| 命期法 |
古く『日本国見在書目録』五行家には釈氏英撰『周易命期』があった。残っているものでは『命期経』や六壬式占によるものなど、とにかく命期法には様々なものがあるらしい。他の所には手を出さない。
原克昭先生の論文によって、『周易命期略秘伝』の計算方法がわかったが、その方法を知らなければ『周易命期経』は全くわけがわからないらしい。「不尽」が割り算の余りを指す語だとは・・・。とほほ。 |
2008年1月27日 (日)
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| 足利の易 |
| 川瀬一馬先生の『足利学校の研究』には、足利の易は戦国時代になり、諸大名の卜筮の要請に応えるべく修められていたとする。修了後は全国に請われて赴いたということだ。 |
2008年1月27日 (日)
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| 奇遇 |
昨日も国会図書館でコピー取り、何とばったり山里純一先生にお会いした。昨日上京とのこと。科研チームは勉強してるな。
・今泉淑夫先生「易の罰があたること」(『中世日本の諸相』下) ・和島芳男先生『中世の儒学』 ・同 「中世における周易の研究について」(神戸女学院大学) ・米原正義先生『戦国武士と文芸の研究』 ・小坂眞二先生「太一式占の命期説と六壬式占の厄歳説」(『天文・暦・陰 陽道』) ・同 「古代・中世の占い」(『陰陽道叢書』4)
易の伝授に関しては、 希禅禅師(武蔵国)−柏舟宗趙(足利から近江・永源寺へ) −横川景三・景徐周麟・桃源瑞仙(近江から京都へ)−一勤−徳大寺実淳 −三条西実隆
一栢現震(鎌倉から京都、そして越前)−月舟寿桂
ということになるだろうか?それぞれが易と「三カ条の秘伝」を伝授されている。地域的には大変広い。 |
2008年1月27日 (日)
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| 能やるぞ |
【国立能楽堂定例公演】 能〈歌占〉シテ 日時: 2008年4月18日(金)18時半開演 会場: 国立能楽堂 主な演目: 能〈歌占〉 シテ・清水寛二/ツレ・西村高夫 狂言〈御茶の水〉 シテ・山本則直 公演の詳細: 入場料: 正面:4,800円/脇正面:3,100円(学生:2,200円) 中正面:2,600円(学生:1,800円) チケット発売: 電話・インターネット予約開始:2008年3月9日(日) 窓口販売開始:2008年3月10日(月) *窓口販売用に別枠でのお取り置きはございません。 お問い合わせ: 国立劇場チケットセンター(10:00〜17:00) 0570-07-9900 03-3230-3000(PHS・IP電話) |
2008年1月25日 (金)
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| 能楽「歌占」の作者 |
以下はコピー。
「隅田川」の作者観世元雅は、能を大成した世阿弥の長男として生まれる。父からも名人としてその力量を認められたが、当時の将軍足利義教は従兄弟の観世元重を寵愛し、世阿弥・元雅父子は冷遇された。永享四年(一四三二)、まだ四十歳にもならない若さで、伊勢安濃津で没する。その突然の死については諸説がある。 元雅の作った能には、この「隅田川」の他にも、「弱法師」「盛久」「歌占」などがあり、いずれも厚い人の人情をテーマとしたものである。 |
2008年1月25日 (金)
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| 論文コピー |
| 国会図書館へ行き、原克昭さん「中世の術数学と寿命論をめぐる一齣」と村上雅孝さん「文之玄昌『周易伝義大全』」をコピーしてきた。お二人とも「百衲襖」を見ていらっしゃる。さらに引用論文も見てみよう。中世は逆に資料に先鞭が付けられていて、つながりが見えそうだ。こんなことを述べると不遜なのだが、やっと最近、論文が読めるようになってきた。記憶力はなくなるが、理解力は充実してくるようだ。 |
2008年1月25日 (金)
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| 東大にも命期 |
| http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/36/pub_shiryo-08-38.html |
2008年1月24日 (木)
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| 「歌占」文字異同 |
| http://homepage2.nifty.com/kyushukai/kaisetsu/utaura.html |
2008年1月24日 (木)
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| 六爻の秘伝 |
「歌占」という能のあらすじ。以下はコピー。
