私は1998年の3月に浜松国際ピアノアカデミーを受講しました。中村紘子先生はそのアカデミーの音楽監督で、その時以来私は「先生」と呼ばせて頂いています。
子供の頃からTV等で存じ上げていましたし、初めてピアノ・リサイタルへ行ったのも、初めて小遣いでクラシックのレコードを買ったのも紘子先生でしたから、TVやスピーカーの向こうの方、そして舞台上でピアノを弾かれる方という印象が非常に強く、まさか「先生」と呼ばせて頂く日が来るなどとは夢にも思っていませんでした。
私はピアノを始めたのが比較的遅く、中学1年生になった時からでした。両親が中学の入学祝いに私が欲しがっていたピアノを買ってくれたのです。「もし習うのなら新品を買ってあげるよ」と両親は言ってくれたのですが、中古のアップライトピアノを買ってもらいました。どうしても習うのが嫌だったのです。それでも自分のピアノを持つことができた喜びはとても大きく、中古であっても宝物でした。その頃やっていたコーラスの伴奏部分を四苦八苦しながら音にするのがやっとでしたが。
家に両親の知り合いから譲って頂いた電子オルガンがあったので、幼い頃からそのオルガンで遊んではいたのですが、幼稚園時代に1年〜1年半(←記憶が定かでないんです)の間、集団レッスンのオルガン教室に通ったもののすぐに飽きてしまい、その1年〜1年半が終わるのを心待ちにしていた事を半分懐かしく、半分苦笑しつつ想い出します。
― 先日そのオルガンを譲って下さった方が亡くなったと母から聞きました。ピアノを持つまでずっと私のそばにいて私の出鱈目な音楽(?)に付き合ってくれたオルガンを下さった方です。もしもこのオルガンがなかったら私はピアノに興味を持たなかったかもしれません。お葬式に伺うことができなかったのですが、ここに感謝と共にご冥福をお祈りさせて頂きたいと思います。合掌 ―
ピアノを始めた頃だったでしょうか、TVで中村紘子「さん」のレッスン番組「ピアノとともに」が放送されていました。医学部の学生の方や音楽大学の方々、それらの方々よりずっと若い方もおひとり生徒としてレッスンを受けていらっしゃいました。ピアノを始めて間もない私は「あぁ、こういう世界もあるんだな…」と雲の上を見上げるように番組を観ていました。
しかし折角観た番組です。「へぇ〜へぇ〜へぇ〜」で終わらせてしまっては勿体ありません。実践あるのみ!しかしその頃の私はピアノの楽譜がどこでどういう風に売っているのかよく知りませんでした。時々行くショッピングセンターのレコード屋さんに「ピアノピース」なるものが置いてあり、恐る恐る中を見ると何とビックリ!楽譜が売っているではありませんか!!月光とエリーゼのためにを買って家に帰りました。
月光とは、あのベートーヴェンのソナタOp.27-2です。私は果敢にも月光の第1楽章を始めました。中村紘子「さん」は「テンポを揺らさずに」とTVでアドヴァイスされていらっしゃいました。
「どうして揺らしちゃいけないの?」と思ったものの「あの中村紘子「さん」の仰ることに間違いはないだろう」とシャープ4つの楽譜と格闘しながら「テンポを揺らさずに」何とか音を辿ることができるようになりました。「ピアノとともに」で月光を弾かれた生徒の方がどのように弾いていらしたのかが今となってはわかりませんので、どのような場面で「テンポを揺らさずに」と仰ったのか確認できないのが残念なのですが、後に「どうして揺らしちゃいけないの?」という自分の問いには自分で答えを導き出すことができました。
第1楽章をつっかえずに最後まで辿り着けるようになったのは中学2年になった頃だったでしょうか?第2楽章へ進むにも今度はフラットが5つ。しかもテンポも速くなります。
指がついていかなくなったので、(やむなく)両親と相談してピアノのレッスンに通うことにしました。中学2年の10月、13歳の秋でした。
今思えばそれまでの間、私にピアノの先生がいたとすれば「ピアノとともに」の中村紘子「さん」だけだったように思います。
幼稚園に通っていた頃のオルガン教室で教えてもらった内容も役に立っていたかもしれませんが、何を隠そう私は幼稚園の頃に読めた「へ音記号」の譜面を小学校高学年の頃には全く読めなくなっていたばかりか、調号の意味もわからなくなっていたのです。
自分でも「変な音がするな〜」と思いながら、へ音記号で書かれている箇所をト音記号の譜面と同じように読み、調号のシャープやフラットも全部キレイに無視して弾いていた期間があり、それを直したのは結局自分の耳でした(そうやって少しずつ楽譜を読めるようにはなりましたが)。ああ無謀。
こうして週に1度レッスンを受ける生活が月光の第1楽章から始まりました。
翌年3月初めて「ピアノ・リサイタル」へ行きました。もちろん中村紘子「さん」の公演です。地元へ来て下さるということで、チケットが発売される日の朝、小遣いを手にチケットを扱う楽器屋さんの店先に並びました。その公演の一曲目は「月光ソナタ」。なんという偶然!
リサイタルを聴いて「ピアノってこういう風に弾くのか…」と途方に暮れたと共に「あれ?一言もお話ししないの?」という素朴な疑問も持ちました。中村紘子「さん」といえばあの優雅な語り口で面白いお話しをされるものだと心の中で勝手に決めていたからです。おそるべしTVの影響力!
