名などをつけられた住民の怒りが予想できそうなものだが、地方自治を担うものたちの知能水準は常識をはるかに下回るもののようだ。
それでも住民投票にかけただけでも、まだいい方かも知れない。
もっとひどい自治体がこの国には無数にある。
漫画クラブのコラム
2005.3.5 中国に対する円借款新規案件を5年以内に打ち切ることを日本政府が中国政府に提案したと言う。
当然だろう。
上海など諸都市には高層ビルが林立し、高速道路が2007年末には34,400km開通し、有人宇宙飛行を自力で成し遂げ、原潜を建造し、世界の生産工場となってアメリカの貿易額で日本を追い越す国に、今さら援助が必要なはずが無い。
まして日本にとって中国は経済的脅威と軍事的脅威とを与える国でさえあるのだ。
ODAが日本企業の海外での利益に還流される汚い仕組みについては昔から語られているが、どうせ中国への円借款もそうなのだろう。
税金を使って政財界の一部だけが潤うようなあの手この手の一部だと思えば、不必要な対中ODAが続いていたことが納得できなくも無い。
漫画クラブのコラム
2005.3.8 朝日新聞とNHKとの泥仕合は訴訟合戦になりそうな勢いだったのに、最近はライブドア対フジテレビの争いの陰に隠れてしまった感がある。
NHKの行き過ぎた自主規制はもちろん論外なのだが大衆迎合の朝日新聞が最近のNHK批判の大合唱でつい調子に乗りすぎたようにも見えるから、もともとどっちもどっちだとしか言いようがなかった。
このまま「ニッポン放送問題」が騒がれ続けて朝日新聞とNHKのことが一般世間から忘れられてしまうことを、たぶん両者とも望んでいるに違いない。
フジテレビの村上光一社長は、ニッポン放送株取得を巡るライブドアとの攻防を伝える民放各局の報道について、「自省を込めて言うが、面白おかしく扱われていて、いかがなものか。質の面できちっとしないといけないと思う」と定例会見で語ったそうだが、NHKもその批判対象の中に入っていてもおかしくは無いくらい、ここぞとばかりニュースで取り上げているのがなんともおかしい。
漫画クラブのコラム
2005.3.8 「国は謝罪せよ 」

盧武鉉韓国大統領が「日本は謝罪すべきことは謝罪しろ云々」と3・1運動の記念日に演説したことに対して日本政府はだんまりを決め込んでいるしマスコミもあまり騒ぎ立てていない。
「偏向報道」とやらの朝日新聞も最近は韓国・中国の日本非難についての報道が控え目だ。
だが、こういうときだから東京大空襲から満60年目のこの3月に言うべきことがある。
「日本国は自国民に謝罪せよ」と。
なるほどたしかに戦前においても日本には国会というものがあり、選挙を通じて民意を国策に反映する道がなかったわけではないから、一方的に国民が戦争の被害者だというのは間違っているという考え方もあるかもしれない。
しかしそれはあくまで国民が国に対しての責任をまっとうできる場合の話だ。
太平洋戦争を通じて国は国民をだまし続けたし、異論を唱える国民を抹殺し続けた。
大本営発表は国がやったことであって軍幹部個人がやったことではない。軍人に限らず役人は公的な立場で行った個人的な過失に対しては免責であるのが原則であり、役人が犯した過失はすなわち国の過失である、というのが日本の司法の一貫した判断であることからして、太平洋戦争で犯した日本軍部の過ちはすなわち国の過ちであるはずだ。
その大本営発表は嘘だらけだった。従って国が国民を欺いていたことは否定しようがない。
嘘だらけの大本営発表を信じたばっかりに、国民は空襲の犠牲になった。
軍人ではない民間人を大量殺戮したアメリカ軍の都市大空襲という戦略は、なにも原爆投下に限らず到底人道的に許されるべきものではない。
だが戦争史上で都市の無差別空襲という先例を作ったのはほかならぬ中国大陸における日本軍ではなかったか。
以上の2例をとっても日本の国が国民に対して犯した過ちは明白だ。
国は戦争が終わっても国民に謝罪したことは一度もない。天皇もしかりだ。
韓国や中国に対しての過去の清算も必要かもしれないが、まず国民に謝罪しろ。
アメリカ軍による無差別都市爆撃で亡くなった何十万という日本国民にまず謝罪するべきだ。満州で関東軍に置き去りにされてソ連兵に凌辱された日本国民に謝罪するべきだ。日本軍に虐殺された沖縄県民に謝罪するべきだ。
まず謝罪するべきだ、自国民に。東京大空襲60周年を前に改めて声を大きくして言いたい。

ブログ「日本の象徴」
2005.3.11 「掠め取り・脅し取り・たかリが横行する流通業界」

ドン・キホーテが優越的地位の濫用で独禁法に違反したとして公正取引委員会から排除勧告された。
記者会見ではしらじらしい嘘で塗り固めた釈明をしていたようだが、ドン・キホーテを得意先としていた営業マンなら誰でも知っているようなことの、ほんの一部が表面に出たに過ぎない。
だがこんなことは流通業界の中ではほんの氷山の一角に過ぎない。
今の組織小売業界でもっとも元気なドラッグストアでも大手といわれる企業の多く(MKやSDと業界では呼ばれている)はドン・キホーテと同じかそれ以上にえげつないことを納入業者に強要している。
しかも公正取引委員会などに摘発されないよう、巧妙に文書などの形に残さず口頭で(阿吽の呼吸のようにして)要求しているのだ。
納入業者の中には大メーカーもあるのだが、厳冬の小売流通業界の中では、市場を占拠しているMKやSDなどを敵に回すだけの勇気を持てずにいる。
こうした暴力団並みの掠め取り・脅し取り・たかりが日常茶飯事となっているのが日本の量販店・ドラッグストア・ホームセンターなどの業界なのだが、彼らの言うがままになる流通業者・メーカーがあとを断たないから日本の流通業はいつまで経ってもいびつな姿のままなのだ。

漫画クラブのコラム
2005.3.19 「日本が軍事大国でなくて良かった 」

尖閣諸島の帰属問題の解決はいつになるのか分からない。
台湾が中国から完全に独立するのは遠い将来になるだろうが、中国の共産主義独裁体制が続く限り必ず実現するだろう。
東シナ海の排他的経済水域(EEZ)の日中間の主張には妥協の余地がないように見え、中国は日本側が主張するEEZと海底下でつながっていると思われるガス田開発を着々と進めているのに日本政府にはろくに打つ手がない。
中国内の反日運動を煽っているのは中国政府そのものらしいし、最近の日本の公的機関の情報システムに対するサイバーテロの大半は中国と韓国(と北朝鮮)からのものであることも疑う余地がない。
こうしてみると日中間にはけっこう国際紛争になりかねないような問題が多い。
もし今の日本が専守防衛ではなく先制攻撃力を保持する軍事大国であったとしたら、そして中国国内の反日運動に呼応するように日本国内の反中国運動が煽られたとしたら、下手をするとかつてのインド・パキスタンやイラン・イラクのような軍事力行使の関係になったとしてもなんの不思議もない。
日本の保守主義者たちは、むしろそのような国にしたいと願っているようだが、くだらない国際紛争を起こして利するのは当事者たちよりもその周りで眺めているハゲタカどもなのだということぐらい分かっているのだろうか。
しかも日本は中国に比べて圧倒的に狭くて政治も経済も過度に集中した国なのだ。
いったん紛争がおきたら大陸の国同士の場合と違って、国境付近だけでの小競り合いの応酬程度では済まず、たちまち日本の中枢部が危機に陥ることになる。
それを防ぐためには敵国たる中国の中枢である北京に核ミサイルを撃ち込む以外にない。
その程度のことぐらいはいくら旧大日本帝国陸海軍のお役所主義的体質を引きずっている自衛隊といえども認識しているらしいから、自衛隊の幹部は専守防衛から先制攻撃に踏み出すことには慎重であるように見える。
まったくこうして改めて考えてみても、先制攻撃力の保持という意味で日本が軍事大国出なくてほんとうに良かった。

ブログ「日本の象徴」
2005.3.19 「フジ・サンケイグループ対ライブドア」

ライブドアのニッポン放送株式取得問題の第2ラウンドは東京地裁によってライブドアの勝ちになった。
多面的な見方があると思うから、フジテレビ側とライブドアとどちらが社会的に見て正しいかを簡単に結論付けられない。
しかしこんな問題が起きたそもそもの原因は日本の企業(というか財界)が「企業とは株主のもの」という基本的な倫理を確立していないことにある。
今さら常識論を蒸し返しても始まらないが、もし経営者が企業の支配権を手中に留めておきたいのならば、株式を上場するべきではない。
株式を上場しておきながら、株主の権利をないがしろにするのは詐欺行為と言うべきであって、そのような者に公開された場で資金調達をする権利など認められてはならない。
これはなにもフジ・サンケイグループだけではなく、日本の多くの大企業が体質的に持っている問題と思われる。
それだけに、今回のフジ・サンケイグループ側の対応についての司法判断は重要な範例となるべきものだ。

漫画クラブのコラム
2005.3.26 「実効支配できていない竹島を領土と呼んでも」

竹島についての島根県議会の決議はどう考えても行き過ぎだ。
日本海沿岸の県民はともかく、日本の大半の国民が竹島問題についてほとんど関心がないのに、地方議会でこのような決議をしても国民的な理解や支持を得られるとは考えにくい。
政府でさえ当惑している。
当惑する政府というのも無責任な為政者の姿丸出しというべきで、島根県の自治責任者に対して自制を促すのか、韓国の過剰な反応に対していて不快を表明するのかはっきりするべきなのだ。
日本という国の体質なのかどうか、こういうときにいつも煮え切らないはっきりしない態度でろくに打算もないくせに時間稼ぎをした挙句、どうにもならなくなって愚にもつかないような結論に突き進むというのが、これまでこの国が残してきた歴史だ。
政治家も役人もバカか目先の欲だけで行動しているのか、恐らくそのどちらかだろうが、歴史上の教訓が少しも生かされないこの国の行き方はちょっと悲しい。

漫画クラブのコラム
2005.4.2 「子供じみた言動の多い企業トップたち」

昨日(4月1日)のソフトバンクグループの新入社員の入社式で孫社長が「ホリエモンさんのおかげで大人のソフトバンクと言われるようになった」と、およそ新入社員を迎える一流企業トップにはふさわしくない、ヨソサマへの皮肉を込めた訓示をした。
孫氏だけではないし、ライブドア対フジテレビ問題に始まったことでもないが、どうも最近の企業トップたちの言動にはこうした大人気ないものが多すぎる。
バブル期から未曾有の不況期問う環境下で厳しい競争を勝ち抜いて、自社をトップ企業にし、あるいは一流企業トップに上り詰めたのだろうが、競争原理には強くなっても人格的には成長しなかったようだ。
これはなにも孫氏やホリエモンのような若い経営者に限ったことではなく、SBIの北尾氏にしてもフジテレビの日枝会長にしてもニッポン放送の亀淵社長にしても、みんな同類だ。
実に子どもじみている。

漫画クラブのコラム
2005.4.3 「都教委は日本の恥」

「君が代不起立問題」で東京都教育委員会が昨年に続いてまた区立・都立の学校教職員を大量処分した。
全国的にも都教委ほどの強要を行っている例はまれらしいが、一部の保守派マスコミが支持するものだから、いっこうに偏向指導を改める気配はない。
もはや都教委はファシスト集団になってしまった。
これが首都の教育行政であるとは諸外国に対して恥ずかしい限りだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.4 「尊厳死をめぐる私的な争いにまで干渉するバカブッシュ」

アメリカで尊厳死についての大騒動があった。
アメリカではこれまで何例もあったことなのに、これほど大事になったのは正直言って驚きだ。
死んだ人の両親と夫との間での争いが大統領まで巻き込むことになった。
ブッシュもブッシュだ。いくら宗教右派に迎合するためとは言え、こんな家庭問題にまで首を突っ込みたがるとは。
やることが下品すぎて、とても世界の指導者としての資格があるとは思えない。

漫画クラブのコラム
2005.4.8 「常任理事国入りよりも先にやるべきことがある」

国連の安全保障理事会常任国の枠拡大と日本やドイツの常任国入りには紆余曲折がありそうだ。
韓国、中国の反対だけではなくアメリカも消極的な姿勢だというから、恐らく今年中には決着を見ないだろう。
しかし、いったい何のための常任理事国入りなのだろう。
国際貢献と引き換えに権限も持ちたいからなのか。
だがイラクに対するアメリカの暴走を止めることもできなかった国連の中で権限を持ったからといってどれほどの意味があるというのだろうか。
そもそも今の常任理事国でまともな外交政策を取っている国がいくつあるというのだ。
あの顔ぶれに絶対拒否権などを持たせていること自体が間違いではないか。
日本がもし世界の多くの国から信頼を得たいと思うのならば、むしろ常任理事国制度の廃止あるいは常任理事国からの拒否権の剥奪を提起するべきだろう。
国連発足以来、インドシナ半島の紛争も中近東の争乱もアフリカ各地の内乱も、国連の常任理事国制度はなんの収拾機能を果たさなかったばかりか、むしろ解決をより困難にさせてきたのを誰もが見てきているではないか。

漫画クラブのコラム
2005.4.9 「お花見にボンボリはつきものでいいのか?」

お花見シーズンになった。
毎年あちらこちらで見受けられるのだが、桜の樹下に吊られるあの品のないボンボリはどうにかならないのだろうか。
毒々しいピンク色のプラスチック製のボンボリがズラッとぶら下がった桜並木は、およそ興ざめでしかない。
これで夜桜となるともう醜態としか言いようがないのだが、ああいうものを飾って見物客が賑わうと考えている人たちの方が、世間では普通なのだろうか。

