社会一覧

保険屋本格派

保険代理店もサバイバルです

http://mamikahoru.blog63.fc2.com/

80年代は、各社で代理店やその研修生を量産しましたが、業界が再編されていく中で、彼らの処遇が問題になっています。

合併である程度大きくなってもらうか、廃業してもらうか。

しかし、どちらにしても使い捨てにはかわりありません。

吉野家向け輸入牛肉に危険部位混入 米国産の再開から初発覚

4月23日20時53分配信 産経新聞からです


 農林水産省は23日、米国から輸入された牛肉に、牛海綿状脳症(BSE)の原因となる異常プリオンがたまりやすい特定危険部位の脊柱が混入していたことを明らかにした。牛肉はカリフォルニア州のナショナルビーフ社カリフォルニア工場から出荷されていた。米国産牛肉は、特定危険部位を除いて輸入されることになっていることから、同省などは同工場からの輸入手続きを停止した。
 特定危険部位の混入発覚は平成18年7月の米国産牛肉輸入再開以来、初めて。
 同省によると、牛丼大手「吉野家」が昨年8月、同工場から伊藤忠商事を通じて輸入したバラ肉700箱(17トン)のうち1箱に、脊柱部分を含む骨付き肉(27キロ)が混入していた。21日夜、吉野屋で保管されていた肉を、同社が検品した際に発見。翌日、伊藤忠を通じて同省などに報告した。
 700箱には、特定危険部位などが含まれていないことを証明する衛生証明書が付けられていた。ほかの699箱からは特定危険部位は見つからなかった。
 同省などの問い合わせに、米国大使館は「日本向けでない肉が入ってしまった」と回答しているという。同省は、出荷・輸入の際のミスとみている。

宮本顕治を絶賛した「右翼的」劇画原作者・梶原一騎転落の日

 1983年5月25日は、梶原一騎が銀座6丁目のクラブ「数寄屋橋」で編集者たちと酒を飲んだが、話がこじれて『月刊少年マガジン』の副編集長、飯島利和に空手で大ケガ(全治4週間)を負わせていたことが発覚した日だ。

 以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めている。水に落ちた犬は叩いていたぶりネタにするのはマスコミの常套手段である。

 梶原の乱暴は業界では周知のこと。このときも飯島の「言い過ぎ」が原因だったこともあって、講談社側では表沙汰にする予定はなかった。

 しかし、警察はかねてから梶原逮捕の機会を狙っており、ここをチャンスと半ば強制的に講談社に告訴をさせたという。

 なぜか。梶原の日常の振る舞いから、覚醒剤密売ルートであることを疑っていたからである。梶原の映画会社「三協映画」が制作した「もどり川」の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機になっていた。

 こちらの方はシロだったが、この逮捕以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原は、以来87年1月に亡くなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられた。

『梶原一騎評伝』(新潮社)を上梓した斎藤貴男は、梶原を「右翼的ではあったかもしれないが全体主義者ではない」と評している。筆者もそれに賛成である。

 梶原は、73年に上梓した『男たちの星』(日本文芸社)という本で、軍部の拷問に耐え抜いた日本共産党の宮本顕治元名誉議長(当時委員長)を、はばかることなく絶賛している。同党支持者の文化人の中でもこんな人はいない。

 たとえば漫画家の高口里純のように「共産党に政権を取って欲しい」という人はいる。しかし、「一人の」党員だけに対する固有の理解を堂々と述べることはない。それだけに梶原の宮本絶賛は、まことに皮肉なことだが、同党の出版物では感じることのない新鮮で純粋な「侵略戦争に反対した日本共産党」の価値を、読む者に認識させるかもしれない。

 梶原は、かつては自民党や公明党から出馬を依頼されたことがあるという。本人も政治家への道はまんざらでもなかったが、結局出馬はしなかった。冷静に考えれば、あの創価学会は言うに及ばず、全体主義と「修正資本主義」で独自の国民抑圧構造を形成した日本型資本主義の長年の運営者である自由民主党というのは、梶原の世界観と合うはずもなく、オポチュニストでもない梶原が出られるはずがないのである。

