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過去に漫画クラブと漫画クラブ以外にブログなどで書き連ねた「放言」を集めてみました。
的外れのことを書いていたり、予想や妄想が当たってしまったりと、まさに放言ですが、その時代を振り返るのも面白いかと思い、ここに再録することにしました。

−2010年−


日    付
2010.1.9 「シーシェパードという営利的嫌がらせ団体」

今年もシーシェパードが南極の調査捕鯨の妨害活動で、ひと悶着を起こしてくれている。
彼らはあれを一種の職業としているのだから、まともな論理も道理も通用しないのはいたしかたない。
ああいう連中に出航の便宜を与えているオーストリアやニュージーランドという国も、どうかと思うのだが、日本の政府が外交ことなかれ主義をとっている以上、一般人がいくら腹を立ててもどうにもならない。
ところで、彼ら英語圏の人間には鯨を食うという習慣がないから、鯨を意味するwhaleに対して、鯨肉を意味する固有の名詞はないらしい。
ボクには、牛肉をbeefと言い、豚肉はpork、羊肉はmuttonと呼んで、まるで牛や豚や羊は食っていないとでも言っているかのような、彼らの言葉の使い分けが、なんとも奇怪な習慣であるように思える。
本音と建前を使い分けているだけのようにも思える。
生きている動物と食肉とは別、と考えているのなら、カンガルー肉やワニ肉、ダチョウ肉まで食用に供している彼らは、生きているときのカンガルーなどとは別の食肉としての名を与えてもよさそうな気がする。
語源が古いからbeefやporkという言葉があるのだろうか。
なんにしても、キリスト教徒の便宜主義的なものの考え方には、ついていけない。
とりあえずシーシェパードの連中に、「キミらが食っている肉はcowかbullかhogかpigかsheepである」と言いたいような気がする。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.11 「口角を上げる」

最近の若い男女の顔立ちで、昔と著しく違うのは、やたら口角が上がっていることだ。
笑顔のときは無論のこと、写真用に表情を作ると、きゅっと口の端が持ち上がる。
綾瀬はるか嬢や成宮クンなんかは、のべつまくなしに口角が上がっている。
まるで京劇に登場する孫悟空のようで、どこか不自然な気がする。
いったいいつから日本人の表情筋が、こんなふうに変わってきたのだろう。
プリクラ時代からチェキ、写メと、やたらとアップの写真をとるのが日常化したおかげで、写真用の表情を作ることも日常化したせいなのだろうか。
目が笑っていなくて、口角がきゅっと上がっていたりすると、どこか不気味だ。
人に好印象を与える表情というのは、顔全体で作るものであって、口もと以上に大事なのは目もとなのだが、優しい目を意識的に作っているのは、若い世代には少なく、ある程度年をとったタレントや俳優に多い。
若い人たちは、目もとパッチリとさせて、少しでも大きな目であるように見せかけることのほうが大事だと誤解しているらしい。
目玉をぎょろぎょろさせて口だけ笑っている、というとまるで昔の竹中直人の瞬間芸みたいなのだが。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.13 「政権を取れたのはいいけれど」

旧民主党が小沢自由党と合併した時「毒饅頭を食ったな」と思った。
毒饅頭と分かっていても、腹がすいていたら食うしかない。
当時の民主党は、それくらいジリ貧だったと思う。
そりゃ当然だ。保守本流の自民党から分派した連中が、いかに革新色を薄めていたとはいえ、旧社会党民社党と寄り集まった政党だもの、そんな獣か鳥かさだかではないコウモリみたいな政党を、いったい誰が快く支持するはずがあるのだ。
結局保守色の強い、それも角栄ゆずりの力まかせの政治家を抱き込んで、より保守色の強い政党になるしかなかった。
毒饅頭のおかげで、すきっぱらは満たされ、おかげで政権を奪うほど元気にはなったけれど、しょせん毒饅頭には違いない。
やっぱりちょっとばかり腹が痛くなった。
もしかするとひどい下痢を起こすかもしれない。
まあ、そんなことはいい。
問題は、国民が毒饅頭だと分かっていて、小沢民主党を食ったのかどうかだ。
分かって食ったのなら、やっぱり少しは腹が痛くなるのを我慢しなければいけない。
それともいっそ、大きな下痢をして、体の中の悪いものをみんな毒饅頭ごと、出してしまった方がいいのかもしれない。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.19 「何でも説明責任で済ませる政治家たち」

小沢一郎が検察の事情聴取に応じるかもしれないとの報道があった。
もしほんとうなら、民主党政権の支持率が下がっていることに配慮してのことだろう。
国会での追及もマスコミの論調も民主党内での身内批判でも、「説明責任を果たせ」という大合唱の様相だ。
だがこれはおかしい。
甘いも甘い、大甘だと思う。
小沢一郎が責任を果たすとしたら、説明ではなく政界からの引退だろう。
だいたい今取り上げられている土地購入問題だけが、小沢の黒い資金問題ではなかったはずだ。
西松建設の裏金献金事件も胆沢ダム談合事件も、まだ片付いていないし、その前にだって政治資金の不透明な支出問題があった。
これだけ不正な資金という、政治家としてあるまじき問題を起こしておいて、「法に触れるようなことはしていない」とは、田中角栄や中村喜四郎といったいどこが違うというのだ。
おそらく国民の大半は「説明責任」ではなく「進退責任」を求めているだろうと想像するのだが、マスコミがそこまで言及しないのも、実に不思議としか言いようがない。
もはや小沢一郎の政治生命は終わったとするべきだろう。
でなければ、昨年の総選挙で民主党に勝たせた意味が半減するというものだ。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.21 「税金や社会保険料を取るんだったら権利を与えなくては」

