いろいろはじめました  
◆ 中村邦子先生の想い出 2004.9.1.


ソプラノ歌手・中村邦子先生が亡くなったのは1996年の今日、9月1日でした。

 学生時代に声楽科の友人が邦子先生に師事しており、私は毎週一緒にレッスンへ伺いました。私には約2年間ご指導下さいました。
…と言っても声楽のレッスンの際にピアノ・パートを受け持つという形でしたので、「声楽とピアノのアンサンブル法」などを教えて頂いたというより(そういうところも勿論ありましたが)、私には「演奏家がどのように音楽と向き合うのか」ということを伝えて下さったように思えました。

とはいうもののお人柄は大変お優しく、ご指導下さる時も丁寧におっしゃって下さり、またこちらの主体性も尊重して下さる、そのような方でした。

諸事情で2年間を以ってレッスンへ伺えなくなった時は大変残念がって下さり(勿論私も非常に残念に思っていたのですが)、それ以降もどこかでお目に掛かると必ず「頑張ってる?しっかりね!」とお声を掛けて下さるような方でした。うっかり私が邦子先生がそこにいらっしゃることに気が付かないような場面でも先生の方から「こんにちは」と笑顔でお声を掛けて下さったのです。

それは「門下生の伴奏者(元伴奏者)」に対する接し方とは少し違う気がしていました。私は学生時代様々な「伴奏」をしていたのですが、レッスンに伺った先生が必ずしも私の顔を憶えていて下さるわけではなかったからです(もっとも短期間の場合は仕方ありませんが)。2年間通ったわけですので、嫌でも目に付いてしまったのかもしれませんが。

ただ、そのような意味で私が邦子先生に感謝しているのは、邦子先生が私を「伴奏者」としてではなく「共演者」として常にピアニストとして接して下さったということです。先生の要求に応えるには学生の私はあまりに稚拙なピアノを弾いていたと思うのですが、その未熟な、しかも自信の無い私から様々なものを引き出して下さったように思います。多くの刺激と経験をさせて下さったと感謝しています。


…と書いていると中村邦子「先生」というイメージが強くなってしまうのですが、邦子先生は「先生」である以前に「ソプラノ歌手」でいらしたと思うのです。

 日本歌曲がお得意でよくリサイタルをされていらっしゃいました。夫君・健先生とご一緒の舞台も多かったようです。またある時にはベルギーで日本歌曲を(勿論日本語で)演奏された時のお話をして下さったことがありました。「言葉がわからなくても通じるものがあるのねぇ」とおっしゃった先生のお姿は何年経っても忘れません。

 先生のお声はまろやかで、私には心地良く響きました。よく日本歌曲は難しいと聞くのですが邦子先生の日本語表現はとても自然に感じられ、難しいようには聴こえませんでした。聴衆の見えないところで様々な練習をされていらしたのかもしれません。また、オペラの舞台にも数多く立たれたということです(私はオペラの舞台は拝見していませんでしたがそのことは存じ上げていましたので、初めてレッスンに伺った時は緊張と期待でいっぱいでした)。

 何度か演奏会にも伺いましたし、CDが発売された時には早速購入し、次のレッスンでサインを頂いたりもしました(私はペンを用意して行ったのですが、先生は「ちょっと待って」とおっしゃりハンドバッグからやおら“筆ペン”をお出しになり、サラサラと綺麗なサインをして下さいました)。そういえばCDを録音したことを教えて下さった記憶はあるのですが、それ以上何も宣伝されない方でした。また演奏会のチケットも然りでした(チラシは下さいましたが)。

そのようなこととは別に、レコーディングの様子や演奏会に臨む姿勢、そして反響についてレッスン中によく話して下さいました。私が初めて一線の演奏家の方に接したのは邦子先生でしたので、そのお優しさに甘えて色々質問してしまったところもあったようにも思います。本来は声楽科の友人のレッスン時間だったというのに…。

 邦子先生とは不思議なご縁(!?)があり、学校を卒業した後も道端でバッタリ!コンサートホールのロビーでバッタリ!と時折お目に掛かる機会がありました。最後にお目に掛かったのはお亡くなりになられる1年以上前の日生劇場のロビーでした。ご病気でお亡くなりになられたのですが、その時はまだお元気そうで、やはりいつものように「頑張ってる?しっかりね!」というお言葉を頂きました。それが最後になってしまうとは想像すらできませんでした…。


 先生の訃報は母が新聞を見て知らせてくれました。また同級生の邦子先生の門下生もわざわざ連絡をくれました。お陰でお通夜にお伺いすることができました。
 実はその時私は身内を亡くしたこともなく、人の死というものが正直ピンときていなかったのです。お寺に着いて自分の名前を書いてもまだピンときませんでした。しかしその直後、祭壇のお写真を見た時に何か全てが崩れてしまったような喪失感を覚えるのです。突然涙が溢れました。現実に気付いた瞬間だったのかもしれません。


 ここには書ききれない想い出や教えて下さったことが沢山あります。私は邦子先生に声楽のご指導を受けたことは勿論無いのですが、音楽家としての心得のようなものを含め色々なことが私の中に残っています。
私にとって邦子先生は恩師に当たる方なのだと思っています。


ご冥福をお祈り致します。