今月の読書  内田百


       「ノラや」(中公文庫)

          「百鬼園随筆」(新潮文庫)

             「冥途・旅順入場式」(岩波文庫)





 内田百閨iひゃっけん)の作品世界を見ていくことにする。百閧ヘ岡山市の出身、生家は造り酒屋で、東大でドイツ語を学び、陸軍士官学校、法政大学など複数校でドイツ語を教えていたという。文学を志して漱石の門下生となり、芥川龍之介、鈴木三重吉らとも交流があった。筆名の百閧ヘ、郷里の百間川(幅が百間あるが、水のない川だそうである)からとされるが、借金をもじったともいわれるほど、借金談、貧乏話とは縁が切れなかったらしい。
 教授だから高給をとっていたはずなのに、お金の管理にうとく、贅沢や浪費の一面もあったのだろうか。借金活動で友人知人の間を走りまわる話を、特に恥ずかしいという風でもなくごくまじめな調子で叙述している。普通に暮らしているのにもかかわらずお金がなくなり、あちこちの店への支払いも滞り、生活ができなくなってしまうのだそうである。百閧ゥら当てにされて、たびたび借りに来られるほうも困惑したことだろう。やはりどこかお金の使い方に問題があったとしか考えられない。
 郷里岡山出身の妻清子との間に、二男三女をもうけるが、四十歳で家を出て佐藤こひという女性と同居、後に別宅を構え、子どもたちは別宅にも出入りしていたという。晩年になって妻が亡くなると、その翌年こひを入籍した。
 生活者としては破綻を抱えていたかもしれないが、文学のほうでは、幻想的色彩の濃い創作集「冥途・旅順入場式」が代表作とされ、軽妙な筆づかいの随筆「阿房列車」「百鬼園随筆」、飼い猫を失った悲しみをつづった「ノラや」などが知られている。昭和四十六年に八十二歳で没。
 

    「ノラや」


「ノラや」は猫好きの人なら読み出したら止まらない作品であろう。まず冒頭の「彼ハ猫デアル」から。ノラが住みついたいきさつを記したもので、のどかな調子で語りだされる。師の「我輩は猫である」に倣ったのであろう。
 庭で野良猫の子(雄)が奧さん(こひさんの方である)が水を汲んでいる柄杓の柄にからみつき、遊んでいるうちに弾みで水がめに落ち、すぶ濡れになった。
「お見舞いにご飯でも」ということになり、わさび漬の浅い桶に残り物のお魚とご飯を混ぜて庭先で与え、野良猫なのでノラと名づけた。ノラが風邪を引いて何も食べなくなったとき、哀れんだ奧さんが抱いて「バタとコンビーフと玉子を混ぜたもの」を与えると回復し、以後はなついて、台所で生の小あぢの筒切りと牛乳という食事に昇格、好物は出前で取る鮨屋の握りの玉子焼、夜は暖かいお風呂の蓋の上に小座布団を敷いてもらって眠るようになる。成長するにつれ庭でほかの雄猫と喧嘩をはじめるが、いつも劣勢なので、そのつど奧さんが物干し竿を持ち出してノラの加勢に行くのである。


 ちょっと余談になるが、子どもの頃、うちではたまという雌の三毛猫を飼っていた。たまもお風呂の蓋の上が好きであった。入浴しようとしても、蓋からどいてくれないのである。ノラと同じである。仕方なく蓋は半分だけにしておき、ときどきはたまを猫用の洗い桶に入れて石けんで洗ってやった。その桶を見せると、たまは嫌なときはすぐにお風呂から出て行く。洗ってほしいときは自分用の桶に座ってじっとしている。首のまわりを洗ってやると目を細め、背中に何度もお湯をかけると心地よさそうであった。  
 ついでに、何匹か雄猫を飼った経験からいうと、猫の喧嘩を仲裁する一番の方法は水であった。猫は水を嫌がるというのは本当である。修羅場に駆けつけて、シュロほうきの房のほうで叩くという手もあるが、喚きながら転げまわる二匹のうち、敵の方だけを叩くのは難しいし、よその猫に怪我をさせてもいけない。その点、水なら大丈夫である。近くにホースがあればそれを使うし、庭のバケツの残り水とか、ボール一杯の水でもよいから、とにかく水を浴びせるのである。
 ある冬の夜のことであったか、噛まれたうちの猫の悲鳴が庭にとどろいた。もつれあって転がる相手猫の白いおなかを狙ってコップ一杯の水をかけたら命中し、一瞬にして組み打ちは終了、相手の白猫は逃げ去ったのであった。
 

