| 第三の歌訣 |
| 『河洛理数』の歌訣は各爻に三首、少ない爻では二首や一首ということもある。断易の詩断のもとになった歌訣と、『占例』のもとになったテキストが『河洛理数』に収められたとしたら、残る歌訣はあとひとつということになる。だが、どうもそうでもないようなのだ。断易にも『占例』にも該当なしなのに合致しない歌訣があとふたつある、というケースは少なくない。つまり第三の歌訣の他に、第四の歌訣の存在も想定する必要があるのではないだろうか? |
2011年5月8日 (日)
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| 決着 |
遅々として何もわからない状態が続く時もあれば、突然開ける時もある。そうだ、これをやらなきゃ。というわけで、『河洛理数』と『断易天機』六爻詩断との本文比較を再開した。これは一度試みてあっさり止めていた。乾卦の初爻がいきなり合わなかったからである。ところがである。二爻目からはきれいに合致することが分かったのだ。
*教訓「乾卦の初爻であきらめるな」
『河洛理数』『断易天機』『占例』を並べてみる。驚いたことに『断易天機』と『占例』はきれいに分かれる。複数の歌訣集の存在はほぼ確実と考えてよいだろう。
断易天機に混入した歌訣をAとする。『占例』をBとする。この他にCが存在したはずだ。このCは『断易天機』『占例』とは合致しない。 Aは5字×4句で統一された歌訣集とみてよい。1500年代後半に存在し、主に断易諸本に収められた。 Bは3字×4句を含むのが特徴である。7字×4句、5字×4句も含まれていたと見てよい。 CもBと同様である。BとCは単独では他に収められることはなかったのではないかと思う。 『河洛理数』歌訣はこのABCを集め一首、二首、三首と分類したものと仮定してみる。
では、Aは断易テキストから直接引用したかと考えることはできないのか。否である。6爻すべての歌訣が合致しない卦が存在する。つまり断易由来の歌訣だけでもすでに複数存在していたことになる。『河洛理数』は断易にとられる前の違うテキストを引用しているのは確かである。Aには總訣があったと見てよい。 従ってBの『占例』は『河洛理数』より前のテキストがもとになっていると考える。抄写年代は不明だが、1600年代初めに存在した歌訣集のひとつである。Bテキストも複数存在し、『占例』はそのひとつであったと思う。 ABともにテキストの乱れはあったと考えられる。爻訣が前後する現象、たまにあるAとBの合致などはその表れではないかと考える。
ここをひとつの決着点として、検討を進めたい。
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2011年5月5日 (木)
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| 修正 |
少し前の記事で、 <『占例』に該当がないのは『河洛理数』に歌訣が二首しか取られていない爻訣に限られる。> と書いたが、あながちそうでもないようだ。確かに前半の割合はそうだったが、後半では三首あっても該当なしというケースもある。ないなと思っていると、總訣から混入している場合もある。別の爻訣から混入しているケースもある。『占例』はかなり正確な写本である。やはりその通りに写したのだと思う。だとしたら、歌訣とは易経の卦序ではなく、もともと『占例』のような並びだったのかもしれない。『河洛理数』に収める時に並び替えた可能性もあろう。 |
2011年5月3日 (火)
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| 別本 |
同じ歌訣なのに『河洛理数』では7字×4句、『占例』では5字×4句になっているものが複数確認できる。まだ最後まで異同確認が終わっていないが、『占例』は『河洛理数』を写したものではないな、と考えている。『断易天機』が取り込んだものも『河洛理数』ではなく、その前段階の歌訣集だったのだと思う。『占例』はその歌訣集のひとつを写したもの。おそらく「三首」とある三番目の歌訣集ではないかと思う。 ただし疑問点はある。『河洛理数』に該当する歌訣がないものが相当数に上ってきたという事実である。どうも『河洛理数』に歌訣集が入った時点ですでに複数のテキストが交雑していたのではないだろうか? |
2011年5月3日 (火)
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| 父がまだ小さかった頃 |
昭和7、8年の頃、父は広瀬川沿いの細い道を通って小学校に通っていた。一家の生活はつつましやかだった。その日、まだ小さな父は下を向いて道の小石を蹴った。その足には草履。もう同級生のほとんどがズック靴を履いていた。自分だけが草履を履いているのがとても恥ずかしかった。でもズック靴は高くて買ってもらえない。「きょうは学校に行くのがやだなぁ」と父は思った。広瀬川の土手に座り、きらきら光る川面を見ていた。 この話を父から聞いた時、実際には見ていないはずの光景が目に浮かんだ。小さな子供にとって、自分だけがズック靴を履いていないというのはどんなに切なかっただろう。この話を思い出すたびにしばらく涙が止まらない。 |
2011年4月29日 (金)
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| 顕著な異同 |
| 『河洛理数』『占例』の異同比較も後半になってきた。驚いたことに、『占例』後半では異同が顕著になってきている。なんと該当する歌訣がない爻が連続して現れてきている。また、句の一部分の単語のみが三行にわたって散っているものもある。すなわち、後半に行くに従って完全な合致が明らかに減ってきているのだ。さあ、この先どうなる。 |
2011年4月23日 (土)
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| どっちが先か? |
明版『河洛理数』とソウル大『占例』はどちらが先か? 『河洛理数』が先と見れば、『占例』は『河洛理数』歌訣の三首目を抄写する方針であったと考えて良い。三首目との合致率は圧倒的に高い。でも100%ではない。 『占例』が先と見れば、『河洛理数』の一、二、三首目はそれぞれ独立した本からの採録ということになろうか。つまり『占例』は三首目にあたるテキストであるということだ。その証拠に、『占例』に該当がないのは『河洛理数』に歌訣が二首しか取られていない爻訣に限られる。『河洛理数』爻訣が二首しかない時、『占例』に該当する歌訣がない可能性は非常に高い。 それでもまだ、決着をつけられない。 |
