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注
1 慶應大学付属図書館蔵本『卜筮經驗』(一三二・九一・六)六巻六冊。二五七H×一八四W。匡郭内二〇七H× 一四〇W。刊記「奠辰樓藏板/寳暦六丙子年十二月吉日/書肆 弘所 近江屋藤兵衞/彫工 門人 小嶋茂八」。 近江屋藤兵衞は「本白銀町通二丁目」とある。一時期隨貞の住居があった場所である。尚、慶應大学付属図書館本 と東北大学付属図書館狩野文庫本は同版である。 2 『卜筮經驗』目録には、巻一に「題辭」「北辰奠儀紀畧」「周易解辭」を収め「右隨貞自撰」とあり、巻二から は「以下至終隨運堂渉筆」とある。 3 京都大学付属図書館蔵本『卦爻問荅』(三一・ホ・一)二巻二冊。二一二H×一五二W。匡郭内一七五H×一二 七W。上巻、見返「平澤隨貞先生易説/卦爻問荅/奠辰楼藏版」、觀山序文二丁、本編二十丁。下巻十三丁、跋二 丁、隨貞先生著作書目一丁オモテ、ウラに奠辰楼認印欄と印、刊記「書林門生 小倉屋金兵衛發行/彫刻 小嶋茂 八」。京都大学本と東北大学本は同版である。出版はどちらも宝暦三年としてよいと思う。 4 登坂又蔵編『米澤市史』(昭和48年名著出版)第三編、人物、一一六五頁。 5 『国書人名辞典』(一九九八年、岩波書店)第四巻、一三三頁。 6 『卜筮樞要』附言の二条目。『卜筮樞要』については、拙稿「新井白蛾の易」(二松學舎大学大学院紀要『二松』 第十三集)注45参照。 7 東北大学付属図書館狩野文庫蔵本『卜筮靈狐傳』(狩・第二門・三八七一)写本一冊。二二七H×一五〇W。觀 山序一丁、目次一丁、本編五十丁(末丁ウラに宝暦七年の志村源光跋、「奥宮成騰写」とある)、奥付一丁(明治 廿五年「暁峰紀禮識」) 8 東北大学付属図書館狩野文庫蔵本『當世武野俗談』(狩・第三門・六五六〇)写本。十巻二冊。二二三H×一六 三W。巻一の最後に「平沢隨貞之事」が三丁ある。『古事類苑』の引用と有朋堂文庫本(大正二年、有朋堂書店) の異同が多いため、本稿表記は資料紹介の意味で東北大学狩野文庫の写本に拠ったが、一部のかなを改めた。 9 稲垣史生編『江戸生活辞典』(昭和34年、青蛙房)一〇地誌・景観、2繁華街「柳原土手」四五三頁。 10 小川養軒については、『卜筮靈狐傳』「一口無二言一子六読ノ談」に「隨貞曾テ其師小川養軒先生ニ聞ケリ。学 ノ字ハ小子ノ両手ニテ爻ヲ捧ゲタル象ナリト。是ヲ以学ノ卦爻ニ起ルヲ知ルベシ」とあり、また『卜筮盲■極秘大 全』の叙にも「先生一日徒に語て云、吾曽て先師小川養軒先生に聞り。凡学問の道、卦爻より始るなり。學の字、 小子の両手爻を捧るに从ふと」とある。養軒の生没年などは未詳である。 11 『卜筮經驗』「卦象問荅」七問目に「其女林(時十五歳善占)」とあり、寛延三年(一七五二)の日付がある。12 『譚海』(大正六年、國書刊行會)巻十二、三七八頁。 13 『武江年表』(『江戸叢書』昭和39年、江戸双書刊行会編、名著刊行会)巻五、一四三頁。 また『武江年表補正略』巻一、40頁。 14 朝倉治彦・安藤菊二校注『江戸繁盛記』(昭和41年、平凡社東洋文庫)一巻91頁。売卜先生は筮竹の卜筮と天眼 鏡の人相見を行い、神道の祓いを唱えている。天保期の易占は様々な作法を総合して行われていたようだ。 15 『江戸生活辞典』七風俗備要、3四季の風物「夏の夜の売り声」三二九頁。 16 大島中堂『古易占法秘蘊』(大正七年、生生書院)。新井白蛾の『易学小筌』の活字版である。 17 写本『周易活用』(架蔵)所収。『卜筮樞要』附録とほぼ同じであるが門人数と記事がもっと多い。内容から見 て藤屋弥兵衛(星文堂)の出版目録に『射覆卜淵』二巻「隨龍先生并社中ノ占例ヲアツム」とある版本の写しと考 えられる。ただし完全な形かどうかは版本未見のため断定できない。 