加賀の国、白山の麓に住む男が、幼い人と連れ立って、よく当るという占いに出かけます。 占を引くのは男神子(おとこみこ)で、小弓に短冊をつけ、その短冊の歌によって判じます。その男神子は、伊勢の国、二見浦の神職ですが、旅の途中で頓死したのですが、三日後に生き返り、その時より白髪になっています。 まず、白山の麓に住む男が、父の病状について尋ねると、大丈夫だと判じられます。 次に幼い人が、生き別れた父の事を尋ねると、既に会っていると判じられます。不思議に思いよくよく尋ねると、その男神子こそが八年前に別れた父でした。これも神の引き合わせと喜び、帰国する事にします。 さて、男神子は、地獄の有様を曲舞(くせまい)に作って謡い舞うというので、所望されます。これを謡い舞うと、神気がついて現なくなりますが、帰国する事になったのでと、曲舞を始めます。 果して、神気がつき現なくなりますが、最後には神は上がらせ給い、わが子と共に伊勢の国へ帰っていきます。 白山の麓に住む男が引いた歌は「北は黄に、南は青く東白、西紅の蘇命路の山」。占いの判は、「それ今度の所労を尋ぬるに、辺涯一片の風より起こって、水金二輪の重結に顕わる。それ須彌は金輪より長じて、その丈十六万由旬の勢い。四洲常楽の波に浮かみ、金銀碧瑠璃玻球迦宝の影、五重色空の雲に映る。されば須彌の影映るによって、南贍部洲の草木緑なりといえり。さてこそ南は青しとはよみたれ。ここにまた父の恩の高き事、高山千丈の雲も及び難し。されば父は山、染色とは風病の身色。しかも生老病死の次第をとれば、西くれないと見えたるは、命期六爻の滅色なれば、おうこれは既に難儀の所労なれども、ここに又染色とは、声を借りたる色どりにて、文字には蘇命路なり。蘇る命の道と書きたれば、まことに命期の路なれども、又蘇命路に却来して、二度ここに蘇生の寿命の、種となるべき歌占の詞、頼もしく思し召され候へ。」 地獄の曲舞は「月の夕べの浮雲は、後の世の迷いなるべし。(夕べの月に浮き雲がかかる様は、人間の後世の迷いを表している)」と始まり、人間の生きていく有様を語り、死後の地獄の責めを語るうち、「面色変りさも現なきその有様、五体さながら苦しめて、白髪は乱れ逆髪の、雪を散らせる如くにて、天に叫び、地に倒れてノ」と狂気してしまいます。本当に、一度死んで三日後に蘇ったかどうかは私には分りませんが、もし本当なら、自分で見てきた世界かもしれません。
平成17年9月21日 西宮薪能 上田拓司 |
2008年1月24日 (木)
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| 命期の研究発表・論文 |
http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/nichibutsu/souritu.html
http://www.inbuds.net/jpn/media/0-00557/0-00557-000001.html |
2008年1月24日 (木)
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| 命期 |
京都大学所蔵本である。以下はコピー。
No. 68 命期秘伝 紙本墨書 一冊 [159KB JPEG FILE]
清原宣賢筆 [室町後期]写 五つ目袋綴 唐茶色元表紙 本文料紙・楮紙 二七・三×二一・二 四周単辺無界(内框二三・三×一八・六) 十二行 書題簽、扉題・命期秘傳 首題、尾題なし 朱句点 題簽書名下に「不出」の墨書 奥書「右自乾坤至既濟未濟命期之 畢」に続いて「本命納音死墓絶」「命期書様」を付す 後見返左下に「右環翠軒御筆/正徳五/繕理尚賢」の墨書貼紙あり 蔵書印「舩橋蔵書」(朱文)
桃源瑞仙抄『百衲襖』所収の『周易命期秘伝』が知られるが、それとは別系で、本書は宣賢撰とみられる。 二丁表「一柏軒新撰ノ本ニハ」と見える「一柏」は一柏現震のことであろう。 |
2008年1月24日 (木)
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| 近世から中世へ |
| 研究は痛みでもある。中世に挑むには近世資料を扱ってきたこれまでの方法論が通用しない場面もあろう。近世を概観するにしても10年単位の精度を心掛けてきた。飛躍や推測に陥らないようにと。いま、1470年代と1600年の間を埋める易の資料をどこに求めることができるのかと考えている。それは応仁の乱から江戸時代までの、戦国通史でもある。これは途方もない挑戦になる。しかし、避けては通れない。江戸時代には出来上がっていたものは、それではいつ頃形成されたのかと問いかけないではいられないのだから。やはり大名家の文書か。まずは資料の所在と方法論を探れ。ううむ、写本かぁ。きついな。 |
2008年1月23日 (水)
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| 書名 |
| 中世写本には「周易抄」と「易抄」があるようだが、内容の差は微妙だな。易抄はくさいと思う。数もそうとうあると思う(たぶん)。書名は後で整理する時に便宜的につけたんじゃないのか?どっかがたんまり易占文書(易抄)を収蔵しているんだろう。 |
2008年1月22日 (火)
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| 玄玄合璧その2 |
| 玄玄合璧はやはり断易書だ。間違いなく中国の本だ。きちんと断易理論を書いた本だ。囲碁の本ではない。富岡主税は内容を見ている。1700年の江戸にはあった本だ。 |
