神様の瞑想のわたくし的工夫
― 瞑想のコツ ―
10倍楽しみ、100倍効果をあげる方法
決断
私は最初に坐禅を始めようとしたとき、少し決断がいり
ました。というのは坐禅はなぜかきゅうくつそうで、しんど
そうに思ったからです。
どうしても性格を変えたいという強い思いがあったので決断
できました。
続けているうちに効果を感じ出して継続できました。
そして「継続は力なり」が現実のものになりました。
マイペース
坐禅は何十分もするらしいけど、五分もできるだろうか。
最初はそんな感じで始めましたが、思ったほど足が痛くなく、
十分か十五分はできたと思います。それで案外長く座れてうれし
かったと記憶しています。
(坐禅会や坐禅道場では40以上座るのが普通のようです)
その後も自分の部屋でマイペースで続けてきました。
はじめから時間を決めて座ったことはほとんどありません。
集中が切れた後の坐禅は苦痛が伴うので、よく座れたという
充実感が残るような座り方をしてきました。
初めて座る人が30分以上も無理して座る必要がないと考え
ています。
初めての人に無理に長時間座らせるのは坐禅を嫌いにさせる
有効な方法であるとも考えています。
工夫
はじめは本などに書いている方法で座ってきましたが、それでは
集中できなくなるときがきます。そのようなときにはその時その時
自分に自分なりの「キーワード」(呪文)を工夫して集中しやすく
してきました。
低酸素効果の利用
これについては「サトレば人生が楽しくなる」に詳しく書いて
いますが、
「普通に言われているような腹式の長い息をするのではなく、
自然な呼吸を大切にしながら、小さな息にして行く方法で、
かるい低酸素状態を実現することで効果を高めるのが体験で
考えついた私独自の工夫です。」
後に知ったのですが昭和の悟った人「苧坂光龍氏」も在家禅入門
の中で自然な呼吸を勧められているのをお読みしました。
かれはこの呼吸法で悟られ、人に伝えられているのだと考えら
れます。無理に長い息にしない方が悟れると思います。
神様の瞑想をする上での、わたくし的工夫
私は神様の瞑想を知って、すぐに始めましたが、しばらくして
何か思うように集中できないことに気付きました。
少し考えてみて、「今日一日は素直な心で過ごせますように」
という言葉をキーワードに使う資格がないことが分かったのです。
私のそれまでの人生で一日中素直な心で過せたことなど全く
なかったのです。
つまりむちゅくちゃ無理なお願いをしていることに気付いたのです。
そのことを私の心が知っているので、キーワードそのものをすんなり
とは受け入れてくれていなかったのです。
心は正直です。この呪文は未熟な私にとっては不自然過ぎたのだと
言えます。
そんな私でも、成長を目指すという程度の「素直な心」があるわけ
ですから、キーワードを変えました。
「もっと、もっと素直な心になるために」と変えたのです。
つまり、もっと素直な心になるために瞑想しているのだと
その時の状態をそのままにキーワードにしたのです。
これでずいぶん瞑想らしくなりました。集中できるように
なりました。
ありがたいことに今までの坐禅で感じることができなかったほど
強い集中ができるようになりました。
一気に夢と希望がふくらみました。
朝、瞑想を始めてしばらくしてから、素直な心の意味を
心にきざむ意味で
「素直な心で見る、素直な心で聞く、素直な心で学ぶ、素直な心で
衆知を集める、素直な心で考える、素直な心で行動する」
と呪文のように1,2度くりかえしました。
希望と夢を持ちながら瞑想に深く入るために。
この瞑想を続けていると、しばらくして様子が変わりました。
はやく深い定に入れるようになったのです。
うれしいことに、思いもよらないほどはやく。
定が深くなると言葉が役に立たなくなります。
心でいっている呪文のろれつが回らなくなってくるのです。
私は以前にも体験したことがある状態です。
このような状態になることを求めていたのです。
このような状態を継続したり、より深く入るには、言葉を捨てて
しまわなければなりません。たとえ大切なキーワードでも。
深い定の瞑想を毎日繰り返すことで悟りが実現されるからです。
悟りに入っている場合はより深い悟りが実現されます。
私は「もっと、もっと素直な心になるために」の中で
ろれつが回らなくなった、「素直な心になるために」という
むつかしい言葉を捨てました。
私はこのようなことが起こるのは、酸素不足で左脳の働きが悪く
なるとむつかしい言葉を受け付けなくなるからだと考えています。
実際に試してみて、そのような状態になった時には
「もっと、もっと」だけのほうがキーワードとしてふさわしいものだ
と分かりました。
「もっと、もっと」をはやい目に繰り返す、この工夫の結果。
より早く、より深い定に入れることを実現して行きました。
これでまた大きく変われる。短期間で、大きく成長できる。
私の夢と希望が大きくふくらみました。
このように各段階で工夫をして行くのが成功する瞑想の秘訣
だと言えます。
素直な瞑想ができていれば、そのような工夫に自然と気付くのだ
とも言えます。
きざな言い方を許していただければ、瞑想が教えてくれるのだ
という表現が最もふさわしいと思っています。
神様の瞑想でえた最初の小さな効果
性格が大きく変わるはずですが、この時に変わったのはお隣の犬との
朝の散歩の時、道のごみ拾いを始めたことです。
ほんの小さなボランティアです。
何のためにするというのではなく、自然と手が動き出しました。
その後、皆さんのためにもなるからと積極的にごみ拾いをするよう
になりましたが。
10日ほどたったときに気付きました。このごみ拾いで道がきれい
になって一番喜んでいるのは自分自身だとわかったのです。
気になるごみを拾っているので、ゴミがなくなって喜んでいるのは
私が一番だということです。当たり前のことです。
道行く皆さんは忙しく道のゴミなど気にしているひまなどないかも
しれません。
しばらくして、さらに気付いたのは私以外にもごみを拾ってくれている
人がいるということです。
というのはごみを拾っている人を見かけたわけではありませんが
気になっていたのに、大きすぎて残しておいたゴミが無くなって
いたのです。
この時は大変嬉しく思い、大いに感謝できました。
彼か彼女か分かりませんが、ゴミ拾いの仲間に大いに感謝。
このような優しい、素直な心が私を一日中支配しています。
自然体でできるということは、境地が変化したということで
一日中効果を発揮するというように考えています。
もっと成長すればもっと日常生活がしやすくなります。
瞑想を続ければ、さらに大きく変われる。
おかげさまで瞑想の効果に強い確信が得られました。
PS
ごみ拾いを始めて1か月を過ぎた頃感じたこと
ごみ拾いが、結構心を変える効果がありそうに思え出し
ました。
気付いたことに取りかかりやすくなったようになった。
めんどうそうなことでも、後からしようという気持ちを
抑えて、すぐに出きるようになったこと。
自分のわがままが少しだけ少なくなったこと。
悟りに入っているので偉い人になったという思いもあたの
ですが、ごみ拾いをしているときに、じっさいの自分は、
とりたてて役にたつ人になっていないことに気付きました。
人に対して、より腰を低くして、人の立場をたいせつに
した接し方ができ出したようです。(悟りの効果の様に自然に)
「謙虚な心」が育ち出したのだと言えるのかもしれません。
私はこの効果が気に入っています。もっと腰の低い人に
なれたら、もっと謙虚な心を育てられたらという思いで
ごみ拾いを続けたいと考えています。