国会議員の選挙権被選挙権ならともかく、地方議会の参政権ぐらい与えてもいいような気がする。
税金も社会保険料も外国人登録してある人は徴収の対象になっているのだし、住民としての負担の義務があるのなら、権利もあると考えるのが当然だ。
非正規滞在外国人は、どっちにしたって参政権の対象外だから、「悪い外国人」にまで選挙権が与えられる心配はない。
反対する人の論拠に「外国において日本人の参政権が保証されていない」というのがある。
こんな議論はおかしな話で、なぜ日本という国が、より程度の低い国に人権の基準を合わせなければいけないのだろう。
まあ、いろいろ理屈を述べ立てても、本音は外国人に対する差別意識が抜けてないだけの話のようだ。
いつの時代にも差別をしたがる人間はいる。
差別の対象が「部落民」であったり、「朝鮮人」「中国人」であったり、「期間従業員」「派遣社員」であったり、「アパート住民」「ホームレス」であったり、時代によって変化はあるが、差別意識の根底は変わっていないように思える。
「差別趣味の人」を相手にまともな議論をするだけ時間の無駄のような気がするから、民主党政権もさっさと「外国人参政権関連法案」を国会で通してもらいたいものだ。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.23 「外国人力士が強すぎるのは日本人力士が弱いから」

大相撲の正月場所は14日目にして優勝が決まってしまったが、2人のモンゴル人横綱の力が群を抜いているのだから、そのどちらかが負けが込んでしまえば、当然の結果と言うべきかもしれない。
2人の横綱の実力は、相撲関係者のだれもが認めるところらしいが、毎回のように場所前場所中の稽古不足を批判する声が出る。
稽古不足だろうがなんだろうが、結果が結果なのだから、いたしかたがない。
だいたい相撲の内容を見たって、あの2人は本当にうまい。
技をかけるタイミングにしても、決して力とスピードまかせじゃなくて、実にうまく相手の力を利用している。
心技体のいずれをとっても、他の力士の上を行ってるように思えるのだから、あの2人が横綱でいるのもしょうがない。
外国人力士の活躍に比べて、日本人の力士たちはカド番大関が話題にされる以外に、ほとんど取りえがないようにさえ思える。
そのことを嘆いている人も多いらしいが、ボクはあまり気にならない。
相撲はやはり土俵の上の勝負の内容が肝心なのであって、力士の国籍など問題ではないからだ。
ボクは東京人だから、東京出身力士を応援したいのだが、最近の東京出身力士は有望なのがいなくておもしろくない。
となると、九州や北海道の出身力士とモンゴル出身力士との違いくらい、たいした問題じゃなくなってしまう。
何千万ともいわれる支度金までもらって入門した大学相撲などの有力選手上がりの力士なんか応援したくもないし。
そんなわけで、朝青竜には白鵬と並んで、もっともっと相撲界に君臨し続けていてほしいと思う。
まあ、それとは別に、ハンサムだけど気の弱そうな琴欧州に、もっと猛々しさが出て横綱たちを脅かしてほしいのだが。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.1.29 「沖縄県を犠牲にして日本の安全が保たれているというのは嘘」

普天間基地移設問題はいったいどう決着するのだろう。
沖縄県以外のどこの県民だって、米軍がやって来るのを喜ぶはずがないし、民主党政府がアメリカにそう強腰で交渉できるとも思えないから、結局名護市民の意志は踏みにじられるような気もする。
何だかこの問題は、ゴミ処理場や火葬場、原子力発電所の設置問題と似ていて、大多数の国民はその施設の恩恵を享受するのに、近所にできるのは反対という構図だ。
議会制民主主義という制度は、本質的に多数派が少数派に不利益を強いる性格を持っているのだから、しょうがないような気もする。
だが「ちょっと待てよ」と思うのだ。
米軍基地に大多数の国民の恩恵などあるのだろうか。
つい昨日だって「神奈川県綾瀬市の住宅に米海軍厚木基地の戦闘攻撃機FA18Eからパイプ状の金属製部品(直径3センチ、長さ50センチ)が落下屋根の雨どいを突き破り、2階ベランダに立てかけていたガラスを直撃した」という事故が報じられたばかりだ。?
同基地では昨年2月にも、同じFA18機からゴム製の部品が落下している。
「部品落下の事故だったら、民間旅客機もしばしば起こしているのだからしょうがない」という見方もあるかもしれない。
だが、厚木基地の米軍機が真面目に訓練空域と基地とを往復するだけで、飛行していないことぐらい周囲に住んでいる住民なら気づいているだろう。
FA18などは、映画「トップ・ガン」もどきの遊び半分以上の旋回飛行を、コックピットの中のヘルメットが肉眼で確認できるほどの低空で、それも密集住宅地の上空で平然と繰り広げている。
彼ら米軍には日本国民の日常的な安全に配慮する気持などは全くない。
そういう彼らに万一の事態のときの日本の防衛を期待するなんて、よっぽどのお人よしか、さもなくば事実を見て見ぬふりをする人非人だ。
近隣の国を危険な国であると煽り立てて、最も危険な国をもっとも重要な同盟国などとごまかすのは、もういい加減にやめて欲しいと思う。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.2.2 「納税者番号制が実現しない理由」

