清代前期に成立した非常に実用的な内容の断易の書。6巻。
著者の野鶴老人の「野鶴」とは、隠者が世俗から離れ超然と生きる譬えに用いられる語である。著者について、「野鶴」という号を持つ清代の実在の人物に当て嵌める新しい試みが行われているが、前述のように「野鶴」は一般的な熟語として用いられていたようなので「野鶴」と「野鶴老人」が必ずしも一致するとは言えないであろう。対話形式の構成や内容から見ると、あるいは架空に設定された人物という可能性もあるかもしれない。
成立についても諸説あるようだが、康煕48年(1709)の15『卜筮正宗』の序文中に「増刪卜易」の書名が見えることから、これ以前の成立であることは確実であるが、年号の明確な刊記や序文などは現在まで未見であり、初版の時期については明確にできない。内閣文庫には、乾隆50年(1785)の『重鐫増刪卜易』が所蔵されている。
巻頭には「野鶴鶴(ママ)老人著、楚江李坦我平鍳定、湖南李文輝刪」とある。李文輝については、別の箇所で「覚子増刪」とあるので、最終的な体裁を整えたのは李文輝(覚子)と考えて良いだろう。おそらく最初に野鶴老人の原著があり、その後に李我平と李文輝の手が加えられていると考えられるが、特に巻4以降に「覚子(李文輝)曰く」の記述が多くなる点から見て、4〜6巻の本文内容には李文輝が大きく関与していると見て良い。
本文は「友曰く、…。野鶴曰く、…。」「或るひと問ひて曰く、…。予曰く、…。」といったように、占法理論のテーマ毎に、ある人物と野鶴老人の問答形式で進められていく。また、項目によっては注釈として「李我平曰く」「覚子(李文輝)曰く」となっている部分があるが、版本の段落が不明確な所があり、「曰く」の主語が特定できない個所も認められる。
本書の特徴は、断易の理論を説くことよりも、実践的な占いの用途に資することを目指したものであるという点である。特に巻頭の「八卦全図」は、八宮のそれぞれについて、全ての爻の納甲・五行・六親・世応等を記した一覧表であり、初学の者はこの図を参照すればよいという注釈の通り、相生相尅を用いる断易の占法にとって、これ以上便利な一覧表はないだろう。明代の12『断易天機』ではいちいち64卦の各卦を捲らなければならなかったが、その手間が大幅に省けることになったわけである。
もう一つの特徴は、具体的な占例の豊富さにある。それは例えば「巳の月、壬子の日、郷試の可なるかを占う」のようなものである。結果については、「断曰く…」と記している。こうしたものは12『断易天機』にも十数例見られたが、格段に多くの占例が収められている。王洪緒の15『卜筮正宗』に於いては更に多くの例を収めているが、こうした形式は本書に倣ったものと考えられ、その影響の大きさががうかがえる。
全6巻の内、第3巻の内容は「増刪黄金策千金賦章三十四、天時章三十五」となっており、「黄金策千金賦」に大きく紙数を割いていることがわかる。この点、15『卜筮正宗』もやはり本書に倣い、「黄金策」全文を引用しており、清代断易書の大きな特徴となっている。「黄金策」というのは明の『卜筮全書』巻八に収める「黄金策一、総断千金賦」を指すものであり、六親五類(父母・子孫・妻財・官鬼・兄弟)を用いた占法の応用的な例外措置の解説と言えるものである。
本書の巻3には「李我平曰く、黄金策千金賦は乃ち誠意先生(劉伯温)の著す所なり。」とある。明代初期の人物である劉伯温に仮託されたものであると考えると、こうした理論の考案が元から明代の頃に盛んになったのではないかと推定される。
断易理論の中でも、特に六親を用いた占法は、明代の早い時期からよく練られ、明代の末には非常に複雑な内容にまで到達していたと考えられる。初期の断易のテキストの成立から清代の断易の完成までは400年近くが経過していると考えられる。断易には幾つかの理論・占法が存在するが、それらは同時期に成立・展開したのではなく、それぞれが異なった時期の成立であったり、あるいは盛衰があったりしたと考える方が良いだろう。
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