| 2011年1月16日(日) |
| 「お絵かき大好き」の巻 |
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志音はお絵かきが大好きです。教会でも礼拝後にいつもホワイトボードに絵や数字を書いています。最近は猫の絵や人間の絵も詳細にかけるようになりました。ところが、ある日の朝。先に起きた妻の悲鳴が聞こえました。なんと、志音が体中、家中に「らくがき」していました。しかも、マジックペンで。顔はまっかっか。手や足は裏まで真っ黒。テーブルにも落書き。ソファーや床にも、マットにも、、、、。家族総出でインク落とし。それ以降、家のマジックペンは隠されたことは言うまでもありません。いくら絵が上手になったからと言って、、、。志音がペンをもって近くにいる時、気をつけましょう。
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| 2010年12月21日(火) |
| 「めぐみサッカー場」の巻 |
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めぐみ教会に来る子供たちに、今、一番人気があるのは「サッカー」です。架音がサッカーを始める前からブームでした。お隣さんにボールをけりこんでしまったり、牧師館の窓ガラスを直撃したり、花壇をめちゃくちゃにしたり大変です。しかし、木曜学校や日曜学校が終わるや否や、真っ暗になってもほとんどの子供たちは庭でサッカーをやります。そこで、私はサッカーゴールを作りました。すると、的を得た子供たちはちゃんとゴールめがけてけるようになりました。ある日曜礼拝後には43−43という信じられないスコアになるほど熱中してサッカーに興じたこともありました。そのうち、めぐみサッカーチームでも作ろうかと話し合いはじめています。サッカー好きな子供、どうぞいらしてください。
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| 2010年11月20日(土) |
| ルターの時代の礼拝 |
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宗教改革記念の時期に、ルターの時代(約1600年)のドイツの礼拝のことについて、少し本を読んで見ました。すると、日曜日だけでも朝5:00,8:00そして夕方の三回の礼拝機会がありました。それぞれの礼拝では異なる説教が説かれました。きっと忙しい人でも、日曜日にみことばを聞く機会が与えられたでしょう。そして、平日も、何と毎曜日、朝であったり夕であったり礼拝がありました。ある曜日にはマタイ、ヨハネなどある書簡を講読したようです。学生や子供のためのみことばの学びもあったようです。つまり、ルターは確かに聖書で述べているように「みことばの重要性」を心から理解し、実践していたのです。私も来年から日曜夕拝をやろうかと計画していますが、来年の受難節の聖週には思い切って早朝礼拝を1週間通してやってみようかと勇気が湧いてきました。
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| 2010年9月8日(水) |
| 「神様からの賜物」の巻き |
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自閉症の志音は今5歳、あゆみ園という養護幼稚園の年中組みです。私たち夫婦は彼の今後の数年間のために、しばらくは教会の仕事を犠牲にしてでも動かなければと決心しました。来年に一般の幼稚園に入れてチャレンジさせること、新しいかかりつけの病院探し、小学校に入学できる可能性、保育園の可能性、情報を集め、考え、祈り、行動しています。良い返事を頂いたり、重くなるような話を聞くこともあります。この数年の取り組みで、志音の将来に大きな影響がでることは明白です。そんなある日、幼稚園の面談で、志音が習い事をして社会性を身につけること、またクラスでの忍耐力を身につけること、学力を伸ばす事を進められました。志音ならばこのチャレンジを通して成長できるかも知れないとのこと。とにかく今はどの可能性もトライする気持ちがあり、さっそく塾を訪ねました。志音も共に行って、いくつかのクラス、テスト、勉強を行いました。両親も前から気がついていましたが、専門的な方から見ても志音の記憶力の才能にびっくりされていました。学校の先生だけではなく親ががんばれば、この子の才能を限りなく伸ばせるかもしれない。自閉症であれもこれも出来ない子供、変な目で見られて笑われてばかりの子供、社会的な弱者ではなく、神様は志音に永遠のいのちや天国だけではなく、これからこの世の中で生きていくための賜物をちゃんと備えてくださっていたことに改めて気がつき、わたしと妻は飛び跳ねるほどの喜びを感じました。本当にこの喜びは神様に感謝しつくせないと感じるほどです。さっそくいくつかの塾をあたり、入塾させることにしました。算数も英語も大好きな志音、うまくいけば一日、二日で色々な事を覚えてしまうかもしれないそうです。とりあえず、ちゃんと座ってお話を聞く訓練から。主よ全ての導きに感謝いたします。
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| 2010年9月5日(日) |
| 「神様の保護」の巻 |
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教会の庭は広いので、夏の手入れはとても大変です。特に背の高い松の木の手入れ、剪定も自分でやっています。ある日曜日の夕方、たかい脚立に昇って松の剪定をしていました。降りようと思った時に、左手の結婚指輪が脚立の突起部分にひっかかりました。左手のひじ下に全体重がかかりました。指輪とひじ下が私を支えました。地面に降りた後、激痛がひじの下に走りました。指輪も捻じ曲がって、薬指が鬱血しています。妻は一目散に電話をしたり、近所に声をかけたり、子供たちの食事を整えて、車で私を緊急病院に連れて行ってくれました。妻は私の指輪を切断しないと、指を切る羽目になると考えていました。やっと病院にたどり着き、指輪をペンチで切断してもらいました。お医者さんも結婚指輪を切断する事をためらっていました。指の痛みはさほどでもありませんでしたし、腕も骨には異常がありませんでした。ただ、筋を痛めたのと、神経がやられたので、今でさえ車の運転やパソコンのタイピングには支障があります。妻は結婚指輪が切断された事を少しも残念に思いませんでした。逆に神様に指輪が切断される事を心から祈ってくれていたそうでした。必死になって動き、祈り、心配してくれている妻を見て、幸せだと感じました。妻とけんかすることも多いと感じるこの頃でしたが、神様は最小限のトラブルによって私たちが「愛し合う」と言う機会を備えてくれた気がします。
