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2002年10月31日(木) 入院はじめての食事。食堂に皆で集まる。 一番すみっこのテーブルが誰もいないので座る。 「今日新入りさん居るんでしょ? どこ?」 「新入りさんココー!」 隣のテーブルの女の子に居場所を明かされる。 数名の女の子達が「よろしくー」と挨拶してくれる。 おずおずと「宜しくお願いします」と返す。 ”新入りさん”って呼ぶのか・・・現実で初めて聞いた言葉。 食後、5人でトランプの大貧民をした。 「革命」と「縛り」と「8切り」を覚えた。 18歳のY香ちゃんが 「私もまだ4日目なの。みんないい人だよ、 でも盗難だけは気をつけたほうがいいよ」と教えてくれた。 「・・・何を盗るの?」と訊いたら、アクセサリーとかお財布だそうだ。 Iちゃん、Sちゃん、Nちゃん、N子ちゃん・・・ 少し名前を覚えた。 ちっさなデプロメールとドラールしか出なかった。絶対に眠れない。 9時消灯で、暗闇でコレ書いてます。 10時過ぎ追加眠剤を飲むが眠れず。 1時また貰いに行ったらアモバンが出た。 |
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2002年11月1日(金) 左のほっぺたと耳を血の池に浸して目覚めた。私の血!? 体が動かない。廊下で倒れたらしい。みんなの騒ぐ声。 看護婦さんが「どこが痛い?!どこが痛い?!」と怒鳴る。 点滴を挿され、もう片方の腕にも何かつけられベッドに乗せられる。 ガラガラと凄いスピードで運ばれる。流れる天井。たくさんの顔。 「血圧○です!」「ちょっとすみません!」 テレビドラマみたいだなぁと思う。 CTスキャンの後、あごを6針縫った。 自室のベッドに戻され休む。 ポータブルトイレが置かれたが使いたくない。 その後またトイレに行きたくてちゃんと部屋を出たはずが また廊下で意識を失ってしまった。 看護婦に起こされ、自分でも驚いた。部屋に連れ戻される。 「部屋から出ないで」と言われる。 今度は壁づたいに崩れ落ちたらしく無傷。良かった。 怖いよ・・・知らないうちに倒れるなんて。 顔に傷はカンベンしてくれ。 |
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2002年11月2日(土) まだ2時かよ〜夜は長いな。 でも名前も判らない眠剤でまた気を失うのはご免だ。 デプロメール減らしましたから、って言われた。 デプロによる貧血で倒れたと思われてるようだが 眠剤のせいで倒れたとしか思えない。 デプロメールで貧血おこしたことなんてないぞ。 そもそも、昔から貧血ではあるけど意識失うなんて初めてだ。 部屋の窓(開かない)からオリオン座がよく見える。 一生懸命訊いたのに安定剤だとか適当なこと言いやがって 知らないで薬配布するんじゃないよ!M田!! お陰で顔に怪我したじゃないか! そんなに安全なら自分で飲んでみろ! 意見は投書箱に入れてくださいと言われたので 「薬を配布してくださる方は患者に質問された時に 相応の知識があって当然と思うのですが」と書いて ナースステーション脇の箱に入れようとしたが、 いちいち箱に入れるまでもないと思い そこにいた当直の看護婦M田さんに直接読んで貰った。 そしたら、こんな短い文で ”薬を配布してくださる方”って書いてあるのに 「これだと誰宛だか解らないから看護婦あてって書いて」だと?! 偉そうに「看護婦だって薬の勉強はしてますよ」だと?! 勉強してようがその場で説明できなきゃ意味ないだろ!!! 皆で食堂で食べるのキツくなってきた。 それにしても我侭な人多いな・・・ 実害はまだないけど面倒くさそう。 部屋に篭っているのが楽。 アゴの縫いあとがどうなってるのか心配。 なんか入院ってつまらなくなってきた。 女性のみの病棟だから居づらいのかな。 いや、なんで入院したんだっけ? 今のままじゃ怪我しに来ただけだぞ・・・。 今日は病棟内のピアノを弾いてみたが ペダルはきかないし音も変。 |
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2002年11月3日(日) 外に出られないのがこんなにストレス溜まるとは・・・。 今まではいつでも出られるから気付かなかったんだなぁ。 食事は3食きちんと食べられています。 血圧上げる薬と吐き気止めとデプロメール出されてます。 あとパキシル、デジレル、サイレース。 夜は眠れません。微熱があり、血圧は90-50位です。 10代〜30代の女性のみの病棟で、 ネームプレートを見て数えてみたら48名居ます。 私が居るのは2人部屋ですがまだ一人で使っています。 |
