2009年5月アーカイブ

宮本顕治を絶賛した「右翼的」劇画原作者・梶原一騎転落の日

 1983年5月25日は、梶原一騎が銀座6丁目のクラブ「数寄屋橋」で編集者たちと酒を飲んだが、話がこじれて『月刊少年マガジン』の副編集長、飯島利和に空手で大ケガ(全治4週間)を負わせていたことが発覚した日だ。

 以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めている。水に落ちた犬は叩いていたぶりネタにするのはマスコミの常套手段である。

 梶原の乱暴は業界では周知のこと。このときも飯島の「言い過ぎ」が原因だったこともあって、講談社側では表沙汰にする予定はなかった。

 しかし、警察はかねてから梶原逮捕の機会を狙っており、ここをチャンスと半ば強制的に講談社に告訴をさせたという。

 なぜか。梶原の日常の振る舞いから、覚醒剤密売ルートであることを疑っていたからである。梶原の映画会社「三協映画」が制作した「もどり川」の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機になっていた。

 こちらの方はシロだったが、この逮捕以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原は、以来87年1月に亡くなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられた。

『梶原一騎評伝』(新潮社)を上梓した斎藤貴男は、梶原を「右翼的ではあったかもしれないが全体主義者ではない」と評している。筆者もそれに賛成である。

 梶原は、73年に上梓した『男たちの星』(日本文芸社)という本で、軍部の拷問に耐え抜いた日本共産党の宮本顕治元名誉議長(当時委員長)を、はばかることなく絶賛している。同党支持者の文化人の中でもこんな人はいない。

 たとえば漫画家の高口里純のように「共産党に政権を取って欲しい」という人はいる。しかし、「一人の」党員だけに対する固有の理解を堂々と述べることはない。それだけに梶原の宮本絶賛は、まことに皮肉なことだが、同党の出版物では感じることのない新鮮で純粋な「侵略戦争に反対した日本共産党」の価値を、読む者に認識させるかもしれない。

 梶原は、かつては自民党や公明党から出馬を依頼されたことがあるという。本人も政治家への道はまんざらでもなかったが、結局出馬はしなかった。冷静に考えれば、あの創価学会は言うに及ばず、全体主義と「修正資本主義」で独自の国民抑圧構造を形成した日本型資本主義の長年の運営者である自由民主党というのは、梶原の世界観と合うはずもなく、オポチュニストでもない梶原が出られるはずがないのである。

 昨今、時代の右傾化が言われ、Web掲示板などでもタカ派かぶれの書き込みが多くなっていることに気づく。しかし、こいつらの書き込みは、所詮、政治思想の右左以前に、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのそれであり、梶原の世界観とは対極にあるものだ。

 梶原が全て正しいわけではないし、評価が色々あってもいい。しかし、全体主義に背を向ける美学は、こんにち、少なくとも「右翼的」という政治的レッテルのもとにステレオタイプの批判で捨て置ける遺物ではないと筆者は考える。

 梶原が原作を書いた劇画を見て育った世代が、今や社会の中核になりつつあるはず。その人たちよ、ちっとは昔を思い出して、もう一度梶原イズムについて考えてみてはどうかね。

出産事故で改めて考えたリスクの見方

5月2日、メディアでは、帝王切開を受けた妊婦と胎児がともに死亡したニュースを報じた。胎盤が分娩前にはがれる、胎盤早期剥離による酸欠と大量出血という。

胎盤早期剥離のリスクがある妊婦は、自然分娩ではなく帝王切開が行われるが、それでも今回のような医療事故が起こる可能性がある。

リスクのある出産は胎盤早期剥離だけではない。胎盤が子宮口をふさぐ前置胎盤も帝王切開が絶対条件だが、胎盤をはがす際に大量出血する場合があり、出産前から緊急処置が可能な大病院の管理入院を勧められるハイリスクの出産である。

妊娠が契機となって発症する妊娠糖尿病は、妊娠高血圧症候群や羊水過多症、感染症などを引き起こしやすくなり、やはり帝王切開が行われる。それだけでなく、胎児も高血糖となり、将来糖尿病になる可能性もあるといわれる。

子役スターだった間下このみの罹患でクローズアップされたのが「抗リン脂質抗体症候群」。習慣性流産・死産・血栓症などを引き起こすという。

そうしたことがなくても、出産時に子宮破裂するリスクは全妊娠0.03〜0.1%はあるといわれる。前回帝王切開で次に経膣分娩する妊婦では、その0.8%が子宮破裂になるという統計もある。出産時に胎児が死亡すると、老廃物が母体に逆流して妊婦もなくなる場合もある。

いずれも僅かな確率だが、ひとつひとつは生命そのものをおびやかしかねないものであり、年齢に関係なくどんな妊婦でも起こりうるリスクである。ところが、こうした出産全般のリスクというのは世間ではあまり認識されず、もっぱら出産のリスクというと「高齢」だけをクローズアップしたがる人もいる。

最近では、倖田来未の「35歳を過ぎると羊水が腐る」がある。一部の女性識者は、倖田を庇い立てる根拠に「高齢出産のリスク」をあげ、さらに傷口を広げた。

「彼女は無知で、言葉の使い方も間違っていたと思うけど、言ってることには一理あると思う。私は肉体的にも社会環境的にも若いうちに産めるならその方がいいと思っているし、“いつでも産めるんだ”という報道は逆に無責任」(「日刊ゲンダイ」2008年2月19日付でさかもと未明)

誰も、最初から高齢で出産すると「無責任」に決めているわけではあるまい。「いつでも産める」どころか、様々な事情があり産めなかったから、結果として高齢になったのであろう。

にもかかわらず、ことさらそれだけをクローズアップしたがる理由は何か。要するに、「高齢」の最大の「リスク」である、ダウン症やその他障害を持った子供への差別意識があるのだろう。もしくは、産まないと思った女性がよもやの年齢で産むことへの嫉妬ではないのか。出産経験のない女性識者が高齢出産の慶事を牽制するのは、とくにそれを勘ぐりたくなる。

たとえば、40歳でダウン症を産む確率は1%に満たない。無視はできないが、圧倒的にそうではないということだ。それに対して、体外受精で前置胎盤になる確率はその倍あるといわれている。もとより、高齢であろうがなかろうが、障害のある子どもを授かったのだとしても、それは「産んではいけないこと」ではない。

何より、「高齢」を敵視する前に、妊娠一般についてもっと確実に気をつけなければならないことはある。
個々の前置胎盤は原因が特定できないとされるが、若い女性の安易な性交の後始末である堕胎で行われる子宮かきだしの傷は、その原因になりうるといわれている。喫煙や飲酒の習慣は、妊娠生活や出産、さらには胎児へ悪影響を与える。客観的に見て、それらの方がよほど「社会環境的」に呼びかけるべき禁忌事項だろう。

出産というと、自然の摂理で女性なら誰でも当たり前にできるように思っている人が、男性だけではなく若い女性にもいる。その一方で、高齢出産のリスクばかりをクローズアップするムキもある。いずれも、出産という幾重ものリスクを乗り越えて達成する大事業を、リアルに表現したものとは言い難い。

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