以前の日記   

日 記


2月15日
買い物がてら歩くのが大好きだった川沿いの道があります。でも、川幅を広げる工事で川沿いの木々は切られ、通れなくなる部分が多くなり、買い物に行っていた場所もLEDになってしまったのでしばらく足が遠のいていました。最近ちょっと行ってみようという気になって行ってみると、まだ工事がされていない場所を歩くことができました。けれど、しばらく会っていなかった木々たちは、傷んでいるという状態を通り越して生命力を全て吸い取られたミイラのようで、まるでお化け屋敷を昼間に歩いているようでした。ただ受容し続けるしかないその姿に涙が出そうになりましたが、彼らの姿を通して、ずっと受容することしかできずに動けずにいるたくさんの生命たちの想いが伝わり、彼らのその想いを受け取り、前を向いて、なめらかにしなやかに柔軟に、力強く歩いて行く、という想いがより確かなものになっていきました。以前だったら怒りが込み上げていたと思いますが、もうそれはなく、カラスもたくさんいて、私を追い払おうとするようにずっと後をついて来たけど、怖くありません。
夕方に寄ったお店では、店員さんと岩塩の話で盛り上がるとすごく熱くなって、ちょっと苦手だった店員さんたちもみんな巻き込んでほわほわしました。





2月14日
岩塩のある暮らし、というページをつくってみました。追加、編集しながらいきたいと思います。





2月13日
私の感覚なのですが、不安や怯えには決して心地よくない震えるような振動と冷え(冷たさ)が一緒になった周波数のようなものがあって、自分の中にそれを潜めていると、外(現象や風景や人)から送られて(伝わって)来るその振動と容易に融合し影響されてしまいます。時には何でもない会話や言葉から、直線的な戦い(感情)のエネルギーが伝わって来ることもあるのだけど、その奥にあるのは震える怯えのエネルギー。自分の中の不安や怖れ(怯え)と何度も何度も向き合って来て、少しずつそれが薄れるにつれ、外から送られて(伝わって)来るその振動が何となく分かるようになって来て、分かっても融合してしまうというところからも徐々に自由になり、もう決して融合しないという覚悟を確かにこちらの軸(ペース)を崩さず、でも力まず柔軟にその状況をただ眺めて(感じて)いると、自然とそこ(縁した、縁しているという間口)から、自らが育み始めた健康と友愛のエネルギーが流れて行くのかなと。そのことに形としては何の働きかけも必要なく、ただ真剣に、真摯に自らのいらないものを浄化し続け、自らの可能性を高め続けていくだけなのかなと。そこに遠慮も躊躇も必要ないです。その時、これまでのすべての縁が生かされて行くのかなと、そんな風に思います。





2月11日
分かるとか分からないでなく、分かろうとすることもなく、感じることをさらりと感じるままでいられると、必要なことが絶妙のタイミングで向こうからやって来たり、終わって行ったりするのかな。いつもそのままでいて、ああそういうことかと腑に落ちることがあっても、いつまでもそこに居ないでまたさらりと手放していく。そんな風にしていると、いろんなことが気楽に流れて合流したり離れて行ったり消えたり生まれたり…。思考や感情に力が入ってしまう時、判断しようとしてしまう時、ふと力を抜いてみよう。流れに任せてみよう。





2月11日
とろろ用に買ったお刺身に岩塩とオリーブオイルを少々かけておいし~と思ったけど、これってカルパッチョ。岩塩にはオリーブオイルがよく合うから、海外でよくオリーブオイルが使われるのも納得する。サラダの上に生のお魚+岩塩とオリーブオイル少々、たまに登場しそうな簡単メニュー。





2月8日
数日前からごく薄い岩塩水で目を洗っています。何年か前から視力がどんどん落ち、すぐに目が疲れてかすみ、いつも重たさがあります。脳の影響に他ならないですが、何となく目にも岩塩と思い、薬局で目を洗うプラスチックケースのついたものを買って、そのケースだけを使って朝と晩に。とてもスッキリして視界がクリアになります。これから花粉が飛ぶからいいタイミングだったかも。鼻もコワゴワ始めてみました。





2月7日
1月の終わりごろ、LEDだからと入らなかったお店にふらっと入ってみると、スポットはLEDでしたが天井の照明は従来のものでした。店内を見ていると、ミル付きの岩塩がsale中でびっくりするくらい安くて、思わずピンクと白、一緒にsaleだった粒のコショウ(これもミル付き)を買ってしまいました。今日、ピンクの岩塩を開けて使ってみると、あれ?いつも使っているヒマラヤやアンデスのピンクソルトと何か違う…。ラベルを見てみると南アフリカの岩塩でした。粗削りだけどパワフルでたくましい。このタイミングで弱っちい私を支えてくれそうで心強く、サラダにかけたり持ち歩きの黒岩塩の中に混ぜてみたり。岩塩で世界(地球)旅行しているみたいです。