2008年1月22日 (火)
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| 口伝 |
| 「口伝」の語が出てくると調べものが壁にぶち当たる。およそ学問的でない胡散臭さがぷんぷんし始める。「たいしたものじゃないくせに」と歯がみしたくなるが、権益を守ろうとする人間の弱さが見え隠れもする。せこい。しかし、かわいいぞ。江戸の日本人。あんたたち正直に生きてたんだな。 |
2008年1月22日 (火)
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| 八卦との結び付き |
| 古暦と八卦はいつごろ結びついたんだろう?近世になってからということはあるまい。国会図書館で「古暦集」を見ればある程度わかるか。それにしても算術者は厄介だな。やはり易占に絡んでいたのだろう。八卦に数字操作が多いのはそのためなんだな。ふつう割り算なんかできないよ。 |
2008年1月20日 (日)
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| 三箇 |
| 江戸初期、周易に口伝による「三箇の伝授」があった。ひとつは寿命を言い当てること。あと二つは何だかまだわからないが、周易の辞句は全く用いないらしい。江戸初期までの易は国産オリジナル化しているのかも知れない。周易伝義が入る前と後で様相が変わるということだろうか。でも岩瀬文庫には元版が入っているから、中世末に入ったと考えるのは少し遅いか。 |
2008年1月20日 (日)
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| 和算 |
| 古暦には和算家が少なくともふたり絡んでる。算数苦手なんだよなぁ。困ったもんだ。 |
2008年1月19日 (土)
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| 古暦 |
| 古暦式の易は一世を風靡したと考えていいだろう。古暦と周易の併用が江戸初期には盛んだったということらしい。これに対して、本筮法を用いるべし、というのが富岡主税の主張である。ただ、雑多なことがたくさん書かれているので整理してみないと何とも言えないな。 |
2008年1月19日 (土)
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| 感謝 |
| 昨日を振り返って愚痴る人がいる。一方、明日を熱く語れる人生ならば、今日の一日に感謝するべきである。後に自分の一生の長短を批評する者がいるかもしれない。いれば幸いだ。毀誉褒貶を恐れずに生きた証を残し、生を全うしよう。 |
2008年1月17日 (木)
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| 目録でゲット |
| 目録販売の中からFAXで送ってゲットしました。八卦抄の元禄版だ。性質としては『八卦目録決定集』と同じごった煮の鍋。八卦じゃないのも入れている。たぶんこの本の方が先にできたのだろう。元禄期には諸占法を網羅した書物の企画がずいぶん出たようだ。やはり版本で見る限り、江戸の占いは元禄期がピークという印象は否めない。 |
2008年1月16日 (水)
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| 学問が荒れる |
| 戸川先生は時々「学問が荒れる」という表現をお使いになる。戸川先生は民俗学的な手法はとらない。たぶん論証できないような内容が含まれているのは性格的に我慢できないのだろう。だから「説文解字」を安易に使うことも戒める。特に先秦思想の議論に漢代の文献を用いるのは時代思想が異なるからだめだとおっしゃる。「ターム」が重要なのだと。自分もこうした厳密な研究方法でありたいと思う。占いという非学問的な領域だからこそ必要な態度なのだ。少なくとも10年刻みで江戸時代の易占文化を捉えられるようにならなければ荒れた学問と言われてしまう気がする。たぶん最後に残るのは、江戸の最初の10年と最後の10年である。同じくらいわからない。 |
2008年1月14日 (月)
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| 筆記具 |
師匠たちは皆万年筆の愛好家である。西岡先生は青インクで極端な右上がりの太い文字。黒い万年筆を使っておられ、すごいペンダコがあった。戸川先生は黒インクで極細の行書体。とにかく細い。そして達筆過ぎて時々読めない。目の前で大東急文庫への紹介状を書いていただいたことがある。三浦先生は黒インクで極太の大文字である。とにかく字が大きい。大きな封筒の宛名なんかはびっくりするほどでかい。でも万年筆なんだな。 かく言う私も万年筆が好きである。集めるのも好きだ。使わないと勿体ないから、書類もわざわざ万年筆で書いたりする。乾くのが遅いから手が汚れたりするが、とにかく使うようにしている。ずいぶんたまってしまったのに、今年の年賀状はまた新しい万年筆で書いた。三浦先生は勝手に論文を書いてくれる万年筆を捜していらっしゃるそうだが、そういうものが世の中にあったらおもしろいと術数研究者のはしくれとしては期待してしまうのだ。 |