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| 2010年8月23日(月) |
| 第52回サマーバイブルキャンプ |
8/20-22に、茨城県茨城町にあるひぬま荘にて、サマーバイブルキャンプが開催されました。今回のテーマは「子供に信仰を残すこと」でした。今日、多くのキリスト教会でも昔に比べて子供の出入りが非常に少なくなってきており、教会会員の平均年齢も年々上がっているようです。ある人は「子供に魅力的な教会を」という事で遊びやゲーム、レクリエーションを増やしています。それも良い方法です。しかし、それでたくさんの子供が来ても、本当の意味で定着することはありません。やはり、御言葉の教育、神の助けなくして神様との関係を個人個人で持つことはありえないからです。子供の御言葉離れ、教会離れの責任はやはり大人、親にあります。それを叱責する目的ではなく、お互いに助け合い、協力し合い、祈り合い、どのようにしていったらいいかを学ぶ機会を備えたかったです。参加者の皆さんからはとても前向きな御感想を聞けて嬉しかったです。今の多忙な世の中、霊的教育をサボることは簡単ですが、イエス様は一人で全人類の救いを完成されました。そして、イエス様はいつも私たちと共にいて助けてくださいます。アーメン
みなさんの励ましと御協力と祈り、またひぬま荘さんの御好意に感謝いたします。ありがとうございました。 |
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| 2010年3月30日(火) |
| 「神様大好き少年」の巻 |
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わが子のことで少し恐縮ですが、子供たちの生活を見ていると「神様を本当に愛している」というのがわかります。理屈ではなく、理解ではなく、主なる神はまさしく子供たちの中心に座していると感じるこの頃です。それは品行方正に、いつも主の御言葉を愛しているというわけではありません。しかし、神様のお役に立ちたい、教会のみんなの役に立ちたいと思っています。大きな声で食事のたびに神様に感謝の祈りをしています。毎週、日曜学校を教えたり、一人でも日曜学校に参加したり、礼拝の準備をしてまっていたり、他の教会の掃除にも文句一つ言わずについてきて、一生懸命働きます。ラジオ説教を作り、録音できた事をとても喜んでいます。雨の日にトラクトを配りに行くと言うと、喜んでついてきます。逆に、私が「トラクトは全部配っちゃったよ」と言うと、文句を言ってきます。一緒に配っていると私には一切配らせず、全部自分で配ろうとします。トラクトを配っている足も、喜びの「スキップ」を踏んでいます。集合ポストではなく、読んでくれるようにとわざわざ走ってドアのポストに入れています。お店の中の定員さんにまで配っています。「たくさんの人が教会にくるといいね」とニコニコして祈っています。私と妻は両親として大きなこと、立派なこと、模範になれるようなことは一つもできていないと恥ずかしながら感じています。しかし、主が子供たちにもっとも大切な遺産を残すことに成功させてくださっていることを見られてとても幸せです。このようなことは通信簿にも評価もつかず、世の中の人から評価されなくても、神様は一番喜んでくださっていることでしょう。牧師として、牧師の妻として私たちが疲れている時、このような主の賜物の数々をそばで見られ、本当に励まされています。世間では子供の事を公に誉めると「親バカ」と言われるようですが、わが子の良いところをちゃんと見て、誉めて、誇りとすることはとても良いことです。
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| 2010年1月23日(土) |
| 「はじめての病欠」の巻 |
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昨晩、急に熱が出ました。体中にも激しい痛みが走り、コタツで休んでいる状態から起き上がることも出来ませんでした。今までの風邪の中でももっともひどいものです。お風呂に入って早く寝ようと思っても、息も苦しくてやっとの思い出床に着きました。翌日は元気になったとおもったら、数時間するとまたダウン。日曜日の礼拝はなんとか行おうと思って準備してきましたが、妻からも「無理しないで」と言われても、やる気で準備していました。しかし、そんな大変な風邪を他の人にうつすのは?と言われ、断念しました。今まで、牧師になってから日曜日の説教だけは病気で休んだことがありません。人間は本当に完璧ではないと思い知らされる一方、今までの記録がここで途絶えることの淋しさでいっぱいです。しかし、そんな中で家族が明日の礼拝のために、私の代わりに準備をしている姿を見て大変嬉しく思いました。
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| 2009年8月18日(火) |
| 「子供の純朴さ」の巻 |
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木曜子供学校でのこと。聖書のお話をした後に、いろいろな質問をします。最近はよく熱心に聴いているので、よく答えることが出来ます。そこで、少し考えさせる質問をして見ます。しばらく子供たちは考えていますが、しばらくすると手が上がります。「はい。先生、きっとそれは神のめぐみです」と答える子供。私もお母さんたちも、その答えが正しいかどうかというよりも、「めぐみ」という言葉にびっくり。すると、つぎつぎと手が上がり、「先生、わかった。それは神の祝福です」「神の贖です」と、「模範的な解答?」がつぎからつぎに上がります。すばらしい子供聖書学校でしょう?