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2002年11月4日(月) Y子ちゃんが来て、私と喋っていたNちゃんに 「私、結婚するの。○○Y子になれますように、って祈っててね」 と言った。Nちゃんは「ウン」と言ったが、Y子ちゃんが去ると 「ワケわからん・・・」と言った。 私と同い年のNちゃんはボーダーだと言う。 彼女のかかとがガサガサなので、部屋に呼んでニベアを貸した。 「ここみんな楽しそうだよね」と私は言った。 「そんなことないよ、みんな疲れてるよ」 「何に?」 「ここの空気。アタマおかしくなりそうじゃん」 持田香織と中山美穂に似てるN子と女優のナントカに似てるS子が好き。 2人とも二十歳。性格もよい。また大貧民をして遊んだ。 しかし体中がタバコ臭い。廊下全体が煙で充満してるんだもんなぁ。 どうしてこんなにタバコ人口が多いのだ? 女性のみの病棟なのに、吸わない人のほうが少ない。 |
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2002年11月5日(火) 同室の相手が出来ました。 毎日3食、きちんと摂って、4日もお通じがない。 体重はまだ39kg。 部屋の外に出るのが億劫で寝てばかりいる。 退院する人にはみんなが涙を浮かべ 「二度と戻ってくるなよー」と言う。刑務所みたいだ。 |
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2002年11月7日(木) 今日から絵を描き始めた。 今日から、と言っても明日も描くかは分からない。 清楚な美人でストレートロングヘア、 身長170cmでカッコいいと思っていたS子に 「カッコいいね。モデルみたい」と言ったら 本当に元JJモデルだった。 |
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2002年11月8日(金) 今日も絵がひとつ完成。 物凄く歌の上手い子発見! 部屋に閉じこもって歌っている。 ドアの前に立って暫く聴き入る。 他の子が教えてくれたところによると、 傍聴されてるのを知ると歌ってくれなくなるらしい。 とても照れ屋だそうだ。 タバコ人口の件だが、ストレス発散のために この病棟で初めてタバコを覚えた女の子も多いらしい。 |
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2002年11月9日(土) 絵がもうひとつ完成。 ほのぼのとは言い難いがタッチはいつも通り。 鉛筆削りが10:00〜16:00の貸し出しなのでその間に描くのだ。 5時間あれば1作できる、というところかなぁ、葉書大の紙にのる絵は。 トランプ中に中絶の話になる。 二十歳で3回経験があるという元キャバクラ嬢N子は ここ毎年一回のペースでしているらしく、「年中行事」と言っていた。 これは冗談にしていいことなんだろうか。 それともいつも明るいN子も、本当は辛すぎて冗談にしたいのだろうか。 トランプ仲間のYちゃんが 「子供うめなくなっちゃうよ?」と言ったら 「だってつけるの嫌いなんだもん」と答えていた。 自身の危険と向き合うことを無意識に避け、誤魔化して生きる。 ドロ沼。苦しいのに「やめなきゃ」という事を思い出すことも出来ない。 N子もまだ気付かないだけで、ほんの少し昔の私と同じなのだろうか。 |
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2002年11月10日(日) 絵がもうひとつ完成(今日は無理やり)。 また大貧民をした。 病棟内のあちこちで陰口の言い合いがある。 気性の激しい人が多いので言い争いも多い。 こういうのって病気のせいなのか地なのかわからない。 あたらずさわらず暮らそう。 |
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2002年11月11日(月) 絵がもうひとつ完成。昨日のよりはいい感じ。 いつものように元JJモデルのS子と キャバクラ嬢のN子とイラストの物凄く上手なYちゃんと一緒に、 七並べと大貧民をした。 みんなで大声で「DAY DREAM BELIEVER」「翼をください」を ヤケ大合唱しながらゲーム。 適当にハーモニーを作れる子がいるので気持ちいい! 楽しー! |
