江戸時代の八卦占法に関する書物の中では最大の書。『八卦決定集』とも称される。10巻。最初の版は、元禄10年(1697)に書肆の中野九兵衛・錢屋庄兵衛の元から出版された。著者の憲榮(智藏院)は天台宗の僧侶である。八卦の占法理論は、主として天台宗・真言宗の僧侶によって中世末期までに完成されたものと考えられる。
先行する8『八卦秘伝抄』『古今八卦大全』と同様に64卦を離中断・坤皆断・兌上断・乾皆連・坎中連・艮上連・震下連・巽下断という上卦毎にまとめ、「借途法」によって吉凶を判断する形式になっている。上卦と下卦を全て対応させているため巻数が増えることになるが、更に本書の場合、64卦のそれぞれに官禄占・疾病占・夫妻占・眷属占・下人占・住所占・庫蔵占・壽命占・怨敵占・見物占・聞事占・得物占・縁辺占・公事沙汰占・訴訟侘言・待人占・胎内待人・奉公人有付吉凶占・恠占・失物占・走人占・願占・行方占・商占、と多くの占いの項目があるのが特徴である。
例えば8『八卦秘伝抄』では、占いの項目は待人・病・失物の三つしかなかった。その後に流布した他の八卦抄類でも、見物、聞事、得物、待人、恠事、失物、願、行先、沙汰侘言、夢、病、といった程度であるから、本書の24個という項目数は他に例を見ない数の多さであることがわかるであろう。
本書の末尾には、それまでの八卦の版本には収められていなかった内容のものがある。それは折本の「八卦本」の後半部分に含まれる金神等の陰陽道的な性格を持った占法である。八卦本は段階的に内容が加えられ、本来の八卦占法以外のものも混入されていると考えられる。初期の八卦抄の諸版本では、その部分が割愛されていた。該書はこれを八卦の領域として扱っているが、八卦の版本としてはむしろ例外的な措置である。
八卦の占法では、年齢から上卦に相当する「当卦」を割り出した後、占う内容に付せられた数字と、時刻や方角に付せられた数字を合計し、4で割った残数を求め、下卦に相当する遊年・遊魂・天医・絶命・絶体・禍害・生家・福徳の「八つの文字」を当て嵌めなければならない。多くの手順を必要とする複雑な占法である。まして、該書のように占いの項目数が多ければ、その項目によって対応する数字も変わるから、複数の吉凶判断を行おうとすると様々な頁を繰る必要が生じることになる。
1650年代初めに成立した八卦抄は次々に新機軸を打ち出して多彩な著作が生まれ、多くの購読層を獲得したものと見られる。しかし、1700年頃には煩雑な数字操作が徐々に敬遠され、既に衰退の兆しが見え始めていた。代って主流となるのは、生まれ年の干支をそのまま八卦に当てて済ませてしまう簡略な方法である。こうした簡略な占法を収めた9『新撰陰陽八卦并抄』系統の軽量な1冊本が主流となる時期に於いて、本書は明らかに時代に逆行した内容の書物と言ってよい。
確かに八卦抄類の決定版として企画されたものではあったが、やはり厚くて不評だったと見え、その後、同様の性格を持つ書物が新たに著されることはなかった。さらに、1750年代以降の16『日月卦伝鈔』、18『易学小筌』といった小本の易占書の出現によって、八卦占法そのものが、ほぼその役割を終えたと考えて良いだろう。
現代の古書店の店頭や販売目録には、しばしば青木嵩山堂版の『八卦目録決定集』を見かける。これは幕末から近代初頭の版本であり、世情不安に伴う占いの流行に乗じて大量に出版されたものと見られる。元禄時代の版本に較べて紙質も厚くなり、10冊揃いの非常に立派な版本に仕上がっている。しかし、八卦占法の全盛期から150年以上経っている上、八卦の版本の中でも最も複雑な内容であるにも拘わらず、具体的な占法の手順にはむしろ淡白な本書を、自在に使いこなせる近代人がどれほどいたのかは疑問である。
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