| 雑 記 帳 |
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03/07/23 入沢康夫「未確認飛行物体」 台所の薬缶が夜ごと家を抜けだして、砂漠に咲く一輪の花に水をやりに行く… とても微笑ましい詩です。 むかし勤務していた中学校で、この詩を実力考査の問題にしたことがあります。で、テストを返却してから数日後、 一人の生徒が私のところにやってきました。 「先生、入沢康夫さんの本、持ってたら貸してもらえませんか。」 とても気に入ったので、他の作品も読んでみたいとのこと。こういう生徒との出会いは嬉しいものです。もちろん 喜んで貸す約束をしました。次の日、本を手渡しながら、どんなところが気に入ったのか聞いてみたところ 「毎日家出してヒコウだけど優しい薬缶だから、こんなヒコウだったら可愛い。」 ん? なんだかヘンだぞ。というわけで、問題用紙を見てみると、 タイトル:未確認<非行>物体 え? えーーーーー! とんでもないミスをやらかしておりました。おまけにテストを採点し、返却してなお気付かなかった私は大バカ者 です。「非行」が誤植であることを告げるのが、とても心苦しかった… その後、彼女は非行に走ることもなく今は文学部を目指して受験勉強中だということです。めでたし、めでたし? |
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04/07/18 結局、人生は遊戯なりという解釈よ。ニヒリズムからの変形だろうね。小説も遊戯だし、 生活も遊戯として考える。まあ、わしは遊戯だけの人間だろうね、だんだん正体を暴露 しちゃ、ぐあいがわるいかな。だけど、しんはそこだね。ほかのなによりも、遊戯に真 の価値をみとめるんだ。遊戯というものは、けいべつすべきもんじゃないと思ってる。 江戸川乱歩はコナン・ドイルやアガサ・クリスティではなく名前の通りポーの直系。乱歩の作品は、最後には 正義が勝つというモラルに守られたブルジョワ的殺人鑑賞とは異なる、徹底したプラクティカル・ジョークの 世界です。 処女作「二銭銅貨」における失業中の青年のあざやかな悪戯には、己の苦境を突き放して眺め虚無と戯れる、 宇野浩二ばりの遊戯精神が既に完成しています。その後、乱歩自身が貧窮の生活から脱すると、今度は谷崎流 「美しいからッぽ」の大スペクタル・ショーが開演。「パノラマ島奇談」で重ッ苦しい<内面>を捨て去った 主人公は、ついには自分の命を遊戯に捧げ、探偵の卑小なモラルを打ち砕く一世一代の人間花火を決行します。 虚仮威しのどぎつい刺戟を売り物にする輩は腐るほどいますが、真に人間の重ったるい内面(モラル)を捨て 去って「人生は遊戯なり」と言い切れる作家は、今日まず見当たりません… |
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04/06/05 宮澤賢治『銀河鉄道の夜』 あまりにも有名な作品なので、このページを覗いてみるような物好き(失礼!)なら100%お読みに なったことがあるでしょう。 別世界への逃避→成長→現実へのフィードバックという、完璧な西欧ファンタジーの骨格を持っている ところが、当時の日本幻想文学としては珍しいかもしれません。 それにしても凄いのは 「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云ひました。 というところ。このカムパネルラの台詞だけは、本家ヨーロッパの作家に絶対マネできない傑作です。 考えてみれば、己の正義を妄信して気に入らぬ奴は叩き伏せるというナルニア国の流儀なんて、まるで どこかの国のように凶暴なだけ。「わからない。」という何とも頼りない言葉からこそ、ファンタジー に不可欠な、理想追求の真摯な姿勢が生まれるのではないでしょうか。 |
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04/05/08 タクミの耳を切り落とし、高楼から人の死ぬ姿を見下ろして喜び、村人が死に絶えることを願うヒメ… しかし、そんな彼女は常に「一点の翳りもなく冴えた明るい無邪気な」笑みを浮かべている。 タクミは「このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界はもたないのだ」とヒメを刺殺するが、死に際 に彼女は「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ」「好きなものは咒うか殺すか争うか しなければならないのよ」と言って、やはりつぶらな瞳で微笑むのであった。不覚にもタクミの目には 涙があふれる。 坂口安吾の「夜長姫と耳男」、極めて特殊な恋愛小説と言えますが、同時にヒメを谷崎「金色の死」や 足穂「一千一秒物語」など、人間世界の常識や倫理を飛び越えて無邪気に虚無と戯れた唯美主義文学の メタファーと捉えることも可能でしょう。唯美派に「だきしめても足りないほどなつかしく心にしみる」 ものを感じながら、その文壇における衰退後に遅れてきたランナー安吾の、文学(芸術)に対する複雑 な想いが語られているのではないでしょうか。 |
