昨日「一瞬の若さの輝き」について触れました。それとは逆に歳月を重ねた人にしか表現できない「円熟の深み」というものも存在すると思います。こちらは「一瞬」で終わってしまう儚いものではなくて、年月をかけ徐々に熟成されていくものでしょう。
しかしこの「円熟の深み」は年齢を重ねた全ての方に当てはまるものではありません。言い方は悪いですが「枯れてしまった」状態の方もいるように思いますので。そこが「一瞬の若さの輝き」と大きく違うところかもしれません。
最近では2000年に東京藝術大学で行われた「ショパン没後150周年記念全曲演奏会」におけるハリーナ・ツェルニー=ステファンスカ女史の演奏がとても印象的でした。ステファンスカ女史はショパンの故郷ポーランドのピアニストです。ショパンの演奏・解釈の権威といわれた方ですので、ショパンの演奏が素晴らしいのは当然といえば当然なのですが、小細工の一切ないシンプルな解釈でありながら堂々たる演奏で、よくショパンを語る時に言われる感傷的なイメージとは少し違うものでした。「民族の血」ゆえの演奏だったのかもしれませんが、無駄なものを一切廃し、ショパンのありのままの姿を聴いたようで、あの時のステファンスカ女史の演奏は「円熟の深み」からくるもののように感じられました。
※ショパンの没後150周年は正確には1999年です。何かの都合で1年ずれたのでしょう。
残念ながらステファンスカ女史はその翌年亡くなられました。私はステファンスカ女史の晩年の演奏をお聴きできたわけです。この時の演奏はこれからもずっと忘れません。
ポーランドのピアニストといえばアルトゥール・ルービンシュタインは歳を重ねるごとに成長し続けたといわれる類い稀なる人だったようです。この「成長」といわれている現象も恐らく一種の「円熟」なのでしょう。私はルービンシュタインの演奏は録音でしか聴いたことがありませんが、大らかでありながら心をつかむ演奏をされる人であると感じました。
高校時代にとある楽器店の店先でルービンシュタインの弾くショパンの2番のコンチェルトの映像を観た事がありました。私は感動のあまり涙が出そうになり急いでその場から離れた想い出があります。あぁなんてシャイ・ボーイ。
その後晩年の演奏を収録した映像を観たのですが、成長し続けたと言った人の気持ちが何となくわかった気がしました。もちろん「円熟」という言葉でもしっくりくるようにも思ったのですが、若々しいその演奏は「成長」の末に辿り着いたと表現してもいいように感じました。
ヴィルヘルム・バックハウスの死の数日前の演奏からは「究極の円熟」のようなのもを感じます。演奏会の途中で心臓発作を起こしたにも関わらずプログラムを変更してその日の演奏を締めくくったという物凄い状態の時の演奏の録音が残っています。しかし予定より演奏会は短くなってしまったのでしょうけれど、その演奏会の後半の演奏は心臓発作を起こした後のものとは到底考えられないものです。そしてその1週間後、バックハウスは85歳の生涯を閉じました。
若い頃から「弾けない曲はないのではないか?」と言われていたほどの技巧を誇ったバックハウスの死の直前の演奏は、若い頃の技巧が目立ってしまうようなものとは違い、どこか穏やかなところもあるように思えます(しかし多少のミスタッチはあるもののしっかりとした演奏をしています)。時を経て辿り着いた晩年の演奏からはバックハウスなりの円熟が聴こえてくるようで興味深いです。
約10年前、デイム・モーラ・リンパニーという女流ピアニストの演奏を聴きました。ラフマニノフの前で彼のプレリュードを弾いて絶賛されたというピアニストです。私が初めてお聴きした時は確かオール・ショパンのプログラムを弾いていたと記憶していますが、3番のソナタなど凄い勢いで弾いたにも関わらず一糸乱れぬ演奏を披露し、非常に驚いた憶えがあります。
1916年の生まれという事ですので単純に計算しても10年前には○◇歳だったわけで、それだけでも驚くのですが(今のところ)私が最後に聴いた演奏はラフマニノフの3番のコンチェルトです!!友人と聴きに行ったのですが、お互い思う事は同じだったのでしょう。どちらともなく後半のオーケストラのみの曲を失礼してしばらくその素晴らしい演奏の余韻に浸りながらロビーでボーーーーっとしていたという、今考えると傍目から見たら何ともおかしな光景を繰り広げてしまっていた気配…。因みにその時の演奏はラフマニノフの自作自演の録音と同じところでのカットがありました。
リンパニー女史が今もお元気なのか確認が取れないのですが、素晴らしい演奏の想い出を残して下さったピアニストです。この方の演奏もずっと忘れないでしょう。お元気でいらっしゃるといいのですが…。
円熟という言葉にふさわしい演奏家には共通するものがあるように思います。若い頃からの豊かな経験の積み重ねと言ったらいいのかもしれません。それは感性を刺激するような様々な経験ではないかと思います。それに加えて確かな技巧です。それは「指さばき」に留まるものではなく、頭のてっぺんから足の指の先まで使う「技巧」です(別に踊るわけではありません。念の為)。
勿論「円熟」というものに確固とした定義があるわけではありませんが、円熟に向かうという事は人によるスタイルや通り道の違いはあっても向かう人は向かいますし、向かわない人は向かわないようです。
しかしそれを言っちゃぁおしまいの予感…。
<つづけてみたい気分>