7『八卦本』著者不明
    

 

 江戸時代の初期に流行した「八卦(はっけ)」の初期の折本形式のテキスト。折本一帖。八卦の占法は、「易」としての性格を帯びたものであるが、『周易』に基づく狭義の易というジャンルでは捉えきれない数字や図表を用いた様々な占いを取り込んだものである。
 『八卦本』という名称は、題箋や内題によるものではなく、版本奥書部分の「右八卦本」「此八卦本」という二箇所の記述に由来するものである。国立国会図書館新城文庫の目録では、折本の刊本資料を『八卦本』とし、資料群の全体を「八卦」と総称している。本稿はこれに倣った。
 八卦占は仏教の色彩が濃い占いと言える。これは、『古今八卦大全』(1671年)に「予苟モ此道ニ心ヲ移シ、易經、真言天台兩家ノ八卦、並ニ天文一流ヲ相傳シ、善カラザルモノヲハ正シ、繁キモノヲハ艾略セルヲ詳ラカニシ、今新ニ諸流ノ秘要ヲアツメテ左ニアラワシ演説スルモノ也。」とあるように、真言宗や天台宗の僧侶が成立に深く関わり、占いの担い手になっていたからである。
 また、中国・唐代の僧侶で、『開元大衍暦』の著者である一行禅師が八卦占の基礎理論を構築したとされるが、これは一行の名に仮託されたものであろう。現在確認できる『八卦本』のテキストの系統は、慶長版と寛永版の二種類である。慶長版は、東洋文庫所蔵本がこれにあたる。書名は表紙に『八卦圖會』と墨書されている。刊記は「于時慶長拾六辛亥年林鐘吉日」、すなわち1611年の刊である。巻頭に「一行御作」とあり、既に一行禅師の作ったものと考えられていたことがわかる。続いて、折本形式の所謂『八卦本』に共通する特徴である「陰陽八卦之法…」で始まる序文がある。以下に、「鬼谷先生六十圖」「九曜星繰圖」「借途法圖」「八卦六十四卦圖」「十二運」と続き、「八卦本尊」までの内容となっている。ここまでが、最初の『八卦本』の構成だったと考えられる。
 次の寛永版が流布本であり、東北大学付属圖書館狩野文庫所蔵の『陰陽八卦之法』が最も古いようだ。貼題箋に墨書きで「陰陽八卦之法」とある。書名は序文の最初の語句「陰陽八卦之法」による。刊記「寛永五戊辰三月二十一日/此八卦本五条通松屋町新梓有之」、つまり1628年刊である。但し、狩野文庫本は、序文の所に欠丁がある。国会圖書館新城文庫蔵本の寛永17年(1640)版『八卦本』は、狩野文庫本と同形式の完本である。新城文庫には、寛永17年版の他に、宝永5年(1708)版と無刊記本7帖が所蔵されているが、いずれも寛永版の特徴を備えたものである。
東洋文庫本『八卦圖會』と寛永版とは、「八卦本尊」までは共通の内容である。しかし、その後に、四季皇帝占・推十二命人形伏之例・人所属骨格之相・八相神方・金神七殺方・大将軍遊行方・土公出入居坐事・歳徳神方・五姓家作可擇之事・屋敷二十二相・失地判形事・八神吉凶・龍伏次第・時五掟事・五離日・五合日・二十八宿三百六十宿・二十八宿目途事、の部分が増補されている。増補された「四季皇帝占」「推十二命人形伏之例」「人所属骨格之相」の三種は、中国の『演禽斗数三世相書』の「四季皇帝占」「人所属骨格之相」「推十二命人形伏之例」から引用されたものと考えられる。『演禽斗数三世相書』は一行の著作とされており、八卦占が一行作とされるのは、こうした影響関係があるからであろう。
 八卦占の占法に欠かせないもののひとつに上元・中元・下元という生年を区切る考えがあるが、『演禽斗数三世相書』には「三元男女生命」という項目がある。また、八卦占の「八ツノ文字」のもとになったと見られる「生気・天医・絶体・游魂・五鬼・福徳・絶命・帰魂」の語を見出すことができる。しかし、厳密には「八ツノ文字」の用語とは異なっており、八卦占特有の数字を用いた具体的な占法も見出せない。こうしたことから、八卦占法は『演禽斗数三世相書』等の要素を取り入れた後、日本国内で独自の発達を遂げ、慶長版という初期の八卦本にまとめられたと考えられる。
 この第一段階の慶長版の後、さらに『演禽斗数三世相書』から「四季皇帝占」のような直接的な引用が行われ、同時に『拾芥抄』といった先行書物の中から陰陽道の色彩の濃い占法が引用されて寛永版が成立した可能性が高いと思う。『八卦本』の解説書としての役割から生まれた「八卦○○抄」(以下「八卦抄」と略す)という名称の資料群は、内容的に慶長版とは合致するが、寛永版の増補部分とは殆ど合致しない。勿論、時代を経るに従って増補部分も「八卦抄」に混入してくるが、本来の八卦占法とは、慶長版『八卦本』の「借途法」と「九曜星繰」程度だったと考えて良いだろう。
さて、『八卦本』の中に見られる考え方の中で、江戸時代の易占に大きな影響を与えたものは、以下の64卦の分類である。これは「八卦六十四卦図」という8面の図表となっている。

(離中断)離・晉・睽・大有・未済・旅・噬嗑・鼎(上卦は陽陰陽)
(坤皆断)坤・臨・泰・師・謙・復・升・明夷  ( 〃 陰陰陰)
(兌上断)兌・夬・困・咸・随・大過・革・萃  ( 〃 陰陽陽)
(乾皆連)乾・訟・遯・无妄・姤・同人・否・履 ( 〃 陽陽陽)
(坎中連)坎・蹇・屯・井・既済・比・節・需  ( 〃 陰陽陰)
(艮上連)艮・頤・蠱・賁・剥・大畜・損・蒙  ( 〃 陽陰陰)
(震下連)震・恆・豊・豫・帰妹・大壮・解・小過( 〃 陰陰陽)
(巽下断)巽・家人・観・中孚・小畜・渙・漸・益( 〃 陽陽陰)

 ここでは便宜上、『周易』の卦名を示したが、八卦では本来、各卦に名称があるわけではない。例えば、「晉」は、「離中之坤」と示されている。こうした合理的な考え方は、4『京氏易伝』の「八宮」をさらに徹底させたようなものだが、明代までの中国に果たしてこのような考え方があったのかどうか、現在の所、明らかではない。いずれにしても、このように共通な上卦毎に揃えてしまうというのは、いかにも実践的で、職業的な易占の合理性から生まれた考え方ではないだろうか。
 本書には「八卦六十四卦図」「九曜星繰図」「十二運図」といった図表のみが掲載されていて、吉凶の結果は述べられていない。従って、実際に『八卦本』を運用するには専門知識を備えていなければならない。当時、吉凶の判断は「秘伝」であり、「口伝」あるいは写本の「聞書」(琴堂文庫蔵、国文学研究資料館にマイクロフィルム有)の形でしか伝わらなかった。1650年代以降、これが「八卦抄」として出版され、八卦占が一般にも広く知られるようになったようだ。ただし、「八卦抄」が出版された後も既述のように『八卦本』の出版は続いており、職業的な専門家の需要もあったと見られる。

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