2008年1月14日 (月)
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| 訃報 |
宇野精一先生が1月7日にお亡くなりになったそうだ。院生の頃、湯島聖堂の釈奠の折にスピーチをされているお姿を拝したことがある。宇野先生は宇野哲人さんのお子さんだったから、いろいろ大変な面もあったろう。 いつも思うことだが、誰かが亡くなった後にその人の生涯や業績を偲ぶのは意義深いことだが、生前にそれに触れられなかったというのは自分が不勉強だからなのだ。私は前田繁樹さんにとてもお世話になった。道教文化研究会では兄貴分のような人だった。だから訃報は切なかった。亡くなった後に前田さんの論文集を読んだが、道教の細かいところまではわからない。でもわかるようになるのが供養というか、恩返しのような気がしている。バーボンの味を教えてくれたのも前田さんだ。 |
2008年1月13日 (日)
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| 天霊の易 |
| 『天易霊通章』は1660年代のものだから、かなり早い。にも関わらず非常に多くの易占術を網羅している。しかし、やっぱり陰陽道とは一線を画しているようだ。引用もしっかりした学者肌の著者である。この中で興味深いのは周易が占術として紹介されていることだ。見たところ朱子の本筮法である。これは富岡主税も述べている。もしかすると1700年頃までは周易は占術として民間に定着しかけていたんじゃないだろうか?でも定着はしていなかった。定着していればあんなに富岡が力説するまでもないのだから。何かブレーキをかける圧力のようなものがあったのだろうか?あ、それで馬場信武の断易ってこともありだな。時期的にも矛盾しないし。 |
2008年1月13日 (日)
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| アンコールワット |
| 放送大学の特別講義で石澤良昭先生がアンコールワットについて語っておられた。石澤先生という方は44年もの間、アンコール遺跡の発掘・保存、カンボジア人研究者の育成に携わってこられたそうだ。2001年には800年前の廃仏群を発見し、話題になった。あれは王位継承に絡むヒンドウー教側から仏教派への弾圧の結果なのだという。講義の最後に石澤先生は「遺跡の遺物はカンボジア人のためのものです。だからこれからはカンボジア人が守っていかなくてはいけない。」とおっしゃった。2006年には展示館が完成したという。アンコールワット遺跡はぜひとも見に行きたい場所である。 |
2008年1月12日 (土)
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| 本を買う |
| ある朱子学専門の大学教授と酒席で近くになった。二松学舎の学会発表の時に聞いて下さったらしい。開口一番「あんなに古本ばっかり買ってたら結婚できないでしょう?本を買ってる人はみんな独身だよ。」と言われた。え?そうなのか?結婚のことはともかく、人より本をたくさん買っているとは思わない。レジメの提示の仕方でそう見えたのだろう。でも、もっと違う話の切り出しをして欲しかったな。 |
2008年1月11日 (金)
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| 八卦本、あれ? |
| 80万円の『八卦本』はやっぱり売れていなかった!硝子戸正面の一番いい場所から、棚の端に追いやられていたのだ。値段を付けた書店はちょっと反省じゃないか?いたずらに古本相場を上げてはいけないぞ。かと言って自分の本を売るのはできない。80万とかつけて売れないようにするかも・・・。 |
2008年1月10日 (木)
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| 大須文庫 |
午前中、大須文庫に電話。「担当者は護摩を焚いていますので午後に電話して下さい」と言われた。あ、担当はお坊さんなんだ。午後にまた電話する。担当の人が出たが「節分が終わるまでは対応できません。その頃また電話して下さい」と電話を切られそうになった。が、何とか次の点だけは確認させてもらった。 ・重要文化財指定だけれど、推薦状は要らない。 ・資料保護の為の浄財として3000円ほど納めていただく。 ・閲覧予定日が雨だったら資料保護のため見せられない。 ・閲覧許可願の形式はお任せする。
担当のお坊さんはハアハアと息を継ぎながら話してくださった。たった今まで走り回っていたかのようであり、とても忙しそうだった。でも聞くべきことは聞けたので良しとしよう。何とか見せてもらえそうだ。それにしても、新しいことに挑戦するのは心躍る。 |
2008年1月10日 (木)
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| 随貞と白蛾 |