 話を「ノラや」に戻そう。そうやって家族同様に過ごしていたノラが、突如三月末に失踪してしまう。その騒動の顛末を描いたのが「ノラや」「ノラやノラや」である。ノラの最後の姿を見たのは奧さんで「垣根をくぐり木賊の茂みを抜けて向こうへ行ってしまった」という。ノラは生後一年半であった。
 翌日から百閧フ猫への追慕と狂乱と悲しみの日々がはじまっていく。失踪直後の「ノラや」からは文体が一変、悲痛な日記体のかたちになる。百閧ヘ風呂にも入らず食も進まず、泣いて夜も眠れず、ノラのことばかり思って痩せていくのである。少し引用してみよう。


 四月二十七日
…可哀想で堪らない。ノラが迷い猫となってゐれば、この猫はどこかの飼い猫に違ひないと思って親切に可愛がってくれる家があったとしても、ノラがうちで食べてゐる様な生の小あぢやグワンジイ牛乳を与へてくれる家はどこにもないだろう。ノラはその外の物は常食としては食べなかったから、一ケ月もすれば段々衰へてゐるに違ひない。…さうしてうちへ帰って来る道が解らなくなっているのだとすれば、一日も早く見つけてやる外はない、可哀想で泣き続けた。頭が変になりそうである。
 四月三十日
…ノラが帰らなくなってから初めて今夜、思ひ切って風呂に這入った。非常に痩せてゐる。二貫目ぐらゐ減っているかも知れない。衰弱で目がよく見えなくなった。(「ノラや」)


 近所を探し回り、張り紙をし、警察にも行き、チラシを作ったり、新聞に折り込み広告を入れたり(計四回、英文のも)、猫が帰るおまじないを教わると実行し、近所からそれらしい猫の情報があるとすぐ家の人や奧さんが見に行き、違っているとわかると落胆して、また次の知らせに希望をつなぐ。あるときは埋められた猫を掘り返して確かめるという不気味な展開になり、色んな手紙や葉書も来て、いたずら電話にも悩まされ、その一喜一憂の繰り返しが、日記体で果てしなく続いていくのである。
 百閧ヘ涙もろくなり次第に憔悴してゆく。実に大変な日々を送ったようである。同情はするものの、このとめどない反復記述には、実は読み手もかなりの疲労を覚えるのである。読み進むうちに次第にしんどさが増してきて、これがいつまで続くのかとページを繰りながら悩みはじめる。猫を思うあまり、百關謳カは猫とひとしくなってしまったのではないだろうか。猫が猫を一途に思い、恋い慕う。理性が消え、ただ感情のおもむくままに姿を求めて右往左往する。そこに流れるのは、ある日神隠しのように消えてしまった相手への凄まじい恋着である。
 その書き方は、猫を巡るひとつの作品を仕上げる、というよりは、大切なものを失って泣きやまない小児の、たどたどしい作文を読まされているかのような感があり、明らかに大人の冷静さや分別を欠いている。推敲した完成作品ではなく、猫に関する日記体の文章が生の素材のまま提示され、読み手は実際に起きた騒動のあれこれを、内容のだぶりや反復も含めて、延々と辿っていくのである。文章は粗くて、感情だけがとめどなく噴出し続ける。そこにみられるのは、ノラへの執着の強さ激しさである。
 その耽溺や狼狽ぶりもまた作品の一部なのであろう、とみるしかない。著名な老作家が(ノラ失踪時、百閧ヘ六十八歳であったという)これほどまでに狂おしく、その取り乱した姿を文章にして赤裸々にさらしてみせるのは珍しいことであったろう。