納税者番号制の導入は、日本でもかつて何回か実現を検討するという議論があった。
もちろんその度に、国民的議論にもならない内につぶされてしまった。
理由はいろいろある。
70年代には「徴兵制の復活につながる」だった。
時代が下って「国が個人の所得を完全に把握するのは怖い」となり、最近では「個人情報が漏れた場合が心配」と言われている。
ボクはこういう反対論は、みーんな嘘、ただの口実だと思っている。
本音は「まじめに納税なんかしたくない」だ。
ところがこういう嘘に、まじめに納税しているサラリーマンや事業主までがだまされて、「怖い」なんて言っている。
ほんとに怖いのなら、民間企業のやっているクレジットカードや銀行預金口座なんか、よく信用できるものだと思う。
実際、その種の犯罪が今でも頻繁に起きているというのにだ。
国よりも民間企業のほうが信用できるのかと呆れる。
納税者番号制の利点は、納税の公平化と簡素化にあるとされているのだが、公平化と簡素化が実現したら、誰が困るのかと考えれば、この制度に反対の本音が浮かび上がってくる。
納税者番号制度になれば、当然、給与の支払いと受取りの関係だけではなく、一般的な商取引に納税者番号の交換が必要とされるようになるだろう。
事業会計の処理や、消費税の最終納税において、納税者番号の付与が必須とされれば、企業などの事業主の収支の捕捉率は飛躍的に高まるはずだ。
だからこそ、民主党政権が国の財政再建のシナリオを、支出の無駄をなくし→納税を公平化透明化して財源を確保し→しかるのちに消費税を上げる、という具合にしているのだろう。
主要先進国が納税者番号か社会保険番号をもって、税と社会保険の納付を一元化しているのを考えれば、当然な話だ。
もちろん納税者番号制度の導入で、直ちに納税と国の財政の改善が可能になるわけではなく、社会保険の制度改革ならびに給与所得や預貯金利息の源泉徴収制撤廃と合わせて、はじめて国民全体にとってのメリットが出てくる。
だが少なくとも今まで日本で問題にされながら、既得権者の見えない力で守られてきた不公平で不明朗な税制が、改善される糸口になることは間違いないと思う。
まだ書き足らないので続きは後日。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.2.3 「所得の補足率を高めるには納税者番号制が必要」

だらだらと納税者番号制度の導入に賛成する理由を書こうと思ったが、手短にまとめよう。
サラリーマンのように源泉徴収で納税している人の所得の捕捉率はほぼ100%であるのに対し、個人事業主や事業者のそれははるかに低いと昔から言われている。
かつてはその不公平の度合いを「クロヨン」を呼び、最近では「トーゴーサン」という語も生まれた。
即ち、捕捉率を給与所得者約10割、自営業者約5割、農林水産業者約3割にそれぞれ修正した呼称である。
この所得の捕捉率を高めるもっとも有効な方法が、納税者番号制度の導入なのだ。
まだいろいろ書きたいけれど、要はこれに尽きる。
納税こそが国民の第一の義務であるのに、これが不公平では勤労所得者はたまったものではない。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.4.20 「立派な銭湯みたいな歌舞伎座の建物」

歌舞伎座さよなら公演もいよいよ今月で最後だ。
今の歌舞伎座の建物を惜しむ人が多いらしい。
桃山建築風とでも言うのだろうか、江戸文化の情緒と近代日本建築の融合した建物として、文化的な価値というから残したいという人もあれば、単に昔からなじんできたからという人もいる。
石原老ボケ知事は「銭湯みたい」と評したらしいのだが、あの非常識人にしては当を得た表現であると言えなくもない。(ボケ知事にはかなり非難が集まったらしいが)
たしかに風呂屋みたいな建物であると思う。
「千と千尋の神隠し」の湯屋にも通じるものがある。
だから、アホ知事の評に非難が寄せられたのは、歌舞伎座が「銭湯みたい」ではないからではなく、銭湯の建物を俗で下品なものと見なすアホ知事の偏見を咎めたからだと解釈したい。
そうでなければ銭湯の建築文化をコケにしているという意味で、アホ知事もアホ知事を非難した人も同様の愚を犯しているということになると思う。
今、銭湯は数が減っていく一方の時代だ。
ビルなどに建て替えても営業を続けているのは、まだ経営がいい方なのだが、社会施設としては存続しても、江戸時代から続いてきた銭湯建築文化は失われて行く。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.4.23 「裏切者だらけの政界は戦国乱世の武士の世界と同じ」

昨年総選挙で負けたら、とたんに自民党の抱えている多額の借金について週刊誌が暴露して、ちょっとした話題になっていた。
借金の額が、大幅に減る政党助成金の額を倍以上も上回っている上、財界主導の企業献金は無くなるし、企業・団体の政治献金禁止の方向で世論も国会も動いている。
孤立無援で兵糧を断たれた戦国の城みたいになってきた。
しかしどうやら政党の場合は、借金を抱えたまま解散しても、政党の責任者が個人的に債務を背負うということはなさそうだから、「借金苦で経営者が自殺」みたいな悲劇にはならないだろう。
悲劇というよりも、喜劇的ではある。
だけど今まで「政権」と「政治資金」と「数の力」といった「利」が魅力で自民党に属していた政治家にとって、借金が多いことはマイナス材料には違いない。
太平記の昔から、属将が離反していく理由はこうした「利」にあるのだから、今の自民党から次々に離党する政治家が現れるのは当然と言えるのだが、その点まだまだ離反者は少ない方だとさえ思う。
日本の歴史を振り返ってみても、裏切り者が出ることが大名・武将同士の戦いを決する大きな要因だった。
ただ、今現在は自民党を裏切っていない政治家たちも、次の選挙で勝てれば退勢が挽回できることに期待してのことだろうから、また勝てなければ、今度は大挙して去っていくことになるかもしれない。
そう言えば、かつて裏切り者のおかげで、哀れなほどに衰退した政党が日本政治史上にあったっけ。
なんて言う政党だか、もう名前も思い出せないが・・・今は女性が党首らしい。
まあともかく、自民党の「倒産」はなくても、借金の始末次第では「泡沫政党」への転落はあるかもしれないな。
どちらでもいいが、この際彼らにはぜひ自業自得の道をたどって欲しい。
そして、裏切り者を抱え込んで大きくなった政党は、いつか多数の裏切りにあうことになるだろうと、ボクは大いに期待している。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.5.8 「甘すぎた民主党の見通し」

