江戸時代に流行した八卦占法に関する書物の中で、最も多く流布した系統の書。2巻。八卦占法の具体的な方法をわかりやすいかな書きで著した最初期の書物である。完本としては寛文7年(1667)の国会図書館蔵本があるが、増補版である『増補新撰陰陽八卦抄』(国会)がすでに寛文5年(1665)に出版されているので、最初の版の本文成立はもう少し早い可能性がある。また、「弘法大師四目録占」という一覧表形式の便利な占法を収めた最初の版本でもある。
後の元禄3年(1690)に大坂の書肆・森田庄太郎によって出版された『大増益頭書新撰陰陽八卦鈔』(拙蔵)は、『増補新撰陰陽八卦抄』に頭書部分が付いた形式であるが、これは最も多く流布した八卦占法の版本であり、類似した形式の版本も非常に多く著されている。この隆盛期は1740年代まで続くが、1750年代の16『日月卦伝鈔』、17『卜筮盲筇』の出版とともに衰退することになる。
簡単な図表のみを収める折本の7『八卦本』の後、具体的な占法や吉凶判断を広く知らしめる書物が企画され、承応元年(1652)に8『八卦秘伝抄』(琴堂文庫)が出版されたものと見られる。これは写本の「聞書」の形で伝えられていたものをもとにして真言宗の僧侶がまとめたものと考えられるが、占法の手順などは割愛されており、ある程度の専門知識がなければ吉凶判断を行うことができないものである。その点、本書は、全文を通じてかなの使用頻度が非常に高く、八卦占法の手順を懇切丁寧に詳述している点などから見て、明らかに八卦占法の知識のない一般読者を意識して著された書物と言えよう。
このような一般向けの書物としては、これよりも早く、寛文4年(1664)出版の『八卦竹馬抄』がある。その序文に「今の諸書を見るにあるひは言葉たかくして理遠く、あるひは文字かたくして見やすからず。ねかはくは、かなをもつて竹馬の童子もくるしますして云々」とあるように、カナの多用が始まった寛文年間頃から八卦抄の流布が始まったと考えられる。
本書では、8『八卦秘伝抄』のように7『八卦本』以来の図表を省略したりせず、そのまま図表を掲載し、非常にわかりやすく借度法・目録算の手順を説いている。
八卦の占法とは、生年月日や時間といった数字を駆使した占法である。例えば、「二目録占ヤウノ事」の「失物」の項には、「失物ヲ占ナラハ其ウシナヒタル人ノ当卦ヲサタムベシ。タトヘハ当卦坎ノ卦ノ人、辰ノ時ウシナヒタラハ、辰ニ五ツ、ウセモノニ七ツ、合十二ナリ。八ト払テ四ツノコル。ソノ坎ノ卦ノ震ノ福徳ニオツルナリ。福徳ノウセモノゝ言葉ニテウセ物ノイロ、又ハアリナシヲ占ベシ。」とある。辰の刻の5と、失物の7という二つの數字を合計したので「二目録」という。生年月日の数字によって得た「当卦」の八卦を上卦と考え、合計数を8で割った残数を下卦に相当する「八ツノ文字」に当て嵌めるのが基本的な考え方である。「当卦」によって「八ツノ文字」の配置は違うので「八卦六十四卦図」で配置を確認する必要がある。こうした図表の使用も八卦占法の特徴であると言えよう。
上記の失物の例では「八ツト払テ四ツノコル。ソノ坎ノ卦ノ震ノ福徳ニオツルナ。」となるから、残數の4は「震」に当たり、当卦が坎の場合、「八卦六十四卦図」の震の位置には「福徳」が配されていることになる。そして「福徳」の「失物」の項目を見ると、「失物ハアリ。タヅ子ベシ。金物食物袋ニイレタルモノナルベシ。」といった具体的な吉凶判断が示してある。
本書では、吉凶判断は、遊年・遊魂・天医・絶命・絶体・禍害・生家・福徳の「八ツノ文字」のそれぞれに、見物・聞事・得物・待人・恠事・失物・願・行先・沙汰侘言・夢の項目を付した「八ツノ文字ニテ占ヤウノ事」にまとめてある。従って、一般的な易の書物のように64卦の全てが掲載されているような形式にはなっていない。その手軽さが大いに庶民に喜ばれ、流行したものと見られる。
ところが、数字の計算の煩わしさからか、さらに簡単な占法が民衆に支持されて行くことになったようだ。増補版では、上卦に当たる「当卦」のみを求め、人の五性(木火土金水)の相生相尅によって12か月の吉凶を判断する「八卦當卦一年ノ吉凶ノ事」という章段に28丁もの紙数を割いている。この月別の吉凶は先行する8『八卦秘伝抄』にはなかったものである。「八卦當卦一年ノ吉凶ノ事」は、これ以降の全ての八卦の版本に継承され、八卦の代表的な占法のひとつとなった。
江戸時代の陰陽頭である土御門家は、占いを専門とする家柄であるが、1740年代に八卦占法や擲銭法(銭投げ)を用いていたことは陰陽道関係の資料の上からも明らかである。ところが、1750年代以降は、筮竹による三変略筮法に移行している。この頃すでに巷間の八卦占法も廃れ始めていたと見るべきであろう。
home
|