(ハンガリー旅日記 2004.10.28)
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このページは、首都ブダペストで、1日目(2004.10.28)の日記です。

決して忘れない、1956年
旅行もあと3日となって、我々は、再び汽車で、首都ブダペストに戻って来た。
1956年
国会議事堂の前に、決して消えない炎がある。
その炎の台に刻まれた1956の数字は、ハンガリーにとっては忘れることのできない年号なのだ。

ハンガリー出発前に10月23日は祝日で、お祭りだと期待してたら、エミル君に、決して楽しい日じゃないのです、と戒められてしまった。
しかし、ハンガリーの人々の、不屈の独立心を証明し、自由のために戦った人々の功績は、悲しい出来事かもしれないが世界から賞賛されることとなった。

議事堂前の国旗 1956年10月23日、ソ連の抑圧に抗議して、多くのハンガリーの人々が立ち上がった。不幸にして、圧倒的な武力で鎮圧されてしまうのだが、ハンガリーが独立国家としての尊厳を示した出来事だったのです。(ハンガリー動乱)

同じ国会議事堂に向かって左側に、ハンガリーの国旗が、掲げられている。私は、この国旗を見たとたん、胸が締め付けられ、息が詰まる思いがした。
国旗の中心が、丸くくり抜かれているのだ。
ソ連圏に組み込まれ、長い間、国旗の中心に、ソ連圏のマークをつけさせられていた。民主化後、そのマークを切り取って、自由の象徴として、国会議事堂前に掲げている。
世界に発信する、これほど大きく強い抗議はないだろう。
それだけ、ハンガリーの人々は、決して忘れてはいけない歴史と受け止めている。

『ハンガリー動乱』については、東西対立の中、アメリカは、スエズ問題で、ソビエトの介入を恐れ、ハンガリーを支援しないことを条件に、スエズのソビエト介入を阻止するという取引をした。そんな大国の利益のために、ハンガリーは、見捨てられ、犠牲になったのだった。

そのため、今でも、完全には、大国アメリカにこころを許してはいない人も多い。
本当の自由の大切さを実感し、何者にも迎合せず、自国の独立した考え方を確立しようとする強い国民意識は、議事堂前に堂々と旗めいていた。
記念碑にお供え
1989年、ベルリンの壁が崩壊するきっかけの一つになった、ハンガリー政府のとった行動にも、ハンガリーの人々のポリシーを感じた。
東ドイツの国民が、西ドイツに亡命しようと、殺到し、同じ共産圏でありながら、ハンガリーは、その人たちを助け、ハンガリー経由で、西側諸国へ送り出したのだ。この出来事は、ハンガリーのこれまで歩んできた、苦しい、辛い経験の中から学んだ、自由と人権を大切にする意識となって、表現された。(ヨーロッパ・ピクニック作戦)

ハンガリーは、今後、EUという、大きな枠の中に入っても、自国のポリシーを決して手放さないという頑固なまでの生き方をもって、ますます発展していくことを感じさせた。
 (地図と国旗)

2004年10月28日 11時02分48秒


2004年11月4日
【ウィーン=共同】AP通信によると、ハンガリーのジュルチャーニ首相は三日、
来年三月末までに、イラクに派遣している三百人の部隊を撤退させると述べた。


議事堂前より


議事堂前のベンチでくつろぐ人々






オープンカフェにうっとり

オーフ゜ンカフェよりオーフ゜ンカフェより ブダペストの町のあちこちに目立つのは、オープンカフェのあるレストランだ。どの店もおしゃれで、そこで食べているお客さんもおしゃれ。

チャントした正装のひともいれば、ラフなカジュアルファッションの人もいて、非常にカラフルだ。
普段着のレストランなので、観光客が写真を撮るのもはばかられるほどだ。

何回かブダペストを訪れるうちに、全てのレストランを制覇したいものだ。

*オーフ゜ンカフェよりオーフ゜ンカフェより あいにく、ハンガリー料理の定番のパプリカのうち、香辛料に使う輸入パプリカが、基準値以上の農薬使用のため、輸入禁止となっていた。しかも、すでに買い込んだパプリカも使用禁止となったため、パプリカを使った料理が、できなくなった。

レストランで、注文しても、「それは、パプリカを使っているから出来ません。」と断られた。
どのレストランも、断りの張り紙をしていた。大打撃だろうけど、しっかり安全を守っていて、安心した。

しかし、パプリカの本場ハンガリーが、何故パプリカを輸入してるの・・・・・・・????

2004年10月28日 13時41分29秒

ヴァーツィ通

ヴァーツィ通で




地下鉄のエスカレータ
ハンガリーに着いて、まず驚いたことは、地下鉄などの交通機関の利用方法がわかりにくいことだった。
切符を買って、刻印を押して、そのまま列車に乗り込むシステムは、イタリアと同じだったが、まず、切符の買い方がわからない。

駅に着いて、出口で、検札を頻繁にやっている。何人もの駅員がバリケードをつくって、一人一人の切符を検査していく。なんとも不合理なシステムだ。
あんな事するなら改札を造れよ、って言いたい。我々も何回か検札に引っかかりました。
そのうち一回は、駅員とは思えない私服の刑事みたいな、おっさんに、しかも、私だけが捕まった。なんか怪しそうだ。もちろん切符をもっているので、無罪放免だったが・・・・。

後で聞いた話では、歩合制で無賃乗車を摘発する人を雇っているそうだ。ガイドブックでも、この検札にまつわるトラブル例が書いてあった。

エスカレーター
ドナウ川の川底を地下鉄が走るため、地中深くを走っている。
したがって駅も、ずいぶん深い位置にあるので、ホームへ降りるエスカレーターは、とても長い。

最近でこそ日本でも長いエスカレーターを見るようになったけど、ブダペストの長いエスカレーターには驚いた。しかも、そのスピードたるや、速いのなんのって。乗り込むときに、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)してしまうぐらいだった。

ハンガリーの人たちは、そのスピードに慣れているけど、我々は、エスカレータに乗り込むとき緊張して、完全に『おのぼりさん』になっていた。



2004年10月28日 15時37分14秒

モスクワ広場の落書き
線路の落書き


モスクワ広場にも、落書きが・・・何故か芸術的




プダペストのアパート

ブダペストのアパート ハンガリーに着いた初日の夜、娘達が仮住まいにするアパートを訪問した。
その古さや周りの町の不気味さなど、けっこうインパクトがあった。プダペストに再び戻って、今度は、昼にもう一度、訪れた。

驚いたことに、ここは、街のどまんなか。大勢の人でごった返していたし、アパートの周りは、小型のデパートや飲食店、本屋などなど。しかも、アパートの玄関は解放され(夜はオートロックになっていた。)アパートの敷地内にABCストアーまであった。

ここをクリックするとアパートの部屋に入れます。 こうして、昼にアパートを見ると、古い創りも、なかなか味がある。ヨーロッパ映画によく登場するアパートの風景そのものだった。

この場所は、ヴァーツィ通りにも、ドナウ川にも近いし、地下鉄の駅はすぐそば、路面電車も乗れる。何よりおしゃれなレストランが並んだ通りもすぐ横なんだ。

急に、娘達がうらやましく思えてきた。


右の画像をクリックして、部屋の中を覗いてみよう!


2004年10月28日 16時01分56秒

カフェシェルボー
ジョルナイカフェ


カフェ・シェルボー(左) ・ ジョルナイ・カフェ(右) 



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