 後半の「ノラに降る村しぐれ」からは、静かな諦観が漂いはじめる。ノラが去った二ケ月後、まるで身代わりのように、兄弟猫かと思われるよく似た子猫が庭に現れ、居つくようになった。百閧ヘ心で深くノラを思いながらも、新しい子猫をクルツと名づけ、その愛らしいしぐさに慰めと楽しみを見出していく。ノラとの失われた楽しい日々が、クルの出現により擬似的にではあるが再現され、そのことで沈みきっていた心が少しずつ回復していくのである。それはまた儚いノラの幻とたわむれるような日々でもあったのだろう。クルは夫妻の心を癒し、安らぎを与えてくれた。
「ノラやお前か」ではクルは一身に愛情を受け、幸福なときを過ごしていくが、五年三ヶ月後、病を得て死んでいくいきさつが描かれる。クルが登場し、家族の一員に加わってくるあたりは、悲しみの中に新しい猫への愛情が入り混じる感じでの叙述が続いていく。クルがいなかったら、落ち込んだ百閧フ心はなかなか救済に至らなかったであろう。クルはその小さな存在でもって、飼い主をしっかり支え続けたのである。クルが病気にかかって衰弱し、その最期を家族で看取る場面では、悲しくて涙を抑えられなかった。


 猫への追慕で埋め尽くされている一連の文章は、雑誌に掲載されたあと本になったようだが、百閧ヘこれらを読み返すと思い出して辛くなるため、なんの推敲もしなかったそうである。全体をみると、各作品にばらつき感があるのは、そうした事情によるものかと思われる。たとえ素朴な日記体であっても、それもまた自分の作品であると肯定し、読者にそのまま差し出しても構わないという思いがあったのだろう。猫を主題とする本は色々あるだろうが、これほど猫への愛惜を率直に語ったものは珍しく、究極の猫本といってもいいのではないだろうか。
「ノラや」を買い求めた猫好きの人は、作家の純粋さに共感、心打たれただろうが、ごく普通の読者は、老作家の悲嘆のあまりの激しさに驚き、かつ呆れたかもしれない。

 巻末で「安房列車」に「ヒマラヤ山系」の名で登場する平山三郎氏が解説を書いているが、それによると、百閧ェ日々狂乱する様子や、さまざまに入り乱れる猫情報に翻弄される嵐のような日々は、作家の虚構や創作ではなく、どうもありのままの出来事であったようである。平山氏は「ノラがいなくなった当座、先生の日常はまったく支離滅裂だった」とも記している。


 若い雄猫はある日ふっと出ていってそのまま帰らない。実はうちで飼っていた尾の長いキジトラの雄猫も庭を横切って消えていき、そのまま戻らなかった。うちの場合は「庭のさつきの植え込みの間を抜けて」であった。近所を探したがわからなかった。道でよく似た猫を見かけると気になり、近寄って名を呼んだ。そのときから長い年月が流れたのに、今でもふっとその猫の雄姿を脳裏に思い浮かべることがある。


    「百鬼園随筆」


 借金の話「無恒債者無恒心」からみてみよう。給料日になると、百閧フ勤務先の教員室の入口に、弁当屋、自動車屋、本屋、月賦の時計屋、洋服屋などが押しかけてくる。けれども百閧ヘ払うことができない。すでに学内の金融機関から借りている分を、あらかじめ月給から差し引かれているためである。
 年の暮れに、妻の一枚しかないコートを質に入れさせ、得た金で自動車を借りきって、心当たりを何箇所も訪ねて金策をするが徒労に終わる。お金はその一日でなくなったので、二日目、三日目は電車や乗合自動車で駆け回るが、
「大概の相手は留守であった。いないとわかるとがっかりすると同時に、何となくほっとするような気持ちが腹の底にあった。そうしてまた勇ましく次の相手の家に向かった。大晦日の夜になって、小生はぐったりして家に帰った。あんなに駆り廻らなかったら、その自動車代だけあっても、新聞代やお豆腐屋さんは済んだのに、という細君のうらみも肯定した」
 車で相手の家に乗りつけて、借金を申し込むというのである。それを非常識とは感じないらしいので、同様のことを何度でも繰り返していく。百閧ヘ若い頃から変人、奇人の類であったのだろうか。この非常にまずいやり方を性懲りもなく続けるので、そのため借金はいっこうに減らず、ますます増えていくようなのである。


