地頭という単語

 

私が合唱部で活躍していたころ、よく「地声」という単語を使いました。

有り体に言うと話し声のことなのですが、合唱ではこれはご法度です。

なぜなら目立ってしまうから。合唱は「和」が命なので、これは致命傷です。

それに地声を使うと喉が痛んでしまうんです、どうしても。

「地声」の反対語は(あまり使いませんが)「歌声」。これを使うと他人とうまく調和できます。

 

ペンキで柵とか壁とかを塗る時、或いは化粧をしたり服の合わせを考えるとき、

「下地」っていう単語がよくつかわれていますよね。

どういう意味かはもちろんご存知のはずですが、素材そのもののことです。

例えば柵だったら素材が剥き出しのところだし、化粧だったら素肌のこと。

 

このように「地」というのはどうやら「そのモノや人が生まれ持った〜」という意味があるようです。

そして、「地」というのは隠すべきであるというニュアンスも案に提示されているようです。

例えば「地声」はひとりの個性が際立ってしまうけれど「歌声」ならみんなでひとつのハーモニーだし、

「下地」だって、木目はそれぞれですがピンクに塗れば全部ピンクです。

 

じゃあ「地頭」ってなんなのか。

大概この単語を使う知り合いは、どうも悲観的な響きになってしまう。……「地頭が悪いから仕方がないのさ」とか。

今の例文でお分かりになられた通り、どうやらこれは「その人本来の知能」のことのようです。

人の頭には色々な種類があるって話はどこかでしましたが、その能力全体に差があるということでしょうね、多分。

 

どうしてこんなネガティブな話をしているのか。

さっきIntroductionを「中学生の心」でふらっと読んでたんですけど、だいぶ腹が立ったからです。

偏差値っていうのは50を基準に伸びていくもの。

偏差値60っていう数字は「あたりまえ」でもなんでもなく、むしろ標準より上を意味します。

つまり「誰でも合格」と銘打っておきながら、私は自分が標準より上だと書いているのです。

 

人を妬む心、自分を卑下する心は誰しもが飼っていると思います。

時折それが顔を出して、あからさまな憎悪に姿を変えるたり、自分自身を傷つけてしまったりするのです。

 

「偏差値60の高校に問題なく合格できるなら、歴検ぐらい当然。

だって標準より上なんだもの」と言われてしまったら、

確かにそれはもっともらしい理論に聞こえなくもないですよね。

 

よく成功する人は、成功が連続します。そして、よく失敗する人は、失敗が重なります。

私の高校受験が私自身にとって成功だったかは別として、確かに誰かの目を借りれば成功なのでしょう。

その様子を見ていると、どうにも「絶対に届かないもの」の存在を感じてしまうのです。

私もそうでした。自分がその舞台に立てるはずがないと思ったから、行きたかった高校に行けなかったんです。

 

じゃあ、「地頭」の良さ悪さってあるのかという話。そんなこと、実は私も知りません。

世の中には確かに報われない努力というものがあります。

合格点が80でA君が79点、B君が10点だったとしても、

努力したA君も何もしなかったB君も同じ「不合格」なんですから。

 

でも、それは努力しないという理由にはなりませんし、A君が劣るというわけでもありません。

上記の例では、A君は努力した分B君より69点の差をつけています。

不可能なことはないとかよく言いますが、こういうときって深く自分の無力さを感じますよね。

 

でも歴検ぐらいなら、努力でどうにでもなります。

私が言ったってあんまり信憑性がないかもしれませんが、歴検は簡単だからです。

だって、「正答を見つけて、答えて、それが基準を超えれば合格」ですから。

それに見合うだけの努力をあなたがすればいいだけの話です。

「地頭」云々っていうのはもっと世界規模で問われるべきです。

 

いやもしかしたら、C君が10分で理解したものがD君は50分かかるかもしれません。

もし何らかの試験までに覚えることが100個あるとすると、

A君は10×100ですから1000分、つまり約17時間で理解できますが、D君はその5倍かかるから大変なことになります。

 

では、これが「地頭」の違いなのか。確かに、もしかしてもしかするとそうかもしれません。

C君は類稀なる天才、D君が普通だとしたら、間違いなくC君とD君の「地頭」は違います。

でも、もしかしたら単にD君はテキストを読解する能力が低いとか、基礎知識に欠けるとか、そういうことかもしれません。

或いは自分に合う勉強法がわからないとか、忘れっぽくて30分はぼーっとしてるだけだとか。

 

それになにより、D君がたとえC君に劣るとしても、50分あれば彼も理解できるのです。

つまり、C君が1日30分(=3項目)しか勉強しないならD君は150分(=2時間半)勉強すれば追いつくし、

上記の通りもしそれが自分に合わない勉強法とかモチベーションが原因なら、速度が上がる可能性もあります。

更にD君が大器晩成型で、項目の75個目までは50分かかっても、

あとの25個目からは応用を用いて1分で済ませられるという可能性もあります。

 

え? 大した解決になってないって?

つまり、いかに時間を見つけて効率よく勉強するかってことが大事ということ。

そういう意味ならば「地頭」は鍛えられるし、歴検や高校受験ぐらいならば乗り越えられるはずです。

(これが東大の理三とかにもなるともうさっぱりわかりませんが、これも地頭だけで乗り切るのは無理だと思われます)

 

じゃあさっきぼそっと言った、「成功も失敗も連鎖する」っていう話のメカニズム。

これは簡単です。成功する人は、成功癖がついているから。

よく予復習の習慣は付けておきなさいねって先生に言われますよね?

「成功」する人は、言われなくても行動できる人です。なぜならそれが「あたりまえ」だから。

逆に腰が重いのが「失敗」する人。

 

私は歴史については才能があるとか言われたこともありますが、

模試自分に才能があるとするなら、それはきっと「好奇心」でしょう。

好奇心は私の腰を軽くしてくれます。そしてそれが、さらなる発展へとつながるのです。

そして何事も「解けると楽しい」。だから連鎖するんです。

 

この習慣は変えられます。今日までは駄目でも、明日から心がければ大丈夫。

1ヶ月も続ければ間違いなくあなたは「あたりまえ」に行動できるはずです。

例えば朝歯を磨くとか、言われなくてもやりますよね(やらない!?)。

あれといっしょです。習慣っていうのはなかなか離れないんですよ、良くも悪くも。

 

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