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2002年11月12日(火) 絵がもうひとつ完成。今日は午前中で終わってしまった。 夕方、トランプ仲間で本を見ながらポーカーをしてみる。 元モデルのS子のプライベート生写真を怪しまれながら力づくで2枚GET。 やった!見たい方は今度お会いしたら是非みせましょう。 |
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2002年11月13日(水) 母が来た時のみ、しかも中庭のみの外出の許可が出ました。 マネジャに会って自由行動できる日はもう少し先になりそう。がっくり。 私の病棟では院外外出許可がないと家族しか面会できません。 今日は2回泣きました。面会中と診察中。 主治医とケースワーカー、そして両親と私で面談。 母親がみんなの前で 「こんなことをする人間は私の家系にはありませんから」 と言い切った。 じゃあ私は誰の娘? 実家には帰りたくないです、退院先はまたマンションがいいです。 私はワーッと泣けないので普通に喋りながら 目から水が流れて顎を伝ってポタポタ落ちます。 新しい絵が昨日よりも早く完成。日々描くのが早くなってくるようだ。 |
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2002年11月14日(木) 雑誌の写真を見てボールペンでデッサンしてみたら下手だった。 線が汚いです。何かを見て描くってのはまた難しい。 まあ昔からボールペンでは絵も字も上手に描けないんだが。 なんか憂鬱です。寝てばかり。 ピアノを予約して少し弾きました。 「少年時代」をリクエストされて楽譜を見ながら弾きました。 「大きな古時計」を弾いたら遠くでIちゃんが歌ってくれてる声が聞こえた。 |
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2002年11月15日(金) ピアノを弾いている時、3歳年下のY子に 「惚れた!友達になってくれない?返事はゆっくりで良いから」 と名前や携帯電話番号、自宅の住所、電話まで書いた紙を手渡された。 「いいの? 番号まで・・・」 受け取っておいたが、彼女の言う友達ってどういうことなのか 今の私には解らないので何も返事できない。 今日は夕方からピアノの調律が入るとのこと。 朝のミーティングでその旨発表されるとみんなで拍手喝采。 この病棟はピアノを弾く人が凄く多い。 調律でペダルだけでも何とかしてくれることを期待。 ピアノの調律師さんは冴えないサラリーマンといった風貌にもかかわらず まるでアイドルのように大人気。 女性陣に囲まれて仕事を終え、「キムタクになったみたいだ・・・」と 胴上げでもしそうな勢いの黄色い声の嵐の中帰っていった。 みんな退屈してるからささいなイベントにも盛り上がる。 私もそのひとり。 ペダルがちゃんと直ったからこれからは曲を選ばずに弾ける!! 夕食後、トランプ仲間の部屋でCDをかけてカラオケパーティー。 めちゃくちゃに踊りまくって楽しかった。 |
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2002年11月17日(日) 絵がまたひとつ完成。 夜、眠れないのに横になってなきゃいけないのが辛くてたまらん。 シーツの上で足を擦り合わせながらもがいています。 昼はけっこう動いているのに、消灯後ベッドでじっとしているのがキツイ。 ちょっとハイかも・・・。入院前あんなに鬱々だったのに。 3食完食するし、ラジオ体操も毎朝しちゃったりして。 でもそれだけでもう腹筋が割れてきたよオイ。 |
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2002年11月19日(火) 私は、例えば6畳一間の風呂なしアパートで暮らす覚悟はない。 だけど今の広い部屋を維持できるだけ稼ぐことが出来るか、まだ判らない。 無理なものは無理? それとも頑張れば叶わない事なんてない? これまでは、いつかきっと治ると思っていたから、 限界ギリギリでも働いて生活レベルを保ってきたのです。 だけど、もしそれが出来ても、代わりにずっとあんなに苦しいなら、 それをやる意味は私のどこに見つければいいんでしょうか。 それとも、どう生きても苦しいんでしょうか。 |