漫画クラブのコラム
2005.4.10 「宮城県立蔵王高等学校の事件」

生まれつき赤みがかった頭髪の女子高生が学校の教員に黒毛にすることを強要され、染毛スプレーまでかけられて著しい精神的苦痛を受けたことに対しての損害賠償の訴訟が起きた。
今どきこんな公立高校がまだあることには驚くほかはない。
たとえ髪の毛1本でも肉体の一部だ。
本人の意思を無視して他人が色だの長さだのを変えることなど許されない。
こんなことは今さらいうまでもない基本的人権であるのに、人権そのものを認識していない教員などに教育を行う資格などない。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.11 「反日運動が起きたのは日中関係見直しの良いきっかけ」

中国の反日運動が激化している。
むしろ大歓迎だ。
中国への経済進出を果たしている日本の企業や逆に中国からの輸入や中国での製造に依存している企業・業者には、いや日本の財界にとっては困ったことだろう。
だが長期的に診て日本という国が中国と深い経済的関係を結び、日本経済の中国依存度が高まることは果たしてよいことなのかどうかよく考え直す必要はある。
中国はいまだに共産主義支配の覇権主義国家であり政治制度上も国内体制上も近代化された国家とはいえない。
中国との経済的な依存関係を深めて良いのは中国が民主主義国家となり少数民族と周辺国家を解放してからのことだ。
なるほどたしかに中国抜きでは国際価格競争で諸外国の企業に後れを取ることもあるだろう。
だがいくつかの企業は国内生産や国内調達で十分競争力を維持していることを見れば、今の中国への傾斜一辺倒以外の行き方を見直す必要があるだろう。
中国の民衆が反日的になったからといって、何も日本が反中的になる必要はないが、むしろこれは日本と中国との関係(と中国の国家体制)を冷静に見直す良いきっかけと考えるべきだろう。

漫画クラブのコラム
2005.4.14 「台湾独立」

歴史的な経緯と民族構成からすると、台湾の人民が望む限り台湾が中国から独立することは当然だ。
それでなくとも中国の共産党による覇権主義と周辺小国・少数民族に対する一方的支配は目に余る。
太ったメンドリのような台湾の独立を中国が許すはずもないのだが、同時に独立を望む地域を暴力的に支配することを先進諸国は許すべきではない。
なるほど確かに今の中国と台湾との関係は限りなくあいまいで不安定なものではある。
しかし世界史的にはそのようなあいまいな国際(この場合中国的には国内かもしれないが)関係が、何十年も百年以上も続いた例はいくらでもある。
なにも一世紀や二世紀で白黒をつけなくとも良い。
それにしてもこの問題についての自民党、日本政府、右翼団体の見解が一向に明解でないのはなぜだ。
台湾を国家として承認しろとまでは言わないが、中国の覇権主義的姿勢に対しての批判はあってしかるべきだろう。
なぜならこの問題は尖閣諸島の帰属問題と決して無縁ではないからだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.14 「サイバー攻撃を受けていただけなのか?」

中国からのサイバーテロと思われるネット不通が警視庁や防衛庁のウェブ・サイトで起きた。
中国の愛国者団体を称するウェブ・サイトで攻撃を呼びかけているのだから、間違いはないだろう。
このような日本へのサイバー攻撃は今に始まったことではないのだが、日本の報道を見る限りではこうしたサイバーテロに日本国内からの反撃はないかのようだ。
日本のITオタクが過激な愛国思想とは無縁の存在なら、むしろけっこうなことだが、「報道されていないから事実がない」と思ったりするのでは一部の暴力的中国青年と同類になってしまう。
ほんとうに日本から中国に対してのサイバーテロなどないと思いたいし、ないことを心から祈る。
そうでなければITがただの子どものケンカの道具になってしまう。

漫画クラブのコラム
2005.4.14 「火を煽るようなまねをして」

誤解のないように断っておきたい。
中国の官民の反日的な姿勢に対しての小泉(無責任)首相のコメントを支持するものではないことを。
今回の中国での暴力的民衆行動について、靖国神社参拝をやめない小泉の在り方が何の影響もなかったわけではないのだから。

漫画クラブのコラム
2005.4.15 「中国の主張する歴史的背景などは、ただの作文」

誤解のないように断っておきたい。
中国の反日行動を是認するものではないことを。
日本の庶民の感覚としては、「天安門事件」以来の国内人権問題に対する諸外国からの指弾を無視し続ける中国政府が中国人民の民意を代弁するようなコメントは笑止でしかない。
ましてアジアの周辺諸国に対しての日本の歴史的反省を要求するにいたっては、かつてチベットを武力で支配下に組み入れ、朝鮮半島を南北に分断する戦争の当事者であった中国の過去はいったいどうなのだ、と言いたくなる。
と、こう書くと中国人は「歴史を歪めるな」と怒るかも知れない。
しかし立場次第で歴史などどうにでも変えられてしまうのだ。
現に近代までの中国の正史は、支配者が交代するたびにその前の中国の支配者がいかに腐敗し滅ぶべき存在に過ぎなかったかを記述して、それを歴史的事実にしようとして編纂されてきたではなかったか。
今の中国の共産党政権が終焉する日がいつか(もしかしたら永遠に来ないかもしれないが)来たら、20世紀の中国史も違うものにされていくことだろう。
どちらにせよ歴史的背景を盾に暴力行為を正当化できるものではないことだけは、この際はっきり言っておきたい。

漫画クラブのコラム
2005.4.16 「小泉首相にとっての靖国神社」

小泉純一郎という人物は自分の信念を通すためには、国がどうなっても良いとでも思っているのだろうか。
彼の言うような靖国参拝の目的などしょせん彼個人の私的な感傷に過ぎない。
一国の首相たる人物がたかが個人的な感傷で、国の外交を困難なものにして良いはずがない。
しかも彼は何かといえば「戦没者」と口にするが、靖国神社に祭られている人たちは日本という国のために命を失った人たちの一部に過ぎないことを忘れている。
戦争によって亡くなった民間人、外国人は言うに及ばず、国の失政によって戦争、災害、事故、公害で命を失った全ての人たちについて、彼は一度でも哀悼の意を表したことがあるのか。
みな同じ国の犠牲者ではないか。
小泉首相にとっては軍人、処刑戦犯だけが国の犠牲者なのか。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.16 「スーツはサラリーマンの必要経費かという論議」

昔サラリーマンにも仕事に必要なスーツなどの経費を課税所得控除として認めよという訴訟があった。
もちろんそんな言い分は通らなかった。
源泉徴収されている勤労所得者は課税所得から定額が基礎控除されており、勤労所得者の必要経費はその中で既に認められているのだからというのが裁判所の見解だったように記憶している。
この事例から見ると、最近報道されていた大阪市職員へのスーツの支給が課税対象とされた事件は当然のことなのだ。
課税所得基礎控除がある以上は、サラリーマンは勤務に必要な服装など自弁であるべきなのだ。
だがちょっと疑問がある。
ではブルーカラーの勤労所得者はどうなのだろう。
大半のブルーカラーは作業服を支給されているが、仕事以外でその服装でいることはないから課税対象とはならない、という理屈が世間相場なのだろう。
しかし会社が服務規程などで支給服を仕事以外で着用してはならないと定めていない限り、会社のネーム入りだろうと汚れていようと私用で着用するかしないかは本人の自由だ。
となるとホワイトカラーのスーツとどこが違うのだろう。
作業服でデートする人などあまり見かけないが、今どき会社用のスーツを私用で着る人は少数派ではないだろうか。
どうもこの問題は所得控除のあり方よりも、所得税の源泉徴収制から論議する必要がありそうだ。

漫画クラブのコラム
2005.4.23 「巨人中心のテレビ時代ではなくなった」

ちょっと前のことになるが、巨人戦のナイター中継の視聴率が10%に達しなかったとの報道があった。
大歓迎だ。
だいたい4月から10月までの月曜を除くほぼ毎晩どこかのテレビ局が巨人戦を中継をしてきた今までがそもそもおかしいのだ。
プロ野球以外のもっと面白い番組を提供して欲しいと改めて思う。

漫画クラブのコラム
2005.4.23 「この時期に靖国参拝を報道する朝日新聞の意図」

靖国神社を超党派の国会議員団が参拝したことを朝日新聞が報道していた。
恒例に従って春の例大祭に合わせて参拝したとのことなのだが、国会議員の宗教行事的な活動をいちいち報道する必要がどこにあるというのだ。
これではまるで今のような日中・日韓でデリケートな時期であろうと、彼ら一部の国会議員は政治家としてスジを通した行き方をしていると宣伝してやっているようなものではないか。
参拝した議員連中はきっと選挙区に帰っても、スジの通った自分の行動が報道に取り上げられていることを、大喜びで支持者たちに報告することだろう。
まったく朝日新聞はただの大衆迎合新聞から自民党のプロパガンダ機関にまで成り下がってしまった。
まともな報道機関であればこうした政治家のデモンストレーションなど無視するのが正しい在り方というものだが、今の日本のマスコミにそんなものを期待するほうが無理なのだろうか。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.25 「謝罪に対する日本とドイツの違い」

海外のメディアでは今回の中国の反日運動について第2次大戦後の国としての反省のあり方をドイツと比較するコメントがいくつかあったようだ。
これに対して日本では「ドイツの場合はユダヤ民族の大量虐殺という明確な戦争犯罪があり、戦争責任をナチスに負わせることができたので日本とは事情が違うから比較にならない」という反発的な意見が見られる。
とんでもない見当違いの意見だろう。
ユダヤ民族の大量虐殺は戦後ドイツの国自体が実態を(日本のように)否認しなかったし、ナチズムそのものも非合法化した。
日本はどうだろう。
日本政府は中国大陸などの侵略地域、朝鮮半島インドシナ半島などの植民地における住民虐殺行為をどう認知したのだ。
日本を戦争に追い込んだ軍国主義、全体主義を明瞭に禁止し、最高戦争責任者たる天皇を戦犯として裁判にかけさせたか。
その逆に第2次大戦終結のときに日本がやったことは沖縄、朝鮮半島、満州などの日本国民を捨ててまで、「国体護持」すなわち天皇を首長とする国家体制を守ることだけではなかったか。
そのための戦勝国との取引結果が天皇を戦犯とさせず、「象徴天皇制」を規定する日本国憲法だった。
なるほどたしかにドイツは日本と違って対戦国と講和条約は締結していないし、所謂国家賠償なるものは行っていないが、しかしあの蛮行を招いた根本原因を除去することを明瞭に実行した。
日本は今や時代に逆行して日本国憲法を改正して再び天皇を国家元首として明文化するという動きはあっても、あのような歴史を作った根源である皇道主義を否定するということがない。
これではドイツと比較するなというのが無理だろう。
「まだこれ以上謝罪しろと言うのか」と自民党の一部の国会議員は発言しているようだが、なぜあのような歴史が作られたのかという点についての根本的な反省は行われていないのだ。
ほんとうに反省しているのならば皇居前広場の敷地を利用して「軍国主義記念館」でも作るべきだろう。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.27 「日本嫌いでけっこう」

韓国と中国での世論調査で日本が嫌いという回答率が両国とも60%以上だったと4/27の朝日新聞が報じていた。
別に両国の一般人が日本嫌いでもかまわないと思う。
日本でもアメリカ嫌いが多い時代に日米関係は深まる一方だったことを思えば、国民の好き嫌いと国際関係は別物だ。
ただしそれには国民感情とは別に外交関係だけは親密にしておくという条件がつく。
韓国中国ともに日本の国際的経済力を脅かしつつあり、中国は軍事的にもいまや旧ソ連をしのいで脅威となっている。
だからこそ好き嫌いとは関係なく国際関係では協調していかなければならない。

ブログ「日本の象徴」
2005.4.27 「正義感づらして怒鳴り散らす報道関係者なんかいらない」

JR史上最悪の大惨事が起きて大騒ぎになったが、相変わらず報道の行き過ぎが目に付く。
事故現場がどういう状況になっているのかレスキュー隊でさえ把握できていないときに、JR西日本の社長に向かって「まだわからないとはなんだ」というような怒号を飛ばす報道陣の頭の構造はどうなっているのだろう。
報道するために必要なコメントが取れないことに対しての苛立ちなのか、それとも錯覚した正義感をふりまわしているのか、恐らくその両方なのだろう。
両方ともジャーナリストとしては失格である。
ジャーナリストは混乱した状況においてこそ、まず冷静で客観的でなければ正しく一般人に事実を伝えることができない筈だ。
大惨事が起きたからといって一般人をいたずらに煽り立てることは、報道をタダの下品な商品におとしめること以外の何物でもないのだ。

漫画クラブのコラム
2005.4.30 「あくどい銀行の手口」

大手銀行の不良債権削減が進む陰で、個人融資先に対する銀行の破産申立てが増加しているとの記事が4/27の朝日新聞にあった。
破産に追い込まれた側から見れば「盗っ人に追い銭」どころではないと言ったところか。
融資するときには相続税対策になるなどの甘言を用いてリスクについての説明責任を果たさずにおきながら、返済ができないとなると個人破産に追い込むというのはキャッチセールス以上の悪質な詐欺行為だと思うのだが、どうしてこれが犯罪にならないのだろうか。
説明責任不十分な場合の悪質な融資勧誘行為は、過去の案件に遡っても金融機関側の責任を訴追できるよう法改正するべきだ。