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| 2009年7月11日(土) |
| 「神様の愛はすべて」の巻 |
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最近、説教のシリーズで「神の愛」について取り上げています。聖書のテーマ、聖書のすべての律法に至るまで、神の愛がテーマです。イエスが十字架にかかったことも、イエスが行ない、語ったすべてのこともこの神の愛です。十字架での死も、イエスの厳しさも、あのクリスマスの飼い葉おけにも、神の愛があふれ出ています。神の愛なくして聖書を少しもわかることはありません。その神の愛にくらべて、私たち人間の愛はなんとひどいものでしょう。同じ「愛」というカテゴリーに含むべきではないとさえ感じます。
自分の言葉、行動、生活は自己愛に動かされています。神の愛のひとかけらでも欲しいと願わずにはいられません。人間に神様は3つのもっともすばらしいプレゼントを与えてくださいました。それは生まれてくるときにいただいたいのちです。誰もこの命のために働いてもいませんし、一円でも払って得たものでもありません。そして、愛です。神の愛に気がつくように、神様はあらかじめすべての人間に愛を備えました。幸せな人生は、お金や功績によるのではなく、神の愛の中に生きているかどうかではないかと感じます。そして、最後に「天国での永遠のいのち」です。神はこれらもっとも必要なものを前もって、神の犠牲をもってしてまですべての人間に与えてくださいました。それなのに、神様の事を不公平、冷たいなどと不平を言ったり、疑ったり、退けたりすることは、それこそもっともひどい罪といわれざるを得ません。神の愛についてのテーマで学んでいますが、このまま一年中神の愛で続けられそうなほど、聖書と神様のすべてが神の愛であることに感激しているこのごろです。
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| 2009年6月26日(金) |
| 「英語が得意」の巻 |
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志音の成長には日々驚かされます。最近の志音は数字と英語が大好きです。時計を見るたびに、「1は?2は?」と英語でなんと言うか聞いてきます。おかげさまで今は26くらいまで日本語と英語で数字が言えるようになりました。(小学生並でしょう!)しかし、親にとって困るのは、志音が突然「パパ、1は?」と数字を見つけては尋ねてくるのです。運が悪いと26くらいまで全部質問されます。終わったと思うと、今度はまた1から、、、。英語も算数も日々これ精進です。
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| 2009年6月26日(金) |
| 「神様、あかちゃんを下さい」の巻 |
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最近、私たちの周りでは「ベビーブーム」です。それは大変嬉しいことですし、ベビーの集いもにぎやかになりました。私が牧師になってからも、第3回目のベビーブームの到来です。かわいい赤ちゃんを数多く見ているうちに架音。「赤ちゃんが欲しいな」すると、前回も書いたように、寝る前の祈りの中で「神様、赤ちゃんをください」と祈る架音。純粋な素直な祈りです。しかし、それを聞いた両親は、、、。「主よ、みこころならば」と祈りに加えました。
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| 2009年5月31日(日) |
| 「何でもお祈り」の巻 |
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私は牧師館の前の事務所で仕事をしていると、家のドアが少し開いた気がしました。そのわずかな隙間から見えたのは、次男の架音でした。しかし、ドアはまた閉じてしまいました。すると、しばらくして、またドアが少し開き、また閉じてしまいました。「何をやっているのだろう」と思っていると、今度は先ほどよりも大きくドアが開きました。架音はうつむいたまま、手を組んで祈っているようです。「何をいのっているのだろう」と私。祈りが終わると架音は事務所のドアに駆け出してきました。事務所のドアも、牧師館のドアと同じようにゆっくりと開き、架音が入ってきました。「パパ、あとでちゃんと宿題をするから、お友達の家に行ってきてもいい?」私「いいよ」すると、曇り空に太陽が顔を出したような笑顔を見せて、勢いよく飛び出していきました。とりあえず、どんなことでも神様にお祈りしなさいと教えている私の心にも、架音の笑顔と同じくらいの喜びが湧いてきました。
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| 2009年4月9日(木) |
| 「すばらしい献金箱」の巻 |
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イースター子供会の時、ある小学生の女の子から地球の絵の上にイエスさまの絵が重なっている小さな献金箱をいただきました。その献金箱はとても上手に作れていました。きれいに色も塗ってありました。その女の子が神様に自発的に献金をしてくださることに、感銘をうけながらも「このかわいいイエス様の箱は、どこで手に入れたのだろう」と思っていました。日曜日になり、私は礼拝の献金箱に、女の子の献金箱と献金をそのままかごの中に入れました。礼拝後に長老さんが「この献金箱はどうしますか?」と私に尋ねてきました。私は「とても上手だし、とっておきましょう」と言って私のデスクにおいておきました。私は何度もその箱を眺めていました。そして、土曜日の英会話クラスの準備のために、私は毎週子供たちに配る聖書のものがたりを準備していました。前回のを片付けていると「あっ!」なんと、配布した聖書物語の裏表紙に、献金のお話と女の子が作った献金箱の台紙が書かれていました。なぞが解けました。それ以上に、私は涙がでてきました。いつも、子供たちは聖書のお話を聞いているのかな、先生がお話しているときだけ聞いていて、おうちに帰るとわすれてしまうかな、ずっと覚えていてくれるかな、といつもうれいていました。しかし、その女の子は聖書物語の裏表紙の紙は薄いので、わざわざ型紙にはって箱を作っていたのです。こんなに丁寧に。きっと神様はこのような献金箱の作品を100点満点をつけるでしょう。私もです。献金の精神を神様はこの女の子の小さな感謝の心をとおして教えてくださいました。
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| 2009年3月22日(日) |
| 「御言葉の教育」の巻 |
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私は長男と次男に聖書の御言葉の暗記と言う課題を与えています。特に架音はまだ6歳なので、ある人は「やりすぎ」と思うかもしれません。しかし、不思議なことに喜んでやっているようです。2歳の頃から教会で聖書の子供クラスに参加し続けている架音、そして同じく2歳の頃から教会の日曜学校にきつづけている健吾。私も小さい頃に日曜学校に通っていましたが、彼らと私の大きな違いを時々感じます。よく、一般的には「三つ子の魂、百まで」ということわざがあります。3歳までのしつけ、子育てがその後の人生に大きな影響を与えるという意味です。最近、「−才までに、−を教えないと手遅れです。」といううたい文句にのせられて、子供の教育を「いそぎすぎる」親もいます。しかし、ある教育はある年齢になればある程度の同じ能力を身につけられると思いませんか?もちろん、子供の初期の頃には、いつそれを学び始めたかは大きな差異になって現れると思います。つまり、小さな頃に急いで学ぶばせるべきこと、体得させるべきこと、そうでないものを親が見極めることが大切だと感じます。「親の価値観による」と言われれば、残念ながらそうともいえます。小さな頃から日曜学校で聖書を学んでいた子供だけがいい子になるわけでもありません。しかし、後で分かります。確実にいろいろな面で違いが見られます。私たちはそれらのすべてを見てるわけでもありませんが。ちょうど最近3歳の志音も聖書のお話を聞くようになりました。まだ、途中でどこかに行くこともありますが。彼にどのようにイエス様のめぐみを教えていくか? 新たなチャレンジです!