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2002年11月27日(火) 眠れん。サイレース2mg、デジレル25mg2錠、ダルメート15mg、アモバン。 もう一回だけ追加眠剤(ベンザリン)を貰えるんだけど、 まったく眠くないしイライラもしていない上に 今日の夜勤の看護婦が嫌いなので日記を書くことにした。 今ベンザリンを飲んで部屋に帰ってきました。 それはナースステーションに思いがけず好きな看護婦が居たから。 眠くて疲れてるのに眠れないのはツライけど、 全く眠くなくて落ち着いてる時は寝る必要ないよなぁ・・・違うんだっけ? 生活のペースが乱れるから夜は薬飲んででも休めって言われたんだっけ? でも生活のペースが乱れるとどうしてダメなんだっけ? 会社員じゃあるまいし。 今、2時の見回りが来ました。1時間ごとに見回りが来ます。 横になって休んでるフリ。手の震えが止まりません。 耳の中でザザザッという音がする。暗いドラマの効果音の様な。 昼はアカペラで「AMAGING GRACE」を3人で練習したり、 新しく賛美歌も覚えて歌ってみてます。かなり大声です。酸素欠乏します。 夕食後は浜崎あゆみのトランスで踊り狂います。 汗だくになります。大騒ぎです。でも眠れません。 ラジオ体操もして、3食ずっと完食してる良い患者です。 騒ぎも起こしません。仲良くしてます。 殆ど徹夜で3日目ですのでかなり頭はおかしくなってきてるけど、 今は気持ちが落ち着いてます。 ピーコのエッセイ「片目を失って見えてきたもの」を読み始めました。 一章読んでは泣いて一章読んでは泣いて。 イラストは1日だけ休みました。なんか描く気しない。 しかしテレカ無くなるの早いよ、公衆電話しか外と繋がり無いんだもん。 廊下の両端は鉄の扉で施錠されてるし、窓もどこも開きません。 空気悪いことといったら。 それにこんなとこに女性のみで60名、 ワンフロアに60名だよ、もっと居るかな。 新患さんが絶え間なく増えていきます。 女性だけってやっぱり不自然だ、しかもみんな病気だ、 普通の人が入ってもおかしくなりそうだぞ。 という訳で、もっと中庭とかで遊んでもいい病棟もある様なので 移りたいって申請してます。あと男性だって居た方がいいよ、 行儀悪くなっちゃって大変だよ、女子校ってこういう感じなんでしょうか。 スポーツもしたいって要望出してるんだけど、 会議が一週間に一回だけだし主治医に会えるのも同様だから 許可もそのペースで下りるんです。 一日一日の長いことといったら!! とりあえず私の身元引き受けは実家になるようです。 退院後また一人で暮らすのは無理と言われたも同然なので、 実家に居る練習をしなくちゃいけません。 私もとりあえずそうしてみることにしました。 相変わらず家族以外との面会は全くできません。 ---------------------------------------------------------- あれからずっと眠れなくてハンパでなくきつくなってきた。 悪夢が酷くて、眠りかけると恐怖で体が拒絶反応を起こす。 ガクガクして上手く歩けない。3日間まるまる起きてる事になる。 父親が面会に来てくれた。というか来させた。 「眠れないのは思い込みだ」と言われる。 病院の前の河原を歩きながら怒鳴り合い。 涙と鼻水おかまいなしで喰らいつく私に逆ギレして帰ろうとする父。 フラフラで父の歩調について行けない私は、父の姿が見えなくなると しゃがみこんで嗚咽した。 すると何時の間にか父が戻って来て、ポケットをごそごそいじり、 ハンカチを渡してくれた。私はそれで顔を拭いてドロドロにした。 「私どうしてこんなところに居るのよー」と酸欠でクラクラしながら泣き叫んだ。 「何度も頑張ったけどダメだったんだもんー、頑張ったんだもんー」 病院に戻る途中、父が小さくひとこと、 「いつか治るよ」と言った。初めて温かさを感じた。 私は父が帰ったあと、ロビーのソファで30分弱だが「眠れた」のだった。 夢をみたのではなく! 卓球台で騒いでいたトランプ仲間のS子が 「○○(私)、眠れたー?!」と叫んでくる。 「眠れた!ありがとー!!」と叫び返す。 父に「治るって言ってくれてありがとう。安心して、少し眠れたよ」 と電話で告げた。 |
