1957年、プリンス自動車から1台の車がデビューした。
「SKYLINE」
以来40数年、スカイラインは人々に愛され、注目を集め続けてきた。
それゆえに、時に厳しい意見にさらされたりもしたが、
それもスカイラインが特別な車である宿命だろう。
ここでは、このスカイラインの歴史をミニカーと共に振り返ってみたいと思う。

初代 (ALSI-1) 1957.4〜1963.9 プリンススカイライン誕生
PRINCE SKYLINE(ALSI-1型) SKYLINE SPORT (LRA-3・R21A型)
 昭和32年(1957年)4月24・25日の両日に、東京日比谷の宝塚劇場で、プリンス自動車から初代スカイライン(ALSI-1)がデビューした。1484ccのGA30型直4OHVエンジンは、最高出力60ps/4400rpmで最高速度125km/hを誇り、リア・サスペンションにはドディオン・アクスルという当時最新の技術に基づく足廻りを与えられ、すぐれたロードホールディングと乗り心地を両立させることに成功。
 昭和35年(1960年)2月には、DXに国産車初の4灯式ヘッドライトを採用、夜間高速走行時の安全面に大きく貢献した。
 昭和36年(1961年)4月にはGB-4型1900cc、91psを搭載した。
 昭和37年(1962年)4月、ミケロッティによるデザインのスカイライン・スポーツを発売。クーペ35台、コンバーチブル25台で総生産台数60台であった。


2代目(S50) 1963.9〜1968.7 羊の皮を着た狼
SKYLINE GT-B (S54B) SKYLINE GT-B Racing 1964日本GP
 昭和39年(1964年)5月3日、第2回日本グランプリに出場した「スカイラインGT」は、当時の最新鋭プロトタイプ・スポーツカー、ポルシェ904GTSと互角に戦う死闘を繰り広げた。「スカG伝説」の始まりである。
 このレースでの活躍がユーザーからのラブ・コールを生み、昭和40年(1965年)2月、2000GT(S54)として発売された(同年9月の2000GT-A登場後、2000GT-BつまりS54Bとなる)。S54Bは、ファミリーセダンの実用性を備えながら125ps/5600rpm、最高速度180km/h以上という高性能を誇る。それは正に「羊の皮を着た狼」の言葉を生むに足る市販レーシング・マシンであった。
 第3回日本グランプリから3ヵ月後の1966年8月、プリンス自動車が日産に吸収合併される。グランプリで活躍した日本初のプロトタイプ・レーシングカー、プリンスR380は、たった3ヶ月後にニッサンR380となり、S50シリーズもニッサン・スカイラインとなった。


3代目(C10) 1968.7〜1972.9 愛のスカイライン(箱スカ)
SKYLINE 2000GT-R(PGC10/前期) SKYLINE 2000GT-R(KPGC10)
 昭和43年(1968年)8月にフルモデルチェンジを受けて登場したC10型は、先代の1500cc最終モデルに搭載されたG15型(88ps/6000rpm)を搭載した1500シリーズのみ発売された。それから2ヵ月後、待望の6気筒2000cc搭載の2000GTが登場した。このエンジンはセドリックに搭載されていたL20型105psエンジンだったが、先代54Bが125psだったために更なる高出力を求める声が多く、その声に応えるべく、初代スカイラインGT-R(PGC10)が登場した。
 「羊の皮を着た狼」S54Bの血統を引き継ぐスカイライン2000GT-
R(PGC10)は昭和44年(1969年)2月にデビュー。エンジンは、レースで名声をはせたプロトタイプ・スポーツカーR380のものを一般用にデチューンした直列6気筒、DOHC24バルブの「S20型」と呼ばれるものであった。最高出力160ps/7000rpm、最高速度200km/h、0→400m加速16.1秒という数値は、セダン・タイプの車としては驚異的なものであった。GT-Rの「R」は、正にレースを意味していたのである。
 昭和45年(1970年)10月には2ドアハードトップがラインナップされ、これと共に、GT-
Rは2ドアにバトンタッチすることとなった。
 昭和44年5月3日からわずか2年10ヶ月間で、レース50勝という不滅の金字塔を打ち立てたGT-
Rの大活躍により、スカイライン伝説は不動のものとなっていった。


