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三 『火珠林』について
『火珠林』は『斷易天機』巻五、巻六に「火珠林云」と十箇所の引用がある。つまり『火珠林』は、『斷易天機』に先行する明代の断易資料である。 『火珠林』の版本は、道光四年(一八二四)『百二漢鏡齋秘書四種』に収める程芝雲校正本が知られている。また、尊経閣文庫には万暦刊本とされる『百家名書』所収『新刻火珠林』が所蔵されている。百二漢鏡齋本と、百家名書本とでは本文が全く異なるが、どちらも六十四卦部分を含まず、「宅占章第一」から「都卦歌第二十七」までの内容となっている。 ところが、蓬左本『卜筮元龜』観卦には、「火珠云、觀卦宜占毋。妻財也益栄。」と『火珠林』観卦を引用しているのである。どうして中国の『火珠林』にない六十四卦部分が引用されたのであろうか。 それは、日本の近世初期までに舶載された明代の『火珠林』には、六十四卦部分があったということではないだろうか。ここで、国内のふたつの写本資料を紹介したい。 それは、小浜市立図書館酒井家文庫蔵本『六十四卦圖』と、名古屋市蓬左文庫蔵本『火珠林』である。どちらも中国の「鼎氏萬巻堂」刊本『火珠林』の写しであると考えられる。そして、明代の占卜書と類似した内容を持ちながらも、その記述には幾つかの特徴がある。 まず、酒井家本『六十四卦圖』、蓬左本『火珠林』の「斷例」は、『斷易天機』のものと内容的に類似するものの、文面には異同が多い。例えば『斷易天機』乾卦では、 此卦高祖與呂后走在芒・山卜得之。餘人難壓也。 となっているが、『六十四卦圖』乾卦では、 此卦但是龍爻。昔則天皇帝與漢高祖得是卦。餘人難厭。 とあり、蓬左『火珠林』乾卦も、 此卦但是竜爻。昔則天皇帝与漢高祖得是卦。餘人難厭。 となっている。 この「斷例」は『卜筮元龜』『卜筮元龜鈔』にも見えるが、文面は『斷易天機』と合致する。この点、『六十四卦圖』と蓬左『火珠林』の「斷例」は乾卦に限らず、全体に他の占卜書との異同が多く、大きな特徴と言える。 例えば『斷易天機』「占疾病第二十四」には「火珠林云」として、 疾病才爻鬼莫連。二爻倶發命危難。同人豊夬成凶對。蠱剥明夷是死縁。殺共鬼身三入墓。人將魂魄入黄泉。薬爻 在世難醫療。虎動占身病未痊。卦変墓郷兼喪命。臥於床席病綿綿。 とある。これは『通玄斷易』「疾病章第三十一」に「火珠林云」として、 疾病才爻鬼莫連。二爻倶發命危難。同人豊夬同凶對。蠱木明夷是死縁。殺共鬼身三入墓。人將魂魄入黄泉。薬爻 在世難醫療。虎動占身病未痊。卦変墓郷兼絶命。臥子床席病綿綿。 とあり、また清版『斷易天機大全』「疾病章第三十一」に「火珠林云」として、 疾病才爻鬼莫連。二爻倶發命危難。同人豊夬同凶對。蠱木明夷是死縁。共殺鬼身三入墓。人將魂魄入黄泉。薬爻 世世難醫療。虎動占身病未痊。卦変墓郷兼絶命。臥于床蓆病綿綿。 とあって、異同もあるが、「才爻」「危難」「凶對」「醫療」「入黄泉」「薬爻」など共通の特徴が認められる。 ところが、『六十四卦圖』「雜占觧卦歌」の「占病患章第十一」には、 侯病財交鬼莫連。二爻倶発命難延。同人豐夬成凶難。蠱剥明夷是死・。殺共鬼身三入墓。人將魂魄久□泉。殺爻 在世難醫差。虎動占身病未痊。卦変墓郷并絶命。臥於床席病綿々。 とあって、『斷易天機』『通玄斷易』『斷易天機大全』に引用された『火珠林』とは異なる部分が多いようだ。 この点は、蓬左『火珠林』「雜占觧卦歌」の「占病患章第十一」にも、 候病財交鬼莫連。二爻倶発命難延。同人豊夬成凶難。蠱剥明夷是死・。殺共鬼身三入墓。人將魂魄久沈泉。殺爻 在世難醫差。虎動占身病未痊。卦変墓郷并絶命。臥於床席病綿々。 とあって、「侯」と「候」の違いはあるが、やはり『六十四卦圖』と非常に近いことがわかる。 