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| 2009年2月13日(金) |
| 二人で遣わされた弟子たち |
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牧師になって6年になりますが、その間に落ち込んだり、やけになったり、あきらめたりすることがしょっちゅうありました。そのたびに皆さんに励まされたり、アドバイスを頂いたり、愛をもって怒られれたりしてきました。それでも、がっかりしたりすることのほうが多いです。先日、私は仲本先生と聖書クラスのトラクトを配布しに行きました。2時間くらいやったでしょうか。たくさんのトラクトを配布できたことは勿論嬉しかったですが、牧師として牧師と一緒に活動できることはとても大きな励ましになりました。イエス様も弟子たちを遣わすときに、二人一組で遣わされましたが、いろいろな理由があったことでしょう。二人で伝道のさまざまな可能性について話し合っているうちに、「なんでもやってみよう」という意欲が湧いてきました。
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| 2009年1月23日(金) |
| 「十字架に架かった志音」の巻 |
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子供たちがベッドに入ると、本を読んでもらう習慣があります。ある日の本は、イエスさまのお話でした。イエス様が私たちの罪のために十字架にかかって死んで、よみがえったというお話でした。すると、次の日。テレビの上にある高さ20cmぐらいの木でできた十字架を見つけた志音は、それを床において、十字架に背中を向けて両手を広げました。イエスさまの再現でしょうか?イエス様の痛みを自分も少しは体験しようとでも言うのでしょうか? とにかく、イエス様はすべての罪を負って罰せられたので、もはや志音が罪の罰を負う必要はないのだから、感謝しようね。
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| 2008年12月30日(火) |
| 「クリスマスの忙しさ」の巻 |
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毎年のことですが、クリスマスが近づくと、とっても忙しくなります。クリスマスの案内、クリスマス礼拝、クリスマス子供会、年末礼拝、新年礼拝と、主なイベントだけではなく、日曜日の礼拝や一年の報告書の作成、大掃除、飾り付け、、、。今年は特に一番忙しいクリスマスシーズンです。しかし、説教を書いているうちに気がつきました。主イエスも最初のクリスマスのときに、寒さ、惨めさ、悲しさ(多くの人は救い主の誕生を無視した)、家畜小屋の臭さなど赤ちゃんのときから多くの試練によってはじまったのです。マリヤも自分が処女であるのに身ごもる、救い主の母となるというプレッシャー、周りの人からの非難、身重の旅、夫からの疑いの目がありました。ヨセフも愛するマリヤが知らぬ間に妊娠したこと、内密に去らせようと決心するまでの苦悩、エジプトへの逃避など苦難なくして語られないものです。クリスマスの喜び、平安、楽しさ、華やかさとは全く違うものがクリスマスに見えてきます。そう、クリスマスは試練なくして、神の恵みは見えてきません。ちょうど暗闇がなければ、クリスマスの明かりの美しさが見えないように。私たちの罪を通してクリスマスを覗いてみると、なんと素晴らしい宝がいっぱい見えてきます。私たち夫婦も今年のクリスマスは何度もくじけそうになりました。(体力的、時間的)しかし、その試練の後で、目に見えない祝福がいっぱいありました。今は、クリスマスの一番忙しいピークも終わりましたが、体力的に疲れています。しかし、心と精神はクリスマスの今までよりも多い祝福に満たされているようです。みなさんにも、人知で計り知れない神の恵みのプレゼントがありますように。特にあなたが苦悩や試練に直面しているならば、説教を読んでみてください。
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| 2008年12月12日(金) |
| 「架音語録」の巻 |
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前回にも、架音の聞き間違いから生まれた発言について載せましたが、まだまだ続きます。
・家族に風邪がはやっていたある寒い夜のこと。テーブルの上に並んだ夕食を見て、架音「今日もおやじか・・・」 いいえ。その晩のご飯は「おじや」でした。
・あゆみ園に通う志音の月間スケジュールを見ているときのこと。私「あっ、しおちゃんは来週「もちつき大会」があるんだ!」それを聞いていた架音「へぇー、しいちゃんのあゆみ園には『ずつき大会』なんてあるんだ。しいちゃんが勝つに決まっているじゃん」確かに志音は頭突きでもちをついていそうですが、そんな大会は世の中のどの幼稚園でもありません。
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| 2008年11月21日(金) |
| 「何の日?」の巻 |
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それは私と妻の結婚記念日の朝のことでした。架音は朝起きるとお母さんから「今日はねぇ、パパとママの結婚記念日なんだよー」と聞かされました。すると架音はパパが起きてくると第一声で「パパ。今日は大変だね。けんこうしんだんの日だもんね」
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| 2008年11月14日(金) |
| 「プレゼント」の巻 |
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先日、突然、妻と私と次男の架音とで、あゆみ園に通っている志音のお迎えに行くことになりました。志音はお迎えに来ることは知りませんでした。彼はいつもバスにのって帰ってきます。私たちが園の志音のクラスの前に突然現れると、志音は張り裂けんばかりの笑顔で飛び跳ね、窓を壊しそうなほどの喜びようでした。まるで「あっ、僕のママだー!」と言っているようでした。つづいて、私の事を指差して、まるで「パパも来たー!」とさらに上機嫌。リュックを背負って先生にバイバイする様子も、上機嫌。本当にあゆみ園が自分の居場所だと感じているようです。すると、遠くの遊具で遊んでいるおにいちゃんの架音を見つけました。すると「アハハハハッー」と指差して笑っています。架音は志音にとって、テレビのアニメキャラクターに過ぎないのではないかと思ってしまいます。その後も、園の遊具で遊んでいる自分の様子を、両親に自慢げに見せて回っていました。実はその日は結婚記念日でした。本当は夫婦で簡単なお出かけにいきたかったのですが、忙しくてどこにもいけませんでした。しかし、結婚して、自分たちこそ親になって大変だと思ってばかりでしたが、こんなにも愛して、信頼してくれる子供たちを与えて下さったことに心から神様に感謝しました。親であることは本当に一番大変な仕事です。世の中のどの仕事よりもです。世間では親であることに、給料を払いません。あまり尊敬や、親であることの報いをもえられないかもしれません。「ダメな親」と責められるかもしれません。しかし、お金やものには代えれない報酬がいただけているのです。子供から。それは愛されること、信頼されることです。もちろん、妻からもいただいています。
