いろいろはじめました  
◆ マイヤ・プリセツカヤの「白鳥」 2004.8.4.


つい最近マイヤ・プリセツカヤの「白鳥の湖」の映像を観ました。

 私がプリセツカヤの「白鳥の湖」に興味を持ったのは、かつてソ連政府が国賓を迎える折に「プリセツカヤの白鳥の湖」でもてなしたと聞いたことがあったからです。

 その映像は1957年のものということですので画質は悪いのですが、まさか映像が残っているとは思っていませんでしたのでとてもビックリしました。それもカラー(というよりも総天然色?)で!

 1948年のジダーノフ批判によってソ連政府の芸術文化に対する介入が行われました。それはその当時「人民を政府の思惑と違う方向へ導くと思しき芸術文化」に対する介入であった為、この「白鳥の湖」のような政府が認めている過去の作品はその対象とはならなかったようです。むしろ政府はこのような作品を推奨していたはずです。

 この映像の中ではダンスや音楽(音質は良くありませんが)ではないところで非常に気になった部分がありました。それは時折唐突に入る「観衆の嬉々とした顔」です。何度もダンスの途中にいきなり観衆(その時舞台上は全く映っていない)が映るのです。もしかしたらこの映像はソ連政府が自国の文化を世の中に知らしめたかったのかも?と私は思ってみたりしました。でなければあまりにも無意味な観衆のアップ。いかにも「ソ連には素晴らしい文化があり、観衆もこんなに喜んでいる。素晴らしい国でしょう?」とでも言いたそうです。実際素晴らしい文化がある(あった)とは思いますが。

この映像とは時代が違うのですが、同じボリショイ劇場でのバレエ公演の映像を観たことがありましたが、観衆の顔をいちいち映してはいませんでした。単に映像ディレクターが違う、時代が違う、と言うこともできるのかもしれませんが、恐らくこの「プリセツカヤの白鳥の湖」の映像には何かの力が働いているように感じます。「1957年にカラー映像で」残していたということにも意味があるように感じられてなりません。勿論考え過ぎかもしれませんが。


 さてこのプリセツカヤの白鳥の湖。ボリショイ劇場でのライヴ映像に多少映像処理による演出が入っているのですが、プリセツカヤのダンスの質の高さには驚きました。正確、且つ音楽的なステップ。表現豊かなマイム。そして映像ならではの感想なのですが、顔の表情の多彩さ。恐らく現在でもこれほどに演じられる人を探すのは大変でしょう。

 特に印象的なのが白鳥(オデット)と黒鳥(オディール)の演じ分けです。顔の表情の印象も変わるのですが、動きの線とでも言ったらよいのでしょうか?ダンスの雰囲気もがらりと変わり、正に一人二役を見事にこなしています(オデットとオディールは演出や振付にもよるとは思いますが、うりふたつでありながら全く逆のキャラクターということですので、このプリセツカヤのダンスは或る意味王道でしょう)。

「これがソ連が誇った舞台なのかっっ!!!」と素直に納得できるプリセツカヤの白鳥の湖でした。


ところでプリセツカヤの「白鳥」には或る特徴があります。

 プリセツカヤが「白鳥の湖・全幕」を踊ることを止めたのがいつのことなのかわからないのですが、私は生(一度だけ)も含め何度かプリセツカヤの「瀕死の白鳥(音楽・サン=サーンス、振付・フォーキン)」を観ています。衣装は「白鳥の湖」のオデットとあまり変わらないように私には観えました。その「瀕死の白鳥」の出だしは白鳥の羽ばたきから始まるのですが、プリセツカヤの羽ばたきは両腕から指先にかけてまるで関節が無いかのように観えます。

よく観ると勿論関節のところで羽ばたきの表現をしているのですが、あまりにスムーズなその動きを初めて観た時私は「この人脱臼してるのではなかろうか?」と思ったほどです。
あの羽ばたきは若い頃からのものであったのかと、今回「白鳥の湖」の映像を観ながら思いました。

殊に第3幕を観ながらオデットの幻影が現われる場面(一瞬ですが)の羽ばたきがどう見てもプリセツカヤのオデットとは違っていたので、舞台上でそれを見てうなだれる王子・ジークフリートに思わず「あの幻影はマイヤじゃないから。」と画面に向かって突っ込んでみました。その時プリセツカヤは黒鳥・オディールを演じている為やはり舞台上にいるので、白鳥・オデットの幻影は他のダンサーが代わりに演じているのです。

あの独特の羽ばたきはダンサーが真似をしようと思ってもなかなか難しいのかもしれません。

プリセツカヤは最近は「瀕死の白鳥」も踊っていないようですが、一度きりでしたが生で観た瀕死の白鳥の印象は忘れられません。その時の公演は1994年のプリセツカヤ舞台生活50周年記念公演…。


どうやら今年は60周年らしい。


  <「白鳥」ではないプリセツカヤはまたの機会に>