2011年4月21日 (木)
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| 總訣 |
| 『河洛理数』歌訣には、總訣と爻訣がある。これは易経の卦辞と爻辞のような扱いなのだろう。『占例』には總訣はない。6爻の爻訣だけだ。しかし、總訣が1あるいは2爻訣に混入しているケースもいくつかある。損卦などはその一例である。ときどき總訣を入れるように配慮した、と考えることもできる。 |
2011年4月17日 (日)
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| 異同 |
ソウル大『占例』と『河洛理数』歌訣との本文異同を調べている。共通句に赤線を引いて行くと、『占例』にある歌が、『河洛理数』各歌訣の最後の歌と一致することが多いことに気づく。仮説だが、『占例』抄写者は基本的に『河洛理数』各歌訣の最後の歌を抜き書きする方針だった、という可能性がある。もちろんこれは『占例』が『河洛理数』より後のものという仮定での話である。 『河洛理数』と全く異同のない歌訣も多い。つまり『占例』はかなり正確な写本であると言える。特に7字句にはそれがあてはまるように思う。 異同のある句の特徴としては、例えば5字×4句の歌訣の場合、そのうちの3句は一致するが1句だけ異なるというケースがままある。 3字×4句という歌訣がたまにある。そうした場合『占例』は必ず写している。例えば一爻に7字句・5字句・4字句という3首の歌訣があったとすると、『占例』は字数の少ない4字句の歌訣を写しているように思う。ただし、5字句があるのに7字句の方を写しているケースもある。 『河洛理数』にまったく該当する歌訣が見当たらないものがある。全体ではかなりの数になりそうだ。『占例』はいったいどこから引用したのだろうか? まだ『占例』と『河洛理数』の成立の前後関係に決定的な結論を出せないでいる。 |
2011年4月17日 (日)
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| 故宮本 |
ネット注文した《故宮珍本叢刊》精選整理本叢書『河洛理数』が届いた。海南出版社から2007年に出た簡体字版だ。捲ってみると7巻の重訂本である。つまり、内容は崇禎版本と同じであり、国会本、蓬左本等と同じだが、この本には李峰という人の注解が各項目に付いている。 欲しかったのは巻3の詩訣部分である。六十四卦の各爻に「其一」「其二」「其三」とちゃんと数字がついているのが自分にとっては大事なのだ。 WEB上にも本文は転載されていたりするのだが、やはりそういう部分での省略があるのだ。まだ内容を吟味したわけではないが、詩訣部分だけでもかなりの研究課題が見つかりそうな気がする。しばらくこのテーマで勉強することになるかも知れない。 大陸における術数書の出版事情については詳しくないけれど、こうやって明版の術数書が台湾ではなく大陸で出版されるのは新しい潮流と言ってもいいのではないだろうか?ぜひ、埋もれているいろんな術数書物を発掘して欲しいものである。できれば影印本であるとありがたいが。 |
2011年4月13日 (水)
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| 陳希夷 |
| 陳希夷については、web上でも「陳搏」と「陳摶」の表記が入り乱れているが、確認した版本は「陳摶」となっている。誤りやすい字だと思う。 |
2011年4月7日 (木)
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| 国会写本 |
国会図書館写本の複写を受け取りに行く。国会図書館周辺の桜がとてもきれいだった。春爛漫と言っていいだろうか?目を開けていられないほど光がまぶしかった。 出来上がった複写をまじまじと眺めてみる。改めての印象は「丁寧によく書かれている」といったものだ。だからなおさら詩訣部分がないのが不審である。 巻頭『河洛理数』「陳希夷名搏字圖南撰」とだけあり、他の人名はない。この点は版本との相違である。 最初の項目は「人生八字干支卦取數法」であり、それに続く以下の項目も『河洛理数』という名称にふさわしい内容である。 上経・下経は『易経』の象伝と六爻辞である。それぞれに附属しているのは詩句ではないようだ。「叶者…」「不叶者…」「歳運逢之仕」といった語が殆どの爻に見える。 次は「四字(詞)」(「詩」ではないように見える)である。 甲乙丙丁戊己庚申壬癸のそれぞれがさらに十干に分かれ、そしてさらに十二支別に六個ずつの四字詞が書かれている。 最後は洛書と河圖である。五行のそれぞれに二個×九個の四字詞がある。占法の説明もあるようだ。 巻末「甲子秋七月既望済州西門外陳城居水原後人白雲龍書」と書かれている。朝鮮写本とされる所以であろう。 |
2011年4月6日 (水)
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| 違うな。 |
| 『河洛理数』は経部分と詩訣部分がもともと別ではないかと考えた。でも、やっぱり違うと思う。なぜなら『断易天機』に採られた時点で「十干」との組み合わせになっていたからだ。そして、『占例』詩訣には十干は見られない。経の部分に十干は含まれるのだ。やはり、版本の形式自体は同じものだっと思う。ただし、もっと古いとなるとまた話は別になってくる。 |
2011年4月5日 (火)
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| 二種の写本の存在 |
| 国会図書館の写本に「六十四卦爻訣」部分はない。ソウル大写本には上・下経部分がない。それぞれに版本との相違がある。とすれば、7巻本『河洛理数』とは、もともと別々にあった上・下経と六十四卦爻訣を合わせたものではないだろうか?『断易天機』は引用書名を明示しているが、『河洛理数』という書名はないようだ。案外1600年以前にはソウル大写本の形式で存在していたのではないだろうか? |
2011年4月3日 (日)
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| 序文 |
『河洛理数』の序文を書いたふたりの人物
