62年11月23日 4−3−3 1V サイド攻撃、ライン、プレスON トータルフットボール |
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| ■スターティングメンバー■ |
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| 山瀬・阿部の周りの連携が甘いです・・・ | グラフは何とかMAX(^^;A | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後半、状況に応じてメンバーチェンジ システムを4−3−3DVへ 海堂大 → バステン 山瀬功治 → 奥大介 阿部勇樹 → 森崎敬 |
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| 今までのDの中で最高の連携!! | グラフも文句なし! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| □■オーナーコメント■□ 第1回試衛館後より、ずっと追い求めていたフォーメーションコンボ『トータルフットボール』。 壬生大会Dでは、ミクレスの突然の引退により、一度は儚く夢と消えてしました。しかし、某チームの強さを目の当たりにして、壬生大会D完成後もトータツフットを夢見てD作成をしてきました。その甲斐あって、偶然か必然か、今一度ミクレスと出会うことができ、いろいろな苦難もありましたが、何とかこのような形で、トータルフットボールの完成に辿り着く事ができました。 コンボが成立できた事には満足しておりますが、対戦Dとしてはかなりの不安があります。 一、成長過程にある山瀬、阿部のスタメン起用。 まずは、やはりこの不安点。上記画像の連携やOF&DFバーを見て頂くと一目瞭然です。実際、この両名は『世界屈指』レベルです。他の選手比べ、かなり見劣りします。 さらに、元々DMFの阿部をCDFにコンバートして使用してます。CDF森崎が『リベロ』を修得してくれなかったので苦肉の策でした。前年に引退した、稲村も『オールラウンダー』を覚えてくれなかったので、急きょ山瀬を育成しました。 メンバーを入れ替えた後半のフォメの方がすごい見栄えはいいです。 二、引退確定選手の起用。 血風緑中にも書いてありますが、エレ(40歳)、グラーフ(37歳)の両名が引退確定状態です。 これまで、引退選手を使用した対戦Dを大会に出した経験が無いので、これが悪影響を及ぼす事は無いかと、少々心配しております。 引退という事で、逆に奮起してくれれば良いのですが・・・・ 三、エレ、海堂のウイング起用。 サイド適正の良くないエレ、そして攻撃意欲は高いがSDF出身の海堂。この両名のウイング起用が、吉とでるか、凶と出るか・・・。 サイド適正の高い立浪、奥をウイング起用しようかと思いましたが、エレをベンチに座らせておくのも勿体ない気がしたので、思い切ってこの布陣にしてみました。 四、少なすぎたテストマッチ。 時間が全く無くて、テストマッチが全然できませんでした。 やったのは、たった四試合。これだけでは、この対戦Dの良し悪しを判断するのは不可能です。 すでにサイは、投げられた・・・・、 あとは祈るのみです。。。 対戦D作成後、61年6月30日のバックアップデータから再スタートしましたが、 翌月7月の監督リストには『ミクレス』の名は有りませんでした。 あの時の、私とミクレスの出会いは必然!! ミクレスとであった時、僕の脳裏では東京ラブストリーの『ラブストーリーは突然に』が流れてましたw |