2月7日
落ちていた体調が戻って来た時、やさしいカレーが食べたくなって、コンニャクと野菜と豆のカレーをつくりました。曹洞宗の典座の方のレシピを参考にこれまでも何度かつくって来ましたが、今回がいちばんやさしいカレーになって、何年も前に行ったことのある南インドを思い出しました。南インドのカレーは野菜や豆が中心で種類も多く、毎日食べても飽きない、毎日食べたいと思ってしまうほど美味しい。そのやさしさに漂いながら、岩塩は何にでも合うけど豆との相性がバツグンと思っていると、ふ~っとアンデスの風景(風)が遊びに来て、その素朴なやさしさに包まれました。一瞬?でしたが、きっといつも料理に使ってるのがアンデス(ボリビア)の岩塩だから。翌日には仲間の豆料理を作りました。





2月6日
夜(睡眠)が変わらなければ何も変わらないのではと思ってきた。睡眠が変わるには、昼間(意識がある時)の思考が変わらなければと思ってきた。昼間の思考が変わるには睡眠が…と、堂々巡りの中に居た。夜、影響を与えたり与えられたり、与えていることの方が怖い。自分で自覚できないから余計怖い。でもやっとそこに行けるんだな、やっと。





2月6日
昨年11月の大阪BSワークの頃から、ある関係性を見つめる機会が続いていた。私が生まれる前から深く家族に関わり、ずっとあるポジションに居て、支えになってくれていると思ってきた人。だからできる限り支えなくちゃと思った。ここに来て起きたことから、その奥にあるいろんなものが見えて来て、それでもそんなはずはないと、思考(情)でその本質を直視せずにきた。でも、徐々に徐々に明確になって来るものがあり、猫の登場で自分の中の猫的なものを見つめ向き合っていて、はたと、その人の性質の中の猫と蛇が浮き彫りになった。ずっとずっと融合してきて、それは家族みんながそうで、BS以降家族と一緒になってどれだけその人関りで気持ちの浮き沈みを経験して来たか。朝方に目が覚めてそれがはっきり分かりヒーリングすると、いつも痛みや違和感のある場所が次々に繰り返し反応して、そこに居座っているものが弱まり抜けていった。反応が無くなり切ることはなかったけど、これまでで始めてくらいいらないものがスムーズに動いていき、朝は気持ちも体も久しぶりに軽かった。認めること、受容する厳しさは、自分のことだけじゃない。でも、事実は事実。そして同じ質のエネルギーが自分にもあり、自分も同じことをして来たこと。何をするとかしないとかじゃなく、現実を、目を逸らさずにそのまま受け入れていくだけ。





2月6日
芯からのゾクゾクゾワゾワがずっと続いていた。気温に関わらず芯が寒くて、落ち着かなく細かく震え続ける感覚。緊張も浮き上がっていた。それが怯えそのものの静電気のエネルギーなんだなと感じていた。昨晩くらいから少し緩み始めて、今日は久しぶりになんか楽で暖かい。地球と太陽の安心のエネルギーは、ゆったりとやさしく暖かくて力強い。わーい、晴れてきた。





2月5日
何をしてもしなくても、元気になるべき人たちがどんどん元気になって、そうでない状況をどこまでも支えようとする人たちは影響を与えることができなくなり、その場所で吹き溜まりのようになってしまう。時代に反発するのでなく、それとともに歩む選択をすれば誰もが元気になれる、今というかけがえのない時。その道づくりはかなりハードだけど面白いと思う。逆噴射するのは、怯えをベースとした戦いのエネルギーじゃなくて(それは浄化しながら)、友愛と調和、元気、健康のエネルギーをどこまでも。





2月5日
今の天気(気候)がみんな嘘と分かれば、天気絡みの数々の宗教的な習慣や風習もみんな嘘(つくり事)と、とてもよく理解でき、納得できる。気候が地球本来の普通(やさしさ)に戻っていけば、天候に強く左右され、それらの習慣や風習に縛られ続けて来た農業が、そこから自由になる。微生物たちもきっと大よろこびしているな。
(農業だけでなく、何もかもが)





2月5日
今どんなところ(状況や状態)にあるとしても、無有日記との歩みはみんなが、ぜんぶがいとおしくて貴いと
(えらそうに)思う。それは、ワークに参加しているとかいないとか、ホームページを運営しているとかいないとかに関係ない、無有日記に触れている(融合する)みんな、無有日記を読んでいるかいないかさえ関係なくて、今という時代をそのエネルギーに包まれ歩むみんな(微生物たちやクジラたちは読まないし)