陳仁錫(1581〜1636) 字は明卿。江蘇省長洲の人。天啓二年(1622)、進士に及第した。翰林院編修に任官した。魏忠賢におもねらず、罷免されて帰郷した。崇禎元年(1628)に復職し、神宗・光宗両朝の実録編纂に参与した。南京国子祭酒に上った。『皇明世法録』、『四書語録』、『周礼句解』、『無夢園集』。 (「中国史人名事典」よりコピペ)
史應選,譚懷(今河南沁陽)人。明朝人。 萬曆四十四年(1616年)丙辰科進士,與名臣洪承疇同榜,排名更在洪之前。生平不詳。著有《周易來注》,並與念冲甫根據《周易》所編撰之八卦《河洛理數.歲運六十四卦斷訣》三卷,為後代術家所推崇。 (ウィキペディア中国語版よりコピペ) |
2011年4月3日 (日)
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| 損卦 |
では、損卦の二爻・上爻を比較してみよう。
『河洛理数』損卦 二爻 勿益元无損 交請成妄求 居貞元有吉 躁進反成○ 上爻 惠而无所之 酌損得其宜 人樂来歸己 安然福禄随
『断易天機』損卦 九二 勿益方无損 交情戒妄求 居貞无有吉 躁進反成憂 上九 事而无所費 酌損得其宜 人樂来歸巳 安然福禄随
『毛利家文書』一一七六 九二 勿益方无損 交情戒妄求 居貞元自吉 躁進反成憂 上九 惠而无所費 的損得其宜 人樂来歸己 安然福禄随
『占例』損爻 二爻 望斷浮雲事轉虚 相逢陌上意皆殊 當時許我平生事 及到終時不似初 六爻 惠而無所費 酌損得其宜 人樂来歸己 安然福禄齊
以上のような結果である。
『占例』二爻は總訣の混入である。ただし、他の卦の各爻訣については該当するケースの方が多いことは付言しておく。 |
2011年4月3日 (日)
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| 訂本 |
『河洛理数』7巻には、
宋 華山希夷先生陳摶著 康節堯夫先生邵雍述 明 覃懐史應選 念冲甫重訂
と各巻頭にある。つまり、現存する7巻本は「念冲甫重訂本」と言っていいだろう。出版年では『断易天機』の方が早いわけだから、引用されたのは「念冲甫重訂本」ではなく、その前の版ということになるだろうか。「重訂」だから、その前に初訂本があったのだと思う。 |
2011年4月3日 (日)
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| 蓬左文庫本 |
蓬左文庫には二点ある。そのうちの一点には次のような説明がある。
資料名 河洛理数 7巻 4冊 資料名ヨミ カラクリスウ 年代1 崇禎5序 年代2 作成者 宛名 著編者 宋・陳搏撰 邵雍述 明・史応選重訂 出版書写地 出版書写者 出版書写年 崇禎5序 大きさ(cm) 26.8×16.6 叢書名 注記その他 陳仁錫序 史応選序 印記 旧蔵 松平定信 別書名 分類 子部 術数類
国会図書館本は序文が途中から欠けていて年紀がなかったが、これで崇禎5年(1632)の明末清初の出版だとわかった。それにしても松平定信の旧蔵書か。やっぱりいいもの持ってたな。 |
2011年4月3日 (日)
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| 断易天機六十四卦占 |
| 『断易天機』六十四卦占に『火珠林』と『河洛理数』が混入していることは明らかとなった。『断易天機』は引用についてはかなり正確であると思っている。だから『河洛理数』爻訣の後にある吉凶はどこから齎されたものなのか気になる。吉凶のある版本が存在していたのだろうか? |
2011年4月2日 (土)
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| 總訣 |
| ソウル大『占例』にはなぜ總訣がないのだろうか?例えば『易経』には卦辞と爻辞がある。これは変爻を前提とする二重の占法と言えるだろう。『河洛理数』の總訣は卦辞のような位置づけとなろう。それが省略されたのは変爻を前提としないからではないだろうか?『占例』は一回のみで結論とする占法に特化された後の形式を示唆するものと考える。 |
2011年4月1日 (金)
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| 河洛理数@国会図書館 |
国会図書館へ明版本『河洛理数』を見に行く。といっても、この本は以前に一度閲覧したことがある。データ取りのノートに日付も書いてあるはずだ。その時「これは古いな」という印象を持ったものの、易なのに数字、というのがなかなか結びつかなかった。まあ、ちょっと遠回りして勉強してきましたという感じである。 国会図書館にはマイクロリールの写本資料と明版本(とされているが刊記や序文に年紀はない)がある。版本は全7巻である。写本資料はそのうちの1、2巻の内容と共通する。こまごました内容が含まれているが、上経・下経という部分が主となるようだ。これは易の六十四卦の「象曰…」を含んだ部分だ。 では、ソウル大『占例』はどうなのかというと、版本の3巻目にある「六十四卦詩訣」がこれに該当する。『占例』はこの詩訣のみの写本資料ということになる。 拙著142頁に『毛利家文書』を引用したが、この九二、上九のそれぞれの五言詩が『河洛理数』『占例』の詩訣と合致する。
ではここで少し整理してみよう。
版本『河洛理数』詩訣の乾卦 「乾卦總訣三首」のうち、 其二 隹某密用且潜蔵 逆理枉圖必見傷 直待龍蛇興變日 從前名利始享昌 其三 望桂蟾宮遠 求珠海水深 終須名利足 只恐不堅心
『断易天機』乾卦十干詩断では、 甲 進謀立用且潜蔵 逆理圖為必見傷 直待龍蛇興変日 從前名利始亨昌 乙 望桂蟾宮遠 求珠海水深 終須名利足 只恐不堅心
ソウル大『占例』乾卦 初爻 佳謀密用且潜蔵 陽気方生運未強 直待龍蛇興變日 高攀仙桂始榮昌
となっていて、やや異同があるのだが、 実は『河洛理数』乾卦初爻訣二首に、 其一 陽気方生昧未明 潜蔵勿用破幽榮 離明一照四方火 進位高攀便出群 其二 玉韞石珠蔵 淵羽翼一旦 上青天名利 須知有異縁 とあって、總訣と初爻訣が混在していることが分かるであろう。印象としては、『占例』初爻訣に乱れが多いようだ。
『河洛理数』詩訣には、總訣や各爻訣に二首か三首あり、7字句・5字句・4字句のバリエーションがある。『占例』には各爻に一首しかないので、どうもアトランダムに採られているような印象だ。
今本の『河洛理数』は、各卦の経の部分・詩訣・4字句(これは写本資料にしかないようだ)をまとめて編集しなおした形式になっている。