 昨今、時代の右傾化が言われ、Web掲示板などでもタカ派かぶれの書き込みが多くなっていることに気づく。しかし、こいつらの書き込みは、所詮、政治思想の右左以前に、日本の為政者が目指してきた国家の体面・建前と一体化させて振る舞う均質化と排他性に閉じこめられたカルト大衆としてのそれであり、梶原の世界観とは対極にあるものだ。

 梶原が全て正しいわけではないし、評価が色々あってもいい。しかし、全体主義に背を向ける美学は、こんにち、少なくとも「右翼的」という政治的レッテルのもとにステレオタイプの批判で捨て置ける遺物ではないと筆者は考える。

 梶原が原作を書いた劇画を見て育った世代が、今や社会の中核になりつつあるはず。その人たちよ、ちっとは昔を思い出して、もう一度梶原イズムについて考えてみてはどうかね。

出産事故で改めて考えたリスクの見方

5月2日、メディアでは、帝王切開を受けた妊婦と胎児がともに死亡したニュースを報じた。胎盤が分娩前にはがれる、胎盤早期剥離による酸欠と大量出血という。

胎盤早期剥離のリスクがある妊婦は、自然分娩ではなく帝王切開が行われるが、それでも今回のような医療事故が起こる可能性がある。

リスクのある出産は胎盤早期剥離だけではない。胎盤が子宮口をふさぐ前置胎盤も帝王切開が絶対条件だが、胎盤をはがす際に大量出血する場合があり、出産前から緊急処置が可能な大病院の管理入院を勧められるハイリスクの出産である。

妊娠が契機となって発症する妊娠糖尿病は、妊娠高血圧症候群や羊水過多症、感染症などを引き起こしやすくなり、やはり帝王切開が行われる。それだけでなく、胎児も高血糖となり、将来糖尿病になる可能性もあるといわれる。

子役スターだった間下このみの罹患でクローズアップされたのが「抗リン脂質抗体症候群」。習慣性流産・死産・血栓症などを引き起こすという。

そうしたことがなくても、出産時に子宮破裂するリスクは全妊娠0.03〜0.1%はあるといわれる。前回帝王切開で次に経膣分娩する妊婦では、その0.8%が子宮破裂になるという統計もある。出産時に胎児が死亡すると、老廃物が母体に逆流して妊婦もなくなる場合もある。

いずれも僅かな確率だが、ひとつひとつは生命そのものをおびやかしかねないものであり、年齢に関係なくどんな妊婦でも起こりうるリスクである。ところが、こうした出産全般のリスクというのは世間ではあまり認識されず、もっぱら出産のリスクというと「高齢」だけをクローズアップしたがる人もいる。

最近では、倖田来未の「35歳を過ぎると羊水が腐る」がある。一部の女性識者は、倖田を庇い立てる根拠に「高齢出産のリスク」をあげ、さらに傷口を広げた。

「彼女は無知で、言葉の使い方も間違っていたと思うけど、言ってることには一理あると思う。私は肉体的にも社会環境的にも若いうちに産めるならその方がいいと思っているし、“いつでも産めるんだ”という報道は逆に無責任」(「日刊ゲンダイ」2008年2月19日付でさかもと未明)

誰も、最初から高齢で出産すると「無責任」に決めているわけではあるまい。「いつでも産める」どころか、様々な事情があり産めなかったから、結果として高齢になったのであろう。

にもかかわらず、ことさらそれだけをクローズアップしたがる理由は何か。要するに、「高齢」の最大の「リスク」である、ダウン症やその他障害を持った子供への差別意識があるのだろう。もしくは、産まないと思った女性がよもやの年齢で産むことへの嫉妬ではないのか。出産経験のない女性識者が高齢出産の慶事を牽制するのは、とくにそれを勘ぐりたくなる。

たとえば、40歳でダウン症を産む確率は1%に満たない。無視はできないが、圧倒的にそうではないということだ。それに対して、体外受精で前置胎盤になる確率はその倍あるといわれている。もとより、高齢であろうがなかろうが、障害のある子どもを授かったのだとしても、それは「産んではいけないこと」ではない。

何より、「高齢」を敵視する前に、妊娠一般についてもっと確実に気をつけなければならないことはある。
個々の前置胎盤は原因が特定できないとされるが、若い女性の安易な性交の後始末である堕胎で行われる子宮かきだしの傷は、その原因になりうるといわれている。喫煙や飲酒の習慣は、妊娠生活や出産、さらには胎児へ悪影響を与える。客観的に見て、それらの方がよほど「社会環境的」に呼びかけるべき禁忌事項だろう。