「明石の漱石先生」では、地方に講演に訪れた漱石の姿を描いているが、心酔しているはずの師の漱石の、まるであら探しをするかのような奇妙な観察を続けていくので、読み手は戸惑ってしまう。講演の内容についても「先生が明石に来て、田舎なもんだから、調子を下げて話をしている様に思われたのです」とか、見送りの駅で「二等車に、紋付の人が既に幾人か乗っていました。中からしきりにどうぞ、どうぞと招じていた様子でした。しかし先生は中々乗られませんでした。先生は一人でつかつか歩き出して、二三台先の一等車の中に這入ってしまいました」とか、師のあまりいい感じでない場面ばかりを選んで、こと細かく描写する。別に悪気があるわけではなくて、そういう場面が印象に残ったので、ためらわず感じたままを書いたということででもあろうか。それがまた百閧フ百閧轤オいところなのかもしれないが。


「見送り」では、漱石の息子純一がヨーロッパへ発つというので、百閧ヘ東京駅に向かうが、その途中通りかかった護国寺で火事に気を取られ、見物しているうち時間に遅れてしまい、間に合わなかった。
「それから私はそのまま東京駅まで行って、神戸行きの急行に乗り、翌朝神戸駅に着いた。三ノ宮に下りることは知らなかったのである。船の名前を覚えていたから、俥に乗って桟橋まで行って、その船に乗り込んでみたら、純一さんがいたから、途中で火事を見ていて、遅くなったわけを話して、そこで見送りをして、帰って来た」
 東京駅での見送りであったはずが、えらく大変な物入りになった。こうやってどんどん大金を費やすので、借金が膨らむわけである。神戸に現れた百閧見て、純一さんも驚愕したのではないだろうか。


「地獄の門」と「債鬼」は随筆集の中に入っているが、明らかに小説に分類されるべき作品である。事実にもとづいたと思われる、凄みのきいた内容である。
「地獄の門」をみてみよう。主人公はある夜、三百円の金を借りるため、新聞広告で見た高利貸の家をはじめて訪ねていく。暗い夜道を行くと街灯が点る家があるが、なかなか入れない。ためらった末、思い切って玄関に入ると「次の間に恐ろしく大きな神棚に、お燈明が明か明かと点って、お三宝に、お神酒が供えてあった」二階に通されると一閑張(いっかんばり)の机があり、その次の間にも小さな神棚があってお燈明が点っている…。出てきた和服の主人は、百閧フ職場を確かめ辞令を持参するようにといい、実印の有無をたずね、印鑑証明の登録の方法を教えたあと「では明晩実行する事にしましょう」というのである。実行とは、金を貸すことであった。画面の暗い古い映画の一場面をみるようで緊張感があり、人物の様子もありありと目に浮かぶように描かれ、すごい描写力である。


「債鬼」は借金取りの男二人が、早朝に督促に訪れる場面を描いている。視点は取立人のほうにあり、厳しい取り立ての様相が描かれる。学校へ行く子どもたちも声を立てず、夫は留守、と必死に言い逃れようとする妻から、なけなしの金をむしりとるようにし、しかも受け取りは書こうとしないのである。


