明代の中国で流行した断易の代表的な書。六巻。断易という占いの概念の中心となるのは、京房易の理論である世応・飛伏の五行生尅、あるいは六親の五行生尅といった五行理論による吉凶判断である。版本の巻頭を占めるこの理論部分は、清代の断易書にも発展的に継承されている。
本書は、江戸時代に和刻本として出版された唯一の断易の版本である。明版は東京大学東洋文化研究所、名古屋市蓬左文庫、京都大学文学部図書館に所蔵されている。本書の内題は『新鍥纂集諸家全書大成断易天機』となっており、『断易天機』は柱書きによる通称である。巻頭には「豫錦城 徐紹錦校正/閩書林 鄭雲齋梓行」とある。第6巻末葉ウラに蓮牌木記「萬暦丁酉年仲春月/書林鄭氏雲齋繍梓」とあるので、万暦25年(1597)に現在の福建省で出版された所謂「閩版」と呼ばれる版本群の中のひとつである。全体の構成(諸知識部分・六十四卦部分・先行書引用部分)や内容が類似する明版の断易書として、
『新刻元亀会解断易神書』3巻 万暦「重光歳(1581か)」(内閣文庫)
『新刻筮林總括断易心鏡大成』3巻 万暦35年(1607)(蓬左文庫)
『鼎鍥卜筮啓蒙便読断通玄断易大全』3巻 万暦44年(1616)序(内閣文庫)
の3書が現存するが、和刻本として出版されたのは本書だけである。但し、本書は他の断易書より余白が多く、巻数が倍になっている。和刻本である正保2年(1645)の藤田長吉版は、封面や蓮牌木記を含め、明版を忠実に版刻している。現存する版本資料では、尊経閣文庫本の刊記が完全な形を残している。それ以後は刊記の一部が削られた版本が多いが、藤田長吉以外の書林名のあるものや、正保2年以降の刊行年のあるものは未見である。
和刻本には嘉靖19年(1540)の「断易大成序」という序文がある。この序文の記述により国内では本書の著者は「劉世傑」であり、『断易大成』と『断易天機』は同本であると認識されているようだ。しかし、明版である東文研本、蓬左本に序文はなく、京大本は手書きの序が挿入されているのみで、明確に序文が付いた資料は確認されていない。
『明代版刻図釈』(1998年)第4冊には、嘉靖版として『断易大成』を収めるが、升卦「觧曰」注の「乃無瑕庇」、澤卦「評曰」の「忻匕」、「觧曰」注の「乃歩蟾宮之兆」の部分は、明版『断易天機』では「乃無瑕疵」「忻将」「乃歩蟾宮之兆也」と両者の間には異同が認められる。一方、『断易大成』の表記は『断易神書』『断易心鏡』『通玄断易』と合致し、本文の異同の特徴からしても『断易大成』と『断易天機』が同本とは考えにくい。つまり、和刻本『断易天機』に、別本の『断易大成』の序が流用された可能性が高く、『断易天機』の著者は「劉世傑」ではないと考えるべきである。
『断易天機』の巻1、2は「六神」や「納甲図」といった断易の諸知識の部分、巻3、4が64卦部分、巻5、6は各種占の先行書からの引用部分となっている。巻1、2の内容は、元・明版『事林広記』に同様の記述が見える。さらに、巻3、4の形式・内容には、『卜筮元亀』中・下巻(蓬左文庫)、『火珠林』(蓬左文庫)と共通する要素があり、また、巻5、6の中の引用文について、『卜筮元亀』上巻(京都大学)、『火珠林』(蓬左)に該当箇所を見出すことができる。『断易天機』のテキストの成立には、こうした諸本からの引用の可能性が高いと考えられる。
さて、本書の各巻の中で、江戸時代の易占書に決定的な影響を与えたのが、巻3、4の64卦部分である。64卦の順は『京氏易伝』の「八宮」の考え方に倣っている。64卦の各卦には寓意的な挿絵があり、視覚的な効果を狙っている。また中国の伝説上の人物や著名人の逸話、『卜筮全書』巻2からの引用と見られる「六龍御天之課、廣大包容之象」(乾卦)の語などがある。6爻にも「平」「吉」「大吉」など簡単な吉凶が付してある。こうした巻3、4の特徴は、日本の易占書にしばしば模倣・引用されている。しかし、最も重要なのは、占天時・交易・風水・求財・家宅・婚姻・六甲・望事・行人・遺失・捕盗・田蚕・尋人・求官・見貴・疾病・詞訟の「即時占」(「即時の占」とも)の項目がある点である。『周易』では、時には抽象的な本文の語句から占いたい内容を連想し、吉凶を判断しなければならない。これにはある程度の熟練が必要とされる。しかし、断易のテキストには占いたい内容の項目が設定されており、具体性のある吉凶が示されている。また、擲銭(銭投げ)というゲーム性のある占法も、特別な訓練を必要とせず、その手軽さが受けて人気を博したと言えよう。
断易テキストによれば、擲銭には三枚の貨幣を用いる。字面が裏、無地が表である。そして表を陰、裏を陽とする。同時に投げて、二枚が表(無地)で一枚が裏(字面)なら陰爻、二枚が裏(字面)で一枚が表(無地)なら陽爻である。しかし、三枚とも表(無地)なら陽(老陽で陰へ)、三枚とも裏(字面)なら陰(老陰で陽へ)となる。三枚投げて一爻を得るから、これを六回繰り返して六爻を完成させるという手順になる。これが江戸時代になると、さらに簡単になって来る。馬場信武(生没年未詳)によって六枚の貨幣を一枚ずつ投げて、一気に六爻を完成させてしまう方法が考案されるのである。この方法は六本の算木を直接投げて吉凶を占う方法と類似しており、同様の発想の中から生じたものであろう。筮竹が占具として普及するまで、擲銭は一般的な易の占法だったと考えられる。
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