3『周易古占法』海保漁村著
   

 

   江戸時代後期に著された朱熹の『易学啓蒙』に批判的な書物。四巻。
 著者の海保漁村(1789〜1866)は上総国に生まれ、江戸に出て大田錦城(1765〜1825)に学んだ人である。この学派は考証を重んじ、必ずしも朱熹の学説を墨守することなく、公平な態度で学問を究めようとした。本書は類書からの引用については書名を明らかにした上で原典を当たって記述の有無を確認しており、漁村の碩学としての学究的態度がうかがえる。
 本書は天保11年(1840)序刊。著された目的は、往古の『周易』の占筮例を閲し、変爻が生じた時の吉凶判断の過程について検討することにある。そしてそれは朱熹の変爻法の誤りを糺すことになるのである。その契機となったのは、漁村が嘗て師の大田錦城から易の講義を受け、その時『左伝』の占筮記事の疑誤について教えられたことであったと述べられている。
 朱熹の『周易本義』ではそれぞれの変爻について、「六爻動かざれば本卦の彖辞にて占ふ」「二爻変ずれば則ち本卦二変の爻辞を以つて占ふ」「三爻変ずれば則ち本卦及び之卦の彖辞にて占ふ」「四爻変ずれば則ち之卦の二不変爻を以つて占ふ」「五爻変ずれば則ち之卦の不変爻を以つて占ふ」「乾坤二用にて占ふ」と述べている。一方の漁村は、6爻が不変の時は「六爻皆変ぜざれば則ち其の占には彖辞を用ふ。」とあるように本卦の彖辞によって占い、一爻変の時は「一変爻なれば則ち本卦の変爻の辞を以つて占ふ。」とあるように、本卦の変爻の爻辞によって占うとしているから、ここまでは朱熹の説と同じである。ところが、巻2「辨朱子占法第九」では「朱子は二爻以上変ずるは彖にて占ふを知らず。自ら新例を創りて曰く、…」そして「乃ち知る、朱子の云々する所は其の創説より出づと。古義に非ざるなり。」と言う。
 漁村は、2爻以上の変爻が生じたときは、「二爻以上変ずる者は、総て彖辞にて占ふ。仍て『之八』と謂ふ。」としている。この根拠として、『左伝』襄公9年穆姜の記事に「之を筮するに艮の八に之くに遇ふ。史曰く、是れ艮の随に之くの謂なり。」を挙げ、この史が随の彖辞を引いて論じている所から之卦の彖辞にて占うとしている。
 巻3は「揲蓍解」と「問蓍儀」に割かれている。揲蓍解は『周易』繋辞上伝の「大衍之数五十、其用四十有九」に始まる有名な18変筮法の具体的な手順について漢魏の書物や注釈の記述を引用し、補足・検証を試みているわけであるが、目的はやはり朱熹の説への懐疑を述べることにある。例えば、蓍という植物については、「朱子曰く、蓍の一根百茎なるは大衍の数なる者の二に当たるべしと。」と、朱熹が蓍は一根100茎としたことに対して、『説文』『博物志』が1000年で300茎、『論衡』が700年で10茎が生じるとする例を挙げ、最後に「今不従矣」と記している。
 「問蓍儀」でも朱熹が筮儀として香炉を置くことや蓍を炉の上で燻すことを説いていることに対して、香は漢代以後に入貢した外域からもたらされたものであること、蓍を水にさらす「露蓍」の説があったことを述べ、朱熹の筮儀に疑念を呈している。
 本書は「逸象」にも大きく紙数を割いている。逸象というのは、『周易』説卦伝にある137個の象に、後世追加された象である。唐の陸徳明の『経典釈文』に荀爽九家逸象31個が加えられ、清の恵棟(1697〜1758)が虞翻(164〜233)逸象326個を『易漢学』に収めた。また、張恵言(1761〜1802)は『周易虞氏義』に457個の逸象をまとめた。漁村は恵棟の『易漢学』から引用し、それぞれに注を付しているが、「虞氏逸象」を331個と数えている。漁村は、象というのは彖辞・爻辞で捉え切れない事柄を補うために自然発生したものであると考えており、その存在について一定の理解を示している。本書の最後には占筮具や占筮者の配置を示した図が収められている。これを見ると、漁村の意図したものは民間の易占に利するためのものではなく、あくまで歴史上の正式な筮儀に近づくための考察であることがわかる。そうした立場は、「漢儒の伝える所の納甲世応等の説、宜しく之を置いて論ぜざるべし。而るを況んや後世の術家の悠謬の談をや。固より宜しく一掃して之を廃すべきは可なり」と述べ、一般に浸透していた断易について厳しく批判していることからもうかがえるであろう。

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