18 堀季雄の『日枝折』に「觀山先生名は俊仍、字は舊貫、觀山は其號也。或は觀梅道人と物に書付給へる事も有き。 下野足利郡養命山の修驗金剛院權大僧都俊惠といへる人の子にて、母は前原氏なり。先生貞享三年丙寅十月八日、 野州に生れ、十四の歳江戸の處士松宮政種の養子と成て、松宮左司馬と稱す。姓は菅原なるよし。上野氏を娶りて、 男子二人女子一人をまうく」とある。また、觀山の『士鑑用法直旨鈔』には「愚ヤ野之下州足利郡板倉郷ノ産、族 姓卑微、敗軍殘卒身ヲ岩窟ニ潜テ時ノ難ヲ避ル者ノ裔、堅ク祖先ノ遺志ヲ守テ、肯テ仕進ヲ不求コト數世ニ及リ。 營生百許、僅ニ蒭■ト伍タラザルコトヲ得ルノミ。愚ガ身ニ至テ兄アリ弟アリ。年甫テ十四、家翁何ノ所見アツテ カ獨リ愚ニ命ジテ遊學セシム。乃東都ニ來リ、北条守約先生ノ帷下ニ在テ講習ス」とある。 觀山の研究は大正12年に発表された河野省三「松宮觀山の士鑑用法直旨鈔」、伊藤武雄「松宮觀山の著書に就い て」に始まる。堀維孝はこれに応え、昭和五年に「堀少公の稿せる松宮觀山略傳」で自身の先祖である堀季雄(一 七三四〜一七八六)の随筆『日枝折』中に見える松宮觀山の小伝を紹介した。河野・伊藤両氏は、写本として伝わ った觀山の著作も見出だし、昭和10年に『松宮觀山集』としてまとめられた。その巻頭に小糸夏次郎「松宮觀山に ついて」がある。同じく昭和10年に國分剛二「松宮觀山と堀季雄」、昭和16年には井上豊の「松宮觀山研究(一) 〜(四)」がある。こうした戦前の研究は佐藤堅司『孫子の思想史的研究』、小島康敬『徂徠学と反徂徠』、前田 勉『近世日本の儒学と兵学』といった近年の著作に於いても、研究の基礎資料として活用されている。 19 拙稿「新井白蛾の易」(『二松』第十三集)注7参照。飛伏・六親・劫殺については馬場信武『斷易指南鈔』に ある通り。『斷易指南鈔』の内題は『初學擲銭抄』。納甲易については、加地伸行編『易の世界』(一九九四年、 中公文庫)所収、花咲隆一郎「神秘的な易ー漢代を中心に」に詳しい。また『易學大辭典』(張其成主編、一九九 二年、北京華夏出版社)の解説も出典が明記されていて懇切丁寧である。 20 馬場信武については長友千代治「近世における通俗軍書の流行と馬場信武、馬場信意」(愛知県立大学説林25、 昭和51年12月)に詳しい。 21 『洪範皇極内篇』は文淵閣本『四庫全書』子部一一一、術数類(台湾商務印書館本では八〇五冊目)所収。 22 「荀爽九家集解本」の九家については諸説ある。例えば中国では宋の王應麟が『困學紀聞』巻一「説卦釋文引荀 爽九家集解」に京房・馬融・荀爽・宋衷・陸績・姚信・■子元を示し、張倫・朱仰之については疑問を呈している。 日本では海保漁村の『周易古占法』巻四、説卦逸象第十二に荀爽・京房・馬融・鄭玄・宋衷・虞翻・陸績・姚信・ ■子元としている。また虞翻の逸象、孟喜の逸象を別にする考えもあるようだ。逸象の詳細は『易學大辞典』(一 九九二年、北京華夏出版社)象數三五八頁に詳しいので参照されたい。 23 この表の出典は不明。『四庫全書』子部、雜家類所収の『鬼谷子』一巻とは内容的にも別本である。 24 東北大学付属図書館狩野文庫蔵本『梅花易評註』(狩・第2門・三八六三)一巻一冊。181H×127W。匡 郭内一五〇H×一一四W。有界。見返なし。白純序三丁、凡例三丁、目録二丁、本編六十二丁。末丁ウラに刊記 「山崎金兵衛/浅野弥兵衛」。巻末に星文堂目録十一丁、ここに「『相法經文』隨貞孫左門著」とある。 25 『占考紀畧』二巻は六十四卦と各卦三爻の社中の占断集である。巻頭に「隨運」つまり觀山が本文の編集に当た ったことが記されている。慶應大学本・東北大学本『卜筮經驗』目録には巻七・八として『占考紀畧』を載せるが、 版本の『卜筮經驗』は巻六までである。