出産というと、自然の摂理で女性なら誰でも当たり前にできるように思っている人が、男性だけではなく若い女性にもいる。その一方で、高齢出産のリスクばかりをクローズアップするムキもある。いずれも、出産という幾重ものリスクを乗り越えて達成する大事業を、リアルに表現したものとは言い難い。

前置胎盤・高齢出産サイト

プロレス中継がもっともセンセーショナルに報じられた日

今から46年前の4月27日、当時のマスコミでは、神戸王子体育館で行われたプロレス興行の生中継を見た老人がショック死するという事件が話題になった。

このときは「第4回ワールドリーグ」という興行のさなかだったが、カードはリーグ戦ではなく、力道山、豊登、グレート東郷対ルー・テーズ、フレッド・ブラッシー、マイク・シャープの6人タッグマッチだった。

リーグ戦ではないから、それなりの見せ場も作らなければならない。となると、ブラッシーが東郷の額に噛みついて流血させるのはプロレスの世界では“お約束”だ。もちろんこの日も大流血サービスとなった。ところが、東郷の後頭部から鮮血が流れ落ちるシーンを見ていた、76歳の女性(心臓発作)と63歳の男性(脳出血)が亡くなってしまったというのだ。

さらにこの件が表面化した後、実は4月23日に行われた力道山対ブラッシーの試合を見ていた11人が、心臓麻痺で急死したとも報じられた。これによって、プロレス中継とショック死の因果関係が強く取り沙汰された。

もっとも、当時は心臓病で亡くなる人は1時間あたり30人以上いたといわれるから、プロレス中継を見て亡くなる人「も」いたのは当然で、確率的には、プロレス中継を見て亡くなった人の割合が、心臓発作で亡くなった人全体に比べて有意に際だっているといはいえなかった。

しかし、そうだとしても、刺激の強いものは避けた方がいいと思われる高齢者が、ショックを受けるかもしれないリスクもかえりみず中継を見てしまうほど、当時のプロレスは面白かったということかもしれない。それほどのブームだったからこそ、因果関係の厳密な検証などせずに「プロレス中継でショック死」なんてセンセーショナルな報道になったのだろう。

4月28日付の「朝日」夕刊を調べてみると、日本テレビの福井三郎編成局長が次のように話している。

「しかし、なんといってもプロレス放送の視聴率は高い。東京で50〜60%、地方に行くほど高くなり80%を超す地区もある。こんなに人気のある番組はほかにない。亡くなった方は血圧の高い老人の方たちのようだが、こうした人気番組では特殊な病人の方たちのことまで実際問題として配慮しきれない面もある……」

テレビ局の視聴率主義は今も昔も変わらないようだが、それにしても変わったのは視聴率の数字である。プロレス中継で50%など、夜中のコメ印番組になってしまった今では考えられない。考えられるくらいなら、ゴールデン枠からの撤退などなかったはずだから……。

私はまだうまれていない頃の話だが、力道山のパワーを改めて確認できる事件である。


昭和プロレスのことなら
昭和プロレス銀座が詳しい

大学の2部と高校の定時制の違い

早稲田大学は14日、来年度から社会科学部の夜間授業を廃止し、昼間学部に移行すると発表した。勤労学生が減少したことによる学部の再編という。

もともと、同大学の2部は戦後の偏差値世代にとって、勤労学生というより、早稲田に入りたい人が、より入りやすい学部として選択する位置づけだった。それは早稲田に限らず、有名大学の2部はみなそうなっているといっていい。

最近は明治・法政・中央・同志社・立命館などの有名大学が新しい学部を作り、それと引き替えに2部をなくしたりフレックス制にしたりしていた。

それとリンクするわけではないが、昨今、定時制高校を縮小・統廃合する動きが各自治体にある。こちらも、「ほぼ」全員が高校に進学する時代になり、勤労高校生が減ったことが理由になっている。

