いろいろはじめました  
◆ 100年単位!? 2004.4.6.


 21世紀が始まって今年で4年目です。ドラえもんは22世紀に誕生するはずですので、あと約100年で誕生の予定です。私は「どこでもドア」と「そのウソほんと」という道具が欲しいのですが、22世紀まで生きていない予感…。

 それはさておき、新しい世紀が始まるということは前の世紀のいわゆる「世紀末」がある訳で、20世紀末を体験した私は「やっぱりいわゆる世紀末ってあるのかな?」という感想を持ってみました。

「世紀の変わり目」と言った方が適切なのかもしれませんが、その時期音楽はどのように変わったのでしょうか?また、この20世紀と21世紀の「変わり目」でどのように変化するのでしょうか?
少し考えてみたいと思います。                             


 ところで過去の世紀末では多少の誤差があるにせよ、しっかりくっきり世紀の変わり目が見えるような気がします。
例えば簡単に言うと18世紀から19世紀への変わり目では、古典派からロマン派へと移り変わり、19世紀から20世紀への変わり目ではロマン派からの脱却が感じられます。同時に20世紀は演奏の世紀でもあったようにも思います。

19世紀以前にも「演奏家」はいましたが作曲家と兼ねているケースも多かったように思います(歌手・オーケストラ奏者「等」の例外はありますが)。20世紀では演奏の専門家が沢山現れるということが起こりました。

 私にとってはピアノが身近なので、ここからはピアノに関して書いてみようと思うのですが、20世紀初頭に現在とほぼ同じピアノが完成しました。これも世紀の変わり目なのでしょうか?(1840年には既に完成の域に達したそうですが(リストが一役買っているという噂)、第一次世界大戦後に88鍵の現在の形が主流になったのだそうです)。

 それまでの作曲家もそうであったように、作曲家というのは新しい楽器の可能性にトライしてみたくなるのでしょう。ピアノという楽器との「力比べ(!?)」のような作品が殊に20世紀前半に作曲されたように思います。作曲家と演奏家の役割がはっきり分かれたのはそのため(取り敢えず物理的に「弾く」ことが難しい曲が増えたから?)のように感じます。


 ピアノの鍵盤は何故88鍵なのでしょう?いちばん低いの「ド」の音より更に低い鍵盤はなくてもよかったのではないか?と一度位思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。私もそう思いました。
「88」だと語呂がいいからなのでしょうか?多分ありえません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。

 人間の耳に聴こえる音の周波数の問題と関わっているという説もあるのですが、もしかしたら一番低い音と一番高い音を同時に打鍵するには両腕の長さを考えると現在の大きさが妥当という結果になったのではないか?と私は密かに思っているのです。しかし「一番低い音と一番高い音を同時に打鍵する曲」には私はまだ出会ったことがありません。

私が知っている曲で88鍵ないと弾けない曲はラフマニノフの3番のコンチェルトだけです(他にもあると思うのですが不勉強なもので知りません)。別々のタイミングではありますが、最低音と最高音の両方が使われています。

また、他のケースですが最低音&最高音を使わない曲ではありますが両腕を左右に開かないと弾けない曲があります。人間の目は魚と違い前を向いていますので、きちんと左右に離れた鍵盤の「その音」をつかんでいるかを確認するのは結構大変です。目線というより頭ごとキョロキョロしないと確認不能な場合もあり、結構必死になります。もしもピアノの鍵盤が更に増えていたら、その最低音と最高音を使う曲ができたとは考えられますが、キョロキョロも大変になっていたかもしれませんね。(世の中には97鍵のピアノもあるのですが、一般的に普及していないのでここでは触れませんでした)


 さて20世紀ですが、私は「巨匠演奏家台頭」の世紀だったように思います。ラフマニノフの3番を献呈されたヨーゼフ・ホフマンからホロヴィッツのような天才的といわれながらも巨匠として君臨したピアニストがこの100年で沢山現れました(ホフマンは1876年生まれですので19世紀のかほりがしますが、20世紀初頭に活躍をしました)。20世紀最後の約10年でホロヴィッツをはじめミケランジェリ、リヒテルなどという「巨匠」と呼ばれた人が亡くなりました。それより更に10年遡ると、ルービンシュタイン、ギレリスも亡くなっています。
指揮者のカラヤン(1989年)、バーンスタイン(1990年)の相次ぐ死は何か象徴的なものに私には感じられました。

 21世紀には何を求められるのでしょうか?20世紀のうちにピアノの可能性は出尽くしてしまった感が正直あるのですが、恐らくそれはこれから先のことが見えないから感じることのようにも思えます。20世紀のような巨匠の時代とは違ってくるのかもしれません。

19世紀に生きた人が、例えばグールドのような演奏解釈をする人が20世紀に現れると想像することができたのだろうか?というようなことでもあるでしょう(想像してた人、いたりして…)。

 グールドのような極端ともいえる人はともかく(しかし私は或る意味グールドは楽譜に忠実だったようにも感じているのですが)、21世紀の名演奏家が現れることを願って止みません。もう現れている兆しを感じることもあるのですが、さてどうなるのでしょう。


  <続編あるかも>