2月4日
静電気のことが無有日記でアップされ始めた頃、テレビで静電気を特集していて、有効利用もされていると紹介されていました。その中のひとつに、棒状の機械から放出される静電気を、あるキノコにバチバチっと当てるとキノコがよく育つ、という技術(?)があって、ある大学で研究され、アジアのどこかの国で実際に使われていました。海外の貧しい農家の人達の収入が安定するようにと、人を救うためにと続けられている研究。でもそれを見た時、危機感を覚えたキノコの異常成長(異変)なのではないか、それを食べ続ける人たちはどうなってしまうのだろうと思われてなりませんでした。種類によっては死んでしまうキノコもあるのですべてのキノコに使えるわけではありませんと紹介されていて、ならばなおさら、耐えられないキノコは死んでしまうほどのショックなのではないかと。静電気を溜め込んだキノコを食べればきっとその静電気が食べた人に溜まってしまう。

原発事故があった時、周辺のキノコたちが放射能を強く吸収したのは、彼らが地球を守ろうとしたからではないでしょうか。東日本の震災以降、日本のキノコ工場の多くが省エネのためとLED化され、キノコは大好きだけどスーパーで売られているキノコにはなかなか手が出せなくなってしまいました。今回この静電気のことを知り、受容し続けるキノコたちの悲しみが伝わるようで、本来地球に無いものが終わっていく道を力強くしていきたいです。





2月4日
猫を飼ったことがないので、ワークの時に猫の話が出ても自分にはあまり関係がないとさらりと聞いていました。ところが、猫のことが無有日記にアップされるにつれ、猫そのものの自分がどんどん顕わになり、今世で縁していない分質が悪い気がします。でも、猫という対象がオープンになったことで、ぐちゃぐちゃに絡んでいた病みの性質のある部分が分かりやすく浄化されやすくなり、このタイミングにかなり厳しいけど、よかったとほっとします。





2月4日
これまでどうにもできなかったところを歩んでいる時、前に読んだ仲間の日記の言葉や、それに乗ったどこまでも真摯なエネルギーが繰り返し思われることがあり、それらが今に溶けたくましく歩み続けるありのままのエネルギーにも励まされます。それらに触れると、自らのそうではない姿が浮き彫りになる厳しさもあります。でも、そこから目を背けずにどんなことも受け入れられるようになってきて、いくつものいくつものみんなのエネルギーに包まれ、まるでみんながムーさんみたいで眩しい。その中のひとつで居て、自らの分を少しずつでも高めながら歩んでいけることに感謝しかないです。





2月3日
2週間くらい前からか、手のひらにちょこんと乗るくらいのサイズの岩塩を、おへその下あたりに置いて寝ています。トイレに行きたくなって目が覚める時はいつも体が冷え切っていたのに、初めて岩塩を置いて寝た時は、トイレに行くとき下半身がポカポカしていて驚き、朝起きた時に体が軽くてまた驚きました。その後その影響からか分かりませんが、下半身のいろいろなところに痛みが出ましたが、温かさは安定していました。それと、お腹がぶよぶよして、海塩のむくみであってほしい、、、と願っていたら、いつの間にか元に戻ってホッとしています。お腹の下あたりはたくさんの大切な臓器があるから(特に女性)、いらないものが溜まりまくっていたんだと思います(たぶんまだまだ)。
出掛ける時はジーンズのポケットに入れると足が軽くなったり、痛みが浮き上がることがあったり。いつも一緒がなんだかうれしいです。





2月3日
何年か前に、「クジラも来たよ」と声がしてふと目線を上げるとたくさんのクジラたちが集まっている…という夢を見たことがありました。そこは日本海のように感じていたのですが、やっぱり日本海だったのかなと。





2月3日
喉の痛みと芯からの寒気が始まると、ミル用の岩塩が舐められなくなり、身体が水分と一緒に岩塩を摂るよう促しました。岩塩が身体に循環するには水分が欠かせないのはあまりに当たり前のことですが、それまでは岩塩だけを多く摂りすぎていて、循環できないよ~と身体が言っていたような感じでした。あまり動けず、ひたすら飲み物やスープなどで岩塩を摂り続け、水は、生命が生きていく上で本当に大切だと改めて実感しました。それからは水(岩塩入り)を持ち歩いたりして、なるべく一緒に水分を摂るようにしています。
とにかく水分が欲しくて喉が渇いたとき、冷たい豆乳+岩塩がとってもおいしかったです。豆乳には(温めても冷たくても)、岩塩とオールスパイスやグローブ、シナモンなどのスパイスをその時の気分で入れたりしていました(私も)。オールスパイスが今のお気に入りです。





2月3日
先月の大阪ワークの頃から、喉の痛みと芯からの冷えが出始め、それとオーバーラップするように不安と怖れのかたまりと向き合わざるを得なくなりました。それをベースとした病みも次々と顕わになるのに出口が見つからない。強固なこのかたまりにヒビが入り砕かれたら、北極の氷も解け始めるかもしれないな。砕くべきものは外のどこにもなく、いつも自分の中に。‘足らないのは勇気と覚悟’(+責任)。かつてのセンテンスが響きます。
それでもうれしさと湧き上がる温かさが戻り、それはこれまで以上に力強く、まだまだいろいろありすぎるくらいいろいろあるけど、またここから、やっとここから真を生きる世界へと歩み出せる気がします
(熱い!)








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