「虎列刺」は短いが鮮烈な印象がある。虎列刺(難読漢字である)はコレラと読むそうで、なんとも禍々しい字である。
 百閧ェまだ子どもの頃、一家は使用人を連れて海水浴に行き、旅館で寝ていると、夜半に二階で騒ぎがはじまった。なぜか天井裏から水が落ちてくるのである。
「二階に虎列刺が出来たらしい」皆それを聞いて驚きおそれる。「…そら巡査も来ましたぜ」一家は一刻も早く恐ろしい虎列刺から遠ざかろうと、こっそり宿を抜け出して闇の中を磯伝いに逃げていく。とっさの母親の判断で雪平鍋とお米を持ち出したので、一家は岩山の蔭で柴を焚き、鍋でお粥を煮て食べることができた。夜が明けて、港の町に着き、俥を雇って駅に出るが、巡査や駅員のいる所では誰も口を利かなかった。
 郷里の町へ帰って二、三日すると「町内にも虎列刺が出来」て、縄を張ったその家の前には巡査が立ち、烈しい薬の臭いがしたのでまるで「巡査が臭っている様に思われた」
 虎列刺の流行は止まず、たくさんの人が死んで葬られていった。ある日、小さな煙突のある車が家の前に止まり、白い洋服の人たちが大勢、造り酒屋を営む家の中に入ってきて、家の者をつかまえた。「海水浴から逃げてきた者は誰だ」と調べられ、百閧烽ツかまって裸にされ、消毒薬に浸した冷たい布で体を拭かれた。海に持って行った布団は路上で積み重ねられ、一枚ずつ煙突のある車の上で蒸された。
「往来には黒山のような人だかりがした。志保屋に虎列刺が出たという噂が方々に伝わったから、商売に差しつかえた事だろうと思う」と結ばれている。
 当時の生活習慣もよくわかるし、得体の知れない恐ろしい虎列刺に追いかけられるような緊迫感も充分だし、この題材なら随筆として出すよりは、小説として膨らませてみたら、きっと良いものが仕上がったであろうと残念に思われる。


  「冥途 旅順入場式」


 幻想性の強い短編集である。遠い日の記憶や情景、夢の断片をスケッチしたようなもの、あるいは夢そのものが意味づけもなく、そのまま描写されているかのような印象のものも多く集められている。漱石の「夢十夜」に似通う雰囲気の作品もいくつかあるので、師の作品の影響下にあるとみていいのではないだろうか。


「件」(くだん)をみてみよう。これは短編作品群の中では、最も知られているのではないかと思われる。「件」とは、人間と牛が合体した異様な空想動物である。クレタ島の迷宮に住むミノタウロスのような怪物らしい。ミノタウロスは顔が牛で体が人間、多くの少年少女が生贄として定期的に捧げられ、その中に混じって入り込んだ英雄テセウスによって退治されてしまうのだが(テセウスはアリアドネからもらった糸玉を使い、迷宮から帰還する)、百閧フ「件」は、顔が人間で体が牛、という設定になっている。ミノタウロスとまったく同じ外観では、と思って逆にしたのであろう。言葉遊び好きの百閧轤オく、人と牛の合体だから、人偏に牛で「件」なのである。
 件はミノタウロスのような暴虐をつくす怪物ではない。件は「生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の吉凶を予言する」存在なのだが、この件はどうも本物ではないらしいのである。
「こんなものに生まれて、何時まで生きていても仕方がないから、三日で死ぬのは構わないけれども、予言するのは困ったと思った。第一何を予言するのだか見当もつかない」
 件は予言ができずいつまでも黙っているので、今か今かと待っていた人々の間におそれが広がっていく。「何もいわないうちに、早くあの件を殺してしまえ」という声まで上がる。「それはたしかに私の産みのこした倅(せがれ)の声に違いない」そう思った件は息子を見ようとして伸び上がるが、群衆は恐怖で散り散りに逃げていくのである。
「人の散ってしまった後に又夕暮れが近づき、月がぼんやり照らし始めた。…何だか死にそうもない様な気がしてきた」


 話はこれだけである。怪物の姿がどうしてもミノタウロスを想起させるので、これは神話的世界を描いているらしい、次に何が起きるのだろうかと期待する気持ちが生じるのだが、百閧ノあっさりかわされ、起伏も展開もみられず、結局何も起こらないままに話は終わってしまうのである。
 漱石の「夢十夜」第三夜での、背負っていたわが子が、百年前に殺した盲人であると気づいた瞬間、石のように重くなるという話と、息子が登場するという点では共通点があるが、漱石の第三夜には、父と息子の間に介在する、暗い確執とも相克ともとれるものが感じられるが、「件」にはそこまでの重さはない。師の作品のように、息子を登場させてみたものの、使いこなせず、意味づけも不十分なままに、工夫のみられない安易な結末を迎えたようである。
「件」はミノタウロスの怪異な姿から着想を得たのであろうが、読者に神話世界の持つ暗い深層まで予感させる展開には至らず、漠とした夢の世界の印象を残したまま終わっていく。それでも当時の作品としてはきっと異色の出来で、読者は作家の空想力に驚いたことであろう。今読んでもある種のとりとめのないような面白さがある。読み手は深く考えたりせず、特に解釈を必要としない怪異譚として、風変わりで奇妙な味わいのある雰囲気を楽しめばいいのであろう。