見とおしの甘かった公約に縛られて、鳩山民主党がつまらぬ苦労をしている。
だいたい、あんなに大盤振る舞いみたいなマニフェストを掲げなくたって、去年の総選挙前の情勢なら、十分自民党に圧勝できただろうにと、今さらながらに思う。
あまりお利口さんの集団ではないのだろう。
いちばん下らない騒ぎだと思うのは普天間基地の移設問題だ。
むろん下らないというのは、マスコミの取り上げ方のことであって、問題自体は十分すぎるほど深刻だと思う。
なぜ下らないと決めつけるかというと、この問題の解決策を提言できない人間が、政策当事者の(拙劣な)行いを咎めだてばかりしているからだ。
さらに言えば、新聞の投書などで批判している一般人にしてもそうだと思う。
基地問題は、日米安保体制を堅持している以上、解決しないのは当然のことであるし、沖縄以外の都道府県全体で基地負担を分け合う意志など毛頭ないことなど、いちいち議論するまでもないことだ。
日本の国防のため、東アジアの安定のため、ひいては世界平和のため、どうか沖縄県民は現状を是認して欲しいというのが、沖縄県以外の一般人と政治家の正直なところだろう。
非常にストレートな表現をすれば、「自分と国の安全のために、自分以外の特定の人に、災難と苦難を負わせたい」ということにすぎないじゃないか。
こういうことを書くと「いや沖縄県民にとって基地があることは決して負担ばかりではない」などと反論する人もいるかもしれない。
だけど、自分自身が同じ立場に立ってもよいとは決して思ってはいないはずだ。
自分以外の誰かが犠牲になればいいという安全保障など、ボクはクソクラエだと思う。
そんなことを国是とする国もクソクラエだと思う。
民主党に政権が移って良かったと思うのは、政治とはつまり国の中で不幸を他人に押し付け、自分だけは幸福になろうとする利害関係を調整することに過ぎないという事実が、今までよりもあからさまになったということだ。
政治家に責任を押し付ける以前に、国民同士で対立する利害関係を明確化し、整理するべきだろう。
その結果を選挙の投票という形で反映させるのが、民主主義というものじゃないか。
日米安保体制が崩れても日本の平和と安定が保てるというのが幻想なのか、日米安保体制によって日本の平和と安定が保たれているというのが幻想なのか、という議論も必要かもしれない。
だが、たとえどんな議論だろうと、ボクはクソみたいな連中にだけは与したくない。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.6.17 「公的負担と公的サービスとはバランスが取れているか?」

サラリーマンになって、はじめて給料をもらった時からの給与明細をとってある。
リタイアしてヒマになったものだから、その明細を全部集計してみたことがある。
すると生涯賃金の10%以上が、所得税と住民税として徴収されていることが分かった。
ところで国民としての公的負担には、税金だけではなく社会保険料も含める必要がある。
日本という国はサラリーマンから金を巻き上げるのに巧みで、社会保険料は「個人の負担と同額を企業にも負担させる」という形を作っている。
ありていに言えば、サラリーマンからの搾取をゴマ化すための仕組みだ。
企業にしてみれば、給与も社会保険料も同じく人件費であって、全部まとめて個人に支払おうと、半額だけを企業が払い半額を源泉徴収するという形式をとろうと、国に支払う社会保険料に変わりはない。
企業からすれば、人事給与関係の事務が過重な負担になるから、いっそ全額給料に含めて個人に支払い、源泉徴収制度などやめてもらった方がどれだけ助かることか。
国際競争力のために法人税負担をもっと下げてなどと、財界は相変わらずバカな主張をしているけれど、税金と社会保険料の源泉徴収業務をなくして、余計な間接部門の経費を節減できるよう要求しないのはなぜだろう。
話がそれたが、社会保険料はそんなわけで形式上本人負担とされている額の2倍を、実際には国に支払っていることになる。
これと税金とを合わせると、ボク程度の安サラリーマンでも生涯賃金の1/4近くを国に納めた計算になるのだ。
これに消費税の5%を加えると公的負担率は軽く1/4を超える。
まあ、負担率が高くてもそれに見合うだけのサービスが受けられれば文句はない。
例えば厚生年金では、支払った保険料(と金利分)に見合うだけの年金を受取るには、日本の男性の平均寿命までは生きなければならない。
といって、あまり長生きすると、いくら延々と年金を受け取ったとしても、医療費だの介護料だのと出ていくほうも増えていくから、いったい何歳くらいまで生きたらいいのか、実に難しいところだ。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.6.22 「ユニクロで服を買う理由」