本日閲覧した国会図書館の資料はどれも卦序は『易経』に倣っており、ソウル大『占例』とは異なる。どうも『占例』は詩訣部分だけが占い用に特化したテキストのように思われる。同じタイプのものは今の所見当たらないし、文字の異同も著しいようだ。明代以後に省略しながら写し伝えられたものではないか。
昨夜のうちに今本『河洛理数』を輸入注文し、今日は国会図書館でマイクロ資料の複写を注文した。
今年度の末日までに気になっていた課題をクリアできてちょっと嬉しいです。 |
2011年3月31日 (木)
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| からくり |
『断易天機』をはじめとする明版断易書の六十四卦占に混入しているのは『河洛理数』の本文であり、明代には単行の版本として流布していた。当時の河洛理数とは任意の二文字の筆画の総数を8で割り、残数を易卦に充てる方式のようだ。ソウル大資料の『占例』という書名は、『河洛理数』の占法解説の「占例」に当たる部分が書名となってしまったということになる。表紙・題箋が欠けて書名がわからなくなっていたせいだろう。冒頭の占法解説では、内卦(下卦)優先のように書かれているが、六十四卦の構成からすると、もともとは外卦(上卦)優先の『梅花心易』方式だったのではないかと推測される。 現在、中国・台湾・日本などで行われている河洛理数は四柱(年月日時)方式のようなので、どこかの時点で分派したものと思われる。 |
2011年3月31日 (木)
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| これだね。 |
ソウル大学『占例』は、今本『河洛理数』「歳運六十四卦訣」の古い形だと考えられる。『占例』は今本とは異同があるが、おそらく国会図書館所蔵の写本・明版本とは本文が一致するものと思う。 あー、やっと見つかったよー。すっきりしたよー。でも、これでまた論文書かなきゃならないねぇ。よし、がんばりましょう。増補版に入れるぞ。 |
2011年3月31日 (木)
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| これかな? |
国会図書館所蔵
請求記号 178-30 タイトル 河洛理數7卷 責任表示 宋陳摶撰 責任表示 宋邵雍述 責任表示 □明應選重訂 出版年 明刊 形態 6册 ; 25cm 装丁 綫装 注記 『國立國會圖書館漢籍目録』380頁右 非統制件名 子部/術數類/占卜之屬 本文の言語コード chi: 中国語 発行形態コード 0101: 図書 資料内容種別コード 02: 漢籍 出版国コード CN: 中華人民共和国 西暦年 1??? 校了日 20041207 最終更新 20041207113556 書誌ID 000007566443 |
2011年3月30日 (水)
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| 卦序 |
| 見落していた。ソウル大『占例』の卦序は独特だ。『易経』とは違う。乾為天、天澤履、天火同人・・・というように共通な上卦ごとに揃えてある。つまり、天・澤・火・雷・風・水・山・地の順で縦横を組み上げてある。あれ?『卜筮盲笻』と同じ?まさか松宮観山ここからヒントを得たとかいうことないよな。『断易天機』は京房易の八宮の順だから、明版断易書とソウル大資料はやっぱり違うエリアだな。 |
2011年3月30日 (水)
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| 易林 |
『焦氏易林』を眺めてみたが、やはり違う。詩句はあるが、十干との関連性がないのであるから、全然違うエリアである。 江戸時代の八卦の場合は、十二支を分割していた。ふつうはイメージとしては十二支だけどなぁ。やっぱり古いんじゃないかなぁ、十干分割っていうのは…。 |
2011年3月30日 (水)
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| 内閣文庫 |
| 25日(金)に十干詩のヒントを探しに内閣文庫へ赴き、明版『事林広記』を眺めた。閲覧申し込みをして待っていると名前が呼ばれた。「あれ?」コピーである。これは以前に版本で見せてもらってた資料だったと思ったが…。どうも製本が新しい。分冊どうしの綴テープ部分がくっついてちょっと気持ち悪い。ああ、とうとうコピー閲覧時代の到来なのだなぁ。資料保護の立場からすれば無理もない。こうやって未来に大事な資料は伝えてもらいたい。だが、コピーだとぴんとこない。本を触る高揚感がない。結局、『事林広記』には十干詩のヒントは見つからなかった。 |
2011年3月27日 (日)
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| 慶長10年版 |
| 慶長10年版『周易』は二種類ある。国会本、内閣文庫本、国文学研究資料館本、京都大学清家本は同版と思う。6巻で「西笑叟承兌」の刊語がある。これらは経の部分しかないから王弼注のみということになる。一方、京都大学の近衛本は同じ慶長10年版であるが繋辞伝・説卦伝があり、韓康伯注がある。「西笑叟承兌」の刊語はない。こうしてみると「慶長古活字版周易」などと簡単に括ってはダメなのだと思う。もう少しちゃんと調べた方がいい。 |
2011年3月26日 (土)
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| 単行本なのか? |
十干詩断はもともと単行本なのだろうか?明版の六十四卦占に混入する時点では他に単行本が存在していたのだろうか?『事林広記』等の元版の日用類書に収められているとしたらそこから遡るのは難しいかな? 昨日の朝にふと思ったこと。ソウル大の十干詩の資料は朝鮮由来のものではなく、中国由来のものではないだろうか?なんだいまさら、と思われそうだが、これまでは何となく中国の影響はあるものの朝鮮オリジナル資料という印象だったのだ。中国由来のものだと考えるのは文字異同の部分である。全体の中で明版と共通するものは多いとは言えないが、共通する部分の文字異同はかなり少ないと思うのである。ただし、逆も言えることであって、やはり全体の中での共通項目が圧倒的に少なすぎる。これは孫引きによるものだからではないだろうか?単行本ならもう少し同じものがありそうだ。 |
2011年3月24日 (木)