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| 2008年11月1日(土) |
| 「牧師の牧師」の巻 |
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子育てクラスをやっていて気がついたことですが、子供は悪い事をしたり、分からないことがあるとすぐに注意してくれたり、正しい事を指導してくれる大人がまわりにいます。つまり「しつけ」をされる機会があります。しかし、大人になると指導されたり、悪い事を正されたり、しつけをされる機会はほとんどありません。しかし、行動範囲が広がり、力も増し加わり、責任と判断力を持つようになった大人ほど「しつけられる」必要があるのではないでしょうか? 今日のニュースでも、大人のほうが「うそ」「偽り」「だまし」「詐欺」「不正」「殺人」など、自分の「わがまま」を貫き通した悪い結果が顕著に現れます。また、大人になって家族を持ち、仕事を持ち、人との関係が複雑になると、誰かに慰められたり、励まされたり、勇気つけられる機会が必要です。子供には親や先生がその役割を持ちますが、大人はそのような機会を持つでしょうか? 私も妻もいろいろな面で他の牧師たち、またこの教会の年配のクリスチャンの方々に感謝しています。礼拝や聖書クラスで私は牧師ですが、私よりも信仰の道を歩んでさまざまな試練を経験してきた方は、普段の生活の中で私たちにとって「羊飼い」のようです。牧師だから何でも正しく判断できる、罪を犯さない、間違わないという考えは嘘です。「牧師を支える」というのは、さまざまな面で、いろいろな人ができることなのです。良い会衆は良い牧師を育てる。また、良い牧師が、良い会衆をそだてるのです。この点で私たち家族がなぜ「水戸にいるか?」は明らかです。他の牧師先生たちも何かあると水戸まで来てくださったり、丸一日時間を費やしてくださいます。「できないことはできない」「苦しいときは苦しい」「助けて欲しいときは助けて欲しい」「間違っていることは間違っている」愛を持ってお互いにそのように出来るために、今、私たちはここにいるのではないでしょうか?
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| 2008年10月24日(金) |
| 「ベッキー先生」の巻 |
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10月からめぐみ教会で英会話を教えに来てくださっているベッキー先生は、明るくて、社交的な若い美人の先生です。毎年、来る先生は大学を卒業したての若い女性の先生てす。毎年、先生はみんなやさしく、良い先生ばかりです。そして、非常に神様への信仰もつよく、芯も強い人ばかりです。妻は会ってすぐに「ボーイフレンドはいるの?」と尋ねます。私も仕事を一緒にする仲というだけではなく、妹のようにいろいろと考えてコミュニケーションをとります。(妻は「娘」と思っているようですが。)架音も、英語が話せなくても代々の先生が大好きです。どの先生も日本に来てから3ヶ月くらいは、仕事、生活、言語、食生活に慣れるのに時間がかかるようです。でも、どの先生も日本に、水戸に、恵教会に、我が家に来る事を大変喜んでくださり、嬉しいです。我が家には代々の先生の写真が飾ってあります。毎年、仲良くなった先生(妹、娘)と別れることは辛いことですが、新しい先生が来ることも大きな喜びです。私たちも来る先生一人ひとりから、多くの励ましと愛をいただき、また主にある家族を与えられたようで、本当に幸せです。
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| 2008年9月14日(日) |
| みんなでトラクト配布 |
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9月14日の日曜日は、いつもと違う日曜日の主日となりました。10時に教会に集まり、地域に聖書クラスの案内と英会話クラスの案内を、3つのグループに分かれて配りました。天気も丁度良かったです。11時ごろには教会に戻ってきました。10人の人が配っている間、ある人は子供たちの面倒を見てくださったり、麦茶を用意してくださったり、お昼を用意してくださったり、みんなが動いてくださいました。礼拝でも使徒行伝15章のパウロの第1回伝道旅行について、ダニエルとライオンの話をしました。パウロたちの伝道は多くの人を神の救いに導きいれただけではなく、多くの反対者の妨害に合いました。しかし、神は彼らを祝福してくださり、信じられない福音の収穫を与えてくださっのです。ダニエルも、彼を妬む大臣たちの策略で、彼の信仰の故にライオンの穴に入れられましたが、彼は無傷ででてきました。それも主の祝福の故です。かえってその出来事の故に、ダリヨス王も真の神がどなたであるかを知り、ペルシャ全土に真の神の御名が伝えられる結果になりました。私たちの蒔いたトラクトはわずかです。しかし、このような活動を主は祝福してくださるという励ましをいただきました。礼拝後に、みんなで持ち寄った食事をいただきました。いつも、受けるだけのクリスチャンではなく、豊かに与えるものにもなりたいものです。このような機会、みんなが一つの体として活動できる機会をときどきやってみたいと思いました。さらに勇気付けられ、喜んだ私はトラクトをさらに1000枚ほど印刷所に注文したのでした。
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| 2008年9月6日(土) |
| 「ポニョはどこ?」の巻 |
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志音ははじめて映画館に行きました。両親に連れられて、話題の「崖の上のポニョ」を観に行くことにしたのです。正直、いろいろな心配がありました。しかし、志音は最初から最後まで、映画に釘付け。大喜びでした。私たちは帰りにポニョのお人形を買ってあげようと、いろいろなお店をまわりましたが、どこにも売っていません。家にかえってインターネットで調べると、どこも売れ切れであることが分かりました。なんとか、一店を見つけ、やっとポニョのかわいい人形を手に入れることが出来ました。私たちはポニョが大好きな志音がどんな反応を示すか?期待しながら箱を開けました。志音は期待以上に喜んで、寝るときも枕元でいっしょに寝ていました。家族みんなでその様子をみて喜びました。「本当によかったね」と。しかし、次の日の朝。一番早く目が覚めた妻は異変に気がつきました。「ポニョがない!」夜中には志音の顔の近くにあったはずなのです。家族の中で最後の目撃者は誰だ?とか、志音はどこで、どちら向きに寝ていたとか、、、。家族総出で家中を探し回りました。一つわかったことは、犯人は妬んだ架音ではなく、志音本人であること。なくなってしまったら彼は大泣きするはずですが、ポニョのことを聞いても平然としているのが証拠です。私は懸賞を出すことにしました。「ポニョを探した人には、アイスを買ってあげる」と。架音はすぐに懸賞につられ、家中をさがしまわりました。お兄ちゃんも手伝いました。私はゴミ箱の中、たんすの中、引出の中、ありとあらゆる場所をさがしました。「せっかくかったのに」たった一日で行方不明です。あの志音の喜ぶ顔は見られないのでしょうか?夜、あきらめて仕事をしていた時、妻が「私が見つけた!」と、大喜びで内線電話をしてきました。なんと、妻のバッグの中に入っていました。犯人はもちろん志音です。よほど大切だっのでしょう。次の日からも寝るときも、おきてからもポニョを大事に握り締めています。聖書にもイエスはたった一匹の迷った羊さえも見つかるまで捜すといわれましたが、我が家はたった一体の人形さえも徹底的に探しすのでした。