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04/05/06 私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れること を仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、 クラッシャーの中へ嵌りました。 仲間の人たちは助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人 は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルト の上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、 細く細く、激しい音に呪の声を叫びながら砕かれました。そうして焼かれて立派にセメント となりました。 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。 残ったものはこの仕事着のボロばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。 夢うつつの区別がつかなくなるところに幻想が生まれるのだとしたら、トールキンが別世界を緻密に 作り上げていくのと全く逆の方向、リアリズムを追求し尽くした結果も幻想となりうるのでしょう。 プロレタリア文学の代表格である葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」、あまりに無気味です。 |
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03/04/15 「葉桜の日」など、家族や人間関係をみずみずしく描いた作家、鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ、本名・松尾めぐみ)さんが 12日夜、都内の自宅で亡くなっているのを、訪ねてきた知人が発見した。 死因は心不全で、死亡時刻は11日未明と見られる。35歳。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040414-00000515-yom-soci 突然の訃報に驚いております。鷺沢萠は私が愛読する数少ない現代作家の一人なので、とても残念です。 |
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04/04/12 遅ればせながら斎藤美奈子『趣味は読書。』(平凡社)を読みました。 『朗読者』は「インテリ男に都合がいい小説」で『模倣犯』は「コバルト文庫」レベル… ベストセラー小説をめった切りです。 が、この人の場合むやみに天の邪鬼を気取っているわけではなく、ごく普通の感覚で当たり前の批評をしているだけ。 むしろ斎藤美奈子を辛口と呼ぶ風潮に読書界の貧困を感じます。 |
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04/04/10 かつて諸子百家の中でも最大の勢力を誇った墨家は、しかしながら始皇帝の中国統一を機に 忽然と姿を消し、歴史から抹殺されてしまいました。決して忘れられたのではなく、意図的 に排除されたのです。 その理由としてまず考えられるのは、墨家が徹底して中国のスタンダードである儒家に牙を 剥いたことですが、単に対立したというだけなら、さして珍しいことではありません。当時 のありふれた論争の一つとして、寧ろ敗北の記録が多く残っていて然るべきです。 では墨家はなぜ、そこまで執拗に排斥されたのか。答えは一つ。権力者にとってあまりにも 危険な思想だったからです。その中核が「兼愛」と「非攻」。 いつの時代にも為政者は「愛と平和」を尊重しますが、それは飽くまでも自分勝手なもの。 国内においては忠孝という上下関係を旨とし、他国に対しては「自国の平和」を大義名分に 攻めまくる、というのが実情です(某アメリカ大帝国も一緒…)。墨家はこれを「別愛」と 呼んで非難し、天の下の普遍的博愛精神「兼愛」を説きました。そして「非攻」を実践した のです。 ただし、この「非攻」というのが、完全非暴力の平和主義なんていうロマンティックなもの ではありません。非暴力どころか、墨家は当代最強の軍事組織でした。それも、どの国にも 従属しない、独立した傭兵集団です。彼らは戦争が起こると常に攻められている国の応援に 駆け付け、城を守りました。自らの領地を増やすためでも、あるいは自らの生命を守るため でもなく、無節操とも言えるほどあらゆる国に赴いて、ひたすら「攻」に対抗したのです。 墨家はただただ守りに徹する傭兵部隊。困った時には助けてくれるけれど、さて今度は攻め に回ろうとすると邪魔になる。力ある者にいつも疎まれる損な役回りです。結局あらゆる国 に使い捨てにされて、絶滅するしかなかったのでしょう。 墨家の戦いと末路をどう評価すべきなのか、とにかく資料が少なくてよく分かりません。が、 自「衛」隊なんてでき過ぎた名前を持ちながら、何一つ守ることもできず、恒久平和・武力 放棄の枷に苦しみ(実は酔い?)つつ、そのくせ先制攻撃大好きなジャイアンの御機嫌伺い に終始して海の外までのこのこ出かけていく某国のはしたなさを見ていると、何だかな〜 と思うのです。 |
