20『卜筮元亀鈔』著者不明
   

 

    明代の中国から断易のテキストが舶載された後、日本人の手によって最初に著された断易の注釈書。 4巻。寛文6年(1666)の書肆・田原仁左衛門版、正徳四年(1714)の伊勢屋正三郎版がある(国会図書館)。本書は漢字・かな交じりの断易の書としては最初のものであるが、全文が「〜ゾ」体で書かれており、全体の構成は12『断易天機』を始めとする明版の断易書とは全く異なっている。まず、最初にあるべき断易の諸知識部分がなく、最後にあるべき先行書の引用部分もない。残りの64卦部分の記述の一部(伝説上の人物の逸話)が合致するのみである。その64卦部分にも挿絵やその解釈といった断易書の大きな特徴となるものは割愛されている。
 巻頭では古来よりの易の由来を述べ、次いで64卦の各卦爻の解釈を述べるといった構成である。馬場信武の『初学擲銭鈔』(1702年)が明らかに断易書の構成に忠実なものを意図していることと比較すると、『卜筮元亀鈔』の方はもう少し別な要素を取り込もうとしたものであることがわかる。
 そのひとつが『卜筮元亀鈔』に、断易の写本(室町時代末期とされる)である『易鑑明断』(蓬左文庫)の各卦に見える「○○課」という語句と合致する部分がある点である。この部分は『卜筮元亀鈔』では「後ノ課」と呼ばれ、江戸時代の八卦占の書物にもしばしば引用されているが、『易鑑明断』『卜筮元亀鈔』よりも早い記述はないようだ。但し、これは明版断易書の各卦に見える「○○課、○○象」の「課」の部分とは別の語句である。もともと、断易書でもこの「課」の部分がどのように吉凶判断に用いるのかは記されていない。
 ところが、本書では、初めて断易書の「課」の部分を、1歳から20歳までの運勢とし、「後ノ課」の部分は21歳から40歳までの運勢を示すものだという考え方を示したのである。40歳以降の扱いについてはやや曖昧な点もあるが、当時、20歳まで、40歳まで、それ以降という人生の三段階の吉凶を断易書の語句で占うという占法があったようだ。この占法は、八卦抄の版本の頭注部分に取り入れられており、版本が流布していた江戸時代の中期頃までは行われていたと考えられるが、その後は途絶えてしまったようだ。  本書の「後ノ課」と『易鑑明断』の「課」とでは六十四卦の対応が合致しない箇所が三つあるが他に類似する資料は未見である。後世に引用された文面は『易鑑明断』とは合致しないことから、この部分についての引用は本書からのものだと考えられる。本書は各爻に「吉」「凶」といった簡単な吉凶を記しているが、「即時占」の項目は設けておらず、占法としての擲錢の記述といったものもない。本書はあくまで断易書の文面の解釈を中心としたものであり、吉凶判断の実用に用いる目的で著されたものではないと言えるだろう。しかし、本書に引用された記述の中に、江戸時代初期の易の概念や用語といったものを認めることができる。特に、同時代の八卦占法の書物と共通する内容を含んでいることから、相互に影響を与えあっていたと見て良い。
 本書は名古屋市蓬左文庫蔵本『大易断例卜筮元亀』(駿河御譲本)と同じ名称であるが、本文を比較すると全く別の書物であることがわかる。蓬左本『卜筮元亀』は中・下巻部分のみの写しであるが、京都大学には『大易断例卜筮元亀』上巻部分の写本が所蔵されており、現在web上で閲覧が可能である。一冊目巻頭には、「建安粛吉文撰集」とあり、序文の最後に「大徳十一年(1307)夏丑、平水進徳斎為之記」とある。この京大本と蓬左本を合わせて、完本となると考えて良いと思う。明版の断易書『断易天機』の最後の部分には、先行する諸書の章句が引用されているが、「卜筮元亀曰」とある引用は、確かに京大本の本文と合致する。すなわち京大本は、1589年の12『断易天機』以前に成立していた早期の断易テキストと見ることができる。
     これまで蓬左本『卜筮元亀』と版本の『卜筮元亀鈔』が内容の一致が見られないにも関わらず、同じ名称であることが疑問であり、蓬左本に欠けている上巻の部分と一致するのだろうと考えていたが、新たに京大本を閲する限り、『卜筮元亀鈔』の著者は『卜筮元亀』のテキストを直接見ずに書名を借用した可能性が高いと思われる。
 馬場信武の『梅花心易掌中指南』(1697)に「卜筮元亀曰」とある引用の本文が、実は本書からの引用であることからわかるように、すでに1700年頃には「卜筮元亀」と言えば『卜筮元亀鈔』を指すことになっていたと見られる。

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