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| 2008年8月6日(水) |
| 「牧師の勉強時間」の巻 |
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牧師の仕事というと、説教や訪問、勉強会などが表立って目立つと思います。しかし、私たちの教会は聖書は一字一句神の言葉であるとの証言を信じている教会です。その神の言葉である聖書を詳しく分析したり、日本語の翻訳や参考書などを比較研究したり、原語であたってみること、つまり「勉強する」ことも大事な仕事の一部です。牧師の勉強の質と量は、教会に来るみなさんが聞く説教、学びにも影響します。私にとって説教の準備、聖書クラスの準備、論文の準備のときの聖書勉強は「仕事」であることを忘れるくらい充実した時間です。正直に言いますと、牧師になりたかった小さな理由の一つに「聖書を詳しく学べる」というのもありました。教会の皆さんの中に「今、聖書の○○を読み続けています」という方々がいらっしゃいます。私はとても感心します。その方たちは御言葉を聞くために、時間を作るわけです。私はすでにその時間があるわけです。また、詳しく研究する時間も、道具もあるわけです。わたしにも時々、聖書と向き合いたくない時間、日があります。いろいろなストレスがたまったり、夫婦で喧嘩したとき、将来に不安を覚えるときもそうです。しかし、説教を書いたり、学びの準備をすることは仕事ですから、嫌でも聖書を開かなくてはなりません。しかし、そんなときこそ、神様は私に必要な御言葉を読ませてくださいます。かえって、勇気付けられ、元気付けられ、「みんなにもこの箇所を知らせよう」という意欲に駆られます。「妻に謝ってこよう」という悔い改めの心も生じさせます。神様はわかっていたのです。私には仕事として聖書を開く時間を多くしないと駄目だということも。
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| 2008年8月1日(金) |
| 「花火は苦手」の巻 |
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8月の水戸といえば「水戸黄門祭り」です。その中でも一番の楽しみは、初日の千波湖での大花火大会です。1時間半にわたって大きな花火を連発します。私たち夫婦は三男の志音をつれて、花火大会に出かけました。志音はお父さん、お母さんを独占できるとあって、ニコニコでした。彼はバスに乗って水戸の市街地に買い物に行くと思ったか、大好きな公園に行くと思ったでしょう。私たちは千波湖に5時半に着きました。花火まではまだ2時間もあります。まだ、人もまばらでよい席が取れました。もってきたおにぎりと、屋台で買ったお好み焼きや、チョコバナナを食べ、私たちは写真をとったり、お散歩したり楽しんでいました。いよいよ、花火の時間がやって来ました。「ヒューーー、ドォーーーーン!!」大きな打ち上げ花火のすぐ近くにいたものですから、その音と衝撃波はものすごいものがありました。志音はとてもびっくりし「うわー、どうしよう」「いこうか!」「たすけてー」と、叫びながら大泣きしています。抱っこされたまま私にしがみつき、絶対に離しません。お母さんの手を取って、自分の顔を覆わせるか、自分の顔を絶対に花火の方に向けません。亀が甲羅に入ったような感じになりました。私たちは仕方なく、2,3発の花火を楽しんで、帰路に着きました。帰路にはこれから花火を楽しむためにやってきた人たちとちょうどすれ違いになったことは言うまでもありません。バス停でバスを待っているときも、ずーっと丸くなって私の腕に抱かれていました。ビルの窓に映る花火も嫌だそうです。家の花火は好きなのに。しかし、しっかりと学んだ言葉を正しい状況で使っている志音を見て、嬉しく思いました。また、あまりにも恐がっている仕草がかわいいので、何度も意地悪して花火の方に戻ろうとしましたが、志音に顔をはたかれてしまいました。今日は花火を見に行ったというよりも、3歳のわが子のかわいい仕草を楽しむことが出来た両親でした。
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| 2008年7月10日(木) |
| カラオケの巻 |
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我が家では、私以外は歌を歌うことが大好きなようです。私も嫌いではありません。ある日、カラオケにみんなででかけました。妻はいつも家の中でも音楽をかけながら歌っており、最近の流行の歌なんかも歌うことが出来ます。これがなかなか上手です。健吾は最近の流行の歌を歌います。テレがあるのか声がでていません。もっと、お腹から声を出さないと。架音は、戦隊もの、ウルトラマンを何回も繰り返し歌います。歌うときの顔は真剣そのもので、歌を聴いているよりも、彼の顔を見ているほうが楽しめます。最近は、歌詞も読めるようになってきたし、音程もあってきました。志音はマイクを渡しても、歌いません。聞くのが好きなようです。意外とカラオケボックスでは静かです。私はというと。妻と2人でカラオケに行ったときに気がつきました。昔歌えた歌が歌えなくなってきていることに。おそらく、ブランクがあるからでしょうが、わたしが今、上手に歌えるのは戦隊もの、ウルトラマン関連の歌です。いつも、車でも家の中でも子供の歌を良く聞くので、慣れてしまったのでしょう。これからは「歌のお兄さん」にならなければ。
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| 2008年6月5日(木) |
| 神様のめぐみ |