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04/04/02 7年半かけて、金庸の邦訳全集がやっと完結しました。 いや〜長かった。 最後の『鹿鼎記』では、とうとう挿絵の李志清が外れてしまったし… あと少し早く刊行を開始していれば、もっとスムースにいったんでしょうが、いかんせん今や亜細亜ブームの中心は韓国。 CDショップに行ってもK−POPばかりで、香港モノは消えつつあります。 流行なんて全然気にならないけれど、あまりに流行から遠ざかると本でもCDでも入手困難になるのが困りものです。 |
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04/03/08 私の勤務している中学校でも、いよいよ明日は卒業式。 で、今年は3年生を担当していたので、少しは湿っぽい気分になるかな〜なんて思っていたの ですが、これが全然。何の感慨もありません。 ま、当たり前です。 中学校時代なんていうのは単なる訓練期間。もっと言えば調教期間に過ぎません。 本当の学問も、或いは人生における悲喜こもごもも、全てはようやくこれから始まるわけです。 こんなところで立ち止まって過去に後ろ髪引かれている暇はありませんよ、お互い。 「二十五歳までに決定すべきこと」は足穂の名青春論ですが、何らかの決定ができるかどうか はともかく、取り敢えず後十年、二十五歳くらいまでは前だけを向いて突っ走ってほしいもの です。 私もまた、春から新しい子どもを相手に鞭を振り振りチーパッパ。調教師役に徹します。 |
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04/02/18 ファンタジーの機能(トールキン「妖精物語について」より) RECOVERY(回復) ESCAPE(逃避) CONSOLATION(慰め) 問題はそれをどう現実に還元するか… |
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03/11/17 「まだ人々が愚と云ふ尊い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分」という『刺青』の有名な冒頭章句。 この「愚」の思想こそが、谷崎にメッセージ性がないと言われる所以であり、同時に谷崎の普遍的メッセージなのではないで しょうか。 しかめつらしい近代思想の海に溺れて神経衰弱に陥った知識人を笑い飛ばすカリカチュアが谷崎の真髄なのだと思います。 『神童』では秀才君のプライドが性欲によって崩れ去り、『異端者の悲しみ』では文学青年の思い上りが便所に飲まれ、そう 言えば『小さな王国』で教員という人種もこてんぱんにやっつけられていましたね。 嫌味ったらしい真面目人間は須くナオミ(『痴人の愛』)に弄ばれ、譲治の如く自身のメッキを剥がす必要があるのです。 「美しいからつぽ」(『饒太郎』)万歳! |
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03/09/14 南海之帝為倏、北海之帝為忽、中央之帝為渾沌。 倏與忽、時相與遇於渾沌之地、渾沌待之甚善。 倏與忽、謀報渾沌之徳。 曰「人皆有七竅、以視聴食息。此獨无有、嘗試鑿之」 日鑿一竅、七日而渾沌死。 『荘子』応帝王篇 第七 小さな親切、大きなお世話 The road to hell is paved with good intentions. 心の教育も結構だけれど、まずは己の思い描く結果に辿り着くための方法を冷静に考え判断する、そんなキレる頭を 作る方が先ではないかしらん? 温かい心で頭までのぼせていると、これは何ともはた迷惑。自己満足に過ぎない善意は、自分も他人も不幸にします。 |
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03/09/11 ある寒い冬の夜、2匹のヤマアラシが寒さをしのごうとして身を寄せる。 ところが、彼らは近づきすぎると、その身の針で互いを傷つけてしまう。 かと言って、離れているのはやっぱり寒い。 だから2匹は、何度も近づいたり離れたり試行錯誤を繰り返し、 ついには互いに傷つかず寒くもない、適当な距離を見つけ出した。 ショウペンハウエルの『パレルガとパラリポメナ』第二部31章にある有名な寓話です。 人間はみんな、こんなふうにして他者との適度な距離を探りながら大人になってゆくのでしょう。 それができず平気で他人の心に踏み込む無神経な者や、逆に自分が傷つくことを怖れてばかりいる弱虫は嫌われる。 古人曰く、君子の交わりは淡きこと水の如し−人間関係はスマートに行きたいものです。 ただ、中には不器用な連中もいたもので、 己の針を我が身に食い込ませながら、相手の針も全て受け止めてしまうお人好し 誰も傷つけないようにと、つい自分の針を目立たせて他人を遠ざける偽悪者 愚かしいと言ってしまえばそれまでだけれど、でも、相当な覚悟を要する生き方です。 誰にも彼らを嗤う資格はない。少なくとも「誠実に接しさえすれば、人は互いに分かりあえる」なんてキレイゴトを説く輩には… |