| 平澤随貞と新井白蛾は「師弟関係」と言われているのだろうか?表現は難しいが、白蛾は随貞の直接的な影響下にあったということは言えるのではないかと思う。ただし、それが師弟関係と呼べるのか、同好の士というようなものだったかはわからない。随貞側の資料では、白蛾は随貞の「もと門人」だったと明記している。白蛾側は何も言っていない。それから、両者には決別があった。随貞側では「故あつて袂を分かつ」ことになったと述べている。これについても白蛾側は述べてはいない。しかし、である。白蛾の初期の著作に「住川白瑩」という人物が編集で関わっている。この人物は常に「随波改め住川白瑩」という記述をされている。「随波」が随貞の門人号であることは予想がつく。つまり随貞の門人から白蛾の門人になったという広告塔のような役割を負っているように思うのだ。この辺、門人の引き抜きなどもあった泥試合だったのではないだろうか? |
2008年1月10日 (木)
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| お買いもの |
| 久しぶりにお買いもの。神保町「アカシヤ書房」で『古易一家言』『古易一家言補』『易学小筌指南』『卜筮盲筇』を購入。どれも持っているものだが、今日のは状態がいい。虫損・疲れ、全くナシである。写真版が必要な時はこれを出そう。アカシヤ書房は将棋・囲碁の古本専門店だが、なぜか占いの古本コーナーがあり、しかも状態のいいものが定期的に出る。囲碁とか将棋とかやる人はそういう趣味もあるのか? |
2008年1月10日 (木)
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| オーパーツ |
| インカ帝国時代の飛行機模型とか水晶の髑髏とかをオーパーツと言うそうだ。あり得ない遺物のことらしい。現代人の奢った感覚による発想だなと笑っていたが、江戸易にもオーパーツが存在した。文亀堂版の頭注本『易学小筌』が出る少し前に、全く別人の体裁の異なる『易学小筌』が出版されていたのだ。模倣版ではない。完全オリジナルである。どうも『易学小筌』にはわからないところがある。新井白蛾自身も痛恨の著書だと思っていたらしいふしがあるし。 |
2008年1月5日 (土)
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| 計画性 |
| 予定を立てるのが苦手だ。予定を考えないで、気まぐれで行動するから永田町の駅まで行って「国会図書館は本日休館です」の看板を見て寂しく帰ることもたびたびある(実は今日も)。ところが、こういう計画性の欠如によって助けられている部分があるようなのだ。全然別の用事で出かけた先の、気まぐれに入った公共図書館でどえらい資料を見つけたりする。食べ過ぎで腹ごなしにたまたま立ち寄った古本屋でどこにもない版本を500円で手に入れたりもする。研究にも運が必要だとしたら、もうあらかた使ってしまったかも知れない。だとすると、あとは努力だろということになるのだが、さてこの先どうなるか。 |
2008年1月4日 (金)
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| 付箋・栞 |
| 国会図書館でも「資料中の付箋や栞はそのままにしておいて下さい」といった注意書きがある。ページをめくっているとはらりと出てくることもある。ところが、版本は袋とじになっているから、そこがポケットみたいになっていて、ちょっと見ただけでは気づかないこともある。これは意図的に隠したとも見える。たまに占いに関係ある内容の紙片が挟まっていることがあるが、それは呪術めいた意味合いもあるように思う。驚いたのは、易の版本に昭和初期の宝くじが挟まっていた時である。うーん、気持はわかる。 |
2008年1月3日 (木)
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| デジタル撮影 |
| 版本をデジカメで撮る時には、手ブレが問題である。ちゃんと撮れているいるつもりでも、後で文字が読めなくて泣いたことがあるだろう。そこで、である。タイマー撮影にするのだ。デジカメのタイマーは二段階設定になっていて、自分で押して走って行ってみんなに混じって「ぴーす」をするための10秒タイマーの他に、3秒ぐらいのタイマーがあるはずだ。3秒なんて走れないじゃんと思ってはいけないのであって、これは手ブレしたくない繊細な撮影時に使うタイマーなのだ。これを使いこなせば版本撮影も手ブレしないできれいに撮れる。 |
2008年1月3日 (木)
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| 八卦本の値段 |
| 八卦資料の内、折本の『八卦本』は確かに古い形式である。たくさん出回ったのは寛永5年版の後刷りで、年号が彫られていない版が国会図書館にもけっこうある。この無刊記本が古本屋に出るとどういうわけか、80万円にもなるのだ。「最古の易の書物です」といったような説明がついていて、貴重なことをアピールしているわけだが、どうもこの値段は易資料としての値段ではなく、挿絵本の値段のように思える。まあ、絵の入った版本としても古い部類に入るのは確かだから仕方ない。しかし80万…。でも、次に見たときには売れてなくなっているのでさらにびっくりなのだ。 |
2008年1月3日 (木)
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| 玄玄合璧とは? |
