擲銭(銭投げ)によって吉凶判断をする流派によって著された書。1巻。17世紀の中国では、火珠林占から発展したと見られる断易という擲銭による占いが大変に流行していた。江戸時代の前半期には明代の断易の影響を受けた版本の系統が存在するが、その多くは版本の形式のみを模倣したものに過ぎない。しかし、著者の片岡如圭(天明年間に六十余歳で没)は擲銭という占法にこだわった易占家であり、著書にも独自の理論がうかがえる。本書はその代表的な著書であり、主に江戸時代の前半期に隆盛した擲銭という文化を伝える数少ない書物である。
如圭は、京都で易を講じていたが、明和五年(1768)頃に新井白蛾の一派と門人同士が対立し、その確執が原因で大坂に逃れたと見られる。その『易術夢断』(1767)、『易術便蒙』(1768年)、『易術妙鏡』(1770)、『易術手引草』(1778)といった易占書は、それぞれが全く異なった内容と形式になっている。また、16『日月卦伝鈔』(1753)の原形が如圭の門人から外部に伝えられたものであることはほぼ間違いないと考えられるのだが、この16『日月卦伝鈔』も独自の形式である。このように如圭は非常に多様な形式に精通していた人物であることがわかる。
本書は明和7年(1770)に大坂の書肆・浅野弥兵衛(星文堂)から出版された。64卦は共通する上卦毎にまとめる「八卦抄」以来の形式であるが、グループの順は、すでに乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の順番になっている。また、各卦には明代の断易書に見える「○○之課、○○之象」という語が付してあり、断易書の強い影響がうかがえる。本文は漢字・かな交じりの非常に易しい本文となっている。
本書では64卦を「虚」・「実」のいずれかに大別する。これは本書が人間の内面の「虚」・「実」を判断することに重点を置いているからである。また、本書に先んじて出版された『易術便蒙』では、各卦に「天時」「遺失」「望事」「生産」「待人」「疾病」「売買」「出行」「古人」「器財」の項目があったが、『易術妙鏡』では、「君父」「妻妾」「従者」「待人」「養子」「医」「師」という社会的役割における項目を設けて吉凶を述べており、他に類例のない特徴となっている。
また、他の特徴のひとつとして、64卦の各々が左右の見開きになっているという点が挙げられる。それまでの江戸時代の易占書は余白が生じないように行間を詰めてある。従って記事が頁の途中にまたがっているのが普通であり、決して見易いものではなかったのである。本書では記事の最後に余白があっても頁を改めており、巻頭の索引が使い易くなっている。(但し、他の著書は従来通り行間を詰めてある)
如圭の占法は「八双銭」(あるいは「八双通銭」)と呼ばれるもので、まず8枚の貨幣を両手に捧げ、占おうとする事柄を小声で唱える。一枚を取り出し、表にして下に置く。これを「太極」とする。残りの七枚を左手に持ち、右手をその上に添え、「元亨利貞」と唱えて振り混ぜる。そして1枚ずつ取り出して盤上に投げていく。7枚全部を投げ終わって、表になったものが4枚だったとする。太極で置いてある一枚を加えて5という数を得る。5は「巽」に相当し、これを上卦とする。再び7枚を持ち、同様の手順を繰り返し、2枚が表になったとする。太極を加えて3を得る。3は「離」に相当し、これを下卦とする。上卦と下卦を合わせ「風火家人」となり、これを「本卦」とする。(もし7枚全部が裏ならば、太極の1のみで「乾」とする。七枚全部が表ならば太極と合わせて8となり、「坤」とする。)
変爻の求め方は6枚の貨幣を持ち、1枚を太極として置く。残り5枚を両手で混ぜ、1枚ずつ投げていく。1枚だけが表だったら、太極と合わせて2となり、2爻変ということになる。つまり本卦が「風火家人」ならば、変爻による之卦は「風天小畜」ということになる。(もし5枚全部が裏ならば、太極の1のみで1爻変とする。5枚全部が表ならば太極と合わせて6となり、上爻変とする。)
擲銭という占法は、断易テキストの受容とともに江戸時代の初期までに日本に入っていたと考えると、如圭の占法は古くからの擲銭の占法に独自の工夫を加えたものということができるだろう。しかし、筮竹による略筮法の流行とともに擲銭法は衰退していったので、如圭の版本はその占法の遺風を伝えるものと言えよう。
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