白鳥はいまわの際に美しい歌を歌うといわれています。
シューベルトの歌曲集に「白鳥の歌」と名付けられた作品がありますが、「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」といったいわば「連作歌曲集」とは違い、「遺作歌曲集」とでも言ったらいいのでしょうか?晩年の作品を集めたもので、シューベルトの死後に出版される際に「白鳥の歌」と付けられたのだそうです。
1曲ずつが独立した歌曲の集まりですので「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」のような物語性はありませんが、これらふたつと共に「3大歌曲集」として後世に残っているということはそれだけ優れた作品なのだと解釈することが可能でしょう。
モーツァルトの「白鳥の歌」は「レクイエム」でしょうか?「ラクリモーザ」の最初8小節を書いたところで死を迎えたといわれ、弟子のジェスマイヤーによって完成されたとのことです。
が、モーツァルトの死には謎が多過ぎるようにも思いますので、実は他の曲が絶筆だった…なんてことがあるかも(?)しれません(該当する曲が思いつかないので根拠は無いのですが)。
何故私がこんなにひねくれた発想をするのかというと(元々の性格もあるのでしょうけれど)、ベルクという作曲家の例があるからです。
ベルクはオペラ「ルル」の作曲を中断してヴァイオリン・コンチェルトを作曲し、それが絶筆となりました。このヴァイオリン・コンチェルトは或る少女の死へのレクイエムとして捧げられているのですが、皮肉にもベルク自身へのレクイエムという意味合いも持つ曲となってしまったのです。
ルイス・クラスナーというヴァイオリニストから依頼を受けベルクはヴァイオリン・コンチェルトを書く約束をしました。それから少し経ちベルクにひとりの少女の訃報が届きます。マーラーの未亡人の娘、マノン・グロピウスというベルクが非常に可愛がっていたといわれる18歳の少女です。ここでベルクは「ルル」の作曲を止め、この少女の追悼の意味を込めたヴァイオリン・コンチェルトを書いたのです。そして曲を書き上げてすぐにベルク自身も敗血症で亡くなってしまうのです。そして「ルル」は未完成となってしまいました。
ベルクはこのヴァイオリン・コンチェルトに「或る天使の追憶のために」と書き添えました。
プッチーニはトゥーランドット第3幕のリューの死の場面を書いたところで亡くなりました。そこから幕切れまではプッチーニが生前遺したスケッチを元に弟子のアルファーノによって書き上げられ、一応の完成をみたのです。
初演時に指揮台に立ったトスカニーニがリューの死の場面が終わったところで「プッチー二はここまで書いて亡くなりました」と聴衆に向かって告げ、その日の公演を終えたという大変有名な話があります(翌日以降の公演ではアルファーノの補筆部分も含め全て上演されたとのことです)。
リューの死の場面は奴隷の死を悼むにしては手厚いように感じます。そしてここでオペラが終わってしまっても「そういうものだ」で済みそうな気もします(物語としては「この先どうなるの?」という多少の疑問は生じるでしょうけれど)。どうやらプッチーニはリューに特別な思い入れがあったようです。
リューにはモデルとなった人がいます。プッチーニが事故で怪我をし、その時身の回りの世話をしたドーリア・マンフレディという娘です。働き者のその娘をたいそう気に入ったプッチーニは怪我が治った後もそばに置いていたのですが、プッチーニの妻がふたりの仲を疑い(関係は無かったらしい)、ドーリアは仕事を辞めることになったどころか服毒自殺をしてしまうのです。プッチーニはそのことをずっと気にしており、喉頭癌に冒されていたにも関わらずリューの死の場面を書き上げるまで治療を拒否し、その場面を書き上げ手術をしたもののそれから5日後に亡くなってしまったのだそうです。
ドビュッシーも癌(直腸癌)で亡くなりました。ドビュッシーは亡くなる前に6つのソナタを書く構想を練っていましたが完成したのは「フルート、ヴィオラ、ハープの為のソナタ」、「チェロ・ソナタ」、そして白鳥の歌となった「ヴァイオリン・ソナタ」の3曲でした。もしも6曲全て完成していたとしたら、「オーボエ、ホルン、チェンバロの為のソナタ」、「トランペット、クラリネット、バスーン、ピアノの為のソナタ」、「コントラバスと各種楽器の為のコンセール形式のソナタ」の3曲が加わっていたはずなのです。作られていたとしたらどのような曲に仕上がったのでしょう?しかしもしかしたら「ヴァイオリン・ソナタ」が最後の作品だったのは良かったことだったのかも?と夢も希望も無いこと私は思ってみたり…(私は綺麗に言うと保守的、はっきり言うと偏食だったりします)。
ショパンの作品で現在確認されている最初の作品は7歳の時に書かれたポロネーズです。そして最後の作品といわれているのは死の年に書かれたマズルカです。
ポロネーズ、マズルカはショパンの祖国・ポーランドの舞曲です。ショパンが最初にポロネーズを書いたのは自然な気がしますが、20歳で祖国を後にして生前二度と戻ることがなかったにも関わらず最後の作品はマズルカでした。
ショパンは生涯に渡ってポロネーズ、マズルカを書き続けました。離れても祖国を忘れたことはなかったようです。
白鳥がその最期を告げる歌とはどのようなものなのでしょうか?もしも聴く機会があれば聴いてみたい気もしますが、その後その白鳥が命を終えると考えると哀し過ぎます。
「白鳥の歌」、それは生涯に一度だけ歌うことを許された歌なのでしょう。
<演奏家編につづくはず>