漫画クラブのコラム
2005.5.2 「スポーツはゲームそのものがいちばん大事なのに」

週刊誌やスポーツ新聞の暴露記事というのはどうにかならないものだろうか?
特に目に余るのがスポーツ選手やチームの裏側を追い回す記事だ。
最近でもプロ野球では清原・楽天、フィギュアスケートでは安藤、サッカー日本代表チームと、あることないこと好き放題に書いているようだ。
そもそも一般の読者がスポーツのゲームそのもの以外のことに、どれほど関心があるというのだろう。
いやもしゲーム以外に関心を持つような読者がいるとしても、そのような興味・関心が健全な一般国民としての知りたい権利の対象となって良いはずがない。
下品なマスコミにも責任はあるが、そのような下品な暴露記事を読みたいという読者にも大いに問題があるし、「知る権利」の行き過ぎが他の基本的な人権の制約につながりかねない。

漫画クラブのコラム
2005.5.3 「今の憲法の中身をよく知っている国民の割合は?」

憲法記念日というわけで新聞では「日本国憲法改正」についてのアンケート結果を記事にしたりしている。
憲法改正賛成の方が多いらしいが、ほんとうに日本国憲法を読んだことがある人が回答しているのだろうか。
一番怖いのは国会だけではなくマスコミまでが安易に「憲法改正は時代の流れ」のような風潮を作り出すことにより、肝心の「改正」の中身について国民的議論が高まらずに流されそうなことだ。
だが一番怖いそのことを政治家とマスコミとがぐるになって推進している。

漫画クラブのコラム
2005.5.6 「日本国が謝罪できない理由」

軍国主義日本が第2次大戦までに犯した行為についての反省と謝罪が今現在も足りないのはなぜか。
行き着くところ国民に対しての国の責任を明らかにすることは、今日においてもまったく好ましくないとする立場の人間が多いということに尽きるだろう。
軍国主義の被害者は諸外国の一般民衆ばかりでない。
日本国民の多くも無論加害者としての面は持つものの、半面では国に利用され騙された被害者でもある。
満州開拓民として大陸に渡った多くの農民は甘言に操られて辛酸をなめさせられた挙句、終戦の際には軍に見捨てられ(と言うより軍の安全と引き換えにされて)置き去りにされてソ連軍・中国軍民に略奪・暴行・凌辱の憂き目に会った。
ところがこれは国が日本国民を犠牲にしたほんの一例に過ぎない。
それどころではない。戦争が終わって国は(政府も天皇も、もちろん軍も)国民に対してその罪を認めたことも謝罪したことも補償したこともない。
いや不公平なことには軍人遺族だけは補償されているのだが。
中国・韓国を初めとする諸国に対して過去の歴史的過ちを認め謝罪するということは、畢竟日本国民に対しての国の罪への言及を招く。
それは過去の問題ではなく、これからの日本がアメリカによる世界一国支配に盲目的に追従する生き方に対して、日本国内から深刻な疑問が起きては困るという今現在のこの国のスネの傷だろう。
小泉たちが恐れているのは中国・韓国よりもねぼけた日本国民が覚醒することなのだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.5.6 「再発防止の意識が足りないマスコミ」

「JR西日本の社員の危機感覚はいったいどうなっているのだろう?」と言いたくなるような事態が続けざまに明らかになっている。
これが大量輸送機関を運営する会社なのかと思うと怒るよりも心配になってくる。
とは言うものの、そんなことより毎回のように記者会見でJR西日本の幹部を責め立てる記者たちのあの口調が鼻につく。
怒るのは今回の事故で直接間接に被害を被った人たちだけでいい。
ああした記者会見でも大切なのは誰が悪いかではなくて、どうしたら再発が防げるかの筈なのだが、テレビで見る限りそんな認識を持っている記者はないかのようだ。
追求される側よりも追及しているマスコミの人間の方がよっぽどあさましく見えてくる。

漫画クラブのコラム
2005.5.14 「正義感づらして怒鳴り散らす報道関係者なんかいらない」<追補>

あの罵声を浴びせた記者というのは讀賣新聞の記者で、当の讀賣新聞はそれについてのお詫びを朝刊に掲載したらしい。
当然と言えば当然のことだが、週刊誌に書きたてられてからの対応では遅すぎる。
それにあの記者会見に同席した連中は、なぜその場であの罵倒記者をたしなめなかったのだろう。
日頃から傍若無人でこわもての人間だったからとかいう事情でもあって下手に相手にしたくなかったのだろうか。
どちらにせよ、この問題はジャーナリスト全体の自戒すべき問題として捉えるべきだ。

漫画クラブのコラム
2005.5.14 「一国の秩序を破壊しただけに終わったイラク戦争」

イラクの新体制ができつつあるが、テロは終わらないどころかますます激しくなっている感がある。
テロの主役はいったいイラク人なのだろうか?非イラク人なのだろうか?
テロの標的はイラクの新体制なのだろうか?アメリカ及び親米的な全てなのだろうか?シーア派なのだろうか?
それとも秩序そのものなのだろうか?
テロで国を造ることも守ることもできないぐらい20世紀の歴史を振り返れば分かりそうなものだが、テロの主導者たちにはそうした判断基準も歴史観も無いようだ。
実際に危険な任地で活動している人たちには済まないが、たかだか数百人の自衛隊員を送り込んで、こんな国の平和的復興に貢献していると称している日本の立場というのも、随分と滑稽なものに見える。

漫画クラブのコラム
2005.5.14 「アメリカの戦争に巻き込まれて日本国民がおびえる日々」

東京の鉄道の駅などの公共施設からテロ対策のためにゴミ箱が撤去され、「特別警戒態勢にあります」という張り紙が貼られて久しい。
いったいこの警戒態勢はいつになったら解除できるのだろう。
国の外交政策のために国民に危険が及ぶ可能性を無制限に放置しているようでは、国の責任を果たしているとは言えないのだが、この国の政府の「責任」というのは国民に対してあるのではなく、アメリカに対してのみ存在するのだから致し方ない。
今の「特別警戒態勢」はアメリカ追従外交政策のせいなのに、これを問題にできないということはこれまで何度かこの欄で触れたように、やはり日本がアメリカの支配下にあるからなのだろう。
なにやら軍国主義者たちに支配され戦意高揚の標語に溢れた太平洋戦争前の日本を連想させるし、たくみに国民が戦時体制に誘導されていった歴史をまた繰り返すという恐ろしさも感じる。
かつての軍国主義者たちは結局日本国民と諸外国の民に与えた苦しみについて、自ら罪を認めることはなかったが、アメリカ政府はその点彼らと二重写しに見える。

漫画クラブのコラム
2005.5.16 「小泉純一郎」

つい最近小泉純一郎首相は中国の胡錦濤国家主席と会談し、関係修復に向けて対話を促進することで一致したばかりなのに、もう国会答弁で靖国参拝問題で従来からの考え方をなんら変えるつもりがないことを表明した。
「靖国参拝に賛成」が多いという世論調査結果と言い、小泉の態度と言い、諸外国から日本という国は過去の犯罪行為になんら反省しない国と見られてもしょうがない。
過去を反省しないのはどこの国でもやっていることだから、それ自体を云々するのはあまり意味がない。
しかし相手国から面と向かって反省しろと言われて無視するのは外交感覚的には横柄としか言いようがない。
過去を反省しなかった国はたとえば反省しなかった代わりに(インドシナ半島に於けるかつてのフランスのように)かつての植民地から撤退し、歴史的に築き上げた権益を失うといった損失を被っているのだ。
反省もしないし失うものもないというのでは諸外国から叩かれても当然だろう。

ブログ「日本の象徴」
2005.5.16 「愛国教育の前に国がするべきことがある」

諫早湾干拓事業の工事差し止めが福岡高裁で逆転取り消し決定を下された。
それでなくとも日本の海岸線は埋立地とコンクリート護岸だらけだと言うのに、もうこれ以上日本の自然海岸をなくして、いったいどうしようというのだ。
日本の山も川も海も野も田畑も、本来の日本の自然とされていた原風景を片っ端から破壊していったのは、ほかならぬ国と地方公共団体ではないか。
「美しい日本を守れ」とか「美しい日本を愛せ」とか、どのつら下げて偉そうにこの国の青少年に言えるというのだ。
愛国心が本当に必要なのは国民ではなく、この「国」の方だ。

ブログ「日本の象徴」
2005.5.19 「今さら遅すぎるクール・ビズ」

省エネルギー推進・地球温暖化防止のための「夏のビジネス軽装」を環境省が「クール・ビズ」と命名したそうだ。
どうせかつての「省エネルック」と同じことになるだろう。
省エネどころか最近は世の中の保守化が影響して、真夏のクソ暑いときでもきっちりしたスーツ・ネクタイ姿がむしろ増えているようだ。
おかげで公共交通機関でもビルの中でも冷房をガンガン効かせて、真夏でも気温20℃前後なんてところがざらにある。
営業関係の事業所などでは来客や外回りの従業員本位に冷房調節するものだから、内勤の従業員は真夏に毛糸のパンツを下に穿いたりタオルケットを下半身に巻いて仕事をしていたりする、そんな所があちこちにある。
健康被害もかなり深刻なもので女性の出産率の低下との関係まで指摘されている。
こうなった原因のひとつには政府の省エネ推進が企業などへの指導にとどまっていて罰則も何もないし、労働衛生環境を監督する厚生労働省が無策であることがあげられる。
だが本質的には、明治時代に西欧化を推進した日本という国が、気候風土の違う西欧のマナーを無批判に取り入れ、たかだか100年足らずでそれを日本の服装文化・伝統にしてしまったことに問題がある。
今の大人たちは若者たちのへそ出しルックに眉をひそめたりするけれど、ほんとうに眉をひそめるべき相手はバカな伝統とくだらんマナーに固執する大人たちの方だ。

漫画クラブのコラム
2005.5.20 「刑罰が軽すぎる」

元暴力団員が組織的に偽札を製造使用した犯罪に東京地裁が懲役2年6ヶ月の判決。
暴力団関係者に2年かそこらの刑などタダの休暇期間のようなものに過ぎず、あまりの刑の軽さに唖然とするほかない。
これではまじめに働きたくないやつは暴力団員になることを奨励しているようなもので、まったく何のための刑法なのかわからない。
暴力団にも政治家・役人の汚職にも芸能人の犯罪にも寛容すぎることがこの国をますます悪くしていく。

ブログ「日本の象徴」
2005.5.21 「公正な裁判か疑われる諫早湾干拓事業工事差し止め訴訟」

5/16に諫早湾干拓事業工事差し止め問題で福岡高裁は国の抗告を認める逆転決定を下した。
「漁獲量の減少と工事の関連性は疑われるが、疎明されるにまでは至っていない。」のだそうだ。
まるで「疑わしきは罰せず」とでも言っているかのようで、環境や自然に対しての被害は疑わしきをまず排するべきだという最近の常識に逆らっている。
そもそも自然の現象の因果関係については科学的物証的に立証すること自体が困難であり、特定の大きな条件が自然に加えられた後に、天然資源が減少したという事実だけで因果関係ありとするのが至当というものだろう。
この高裁決定も最近の「国のすることに国民は口出しするな」という時代風潮作りの一環のように思えて恐ろしい。

漫画クラブのコラム
2005.5.22 「公安警察こそ監視されるべきでは?」

国会議員もいるれっきとした合法政党である共産党をいまだに監視し続ける公安警察の活動はいったい誰のためのものか?
今月初公判があったビラ配布事件での住民からの通報で即逮捕送検するという警察の反応の速さは、公安警察の共産党抑圧活動がまだ継続されていることと無関係ではあるまい。
そうでなければ奈良騒音傷害事件や埼玉県女子大生殺害事件のように、「民事不介入」を口実にろくに犯罪防止を行わなかった警察の日頃の活動との落差がありすぎて説明不可能だ。
いまや日本の政党は保守政党ばかりといっても良い状況の中で、革新政党の勢力をさらに弱めようとする官憲の恐ろしさは、(第2次大戦前と同様)いつか多くの国民が思い知らされることになるだろう。

ブログ「日本の象徴」
2005.5.22 「ああ言えばこう言うヤツなんかに期待するな」

公明党の神崎代表が小泉首相の靖国参拝について「もっと大局観に立った行動を」と批判したら、さっそく小泉が「大局的見地に立って参拝している」と反論したと5/20の報道にある。
ああ言えばこう言うで、まさにヘリクツ宰相の面目躍如と言ったところだ。
しょせん小泉純一郎の「大局」など猫のひたいほどの広さしかないぐらい明白なのに、あんなコメントをする神崎代表には人を見る目がないことがよく分かる。

漫画クラブのコラム
2005.5.28 「警察は誰のために仕事をしているのか?」

つい最近初公判が開かれたがマンションへの共産党の政治ビラ配りが、自衛隊官舎への反戦ビラ配り事件に続いて、即逮捕、刑事裁判となったことを、まるで警察関係者は偶然であるかのようにうそぶいている。
埼玉県警に見殺しにされた女子大生の事を思い出すと、民事不介入を口実に殺人・傷害事件が起きるまでは被害を訴えてもろくに動かない日頃の警察の怠慢極まりない活動ぶりとの落差の大きさに唖然としてしまう。
日本の警察機構は誰から何を守るために存在しているのだろう。
国民の批難から自分たちの身分と給料を守るためにか。

漫画クラブのコラム
2005.6.3 「安倍晋三が将来の首相?」

元首相ら自民党の重鎮までが小泉の靖国参拝を批判しているというのに、安部晋三という男は「靖国神社には参拝するべきだ」と発言している。
近い将来の首相候補とおだてられていい気になっているのか、首相になるための布石としての発言なのかよく分からない。
よく分からないがとにかくこんな奴を総理大臣になどしたくないものだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.6.4 「反社会勢力と取引していたTDLの本社」