「水鳥」では、鳥への偏愛が描かれる。「水鳥」では、主人公の私は、見ているうちに鳥に強く惹かれ、川に入って一緒に泳ぎだし、そのまま泳いでいくうちに川は広くなっていく。橋や岸の風景もなくなってしまい、ただ鳥と自分とが水の上に漂っているのを見出すのである。
 百閧ヘ鳥が好きで、家でも小鳥を飼い、世話をして楽しんでいたようである。前述のようにノラやクルを室内で可愛がっていたようだから、猫と鳥、この組み合わせで飼うのはさぞ大変であったろう。ちょっと相容れない趣味であるとは思うけれども…。きっと百閧ヘ動物への関心が強かったのであろう。この本の作品群には、馬、狐、黒犬、蜥蜴などが題材として使われている。生き物をよく観察しているし動物好きであるかと思うと、檻に入った大イタチを棒で突いていじめ殺してしまう「狭筵」という動物虐待のような作品も入っているので、読み手としては考え込んでしまう。生き物への偏愛と虐待、相反する内容の作品を読んでいると、ふっと人の心の中にひそむ冷酷さ、怖さを垣間見る思いがしてくるのである。


「山東京伝」では、弟子が玄関を這い登ってくる黒い蟻を「小さい人」と見誤って報告し、師に叱りつけられてしまう。


…すると山東京伝が急に後ろを向いた。その顔が鬼のように恐ろしい。「気をつけろ。こんな人間がどこにある」さういって山東京伝はにじりよって私を睨んだ。「これや、山蟻ぢゃないか」 (「山東京伝」より)


 ありそうもない馬鹿げた話であるが、百閧ヘ何かの折に、師の家で失態を演じて漱石にこっぴどく叱られた記憶でもあって、それが夢の世界でこんなふうに変容し、再現されたのではないだろうか。


 最後に表題作の「冥途」をみてみよう。死後の世界ともみられる土手は「何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく、夜の中を走ってゐる」
 そこには亡くなった父がいるのである。土手の下の一膳飯屋では、死者と思われる客たちが物を食べながら話している。飛べない蜂がかさかさと音を立てて障子を上っていく。
 父の声が聞こえてくる。「ビードロの筒に入れて紙で目ばりをすると、蜂が筒の中を、上ったり下りたりして唸る度に、目ばりの紙が、オルガンのように鳴った」
 子どもがそれを欲しがってきかず、父は怒って筒を庭に投げつける。「石で微塵に壊れて、蜂が、その中から、浮き上がるように出て来た。ああ、その蜂は逃げてしまったよ」
 やがて客たちは店を出て、土手のほうに消えていく。泣きながら父親を呼び求める私の声も届かず、声だけがそこに響くのである。


 読み終えてみると、百閧フみた夢の中をあてもなくさまようような作品群であった。怪談といわれればそうかもしれないようなものもあるし、幻のように現れては消える夢の残像から残像へと、流れていくような感じを起こさせるものもあった。死後の世界をこちら側から透かしみているようなのは「冥途」であるし、「水鳥」は愛が高じて異類への同化願望が強まり、自ら鳥になったつもりで水上を浮遊する感覚を描いたものであろう。
 夢を創作源とし、夢から着想を得たものが多く入っている創作集なのかもしれない。見た夢をいちいち記憶するのも大変であろうが、紙の上に小品として再現してみせるのもひとつの能力なのであろう。印象的な夢をさらに歪めたり、崩したりして自在に変化をつけ、作品化すると、こういう感じの短編群になるのではないだろうか。どの作品も克明な筆遣いで、細部まで丹念に書き込まれており、その描写の粘り強い筆の力には圧倒されてしまった。




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