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先週の水曜日、妻は病院で検査を受け、以前からもっていたヘルニアによる痛みが発生していることが分かりました。このままの生活ペースは体に負担がかかるそうです。かといって、志音が急に聞き分けがつくはずもありません。今までにもいくつかの「危機」に直面してきましたが、「またか」と、半ばヤケになりそうでした。「どうして、いっつもこんなに問題ばかりが起こるのだろう」失望感が家族に影を落としました。しかし、架音の幼稚園の友人のあるお母さんから、志音があゆみ園の正式な生徒として7月から受け容れられるかもしれないという電話を頂いた時、これまた「またか!」と思いました。我が家は危機が訪れ、失望すると、何らかの方法で助けを頂いております。その方とみなさんの御好意に感謝すると共に、私たちほど神様から、多くの人たちから愛されているという事を実感できる家庭もなかなかないのでは?と微笑んでしまうほどになるのです。もちろん、志音が毎日バスによる送迎、一人で登園し、仲間と共に過ごすことができるかどうかは心配です。しかし、これも何とかしてくださるのではないかという期待も持っています。実際に、この一週間で志音がおぼえた言葉の数は、今までのペースよりも多いのです。志音もお母さんに心配をかけないように、がんばっているようです。
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| 2008年5月22日(木) |
| 募金のためのトレーニング |
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あゆみ園に通っている志音は、あゆみ園が大好きです。そこで、いろいろなことを学びますが、指先の刺激となるために、コインを貯金箱の中に一枚一枚入れる作業があり、黙々と行います。気に入っているようです。5月のある日のこと。妻は志音をつれて内原のジャスコに買い物に行きました。私が「コンビーフ」を食べたいと言ったことを思い出した妻は、コンビーフだけを買うためにスーパーによりました。今、コンビーフは300円もするんですね。おどろきです。妻はコンビーフを片手に、志音を脇に抱えながらレジに向かいました。なんとかお財布を出して、小銭を出そうとした瞬間。脇に抱えていた志音の手が、小銭入れの500円玉をすかさず取り出し、レジにおいてある「中国の地震被災者への募金箱」に入れました。あまりの早業に、何も出来なかった妻とレジの人。志音は何事もなかったかのようにおすまし。募金箱に入れたお金だから、妻もあきらめました。きっと、志音は募金するためにあゆみ園でトレーニングしていたに違いありません。そう、志音のように、コンビーフよりも募金です。
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| 2008年5月7日(水) |
| 3歳になったら |
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三男の志音は、5月7日で3歳になります。末っ子ですので、みながその誕生日を期待して待ち望んでいます。当の本人は何も変化もなく過ごしていますが。ところで、この志音の誕生日について、どんなパーティーをするかについて家族で話し合っていたときでした。架音「しおちゃんは誕生日になったら何歳になるの?」ママ「三歳よ」架音「えっ!やったー、それじゃしおちゃんはもうすぐしゃべれるってことだね」▼▼▼ そうだといいね。
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| 2008年3月7日(金) |
| はじめての漢字 |
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架音「パパ、たんちゃん、漢字も書けるようになったよ」と得意げに語る架音。パパ「どれどれ、じゃ紙に書いみて」 架音が書いたはじめての漢字は何だったでしょうか?おそらく誰もその答えに正解する人はいないでしょう。それは「支払」でした。なぜ? おそらくめぐみ教会にある事務所にたびたび出入りするうちに、目に入った漢字を練習するようになったのでしょう。しかし「請求」「未払い」でなくてよかった。
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| 2008年3月5日(水) |
| お兄ちゃん、落っこちるよ |
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3月5日、それは茨城県の県立高校の受験日でした。我が家の長男健吾は、その日のために先生や両親に尻を叩かれながら、自分なりに一生懸命勉強してきました。健吾は県立一本で受験するので、後がありません。その3月5日の朝。みんなよりも早く起きた健吾。それよりも早く起きたのが母明子。妻は愛情こめて健吾のお弁当を作ってあげました。それは親にとっても、受験する健吾にとっても緊張の朝でした。しかし、その緊張を予期しない方法でぶち破ったのが、後から起きてきた架音でした。もうすぐ家を出ようとする健吾は持ち物の点検をしていました。もちろん、大事なお弁当もカバンに入れなければなりません。その時、架音は叫びました。「お兄ちゃん、落ちる!落ちちゃうよ!」受験生に対する突然の禁句。しかも、受験日の朝。架音はためらうことなく叫び続けます。「落ちるってば!」架音は健吾のお弁当の包みから落ちそうになっていたみかんについて警告していたのでした。なんというお兄ちゃん思いの弟でしょうか?そうです。受験日にみかんを忘れてはいけないのです。発表の日の朝にも架音は「お兄ちゃんが落っこちませんように」と祈ってくれたのでした。受験日に大切なみかんから栄養をもらったお兄ちゃんは、無事に志望校に受かりました。
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| 2008年2月21日(木) |
| 試練の中での感謝 |
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我が家の三男、志音は病院や福祉センターでの検査や面接の結果、自閉症スペクトラム障害であると認定を受けました。昨年の夏ごろから知人のアドバイスで「他の子とちがう」と気がついていました。医者に行く前から、私もインターネットで自閉症について調べていたのですが、ほぼ間違いないであろうと思っていました。ですから、公にその認定を受けたことはショックではなく励ましでした。自分たち両親が志音に対してどのように子育てしていけばよいか?その指針と覚悟が決まったように思え、かえって安堵感を得ました。さっそく志音のいろいろな写真を集めて、写真と共に一日の行動を志音に説明したり、今まで以上にほめたり、抱きしめたり、目をむけるようにしました。お兄ちゃんたちも志音の状態を快く受け入れてくれました。健吾は自閉症をもっている子供のドラマを見るようになり、架音は志音のためにテレビをかなり制限されることを受け容れてくれました。教会のみなさん、先生方、架音の幼稚園のお母さんたちも本当にいろいろなアドバイス、協力に感謝しています。自閉症認定を受けてから、志音はさらに愛される子供になったと感じます。ですから、ここ最近は志音の情緒、精神的成長が驚くほど伸びています。それと共に私は子育ての原点を教えられている気もします。無条件で愛するということは、このような障害を通して得つつある宝物かもしれません。家族の中でも志音を通してさらにチームワークがよくなったと感じています。これから楽しみにしていることがあります。神様が志音をとおして、これからさきどんな驚く祝福を与えてくださるのでしょうか?