「中高年がユニクロを着て何が悪い。」なんて開き直りみたいなことを言うつもりはないのだが、ユニクロを利用するにはそれなりのわけがある。
価格のことは今さら言う必要はないだろうが、あえて触れておきたいこともある。
ボクらの幼少時代は、まだ高度成長以前だったから、当然、社会全体の消費生活がまことに貧しいものだった。
周囲が似たようなものだったので、特に貧乏だと感じなかっただけのことで、今の平均的な世帯の生活と比べたら、昔々のわが家の暮らしぶりなど、単なる貧乏としか形容しようがない。
そのせいか、長じてから浪費そのものは多くなったのだが、半面なかなか物が捨てられない性格である。
衣料品もその口で、かなり着古したものでも、シミやほころびや擦り切れが目立つようにならないと、捨てることができない。
仕事用や外出用の衣料品も、外で着られなくなれば、なんとか家で着ようとする。
そうなるとどうしても、家にいるときの恰好がみすぼらしくなる。
リタイア以前の時代は、どうせそんな時間そのものが少なかったのだから、どうでもよかったのだが、毎日が日曜日になると、そうも言ってられなくなる。
買物だの野暮用だのウォーキングだのと、外に出るたびにいちいち着替えるのも面倒だが、と言ってニョーボが顔をしかめるような見苦しい恰好で出歩くのも、たいがい気が引ける。
だが毎日身に着けていて傷みも早い衣料品に、大枚をはたくのは惜しくもある。
その点、ユニクロは実に便利な存在なのだ。
だが、そうして買ったユニクロのTシャツや靴下さえ、やっぱりボロボロになるまで捨てずに着ようとする、このしみったれた性格はわれながら少々うとましい。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.6.24 「高機能で低価格で売れなかったらウソ」

ユニクロを利用するのにはわけがある、と書いた。
その一つの理由が機能性だ。
昨年一昨年とヒートテックがバカ売れしたらしいが、ボクもその愛用者の1人だ。
保温性のある下着自体は、釣りや登山などのアウトドアレジャー用として以前からあったし、日常用の下着でもあるにはあった(と記憶している)のだが、毎日着るものとしては価格が高すぎた。
だから、高機能高価格品と比べれば、ヒートテックの機能はイマイチには違いないのだろうが、何枚もまとめ買いしても、あまり懐が痛まないのはけっこうな話だ。
夏用のドライ機能を売り物にしたユニクロ製品でも同様だ。
おかげで綿やウールといった天然繊維に対するこだわりが払拭できた。
機能を追求していったら、合成繊維のほうがすぐれた衣料品を作れるのは当然だったのに、今まで綿・ウール製品並みの価格でそうした製品が世に出回らなかったことのほうが、むしろ不思議だと思う。
ユニクロに追随するかのように、機能性衣料品をスーパーなどでもTV宣伝しはじめたから、これからは天然繊維信仰の呪縛から自由になれるんじゃないかと期待したい。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.7.19 「東武鉄道のどんくささ」

東京スカイツリーという名称が発表された時、昭和の「東京タワー」に代わる東京のランドマークが、なんと古臭くて陳腐な名前なんだと、公募名称を選考した人間のセンスの悪さに辟易したものだった。
そもそもいちいち「東京」と冠するところから古いと思った。
この先、東京以外のどこかの国内都市に、さらに高い塔が建てられるほど日本の経済が活発化するとは、とても期待できない時代なのだ。
それなのに東京という地域性を誇示して一体何の意味があるというのだ。
「東京」と冠することで、「東京スカイツリー」が「東京タワー」よりもっと高いことが強調できるからという営業政策上の理由だろうかと疑ってみる。(セコイ)
それに、最近の集客施設の例にもれず「漢字+カタカナ」というのには、いいかげんウンザリしてもいるのだ。
(あえて大袈裟に言えば)日本を代表する建築物であり観光施設であろうとしているはずの「電波塔」に、こういう名称をつけるような時代遅れのセンスだから、日本の経済は中国他の諸国に脅かされるような状態になったのだと思う。
それとも、単に事業主体の東武の、どん臭さゆえだろうか。
いや、産業界でどん臭いのは東武だけじゃないだろう。
どん臭い名称はさておき、その大きさというのを実感してみようと、工事中のそれを見に行った。
あいにく、工事中ゆえ足元まで寄って見上げることができないからか、すでに東京タワーよりも60メートルも高いという大きさを実感できなかった。
それとも巨大建造物を見なれ過ぎてしまって、ちょっとやそっとのことでは驚愕も感動もおぼえないようになっているのかもしれない。
何にせよ完成したら、今度は足元からじっくり見上げてみようと思った。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.7.20 「バラバラだった閣僚」

このところ、あまりホットな時に政治の話題を取り上げるのはやめにしている。
自分の頭ん中もけっこうホットであるときに書いたものは、後で読み返すと気恥ずかしくなることが多いからだ。
で、かなり時間をおいたので鳩山由紀夫の辞任劇のことを書いてみようと思う。
あの事件でいちばん不思議だったのは、なぜ鳩山が他人の責任を放っておいて、自分一人が辞任することで幕引きをしたかということだった。
辞任の最大の理由は普天間基地移設問題だった(ということになっている)。
この問題の対アメリカ交渉の責任は、本来は外務大臣たる岡田にあるはずだ。
付け加えて言えば、日米軍事同盟と極東安全保障問題の分析と在日米軍基地の国内的問題の解決は、防衛大臣である北沢の役目であるはずだ。
であるのに、この2人は大臣就任以来、いったい鳩山が首相として打ち出した方針を、身を挺して実現しようとしたことが一度でもあったのか。
2人とも最初から自民党政権時に決定した辺野古移設方針以外の選択肢がないという態度を変えなかったではないか。
まったく最低の閣僚だと思う。
「アメリカの飼犬」のような人間を2人も肝心なポストに付けてしまったこと自体は、鳩山の責任だと思う。
だからこそ、自身が責任を取る形で首相を辞任する前に、この2人のクビを切っておいてほしかったと思う。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.7.22 「古き良き時代の相撲を守っているのは外国出身力士たち」