オリエンタルランドが本社社屋清掃作業を右翼関連企業に業務委託していたと5/20に報道された。
右翼団体と言えばまだ聞こえはいい方だが要するに暴力団。
日本最大のテーマパークを運営する会社でこの始末だから、同類事例が全国いたるところにあることは推して知るべし。

漫画クラブのコラム
2005.6.4 「公私の優先順もわからない男が首相なのか」

6/2の衆院予算委で小泉片意地首相が靖国参拝問題について「私的な参拝に他国が干渉するべきではない」と述べた。
個人的な信念という「私」を外交という「公」より優先させることについての自覚も責任感もないことを国会で表明したわけだ。
ここまで来ると靖国参拝の裏にどんな事情があるか関係なく、小泉という男は単なるバカでしかないことを自ら示しているようなものだ。

漫画クラブのコラム
2005.6.5 「シンタローは都庁以外で何をしているのだ」

遊びで都知事職などやって欲しくないが、われらがボンボン都知事は週に2・3回しか登庁しないことが多いそうだ。
で、本人は「都知事としての仕事は都庁内に限らない」と強弁している。
しかし都庁以外での仕事と言っても、官庁でも何でも東京に集中しているのにいったいどこで何をしたら丸1日都知事の椅子を空けていられるのだ。
都庁以外で仕事をすることと登庁しないこととは別の問題だろう。
まったく仕事サボって陰で何やってるんだ、あの慎太郎は。

漫画クラブのコラム
2005.6.9 「おもしろいぞ、皇位継承問題」

皇位継承権についての諮問機関では予想どおり収拾のつけようがないようなバラバラな意見が出ているようだ。
遠い過去に皇籍離脱した家系から男子を皇族に戻してでも男系維持を守るべきだという意見から、男女の皇位継承権の序列のつけ方どころか、そもそも現行憲法下で天皇制が必要かという意見まで出ているようだから、これはどう決着するかどうかが面白い。
今さら突然皇太子か秋篠宮に男子が誕生したりして直面する問題が片付くことで、せっかくの面白い話が中断されたりしないことを望む。

ブログ「日本の象徴」
2005.6.10 「出生率が下がって当然の社会は誰が作った?」

わが国の出生率が1.29にまで下がったそうだ。
こんな時代になってもまだ「女性が社会進出したから子どもが減った。女性は家庭を守るべきなのだ」と言う人がいる。
終身雇用体制が崩れる一方で、高学歴化のために家計に占める教育費の率は高まっている現在、専業主婦が多かろうと少なかろうと家計の安定を考えたら、子どもを何人も作りたくないという若い夫婦たちが多いのは当然のことだ。
男女雇用機会均等法は女性の職場における差別を抑制した代わりに、企業から正社員を減らしパートタイマー・派遣社員・アルバイトで労働力が賄われる時代を招いた。
こんな時代に考えられる少子化対策は次の2つしかない。
1.昔の日本のように夫(男性)の雇用を安定させて妻(女性)が安心して主婦業に専念できる社会にする。(バカバカしい)
2.女性(もしくは夫)の育児就業を前提とした労働環境を作る。
だがそのどちらに対しても日本の財界は熱心ではない。

漫画クラブのコラム
2005.6.12 「日本も核武装しよう」

今は都知事となったバカな政治家が昔「日本も核武装するべきだ」と発言していたが、最近はどうしたのだろう。
北朝鮮も中国も核兵器で日本と近隣諸国を威圧しているのだから、今こそ日本も核武装して対抗したらいいではないか。(たぶん)
尖閣諸島でも竹島でも日本の領土・領海を侵犯されたらハープーンミサイルにでも核弾頭を装填して侵略者をじゃんじゃん撃退したらいいではないか。(たぶん)
H2Aロケット改造ミサイルでも作っておいて相手の出撃地が分かったら核爆弾を投下したらいいではないか。(たぶん)
そうすれば北朝鮮も中国も二度と日本をなめたような態度がとれなくなるだろう。(たぶん)
日本の使用した核兵器が東アジアに撒き散らした放射性物質は偏西風だのジェット気流だの黒潮だのに乗って日本の国土と海を汚染し、その結果日本の国民も放射能に苦しむことになるだろうけれど、神国日本のメンツが汚されることに比べれば一億国民の苦しみなど何ほどのことか。(たぶん)
第2次大戦の終末に数百万の国民を犠牲にしてでも国体(天皇制)護持を貫き通したことに比べれば、たいしたことじゃないだろ。(そんなわけないだろ)

漫画クラブのコラム
2005.6.14 「靖国神社の欺瞞の証明」

第2次大戦中に戦死した台湾人の遺族が靖国神社に合祀の取り下げを望んだ結末は、予想どおりの後味の悪いものになった。
靖国神社は合祀取り下げを拒否したばかりか、「魂の奪還」の儀式を行いたいという遺族たちの要求もまた拒否。
のみならず、やむなく遺族たちが靖国神社の外で儀式を行おうとした事まで右翼と警察を動員して妨害、儀式を終えることなく遺族たちはその場から引き返さざるを得なくなった。
このことを見ても靖国神社の「霊を祭る」行為が霊を慰め癒すためでもなんでもなく、「国体護持」のためでしかないということが良く分かる。
「靖国」の名前の示すとおり、この宗教団体は「国を安んじる」ための神社であり、国を霊の力によって護ることにこそ本旨があり、霊を祭るのは死んだ人間を慰めるためではなく死んだ後までも利用するためだ。
そもそも個人の霊を一宗教団体が勝手に扱ってよいものであるはずがなく、子孫がそれを望まないものを祭り続けることは戦前ならばともかく今の時代には許されない。
子孫が悲しむことを望んで死ぬものなどいない筈だが、勝手に祭る側のものにとって死者の子孫など眼中にない。
靖国神社自体が「国のために亡くなった人の霊を慰めるため」と称しているのなら、そんなことは大嘘だということの証明が今回の事件だ。
仮に靖国神社自体が称しているのではなく国家主義の亡霊に憑りつかれた者たちが「国のために亡くなった人の霊を慰める」と勝手にそう言っているのならば、靖国神社がそういう存在であることを証明してもらいたいものだ。
今回の事件が起きた後では、そのような証明は不可能だが。

ブログ「日本の象徴」
2005.6.18 「恥を忘れた相撲人」

相撲は日本伝統の武道だ。
とりわけ今の日本社会では薄れつつある「恥」の文化を守るところに、単なるスポーツとは違う相撲の良さがある。
それなのに最近の二子山親方死去のあとのゴタゴタはいったい何ということだ。
「相撲界をどうこうしたい」みたいなことを言っているが、内輪の恥をわざわざ一般世間にさらすような人間の言葉に説得力など感じられない。

漫画クラブのコラム
2005.6.21 「靖国神社を廃社しよう」

こうもつべこべいつまでも外国からイチャモンをつけられるくらいなら、靖国神社など廃社してしまえばいい。
何百万もの犠牲者を出した挙句、経済的に繁栄していることだけがとりえのアメリカの属国に成り下がってしまって、何が靖国神社だ。
こんな国にしておいて戦争で亡くなった人たちに申し訳が立つわけがないのに、この国の指導者たちは英霊を敬うというポーズだけを続けて国民を騙し続けている。
この国の起こした戦争のためになくなった人たちが、今この国で自分たちが政治的に利用されているに過ぎないことを知ったらどれほど怒り悲しむことだろう。
だからいっそ、靖国など無くしてしまえばいいのだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.6.21 「所得税の源泉徴収制度を廃止しよう」

勤労所得者に対して、所得控除の大幅な縮小と廃止によって大増税を実施しそうになっている。
首相になったときに「増税はしない」と国会で言い切った小泉の大嘘には呆れてしまうが、これほどまでに国になめられた国民にそもそも責任がある。
最も問題なのは、日本の軍国主義時代に戦費調達のため1940年税制改革で導入された給与所得の源泉徴収制度が戦後60年たってもいまだに残っていることだ。
源泉徴収と年末調整とが納税者の税の使われ方に対する関心を薄くさせているのは間違いなく、しかもこれは疑いもなく国によって恣意的に行われている。
がっかりするのはこんな時代になってもいまだに「確定申告など面倒でたいへんだ」と街頭インタビューで発言するようなサラリーマンがいることだ。
これからますます勤労所得者の税・社会保険の負担が重くなることは分かりきっている。
ならばせめて自分の税負担がどれほどのものか年に1回ぐらい確認して、国や自治体の行政に対しての監視を強めるくらいのことはするべきではないか。
税制の抜本的な改革には是非、源泉徴収制の廃止を盛り込むことを国民的運動にしよう。

漫画クラブのコラム
2005.6.25 「死んだ人より生きている人たちが問題」

靖国神社に参拝しようと唱えている政治家たちに、今アメリカ軍の基地によって苦しみ悩まされている人たちを守るために、はたまた米軍によって蹂躙されているこの国の国土と海と空を救うために、何らかの具体的な努力している奴がいるのだろうか。
日本と世界の平和のために米軍基地が必要なのだとかいう大嘘でごまかして、国民をまもる政治家としての義務をさぼっておいて、「国を護るためになくなった英霊を敬う」なんてまったく恥知らずにもよく言うわ。

漫画クラブのコラム
2005.6.27 「日本の品が下がっている」

政治の品も下がっているけれど、日本のいや日本人の品が下がっている。
まずなんと言っても今の平均的な日本人の言葉遣いが悪くなっている。
テレビドラマにしても漫画にしても正義のヒーローの言葉遣いが悪者と全然変わらなかったりする。
大人向けのドラマならある程度しょうがないかという気もしなくもないが、子供向けのアニメでもそうなんだから、もうどうしようもない。
教育現場でもひどいものだ。
女性教員が生徒の名前を呼び捨てにするなんて、恐ろしくてそんな学校にとても子どもを預けたくはないものだが、今ではそれが当たり前になっている。
昔だったらヤクザや非行少年しか口にしなかったような言葉遣いを、平均的な大人も子どもも当たり前にするようになった。
いったいどうしてこんなに下品な国になってしまったのだろう。
たまたま言葉の問題を取上げたが、この問題は何も言葉だけではなく、日本の一般庶民の風俗も暮らしも文化も、かつてのもっと貧しかった日本よりもはるかに下品になっている。
伝統文化を守るだの何だのよりもっと深刻な問題だと思うのだが、こういうことを論じる文化人もジャーナリストもあまり見当たらない。

漫画クラブのコラム
2005.7.2 「こんなときのための公共投資」

梅雨だというのに福岡・香川などでは水不足が深刻になっているが、東日本では平年並みの雨量か地域によっては豪雨による被害。
油送パイプなら何百・何千kmも敷設する技術も実績もあり、本州・九州・四国はトンネルか橋で結ばれているのに、なぜ送水パイプを敷いて電力のように水を融通しあえるようにはできないのだろうか。
利水事業が都道府県単位でしかできないからなのか、利水権の調整ができそうもないからなのか、それともそういう発想自体がそもそも為政者たちに無いのか、よくわからない。
よくわからないが、公共投資予算と日本が持つ土木技術とを無駄に浪費しているから、何年かに一度は必ず来る日本の水不足はいつまで経っても解決できない。
(とか言ってる内に今日のニュースでは西日本でも逆に集中豪雨に見舞われたそうな。)

漫画クラブのコラム
2005.7.6 「国民に対して責任をとらない日本」

中国残留日本人孤児たちが国が義務を怠っていたとして国家賠償を求めていた訴訟の判決が大阪地裁であった。
予想どおり国の行政裁量権の範囲内であるとして原告の訴えは退けられた。
何しろ日本という国はまともに行政の怠慢と失敗について、国民に責任を取ったことがないのだから今回の判決は当然だろう。
この国が国民を収奪の対象としてしか見ていないのは武士や公家の時代からの国家的体質であるし、役人や政治家はいまだに百姓・町人に対する武士のごとく国民の上に立っているつもりなのだから、こんな国が国民に対しての行政責任など取る訳がない。
これを変えるには憲法を改正して国の義務をより具体的かつ明確にするしかないのだが、政治家も役人もそんな自分の首を絞めるようなマネをする筈はない。

ブログ「日本の象徴」
2005.7.6 「ずさんな都の行政の責任は誰に」

ちょっと前の話になるが、最近話題のリフォーム詐欺の業者に東京都が行政指導を行った後にも、都バスにその業者のラッピング広告を出していたことが報道された。
東京都の行政がいかに内部で連携していないかが良く分かる例だ。
交通局の担当者が弁明に努めていたようだが、現場の責任もさることながら都営バスでのラッピング広告を始めた慎太郎(都知事)が謝罪するべきだろう。
都知事が週に2・3回しか登庁しないような勤務ぶりだからこんな都行政になっても当然だろうが、先日の都議会議員選挙の投票率の低さを見ても、都行政のずさんさのほんとうの責任は東京都民にあるとも言える。

漫画クラブのコラム
2005.7.7 「ばかブッシュ」

スコットランドで行われているサミットに出席しているブッシュ大統領が宿泊ホテルの敷地内を自転車で「かなりの速度」で走り回って警官にぶつかって転倒したと報道されていた。
昨年5月にもアメリカ国内で自転車で転倒していたそうだ。
2002年1月にはテレビを見ながら食べていたプレッツェルを喉に詰まらせて気絶して物笑いのタネになっている。
まったくこんなマヌケが世界の最有力の支配者なのだとは呆れるほかはない。
小泉といい勝負だろう。
ブッシュの命令によって死んだ人間が何人になるのかは、はっきりしないが、末期ローマ帝国の暴君愚帝によって殺された人数と比較してみたいものだ。
殺人者という意味では暴君ネロの方がよっぽどましかもしれない。