| 江戸時代の1700年頃、馬場信武は自ら断易の著作をものすにあたって、当時見られた断易の書物を片っ端から渉猟したらしい。『断易天機』は現存する。『断易神機』もまあ似たグループのものだろう。しかし、『玄玄合璧』だけはわからない。玄玄とつくのは囲碁の書物ぐらいしか思い浮かばない。なのに列挙の順番からすると、かなりメジャーな断易書らしいのだ。1750年頃には資料中に見られなくなる書名なのだが…。 |
2008年1月3日 (木)
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| 足利の易 |
| 武田信玄は「易は足利に限る」みたいなことを言っている。歴代足利学校の庠主(しょうしゅ)は『周易』の権威になってしまったような部分があるようだが、室町期には断易も行っていたことが、『周易抄』という写本の記述からわかるはずなのだ。これは全釈漢文大系『易経』の解説の中で鈴木由次郎先生が述べておられる。しかし、どうもこの資料の所在がわからない。有名なご親翰『周易抄』と同名だが、別の資料だ。足利学校の図書館まで行って司書の人に聞いてみたのだが、わからないと言われた。鈴木先生は後進に課題を残す方であり、なかなか出典の在り処を示して下さらない。どうもお寺らしいのだ。善徳寺なのかなあと思いつつ、もう二年が経つ。 |
2007年12月28日 (金)
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| 五行大義 |
| 『五行大義』が占術にどう発展したか、という問題は中国にしても日本にしても絶対に存在するはずだと思う。古い時代に発生し、流布したものであれば、時代と地域による様々な発展形があって不思議ではなかろう。中国の日用類書に見える占術、日本の仏教宗派によって育まれた占術はそういったものではないだろうか。おそらくその糸は複数が絡み合いながら練り上げられていったのだろう。日本では悉曇系統の資料に断片が残っている様子が天理大学の浜田秀先生の論文の中にうかがえる。浜田先生は国語学がご専門だが、いち早く私の論文に注目して下さった方である。 |
2007年12月28日 (金)
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| お御籤 |
| 火珠林テキストはある時期、お御籤に取り込まれたのだと思う。時期的にはまだわからないが、取り込んだお御籤が、更に明の万暦頃に断易テキストに吸収されたと考えていいと思う。だから明版『断易天機』の六十四卦占はやはり断易ではないのだ。 |
2007年12月27日 (木)
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| お宝 |
なんでも鑑定団の「お宝買います」的に挙げるとすれば、ふたつある。 ひとつは「易学小筌」の宝暦4年(1754)版である。これは初版にあたる。宝暦4年版は持っているが、そう簡単なものではない。版元の浅野弥兵衛と吹田屋多四郎は出版裁判に負け、小川彦九郎に版木を取り上げられる。だから小川彦九郎の名前が入ったものは宝暦4年と書いてあっても、宝暦6年版なのである。つまり、宝暦4年と書いてあり、版元に小川彦九郎の名前がないものが本当の初版なのである。出てからすぐ絶版になったせいなのかまだ見たことがない。 もうひとつも新井白蛾がらみ。「易学小筌」の前に「定本易学筌」という写本があったらしい。「易学小筌」はこれの簡略版とみられる。「定本易学筌」は出版の計画があったが頓挫した。ごく近しい門人だけが写本として持つことを許されたようだ。たぶん平澤隋貞から得た「○○の伝」というのがたくさん書いてあるものだ。 どっちも出てきたらすごい。すごいと思っているのは私だけかもしれないが。 |
2007年12月25日 (火)
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| がんばれ小浜市立図書館 |
| 福井県小浜市立図書館は酒井家文庫を所蔵している。酒井家文庫にはガリ版刷りの目録があると思う。小浜藩は山崎闇斎の崎門の学問が残ったらしく、江戸初期の易学資料が豊富だ。火珠林の写本もここにある。内容的には室町期のものかも知れないが、写したのは江戸期になってからだろう。たぶん今でもここにはマイクロとかデジタル撮影とか準備されていない。複写をお願いすると、資料をバンと置いて、コピー機でジージーと複写する。ちょっとやばいんじゃないかと思いつつ、飛び込みの即日複写に感謝したりする。でも大事な資料だってそのうちみんなわかるから、どうか資料をやさしく扱って下さい。 |
2007年12月25日 (火)
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| 富岡主税 |
| 時期的には元禄(1700年くらい)頃の人だが、見ようによっては馬場信武と同じくらい江戸時代の易の研究には重要な人物だ。和刻本「焦氏易林」の施点者とされるが版本では氏名が確認できなかった。著書の数は少ないのだろうが、江戸時代初期の易のバリエーションに精通していたのではないかと思う。富岡主税・泉田梅翁・小泉松卓は写本レベルで資料を集めなければ足りない。 |
2007年12月25日 (火)
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| 琴堂文庫と新城文庫 |
