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はじめに 浄土真宗とは、鎌倉時代の僧、親鸞聖人が宗祖です。ただ、親鸞聖人自身は、自分で宗派を興すことを宣言したことはなく、師の法然上人の興した浄土宗を信仰し、その教えをひたすら信じたものとされております。親鸞の弟子達が、宗派を浄土宗から独立させたわけです。もともとは、一向宗とか、念仏宗などと呼ばれておりましたが、いつの頃かは定かではありませんが、親鸞聖人が浄土宗を誉めたたえる言葉として浄土宗こそ「浄土の真宗である」と述べたことをもって、江戸から明治の頃に、宗名を「浄土真宗」と名付けたものと考えられております。その後、浄土宗との真贋闘争があり、浄土真宗とは名乗らずに、単に「真宗」と名乗るようになりましたが、昭和になってから、本願寺派のみ浄土真宗を、他の派は真宗を名乗っております。 浄土真宗の教義 では、浄土真宗の教義は一体どのようなものでしょうか。一言で申しますと、ただ「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えよう、阿弥陀如来さまにおすがりして生きていこうということです。一言では、専修念仏(せんじゅねんぶつ)と言い表されます。 悪人正機という考え方 親鸞聖人の言葉としてつとに有名なものに「悪人正機説」というものがあります。これは、「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」という言葉を一言で表現したものですが、これは一般に誤解されやすい内容を含んでおります。悪人の意味を取り違える人が多いからです。悪人というのは、すべての人間であり、少なくともほとんどの人間です。この世で、生きとし生けるものを殺したことのない人がいるでしょうか。誰だって、魚や牛肉などを食べているでしょう。自分で殺しているのではないというのはいいわけにすぎません。誰かが殺してくれるから、自分は殺さずにすむにすぎないのです。また蚊や蝿に悩まされて、手でぱちんと殺したことはあるはずです。さらには、お金持ちや有名人に対してうらやましい人生だなあと妬み、心の中で失敗すればいいのにと思い、一方で他人なんてどうでもいい、自分だけがよければそれでいいんだと思う。それでも自分は「悪人」ではない、というのであれば、それは偽善になるでしょう。 仏光寺について 仏光寺は、京都にある真宗仏光寺派の本山です(超願寺はその末寺)。草創には諸説あり寺伝では親鸞聖人の開基とされます。はっきりしない点もありますが、浄土真宗の経済的繁栄をもたらした宗派の一つであることは間違いありません。交名帳や絵系図を用いた半ば強引な信者獲得をしていたとして、異端の宗派であると本願寺からいわれのない批判を受けた歴史もありますが(その結果、希代のリーダー、蓮如上人の登場もあって、本願寺の隆盛に伴い衰退の一途をたどりました)、実際には、真っ当な真宗教団の一つです。宗教は一種人気商売のような面を否定することはできず、人気のあった仏光寺派門主であった了源上人が暗殺され、その後に蓮如上人が本願寺の住職(本願寺派の門主)を継いだという歴史的経緯が(それに加え仏光寺異端説が広く流布したことも相まって)、本願寺隆盛・仏光寺衰退をもたらしたのでしょう。それもまた昔話です。真宗教団の中で互いに優劣を競うよりも、真宗全体として、21世紀のこの世に教えが生き続けるということが、これからは大事なことだと思います。 現在、末寺は400弱、親鸞聖人の足跡と重なり、京都を中心に関西から北陸、上信越、関東に多く存在します。東西本願寺と比べれば小規模ですが、しっかりと地に足をつけた活動をしています。 |
仏光寺御影堂(大師堂)
同本堂(阿弥陀堂)
同宗務所(門信徒会館) |