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03/08/30 夏休み課題の定番、読書感想文。これ、そろそろ廃止にならないものでしょうか。 どの子の感想文も似たり寄ったりで、読んでいてちっとも面白くない。結局は、書かれている内容を無視して、原稿用紙の枚数と誤字脱字の 数だけで成績をつけてしまいました。一番手っ取り早いし、他に公平な採点規準と言っても、ちょっと思い付きませんから… で、読書感想文の何が悪いって、みんな優等生的・道徳的なことしか書かないんですね。言い換えれば「無難」な作文ばっかりなわけです。 いや、これは生徒が悪いわけではなくて『心の教育』を喚き立てる学校という場が子どもたちにそんな駄文を強いているのですが、でも、 それじゃあ文学を読む意味なんて全くない。自分の身上をでっちあげるために固めた言葉は空々しいだけです。恐らくそんなことは書いて いる本人が誰よりもよく分かっているのだろうと思いますが。 「俳諧化とは、一般に固定した形式を柔軟にほぐすことをいう。 これをほぐすためには、精神の位置から運動の方に乗り出さなければならない。」 とは石川淳の言ですが、文学はまさにコウデナクッチャ。壮大な冒険物語にしても凄絶な恋愛小説にしても、あるいは日常の生活を静かに 描いた作品にしても、その中心は固定してしまった常識を解きほぐし、孔子の「正名」に荘子の「狂言」で応えるような、<飛躍>もしく は<逸らし>にあります。なのに、まるで職員会議の「生徒指導目標」みたいなお題目の中に読者を搦め取ってしまう読書感想文… ホント、百害あって一利なし。 |
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03/08/20 最近スパムメールが毎日のように届きます。まあ、HPでメールアドレスを公開している以上 仕方のないことだと思うのですが、それにしても気になるのはその内容。 巷でよく耳にする料金請求詐欺でもなければアダルトサイトの公告でもなく、私のところには どういう訳かPROZAC(抗鬱剤)の通販案内ばかりが来るのです。 なぜに? いや、確かに私は人付き合いがよくないし、幻想文学なんてケッタイなものばかり読んでいる けれど、でも、だからと言って鬱の気は全くない!(はずだ、たぶん…) どっちかと言えば根がいい加減な人間なので、この上PROZACなど飲んだ日にはどうなっても 知りませんよ。 って、先方は別に私の性格を分析してメールを送ってきているのではないでしょうが、何だか しつこい。どうせならもう少しバラエティ豊かな公告をお願いしたいものです。 あっ、バラエティ云々よりもスパムは全面的に来ない方がいいのか… |
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03/07/25 ふらりと立ち寄った小さな古本屋で古龍の『歓楽英雄』全3巻を見つけました。 何だか出たと思ったらすぐ絶版になって、翻訳された武侠小説で唯一買い損なっていた作品だったので、すぐに購入。 これまであちこちの古書店を訪ね歩いて見つからなかったのが、思わぬところで発見。それも3冊で300円! 本との出会いっていうのは、縁と言うのか巡り合わせと言うのか、面白いものです。 |
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03/05/31 パソコンを使うようになって数年、昨日はじめてウイルスメールを受け取りました。 差出人がsupport@microsoft.com 、添付ファイルscreen_temp.pif… そう、ワームW32/Sobig.b@mmです。 まあ、迷惑と言えば迷惑な贈り物ですが、私はWindowsを使っていないので被害の心配もありませんし、 これが噂に聞くウイルスというものかと、妙な感動を覚えてしまいました。思わず記念保存。 ただ、コレクションを増やすつもりはありませんから、今後この種のプレゼントは御遠慮願いたいですね。 皆さんもウイルス・メールにはお気を付けください。 |
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03/05/25 エルサレム・ヘブライ大学の『Albert Einstein Archives 』とカリフォルニア工科大学の『Einstein Papers Project 』が 共同開発したサイト『Einstein Archives Online』が今月19日に立ち上げられました。 膨大な数の論文や資料が公開されているものの基本的には専門家向け、おまけに英語で書かれているので私にはチンプンカンプン なのですが、それでも家にいながらあのアインシュタインの自筆原稿が眺められるとなれば、何だかワクワクします。 それに、素人のひやかし客を楽しませてくれる情報も結構いろいろあるのです。例えば、アインシュタインは実は一般に思われて いるほどの落ちこぼれでなく、落第点を取ったのは1教科だけだったんですね。他には、この天才爺さんが無類の女好きであった なんていうことも暴露されています。まさに「英雄本色」? 更に、FBIがアインシュタインをコミュニストの仲間としてマークしていたとか、イスラエルの大統領になるよう頼まれたこと があるとか… まるで映画のような波乱万丈の人生。興味は尽きません。 英和辞典を片手に是非一度、覗いてみられてはいかがでしょうか。 |