琴堂文庫が彦根城博物館に移されてから調査に行った。琴堂文庫は井伊家に代々伝わったものではなく、明治以降に個人によって収集されたコレクションである。易の版本を少々齧ってから調査に入るとわかるが、実にいい所を抑えている。出入りの本屋にしつこく探させたとしか思われない集め方だ。つまり、他でも見られるものには目もくれない。二版目、三版目ではなく、初版のみ一冊だけ買っている。個人の趣味による集め方だ。 一方、国会図書館の新城文庫は違う。必ず後刷りまで複数買っている。ほとんど買占めだ。しかし研究には大助かりだ。版による増補の変化と前後の影響関係がよくわかる。こちらは学者の集め方だ。 |
2007年12月24日 (月)
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| 古暦便覧大成 |
| 「古暦」とか「古暦便覧」という本はときどき見かける。いわば暦の一覧である。しかし「古暦便覧」と「古暦便覧大成」は全く別物である。「古暦便覧大成」はまだ完本を見ていない。上下巻のうち、下巻が手元にあるだけだ。大成は暦と易を併用した独自の易を論じている。大成の重要性は、先行書名を挙げて引用している点だ。これにより「天易霊通章」との関係がわかる。霊通章を論じるには、ぜひ大成の上巻が欲しい。まあ、出ないだろうな。それにしても江戸初期の易のバリエーションの多さには驚かされる。 |
2007年12月24日 (月)
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| 宋版の文字 |
| 「宋版は見ればわかる」という人がいるが、何だかよくわからない。内閣文庫の宋版特集の展示を見たが、有りがた過ぎてますますわからない。同僚(昔、東洋文庫の書庫でバイトをしていた)に聞いた所、「宋版の字は真四角か横長だ。明版の明朝体は縦長になる」と言っていた。それなら納得だ。 |
2007年12月24日 (月)
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| 資料公開の時代 |
東北大学では、学外者でも図書館が自由に利用できる。つまり、飛び込みで狩野文庫の資料を閲覧することができる。もちろん複写も。そんな大学は増えてきている。確かにオープンだが怖い気がする。 以前は紹介状を書いてもらい、うやうやしく拝見したものだ。資料は研究者によって様々に分析される。長い時間をかけていろいろな研究成果が生まれる。だから資料は将来の研究者のために長持ちさせなければだめだ。 高校生に江戸時代の版本のもとになった版木を見せたことがある。彼らは悪気がなくても字面を触って版木を崩してしまう。資料が壊れたら研究は止まってしまう。迂闊は通用しないのだ。 かつて、ある財団の文庫に紹介状持参で明版を見せてもらいに行った。白い手袋とマスクをして閲覧室に入ったら、「ホホホ、明版ですから手を洗っていただければ結構ですよ」と笑われた。宋版をたくさん持っている文庫の余裕だろうか。しかし、その明版には印刷の墨の下に印刷業者の髪の毛がはりついていたぞ。福井県立図書館松平文庫では、明治時代の版本を見るのに、赤い毛氈までひいてくれ、たっぷり30分は注意を聞かされたというのに。 狩野文庫には手袋・マスク着用級の資料がたくさんあるだろう。今どき笑われてしまうかもしれないが、手袋・マスク持参は資料閲覧の礼儀だと思う。資料公開が資料軽視にならないことを望む。もし、自分が手術されるとき、執刀医が手袋とマスクしていなかったら、やっぱりいやだ。 |
2007年12月21日 (金)
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| 儒蔵 |
| 道蔵は有名である。道家の宝典集といっていいだろう。これに対抗して「儒蔵」を作る計画が中国で持ち上がった。きっと完成は何十年も先だ。いろいろ分担してやろうということになり、日本でも儒教研究の盛んないくつかの大学が参画している。日本側は貴重な写本や版本を集めて頑張っているのだが、どうも中国側の「中華思想」というか、対等ならざる物言いがあるようだ。うまく協力してやってほしいが、このままでは途中で手を引く日本の大学が出てくるかも知れない。 |
2007年12月21日 (金)
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| 雲南 |
| 川野明正先生は『神像呪符「甲馬子」集成』『中国の“憑きもの”―華南地方の蠱毒と呪術的伝承』を著わしていらっしゃる雲南の研究家である。川野先生の奥さまは雲南省の大理古城市のご出身で、おそらく白族の方である。奥様のご実家は大理古城市で「客桟」を営んでいらっしゃると聞き、来年おじゃますることにした。雲南の気温は年間を通じて25度という。まずは観光で土地勘が欲しい。 |
2007年12月21日 (金)
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| 波照間島の泡盛 |