漫画クラブのコラム
2005.7.9 「なぜできない、一年中のライトダウン」

先月の話になるが、環境省他の呼びかけで「環境を考えライトダウン」とか唱えて夏至までの夜ライトアップ施設の照明をいっせいに消すという行事が今年も行われた。
夏至に消せるくらいなら、なぜ一年中消しておかないのか、「環境を考える」とは聞いて笑わせる。
環境より大切なライトアップっていったい何なのだ。

漫画クラブのコラム
2005.7.15 「公共事業という食い物」

日本道路公団による官製談合が問題になっている。
橋梁建設だけが官製談合の舞台ではなく、日本中の大半の道路がそうなのだろうと推測したくなる。
いや道路公団だけではなく、日本中の公共事業のほとんどが疑わしいものに見えている。
年間数十兆円もの公金が、その疑わしいものにつぎ込まれる。
政・官・産が一体となってあさましく公共事業を食い物にしていても、国民はただ指をくわえてみている以外にほとんどすることがない。

漫画クラブのコラム
2005.7.23 「レジ袋追放の動機は純粋か?」

レジ袋は資源の無駄遣いの代表のように言われて何かと目の敵にされるが、そう単純にレジ袋をなくして物事が万事うまくいくだろうか?
家庭ゴミを分別して出すのにレジ袋ほど便利なものはない。
自治体によっては指定されたゴミ収集袋でなければゴミを出せないとしているところも多いようだが、そもそもこの指定袋なるものが実に胡散臭い。
ゴミ収集業自体、暴力団関連企業が多いと言われているし、ゴミ収集袋の販売会社というのもどこまでがまっとうな会社なのか、はなはだ怪しい限りだ。
自治体がやることの多くは暴力団ほどのワルでなくとも業者との癒着によって成り立っているのは、もはや常識。
レジ袋追放の掛け声がほんとうは誰の役に立っているのか、よく見極める必要があるのだがそこまで言及している例を見聞したことがない。

漫画クラブのコラム
2005.7.30 「都教委の露骨過ぎる干渉」

都教委が例年よりも早く来年度から都立の中学校24校で使用する歴史と公民の教科書に、例のうさんくさい扶桑社の教科書を採択した。
都の市区町村に先駆けての決定が、なぜ早々に行われたかは想像するまでもない。
市区町村の教科書採択に対しての饒舌な圧力と、これまで扶桑社の教科書を採択することに及び腰で形勢を伺っていた全国の教育委員会への効果との狙いが露骨だ。
ファシスト都知事とフジサンケイグループとの癒着がどの程度か分からないが、文筆家としては過去の人となり、印税収入も乏しくなって政治資金に事欠いてきたと思われる慎太郎のことだから、この先何をやるかわかったものではない。

漫画クラブのコラム
2005.8.3 「新しい歴史教科書、、、か」

東京都教育委員会は28日、都立の中高一貫校4校と盲・ろう・養護学校47校(分教室含む)が来春から使用する中学校教科書に、新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集され扶桑社が発行する歴史、公民教科書を決めた。
慎太郎ファッショ都知事が任命したメンバーのことだから、恥も良心もないのは当然のことだが、他の教育委員会に対しての影響を計算したえげつなさすぎるやり方だ。
こんな連中に東京都の教育を任せておくしかないのも、教育委員が公選ではないからなのだが、この制度を改める動きも見られないことを考えても、日本国憲法に基づく戦後民主主義など定着していないことが良く分かる。

ブログ「日本の象徴」
2005.8.6 「カネボウ元経営陣の社会感覚」

社長を初めとするカネボウの元経営陣が粉飾決算などの容疑で逮捕された。
経営破綻をきたしたつい最近になるまで、有名企業がこんな前時代的なことをやっていたとは呆れるほかはない。
粉飾決算の陰にはメーンバンクの三井住友銀行の黙認があったのだろうが、社会にそむき株主を騙すあくどい行為だったとしか言いようがなく、カネボウ元経営陣には相応の社会的な加えられるべきだろう。
それにしてもカネボウと言えば日本有数の名門企業の一つのはずだが、三菱自動車の欠陥隠しと言い、雪印食品の不正申告事件と言い、また今回のカネボウ粉飾決算の推進者となった元副社長を送り込んだ三井住友銀行と言い、みんな名門企業(グループ)ではないか。
名門とか一流とか言っても、一皮むけばこの程度。

漫画クラブのコラム
2005.8.10 「今頃?野球中継延長制限」

プロ野球試合中継の延長時間を短縮しようというテレビ局の動きが出てきた。
弱くてしかもダーティーなイメージさえ持つようになった巨人軍の人気が凋落したおかげで、やっとテレビ局も重い腰を上げたようだ。
野球中継など見ない人間にとっては、まさに巨人さまさま。
それでもまだ毎週6回もゴールデン・タイムにどこかのテレビ局が放送しているのだから、どうかこのまま人気低迷が進んで野球中継そのものが減ってくれるようになって欲しいものだ。

漫画クラブのコラム
2005.8.13 「なんで今さら東京オリンピック」

石原暴君知事が前向きな発言をして、オリンピックの東京都招致が都議会に提案されそうな様子になった。
鈴木俊一という業界癒着都知事が馬鹿げたハコモノ行政を推進して残した赤字施設の整理もろくに進めないで、またオリンピック向けの施設を建設しようとは慎太郎なればこそ。
まあ実際に招致合戦となれば、今の日本が他の国に勝てるとは思えないのだが、招致活動するだけでも莫大な金額が投入されることになるから、おおかた陰で動いている大手の広告代理店にはけっこうな儲け話になるのだろう。
今の混乱で自民党が分裂し、最近の風潮に乗って超保守政党が誕生することにでもなれば、慎太郎は国政復帰することになるだろうが、そのための政治資金をどこで捻出することになるのかを考えれば、オリンピック招致話もなんとなく納得できるとまで言ったら言い過ぎか。

漫画クラブのコラム
2005.8.14 「A級戦犯合祀」

第2次大戦末期、戦争継続能力が全く無くなっていたにもかかわらず、日本の戦争指導者たちは戦争終結を徒に先延ばしして、日本の主要都市への絨毯爆撃と原爆投下と海外残留日本人の苦難を招いた。
ヨーロッパ戦線と日本の状況とを考えれば敗戦は必然と判断できた筈であったのに、敗戦を受け入れなかったことの責任はあまりにも大きく、犯罪者とされることは当然だろう。
もし仮に敗戦を必然であると判断できなかったとしても、その罪に変わりはない。
彼らは紛れもなく他国に対してのみならず日本国民に対しての犯罪者であり、国のために身命を犠牲にした人たちとは区別されなければならない。
彼らのマインドコントロールから解き放たれた当時の国民の大半が、怒りよりも脱力感に覆われて彼ら戦争指導者たちに対する弾劾に思い至らなかったことは、結局現在に至るまでの日本の戦争責任のあいまいさを残すことになった。
そのあいまいさはA級戦犯の靖国神社合祀によってさらに確実に度を増している。

ブログ「日本の象徴」
2005.8.19 「男系皇統、万世一系の天皇という幻想」

東大の上野千鶴子教授が「男系皇統の伝統、万世一系」など明治以降の御用学者のでっち上げだと新聞のコラムで切って捨てていた。
日本の皇統は少なくとも2回(応神朝と継体朝とで)断絶していることぐらいは、日本の正史である日本書紀からも明らかなので、万世一系というのは素人でも分かる嘘だ。
母親の出自が不明確だったり、肝心の出産場所が明らかでない天皇もいるので、男系皇統の伝統というのも根拠はない。
その上、骨肉で殺しあったり、異母皇子を殺害したり、近親相姦したりと、とても日本国民が世界に誇れるような血統ではない。
皇室典範の改正を検討する有識者会議で問題になっていると言うのが、この2点なのだから彼ら有識者が史実よりも明治以降に創作された伝統の幻想に拘泥しているのがよく分かる。

ブログ「日本の象徴」
2005.8.20 「小野田寛郎元少尉の犯罪」

終戦記念ドラマの一つに今年は小野田寛郎元少尉が取上げられていた。
日本に帰還した当時も、なぜあれほど頑なに任務遂行を盾にジャングルに立てこもったのか納得しがたいものがあったが、今もその疑問は晴れない。
何より許しがたいのは、戦争終結後も現地住民を殺傷し略奪することで苦しめ脅かし続けていたという事実を認識していた筈であるのに、小野田元少尉から贖罪の言葉が聞かれなかったことである。
いや、どこかで発言していたのかもしれないが、まったく見聞する機会はなかったと言ってよい。
彼はむしろ部下が住民との争いで死んだことに対する復讐の念を強調していた。
戦後の彼は疑うこともない犯罪者だったのに、フィリピン政府が訴追を免除したおかげで日本に帰還することができたのだが、、、。
小野田元少尉という人物は旧日本軍を象徴しているように思える。

漫画クラブのコラム
2005.8.24 「駒大苫小牧高野球部の不祥事」

駒大苫小牧高野球部の部内暴力事件が明るみになって、優勝旗の返還までが取りざたされていると言う。
テレビのキャスターなどは「部員たちには罪はないのだから優勝旗の返還などさせるべきではない」と同情的だが、そう単純に決め付けていいものだろうか?
もし暴力行為を全く部員たちが知らなかったのだとしたら、彼らに罪はないといっても良いが、果たしてそんなことありえるだろうか。
仲間であるはずの部員に暴力が振るわれているのを見て見ぬフリをしていたとなれば、彼らも汚い大人たちと一蓮托生と言わざるを得ない。
高校生ともなればもう物事の是非も分からないただの子供ではない。
つまらない甘やかしは甲子園球児であると言っても許されるものではないだろう。

漫画クラブのコラム
2005.8.27 「トラブル続きはJALだけの責任か」

どういうわけか最近JALのトラブルが次々に起きた。
そしてマスコミはいつも原因の結論付けを急ぎたがる。
それも経営体質とかJASとの経営統合とかに原因があるような論調が多い。
一見もっともらしい意見なのだが、改善に対しての具体策が真面目に論じられているという訳ではなく、どちらかと言えば「安全優先」を強調するだけで精神論的だ。
航空輸送についての安全基準は国土交通省の管轄事項であると同時に、日本の航空輸送業はJALとANA2社によって極度に寡占状態にあるのだから、公的な監視を強めるのが当然なのだが、航空運輸行政についての強い批判はほとんど眼にしない。
利益確保のために安易に人員合理化を進めたことが原因の一つと指摘する声はあっても、安全確保との両立ができていたのかを行政がチェックしていなかったことを批難する声は少ない。
この問題は何も航空輸送業やJRなどに限らない。
人命や個人の有形無形の資産を預かることを業務とする企業の人員合理化を、それほどの責任のない一般企業の経営合理化と、一緒くたにして自由放任にしていることに、そもそも問題があるはずだ。

漫画クラブのコラム
2005.9.1 「下品な政治、下品な選挙、下品なマスコミ」

品のないマスコミが「刺客」などという物騒な言葉を面白がって使うものだから、選挙そのものがますます下品な田舎芝居のようになってしまった。
品位のない政治力学だけで解散にまで到達するような国政だから、下品な選挙になるのは致し方ない。
だからと言ってマスコミが国政選挙を下品な田舎芝居に仕立て上げて良いということはない。
マスコミが報道を商品とするのは憲法の下に自由だが、商品化することで現実を着色し変形し歪曲化することまで許されていないはずだ。
情けないことにはマスコミ業界には自浄作用がない上、このような風潮を批判する意見もしょせんマスコミを媒体にしてしか広めることができないから、この問題はたぶん未来永劫解決しない。

漫画クラブのコラム
2005.9.3 「バカブッシュの次の一手」

ハリケーンの被害の甚大さがブッシュ批判を招いているらしい。
未曾有の強力なハリケーンが襲来してくるというのに、のうのうと休暇をとっていたことに対してだ。
それでなくとも一部のマスコミの論調には、イラクの民政化は進んでもアメリカ兵の犠牲が絶えないことに対しての苛立ちがうかがえる。
このままでは任期がまだたっぷりあるとは言え、大統領席の居心地も悪くなるだろう。
今のバカブッシュが期待しそうなことは、たぶんアメリカ国民に新しい緊張が訪れて批判の矛先がそれることだろう。
こういう権力者の陰謀というのはアメリカ映画にはよくあるシチュエーションなのだが、まさかバカブッシュはそこまでしないだろうな。

漫画クラブのコラム
2005.9.5 「国民の負担増は必然か」

年金改革には国民の負担増は避けられないという雰囲気になっている。
財政改革でも増税は必然だと言われ、給与所得控除の大幅縮小だの消費税率引上げだのと騒がしい。
だがこの議論はどこかがおかしい。
だいたい国民の負担を税金と社会保険料とに分けていること自体がおかしい。
国が国民に対して行うサービスの費用を義務的に支払うのが税金であって、そのサービスが全国民を対象としたものであり、サービスの対価としての社会保険料の支払いに任意性がないのであれば、税金と一体化するべきものなのだ。
自分が払い込んだ保険料に対しての給付金が確定していない保険など、保険と呼べるものではなく単なる人頭税ではないか。
従って国民負担としては税金に統一するべきものだろう。
そうして改めて国民負担と国の支出を見直すと、一般人の家計と同じく国は収入に見合うだけの支出を図るべきなのであって、国民全体が将来に不安を抱いているような時代に、国民の実質所得を減らして良いなどという議論はどう逆立ちしても出てくる筈のものではない。
マスコミも一緒になって「増税」「負担増」の道が避けられないような気分を作り出していることに、国民はだまされてはいけない。

