宮本顕治を絶賛した「右翼的」劇画原作者・梶原一騎転落の日
1983年5月25日は、梶原一騎が銀座6丁目のクラブ「数寄屋橋」で編集者たちと酒を飲んだが、話がこじれて『月刊少年マガジン』の副編集長、飯島利和に空手で大ケガ(全治4週間)を負わせていたことが発覚した日だ。
以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めている。水に落ちた犬は叩いていたぶりネタにするのはマスコミの常套手段である。
梶原の乱暴は業界では周知のこと。このときも飯島の「言い過ぎ」が原因だったこともあって、講談社側では表沙汰にする予定はなかった。
しかし、警察はかねてから梶原逮捕の機会を狙っており、ここをチャンスと半ば強制的に講談社に告訴をさせたという。
なぜか。梶原の日常の振る舞いから、覚醒剤密売ルートであることを疑っていたからである。梶原の映画会社「三協映画」が制作した「もどり川」の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機になっていた。
こちらの方はシロだったが、この逮捕以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原は、以来87年1月に亡くなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられた。
『梶原一騎評伝』(新潮社)を上梓した斎藤貴男は、梶原を「右翼的ではあったかもしれないが全体主義者ではない」と評している。筆者もそれに賛成である。
梶原は、73年に上梓した『男たちの星』(日本文芸社)という本で、軍部の拷問に耐え抜いた日本共産党の宮本顕治元名誉議長(当時委員長)を、はばかることなく絶賛している。同党支持者の文化人の中でもこんな人はいない。
たとえば漫画家の高口里純のように「共産党に政権を取って欲しい」という人はいる。しかし、「一人の」党員だけに対する固有の理解を堂々と述べることはない。それだけに梶原の宮本絶賛は、まことに皮肉なことだが、同党の出版物では感じることのない新鮮で純粋な「侵略戦争に反対した日本共産党」の価値を、読む者に認識させるかもしれない。
梶原は、かつては自民党や公明党から出馬を依頼されたことがあるという。本人も政治家への道はまんざらでもなかったが、結局出馬はしなかった。冷静に考えれば、あの創価学会は言うに及ばず、全体主義と「修正資本主義」で独自の国民抑圧構造を形成した日本型資本主義の長年の運営者である自由民主党というのは、梶原の世界観と合うはずもなく、オポチュニストでもない梶原が出られるはずがないのである。
昨今、時代の右傾化が言われ、Web掲示板などでもタカ派かぶれの書き込みが多くなっていることに気づく。しかし、こいつらの書き込みは、所詮、政治思想の右左以前に、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのそれであり、梶原の世界観とは対極にあるものだ。
梶原が全て正しいわけではないし、評価が色々あってもいい。しかし、全体主義に背を向ける美学は、こんにち、少なくとも「右翼的」という政治的レッテルのもとにステレオタイプの批判で捨て置ける遺物ではないと筆者は考える。
梶原が原作を書いた劇画を見て育った世代が、今や社会の中核になりつつあるはず。その人たちよ、ちっとは昔を思い出して、もう一度梶原イズムについて考えてみてはどうかね。
以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めている。水に落ちた犬は叩いていたぶりネタにするのはマスコミの常套手段である。
梶原の乱暴は業界では周知のこと。このときも飯島の「言い過ぎ」が原因だったこともあって、講談社側では表沙汰にする予定はなかった。
しかし、警察はかねてから梶原逮捕の機会を狙っており、ここをチャンスと半ば強制的に講談社に告訴をさせたという。
なぜか。梶原の日常の振る舞いから、覚醒剤密売ルートであることを疑っていたからである。梶原の映画会社「三協映画」が制作した「もどり川」の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機になっていた。
こちらの方はシロだったが、この逮捕以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原は、以来87年1月に亡くなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられた。
『梶原一騎評伝』(新潮社)を上梓した斎藤貴男は、梶原を「右翼的ではあったかもしれないが全体主義者ではない」と評している。筆者もそれに賛成である。
梶原は、73年に上梓した『男たちの星』(日本文芸社)という本で、軍部の拷問に耐え抜いた日本共産党の宮本顕治元名誉議長(当時委員長)を、はばかることなく絶賛している。同党支持者の文化人の中でもこんな人はいない。
たとえば漫画家の高口里純のように「共産党に政権を取って欲しい」という人はいる。しかし、「一人の」党員だけに対する固有の理解を堂々と述べることはない。それだけに梶原の宮本絶賛は、まことに皮肉なことだが、同党の出版物では感じることのない新鮮で純粋な「侵略戦争に反対した日本共産党」の価値を、読む者に認識させるかもしれない。
梶原は、かつては自民党や公明党から出馬を依頼されたことがあるという。本人も政治家への道はまんざらでもなかったが、結局出馬はしなかった。冷静に考えれば、あの創価学会は言うに及ばず、全体主義と「修正資本主義」で独自の国民抑圧構造を形成した日本型資本主義の長年の運営者である自由民主党というのは、梶原の世界観と合うはずもなく、オポチュニストでもない梶原が出られるはずがないのである。
昨今、時代の右傾化が言われ、Web掲示板などでもタカ派かぶれの書き込みが多くなっていることに気づく。しかし、こいつらの書き込みは、所詮、政治思想の右左以前に、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのそれであり、梶原の世界観とは対極にあるものだ。
梶原が全て正しいわけではないし、評価が色々あってもいい。しかし、全体主義に背を向ける美学は、こんにち、少なくとも「右翼的」という政治的レッテルのもとにステレオタイプの批判で捨て置ける遺物ではないと筆者は考える。
梶原が原作を書いた劇画を見て育った世代が、今や社会の中核になりつつあるはず。その人たちよ、ちっとは昔を思い出して、もう一度梶原イズムについて考えてみてはどうかね。