いろいろはじめました  
◆ 演奏をとりやめるような事態!? 2004.4.18.


 1992年10月19日19時頃。昭和女子大人見記念講堂の満員の聴衆は演奏者の登場を恐ろしいほどの静寂の中待っていました。あまりの静けさに、私はその大きなホールの中で誰かが針を一本落としても会場にいる全員がその音に気が付くのでは?と思ったほどです。


                  演奏者の名前は、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ。


 その夜は三夜予定されているリサイタルの初日でした。
リサイタルの前ミケランジェリはチェリビダッケ指揮・ミュンヘン響の来日公演でシューマンのコンチェルトを(確か)二晩キャンセルする事もなく演奏したばかりでした。

リサイタルの晩、ホールに入り席に着き客電が落ち舞台が明るくなっても聴衆を襲うキャンセルの恐怖。

 どうやらそれが「キャンセル魔」といわれるミケランジェリたるところなのでしょう。シューマンのコンチェルトを約束通り二回「も」弾いて下さったのですから(私はシューマンは聴いておりませんが)充分責任を果たした(!?)といえる(!?)でしょうし。

 少し待っていたら遂にミケランジェリが現れました!!!日本の演奏会では演奏者は舞台下手から登場する場合が殆どですが(オーケストラの団員は除きます)、ミケランジェリは上手からの登場でした。やっぱりタダ者ではありません。

 ピアノに向かい椅子に掛け1曲目のショパンのプレリュードOp.45が始まりました(演奏会前半は全てショパンの曲でした)。私はホッとしたせいか正直この演奏はよく憶えていません。プレリュードの次は2番のソナタでした。「プレリュードとソナタは続けて演奏されます」とプログラムに書いてあり…という事は「拍手をしてくれるな」という意味なのでしょう。ここで拍手をしたら「演奏をとりやめるような事態」が起こるかもしれません。誰一人間違って拍手をする人はいませんでした。
 私がこの晩一番印象に残っているのは次に演奏されたアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズでした。堂々たる演奏で、この曲の印象は今でもはっきり憶えています。前半はここまででした。

後半はドビュッシーのプレリュード第1集でした。
この頃になると聴衆の中にはミケランジェリが演奏する事に慣れてきた人もいたようで、その事で私は余計な心配をしながらこの曲集を聴く事になってしまいました。

 ミケランジェリが本当に現れ、プログラム通り演奏が進み、誰もが安心したのはわかります。わかるのですが…曲間で咳をする人が出現してしまったのです。
 そりゃ演奏会会場では曲間で必要以上に咳をする人が多いと常々思ってはいたのですが、よりによってミケランジェリ…いや、ミケランジェリ様の独奏会で「風邪を引いていてやむを得ず咳をしてしまった」という感じではなく、「1曲終わったからとりあえず咳でもしておこう」というノリでゲホゲホ始まってしまった時には(演奏会の途中ですので)咳をしている人に注意する訳にもいかず(私は普段も注意しませんが)、私はただハラハラするばかりでした。

 ドビュッシーのプレリュードは12曲ありますので曲間は11回あります。最初の曲間で誰かが咳をしたのを皮切りに次の曲間、その次の曲間、そのまた次の曲間…と咳をする人数&咳の音量は増していき、ミケランジェリ様のお気に障るに違いないと私はひたすら「演奏をとりやめるような事態」にならない事を祈るようなありさまでした。このドビュッシーも素晴らしかったと思うのですが、「咳が〜咳がぁぁぁぁ…」という記憶の方が正直強いです。私は意地でも咳はしませんでしたが。

無事「演奏をとりやめるような事態」には至りませんでしたがミケランジェリ様は憮然として舞台を後にされました。
そしてその後の、二回のリサイタルがキャンセルになったのは言うまでもありません。


 「演奏をとりやめるような事態」にはなりませんでしたが、「その後の演奏会をとりやめるような事態」になってしまったのです。理由は「聴衆とのコミニュケーションがうまく取れなかった為」との事でした。嗚呼!!


 その後すぐ会場を移してあと二回演奏会の予定が組まれました。急だった為でしょう、両日共サントリーホールの平日の昼間という時間になり、チケットは簡単に取る事ができたようです(元々の日程での二晩目と三晩目に行く予定だった人達はチケット代の払い戻しができたはずで、多くの人は「平日の昼間」にいきなり決まった為でしょう、演奏会を諦め払い戻したのでは?と思いました)。しかし、一度はその代替公演も行われたのですが、最後の公演はまたもやキャンセルになりました。会場を移しても「聴衆とのコミニュケーションがうまく取れなかった」のでしょうか?それとも他の理由なのでしょうか?謎に満ちています。それがミケランジェリ様!?!?

 初日のチケットを手にする事ができたのはラッキーだった気がします(代替公演の演奏を聴いた人は素晴らしかったと言っていましたが)。そしてその後来日する事はなかったと記憶しています。

ところで、「演奏をとりやめるような事態」というのはその日のプログラムにあった言葉です。


  <おしまい>