4代目(C110) 1972.9〜1977.8 ケンとメリーのスカイライン
SKYLINE 2000GT-R(KPGC110) SKYLINE 2000GT-R Racing
 「ケンとメリーのスカイライン」(通称・ケンメリ)は昭和47年(1972年)9月に、先代のサーフィンラインを踏襲した流麗なフォルムでデビューした。先代からより色濃く出されてきたスポーティ・ファミリーカーという性格が今回も反映され、1600、1800、2000GT、セダン、ハードトップ、バン等の幅広いバリエーションと「ケンとメリー」のロマンチックでヒューマニズムあふれるキャンペーンの展開で、若者から年配まで幅広いファンをつかんだのである。また、C110は先代と異なり、4ドア、2ドアとも同時発売となった。
 フルモデルチェンジに遅れること4ヶ月、待望のGT-Rが誕生した。しかし、これも先代とは異なりレースを強く意識したものとは言いがたく、車重は45kgも増え燃料タンクも55リットルに縮小された。折しも、高まりゆく排ガス規制の波の真っ直中に生まれた2代目GT-
Rはこれに対抗し切れず、総販売台数わずか197台にとどまり、わずか4ヶ月で、その短い生涯を終えた。
 皮肉にもケンメリスカイライン自体は、累計販売台数は歴代スカイラインの中では最高の64万台を達成するベストセラーとなり、キャンペーン用のステッカーやTシャツ、CMソングなどが流行するなど、社会現象にもなるほどであった。当然だが、累計販売台数記録は現在も破られていない。


5代目(C210) 1977.8〜1981.8 スカイライン・ジャパン
SKYLINE 2000GT-E・S(HGC211)
 昭和52年(1977年)8月、4年11ヶ月ぶりにフルモデルチェンジを受けたC210系は「日本生まれの日本の名車」であることを主張して、「スカイライン・ジャパン」という愛称を与えられて登場した。
 今回のモデルチェンジで、2000モデルは、「GT」を名のり130psの直列6気筒L20E型エンジンを搭載した。。1600、1800シリーズには新たに「ツーリング・インターナショナル」の略である「TI」というネーミングが与えられたが、伝統の丸テールは与えられなかった。また、スカイラインのアイデンティティであるサーフィンラインはC10同様、上下は交わらない形でリアフェンダーのアクセントとして残された。
 ジャパン最大の目玉であるターボモデルが登場したのは昭和55年(1980年)4月。ターボモデルには丸テールが与えられ、L20ET(直列6気筒SOHCターボ)と名付けられたこのエンジンはギャレットT03タービンを装着し、145ps/5600rpmを誇った。
 排ガス規制の中、TOYOTAセリカのCMでは「名ばかりのGTは、道を開ける」と、あまりにも屈辱的な言葉を浴びせられた悲運のモデルでもある。


6代目(R30) 1981.8〜1985.8 新 愛のスカイライン/ニューマン・スカイライン
SKYLINE 2000RS TURBO-C(DR30) SKYLINE SILHOUETTE FORMULA
 昭和56年(1981年)8月、イメージキャラクターとしてレーサーとしても名高い俳優のポール・ニューマンを起用したR30「ニューマン・スカイライン」がデビューした。箱スカからのサーフィンラインとはついに決別したものの、GT系に丸テールは継続された。
 同年10月には、排ガス規制後初のDOHCエンジン、FJ20型を搭載した2000
RSが追加された。この150psを発揮したFJは、昭和58年(1983年)2月にはターボ版が登場し、最高出力は一気に190ps/6400rpmとなり、「走りのスカイライン」を待望するファンを歓喜させた。そして、「レーシング・スポーツ」を意味するRSのターボ版の登場により、そのネーミングの約束を果たすかのように、スカイラインは国内レースに復帰し、シルエット・フォーミュラで大活躍した。
 昭和59年(1984年)1月にはインタークーラーを得て205psを発揮するに至った。
 後期型のグリルレスタイプは「鉄仮面」と呼ばれ、3本グリルの前期型と人気を二分する。


7代目(R31) 1985.8〜1989.5 7thスカイライン
CALSONIC SKYLINE GTS-R SKYLINE 2000GTS-R(HR31)
 昭和60年(1985年)8月、7代目スカイラインがデビュー。時代と環境への調和を謳い、「ソフトマシーン」とアピールされた。このシリーズでは、4WS思想による後輪操舵システムであるHICASが初めて搭載され、高速走行時の操縦安定性を高めている。しかし、ボディサイズが大きくなり、当初4ドアモデルしかラインナップされなかったため、マークUを意識しすぎた「史上最悪のスカイライン」と呼ばれてしまった。また、開発の途中で「スカイラインの生みの親」櫻井眞一郎氏が病に倒れ、主査から退いたことも原因の一端を担うことになったのかもしれない。
 この7thは、新開発の
RB20型を搭載し、210psを発揮するRB20DETを筆頭とする4種のラインナップがあった。
 昭和61年(1986年)5月、ようやく2ドアクーペが加わった。
 しかし、7thの地位を引き上げたのは、昭和62年(1987年)8月のマイナーチェンジと同時にグループAのホモロゲーション取得のために800台限定で発売された、GTS-
Rである。RB20DET-RというT04E+ステンタコで武装したこのエンジンは210psを発揮し、グループAでも大活躍し、「史上最悪」の汚名を返上した。
 これに合わせてスカイラインはツーリングカー・レース活動を本格化し、平成元年(1989年)には、'89年度のシリーズ・チャンピオンを獲得し、NewGT-
R復活の前奏曲となった。