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| 訂正 |
拙著の訂正。
182頁の八卦占法の項目。男子の子寅辰午申戌は右回りの「恵順」、丑卯巳未酉亥は左回りの「登逆」まではいい。女子は丑卯巳未酉亥が右回り、子寅辰午申戌が左回りになるのだが、本文では女子にも「恵順」「登逆」という用語を使用してしまった。正しくは女子の右回りは「登順」であり、左回りは「恵逆」としなければならない。これは180頁「借途法図」下方に書いてある通りである。
理解不足でした。申し訳ありません。 |
2011年3月20日 (日)
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| 勤勉な母 |
ふるさとの母は82歳である。85歳の寝たきりの父の介護にかかりきりである。所謂、老老介護だ。長男夫婦やヘルパー、介助団体が毎日手伝ってくれているものの、それは想像を絶する重労働である。父の容態も心配だが、骨粗鬆症の小さな母が先に倒れるのではないかとはらはらしている。 だが、母はそんな毎日の中で驚くほど上手に時間を生かしている。家庭菜園と言うには広すぎる畑は、いつ帰省してもきれいに手入れされている。私がぼーっとしている間に小さな体でひょいとキュウリやナスをもいでくる。「言ってくれれば採ってくるのに」と言って、結局何もしない私とは大違いだ。毎朝3時に起きて、父の朝食を二時間以上もかけて作る。手際は良くないが、丁寧に一品ずつ作っていく。 去年、拙著を出版した折、母に一冊手渡した。本を手にした母は表紙を食い入るように眺め、「偉いなぁ、お前は。」と言ってくれた。父は食道癌に冒されている。拙著の出版を急いだ理由はそこにもあった。何とか父にも見てもらいたかったから。父も本を見て黙ってうなずいてくれた。 ある日、すっかり背中の丸くなった母が、さらに背中を丸くかがめてノートに何かを書きつけている。「何を書いてるの?」と尋ねると「お前の本に書いてある日本の元号を順番に書き出しているんだ。」という。そして「こういう元号がちゃんと全部書いてある本はないのか?」と鋭いことを言う。実はあまりないのだ。日本の元号を西暦と対応させたちゃんとした年表は平楽寺書店の『東方年表』ぐらいではないだろうか?そこで『東方年表』の大判(大判があるのですよ)を差し上げた。 母は父の介護をする中で、畑の手入れ、編み物、料理番組のレシピも書き取る。そして今度は江戸時代の易占研究にも取り組んでいるらしい。どうやら強力なライバルが出現したようだ。・・・がんばります。母上様。 |
2011年3月17日 (木)
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| 卜筮元亀との比較 |
同じ内容の資料だが、
『断易天機』損卦の十干詩断 望断浮雲事転虚 相逢陌上意皆殊 当時許我平生事 及到終時不似初
月下歓欣事 翻成夢○場 晴雲初散處 日暮始光亨
蓬左本『卜筮元亀』損卦の十干詩断 望斷浮雲事轉虚 相逢陌上意皆殊 當時許我平生事 及到終時不似初
乙丁己辛癸 月下歓欣事 翻成夢一塲 暗雲初徹処 日暮始光亨
となっている。 |
2011年3月6日 (日)
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| 米飯 |
熱帯魚を飼っている。ビギナーであるから水道水なんかをジャージャー入れてしまう。それでも平気で生きていた。ところが、引っ越し先の水道水ではだめだった。見る見る魚の数が減り、ほぼ壊滅した。これは水が悪いに違いない、こんな水では人間さまも危ういと考えて高性能の浄水器を取り付けることにした。すると、う、うまい。こんなに味が違うものかと思った。新しい熱帯魚も元気に泳いでいる。 うまい水が手に入ったら欲が出た。水といったら米だ。そう、うまい米飯を食べよう。さっそく米の甘みを最大限に引き出す圧力IH炊飯器を購入。内釜全体が均一に発熱して炊き上がりにムラがないのがウリだ。 米にも妥協はできない。やっぱりふるさとの米でいこう。群馬県は赤城山麓の水と空気で育った米。前橋市東部の赤堀・富田・笂井のそれぞれの地域から、普通米・無洗米・玄米を知り合いからわけてもらった。作り手と田んぼの場所まで知っている。 梅干しは自家製だ。紀州南高梅(南部高校の先生と生徒が品種を定着させたので南高梅と言う)の大粒を天日塩15%の濃度でがっつり漬けこんだ堂々の三年もの。 漬物はやはり自家製の糠漬け。糠床は国産の米糠と京都の複数の老舗漬物店の糠をタネにして陶器の甕で熟成したもの。こだわりの麹菌だ。
さて、実食。・・・ううむ。
(追記)その後、山形県産あきたこまち、新潟県産コシヒカリ、茨城県産ミルキークイーンと茨城県稲敷産特別栽培米ミルキークイーンを実食。次は岐阜県の幻の米「龍の瞳」を狙っている。 |
2011年1月24日 (月)
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| 脱稿! |
明けましておめでとうございます。
人名辞典の原稿に手を入れて、あれこれやっていると結局元旦である。締切りを遅れて年またぎの仕事にしてしまった。本日、やっと脱稿し、編集子のもとへ添付メールで送信。終わったぁ・・・。
横書きが前提となるので、使用する記号が違っていたのが面白い。「、。」ではなく、「,.」を使う。引用書名も『 』ではなく、《 》を使う。
元旦の太陽もすっかり沈んでしまい、初日の太陽に向かって新年の抱負を考える暇もなかったが、今年も人々の平安を祈りながら暮らしていきたい。
合掌 |
2011年1月1日 (土)
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| 人名辞典 |
年末年始は大体パソコンの前に座っている。
2013年に岩波書店が『世界人名大辞典』を刊行するらしい。現在の『西洋人名辞典』に東洋部を加えたものとなる。そこに収録される中国の術数家数人の項目を担当している。
100字とか200字とかの規模であるから、伝記資料の何を残して何を削るかを考えなければならない。逆にエピソードが乏しい人物もいる。情報検索にはネットも使うが、web上には出典不明な情報も氾濫している。これに流されるのが一番ダメだ。原典をちゃんと示せというのが岩波書店の編集方針なのだ。これはとてもいいことだと思う。こっちもちゃんとやっている。
今日は『清史稿』の列伝を全部眺めた。ああ、目が痛い。こうやって人名辞典はできるのだなぁ。