最近は勝負の内容よりも、土俵外の話題ばかりが目立つ大相撲。
だが、ほんとの問題はなんだろう?
大相撲の国際化が進行して、明らかになったのは日本人のダメさ加減じゃなかろうか。
毎日の相撲内容を見てつくづく感じるのは、面白い勝負のほとんどは外国人力士同士(特にモンゴル出身力士)の対決ばっかりということだ。
日本人力士の相撲の印象は極端に言えば、「太った日本人が押したり突いたり引いたりするだけ」。
これではフランスの某大統領が日本の相撲をこき下ろした言葉どおりだと思う。
相撲のだいご味は、やっぱりがっぷりと組んでの技と力と我慢の応酬にある。
昔の相撲の錦絵を見たって、がっぷり組み合っているものが多いのは、そこに相撲の意気や美しさがあると感じられていたからだろう。
相撲には相撲の美学というものがあり、それが守れないなら、単なる太った裸の大男の取っ組み合いでしかない。
栃若時代終焉後、相撲界は大型化の一途をたどり、技と我慢を教えることを忘れて、バカの一つ覚えのように突き押しを教えたがる親方ばっかりになったかのようだ。
こんなもん、日本の大相撲をダメにしたという意味では、部屋制度だとか相撲協会の体質云々以前の問題だと思う。
相撲関係者は、白鵬があれだけ強いのを、ただの素質と体力だけが理由だとでも思っているのだろうか。
白鵬は勝負のもつれあいから投げの打ち合いになったとき、顔から土俵に落ちることもいとわない。
だから、かつて顔に大きな赤むけの擦り傷をこしらえたこともある。
太った日本人が押したり引いたるするだけの相撲よりも、技と力と我慢を競う外国人力士の相撲のほうが、遥かに面白いし、相撲の美しさを見せていることを、もっと相撲関係者とマスコミは評価するべきだ。
大相撲の伝統を守るのは、もはや外国人力士でしかない時代になってしまった。

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2010.8.2 「年金特別便の間違いを見つけられる人はいるか?」

夕方の郵便で「年金特別便」が来た。
以前にも来ているのに、いったい何ごとかと思ったら、標準報酬月額の明細が入っていて、「金額を確認して、おかしければ知らせろ」とある。
すでに受給を開始している厚生年金の報酬比例部分の支給額の決定にかかわる数字だから、いちおう念のためにチェックしてみた。
400ヶ月以上もあるが(それでも定年前に退職しているから少ない方だが)、リタイア後のヒマにまかせて、初月給から最後までの給与と賞与の支給明細を、全部エクセルの表に集計してあるから、そう面倒な作業ではない。
通算で実際の報酬額に+0.18%の差だったので、年金機構に知らせるまでもない。
まあボクの場合はこんなもので済んだからいいのだが、全国にはもっとややこしい人が無数にいることだろうと思う。
自民党政権時代に年金記録問題が明るみに出て、ようやく年金の被保険者が自分の記録を照合できるようになったけれど、こんなもの本来なら毎年1回は発行するべきものだろう。
民間の保険機関だったら、当然行っているはずのことを、国がやらないということ自体がおかしかったのだ。
標準報酬額だけではなく、毎年、年金保険料の支払い実績とその時点での(満期加入していた場合の)年金受給予想額ぐらい知らせて欲しいものだと思う。
そのぐらいのことをしなければ、国民はこの先いつまでたっても国のやることなんか信用しないぞ。

SNS「趣味人倶楽部」の日記
2010.8.7 「西洋流倫理観と東アジア的倫理観とは違う」

今月、国の謝罪がらみの話題が、あいついでマスコミに取り上げられた。
ひとつは、管総理が日韓併合100周年についての首相談話を出すかどうかという件。
もうひとつは、広島の平和記念式典にはじめてアメリカ大使が出席する件で、こちらのほうは「謝罪するな」「いや謝罪じゃない」と騒いだのはもっぱらアメリカ国内。
たぶん大多数の日本の国民は、アメリカ政府の人間が公式に出席したことを、今さら原爆投下についての遺憾の意の表明だとか思ったりしていないだろう。
オバマ大統領の世界的な核軍縮推進政策の一環に過ぎないとみなすのが、まず妥当なところだ。
まあどちらも騒いでいるのは、過去の加害者側の「謝罪なんかするな」と言いたい連中のようだ。
だが、こういう不毛なやり取りはもうたいがいにしてほしい。
欧米諸国のように、古代からお互いに戦争や外交的圧力で他国民に被害を与えることを、当然のように行っていた国々では、戦争や植民地政策での加害行為について、いちいち反省や謝罪をしないことのほうが常識だ。
反省や謝罪をするのは、戦争に負けた側が、少しでも賠償の負担を減らすための方便というのが白人流の考え方だ。
東アジア的倫理観や、日本流の美的な倫理観と、いっしょくたに論じてもはじまらない。
だから日本のマスコミがアメリカ大使の出席について、あまり過剰な論評をしていないのは、妥当なところだ。
同様に、日韓併合に関する首相の談話(があるかないか)についても、あまり大仰な論評を加えて欲しくないと思う。