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2002年11月28日(水) 黒目がちで澄んだ瞳と素朴なショートヘア、 服装は無頓着なパンツスタイルのみ、直線的な体つきの剣道少女。 ゆっくり言葉を選びながら、一点を見つめて喋る。 途切れがちのハスキーな声。 18歳の中性的な彼女は自分を「僕」と言う。 彼女の口からは余分な飾りは出てこない。 誰にでも、どんなに理不尽な子でも、その相手が泣いていれば すっと近寄り、頭を撫で、話を聞いてあげる。静かにただ傍にいる。 いつまでも。 トランプ仲間で元キャバクラ嬢のN子(二十歳)が 「僕」に恋愛感情を持ってしまったそうだ。 N子を見ていると男性を本気で好きになったことはないように思える。 毎日のように手紙の文面に驚くほどのテクニック (一度聞いてみてさすが自称8店舗No.1!と感心した)を駆使して 自分に惚れている、かつどうでもよい男性に 指輪や洋服を少しも悪びれずに買わせているN子だが、 「僕」への想いはまるで中学生みたい。 だって小さな紙切れの手紙の交換やすれ違い様の一言だけで一喜一憂し、 筋肉注射を打ってくれと看護婦に頼むほど自分をもてあましているのだ。 「どうしよう、私、異常かなぁ」と言ってばかりいる。 私はその想いの丈を「それでいいんじゃない?変じゃないよ」 と聞くしかできないのだが、少し羨ましかったりする。 トランプ中にも短いメモを貰っただけで満面の笑顔で舞い上がっている。 その様子がとても可愛くて、そして私からは何だか遠い表情に見える。 寝る前に突然「僕」に 「○○(私)ともっと話がしたい。○○は魅力的だから」と言われた。 すごく嬉しくて緊張した。 喋るのは苦手、踊りと歌とスポーツしか安心して自分を出せない、 と言ってみた。それでもいい、と「僕」も その時一緒に居合わせたCOCCO好きの元気なM美も言った。 3人で明日の昼食後に廊下の端に待ち合わせることにした。 それぞれと抱き合って確かめてみようとM美が提案した。 実は私もN子に触発されて、もっと若かったら恋したろうなぁと 「僕」に男性的な魅力を感じていたので実は内心不安だったのだが、 彼女としっかり抱き合ってみても性的な刺激は感じずに済んだ。 M美は普段からすぐ私に「○○ー!!」と抱きついてくるので慣れっこだ。 食堂で一人で食べている私の隣へ「僕」が来た時、 「ひょっとして、女の子の方が好き?」とストレートに訊いてみた。 彼女は少し考えて、性同一性障害の自覚が少しあると言った。 「うーん、でも、好きになるのは、やっぱり、男の人、だな・・・」 なんだか安心した。 答えがどっちにしても彼女はいい子なので仲良くしたいが、 後で自分自身ややこしくならないように一応確認してしまったのだった。 |
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以上で病院で使っていたノートに書かれた日記は終わり。 あれから私は毎日ピアノを弾きました。 病院で出来た友達に何枚もイラストを描いて渡しました。 Yちゃんと作品を見せ合って意見を交わし、 英語の歌を一緒に覚えて歌いました。 看護婦さん達の個性にも慣れて、自分の辛い思いを話し涙を流しました。 クリスマス会では病棟の仲間と踊りまくりました。 ポスターコンクールでグランプリを取り表彰されました。 私を見る度にいつまでも我が事の様に喜んでくれた補助のN井さん。 一緒にピアノを聴いていた時、突然私にキスしたN子。 喧嘩して言い過ぎて、部屋に謝りに行った。 いつも「ショパン弾いて?」と私に頼むWちゃん。 私が暗譜で弾けるショパンはノクターンの1番だけだったのに、 何度も何度も頼まれて弾いた。一曲ごとにWちゃんは部屋に戻って泣いた。 最後の日にも「ショパン弾いて?」と言われ、 「もう退院するから、弾けないんだよ」と答えたら 「退院、しないで?」と何度も繰り返した。 兵庫から入院してきたY!人物デッサンがもの凄く上手で、 ジーンズがよく似合う細身で格好いい関西弁の女の子。 家が遠いから両親がなかなか来れずずっと外に出られないのに、 いつも明るくて温かくて大好きだった。 画用紙1枚に細かくたくさん絵とメッセージを書いて渡してくれた。 「HAPPY LEAVING HOSPITAL」の飾り文字。 私との思い出や、私のいい所や、たくさんのエール。 息が詰まるくらい嬉しかった。額に入れて部屋に飾るから。 たくさんの手紙。 「僕」からは細い紙を結んだもの。ほどいてみたら 『初めて見た時の瞳の清々しさ忘れない。○○大好き!』 退院する時、ナースステーションのドアを閉めるまで見えていた、 手を振る皆の顔。拍手。 最後に私の目に映った、 同い年で現役国際線スチュワーデスの清楚なMちゃんの涙。 話を聞くしか出来なかったけど、だけど、もう死んだりしないでね。 入院する前はこんなに情が沸くとは思いませんでした。 生活を共にするって、精神的に大きな影響を受けざるを得ない。 当然、家族と暮らすようになった私にも課題がたくさんある訳だけど、 「ゆっくり、焦らず」を看護婦さんや友達に散々言い聞かされて 2002年12月28日、病棟内でよく言うところの ”シャバ”に出たのでした。 (ちなみに外泊は ”仮出所”!) |