ちなみに、すでに原稿締め切りを10日ほど過ぎていて、編集者からやんわりと催促のメールが届いている。 |
2010年12月30日 (木)
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| 佐倉 |
| 本日は学友・宮崎氏と佐倉の国立歴史民俗博物館を見学。常設展の印刷技術の発達についての展示がすばらしい。宋版も数点展示されており、じっくりと見られた。やっぱり風格あるな。慶長古活字の論語もあったが、文字の美しさ、行内のブレのなさなど、これまたすばらしい。 |
2010年12月24日 (金)
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| 卜筮元亀 |
| 検索していて自分のHPが出てくることはあるが、たまにそれで気づくこともある。そうだ、十干詩断は『卜筮元亀』の中・下巻にもあるのだ。『断易天機』より早い引用とすると・・・元版(京大本の奥書の年号)にまで遡ることになるか?こりゃあえらいことだ。 |
2010年10月17日 (日)
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| 観音霊籤 |
| 琉球大の山里純一先生が『観音霊籤』の本文をWeb上で紹介している。観音霊籤は100項目だ。単位は「卦」である。七言の句で構成されている。霊籤はやはり探しものに近い気がする。五言と七言の分かれ目がどこかにあるのだと思う。試みに、100項を64卦に散らすと1卦あたり1,5個くらい。2卦で七言を3個くらいか。そのくらいの散らしかたで残りは五言で構成することもできるかな?『占例』の七言は50個くらい。五言は300個以上。う〜ん、七言が足りない。 |
2010年10月17日 (日)
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| 五言句 |
十干詩について『断易心鏡』はすべて五言句である。七言句は全くない。さて、今までに共通する句を見て頂いたが、五言句でも意味はわかる。いや、五言句はとてもすっきりしている。逆に七言句の語には違和感さえある。 『断易心鏡』は明版断易書では唯一の両見開きで一卦の書物である。字数は必ず揃えてあるのだ。果たしてそれが影響しているのか。他の断易書を見ればわかることである。 |
2010年10月5日 (火)
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| 十干詩とは |
『断易天機』十干詩断には甲・乙側にそれぞれ詩が引用されている。両方が七言句の場合もあるし、乙側だけが五言句、そして両方が五言句という卦もある。これは引用原典にバリエーションがあったからと見てよいだろう。ソウル大『占例』にはさらに四言句もあり、バリエーション的には興味深い。
さて、ここで『断易天機』『断易心鏡』の十干詩断を比較してみよう。 離為火では、
『断易天機』 甲 一生繁冗事多端 歴尽艱難未得安 幸有主人相引薦 従今妖孽変為祥 乙 険阻艱難総未當 幸煞危裡保安康 忽逢帯口人推惜 得際風云在王堂
『断易心鏡』 甲 繁冗事多端 艱難且向安 有人相引薦 危處始連官 乙 艱難総未常 危裡保安康 忽逢人推惜 風雲在玉堂
この例からわかるように明版断易書の引用には同一内容にも関わらず、すでに五言・七言の句が存在していたことがわかる。 離為火については『占例』に共通部分は認められず、明版どうしの異同に過ぎない。やはりもっと古い時代に分化したものではないかと思う。 |
2010年9月22日 (水)
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| まとめ |
両資料の共通部分を整理してみる。
・第二爻に共通部分が多い。 ・七言句となっている箇所にしか共通部分がない。 ・第二爻が七言句であっても共通するとは限らない。
『断易天機』の引用に一定の法則性があったことは間違いないが、別の資料が混入している可能性があるということだろうか? |
2010年9月19日 (日)
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| ���� |
『断易天機』恒卦の十干詩断「乙」側 鳳引雛飛入九霄 羨従雲路去迢○ 翺翔得遇西風便 従此升騰揔不労
『占例』恒卦の第二爻 鳳引雛飛入九霄 豈辞雲路出逍遥 翺翔得遇西風便 従此声名四海標
この例のように十干詩の「甲」側ではなく「乙」側ということもある。 |
2010��9��19���E���E
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| 他の卦 |
『断易天機』中孚の十干詩断 鶴鳴和子本誠心 千里相逢自有音 所望須成図必遂 両重喜事在秋深
『占例』中孚の第二爻 鶴鳴和子本誠心 千里相伝自有音 謀望須成図心遂 両重喜事在秋深
ここにも共通部分が認められる。これでわかるのは、『占例』には七言・五言それぞれの句があるが、どうも共通部分は七言詩に限られており、こちらが古いのではないかということだ。 |
2010年9月19日 (日)
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| 共通部分 |
『断易天機』とソウル大資料『占例』を比較してみる。
*『断易天機』損卦の十干詩断 望断浮雲事転虚 相逢陌上意皆殊 当時許我平生事 及到終時不似初
月下歓欣事 翻成夢○場 晴雲初散處 日暮始光亨
*ソウル大資料『占例』損卦の第二爻 望断浮雲事転虚 相逢陌上意躊躇 当時許我平生事 及到終時不似初
歓欣好恰 雲散月明 番成一夢 梗留三美
以上のように共通部分が認められる。両資料の関連性は明白である。
乾卦では、
*『断易天機』乾卦の十干詩断 進謀立用且潜蔵 逆理図為必見傷 真待龍蛇興変日 従前名利始亨昌
*ソウル大資料『占例』乾卦の初爻 佳謀密用且潜蔵 陽気方生運未強 真待龍蛇興変日 高攀仙桂始栄昌
というように句の異同が多い。 |
2010年9月19日 (日)
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| 十干詩 |
ソウル大資料が『断易天機』の「十干詩断」と部分的に関連があることはわかってきている。 さて、その先には何があるのだろうか? なぜ断易と霊籤との微妙な距離が縮まらないのだろうか? この七言絶句形式のバリエーションはどれだけあるのだろうか?