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2010.8.12 「死んだ人間を把握できない日本の行政システム」

日本最高齢(127歳)とされている人までが、所在不明だったそうな。
長寿大国と自称していたのが恥ずかしくなるような話。
テレビ・新聞では、こんなに幽霊長寿者が多かったことの原因を、あれこれ論評している。
地方自治体のずさんな住民管理を理由に挙げているのが多いように見えるのだが、これはちょっと違うと思う。
やはり制度上の欠陥があったと言うべきだろう。
いちばんの問題は、住民税(所得税)と社会保険を世帯単位としている点だろう。
この制度のおかげで、公的年金等の所得が少ない人の場合、同居家族の扶養家族として扱われると、年金受給者に必要とされるはずの毎年の確定申告を行わなくて済んでしまうことになる。
保険料(国民健康保険か後期高齢者保険)の納付にしても、本人がいなくても自動的に支払われるシステムになっている。
だから、税や社会保険の世帯主義をやめて個人主義にすれば、幽霊長寿者はかなり防げるはずだ。(むろん100%防げはしない)。
だがそうなると税と社会保険の申告や納付・支給等の業務が現在の数倍に増えて、たちまち行政がパンクしてしまうだろう。
その上、税や社会保険料の未納率(つまり国や自治体の取りっぱぐれ)も増えるだろう。
結局、幽霊に支給していた年金などのムダが無くなる程度では追いつかないぐらい、行政のコストが上昇することは間違いない。
それを防いで税と社会保険の個人主義を制度化しようとすると、行政による国民の情報の一元化、つまり納税者番号と社会保険番号等の一元化が不可欠だ。
だがそんなことをされると一番困るのは、今までさんざん節税対策と称して税金をゴマ化してきた高額所得者たちだから、政治家たちに働きかけたりして、寄ってたかって反対するだろう。
だから結局のところ幽霊長寿者は、これからもなくならないし、その原因は末端の自治体の職員の「怠慢」にあるということになってしまいそうだ。
だが、こんな「役人バッシング」をやっていたら、いつまでたっても、この国は良くならないと思うのだが。

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2010.8.15 「相変わらず精神論の好きな日本社会」

終戦記念日と呼ぶのは好きではない。
理由はいろいろあるけれど、書き出すとキリがないのでやめておく。
それはさておき、毎年毎年この日が来ると、あの戦争のことを回顧するテレビ番組や新聞雑誌の記事がある。
実はもうたいがいでやめて欲しいという気分がないでもない。
今だに情緒的に語る内容が多いからだ。
だが最近になって明らかになった新しい資料や映像記録などを見ることは、決していやではない。
知識や情報が多すぎると、頭の中で収拾がつかなくなる場合もあるだろうが、乏しいままで何も分からないでいるよりはいい。
なんでも軍部のせいにするのは間違いだと、最近の一般的な論調は、当時のマスコミや一般国民の行き方にも、かなり批判的になっているようだが、これはこれで正しい傾向だと思う。
特に米英との開戦にまで踏み切った理由についての考証は、日本(だけとは限らないが)の組織の体質について、これからも参考になるように思う。
思い返してみると、かつて勤務していた会社にも、伝え聞くかつての軍部と似たようなところがあった。
「考えるよりも、まず走れ。走ってから考えろ。」
「できないと言うのは、初めからできない理由を考えるからだ。できるためにはどうするかを考えろ。」
というようなことを、何かと上司や上部から言われたものだった。
(だが、どう考えるのが正しかったのかは、あとで業績という事実で、明らかになった。)
日本人は、それが正しいか合理的であるか、ろくに検証もしないで突っ走りたがる。それもみんなそろってだ。
スポーツでもビジネスでも政治でも、似たようなところが今でもあちらこちらにあるような気がする。

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2010.8.20 「抜くを抜かすと言う現代人」

言葉というのは時代とともに変化するものと思うのだが、それでもやはりおかしいと思う言葉の使い方がある。
最近気になっているのは、標準語と「関西語」とでは違う意味になっている言葉だ。
たとえば「抜く」という意味で「抜かす」と言っている例が多い。
たぶん関西語で「言う」の意味の「抜かす」と、「抜く」の未然形「抜かせる」の混同だと思うのだが、これは聞いていてちょっと気になる。
スポーツ選手がインタビューに答えて、「必ず抜かしたろうと思ってました」などと言う。
アナウンサーまでが「あっとここで内側から抜かしました」などと言ったりする。
これはやはり「抜こうと思ってました」「抜きました」と言うべきだろうと思う。
これでは「抜かれました」と言うべきところを「抜かされました」、「抜かせる」は「抜かさせる」となってしまう。
誤用でも、みんなが使うようになると、それが標準になってしまうものだが、わざわざ字数の多い言葉に替えることもないと思う。