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03/05/18 久しぶりに早く寝たら夜明け前に目が覚めてしまって、何だか年寄りになった気分。 ここは老人ぽく?懐古趣味に走ろうということで、段ボールの山の中から児童書の箱を探し出し 『モモ』を読み返してみたりしていました。 で、『モモ』ってM・エンデの作品にしては構造が単純だったんですね。ちょっと拍子抜けして しまいました。むかし読んだ時にはもっとドキドキしながらページを繰った記憶があるのですが… とは言えこういう哲学的物語、大人の本の世界では今やほぼ絶滅状態。児童書だからと侮ること はできません。 特に今回読んでみて改めて気づいたのが、この本の副題。 「時間どろぼうと 盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語」 決して「時間どろぼうに…」ではないのです。この1字の違いはものすごく大きい。いや、別に 文法の講議をしようってわけじゃないんですが、「と」と「に」では物語の主題が完全に違って きますよね。エンデは、時間どろぼう「に」盗まれた時間を奪還すべく闘った一人のヒロインを 描いたのではありません。時間どろぼう「と」女の子を同列に並べて物語をつくっているのです。 つまり、モモが時間を取り返すことに成功しようとしなかろうと、時間どろぼうの問題は、それ 自体独立して読者に突き付けられる。モモに下駄を預けてボケーっとしていてはイカン! 読者は各人それぞれに自力で己の時間を取り返すしかない。モモはそのお手本にすぎないという わけです。 ハリポタ以降ファンタジー人気はいまだ衰える気配がありませんが、RPG世代の子どもたちは 主人公に感情移入して冒険の旅を終え、あたかも自分が何か大きなことを成し遂げたように錯覚 してしまいがち。 そうじゃないだろ! そんなのただ、安全なところで高みの見物をしているだけです。大切なのは現実の世界に戻って きてから、今度は自分に何ができるかということ。 ブレヒトの異化作用を学んだエンデのことだから、そのあたりをかなり意識していたのは間違い ないでしょう。単にお伽の国にたゆたって、ダニエル・ラドクリフに黄色い歓声をあげてる場合 ではありませんよ、ホント… |
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03/05/11 タルホが地上と訣別したのは1977年ですから、四半世紀も経てば当然生前に刊行された本はことごとく 絶版…と思いきや、2冊も残っているんですね。 『人間人形時代』(工作舎 1975年) 『がんじす河のまさごよりあまたおはする仏たち』(第三文明社 1975年) 『人間人形時代』は松岡正剛氏が気合いを入れて作った楽しい装幀の本で、全集でも読むことのできない 「宇宙論入門」を詳しい解説付きで収録。 一方『がんじす河…』は「彌勒」最終稿を収め、松山俊太郎氏による解説(これは河出の新文芸読本でも 読めるけど…)も必読です。 流石に書店で見かけることは稀ですが、注文すれば真っさらなオリジナル・タルホが手に入る。 これはマニアならずとも買い!でしょう。 |
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03/04/20 インタビューで「北村透谷から三島由紀夫にいたるまで、あのなかでどれがほんとうの文士の自殺とよべますか。」 との問いに対して、稲垣足穂は 「自殺は自殺なんだから、ほんとうもウソもないんじゃないですか。文士だけが自殺するんじゃありませんからね。」 「ぼくは牧野信一をよく知ってたけれど、あれなんか放蕩の果ての破滅ですね。」 「太宰だってそうなんですよ。なにも文士として自殺してるんやないんやから、持ちあげることはないんだな。」 「三島というのは稀代のヤマ師。深刻ぶって自殺するんだったら、その顛末を克明に文学で書いたらいい。」 とバッサリ。遠慮のかけらもない物言いですが、確かにその通りです。 ところで、自殺する作家って、なぜか男ばかり。海外にはヴァージニア・ウルフという例外があるものの、日本の女流 作家が自殺したなんて話は聞いたことがありません。 ところが、読者層の方に目を向けてみると、太宰や三島のファンというのは暇な学生を除けば圧倒的に女性が多いよう な気がします。それに『ロミオとジュリエット』ばりの悲恋モノが好きなのも女性。現実には「私と死んでちょうだい」 などとふざけたことを言う女の人、いないと思うんですけどね。考えてみればジュリエットだって死ぬつもりはなくて、 バカなロミオが死んだから仕方なく後を追っただけだし。 うーん、どういうことなんだろう。もしかして女性は男性よりもはるかにしぶとくて、現実の死からは遠いんじゃないで しょうか。だからこそ安心して弱い男の作品を読める。 男が青年期を過ぎても太宰に心酔してたりしたら、そのうちどこかで首を吊ってそうで何だか危なっかしいもの。 「持ちあげることはないんだな」と分かった顔して遠ざけるのが身の為です。 それにしても、太宰は三島のようなポーズ屋ではないだけに、その死が哀れです。あと十年早く生まれるか遅く生まれる かしていたら、正統派の貴族文学として、或いは真の無頼派として、もう少し違った道を歩めたのでしょうが、文学史的 にも悲惨なポイントに生まれ落ちてしまったのですね。周りには師匠の井伏鱒二、ヴィヨン繋がりで花田清輝、新戯作派 時代の石川淳などなど、常に素晴らしいサバイバルの達人がいたのですが… |