しかし、同じ夜学でも、大学の2部と高等学校の定時制は事情が違う。通常の全日制と定時制の違いは決して「偏差値」だけではない。生徒の質も目的も全く異なるのだ。

全日制は、勉強、部活、文化祭、修学旅行、友人や憧れの先輩との関係、そんな甘くほろ苦い経験を積み、進学なり就職なりをする大切な思春期の3年間である。

しかし、定時制の生徒たちは違う。全日制を脱落した者、進学できなかった者、中学もロクに行かなかった引きこもり……、

彼らがなぜ定時制に行かざるを得なかったのか。理由は全てを枚挙すれば様々あるだろうが、大きな要因に「家庭環境」がある。まともな家庭環境の人は、定時制など行かない。

彼らの両親は、教育熱心ではない。たとえば、進路相談の三者面談などもまともに出席しない。子どもとの適度な距離がつかめず、健全に育つための指導もしつけもできない。子どもが脱線しても、見て見ぬふりしかできない。もしくは、そもそもその親自身が非常識や不見識な生き方であることを何とも思わない。

なぜ、そんなことがわかるのか。私も定時制の出身だからだ。三者面談も出てくれなかった母親が、無責任に勧めた定時制に入学。アルファベットもわからない連中がクラスメートでは、まともな授業も経験できない。きちんとした勉強もしないので、イヤになって最後は通信制に転籍してしまった。だから、私は普通の高校生活を知らない。卒業アルバムとやらも持っていない。卒業してもまともな就職先もない。もちろん大学進学などあり得ない。いい思い出など一つもない。

現在の知人や友人と、高校時代の話になったときが辛い。同じ世代でも話題を共有できないからだ。定期試験や部活に悩む高校生が羨ましい。

では、定時制高校なんてなくなればいいと思っているか。それが、正反対である。

人生紆余曲折あり、その後、私は奇跡的に大学生活を経験することになった。18歳をひとまわりも超えての入学は、残念ながら「普通の大学生」のキャンパスライフと同じ感覚というわけにはいかなかったが、それでも、定時制(通信制)高校があったから「高卒」になれたので、後の大学入学につながった。卒業しておいて良かったと思った。

世の中には、いろいろな「星のもと」がある。産まれてくる時にそれを選ぶことはできない。

少子化対策も事情もあるだろうが、私のような遅咲きで取り戻す人生もある。そんな人たちへの機会を残しておいて欲しいと思うのだ。

健康食品で「治療」した人のその後は?

「抗がん」を売り物にする健康食品の宣伝を見ると、どんな難病でも奇跡の回復ができるように書かれている。そのイメージを補強するために、そこには必ず使用者の体験談や、もっともらしい僅かなデータが掲載されている。

2005年10月に薬事法違反で逮捕、有罪判決を受けた史輝出版のアガリクスに関する書籍は、体験談がでっちあげだった。まず、体験談にはそうした危うさがあることを私たちは認識しなければならない。

もちろん、すべての体験談がそうだとは断言できないが、かりに本当だとしても、成功被験者の紹介には疑問に思うことがある。もし、奏功例があったとしても、それがすべてではなく、奏功していない例だって多数あるのではないか、ということだ。むしろ、その方が圧倒的だろう。

業者は、奏功しない例は絶対に公表しない。というより、奏功しない人は亡くなってしまうわけだから、「死人に口なし」で、そのような報告は上がってこないのだろう。

しかし、奏功しない例は出さずに奏功例だけを見せれば、消費者には、あたかもそれを使えば必ずうまくいくようなイメージをもたせることができる。しかし、それは公正な宣伝とは言えないのではないだろうか。

NPOの法人格をとっている、糖鎖と昆布フコイダンという健康食品を宣伝するサイトがある。そこには「臨床例」として、末期がん患者10名の白血球や腫瘍マーカーなどの数値が、その健康食品を使用したことで改善し、余命が伸びたと報告されている。

私はそのサイトに、その後、その患者たちはどうなったのかを尋ねた。すると、次のような回答があった。

「4名は亡くなっています。しかし、末期なわけですし、数値が良くなって余命が伸びたのは画期的な病気の改善だと思います。もちろん健康食品のおかげだと思っています」

これを額面通り受け止めれば、すばらしい健康食品だと思うだろう。末期でさえそうなら、早期ならこれだけで治ってしまうかも……、などと思うかもしれない。しかし、それほど画期的なものなら、とっくに病院の治療で採用されているだろう。

