雨の音

 鉄道写真に熱い魂を賭けている彼ら

 写真撮影には困るのだけれど、私は旅先ではどこにいても、まずそこに雨が降ることを望んでしまう。どうしてなのだろう、雨の日には正直な自分でいても許される気がしている。じっと降りしきる雨を見つめている。沈黙の後で「本当はね・・・」と誰もがおもむろに重い口を開く。ひとしきり雨が強くなり、迷い出た言葉はかき消されてしまう。すがるような言葉は要らない。こんな美しい風景の中ではなおさらのこと。受け止めることもしない。「ごめん、聞こえなかった」それでいい。

 冷たい雨の中でもカメラを構えている彼らの笑顔を見て、ますます彼らが好きになる。本当に何かを愛する魂がなかったら、人は雨の中では笑ってはいられないものなんじゃないだろうか。だから雨は残酷でもある。本当に容赦ない。油断すると、あっと言う間に苦い記憶を呼び覚ます。雨の日に、ふとそんな誰かの表情を見てしまった時、あわてて時刻表をめくったりする。 

 自分の前に広がる鉄道風景が急に鮮明になる。それはふとした不安がよぎったせいかも知れない。「この旅はいつまで続けられるのだろう?」それは、いつもおもちゃ箱の中にあったお気に入りのおもちゃが、今日に限って見つからない。そんな小さな子供のせつなさに似ている。鉄路の旅に、今までとは違う意味が見えてきたせいだろうか。いや、これまでの旅だって同じ日常が繰り返されたためしはない。いつだって、この不安はあった。そう、常に。

 夕暮れの無人駅は古い学校の木造校舎に似ている。あの喚声やざわめきは、どこへ行ってしまったのだろう。夕暮れの雨が、静かにホームに落ちる。雑踏の中の安心感とは裏腹の本当の孤独感が襲って来る。鎮守の森も暗く沈む。家々の灯りがあんなにも暖かく見える。夜間撮影は暗闇だけを見つめていればいいわけじゃない。唐突にやって来る「未来」ってやつを撮り逃がさないように、いつもカメラの準備はしておこう。そうだ、私の重いカメラでもまだ撮れるのかな・・・。

 雨の音をいつも旅の空で聴いている。彼らが鉄道の撮影をする横で、私はささやかながら「今」を生きていることを実感する。そして、足元に落ちる雫を眺めつつ、彼らに感謝している。

 純粋な魂を、ありがとう。

 私は小さな駅で降りた。ここで旅は終わる。列車は何事も無かったかのように走りつづける。それでいい。ここで見送ろう。

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