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2010.8.24 「うだるとゆだる」

猛暑の今年は、テレビの天気予報などで「うだるような暑さ」という表現を聞く回数が、とても多い。
ところでこの「うだる」と言う言葉、「うだるような暑さ」以外に聞く機会はめったにない。
念のため辞書で調べると、「うだる」は「ゆだる」の変化あるいは転とされている。
他動詞では「うでる」と「ゆでる」だが、全国的な使われ方では、「ゆでる」が圧倒的で「うでる」を使うのは少数派らしい。
面白いことに、東日本と西日本の地域的なちがいではないようだ。
自動詞の「うだる」と「ゆだる」には、両方とも「ゆで上がる」という意味と「暑くてぐったりする」という意味があるのだが、どうも「うだる」の方は後者で使われ、「ゆだる」は前者で使われているような感じだ。
だがどっちにしても、最近では「体がうだっちまうよ」などという表現は、まず聞かれない。
だから「明日もうだるような暑さでしょう」などという表現は、今どき天気予報ぐらいでしか使われていないような気がする。
こういう特定分野だけの固有表現は、気をつけていると他にも見つかることがある。
ただ、このクソ暑い夏に、毎日のように「うだるような暑さです」とあちらこちらのテレビ番組の中で聞くのは、もうたいがい勘弁してくれって感じだ。

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2010.9.28 「下品な日本語」

ガチンコなる言葉をはじめて聞いたのは10年前。
意味が分からなかった。
最近になって調べてみたが、どうやら真剣勝負の意味らしい。
元は特定業界の隠語だから、むろん広辞苑なんかには載っていない。
隠語が一般語になる例はいくらでもあるから、そのことはいいのだが、気になるのはこのガチンコという言葉の語感だ。
とても下品だと思っているのはボクだけだろうか。
最近では新聞の社説や解説記事にまで、ガチンコ勝負だのガチンコ対決だのという表現が使われるようになったところを見ると、ジャーナリストはあまり下品な表現だとは思っていないらしい。
まあ日本のジャーナリズムの品性自体が低下する一方だから、ある意味では当然なのかもしれないが、とにかく昭和前半世代の人間の一人として、ボクはガチンコは下品な日本語だと思う。

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2010.10.16 「酒税を上げるならゲームにも課税してほしい」

電子ゲームのハードとソフトに、ゲーム税をかけたら、国の財政再建に役立ちそうだと、ふと思った。
もちろんケータイのゲームも対象だ。
電子化されているパチンコも当然対象だ。
税率はタバコ税並み。
そんなことをしたら日本経済がガタガタになる?
いや、絶対に実現しっこありませんって。
でも酒税の税率上げが噂になっている昨今、アルコールなしでは人生楽しくない(ゲームもパチンコもやらない)人間としては、ゲーム税導入があったらいいなあ。
夢のような話ですけれど。

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2010.11.8 「来世などというものはない」

夕食後にふと新聞の人生相談欄のことから、ニョーボと「生まれ変わったら、どうなるこうなる」という話になった。
「生まれ変わると言っても、ナメクジかもしれないし、ゴキブリかもしれないのに、そんなことを悩むことも考えることもバカバカしい」というのが、ボクの昔からの考え方だ。
愛し合っている男女が「生まれ変わっても、まためぐり合いたい」などと言い合うようなロマンチックさをよしとする人たちが聞いたら、身も蓋もない考え方かもしれない。
薄情と言ってもよいかもしれない。
だけどボクには、故フランキー堺が演じた「私は貝になりたい」(1958年)を、10歳の頃に見た強烈な記憶があるので、別に自分が薄情であるとも、ロマンチックな人間ではないとも思ってはいないのだ。
そういう人間だから、たとえば仮に家族が死んだあとに、臓器移植のドナーとなって、「他人の体の中に生命が残る」などという発想は全くない。
自分自身のことに限って言えば、生きている間に社会の役に立ちたいとは思うけれど、死んだあとまで世のため人のために尽くしたいと思いはしない。
仮に来世などというものがあるとしても、どうせナメクジかゾウリムシか猫かナマコかを延々と続けるだけのことだもの。

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2010.11.15 「鉄腕アトム世代として育って」

鉄腕アトム、鉄人28号、矢車剣之助、、、子どもの頃に兄が読んでいた雑誌「少年」の連載漫画のヒーローだ。
作者は手塚治虫、横山光輝、堀江卓。
以来、漫画ファンであり続けた。(今はさすがに卒業したのだが、雑誌や新刊を読まなくなったというだけで、ただならいくらでも読みたい)。
好きだった作品を上げればキリがない。(記憶のある限りというのが問題だ)。
好きだった漫画家を上げるのもキリがない。
だが、最大の影響力を持っていたのは、やはり手塚治虫の鉄腕アトムを置いて他にないだろう。
少年漫画の世界に、貸本業界から「劇画」が流れ込んできた時代に、漫画を連載する雑誌の購読から離れてしまった。
その頃から、鉄腕アトムも「劇画」の影響を受けて、より時代性をリアルに反映したものとなり、さらには無敵のヒーローとして手塚自身の手に負えない巨大な化け物となっていった。
手塚治虫自身、のちにそのようなことを回想していたように思う。
だが、たとえアトムがモンスターになってしまっていたとしても、今でもやはり日本の漫画界最大のヒーローであり、最高のキャラクターであることに変わりはないと思う。
ボクらの世代は堺屋太一のせいで「団塊の世代」などという(人間を物扱いした)無味乾燥な名前でひとっくくりにされているけれど、ボクが自分の世代の名称を選ぶことができるのなら、「鉄腕アトム世代」をおいて他にない。
手塚治虫は昭和天皇が死んだわずか1ヶ月後に亡くなった。
ボクは天皇が死んだときには「そうか」としか思わなかったのだけれど、手塚治虫が亡くなったと知ったとき、「昭和」が終わったと心から思った。
その4ヶ月後に(好きな歌手ではなかったが)美空ひばりが亡くなり、その翌年、元横綱栃錦(元春日野親方)が亡くなり、「昭和」は完全に終わったと思った。

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