祖父が亡くなった後、小田急線の経堂にある祖父の自宅と那須の別荘は『海音寺潮五郎記念館』となった。私はそこで母と一緒に週に2,3回留守番兼連絡係として働いている。母は我が家から遠くないところに一人暮らししているが、ここに行くことで毎週顔を見られるので安心だ。その日も車で母の家によって母を乗せ記念館に行った。昼を食べてから叔父が家の建築の打ち合わせのため記念館に来た。叔父は母と20歳以上も年が離れていて、私と3歳しか違わない。小さいときから兄妹のように育ったので本当に気楽な間柄だ。私と叔父は設計図を広げあれこれと話し合っていた。母はいつものように庭でガーデニングに励んでいた。時間は3時ちょっと過ぎ頃だった。
「あはははは」
「・・・・・・」
いつものように大声で笑った瞬間、私は異変を感じた。まるで深ーい穴の中に落ちて叔父の声が突然遠くの方から聞こえているように感じ、目の前の景色もトンネルの中から遠くの出口を見ているように縮まって見えたのだ。私が突然黙ったので
「どうしたの?」
と叔父がきいた。
「変なの。耳が急に遠くなって。おかしいの。」
私のただならぬ様子に、
「そのまま動かない方がいいよ」
元からのんびりしたたちの人、あわてずにそう言った。私の頭は混乱した。
『何が起こったのだろう。頭の中で何か起こった。でも私ははっきりしている。頭も痛くない。と言うことは脳出血ではなくて、脳梗塞なのかな。』
5、6分いや3、4分経っただろうか
「どう?」
「全然変わらない。嫌だな。脳梗塞かな」
「医者を呼ぶ?」
「呼んで」
叔父は庭にいた母に
「まやちゃん気分が悪いんだって」
と声をかけた。のんびりとした言い方ではあったが、何か普通のことではないと感じたのであろう。母は転がるようにあがってきた。叔父は昔からかかっている近所の医者に電話してくれたが、昼休みだったのか、休診日だったのか出なかった。
「出ないや。救急車呼んだ方がいいね」
すぐ119番へ電話した。
「となりの部屋に寝かせたほうがいいかな?」
私は異変が起こってからずっといすに座って身動きもせず、机につかまっていた。母は
「歩かせちゃ駄目。この場に寝かせましょう」
と言った。叔父が布団を運んできて足下に敷き、二人で私を持ち上げてそっと寝かせた。その瞬間少しもどした。しかし意識は依然はっきりしていた。頭も痛くなかった。
「保険証は、ハンドバッグの財布の中にあるからね」
母にちゃんと言えた。
救急車が到着した。
「どこかご希望の病院はありますか?」
ときかれたので、
「S病院にお願いします」
と言った。そこはあの卵巣膿腫を手術してもらい、二人目の子を出産した病院だった。救急隊の人は本当にそっと揺らさないように玄関や門の段差に気をつけて私を車に乗せた。救急車に乗ってから名前や年齢を聞かれたがちゃんと答えられた。
救急車がS病院に着いた。医者が出てきて救急隊の人と母に様子を聞いて
「くも膜下出血のようですが、今CTがふさがっていてすぐ検査ができないので他に廻ってもらった方が良いと思いますけど」
と言っているのが聞こえた。
『えっ、くも膜下出血? 私、頭痛くないんだけど』
でも、何か大変なことになってしまっているんだと感じた。少しして、救急隊の人が
「K大学病院が引き受けてくれるそうですが、どうしますか?」
と聞いた。一瞬
『K大学病院って、あの《割り箸事件》の病院じゃなかったかしら』
と言うことが頭をよぎった。
『でもそんなこと言っている場合じゃない。一刻を争うことなのだ』
と思って、
「お願いします」
と言った。
『K大学病院に祐一(息子)のクラスメイトのお父さんがいたわ。この際よく知らないけど頼んじゃおう』
等と思っているうちに病院に着いた。私の記憶はここまででその後約5日間途絶えている。