江戸時代の最初の医易の書物。1巻。内題は「医道便易和解」。明和7年(1770)の序があるが、実際の出版は増補版になってからと見られる。1770年の版本が最初の医易の書物であることは、意外に遅いという印象を受けるであろう。確かにこれまでにも部分的に疾病を占う内容が含まれているものはあった。しかし、全編にわたって疾病占のみを扱う易占の書は本書以前にはなかったのである。
著者の平澤随貞は自ら著作することはなく、初期の著作の多くは「平澤随貞口述」とあり、実際には門人の松宮観山によって著されたものと考えられるから、おそらく本書の企画、構成等についても観山の才腕がなければ成立し得なかったものであろう。ただし、随貞が確かに医術に通じていたということは、本書「附言十四則」末尾に9個の病占に関する言が収められていることからうかがえる。
随貞と観山の邂逅は宝暦年間の少し前と考えられる。宝暦5年(1755)頃の著作目録に「医道便易 刻未成 上下二巻」とあるから、随貞と観山が出会って間もなく、観山が随貞の断片的な医術の知識を基にして「医道便易和解」として著したものと見られる。その後、後継者の平澤左仲(随龍)による増補版「増補医道便易」が明和7年(1770)に出来、更に文化14年(1817)に陰陽頭・安倍晴親(1787〜1842)に見出されて「増補医道便易大成」として本格的な出版に至ったと見られる。
本書は平澤流の特徴である上卦優先の64卦の配列であり、各卦には「六龍御天卦、廣大包容象」(乾卦)といった断易書の影響が見られる。一変爻を前提としており、各卦には2例ずつ病占の具体例を示しているが、男女の別、年齢が記されており、江戸初期から伝わる「八卦」の占法の影響が残っていることがわかる。
巻頭「八卦伝」には、乾金肺白・兌金肺白・離火心赤・震木肝青・巽木肝青・坎水腎黒・艮土脾黄・坤土脾黄とあり、五行と内臓の関係が示されている。しかし、乾金肺白には「気鬱、頭をもく、眩暈、病凝結、動気あり。熱の往来、腹の内不和、積聚あり。腫満の意。腎経に濕熱あり。」とあって、肺に言及しているわけではない。乾卦にも「気鬱寒熱の往来、頭重く積気動気あり。治がたし。」とあるだけである。本書については、「爻」の位置が問題にされているのだと考えられる。すなわち「病応爻位図」に、初爻(足拇)、二爻(腓肚)、三爻(腰股)、四爻(腹五臓)、五爻(胸脊手)、上爻(頭面耳目)とあるように6爻の位置によって患部を特定するのである。だから各卦に変爻の例が示されているのである。本書では、ふたつの変爻しか示されていないが、後の井上鶴州『古易占病軌範』(1816年)、釈便道『古易察病伝』(1843年)では、6つの変爻を全て示す構成になっており、1変爻を生じる占法が前提となることは、本書より始まったものと見て良いだろう。
疾病占については、既に甲骨文にも見えている。また、『周易』説卦伝にも、八純卦の象徴物として、乾(首)・兌(口)・離(目)・震(足)・巽(股)・坎(耳)・艮(手)・坤(腹)とあって、患部を示唆するものと解釈することも可能である。しかし、逸象まで含めてみても内臓等の罹患部位まで示したものは見当たらない。つまり「卦」の範疇では、これ以上詳しい疾病占は成り立たず、従って『易経』と江戸後期の疾病占とは直結していないと見てよいだろう。
一方、京房易の系統では、六神五類の中で、病を司る「官鬼」の「爻」の位置によって罹患部を示す方法が創始されている。すなわち、大徳11年(1307)写本『大易断例卜筮元亀』(京都大学)疾病門「占病在何処章第二」には、「六頭・五心・四脇・三腹腰・二腿股・初足」とあり、「(官)鬼初爻に在れば両足傷む。二爻は双腿患ひ常に非ず。三爻は腰背常に軽軟。四爻は心腹及び肚腸。五爻は腎臓多くは気張る。六爻は頭上患ひて殃と為す。」とある。
このように、易に於ける疾病占は、6爻に人体を配した京房易系統の断易にその端緒を見出すことが出来るのではないかと考えられる。しかし、本書の内容は京大本『卜筮元亀』のように患部を占うのみにとどまらず、もっと専門的な医療知識が盛り込まれている。
ここで、万暦25年(1597)の12『断易天機』乾卦「疾病」を見てみると、「寒熱頭痛身熱心寒」といった語があり、本書への影響がうかがえるのである。12『断易天機』の占いの項目の中では「疾病」の字数が各卦とも最も多くなっており、明らかに「疾病」に重点が置かれていることがわかる。現在の所『断易天機』以前の疾病占は未見であり、明版断易書の典拠については今後の研究を俟たねばならない。しかし、本書の附言十四則の四に「天医の書たるは上は素・難を始めとし、下は諸雑書に至るまで汗牛充棟、其の多きに堪えず。」とあるように、本書については『黄帝内経素問』『難経』といった中国の医書を踏まえていると考えられる。おそらく附言十四則も松宮観山によって記されたものであるから、観山が医書を参考にして断易の64卦の内容に手を加え、1変爻で患部を占う本書の基本形式を完成させたと見て良いだろう。
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