「説明」
昔は、竹の谷にかかる滝であることから、昔は「竹の谷の滝」と呼ばれていたが、
和歌山藩主徳川義宜(南龍公)がこの滝を誉めて
重畳千山万水囲 幾重なす山をめぐりて川豊か
有余秋色有光輝 物は皆装いこらす秋の色
一条瀑布落厳畔 滝つせの一すじかかる岩の辺の
乱沫随風作雪飛 風ふけばしぶきさながら雪の舞
と漢詩を詠った。それ以来「飛雪の滝」と呼ばれるようになった。
この滝は、古来から自然崇拝の御神体になっており、そのため上流の「二の滝」
にかけては浅里神社の神域とされ、昔は午後6時以降は滝へ行くことを禁じられ
ていた。現在でも神社内には飛滝神社として祀られている。
(ほぼ原文のまま)
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