『六十四卦圖』と蓬左『火珠林』との異同が少ないことから、鼎氏萬巻堂の「雜占觧卦歌」からの誤写の可能性は低いと思われる。 また、百家名書本『火珠林』「占病患章第十一」では、 病候財交鬼莫連。二爻倶發命難延。同人豊夬成凶對。蠱剥明夷是死・。殺共鬼身三入墓。人將魂魄沒●泉。殺爻 在世難醫産。虎動占身病未痊。卦變墓郷并絶命。臥於床席病綿綿。 となっている。「病候」「沒●泉」「醫産」など独自の表記があり、『斷易天機』等に引用された資料と「凶對」の語が共通する。 『斷易天機』には、他にも占詞訟第十五、占遺失第十七、占鬼神第三十四に『火珠林』の本文を引用するが、いずれも酒井『六十四卦圖』、蓬左『火珠林』、百家名書本『火珠林』に該当する箇所を見出だすことができる。しかし、右に示した「占疾病」と同様に異同が多い。 次に、『火珠林』の全体の構成について考えてみたい。酒井『六十四卦圖』、蓬左『火珠林』の巻末には「六十四卦火珠林并雜占觧卦」とあるが、これは「六十四卦火珠林并雜占觧卦歌」とするのが正しいようだ。百二漢鏡齋本や百家名書本『火珠林』は、『六十四卦圖』、蓬左『火珠林』では「雜占觧卦歌」の部分に相当する。つまり、百二漢鏡齋本や百家名書本『火珠林』は、明代には「雜占觧卦歌」と呼ばれた部分に過ぎないのではないだろうか。 本来は「六十四卦火珠林」と「雜占觧卦歌」が一緒になっていたものと考えられる。『文淵閣書目』巻十五に「火珠林雜占」とあるのは、そうした形式を示すものではないか。 一方、百家名書本『火珠林』は、万暦年間のものとされるが、六十四卦部分を欠いている。つまり、鼎氏萬巻堂本のように六十四卦部分が揃ったものも、百家名書本のように「雜占觧卦歌」部分だけのものも、同じように『火珠林』と呼ばれるようになっていたのではないだろうか。その後、六十四卦を欠いたものが形を変えて百二漢鏡齋本となったと考えられるが、その変遷をたどれる資料については未見である。 『火珠林』に六十四卦があったことは、『卜筮元龜』観卦に「火珠云、觀卦宜占毋。妻財也益栄。」と『火珠林』を引用していることから証明できないだろうか。 酒井『六十四卦圖』観卦、蓬左『火珠林』観卦には、 歌曰、觀卦宜占毋。妻財也益崇。暁着・漢上。夜参紫微宮。寮宗榮加禄。将軍貴立功。長安春色好。花樹欝叢々。とあって、先の引用とほぼ合致するのである。やはり『卜筮元龜』は、鼎氏萬巻堂本のように、六十四卦のある『火珠林』からの写したものと考えて良いと思う。 また、『斷易天機』巻五、第四十二葉オモテには「火珠林云」として、 無父母、無子孫、假令若有倶無氣亦凶。又以陰為女陽為男。但與世爻併子孫合處。是生月也。 とあり、また、同じく第五十四葉オモテに「火珠林云」として、 要官鬼有氣旺相并印綬不落空亡。印綬者父母爻也。忌子孫發動并父母與官鬼落空也。 とあるが、これらは百二漢鏡齋本や百家名書本の『火珠林』には見えない記述である。 ところが、蓬左『火珠林』の第十二丁オモテに、 卜生産忌无父母并児子、假令若有倶无氣亦凶。又以陰為女以陽為男。但与世爻併児子爻合處。是生月也。 とあり、また、同じく第十一丁ウラには、 凡求官要官鬼有氣旺相并印綬不落空亡。印綬者父母爻也。忌子孫發動并父母与官鬼落空亡也。 とある。しかし、これは刊本の百二漢鏡齋本や百家名書本にはない部分なのである。 蓬左『火珠林』には「六十四卦圖」部分よりも七丁前に「新刊周易卦火珠林」と内題が見えている。右の該当箇所は「六十四卦圖」より前の部分にある。どちらも『斷易天機』との異同があるが、出典に該当すると見て良い。 つまり、万暦二十五年の『斷易天機』に引用された明代の『火珠林』には、少なくとも「雜占觧卦歌」以外の部分があったことは明らかである。「六十四卦圖」より前の部分、「六十四卦圖」、「雜占觧卦歌」の三つの部分から成り立っていたと見て良いだろう。そうした意味では、蓬左『火珠林』は、明代『火珠林』の完本の形式を残した資料と言えるのではないだろうか。