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| 2008年2月9日(土) |
| ソフトバレーボール |
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石川地区のソフトバレーボール大会がありました。この地域の幼稚園、小学校、中学校に子供が就学している父兄が参加して、それぞれの学年別にチームを作り親睦を深め合います。私は第1回から参加させていただいています。しかも、昨年からソフトバレーボールのチームの練習にも週2回参加させていただいております。最初はボールしか見えていませんでしたが、最近は相手のコートの隙間も見えるようになったり、自チームの他の選手たちの動きを気にするほどの余裕が出てきました。その甲斐あってか、私は幼稚園チームで参加したのですが、なんと準優勝を勝ち取りました。私は準MVPなる賞もいただきました。ソフトバレーといっても普段やっているボールとは違うものでしたが、熱くなりました。真剣に勝ちたいと思うことは久しぶりでした。実は、ファールを取られませんでしたがかなりたくさん反則を犯していました!反則を取られないと分かると容赦なく反則しながらプレーしました。妻はそれを聞いて「だれもあなたのプレーを見たら、牧師であることを疑うでしょう」と言われてしまいました。でも、勝ちたかったから、、、。次回は反則しないでも勝てるようにがんばって練習したいと思います。
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| 2008年1月18日(金) |
| 子育てクラス |
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今日で2年半にかけて行われてきた「幼児子育てクラス」のテキストが終わりました。ヒーブ先生がまだ日本にいらした頃に、初めて行ったのを昨日のように思います。テキストを用いるだけではなく、お互いに励ましあい、ディスカッションしたり、聖書を読んだりしました。私もヒーブ先生の後を受けついだときには、「自分の子育ても不安定なのに、他の人にクラスを持てるだろうか」と心配しました。今でも子育てクラス開催日が近づくと、憂鬱になることもあります。自分の子育てに格闘していて、私の中には子育ての模範となるものもなく、かえって励ましが欲しいくらいです。しかし、私と妻はある時に気がつきました。ありのまま、自分たちが親としてももがいていますが、自分たちの力ではなく神様におゆだねしながら子育てできることの特権を分かち合うしかないと言う事を。私も子育てについて、いろいろな牧師先生に相談することにしています。そのようなカウンセリングがなければ、子育てだけで疲れ果ててしまいます。いつも、私たちの子育てを見守ってくださる神様に感謝します。私たちは幸せです。なぜならば、子育てについても色々な人の祈りと励ましと支えにあり、子供たちもものすごく多くの人に、そして神様に愛されているからです。また、子育てクラスのために子供たちを面倒見てくださる方々の献身にも感謝いたします。
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| 2008年1月16日(水) |
| 「は」がなくなる |
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パパ「かのんはもうすぐ、歯が全部なくなるんだよ。」 ある夕食時に私は架音に言いました。もうすぐ乳歯が抜けて、永久歯が生えてくる時期ですから。 すると 架音「たんちゃん、「は」はなくならないよ」 パパ「いいや、みんな一度歯がなくなって、あたらしい歯が生えて来るんだよ」 それでも、眉間にしわを寄せて架音は真剣に言います。「たんちゃん、絶対に「は」はなくならないよ」 パパ「どうして?」と聞いてみると 架音「だってたんちゃんは『はがかのん』だから、ずっと『は』はあるよ」
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| 2008年1月8日(火) |
| 悲惨な誕生日 |
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架音の誕生日の出来事です。毎年、子供の誕生日には驚かせるイベントを考えます。今年は架音の大好きなウルトラマン・メビウスのストーリにそったサプライズです。誕生日プレゼントのメビウスの飛行機が、超獣ヤプールに捕らえられてしまった!と言う設定です。誕生日のパーティーでニコニコ顔だった架音。しかし、私「架音、大変だ!ヤプールから手紙がきているぞ」顔が曇る架音。私「ヤプールにプレゼントを奪われて隠されてしまったんだ。この地図のところ(外の子供の倉庫)に行けばプレゼントがあるそうだ」私たちは架音が宝探しのように地図をみながら喜んでプレゼントを捜しにいくものと思っていました。しかし、彼はヤプールが怖くて絶対に外に行きません。健吾「お兄ちゃんがとりに行ってあげるよ」と言っても、架音「だめ、お兄ちゃんは弱いから死んじゃうよ」 ママ「じゃ、ママは強いからママが捜しに行ってあげる」 架音「だめ、だめ、ママもヤプールにやられて死んじゃうよ」 パパ「架音がウルトラマンに変身してヤプールをやっつければいいじゃない」 架音「いやだ!! お兄ちゃん、おうちの鍵を閉めて! はやく」 と本当に怖がってしまいました。架音「もう、プレゼントはいらないから、みんな外に行っちゃ駄目!!」 と泣き出してしまいました。架音の家族思いの一面も見れました。後で明子は架音に気づかれないように、プレゼントを捕りに行きました。それからも、ヤプールと聞くと、怖がる架音でした。
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| 2008年1月1日(火) |
| 新年礼拝 |
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2008年が始まりました。やはり、新年の初めの日に礼拝を行うこと、御言葉を聞くこと(説教すること)は気持ちがいいものです。身が引き締まるような感じもあります。今年は東京の実家に帰る予定もあったのですが、体調を整えて新学期に備えるために自宅でゆっくりと過ごしました。特に変ったことと言えば、架音をつれて凧揚げに行ったことです。普段、ゆっくりと空を眺めることがありませんが、凧を揚げながら空を眺めているととても気持ちが良い事が分かりました。架音よりも私のほうが楽しんでしまいました。
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