ご 挨 拶


 
2001年10月7日岩手山を踏破し、日本百名山全山を完全登頂した。
このホームページは1964年に登った白馬岳に始まる百名山完登の記録である。
この内単独登山24座、パーティ登山64座、ツァー登山6座、家族登山6座の合計100座
である。


 登頂後数多くの方々からお祝い(手紙、電報、メール、記念品等)をいただいたり宴席を
設けていただいた。皆様方に心より御礼申し上げます。

 そして友人の津久田さんが知り合いの新聞記者に面白い山男がいると話したらしい。
完登から4ヶ月後、中日新聞社の取材を受け 2002年2月14日の「夕刊サロン」欄に
「日本百名山を制覇」
という私の記事が載った。

 これを読んだ昔の友達が訪ねて来たり、名古屋のタウン誌「月刊なごや」から原稿依頼
があったり、ある団体から講演依頼があったり、また自分で社のOB会報紙に投稿したり
かなり忙しい日々が続いた。
様々な嬉しい後遺症ともう山に登らなくていいという虚脱感にさいなまされた期間が暫く
続いた。そして、2003年4月に社団法人日本山岳会に入会を許可された(2013年5月退会)。

  山が好きで学生時代から登っていた。大手会社に勤務していたので全国を転勤した。
その都度、地元の名山を気儘に登っていた。
1995年百名山を登り終えた大学時代の友人の大悟法氏の薦めで、私も百名山に挑戦する
ことを決意した。この時、過去に登った百名山を数えてみたらちょうど30座だった。
翌年1996年から本格的に登り出した。
完登するまでの2001年までの6年間で70座登った。この間月1回以上山に行ったことになる。

 この百名山を完登できたのは数多くの山友達のお陰であると感謝している。
その中でも特に二人の友人にお世話になった。一人はまだ20代後半から30代の頃、
北アルプスの山々にのめり込んでいた時に何時も一緒に登ってくれた故石橋君である。
残念ながら彼は40代で病魔に倒れたが、彼とは結果的に百名山は9座登っていた。
彼が元気であったなら百名山はほとんど一緒に登っていただろうと思う。
ご冥福をお祈りしております。

 もうひとりは百名山を意識して登り出した1996年以降何時も同行してもらった荒川さん
である。彼とは24座いや再登山した山を入れると29座一緒に登った。
南アルプスの6座は全て彼と登った。その後、彼も百名山を完登された。
誠におめでたい限りである。また、長谷川さんを始めとする
ハイウェイハイキングクラブ(HHC)のメンバーにも大変お世話になった。

 昔から山に行く度に、山行計画書を作り記録と写真を整理していた。
1995年に山と渓谷社から「日本百名山登頂ノート」が発行されたのを機に、このノートを
利用することにした。山行データーの内、コースの記録は自分が歩いた時間であり、
日記は記録文、感想文、メモ等種々雑多な文となっている。
文章を書くのは好きではないが写真は少し自信があるので何枚かいいのがあると思う。

   この度、この記録と写真を何とか自分史の証としてホームページに残したいと考え
私の友人である伊藤正昭氏にご相談した。同氏とは 
「高速道路から見える山」の写真展
開催のお手伝いをする機会があり知己を得た。同氏は快く私の願いを聞いてくだされ貴重
な時間を割いて私のホームページ作成のためにご指導下さいました。

 ホームページの目次写真の月山、皇海山、美ヶ原、甲武信岳、剣山の五つの山々の
写真は、私が登った時天候不良で撮れなかったので同氏からお借りしたものである。
(今後再登山し写真を撮りたいと考えている)。

 2005年4月から個人情報保護法が施行され、同行していただいた方で連絡がついた方
には記事中にお名前と写真の掲載について許可をいただいた。
しかし、ホームページはにぎやかで楽しいものにしたいと考え、連絡の取れない方は
お名前はイニシヤルにしてありますが、写真は合同写真のためそのまま載せてあります。
気が付かれた方は是非ご一報いただければ幸いに存じます。

 今回のホームページ開設に当たり伊藤氏と「日本百名山登頂ノート」の様式使用を許可
していただいた「山と渓谷社」さんに改めて御礼申しあげます。

 同好の士および興味のある方は どうかご覧ください。
勘違いや記述間違い等があるかと思います。ご指摘いただければ幸いです。



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