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03/03/23 悲劇の主人公が価値を置く道徳・善良さ・真実・美・ヒロイズムなどは、 人間を自然環境より上位に置き、動物とは異なった形而上学的な価値を 重視した結果である。これに対して喜劇の唯一の関心事は、人間の生き 延びる能力を肯定し、どのような道徳でも無視して、ひたすら生き続けて いくのを称揚することである。 ジョセフ・W・ミーカー『喜劇としての人間』 近代以降の読書人はとにかく悲劇がお好きです。そりゃ「形而上学的な価値」に触れれば、 何となく利口になったような気がしますからね。そこまで難しく考えなくても、『鉄道員』 か何かを読んで涙を流せば、恰も自分が心の清らかな人間であるように錯覚できますし… ところがその結果、「生き延びる能力」を失った人間は同族殺し=戦争という、最も悪趣味 な喜劇を演じている。どんなに凶暴な野獣でも、こんなバカなことはしないのに。 喜劇を読みましょう、喜劇を! |
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03/03/22 エジプト・シリア・レバノン・イラク・ヨルダンの五カ国がアラブ連盟を結成したのが、 1945年の今日。記念日という事で何かいい動きはないかと、つい甘ちゃんな期待。でも、 よそからゴリ押しで攻め込んでおいて、彼らに期待するなど勝手すぎますね。 それにしても… ニュースではNYの株式がどうだ、日本への経済的な影響はどうだと、カネの話ばかり。 人が死んでいることよりそっちが大事なのか? 私の感覚も甘いかもしれないけれど、 彼らの感覚は狂ってないかい? 花田清輝は、織田信長を評して、武断政策の強い大将を装いながら、その実「みずから の人気にたいして極度に敏感」な臆病なる大将と言っています。まあ、信長もアメリカ も日本も、別に強かろうが臆病だろうが人気取りであろうが、どうでも構わないけれど、 次の言葉が私の心を暗くさせます。 あれほど多くの人を殺し、天下統一を図った男の心境が「夢まぼろしのごとくなり」 という。彼にはなんら普遍的理想のかけらもなく、ただ力を振り回していたばかり で、結局は虚無の淵にさまよっていただけのことである。 |
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03/03/21 毎一個破衣服人走過、叭儿狗就叫起来、其実並非都是狗主人的意旨或使嗾。 叭儿狗往往比他的主人更嚴歴。−魯迅「小雑感」 (ボロ着た乞食が通る度、犬はすぐさま吠えたてる。 あるじが命令しなくとも、あるじ以上のやかましさ。) たとえ飼い主にけしかけられても尻尾を巻いて逃げ出すような、そんな弱虫駄犬でありたいと、私は思っています。 各人の理屈が戦争を生むのなら、屁理屈で雑ぜっ返してお応えしましょう。 口八丁のピカレスク精神こそ、文学の極意。 |
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03/03/20 イラクの武装解除をめぐる問題は、国連を舞台とした平和的手段で解決できず、 米英軍によるイラクに対する武力行使という戦争に発展した。−Yahoo!ニュース トウニ予想サレテイタコトダカラ、驚クニハ及ブマイガ、マッタク困ルジャナイカ。 イヤ、あめりかハイイヨ。常カラ学校ノミナラズ、アノはりうっどマデヲモ最大限ニ 活用シテ、シッカリ国民ヲ教育シテイルカラネ。ヨホドノ落チコボレデナイカギリ、 ソリャ一致団結デキルダロウサ。 ダケド日本ハ教育亡国。ナマジ自由思想ガマカリ通ッテイルモンダカラ、イザトイウ 時ミンナ好キ勝手ヲ言ッテ右往左往スルバカリ。戦争ニ加担スルナラ、前モッテ十分 ニ洗脳シテオイテクレナクッチャ、ドウニモ辛クテ堪ラナイ。 戦火の中で自分の書いた原稿だけを守りながら、戦争などは「歴史の上つらの漣」だと言ってのけた足穂の精神力がうらやましい。 私などは修行不足、3行ニュースを見て、もうオロオロしています。 |
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03/03/18 テウト:私は文字というものを発明いたしました。これは人間の記憶力を 補佐し、人々を賢くする素晴らしいファルマコンでございます。 王 :そんなものは必要ない。文字に頼れば、人々は自分の魂で 考えなくなる。その結果うまれるのは、智恵なき雑学屋に 見かけ倒しの知識人ばかりではないか。 プラトンの『パイドロス』に、確かこんな対話がありました。 ショウペンハウエルに先駆けること、実に二千数百年。恐らく最も古い読書批判なのではないでしょうか。 ただ、ここに出てくるファルマコンという言葉、ギリシア語で“毒”と“薬”の両義を兼ねています。 つまり、バカと書物は使いよう、諸刃の剣ってわけですね。 「読み書き算盤の中で、最も習得の難しいのは読むことだ」とはアランの言でしたか。全くもってその通りです。 文字の氾濫に飲み込まれることなく、一つ一つの言葉と丁寧に対話する、そんな読書を心掛けたいものです。 |
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03/03/17 思考力を失うということに関しては、マス・メディアのみならず、日々の読書にも問題があるようです。 ショウペンハウエル先生曰く ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。 詳しくは『読書について』(岩波文庫)をお読みください。 哲学書と言ったって薄っぺらなアフォリズム集ですから、簡単に読めます。 たぶん、まだ絶版になってはいないと思います… |
