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旅行もあと3日となって、我々は、再び汽車で、首都ブダペストに戻って来た。
国会議事堂の前に、決して消えない炎がある。 その炎の台に刻まれた1956の数字は、ハンガリーにとっては忘れることのできない年号なのだ。 ハンガリー出発前に10月23日は祝日で、お祭りだと期待してたら、エミル君に、決して楽しい日じゃないのです、と戒められてしまった。 しかし、ハンガリーの人々の、不屈の独立心を証明し、自由のために戦った人々の功績は、悲しい出来事かもしれないが世界から賞賛されることとなった。
1956年10月23日、ソ連の抑圧に抗議して、多くのハンガリーの人々が立ち上がった。不幸にして、圧倒的な武力で鎮圧されてしまうのだが、ハンガリーが独立国家としての尊厳を示した出来事だったのです。(ハンガリー動乱)同じ国会議事堂に向かって左側に、ハンガリーの国旗が、掲げられている。私は、この国旗を見たとたん、胸が締め付けられ、息が詰まる思いがした。 国旗の中心が、丸くくり抜かれているのだ。 ソ連圏に組み込まれ、長い間、国旗の中心に、ソ連圏のマークをつけさせられていた。民主化後、そのマークを切り取って、自由の象徴として、国会議事堂前に掲げている。 世界に発信する、これほど大きく強い抗議はないだろう。 それだけ、ハンガリーの人々は、決して忘れてはいけない歴史と受け止めている。 『ハンガリー動乱』については、東西対立の中、アメリカは、スエズ問題で、ソビエトの介入を恐れ、ハンガリーを支援しないことを条件に、スエズのソビエト介入を阻止するという取引をした。そんな大国の利益のために、ハンガリーは、見捨てられ、犠牲になったのだった。 そのため、今でも、完全には、大国アメリカにこころを許してはいない人も多い。 本当の自由の大切さを実感し、何者にも迎合せず、自国の独立した考え方を確立しようとする強い国民意識は、議事堂前に堂々と旗めいていた。
1989年、ベルリンの壁が崩壊するきっかけの一つになった、ハンガリー政府のとった行動にも、ハンガリーの人々のポリシーを感じた。 東ドイツの国民が、西ドイツに亡命しようと、殺到し、同じ共産圏でありながら、ハンガリーは、その人たちを助け、ハンガリー経由で、西側諸国へ送り出したのだ。この出来事は、ハンガリーのこれまで歩んできた、苦しい、辛い経験の中から学んだ、自由と人権を大切にする意識となって、表現された。(ヨーロッパ・ピクニック作戦) ハンガリーは、今後、EUという、大きな枠の中に入っても、自国のポリシーを決して手放さないという頑固なまでの生き方をもって、ますます発展していくことを感じさせた。 (地図と国旗) 2004年10月28日 11時02分48秒 |
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ブダペストの町のあちこちに目立つのは、オープンカフェのあるレストランだ。どの店もおしゃれで、そこで食べているお客さんもおしゃれ。チャントした正装のひともいれば、ラフなカジュアルファッションの人もいて、非常にカラフルだ。 普段着のレストランなので、観光客が写真を撮るのもはばかられるほどだ。 何回かブダペストを訪れるうちに、全てのレストランを制覇したいものだ。 ![]()
あいにく、ハンガリー料理の定番のパプリカのうち、香辛料に使う輸入パプリカが、基準値以上の農薬使用のため、輸入禁止となっていた。しかも、すでに買い込んだパプリカも使用禁止となったため、パプリカを使った料理が、できなくなった。レストランで、注文しても、「それは、パプリカを使っているから出来ません。」と断られた。 どのレストランも、断りの張り紙をしていた。大打撃だろうけど、しっかり安全を守っていて、安心した。 しかし、パプリカの本場ハンガリーが、何故パプリカを輸入してるの・・・・・・・???? 2004年10月28日 13時41分29秒 |
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ハンガリーに着いて、まず驚いたことは、地下鉄などの交通機関の利用方法がわかりにくいことだった。
切符を買って、刻印を押して、そのまま列車に乗り込むシステムは、イタリアと同じだったが、まず、切符の買い方がわからない。 駅に着いて、出口で、検札を頻繁にやっている。何人もの駅員がバリケードをつくって、一人一人の切符を検査していく。なんとも不合理なシステムだ。 あんな事するなら改札を造れよ、って言いたい。我々も何回か検札に引っかかりました。 そのうち一回は、駅員とは思えない私服の刑事みたいな、おっさんに、しかも、私だけが捕まった。なんか怪しそうだ。もちろん切符をもっているので、無罪放免だったが・・・・。 後で聞いた話では、歩合制で無賃乗車を摘発する人を雇っているそうだ。ガイドブックでも、この検札にまつわるトラブル例が書いてあった。 ![]() ドナウ川の川底を地下鉄が走るため、地中深くを走っている。 したがって駅も、ずいぶん深い位置にあるので、ホームへ降りるエスカレーターは、とても長い。 最近でこそ日本でも長いエスカレーターを見るようになったけど、ブダペストの長いエスカレーターには驚いた。しかも、そのスピードたるや、速いのなんのって。乗り込むときに、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)してしまうぐらいだった。 ハンガリーの人たちは、そのスピードに慣れているけど、我々は、エスカレータに乗り込むとき緊張して、完全に『おのぼりさん』になっていた。 2004年10月28日 15時37分14秒 |
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