漫画クラブのコラム
2005.9.9 「中古兵器で平和貢献しよう」

自衛隊の兵器の調達は国産優先のおかげで大変割高なものになっている。
冷戦終結のおかげで今や世界中のあらゆる国から、中国からさえ兵器の調達が可能になった今日、国内の軍需産業を育成保護するべき大義名分はない。
兵器輸出先進国であるスイス・フランス・イギリス・スウェーデンや、兵器輸出を重要産業として育成したいインド・インドネシア・ブラジルなどと、日本とでは事情が違う。
日本経済にとって軍需産業はなくなって困るほどの規模でもないし、兵器輸出なしで貿易拡大を続けてこられたのに今さら兵器輸出国になる必然性もない。
最新兵器で装備することも必要かもしれないが、ここはひとつ冷戦終結で買い手市場になったと言われている世界の中古兵器をせっせと購入して中古兵器の相場を引上げ、貧しくとも野蛮な国や非政府武装組織や一般人が、やすやすと中古兵器を手に入れられないようにするのが、世界への平和貢献と言うものだろう。
なにしろ中古兵器といってもテロやゲリラ戦や内戦で使用する分には最新兵器と遜色ないものが世界中に流通しているのだ。
中古兵器をまとめて買い上げてくれる国があれば、何もアメリカのように無理やり軍事的緊張を作り出して国内の軍需産業を保護しなくとも済むから、中古兵器を売りさばきたい国からも感謝されるだろうし一石二鳥と言うものだ。
ついでに買い集めた兵器を鋳潰して良質の鉄鋼を増産して、手抜き工事で安全性が疑われている新幹線や高速道路の補強に役立ててもらえれば言うことなしだ。

漫画クラブのコラム
2005.9.17 「間違った歴史を正当化する論理」

今年の終戦記念日特集番組のテレビ討論の中で「今の価値観で日本の朝鮮半島中国大陸支配を侵略とするのは間違い」と主張する論者がいた。
最近の日本のネオコンや戦前派がしばしば主張する「時代によって変わる価値観を持って歴史を論じるのは間違い」という意見は一見もっともらしいのだが論理的に正しいのだろうか。
むしろ非常に危険な「強者の論理」と言うべきだろう。
こんなことは「時代」を「地域」・「宗教」・「民族」という言葉に置き換えてみればすぐに分かることであるし、「時代」をそれ以外の言葉に置き換えても全く同じ論理が成立するのだ。
「時代」による多様な価値観で「侵略」や「収奪」「抑圧」を正当化できるのならば、湾岸戦争の端緒となったイラクのクウェート侵略も、アラブ人の無差別テロも、イスラエルによるアラブの土地収奪も、中国の反日教育も、アメリカの中南米諸国の政治への軍事介入も、ロシアのチェチェン抑圧も、全部正当化できてしまう。
時代だの地域だの宗教によって、人を殺傷し抑圧し拘束することが当然とされたのでは「弱い立場の人間」はたまったものではない。
ちょっと考えればとてもまともな考え方とは呼べないことを、さも論理的客観的な意見であるかのようにマスコミを利用して主張する連中に、この国の大衆はいいように誘導されていくのだろうか。

ブログ「斜真館」
2005.9.17 「憲法改正にだまされるな」

最近、最高裁大法廷は画期的とも言える判決を出した。
在外日本人の選挙権を制限している公職選挙法の規定は憲法違反であるとし、原告への国に賠償を命じた。
さらに、10年以上何らの措置も取らなかったのは国会の過失とも指摘した。
これまで最高裁は「憲法に規定してある条項ことの具体的な施行については国の裁量権にある」との理由で意図的かと疑われるほど「違憲立法審査権」を行使してこなかったことに比べると非常に積極的であり、賠償まで認めたことは国の裁量権の解釈に制限を与えたとも言える。
これで大半門前払いを食らわされてきた違憲訴訟の行方も違ったものになり、国民の権利も守られるようになった。
しかしせっかくの画期的判断が意味のないものに成る可能性が、今回の総選挙で明白になった。
自民党は48%の得票率で73%の議席を独占した。
今のタイミングであれば参議院選挙でも小選挙区制によって、似たような結果が出るだろう。
小選挙区制では過半数すれすれの得票率でも、単独政党が国会で憲法改正を議決し得る恐ろしさを証明した。
民主党までが一緒になって「憲法改正」を大合唱し、まるで当然のような雰囲気をマスコミも加わって醸成しているのだが、最高裁の違憲立法審査権の確立はこの傾向に拍車をかけるものになるかもしれない。
なぜなら政治家や官僚が自らの責任を厳しく追及されるかもしれないような憲法をこのままにして置きたい筈がないからだ。

ブログ「斜真館」
2005.9.17 「小野田さんの失敗とは何か」

彼は陸軍中野学校で諜報活動の訓練を受け、軍の指揮命令系統から隔絶した地でもなお自身の状況判断で初期の命令を貫徹しなければならない残地諜者という任務を受けていた。
にもかかわらず、日本軍が解体、武装解除され全ての軍人が任務と身分を解かれた事実を知りながら、自身の任務は解かれていないと考えたのは小野田さんの任務上の判断ミスである。
戦時下にあって軍人の状況判断の誤りは許されないことは当然だが、彼の受けた訓練と任務からすれば、その誤りの意味はいっそう大きなものだということぐらい小野田さんは認識していたはずであるし、NHKの特集番組で彼自身の口から状況判断を要する任務であったことを強調さえしていた。
小野田さん自身が自分の言葉と行動に大きな矛盾があることを、無意識の内に告白していたのだ。
さらに番組の中で小野田さんは立てこもりを続けられた理由を、自分らを置き去りにした旧陸軍と日本に対しての意地があったからだと、自ら言明していた。
つまり彼は自身の戦争が既に私闘となっていたことを認知していたのだ。
であるからこそ(つまり私闘と言わせないために)、それを止める為には既に解体され命令など出せるはずもない旧陸軍の上官からの任務解除命令が必要であると要求したのだ。
軍そのものがなくなったのに、彼の元上官に当たる谷口氏から命令書を伝達することなどは全く茶番劇でしかないのに、なぜそんなことが必要だったか、日本帰還後数十年たってようやく彼の言葉によって明らかになった。
そこまでしてなぜ小野田さんが意地を張り続けたかは言うまでもなく、自分の致命的な状況判断ミスを認めることができなかったからだ。
彼はその悔悟を自分にではなく、自分たちを見捨てた国と山狩りの人々に対する憎悪に転化した。
その憎悪は彼にどこまでも従って行動した小塚さんらを失うことでより確固たるものになったのだろう。
こうしてNHKの特番で小野田さん自身が語った言葉から、今まで理解し得なかった彼の行動の動機付けが判明したように思う。
「小野田さんが生きた時代の価値観を現代の視点では理解できない」という思い込みに囚われて、彼の隠された心理を推し量ることを忘れてはならない。
価値観や歴史観の違いを認めるという前提に立つこと自体が一つの先入観となりうる。
それよりも具体的な事実や言葉や行動のひとつひとつを符号として真実をあぶりだすことが大切だ。
そうした「気づき」の必要性を、企業の管理職研修で教えられた私には「小野田さんは食わせ物」という論評はある意味で的を得ていると思える。

ブログ「斜真館」
2005.9.22 「米軍ヘリ墜落事件を忘れていいのか」

昨年、沖縄国際大学のキャンパスに米軍大型ヘリコプターCH53が墜落してから1年たった先月、沖縄国際大学では抗議のアドバルーンを何日か揚げる活動を行った。
奇妙なのはマスコミがそのことをほとんど無視したことである。
たしかにこの時期は郵政選挙にマスコミの監視は集中していたかもしれない。
しかし米軍ヘリは今年も江ノ島海岸に不時着事故を起こしているのだ。
もう忘れ去られていいような話ではないはずだが、まるで寝た子を起こしたがらないかのように、マスコミは墜落事件のその後を報じていない。
マスコミまでがこの国をアメリカに売り渡したのか。

ブログ「日本の象徴」
2005.9.23 「日本型民主主義とは犯罪者に権力を与えることか」

予想どおり中村喜四郎と鈴木宗雄の二人は総選挙で当選した。
地元利益のためには汚職犯罪者であろうと国会議員に祭り上げるというのが日本の民主主義の実情だ。
太平洋戦争で何万何十万何百万という犠牲者を出して、占領軍による屈辱的な国土占拠の時代を経て、この国の人々がやっと得た民主主義の実情なのだ。

漫画クラブのコラム
2005.9.30

「警察官の万引き」

毎週のように警察官の不祥事が報道されている。
警察官自衛官をはじめ公務員全体で見ればほとんど毎日のように事件が起きている。
しかし無理もない。
なにしろ総理大臣が憲法違反を平気でやっているような国だ。
最上級の公務員である総理大臣に順法精神がないのに、どうしてぺえぺえの公務員に法を守らせることができるというのだ。

ブログ「日本の象徴」
2005.9.30 「下品な選挙の結果はやはり下品」

総選挙の自民党圧勝のおかげで珍奇な国会議員が誕生したので、マスコミはおおはしゃぎだった。
9月初めにこの欄で「下品な政治、下品な選挙」と書いたら、案の定、下品な選挙にふさわしい品位のない議員が多数誕生した。
下品なマスコミは早速自らの品位のなさを忘れて、面白おかしくこうした議員を追い掛け回して笑いものにした。
これでは国政を真面目に考える人間がますます減っていくばかりだ。

漫画クラブのコラム
2005.10.8 「精神障害で刑事訴追免除としていいのか」

寝屋川市の市立中央小の教職員殺傷事件で起訴された少年(17)の初公判が9月29日、大阪地裁で開かれ、弁護側は「傷害致死と傷害にとどまる」としたうえで「精神面の障害が事件の原因で、心神耗弱にあたる」と主張した。
精神鑑定の結果が広汎性発達障害と出たことを根拠にしているらしい。
最近の犯罪では精神障害であることを理由に刑事責任免除が争われることが多いのだが、本当にこれでいいのだろうか。
これでは発達障害者や精神病者がかえって社会から阻害されることにならないだろうか。
こうした人々を受け入れてきた学校や企業が、事件が起きることを恐れて別の理由を構えて受け入れなくなるのではないかと心配だ。
またこうした障害を持ちながらも懸命に社会に適合し協調して生きている人々にとっても、良いことなのだろうか。
人権保護をただ法律だけで論じることの危うさを感じる。

漫画クラブのコラム
2005.10.15 「本屋は潰れない?」

東京の私鉄が駅の改札前に大規模書店を開店しようとしたところ、近隣の書店2店が設置差止請求を行ったとの報道があった。
書籍のような均一品質の商品を取り扱う業種の小売店は大型店舗が近隣にできればたちまち潰されてしまうのだから、当然のことだろう。
しかし商品の品揃えが充実した店舗ができることは消費者の利益だから、訴えた書店に賛同する消費者は少ないだろう。
自由主義、資本主義の国では小規模小売店が淘汰されていく流れを食い止める方法などあるはずがない。
幸か不幸か日本は資本主義国の中では社会主義的な色彩の強い国だったのだが、規制緩和と行政指導の抑制が進んで、資本主義の論理が通るようになった。
大規模書店が残って「町の本屋さん」は潰れていく。
それでも「書物」を買って読むという文化さえ残ればまだいいと思える時代に差し掛かっている。

漫画クラブのコラム
2005.10.17 「犠牲を出してでも靖国参拝か」

小泉ワンマン宰相が靖国を参拝した。
いくら過去に比べて略式にしたといっても、これでバカな反日思想家たちに、また反日行動を起こす口実を与えたことだけは間違いない。
また暴動が引き起こされるなどして、異国で真面目に仕事や勉学に努めている人たちが、再び犠牲になる恐れもある。
その程度のことは、いくら小泉が世間知らずの3世政治家でも予想しているだろう。 
結果オーライで済まされる話ではないはずだ。
「その程度」と言ったが、まさに小泉にとって「その程度」のことは自分の政治信念に比べればどうでもいいことなのだろう。
もし反日デモに襲撃されたら、今度は被害者たちは小泉個人を訴えてもいいのではないだろうか。
いや是非にでもそうするべきだ。

漫画クラブのコラム
2005.10.18 「アメリカ自治領日本(1)」

この国が独立国であるというのは幻想、日本はアメリカ合衆国自治領の一つだ。
このことは何度でもこの欄で訴えていくつもりだ。
アメリカ大使館が何年間も借地料(それも外交的理由で格安の賃料)を滞納している。
滞納どころか所有権さえ主張しているという。
米軍基地にとどまらず、ただでこの国を占拠するのはアメリカにとっては当然のことなのだ。
米国領土なのだから。
自治を与えているに過ぎないのだから、アメリカ大使館も本来なら総領事館と呼ぶべきものなのだろう。
借地料を払わないというのも当たり前の話だ。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.10.22 「ほんとに役に立つのか、自衛隊」

今月8日に起きたパキスタン大地震救援のために派遣した陸上自衛隊の「緊急」援助隊が17日からの本格的な活動を開始したと報道されていた。
9日に政府が自衛隊派遣を検討し始めて、航自と陸自とに派遣命令が下されたのが12日。
救援本隊が出発したのが14日。活動に必要なヘリコプターの第1陣がイスラマバードに到着したのが15日。
日本国政府にすれば、国際関係上のお義理で派遣するにすぎないとしても、情報が入ってから実際に活動できるまでの時間がかかりすぎる。
海外派遣を前提とした装備も態勢も訓練もできてないのだから、とでも言うのだろうか?
しかし国際間の紛争でも日本国内の災害でも想定外のことが起こることが当たり前なのに、たった約180人の自衛隊員とヘリコプター3機と資材・物資を現地に送って活動開始するまでに、検討し始めてから8日もかかるようでは、いざという時に日本を守れるのだろうか心配になる。
日本の国防と援助とでは違うという保証はないだろう。