四 近世中期以降の占卜書について
宝暦七年(一七五七)出版の山田順庵『易学小筌指南』には「世ニ断易天機ト云俗易アル事」として、 白蛾先生ノ曰、世ニ断易天機ト云俗易アリ。此書何人ノ撰著ナルコトヲ不知。名ヲ鬼谷子ニ託シテ偽作セルモノ也。明朝例多シ。鬼谷前定四字経ノ類皆付会ノ俗書ナリ。見ルニ不足。中華ニ如此俗易書凡百三四十部アリ。易経聖易ニ乖キ卑劣ノ定局ヲ妄作シテ世ヲ誣ユ。今我朝雑易者紛々トシテ文盲ナル穢雑ノ書多ク出シテ民ヲ迷シ、真ヲ乱ル。其本ハ皆彼断易天機ヲ基トシテ不経ノ説ヲ成ス。見ルコト勿レト云ヘリ。 とある。この資料で注目したいのは、明代の占卜書が百三四十種類もあったと白蛾が述べていること、また、白蛾が『斷易天機』の著者を不明とし、劉世傑ではないと見ていたことである。 また、宝暦十二年(一七六二)出版の白蛾の『梅花易評註』凡例の一条目に、 但只俗間ニ行者ハ斷易天機、梅花心易ノ二書ノミ。就中世ニ盛ナル者ハ梅花易魁タリ。 とある。この頃までに多くの占卜書が淘汰され、『斷易天機』と『梅花心易』だけが残った様子がうかがえる。 寛政十年(一七九八)出版の熊阪定濟(伯美)『易占秘訣』凡例の三条目には、 世ニ斷易天機トイヘル書アリ。中華ヨリ傳ヘ來レル書ナリト雖、モト書林劉世傑ト云フ者ノ輯メシ書ナルユヘ誣罔甚多シ。今一二ソノ誣罔ヲイハン。其毎卦ノ下ニ、タトヘハ乾為天ニ此卦高祖與呂后走在芒・山卜得之。餘人難厭也トイヒ、又天風・ニ此卦漢呂后擬立呂氏謀漢社稷卜得之。果不利ト云ルカ如キ杜撰鹵莽ノ甚シキ、識者ヲシテ捧腹セシメ、愚者ヲシテ惑シムルニ足レリ。其外孫・、鬼谷子、郭璞、王弼、陳搏、周公旦、張良、李淳風、袁天綱、太公望、邵康節、管輅、孫思・等ノ古人ノ名ヲ時代不同ニカリテイロくノ歌訣等ヲ偽作シ、愚人ヲ欺ケルモ惡ムヘシ。去リシ頃、馬場信武トイヘル男アリテコレヲ知ラス、梅花心易ヲ作ルニ右ノ詞ヲ片カナ交リニシテ、毎卦ノ下ニ附シタルモ笑フヘシ。且ツ梅花心易モ、モト中華ヨリ傳ヘ來ル偽書ナリ。村學究アリテ邵康節ノ名ヲカリテ作リシモノナリ。中華ハ文華ノ國ユヘ偽書ハ偽書ニテ行ハレ、田舎童ノ玩ヒモノナルカ。此方ヘ傳ヘ來ルニ及ンテハ、信武如キノ俗士コレヲ信ト思ヒ、附益シテ世ニ行ヒシ故、世人コレヲ傳ヘテ愈惑フコト歎シテモ猶餘リアリ。 とあり、『斷易天機』と『梅花心易』は偽書として厳しく批判されている。 しかし、それは逆に十八世紀末に至るまで『斷易天機』『梅花心易』が大勢の人に読まれ、大きな影響力を持っていた事実をうかがわせるものである。 こうした隆盛の要因として、熊阪定濟は馬場信武(生没年未詳)の和刻本の出版を挙げているようだ。信武は元禄十年(一六九七)に『梅花心易掌中指南』を、元禄十五年(一七〇二)に『斷易指南鈔』(内題『初學擲錢鈔』)を出版した。これが大きな影響を与えたことは事実であろう。 しかし、明代占卜書としての『斷易天機』『梅花心易』の受容という点に関しては、後述するように、元禄期の信武の出版よりも前に、訓点を付した和刻本が出版されており、十七世紀の初頭には、すでにこうした占卜書の需要があったことを認識せざるを得ない。 五 『梅花心易』について