まず、亡くなった人がいるのなら、亡くなったことを追記すべきである。サイトには「数値の改善」だけが書かれているため、閲覧した人にとっては、まるでその末期がん患者全員が持ち直していると受け取れる。

余命というのは、ひとつのめやすであり、たとえば余命3ヶ月の人が半年生きることは別段珍しいことではなく、それをもって「病気が改善した」「健康食品のおかげ」ということにはならない。

また、マーカーなど数値はその時々で上がったり下がったりするもので、それだけで即、病状の改善と判断することはできない。きちんと、CTや内視鏡などの画像診断や、細胞診などの医学的判定を行うべきである。

そして、これは科学や医学では常識だが、こうした効き目の試験は、思い込みによる影響を分離するため、真薬と偽薬を投与する被験者グループを用意し、効果を検証しなければならない。それを二重盲検試験という。

いずれにしても、亡くなった人がいるのにそうした情報を書いていない以上、そのサイトのデータは「虚偽」といってもいいのではないだろうか。藁にもすがる気持ちで、その健康食品を求める患者を裏切るものとはいえまいか。

今、華々しい体験談や宣伝データなどに心を動かされて何らかの健康食品を検討している方は、そのデータに書かれている被験者が、その後どうなったか確認されることをお勧めしたい。

オリコンによるライター個人への名誉毀損訴訟をどう見るか

2008年4月22日、東京地裁(綿引穣裁判長)は、烏賀陽弘道が雑誌『サイゾー』に寄せたコメントで名誉を傷つけられたとして、ランキング会社のオリコンが烏賀陽に5000万円の損害賠償を求めていた裁判で、烏賀陽に100万円の支払いを命じた。

一方、烏賀陽がオリコンに対して「訴訟は表現の自由に対する萎縮的効果を目的とするもの」として1100万円の損害賠償などを求めた反訴については、「取材対象者のみを被告として訴えても不当提訴ではない」などとして烏賀陽の訴えを退けた。

この事件の特徴は、『サイゾー』に烏賀陽が談話を寄せた記事について、オリコンが『サイゾー』も記事の著者も訴えずに談話者だけを訴えたこと。もうひとつは、5000万円という高額の賠償を求めていることである。

名誉毀損の高騰化はここ最近いわれていることであるが、賠償額が高額になることによって、被告側は弁護士を頼むのにも高い着手金を払わなければならないことになる。つまり、烏賀陽は判決以前に訴えられた時点で経済的なダメージを与えられるということだ。

談話が訴訟の対象になったことはこれまでにもある。昨年4月には、夕刊紙の記事でえなりかずきが損害賠償と謝罪訂正記事の掲載を求める訴えを東京地裁に起こした事件がある。えなりのガールフレンドについての記事だったが、後半で芸能ライターの談話として、えなりが風俗通いをしているとも読める記述が出てきた。しかし、この件はすでに謝罪文が掲載される和解が成立している。

オリコンは、そのような解決にギリギリまで努力したという話もない。つまり、この訴訟はオリコンが明らかに烏賀陽個人を訴訟で断罪することが目的と解釈することもできる。個人的には、少なくともメディアとして発言できる力のあるオリコンが、何が何でも裁判で立ち向かわなければならないようなことだったのかという点で疑問が残る。

報道では、オリコンの主張が全面的に認められたなどと報じた所もあるが、それはおかしいだろう。
「5000万円の損害賠償を求めて」「100万円の支払い」でしかないこと自体、「全面的」とはほど遠い判決であり、その著しい差額こそが烏賀陽が言うところの「恫喝訴訟」を疑う点だったのではないのか。

ところが、マスコミはそうした点について懐疑も分析も行っていない。記事に対する名誉毀損という、自分たちにとっても重要な問題なのに……だ。

また、言論の自由を意味をあまり深く考えない一部の人は、こんな意見を述べることがある。

「言論は自由だが、言論には責任がつきまとう。だから訴えられても仕方がない」

言論に責任を求めることは当然だ。しかし、その前に言論の問題に司法を持ち込むことの是非自体を論じなければならないだろう。

「言論」ではないが、「学問」に訴訟が馴染むか、という問題を考えさせられたことがある。藤村新一による、考古学の捏造問題である。

このときは、学界もマスコミも遺跡の地元住民も全てが騙された。世論の中には怒りと事の重大さから、裁判で断罪すべきという声も上がったが、学者の国会議員にあたる日本学術会議会員の池内了は、そうした声にこう反論した。