漫画クラブのコラム
2005.10.25 「天皇継承は第1子」

天皇継承制度改正の有識者会議の結論は「第1子優先」になりそうだとの報道。
と、さっそくいくつかの知識人グループらしき者たちが異議を表明したとの報道が。
まだ自民党内や国会でどうなるか先行きがどうなるかは分らないが、一応今の時代(というよりこれからの時代)の常識らしい結論が出てるのに、まだ時代を過去につなぎとめておきたい連中がいることだけは確かだ。
天皇などただのシンボル(神社のご神体みたいなもの)に過ぎない。
シンボルだから別に生きてる人間じゃなくてもいいのだけれど、それを無理やり天皇家の一族にしてしまったのが今の日本国憲法で、もし憲法を改正するのならまっさきに第1条〜第8条を削除してもらいたいものだ。

ブログ「滅びゆく日本」

2005.10.28

「基地移転は問題の先送り」

沖縄の普天間基地移設問題は政府間調整が決着し、移転先とされた名護市の岸本市長らは当然反対の表明をした。
「いったいなぜ沖縄県だけが過大な基地負担を負わなければならないのか」という主張は全くもっとも話だが、他府県が肩代わりすることなどは日本政府も他府県の首長らも全く考慮するとは思えない。
誰が進んで国の安全保障政策のために自分の安全と安寧を犠牲になどするものか。
たとえどこに移転することを決めようと、それでは本質的に問題の先送りに過ぎないのだ。
一部の平和主義者の言うような「日本の安全保障に米軍基地が必須か否か」という議論でさえ所詮見かけ上の問題に囚われているに過ぎない。
本質的な問題は、安全保障のためではなく事実上日本がアメリカの自治領の一部に過ぎないことが米軍基地の存在によって恒久化されている事にある。
そういう意味で基地をどこに移転しようと、所詮問題の先送りに過ぎないのだ。

ブログ「斜真館」
2005.10.28 「アメリカ自治領日本(2)」

沖縄の普天間基地移設問題は日米政府間調整が決着し、移転先とされた名護市の岸本市長らは当然反対の表明をした。
「いったいなぜ沖縄県だけが過大な基地負担を負わなければならないのか」という主張は全くもっとも話だが、他府県が肩代わりすることなどは日本政府も他府県の首長らも全く考慮するとは思えない。
今自分が持っている安全と安寧を、誰が進んで国の安全保障政策のために犠牲になどするものか。(立川基地闘争の事件など記憶している日本人がほとんどいないのをみても分かるように)
たとえどこに移転することを決めようと、それでは本質的に問題の先送りに過ぎないのだ。
一部の平和主義者の言うような「日本の安全保障に米軍基地が必須か否か」という議論でさえ所詮見かけ上の問題に囚われているに過ぎない。
本質的な問題は、安全保障のためではなく事実上日本がアメリカの自治領の一部に過ぎないことが米軍基地の存在によって恒久化されている事にある。
そういう意味で基地をどこに移転しようと、所詮問題の先送りに過ぎないのだ。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.10.28 「皇太子妃は繁殖牝馬か」

有識者会議なるものの結論が出て天皇継承問題はいよいよ国会の審議に持ち込まれる見通しがつきそうな様子になった。
「男系男子」墨守か「第1子優先、男女の区別無し」で現代王制国家並みとするか、まだまだ議論はあるだろうし、国民の一部(このブログもそれだが)には「そもそも天皇制が必要か」という意見もあって、これからにぎやかになることだろう。
ただ、たとえ「女系女子」が認められようと、天皇制が世襲を前提として続く限り、皇太子妃または女性皇太子は後継者を生むことが義務付けられていることに変わりはない。
そこには一般国民の女性には認められている「子どもを産まない」ことを選ぶ自由という基本的な人権は無い。
外交官としての道を捨てざるを得なかった雅子さんでなくとも、これからの時代の女性に(まして皇統を残すにふさわしいだけの教養・知識・品位のある女性に)そのような人権放棄を選ぶことができるだろうか。
人でありながら、競走馬の繁殖牝馬のような生き方を選ぶことができるだろうか。
こうした議論を「間違った男女平等思想」だと言わば言え。
「だからジェンダーフリーなどという思想はけしからんのだ」と思うのなら勝手に思え。
時代は間違いなく古い因習を捨て去っていくのだ。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.10.29 「ファンは王様か?」

最近は「TBS対楽天」に話題をさらわれている感があるが、ちょっと前には、村上ファンドが阪神球団の株式上場を提案したことについて、スポーツ新聞が「タイガースファンは大反対」と書きたてて紙面をにぎわしていた。
調べてみると「金儲けでスポーツを冒涜するな」、「タイガースを愛するファンを無視している」、「カネで夢を奪うな」、「八百長試合を招く」と、自称タイガースファンが反対する理由も様々だ。
しかし利潤を追求することは企業存続上の絶対使命だ。
村上ファンドの提案も阪神電鉄の株主としての当然の要求の一つに過ぎない。
いったいファンとは何様だ。
なんら違法性もなく公序良俗に反してもいない企業活動を制限しようとは、自由経済の国でこのような主張が許されていいのか?
こういう大衆心理がファシズムを生む温床となるのだ。

漫画クラブのコラム
2005.10.31 「穏健そうな改憲案にはだまされない」

自民党の改憲案が公表された。
元の案では問題となっていた愛国心に関する前文の表現はゆるやかになり、9条も2項が削除されたものの1項は残るといった具合に、かなり復古主義の色合いを薄めるものになった。
それでもあいかわらずマスコミの論調は9条の自衛隊が自衛軍に書き改めたことなどを云々している。
しかしこの改憲案の問題点はそんなところにはない。
憲法改正に必要な国会両院の議決を3分の2から2分の1にした事こそが、もっとも重大な問題点だ。
この改憲案さえ通してしまえば、その中の条文などは後でいくらでも好きなように改定できるようになってしまうのだ。
だから9条も前文もその他の条文も取りあえずは穏健なものにしておけばいい。
これほど恐ろしい案はない。
御用学者たちは早速この件について、「改憲を事実上封じてきたことを正すのはもっともだ。憲法も時代とともに改正すべき点は変えられるようにするのが当然」と、あたかも民主主義的な改正点であるかのように論評している。
まったく歴史に疎い一般国民の目をくらまそうという彼らの無責任さには腹立たしい限りだ。
憲法改正が容易に行われる必要があったのは、その憲法の多くが王制時代、立憲君主時代、ブルジョア民主主義時代という民主主義への発達史の過程において制定されたものであるからで、現行の日本国憲法の場合はそのような性質のものではない。
逆に国家法の基準たる憲法が、たとえばたった1回の選挙の結果でコロコロと変えられるような事があっていいはずがない。
今回の総選挙の結果でも明らかなように、小選挙区制の国政選挙では全くそのとき限りのブームのようなもので国会の絶対多数を制する政権が誕生しうる。
たとえば現在もし改憲の国会議決が過半数で行われるのならば、自民党は今回の選挙の結果を得てただちに改憲案を国会に通して国民投票にかけるだろう。
しかも改憲国民投票法を有利に制定した上で、「国民の過半数の賛成」を得やすくすることは間違いない。
普通選挙で選ばれた帝国議会議員があり制度上は立憲民主主義の社会にあって、まさかと思っているうちに太平洋戦争にまで追い込まれていったのが明治憲法下の日本国民だった。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.11.2 「アメリカ自治領日本(3)」

横須賀港を基地とするアメリカ太平洋艦隊の航空母艦キティホークの退役によって、原子力空母が横須賀を母港とすることが確定的になった。
横須賀市民らは当然反対しているが、「代替空母は通常動力の艦にしてくれ」という程度では単なる抗議にもなりはしない。
通常動力の空母自体を原子力空母に置き換えていくのがアメリカ海軍の、というよりはアメリカの基本方針なのに、日本の一部の人間の抗議など聞き入れる筈がない。
それでなくとも太平洋艦隊のカバーしている領域は広くて、原子力空母の高い航続能力は不可欠なのだ。
しかし問題の根源は原子力空母を受け入れるか否かというところにはない。
日米安保条約における所謂「事前協議」はアメリカにとって重要な事柄を事前に日米間で調整するためのもので、日本にとって(というよりも日本国民にとって)重要であるか否かは、まったく考慮されない。
しかも日本政府の態度はアメリカから事前協議の申し入れがない限り、基本的に日本から要求することはないというものだ。
だから核兵器持ち込み問題があったときも、日本政府の見解は「アメリカから事前協議の申し出がなかったから非核3原則を国是とする日本への核兵器の持込はない」というものだった。
これが独立国家の政府の態度とは到底思えないのは当然だ。
独立国家などではないのだから。
半世紀をかけてアメリカが保守安定政権を日本に定着させた今、アメリカの国益のために日本を利用することに対して顧慮されるべき点はなにもなくなった。
平均的日本国民は今や(スパニッシュが爆発的に増えた)アメリカ国民よりも親米的になり、直接的被害者となるごく一部の地域と極めて限られた国民以外アメリカのなすことに異を唱えるものはいない。
異を唱えるもの達でさえ反米運動家と言うわけではない。
だから原子力空母が横須賀を母港にすることは当然であり必然でもあるわけだ。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.11.2 「阪神ナインはプロ野球選手の恥」 

日本シリーズで阪神タイガースはこれ以上ないほどのブザマな敗北を喫した。
なぜ負けたかについては専門家が、あれこれもっともらしい理由を述べ立てて、挙句の果てに「セントラル・リーグもプレー・オフ制を導入した方が良い」などと馬鹿なことをいう奴がいた。 
セントラル・リーグに比べて営業成績の悪いパシフィック・リーグの興行政策でしかない変則的なチャンピオン決定戦を、どうしてセントラル・リーグが取り入れる必要があると言うのだ。
単なるタイガース擁護の為の言い訳にしかならない。
今年のセントラル・リーグ全438試合の中でもっとも優秀な成績を上げるだけの実力を持っていた阪神ナインに肝心なときのプロ意識が足りなかった。
それだけのことだ。
リーグ戦が終わってから時間が空きすぎて実戦感覚を取り戻せなかったと言っても、リーグ優勝が決まった時点で分かりきっていたことであるのに、日本シリーズに調子を合わせることができなかったとは・・・それでもプロか?
「リーグ優勝こそが本来の目標で日本シリーズはお祭りのようなものだ」なんて本気で思っているのなら、甲子園球場で高い入場料を払ったお客は、お祭りを見に行っただけなのか?
ファンを馬鹿にしている、阪神ファンだけではなく全てのプロ野球ファン、プロスポーツファンを馬鹿にしている。
こんなプロ意識のない選手はプロ野球というよりスポーツ選手の恥だ。
二度と日本シリーズなど出てくるなと言おう。

漫画クラブのコラム
2005.11.4 「小泉首相の歴史認識は不足しているか」

靖国参拝問題で気になるのは小泉(英雄気取り)首相をはじめとする政治家たちの「歴史認識が間違っているから正せ」「歴史認識・アジア諸国民の感情に対する理解が不足している」という意見だ。
どんな馬鹿でも、あれだけの地位と権力を握っているものが「歴史認識」や「近隣諸国に対する理解」が不足しているとか間違っているとは常識では考えられない。
いやむしろそうではないから話がややこしくなっているのだ。
「事実を正しく認識する」ことと、それを肯定または否定することとは別の次元の問題だ。
小泉らが起こしている問題は、歪んだ歴史や外交関係を知りつつなおそれを肯定しているところにこそあるので、彼らは言わば確信犯なのだ。
その前提に立たねば、ことの本質は理解できないはずだが、ジャーナリストや有識者達はむしろ本質を覆い隠し、一般国民の関心を本質からそらすことに躍起となっている。

漫画クラブのコラム
2005.11.11 「意味のない刑罰」

ちょっと前の話だが、証券取引法違反のコクド前会長の堤義明被告が、懲役2年6カ月執行猶予4年、罰金500万円の判決を東京地裁から受けた。
直接問われた罪が証券取引法違反だけだから、この程度の刑罰しか与えられない、というのでは法による処罰の意義そのものが疑わしくなる。
日本有数の運輸事業の経営者であり、一時は世界有数の資産家とまで評価された不動産王でもあり、日本の経済・社会・スポーツ界・レジャーに巨大な影響力を持った存在である。
そういう社会的責任の大きな人間が何十年も違法な企業支配を続けてきて、たったの「懲役2年6カ月執行猶予4年」。
執行猶予付きでも困るのは一般庶民で、特権階級の人間にはただのニガイ薬程度のものだろう。
これではそんな悪いことでもやったもの勝ち、庶政の善人は馬鹿を見るだけ、と思う人間はさぞ多いことだろう。
まったく意味のない刑罰としか言いようがないが、よく考えれば当然のことだ。
なぜならこうした刑罰を定めた人間自体が庶政の善人とは遠い世界の人間たちだからで、彼らの定める刑罰は飼っている羊が狼になったら罰するためのものでしかないからだ。