『梅花心易』の内題は『家傳邵康節先生心易卦數』であり、序文には「邵康節先生心易梅花數序」とある。『梅花心易』は通称である。管見の限り最も古い資料は、平成二年の東京古典会『古典籍下見展観目録』に載った天正十五年(一五八七)の源津(未詳)の写本であるが、現在の所在は不明である。 『和刻本漢籍目録』では、寛永十年(一六三三)版を最初に載せているが、大東急記念文庫には寛永二年版が所蔵されている。 和刻本『梅花心易』については、出版年代と書誌的特徴から、次のABCDに分類できると思う。 A 寛永二年(一六二五)版 B 寛永十年(一六三三)版 C 寛永二十年(一六四三)版 D 明朝体版 AとBとでは、文字の異同が全体で十四文字あるが、基本的にBはAを踏襲した上で、訓点を施したものである。ところが、A・Bの「心易占卜玄機」「占卜論理訣」「先後天論」「占卜統説」「次看剋應」「卦斷遺論」の項目が、Cでは「心易占卜玄機」「占卜統説」「次看剋應」「占卜論理訣」「先後天論」「卦断遺論」の順に変わっている。単に項目の順番が入れ替わっただけではなく、A・Bの「心易占卜玄機」途中の第十六ウラ一行目「乎且」の後から、「先後天論」途中の十七丁オモテ五行目「卦斷」までの部分と、次の「・之屬類」から「次看剋應」途中の十七丁ウラ九行目「遅數者」までの部分とが相互に入れ替わっている。つまり、項目の途中から変則的な入れ替わりがある。 BからCへの章段の変化はDに踏襲され、多くの版を重ねている。また、BとCでは共通の文章内に文字の異同はないようだ。 また、A・B第三十五丁ウラには「生産占第五」があるが、Cでは生産占の前に「入学占第五」が新たに挿入され、尚且つ生産占も「第五」となっている。生産占はDになってから「第六」になったようだ。 Dの奥書に「舊本改細字而爲大字、点之誤者正之、畧者詳之。」とあり、AからBへの文字の変更、BからCへの章段の変更と項目の挿入の事実と合致する。Dは奥書にある通り、文字が明朝体になった上に大きくなった。また、目録が付き、各項目の頭に五十七までの数字が付されている。 Dの特徴を有する架蔵の寶永六年(一七〇九)の出雲寺和泉掾版は、藪田曜山氏の『譯注・梅花心易』に紹介されている寛文十年(一六七〇)の前川茂右衛門版、国立国会図書館蔵本の元禄三年(一六九〇)の井筒屋六兵衛版の明朝体を踏襲している。前川茂右衛門版以前の明朝体版本は未見である。 それでは一体、AからB・Cの訂正理由は何であろうか。明版と照合して誤りを訂正したのであろうか。しかし、例えばAの第三十八丁ウラの「行人第十二」は、B・Cでは「待人第十二」に改められているが、明代の占卜書では「行人」の方が一般的な用語ではないだろうか。 明版や明鈔本は未見だが、国立国会図書館には清鈔本とされる『邵康節先生心易卦數』が所蔵されている。これを見ると、段落の問題については、A・BよりCと合致する。文字の異同についても、AよりB・Cと合致する。 この鈔本については、「一字占」と「爲人占」の間に「犬尺占」「尺寸占」があり、「家宅占」と「婚姻占」の間に「屋舎占」がある。この「犬尺占」「尺寸占」「屋舎占」は、いずれも和刻本にない項目であることから、やはり中国国内の鈔本と考えて良いと思う。この鈔本が明代の『梅花心易』の特徴を受け継いでいるとすれば、BやCは本当にAの誤りを訂正したことになる。 しかし、清鈔本に「入学占」の項目はなく、また、「待人」ではなく「行人」となっており、Aとの共通点があるのも事実である。また、項目に序数がなく、項目の立て方も異なるなど、いずれの和刻本とも合致しない点もある。もっと多くの資料との比較が必要であるが、Aの誤りを訂正する段階で、BやCには日本国内独自の編集もあったのではないかと思われる。 また、『梅花心易』を実際に用いる上で、干支・六十四卦・数字等を対応させる早見表が必要だったらしく、『梅花心易明鑑』といった和刻本も出版されているが、こうした種類の明版や鈔本などは未見であり、中国に倣ったものなのか、日本独自のものなのかは不明である。
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