昭和34年に鴨書店が謄寫版で『卜筮經驗』『占考紀畧』を合本とした。 26 『再訂卜筮早考』(架蔵)一五四H×一〇八W。匡郭内一二一H×八九W。六十五丁(通丁)。明和七年(一七 七〇)の序・跋ともに「東都平信子篤」。序文印には「平澤氏」。刊記「文化十年癸酉孟秋再刻/大坂書林 塩屋 佐吉・藤屋弥兵衛」。書林割印帳には著者は「三光堂」とあるが、これは『譚海』所収の「光三儀とくうん」とい う隨貞ゆかりの狐の名に因むものではないか。三光堂が平澤氏の誰に該当するのかは不明だが、平澤流が狐を宣伝 に用いていた可能性を示すものであると思う。 27 拙稿「新井白蛾の易」(『二松』第十三集)注17参照。 28 注11と同じ。 29 下中弥三郎編『神道大辞典』(昭和14年、平凡社)第二巻一二七頁「三種祓」の項参照。 30 同『神道大辞典』第三巻一七頁「土金之傳」の項参照。 31 国立国会図書館蔵本『卜筮盲・極秘大全』(二一一・三九三)二巻一冊。写本。二〇〇H×一一六W。觀山序四 丁、巻一は三十五丁、巻二は四十三丁。各巻頭に「隨貞平澤先生口授、隨運堂松宮俊仍輯録、隨天斎寺尾昌芳校閲」 とある。 付け加えておくと、『卜筮盲節』という書名表記は誤りである。「節」ではなく「・」としなければならない。 「・(キョウ)」は「杖」、つまり「盲・」とは盲人の為の杖であり、手引書を意味するものである。架蔵の初版 (堀野屋仁兵衛版)内題では「・」となっている。ところが、増補版の版刻の際に「・」とすべき所を「■」とし てしまったものがそのまま江戸書林仲間の割印帳に載り、後にこれを活字に翻刻する時に「節」の略字と誤解した らしい。しかし、松宮觀山の序文中に「もうきやう」の読み仮名が付してあることからも「節」が誤りであること が分かろう。割印帳の活字索引をもとに作成した現行の活字目録類は『卜筮盲節』と表記しているが、これは今後 訂正されなければならない。また、『国書総目録』の「■」も「・」に改めるべきであろう。従って、拙稿「新井 白蛾の易」(二松學舎大学大学院紀要『二松』第十三集)注42の「盲節」の表記は誤りである。 32 国民精神文化研究所編『松宮觀山全集』(昭和62年再版、第一書房)第一巻、二一七〜二五二頁。 33 『松宮觀山集』第一巻、三六頁。 34 『松宮觀山集』第一巻、一六三頁。 35 『松宮觀山集』第二巻、二一〇頁。 36 日本神話と陰陽思想の研究には廣畑輔雄『記紀神話の研究|その成立における中国思想の役割|』(昭和52年、 風間書房)がある。該当箇所は第二章の二〜四に詳しい。 37 『松宮觀山集』第一巻、一八一頁。 38 『松宮觀山集』第一巻、一四九頁。 39 『松宮觀山集』第一巻、五〇頁。 40 『松宮觀山集』第二巻、四六三頁。 41 有馬成甫監修、石岡久男編集『甲州流兵法|信玄流兵法|』(昭和42年、新人物往来社)一五〇頁、「大身本卦 の噂六ヵ条の事」。『龍虎豹三品』は『六韜』の龍韜・虎韜・豹韜に由来すると思われる。 42 前田勉『近世日本の儒学と兵学』(一九九六年、ぺりかん社)二五五頁。前田氏の著書からは徂徠や觀山の兵法 思想について学ぶ所が非常に多かった。 43 東北大学付属図書館狩野文庫蔵本『増補盲・』(狩・第2門・三八七〇)は明和七年の再板である。刊記「安永 甲午秋九月發行/京都 野田藤八・■屋喜六・箸屋勘兵衞・大坂 藤屋弥兵衞・江戸 山崎金兵衛」。同書の山金 堂(山崎金兵衛)蔵版目録は次の通り。安永の頃には多くの板権を所有しているのがわかる。 増補卜筮盲・ 壹冊 卜筮盲・大全 全三冊 醫道便易 一冊 竒辯拔■ 二冊 増續卜筮盲・ 全二冊 卜筮經驗 全十二冊 卦象解 全一冊 卦爻問荅 全三冊
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