「十干詩断」のもとになったものは、たぶん明末にはすでに崩れていたのだろう。成立はもっと早いものと思われる。だからソウル大資料の崩れ方は非常によくわかる。間違いなく崩れた後の形式である。だから字数もまちまちになり、妙に占術っぽくなるのだろう。 |
2010年9月19日 (日)
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| 活字本 |
朝鮮本といえば大判である。閉じ穴が5か所。うーん立派だ。おや?この版面は・・・これは活字印刷である。朝鮮木活字だ。あ、こっちの本も。書誌学の専門家が泣いて喜びそうなお宝の山だ。せっかくの朝鮮活字本なので紙質や版面をじっくりと味わう。活字のタイプから数種類の版元の分類がされている。書物の格によって活字の出来にも差があるようだ。 「チャングム」が書庫に忍び込む場面があったが、たぶんそこにあった本が今、目の前にある。虫食いは全くない。永い間、厳しく管理されてきた書籍たちなのだ。 |
2010年8月17日 (火)
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| ソウル蔵書 |
奎章閣の蔵書については、四部分類の目録があり、漢籍については漢字表記となっている上、簡単な書誌データが記載されている。なかなか便利である。我々は子部術数類の蔵書の調査が目的である。目録では見開き3枚ほどの書名が並んでいる。実物の版本を見せてもらえるものもあれば、マイクロ化している写本の資料もある。 ざっと書名を見て、各自が閲覧希望の書類をカウンターに提出する。便利なのはマイクロリーダにプリント機能が付いていることだ。その場でプリントアウトできる。しかも安い!たぶん日本のコピーより安い。ここぞとばかりガンガンプリントする。 写本の場合、書名と内容が一致していないものがあるので、念のためいろいろ見ると、かなり面白いものがある。やっぱり韓国にも独特の易体系があったようだ。現代の韓国でも易とは周易のことだという印象が強い。しかし、目にとまった資料は火珠林や易林的な詩句で構成されたもので、卦序は上卦ごとに揃えたものだ。時代は特定できないが、韓国に周易の辞に影響されない断易以外の易があったことは大きな発見だ。 |
2010年8月17日 (火)
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| ソウル |
2010年8月11日にソウル大学奎章閣韓国研究院にて「東アジアの術数学知識の交流と伝播」と題して研究発表会が開催された。
英題 The study of Shusyu(術数): Its Exchange and Dissemination in East Asia
基調講演 三浦國雄(大東文化大) 「術数学の基本認識」 李東哲 (龍仁大) 「術数学の幾つかの課題」
発表 宮崎順子(関西大) 「ベトナム風水書『安南風水』の地脈説」 朴権寿 (ソウル大) 「朝鮮後期王室儀礼と観象監の択日択地」 奈良場勝(暁星高) 「江戸時代の易占の展開」 朴正潤 (円光大) 「現代韓国術数学の動向と展望」 大野裕司(北海道大) 「出土術数文献研究の現況と課題」 全勇勲 (ソウル大) 「西洋占星術文献の朝鮮伝来」
司会 宋芝媛 (ソウル大) 金南一 (慶煕大) 申東源 (韓国科学技術院)
通訳 南声鎬 (韓国芸術総合大) 李承妍 (慶北大) |
2010年8月14日 (土)
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| 韓国的術数 |
| 韓国の宗教的イメージは巫俗である。そうした職業的宗教者が収入を得るために日常的に占卜を行ったことは想像に難くない。ではそのタネ本はあるのか?系統立てた分類は可能なのか?ある程度のコレクションが国内に残っているのか?うーん。まずは一冊である。 |
2010年5月20日 (木)
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| ソウル |
8月にソウルを訪問予定。李氏朝鮮王朝時代の図書館「奎章閣(けいしょうかく)」で研究発表と書籍の調査だ。現在はソウル大学の管理になっているらしい。おそらく中に研究所が設けられているのだろう。 韓国訪問は25年ぶり。ハングルをうろ覚えで韓国全土を民俗調査で巡ったのだから、怖いもの知らずの大学生であった。当時は兵隊さんにマジで睨まれるし、北のスパイではないかと村人たちに尾行されるしといった軍事政権時代である。夜は灯火管制で真っ暗。教会の赤いネオンだけがくっきり見えたもんだ。カタコトの韓国語で旅する大学生に韓国の人たちはとても優しかったなぁ。 |
2010年5月20日 (木)
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| 謹呈 |
| なかなか難しいのだけれど、第一便の献本を昨日発送。さっそく今日は返礼のメールが寄せられる。たぶん作品が独り歩きをするように、自分の著書もここからは違う存在としてこの先を歩み始めるのかも知れない。自分はそのための補助的存在としてここにあるのかも知れないのだ。 |
2010年5月13日 (木)
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| 御礼 |
舞い上がっていたせいで、遅くなりました。皆様のお蔭で拙著を刊行することができました。本当にありがとうございます。
あとがきの所にお名前を挙げてある方々の他にもお世話になった方はたくさんいらっしゃいます。特にweb上でたくさんの御教示を賜ったkyamさんには本当に感謝致しております。kyamさんのお蔭で刊行に漕ぎつけることができたと思っております。この場を借りて改めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。 |
2010年5月9日 (日)
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| 三校終了 |
| 三校を終え、原稿を出版社に送る。反則だが、結構な数の訂正を入れてしまった。自分でできることはここまで。もうすぐ自分で書いた文章が販売される。何ということだろう。「世に問う」というのは怖いことだ。ダメ出しもあるのだ。『五体不満足』の著者がその後のインタビューで「できることなら『五体不満足』の出版前に戻りたい」と言っていた。そんな比較はおこがましいが、メディアに身を任せるというのは、自分の死に方さえも変えることになるのだろう。 |
2010年4月14日 (水)
