中世末期に中国から舶載されたとみられる象数易の書。1巻。本書の内題は「家伝邵康節先生心易卦数」、序文題名は「邵康節先生心易梅花数序」となっており、『梅花心易』は題箋によって定着した通称である。序文によれば、著者は中国の邵康節(1011〜1077)となっているが、新井白蛾(1715〜1792)を始めとして、偽作説を唱える者は多く、やはり邵康節に仮託したものと考えよいだろう。本書の研究としては、既に藪田曜山氏の『訳注梅花心易』(三密堂書店、昭和47年)がある。
最も古い資料としては、天正15年(1587)の写本の存在が確認されており、安土桃山時代にはすでに日本に伝えられていたようだが、明版の実物については未見である。和刻本の版本については、出版年代と書誌的特徴から、次のA〜Dに分類できると思う。
A 寛永2年(1625)版
B 寛永10年(1633)版
C 寛永20年(1643)版
D 明朝体版
AとBとでは、文字の異同が全体で14文字あるが、基本的にBはAを踏襲した上で、訓点を施したものである。ところが、A・Bの「心易占卜玄機」「占卜論理訣」「先後天論」「占卜統説」「次看剋應」「卦斷遺論」の項目が、Cでは「心易占卜玄機」「占卜統説」「次看剋應」「占卜論理訣」「先後天論」「卦断遺論」の順に変わっている。単に項目の順番が入れ替わっただけではなく、A・Bの「心易占卜玄機」途中の第16六ウラ1行目「乎且」の後から、「先後天論」途中の17丁オモテ5行目「卦斷」までの部分と、次の「兌之屬類」から17丁ウラ9行目「遅數者」までの部分とが相互に入れ替わっている。つまり、項目の途中から本文の入れ替わりがある。このBからCへの章段の入れ替わりはDにも踏襲されている。
また、A・Bの第35丁ウラには「生産占第五」があるが、Cでは生産占の前に「入学占第五」が新たに挿入され、尚且つ生産占も同じく「第五」となっている。Cを見ると、37丁目「入学占第五」が後に挿入されたものであることがはっきりとわかる。生産占はDになってから初めて「第六」に改められたようだ。
Cは万治2年(1659)、延宝8年(1680)と同版のまま出版されている。但し、延宝8年版は、既に明朝体版が出た後のものであり、本文自体の特徴はCのままでありながら、明朝体版の序文と目録だけが巻頭に挿入されているが、まだ本文に序数がないため、目録と対応していない。
Dの奥書には「舊本改細字而爲大字、点之誤者正之、畧者詳之。」とあり、AからBへの文字の変更、BからCへの章段の変更と項目の挿入の事実と合致する。Dは奥書にある通り、本文の文字が明朝体になった上に大きくなった。Cまでにはなかった特徴としては、全ての項目に1から57までの通しの序数が付され、目録が付いた点である。明朝体版としては寛文10年(1670)版が最も早いようだ。
AからB・Cへと本文の変更があった理由については明確ではないが、国立国会図書館所蔵の清鈔本とされる『邵康節先生心易卦數』を見ると、段落の問題については、A・BよりCと合致する。文字の異同についても、AよりB・Cと合致する。この鈔本については、「一字占」と「爲人占」の間に「犬尺占」「尺寸占」があり、「家宅占」と「婚姻占」の間に「屋舎占」がある。この「犬尺占」「尺寸占」「屋舎占」は、いずれも和刻本にない項目であることから、中国国内の鈔本の可能性は高いと思われる。この鈔本が明代の『梅花心易』と同じ特徴を有するとすれば、BやCはAの誤りを訂正したということになるが、清鈔本には「入学占」の項目はない。また、項目に序数もなく、項目の立て方も異なるなど、いずれの和刻本とも合致しない点がある。こうしたことから、Aの誤りを訂正する段階で、B・C・Dにはそれぞれ日本国内独自の編集が行われたと考えられる。
本書を易占の吉凶判断に用いる場合、最も重要なのは「八卦万物類占」という13丁に及ぶ部分と考えられる。これは八卦の象徴物を天時・地理・人物・人事・身体・時序・動物・静物・屋舎・家宅・婚姻・飲食・生産・求名・交易・求利・謀望・出行・謁見・疾病・官訟・墳墓・姓名・数目・方道・五色・五味の項目毎に列挙したものである。梅花心易の占法は普通「年月日ノ総数ヲ合シテ八払シテ残ル所ノ乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八ニテ上卦ヲ作リ、上ノ年月日ニ時ノ数ヲ加ヘテ下卦ヲ作ル」とされている。しかし「八卦万物類占」で象徴物を見るだけならば、上卦と下卦の両方を求める必要はなく、上卦のみで済ませてしまうことができる。
本書は、本文が漢文体であること、また「体」「用」といった抽象的な概念が述べられていることなどから、占いのテキストとしてそのまま用いるには不都合が多かったと見られる。そうした中で、従来のテキストの不要な部分を割愛し、読み易いかな交じりで書かれたものが現れた。それが延宝8年(1680)の大田平右衛門版『梅花心易明鑑』である。『梅花心易明鑑』は紀州の小泉松卓(伝記未詳)によって考案されたとされる。乾・坤2冊によって構成され、乾巻が早見表、坤巻が占法解説と「八卦万物類占」となっているが、多くの紙数を割いた部分はやはり「八卦万物類占」である。『梅花心易明鑑』乾巻の早見表では、「其年子年ナレバ一年十二ヶ月ノ間ハ子ノ字ノ下ヲ見ル」とあるように、計算を省略した十二支の表形式にしている。しかしながら、この早見表も難解で、坤巻の説明がなければ全く使い方がわからず、結局吉凶の判断はどこにも示されていないのである。梅花心易をより便利な占法にしようとした意図があったのだろうが、結局、人々の支持を得られないまま忘れられて行ったようだ。
上記のDの形式の版本は『梅花心易』のテキストの完成形として江戸時代の中期頃まで出版され続けたと見られる。その中でも重要な要素である象徴物の一覧のみが、1750年代以降の小本の易占書に継承されたことにより『梅花心易』の隆盛は事実上終わったと考えて良いだろう。
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