「私は倫理を議論する限りにおいては、法を介入させてはいけないという立場です。不正行為がどのような犯罪行為に結びついたかによって判断すべきです。(中略)公開して自由な討論の中で、何が正しいのかゆっくり詰め寄っていくのが学問であり、それが無いところで騙されたということだろうと思います。議論すべきなのはそのことであり、藤村さんがどうこうということではないと思います」(Journal of the JAPANSKEPTICS 1999 Vol.12より)

池内の話は、実は言論にもあてはまることではないだろうか。

言論の自由と名誉毀損の問題は、もちろんケースによって異なるが、今回のような事件なら、訴訟の使い方を「自由な討論の中で、何が正しいのかゆっくり詰め寄っていく」試みがあってもいいのではないかと思う。「ツカサネット新聞」にもそうした投稿がどんどんあって欲しいし、マスコミも及び腰にならず、自分たちの立場からの意見をきちんと述べて欲しい。

マイクロソフトやヤフーら5社、“青少年ネット規制法案”に反対表明「法規制は一番最後に来るべきもの」保護者向けの自主活動を開始

4月23日18時32分配信 Impress Watch からです


 マイクロソフト、ヤフー、楽天、ディー・エヌ・エー、ネットスターの5社は23日、複数の政党で検討されている“青少年インターネット規制法案”について反対する意見を表明した。

 5社では、「一部の法案においては、保護者の多様な意見を反映できない仕組みの導入を義務化したり、弊害が多く効果の期待できない規制を課したりする傾向が認められる」とし、法案には反対するとしている。また、「法規制は一番最後に来るべきもの」だとして、「まずは、現在進みつつある民間の取り組みを後押ししていただきたい」としている。

 5社では、子供が安心してインターネットを利用できるようにするための活動を開始することも発表した。全国高等学校PTA連合会をはじめとする保護者や学校関係者と協力し、インターネットの安全な利用やリテラシー向上に関する教育を保護者が子供に対して行なえるような教材を制作するほか、講師を派遣して保護者向けの勉強会も開催する。さらに、これらの活動を通じて得た知見をもとに政府や自治体に対して政策提言を行なうとしている。

覚せい剤はいかん

 2007年10月28日、元光GENJIの赤坂晃が、東京豊島区の路上で覚せい剤約〇・6グラムを所持していたとして、警視庁大塚署に現行犯逮捕された。スポーツタイプの高級外車で現場付近に乗り付けた際、警ら中の署員から目をそらしたため職務質問を受けてのものだった。所持品から覚せい剤約1グラムや吸引に使う道具などが見つかり、尿の簡易検査でも反応があった。29日には東京都立川市の自宅も捜索、送検された。赤坂は、「自分で使うために持っていた。今年4月ごろから使っていた」と容疑を認め、「(覚せい剤は)職務質問を受ける直前に近くの路上で外国人から買った」「ストレスがあった」などと供述した。
 31日には、赤坂が3月に協議離婚して元夫人が5歳の長男を引き取ったことも明らかにされ、赤坂の言う「ストレス」は、堀越高校時代の2年先輩だった元夫人との「離婚」と報道された。
 ジャニーズ事務所は、10月29日正午ごろにFAXでコメントを発表。「本人は、素直に事実関係を認め、自らの行為を深く反省しております。しかしながら、このような犯罪行為は決して許すことのできないものであり、29日、解雇処分と致しました」と綴っている。
翌11月21日、東京地裁(佐々木直人裁判官)は、覚せい剤取締法違反(所持)に問われた赤坂に対し、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。この日は同事件の初公判だったが、東京地検は、事件が明白で刑が軽い場合に行われる即決裁判を申し立てていた。審理が終了しその日のうちに判決が言い渡されるものだ。赤坂の場合は初犯だったので、執行猶予がつくことからこの裁判となった。
「刑事責任は軽くないが、社会で立ち直る機会を与えるのが相当だ」(佐々木裁判官)
判決を言い渡された後、赤坂は「離婚して子供に会えないつらさから逃げようとして使用した。ファンの方々には大変申し訳ないことをした」と謝罪した。

サイトTOPへ