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| ねばる |
| 平安末期の藤原頼長の『台記』(臨川、増補史料大成23〜25巻)康治二年(1143)九月の記事の最後に頼長が読んだ書籍の一覧がある(らしい)。ここに「周易」があることは易の受容の一端をうかがわせるものだろう。『台記』は三冊本として出版されているから引用はこれでいいと思うが、内閣文庫に行くと写本がある。皇居の散り始めた桜を眺めながら、素姓のいい写本で原典を当たるとは何とも渋い。 |
2010年4月11日 (日)
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| 三校 |
| 本日、出版社より第三校が到着。今回は何と、背表紙と函の文字レイアウトが見本として出来上がっている。何だか先に進むのが怖いようだ。一週間で返送しなければならない。三校はほぼ確認だけのものであるというが、あがきたい気持ちももちろんある。引っかかっている表現があるのだ。明日はまず通して読んでみよう。 |
2010年4月10日 (土)
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| 代償 |
オリンピックの総集編を見る。浅田真央とキムヨナの対決場面が何度も繰り返し放映された。ふたりの笑顔ばかりが印象に残っていたが、アーカイブ映像では小さい頃に泣きながら練習する場面があった。ああ、こんなに小さい頃から過酷な練習を重ねてきた二人なのだなと思った時、浅田真央の涙の重みが少しだけわかった。 人が芸術作品に感動するのは、その完成までにどれだけの時間や手間が掛ったかが見る者に伝わるからだという。生み出すために払った「犠牲」や「代償」の重みに心が動くのだろう。『史記』の著者である司馬遷の運命と心情を思えばわかる気がする。我々は多大な犠牲や代償を払った人々が、それでもなお何かを生み出そうとする執念の結実を待ち望んでいる。それによって自分の生活に潤いを与えている。いやはや文化の創造というのは容易なことではない。 |
2010年3月20日 (土)
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| 送付 |
| 二校を出版社に送付。校正期間は一カ月もあり、こんなに要らないけどなとか思っていたけれど、実際には締め切りぎりぎりではないか。自分の文章を読んでいて変なところは確かにある。同じ事実をもっとうまく書くことはできるのだろう。表現というのは難しいものだ。空腹の時に書いた文章、満腹の時に書いた文章、いいことがあった日に書いた文章、救われない一日に書いた文章。どれもこれも等身大の自分。それを今直すのはどうなのかな? |
2010年3月20日 (土)
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| 二校終了 |
二校が終了。主な校正はこれで最後になる。三校はもう確認だけと聞いている。ああ、いよいよ近づいてきてる。 なにしろ最初に原稿を書いた時から時間が経っている。校正をしていて、あれ?これは自分の勘違いだったかなと思う時がある。それでもう一度確認するとちゃんとそこは調べてあったりする。へえ・・・俺ってこんな奴だったっけ?論文集もなんだか自分とは違うところに存在するものみたいな気がする。完成したら神様に召されてしまうのだろうか・・・。 |
2010年3月16日 (火)
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| 校正の日々 |
| 毎日、自分の原稿を読む。そして校正を加える。前日直した部分が翌日には気に入らないこともある。その結果、最初の文面に戻ったりもする。この仕事を100年後にも残そうという時、自分以外の第三者の批判的な目で見る冷静な視点はきっと必要なものだろう(いや、逆かも知れないけれど)。自分であって自分でない視点というのはなんとも不思議な感覚だ。100年後の世界。自分がいないその世界に残したいモノっていったい何だろう?じゃあ、百年後に自分の何かが残った人は果たしてあの世で満足しているのだろうか?んー、わからないね。(想像だけれど)完成したピラミッドを眺めるファラオの気持ちってどんななんだろう。それは本当に永遠の未来を約束したことになるんだろうか?謎は深まるばかりだが、今日もちまちまと校正をするのである。 |
2010年3月14日 (日)
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| 大易断例卜筮元亀 |
| 『大易断例卜筮元亀』は上巻が京都大学、中・下巻が蓬左文庫にあるが、建仁寺両足院も下巻の写しを持っているようだ。マイクロが慶応の斯道文庫にあるという。これもおそらく桃源瑞仙の時代のものか、その写しだろう。 |
2010年3月8日 (月)
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| 外字的漢字 |
| これまで論文をHTMLタグでHPに張り付けていたわけだが、改めてUSBに取り込んで新しいワード文書に展開してみると、いくつかの漢字が違う字に化けているではないか。気がつかなかったけれど、外字じゃなくても化けることがあるんだなぁ。どの段階で変わってしまったのだろう?もしかしたらHP上でも違っていたのだろうか?だとしたら皆さんごめんなさい。校正をしていて気がつきました。 |
2010年3月8日 (月)
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| 媒体 |
| データの保存さえしっかりしておけば、いざという時も安心だとタカをくくっていた。さて、その「いざ」がやってきた。新井白蛾の一番最初の論文データを探した。当時の媒体はFDである。(FDはフロッピーディスクの記号であることは、そのうちわからなくなってしまうのだろうな。)OSはMS−DOS、容量は1Mである。ちっせー。・・・などと言っている場合ではなかった。保存していたはずのFDが見つからないのである。そうだ!たぶん昔、データを出版社に送った時、そのまま廃棄されてしまったのだ。えーっ!バックアップなんか取ってないよ。こ、これをもう一度打ち込むのか?よりによって面倒な文面なのに。・・・はじめて数日で挫折。かくして「新井白蛾の基礎的研究」は本当に幻の論文となってしまった。増補版に期待か? |
2010年3月8日 (月)
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