いずれにせよ、ピアノをブッ叩くのが好きだった私に少なからず刺激を与えて下さったのは確かです。
その後もレコード・CDを聴いたり、著書を読んだり、勿論演奏会をお聴きすることもありました。私も少しずつは成長(だといいのですが…)したのでしょう。時と共にお聴きする姿勢も変わり、生まれて初めてのリサイタルの時よりは余裕を持って演奏会へ伺うことができるようになったと思います。
それと並行して私も少しは「音を出す」という状態から「弾く」という状態へ進むことができ、自己表現云々も考えられるようになった(のだといいのですが…)ように思います。
私は結局定期的なレッスンを受けることを大学卒業と共に止めることにしました。22歳の春のことです。以降も不定期にレッスンを受けることでしたらあるのですが。
不遜な書き方になるかもしれませんが、13歳でレッスンを受け始めた時、私の中には教えて頂きたいものとそうでないものの区別がきっちり出来あがっていた気がします。具体的に言うならば、教えて欲しかったものは「合理的な指さばき」、口を挟んで欲しくなかったものは「私の音楽について」と言って差し支えないでしょう。
「合理的な指さばき」については生徒の身体・頭脳についてを知り、またそれを知った上でどのように対処したらいいのか考えつく方でなければ的確な指摘はできないのではないかと思います。そこをはっきり指摘して下さった先生は大学卒業間際に数度お世話になった先生が最初だったように思います。結局その先生から教えて頂いたことが私が教えて欲しかった一番最初の部分だったように感じられ、そこを指摘して頂いた時点で一旦整理整頓する意味でレッスンというものから距離を置く必要を感じたのは事実です。
遅くピアノを始めたにもかかわらず音楽大学へ導いて下さった先生からも大きな刺激を受けました。それは、「生徒を導く引力」とでもいうのでしょうか?その先生に出会わなければ得るものができなかったものが沢山あるように感じます。私の望んだ「合理的な指さばき」とは少し違っていたかもしれませんが、その先生のご指導のもと「合理的な指さばき」を習得していた生徒さんは非常に多かったように見えました。要は私が受験するまでの時間が短すぎたのだと思います。
大学卒業後は私は様々な形で「合理的な指さばき」について考えることが更に多くなりました。ベースは大学卒業間際に就いた先生の数度のレッスンでできました。それを如何に膨らませていくかは自分次第だと考え、思い付くありとあらゆる方法を試してみました。しかしそのことによって「合理的な指さばき」以外に発見したものの方が多かったりもしました。遠回りだったようにも思えますが、「何かを自分で考える」という至極当たり前のことを「先生」という存在に頼ることで忘れがちになるように感じたのも大学卒業から少し経ったこの時期でした。
中村紘子「さん」がピアノのマスタークラスを開くお考えがあるという話を聞いたのは浜松のアカデミーが始まるしばらく前だったように思います。自分の力がどの程度なのかを知るチャンスだと考え、具体的にどのようなものなのか発表を待っていました。…ら、テープ審査(オーディション)を経て、浜松で約10日間、5人の先生に違う曲をご指導頂く、というとてつもないものでした。もちろん諦めました。翌年はオーディション用にテープ(正確にはMD)へ録音したものの出来が気に入らなかったので、またもや諦めました。そして3度目の正直(!?)で何とか格好のついた(?)オーディション用の録音をすることができました。恐る恐る応募してみたら意外にも通して頂くことができました。
浜松のアカデミーは思っていた以上に私にはハードで毎日胃薬を飲みながら終えました。しかしそれは仕方がなかったのかもしれません。このアカデミー以前にレッスンらしいレッスンを数年間受けてこなかったのですから。しかも聴いて頂く方々は、中村紘子「先生」をはじめ錚々たる外国人教授ばかりです。私はたぶん、いやとてもビビっていたに違いありません。
しかし「あの」中村紘子先生にピアノを聴いて頂けたのです!!それだけでも大きな財産です。
それに加え、この浜松のアカデミーで私に信じ難い言葉を仰って下さった先生もおられました。それは「才能」という言葉です。通訳の方を通してお聞きした言葉ではありますが、生まれてから一度も「才能」などという言葉に縁の無かった私には大きな自信になりました。しかし自惚れてしまうには周りの受講生があまりに素晴らしかったのですが…。それにしても「才能」という言葉をポンと口にできるということはどのようなことなのでしょう?謎です。それもおひとりではなかったので余計に謎は深まるばかり。少しだけ自惚れてもいいのかもしれません(!?)。
このアカデミーでは沢山の友人もできました。それぞれ音楽も、それに取り組む姿勢も、環境も、そして年齢も違いますが、みんな良い人達だったように感じます。
このような経験・出会いの場を与えて下さったのが中村紘子先生であったということが私にはとても恐れ多いと共に嬉しいことでもありました。
私がアカデミーを受講してから短くない月日が流れました。今でもアカデミーで知り合った友人と会うことがあります。
そしてこれまで沢山の方が受講したであろうアカデミーにたった一度参加させて頂いた私の顔を紘子先生は憶えて下さっており、たまに少しの時間ですがお目に掛かる機会があると、どんなにその場に人が沢山いようとも必ずお声を掛けて下さいます。アカデミーの時からそうでした。
日本のクラシック・ピアノの世界で常に目立つ存在でいらっしゃるだけに、もしかしたら私には想像もつかないご苦労・ご心労もおありかと思います。
これからもずっとお元気で素敵なピアニストでいらして頂きたいと思っています。
昨日、秋に行われる紘子先生のリサイタルのご案内をチケットを扱う音楽事務所から頂きました。最初にバッハのパルティータ第1番が演奏される予定とのことです。
「ピアノとともに」のオープニングでこのパルティータの「メヌエット」を演奏されていらしたことを想い出しました。もっとも曲名を知ったのは放送から随分月日が経ってからだったのですが。お聴きできますことを楽しみにしています。
<おしまい>