| 波照間島には「泡波」という幻の泡盛がある。何と道教学会では琉球大学の山里純一先生がこれを用意してくださった。しかも一升瓶である。ウンチク好きの酒飲みにはわかると思うが、これはちょっとあり得ないことなのだ。懇親会の乾杯が始まってそうそうにこれにありついた。皆さん知らないでビールばかりを飲んでいたが、「泡波」はすごかった。一升瓶の半分くらい飲んでしまったかも知れない。泡盛とは相性がいいようだ。 |
2007年12月20日 (木)
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| 沖縄の易 |
沖縄にはサンジンソーという占い師がいる。「三世相」をサンジンソーと読むのだという。久米島の上江洲(うえず)家文書にはサンジンソー資料がたくさんあるが、なぜか断易資料ばかりが目につく。三世相と断易は違うものだ。なぜサンジンソーというのかはわからないと三浦國雄先生もおっしゃる。幕末期の『大雑書三世相』も入った形跡がない。となると時代が違うのかも知れない。 沖縄の易占はヤマトからの影響は受けていない。資料のどこにも江戸時代に流行した「即時占」が入っていないのだ。おそらく沖縄の断易は清代の『卜筮正宗』の形式で行っている。また、ヤマトでは幕末期に『周易』回帰が始まるが、沖縄には『周易』は入っていない。頑として断易である。おそらく台湾から断易が入ったのだろう。 |
2007年12月20日 (木)
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| 京房易とは |
漢代に易が六経のトップに立った。それが、占候易(京房易と言ってもいいか)の力による所が大きいのなら、京房易がもっと盛んになり、たくさん引用されてもいいはずだ。それが明代まで姿を現さないのはおかしい。京房易伝と断易書の用語に差がないのも気になる。1500年以上も用語や占法の構造が変わらないのは疑問だ。 戸川芳郎先生によると、漢代以降は繋辞伝ばかりがもてはやされ、引用されたということだ。だとしたら「京房易とは繋辞伝のことだ」とは考えられないか?飛躍はあるにしても、あながち笑えない話だと思うが。 |
2007年12月20日 (木)
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| 断易の骨 |
| 明版から清版に受け継がれたのはまず「黄金策」である。単著でも出版されている。五行の相克の例外措置が補足されていると見るべきか。 |
2007年12月9日 (日)
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| 横書き |
| レジメは事前印刷と決まったらしい。A4縦書らしい。横で作成中だったのに。写真レイアウト大幅変更。文を削る。 |
2005年9月27日 (火)
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| 削減 |
| レジメスペース削減。簡略化。焦点を絞る方向に。 |
2005年9月22日 (木)
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| 三世相 |
| 三世相には、宋本と言われるものはあるが、実質的な日本への影響を考えると、やはり嘉靖19年(1540)の「重撰本」を想定するのが妥当なのだろう。寛永12年(1635)の和刻本が重撰本であることは、その証左であろう。 |
2005年9月21日 (水)
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| 三世相 |
三世相のテキストについて補足。 現代の中国では「秤骨分量神数」「秤骨算命」とやや姿を変えて残っているらしい。 |
2005年9月20日 (火)
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| 追い込み |
| レジメ追い込み。「当卦一年の吉凶」を大幅書き換え。どうも余分なことを書きたくなるが、広げすぎてはいけない。自重。 |
2005年9月19日 (月)
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| レジメ入力 |
| レジメの打ち込み。八卦本から八卦抄への直接的な発展ではなく、「聞書」の存在を無視できないという方向で決まり。たぶん三世相との区分が曖昧だったのだろう。 |
2005年9月18日 (日)
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| 国会図書館へ |
土曜日だが、前日に古典籍資料室の予約をしておいたので、閲覧可能。午前中に出かける。 21件まで予約可能ということだが、「八卦小鏡」、寛永17年版「八卦本」「宋本三世相」の三件のみ。複写を申し込む。 八卦本に見える四季皇帝(黄帝)占は「演禽斗数三世相」からのものだと考えている。レジメに両者を並べてみよう。 「八卦本」は今まで実物を出してもらっていたが、今日はマイクロで見た。マイクロにはすべての「八卦本」といくつかの「大雑書」が入っていて便利だった。次からはこれにしよう。 「八卦小鏡」は八卦抄ではいち早く、効率化を打ち出したものだ。いちいち数字を循環させないという見切りがすごい。 |
2005年9月17日 (土)
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