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03/03/16 かつての欧州には、情報の洪水を遠ざけて慎ましく静謐な生活を送り、 流行に流されず不易の言葉を紡ぎ出す、頑固職人みたいな詩人作家が幾人もおりました。 ライナー・マリア・リルケ、ポール・ヴァレリー 、ロマン・ロラン… また、「杏と桃の花が咲いたというが、自分で見ない限りは信じられない」と言う 魯迅の「自分本位」も筋金入りです。 日本では、そういう頑固者がなかなか出てきませんね。 大本営を盲信して竹槍を振り回したこの国の人々は、未だにワイドショーがお好きです。 まあ、コメット・タルホなんかは流石で、 「毎朝新聞を読むような者はダンディでない」とバッサリやっていますが… |
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03/03/15 この数年間、新聞を読んでいません。 テレビもDVD専用モニタと化していて、アンテナがありません。 ラジオはInternetRadioで音楽を聴くくらい… 全てのマスメディアから隔離された生活をしております。 オズワルド・シュペングラーの『西欧の没落』に、次のような一節があります。 新聞は今日では、注意深く組織された兵種を有し、記者を士官とし、読者を兵とする軍隊である。 この軍隊においても、他のすべての軍隊とひとしく、兵士は盲目的に服従する者である。 情報を上手く収集しながら自分の頭で整理し考える人もいるのでしょうが、私にはそんな器用さはありません。 というわけで20代にして精神的隠遁、完全な徴兵拒否を決めたのでした。 このような態度は実のところ、とんでもないドグマティズムに陥る場合が多く、たいへん危険です。 1世紀前ならいざ知らず、今日の複雑な社会状況を全て自分で検証することなどできるわけがないのですから。 しかしそれでも、情報戦争の巨大な虚偽から逃れ、自分の身の丈に合ったペースでものを考える生活を 私は今しばらく続けていきたいと思っています。 もちろんある程度まで自分の頭と精神を鍛え上げたら、健全な社会復帰を目指したいとは考えていますが… |
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03/03/13 芥川龍之介も「鼻」のような作品を書き続けることができれば 自殺なんかせずに済んだのではないでしょうか。 「長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら」生きるっていうのは なかなか難しいんですよね。 以前ある中学生から 「日本の作家はどうしてみんなナルシストなのですか?」と 不満げに尋かれ、返答に困ったことがありますが、 確かに近代日本文学はナルシズム、コンプレックス、露出狂… 下らない自我意識のかたまりなんですね。 谷崎潤一郎が言うところの「愚と云ふ貴い徳」を失わず 図太く且つしなやかに生きる智恵を身に付けたいものです。 |
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03/03/07 最近、井伏鱒二の『厄除け詩集』を読みました。 五年くらい前にも一度読んではいたのですが、当時は分からなかった魅力に改めて驚いています。 特にあの漢詩訳。 「サヨナラダケガ人生ダ」というフレーズが有名ですが、とにかく素晴らしい。 内容がどうのということではなく、まさに言葉の職人芸だと思います。 日本人はしばしば内容重視の名の下に形(表現)を軽視しますが、 やはり神経の行き届いた言葉は、読んでいて心に響きますね。 |
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03/02/08 三菱重工業の開発したロボット「wakamaru(ワカマル)」はすごいらしい。 留守番やらオーナーの健康管理やら、役立つ機能が満載だと言います。 まあ、どちらかと言えば金持ちの老人向けで、私なんかには無用の贅沢品なのだけど それでも、ちょっと興味を惹かれます。 充電まで自分で勝手にやってくれるのだから、少なくとも邪魔にはならないでしょう。 もっと普及して、捨てられる野良wakaが出てくるくらいになったら、1台拾ってこようと目論んでいます。 ところで 最近の小中学校が躍起になっている「楽しい授業」って、何かおかしい。 主体的に学ぶのは、たいへん結構。学ぶ喜びというものがあるのも、確かに事実。 ですが、日本中の小中学生が楽しく勉強するなんて必要があるのでしょうか。 奴隷制のもと貴族が学問にうつつを抜かしていた頃と今とでは、時代が違うのです。 人間はすでに多くの知識と技術を得てしまいました。 そしてそれは時に暴走し、人間を恐ろしいモンスターにしてしまいます。 これを防ぐにはどうすればよいか。 まさか、これまでに築いてきた知を全て捨てて原始に帰るわけにはいかないでしょう。 できるのは更に学ぶことで、真に文化と呼べるものを保ち続けることだけです。 ロボットだって自分で充電する時代です。 人間が自ら智慧を充電するのは、当たり前の使命なのではないでしょうか。 学ぶ楽しさよりもまず、学ぶ義務を自覚したいものです。 |