8代目(R32) 1989.5〜1993.8 超感覚スカイライン
SKYLINE GT-R VspecU(BNR32) SKYLINE GT-R NISMO
 平成元年(1989年)5月、8代目スカイラインがデビューした。運動性能を重視しシェイプアップしたスタイリングと洗練された高性能ツインカムエンジン、新開発4輪マルチリンクサスペンションを装備する抜群のシャシー性能など、本格的スポーツセダンとして生まれ変わった。この8代目デビューとともに発表され16年ぶりの復活となったGT-Rは、FRから3ヶ月遅れて、RB26DETTという最強パワーユニットと、それが生み出すとてつもないパワーを受け止める電子制御トルクスプリット4WD「アテーサE-TS」を搭載して登場した。
 平成2年(1990年)3月、グループAに出場するべくホモロゲ・モデル「GT-
R NISMO」が限定500台発売され、あっという間に完売した。
 レース仕様では最高出力550psオーバーを誇り、国内ツーリングカーレース(グループA)完全制覇をはじめ、スパ24時間耐久レースやマカオGP、オーストラリア・バサースト1000kmレースなどで勝利を重ね、新たなスカイライン神話を築いた。


9代目(R33) 1993.8〜1998.5 スカイラインGT9
SKYLINE GT-R (BCNR33) SKYLINE GT-R LM
 卓越した走りと、意のままに操る走りの楽しさを追及した本流グランドツーリングカーとして、平成5年(1993年)8月、9代目へと変化を遂げた。先代スポーツセダンの高質な走りを正常進化させ、ゆとりと高い走行性能を兼ね備えた4ドアセダンと、走りを極めた2ドアクーペをラインナップ。全車3ナンバー化にともなって、エンジンも新開発2500ccターボも追加。リファインされた4輪マルチリンクサスペンション、電動SUPER HICAS、アクティブLSDなど、運動性能の基本である「走る、曲がる、止まる」性能をかつてないレベルで実現した。
 平成7年(1995年)1月、「究極のドライビング・プレジャー」というコンセプトのもと、3代目GT-
R(BNR32)を超えるべく満を持して4代目のGT-R(BCNR33)がデビューした。
 コピーは「マイナス21秒ロマン」。これは先代がニュルブルクリンクで打ち立てた8分20秒を7分59秒に詰めたことによるものだ。このために4代目GT-
Rはブーストを0.1上げトルクの向上を図り、またアテーサも更なる進化を遂げ、先代まで問題だったアンダー傾向を完全に打ち消すことに成功していた。


10代目(R34) 1998.5〜2002.8 THE DRIVING BODY
SKYLINE GT-R Vspec (BNR34) SKYLINE GT-R VspecUNur (BNR34)
 平成10年(1998年)5月、スカイライン伝統の「速いハコ」が戻って来た。10代目を数える区切りのモデルチェンジを飾ったのは、ホイールベースを短縮し、全長を切り詰め、NEOストレート6を搭載した新型R34だった。著しく剛性感を向上させたボディは"DRIVING BODY"と名づけられ、誰もが体験したことのないスポーツドライブの感動を4ドアセダンで提案していた。スカイラインがスカイラインらしくあるために。それも「速いハコ」と呼ばれ、愛されてきたこのクルマに相応しく。約40年の時を経てたどりついたメッセージは、純粋進化を遂げた「スカイラインの走りのDNA」そのものだった。蘇った走りとともに、ステアリングホイールのスポーク部にある「+」「−」のシフトスイッチでも変速操作できる、デュアルマチックM-ATxを採用したのもニュースとなった。
 そして平成11年(1999年)1月に5代目GT-
Rが登場する。ゲドラグ社との共同開発による6速トランスミッション、ボールベアリング式セラミックツインターボ、従来の3連メーターに代わる「マルチファンクション・ディスプレー」と言われるデジタルメーター等の最新技術や装備を惜しげもなく採用し、常に進化し続けるGT-Rにおいて最高の走りを自負するモデルとなった。
 しかし排ガス規制の波には勝てず、GT-
Rの最終形、Mspec・VspecUNurが平成14年(2002年)8月までの期間及び台数限定発売(各モデル合わせて限定1000台、専用色にミレニアムジェイド)となり、それをもってスカイラインGT-Rは生産終了となる。
 このモデルで、直列6気筒にこだわり抜いたスカイラインの歴史は幕を下ろすことになった。

※参考資料
NISSAN MUSEUM(日産公式HP)
AUTO GALLERY NET
J's Tipo No.50 1997.3
GT-
R CLUB 1997.5

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