漫画クラブのコラム
2005.11.14 「階級社会を復活させて良いか」

最近の日本社会の保守回帰と右傾化の風潮に対しての危惧を、「戦前の日本とは事情が違う」として一笑に付する向きがある。
しかし保守系の政治家や知識人を中心に動かされているこうした風潮によって、既得の権益と権力を持つ一握りの人間は、明らかに戦前の身分制社会と縦構造の秩序への回帰を志向し、一般国民を無力で従順な羊の群れとしてその上に君臨しようとしている。
それを象徴するのが国会の世襲議員たちの多さであり、まるでお殿様のお血筋を有り難がる昔の下層階級のような一般国民たちの権威追従の浅ましい姿だ。
こうした権威主義・縦型秩序主義の頂点に置かれているのが天皇であることは今も昔も全く変わらない。
その意味でも太平洋戦争敗戦の折に天皇制が廃止されなかったことは返す返すも残念なことだった。2005.11.22「旧宮家を皇籍に戻せという愚論」
天皇継承制度について男系・男子に限るという主張の中に、第2次大戦後に廃止された「旧宮家から男子を迎えて云々」というものがある。
ところが、この方がよほど天皇継承の伝統から外れた暴論なのだ。
歴史的に見て、いったん皇籍を離脱した(所謂、臣籍降下した)旧皇族が天皇に即位した例は、平安時代の宇多天皇ただ一例のみである。
しかも宇多天皇の場合は父親が光孝天皇だった。
これに対して旧宮家というのは全て15世紀に皇統から分かれた伏見宮家から始まっており、皇統を継いでいるといっても、直系から分かれて既に500年以上経過しているのだ。
これほど直系から離れていたものが即位した例など歴史上に無い。
「伝統を守る」ことを金科玉条のようにして声高に主張する者こそが、伝統を無視しているのだから何をかいわんやだ。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.11.19 「増税・国民の負担増は必然と言う前に」

増税と社会保険料引上げの議論が盛んだ。
マスコミも国民の負担増は当然であって、その時期や負担の在り方についてしか問題としていないが、これで本当にいいのだろうか。
国民の負担増はなにも国税ばかりではないし、また国民が受けるはずのサービスは国だけが担当している訳ではない。
それでは国民は税金と社会保険料とを問わず直接間接あらゆる形で、いったい年間いくら国と公共団体等に支払っているのだろうか。
この場合厚生年金や健康保険のように企業が被雇用者に代わって負担しているという体裁をとっているものも法人税も、実質的に国民個人の負担であるものと考えてのことだ。
その反対に国と公共団体等はいったい金額にしていくら国民にサービスを供しているのだろうか。
国民はただの一度も国民としての負担と受益のバランスシートを国から明示されたことがない。
国は様々な形を取って国民から収奪し、あくまでも個別の収支でしか過去も将来も語っていない。
だがどういう名目でどう取ろうと国民の負担であることに変わりはないのだから、国際援助を除けばその全てが国民に還元されるのが当然であり、国と公共団体等はその総額において収支の明細を明らかにするべきだろう。
負担増が必然かどうかの議論はそれからの話だ。
国民もバカな劇場型政治にばかり目を奪われてはいられない筈だ。

漫画クラブのコラム
2005.11.22 「お粗末な英語で恥をさらす首相」

今月「バカ」ブッシュ大統領がアジア歴訪の最初に来日して小泉ウヌボレ首相と対談した。
バカブッシュの希望で金閣寺に案内したのまではいいのだが、そこで報道陣を前に小泉は大失態を演じた。
若かりし頃に英国留学をしていた筈の人間とは信じられないお粗末な片言の英語で、バカブッシュに何やら説明らしきことをしようとしていたのだ。
もし、これが外国にまでテレビ放送されたとしたら、日本国の恥としか思えないような幼稚でマズイ英語だった。
これ以前にも小泉は韓国女優のチェ・ジウが表敬訪問して自己紹介したときに、自分が日韓首脳会談で訪れたことのある済州島(チェジュ島)に名前が似ていると、頓珍漢なことを言って自分ばかり上機嫌になって、チェ・ジウをいたく不快にさせたことがあった。
バカと言うより、あまりにも自己中心的でありすぎて、自分の言葉というものに何の責任感も無いから、こういう失態を演じるのだろう。
本人は恐らく恥をかいたとはまったく思っていないだろうが、日本国民は大いに恥をかいている。

漫画クラブのコラム
2005.11.26 「道路整備が十分と誰が思っているのか」

今月24日にJAFと日本自動車工業会が企画して「道路特定財源」の一般財源化に反対する街頭活動が自工会の首脳らによって行われたが、マスコミの取上げ方は極めて冷淡なものだった。
自動車関連税の所謂「道路特定財源」の一般財源化はもはや既定の路線となりつつある。
JAFや自動車・運輸関連産業界以外にこれに反対している声はあまり大きくない。
しかしこの問題が単に自動車関係者だけに関わっているのだと考えるのは大間違いだ。
自動車に限らず、取ってつけたような名目で国民に税金その他の負担を強いる国のやり方を黙って見過ごしていいのか、ということに国民はもっと大きな関心を持たなければならない。
しかも日本国内の流通の大半は自動車が担っているのだから、自動車に関わる税とは即ち国民の生活全般に関わる税のはずで、自動車関連税を支払っている当事者ではないから、何も負担していないという訳ではない。
自動車関連税のほとんどは流通経費として物価に転嫁されているのだ。
その上、この国の貧困な道路行政のおかげで、これほどまで国民生活に自動車が欠かせないものになっているのに、相変わらず道路渋滞、安全が確保されない道路、駐車設備の不足といった問題は解消されていない。

漫画クラブのコラム
2005.11.28 「税金の無駄遣い論議は的を得ているか」

「増税する前に税金の無駄遣いをなくせ」と一部の政治家たちをはじめとする有識者たちが主張している。
一見もっともらしい意見のようだが、「無駄遣い」と言われている内容の多くが実態としては官僚と官僚OBと業者が結託し法の目を潜り抜けた公金横領なのだ。
一握りの特権階級の横領行為から「無駄遣い」という言葉で国民の目をそらしていることに、国民は気づく必要がある。
彼ら政治家たちがなぜそのような目くらましをするかと言えば、官僚全体を敵に回しては国政の実態も分からないから議員活動などろくにできはしないし、所詮彼ら自身の多くが官僚出身であるからだろう。

漫画クラブのコラム
2005.12.4 「靖国問題のタネを播いたのは誰か」

小泉の靖国参拝を巡って、この問題があたかも韓国・中国と親中国の一部マスコミとによって引き起こされたかのように言う輩がいる。これは大嘘と言うべきだろう。
そもそも靖国神社が旧軍人・軍属戦没者を慰霊していること自体を認めない人たちは日本国内に昔からいる。
A級戦犯が合祀される以前から総理や閣僚が参拝することに異を唱える国民の声があったからこそ、昔から彼らが靖国参拝をする都度マスコミは「公人」としての参拝か「私人」としての参拝かをいちいち問題にしてきたではないか。
まるで今日の靖国問題が1985年に朝日新聞がネガティブキャンペーンを張ったために引き起こされたかのように言う者がいるが、この年に当時の中曽根首相が公式参拝であるとわざわざ明言して靖国に行ったりしなければ、こんな問題は起きていなかった筈だ。
政教分離と戦争犯罪の非容認は、なにも今に始まったことでも、まして韓国・中国に煽られて起きたことでもないのに、事実を捻じ曲げようとする者達の発言がますます強まっていることは実に憂うべきことだ。

漫画クラブのコラム
2005.12.10 「裁かれるべきは警察」

恐れていたとおり「立川防衛庁宿舎ビラまき事件」の控訴審で東京高裁は逆転有罪判決を出した。
無罪とした東京地裁判決でも問題とするべきだったのだが、極めて犯罪性の低い行為に対して警告無しでいきなり逮捕・拘留した警察の不当行為に対しては言及していない。
この警察の対応が著しく恣意的で政治活動に対する露骨な弾圧であって、埼玉県女子大生殺人事件など他の事例に比べて、明らかに不当なものであるのにだ。
警察は一般の市民が身の回りにいかなる危険性や迷惑があったとしても、明白な犯罪性が認められない限り、加害者と見なされる者に警告以上の行為はしない。
その原則のために死亡者や心身に傷を負うものが出たのだが、今もその原則は崩していないはずだ。
にもかかわらずビラをまこうとしただけで警告も無しに逮捕・拘留というのは憲法第31条の「法的手続きの保証」に照らしてみれば、著しく不公平な扱いではないか。
民事裁判ではしばしば利益関係の認められないものには訴訟を起こす資格がないとして門前払いを食わすことがあるのに、今回の東京高裁判決で被害者および被害と認めた内容は、一般常識とは明らかにかけ離れていて、具体的な被害があったという認定自体が不当なものだ。
改めて強調しなければならないが、今回の事件でほんとうに裁かれるべきなのは不当行為の警察の方なのだ。

漫画クラブのコラム
2005.12.17 「国保・国民年金を払わない自由」

国民健康保険も国民年金も将来は破綻するという訳で、支払額はより高く受給額はより低くするのが必然の流れになっている。
当然そんな保険料を払いたくない国民は増加の一途をたどる。
もともと国のやる社会保険は、受給者数<負担者数を前提にした制度で、受益者負担になっていないという構造的な欠陥を持っている。
日本の高度成長時代が終焉し、人口増加率が下降した時点で社会保険料は租税と一本化するべきものだったのだ。
なぜ今になるまでそれが真剣に論じられなかったかと言えば、税と社会保険料とは別である方が高額所得者にとって有利だからだ。
そのことは消費税率を福祉目的税分引き上げたら、どうなるか考えてみれば分かる筈だ。
より消費税を負担しているのは高額所得者(=高額消費者)であるのに、高齢者等を除けば、公的年金の受給額は均等、健康保険の自己負担率も均等なのだから。
だから社会保険制度が崩壊して本当に困るのは弱い庶民ではなく、むしろ高額所得者の方であり、それ故にこそたとえ見返り保証の水準をどんなに引き下げてでも、負担を引き上げ、かつ強制的にでも国民から保険料を徴収して社会保険制度を維持しようとしている。
これでは社会保険制度など無い方が良いと思う国民が増えても仕方が無いだろう。

漫画クラブのコラム
2005.12.20 「民間にできることと、民間にやらせていいこととは違う」

構造計算書偽装事件で大騒ぎになっている。
もともと公共団体がやっていた時の建築確認検査自体が件数に対して担当者の少なさを口実にしてずさんに行われていたとも言われている。
それなのに民間が行うようになった建築確認検査ではもっとひどいことが見逃されていた。
これでは「民間に出来ることは民間に」という小泉「改革大好き」首相の掛け声にうかうか乗ると、国民はひどい目にあいかねない。
なぜなら公共団体に非があった場合の被害についての補償を求めること自体は、決して容易ではないとは言え、公共団体は倒産して責任が取れなくなるということはないが、民間にはその危険があるのが当たり前だからだ。

漫画クラブのコラム
2005.12.24 「殺人事件をただの売り物にしていいのか」

児童殺人事件が連続して起きた。
犯人は外国人、人格形成不全、変質者(らしい)と、どの事件も時代を反映したようなものばかりだ。
テレビも新聞もあいかわらず陳腐なコメントを羅列するばかりで、被害者の家族に対する無神経な取材が自己規制されるようになったことぐらいしか以前より良くなった点は無い。
無責任に捜査陣もどきに事件の当事者周辺の第三者のコメントを収集して垂れ流し、マスコミ著名人達が正義漢づらして、どこかで以前聞いたことのあるようなコメントを平気で発信するばかりだ。
「ロスアンジェル、疑惑の銃弾事件」のような例外もなくは無いが、マスコミが騒いで良くなるよりも、むしろ類似犯罪が増やしてますます世の中が物騒になっているように思われる。
見てくれれば、読んでくれれば、と殺人事件を「瓦版」のように売り物にするのはやめて貰いたいものだ。

漫画クラブのコラム
2005.12.7 「靖国神社の大嘘」

「靖国神社は日本人の心」のようなことを言う連中がいる。
日本人の魂は神道と切っても切れない関係にあるとも言う。
みんな嘘だ。
よく言われる神道とは日本の古い歴史に根付いたそれとは違う「国家神道」で、その骨格は明治政府によって天皇の権威の確立と一体のものとして形作られたものに過ぎない。
もちろん江戸時代から国家神道的な思想は誕生しているが、それはあくまでも一部の思想家、尊王的教養人だけのものであって、庶民には縁の無いものだった。
庶民にとっては寒村の小さな社も古都の大社も似たようなもので、単に古い由来があって大きくて立派なものの方が有難味が増すという程度のものに過ぎなかった。
明治政府は大きくて立派なものでありさえすれば有難がる庶民心理を巧みに利用して、国家神道を日本人の統一思想に祭り上げた。
その際たるもので今も残っているのが靖国神社であり護国神社であり明治神宮だ。
伝統的な信仰の対象である神社と、これらとは形だけは似ているが思想的には全く別物と言ってよい。
保守主義者たちは国家神道の成立の歴史を見ぬふりをして、明治政府がやったように国民の思想を都合よく誘導しようとしている。

ブログ「滅びゆく日本」
2005.12.31 「日本的な伝統、という胡散臭さ」

「伝統」という言葉は重要な価値基準としてよく使われるが極めてあいまいだ。
何年続いていれば、何年前から存在すれば、伝統と呼べるのか。
どれだけの人が価値を認め、支持すれば伝統になるのか。
たかだか数十年続いているだけのものも、千年以上続いているものもひと括りに「伝統」と呼んでいいものなのか。
しかもこのあいまいな言葉を恣意的に使うのだから全く始末が悪い。
「伝統的天皇制」などと呼んでいるものにしても、今のそれが確立したのは明治時代以降でしかないのに、これを連呼するバカモノ達がなんと多いことか。

漫画クラブのコラム

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