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03/01/28 引っ越したために再びADSLの適合調査を受けなければならず、現在ダイアルアップで接続中です。 ただ、私がよく見るHPはほとんどが文字ベースで、あまりイライラさせられることはありません。 おまけに使用OSは黄昏のMacOS9なので、ソフトも含めアップデートファイルをダウンロードしたりする必要も全然ない。 何だ、これだったらADSLなんて必要ないじゃないか、 と思いつつ、このHPを積極的に更新していくため、やはり常時接続環境は整えなければなりません。 ところが… 今さらながら気づきました。 接続云々に関係なく、ここ数カ月間まともに文章をアップしていないのです。 気づかぬふりをしていたことに気づいてしまった今日この頃。少しでも態度を改めることに、できるかなあ… |
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03/01/06 大学入学と同時に大阪から仙台に来て、院を修了した後もそのまま居座っています。 アパートで一人暮らしなのですが、一昨年の春、一度引っ越しました。 理由は大家さんの破産によるアパートの取り壊し。 そして今月、また急に引っ越しが決まりました。 今度の理由は、階上の住人が起こした水漏れ事故。部屋が水浸しになって、とても住み続けることはできません。 苦労して集めた足穂の本が奇跡的に無事だった(なぜか本棚のところだけ漏水がなかった)のが不幸中の幸いですが… それにしても、主体性のない引っ越しばかりです。 まあ、タダで部屋を変えて気分転換ができると思えばいいでしょう。 でも、この本の山を再び整理し直すのかと思うとああ、めまいが… |
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03/01/05 ティム・バートン監督の「Nightmare Before Christmas」はなかなか楽しい映画です。 ところでこの作品、明らかにファンタジーであるとは思いますが、それでは何がこの作品をファンタジーたらしめているのでしょうか? もちろん、ジャックをはじめ異形の者たちが歌い踊るハロウィン・タウン自体、私達にとっては幻想的な世界です。 ただし、それは飽くまでもスクリーンの外から高みの見物を決め込んでいる観客の勝手な考え。 映画の中に入り込んでしまえば、登場人物も彼らが住む町も、当り前の現実でしかありません。 この作品が真にファンタジーとなるのは、ジャックが日々の生活に倦み、クリスマス・タウンという別世界に目を向けるからでしょう。 「人生に何の興味もない時にだけ、人は童話の天文学者になります」(足穂) ジャックは人生に興味を失い、童話の天文学者、すなわち一流のファンタジストとして冒険の旅に出ます。 そして、とんでもない失敗をしながらも、大切なものを見つけて古巣ハロウィン・タウンに帰ってきました。 ハロウィン・タウンは彼にとって、もはや退屈な場所ではありません。 ファンタジー(クリスマス・タウン)は単に行きっぱなしの世界ではなく、現実を変える力を持っているのです。 この力こそが、ファンタジーの全てだと思います。 「Nightmare Before Christmas」は、ファンタジーの奇跡的な力を魅力的に描き出したメタ・ファンタジーだとも言えるでしょう。 まだ見ていないという方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。 |
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02/12/28 「旧年中は大変お世話になりました」という年賀状の決まり文句、どうも解せない。 これから新年までの数日間で、もっとお世話になるかもしれないのに 今から「大変」の一言で締めくくってしまうのは、先走りすぎではないか。 と屁理屈を並べてみましたが、結局のところ、まだ1枚も年賀状を書いていないのです。 郵便屋さん、ゴメンナサイ。今から急いで書きます。 このHPを見に来て下さった皆様にも、一年間お世話になりました。良いお年をお迎え下さい! |
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02/12/23 児童文学研究者の上田信道氏が『謎とき 名作童謡の誕生』を上梓されました。 その際、氏は自ら著書の紹介メールを文学関係HPの作者に送ったのですが、 これがスパムメールではないかと批判され、議論になってしまいました。 私も上田氏のBBS(『上田信道の児童文学ホームページ』内「雑学雑記帳」)に ちょっと書き込んだところ、えらくからまれて難渋しています。 NETの世界における不毛な言い争いは何ともみっともない。 恥ずかしい限りです。 気を付けないといけませんね。 下らないことをやっていないで、はやく『謎とき 名作童謡の誕生』を読んでみたい… |
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02/12/16 『ハリー・ポッター』や『指輪物語』のおかげで、幻想文学が大人気。 読書嫌いの子どもたちも熱心に読んでいます。 ただ、この現象ちょっと不安。 たしかに、幻想の世界は素晴らしい。 それが果敢な遠征であれ現実からの逃避であれ、人はときにファンタージェンに赴かなければならないのだと思います。 しかしながら 私達のホームグラウンドが飽くまでもこちらの世界であるということは肝に銘じておかなければいけません。 幻想世界の心地よさに酔って、帰ることを忘れた子ども(や大人)が増えている気がします。 あちらで何かを得たら、しっかりこちらに戻ってこなければ。 片道切符のあちらの世界は黄泉の国だけです。 |
