2004年6月2日二コライ・ギャウロフが亡くなったそうです。74歳でした。
先日「エルナーニ」のDVDを観ながら解説をめくっていたら訃報が載っており、少なからずショックを受けました。そこにはモデナで心臓麻痺のために亡くなったと書いてありました。モデナは奥さんであるミレッラ・フレーニの故郷です。どうやら結婚してからずっとモデナを本拠に生活していたようで、フレーニに看取られての最期だったそうです。
失礼ながら私は舞台で聴くまでギャウロフを「フレーニの旦那さん」ととらえてしまっていたのですが、ギャウロフ自身素晴らしいバス歌手で、恐らく私が聴いたことのある「歌声」の中で一番低い声を出したのはギャウロフではなかっただろうか?と思っています。
フレーニを初めて(生で)聴いた1993年にその演奏会での共演者ギャウロフも聴きました。その後も1995年(2回)、1999年(「ボエーム」2回&フレーニとのリサイタル1回)、全てフレーニとの共演の舞台でしたが結構聴きに行っていたんだなぁ…とふと思い出しました。
演奏会ではヴェルディ:ドン・カルロのフィリッポのアリア、チャイコフスキー:エフゲニ―・オネーギンのグレーミンのアリア、ラフマニノフ:アレコのカヴァティーナが印象に強く残っています。またアンコールでフレンニコフの「酔っ払いの歌」、ムソルグスキーの「のみの歌」等コミカルな歌を歌っていた想い出もあります。そして最後はドン・ジョヴァン二の二重唱「La ci darem la mano」を歌ってその晩のリサイタルが終わるのが恒例でした。アンコールに相応しいソプラノ&バスの重唱は、数多くオペラはあれど殆ど無いのかもしれません。
ギャウロフはブルガリアの出身の歌手なのですが、ブルガリア(ソフィア)の音楽院のみならずモスクワ音楽院でも研鑚を積んだのだそうです。レパートリーにロシアものが多いのは恐らくそのためでしょう。後にフレーニがチャイコフスキーのオペラを歌うようになったのはどうやらギャウロフの影響のようです。フレーニのロシア語の先生は他ならぬギャウロフだということですし(フレーニはラフマニノフの歌曲も歌っています)。
オペラでギャウロフを観たのは1999年に藤原歌劇団が上演した「ボエーム」が唯一でした。
フレーニと若手歌手達と共に素晴らしい舞台を作り上げていたことが印象的で、「ボエーム」という主なキャストが全員若者という設定といって差し支えないオペラの中にいて、「大歌手二名混ぜてみました」という感じではなかったと思えたことは驚きと共に素晴らしい経験でした。
勿論、実力・貫禄はあるのですが、素晴らしい若手歌手達との共演を楽しんでいるようで、しかも質の高い公演だったと思うので観られてよかった舞台でした。
ギャウロフのレパートリーを見るとロシアもの、イタリアもので占められています(グノー:ファウストのような例外もありますが)。ブルガリアの歌手がモデナに住むことを了承したというのもイタリアで生活するということに支障が無かったからなのでしょう。もしかしたらチャレンジ精神旺盛な人だったのかもしれません(!?)。
数えてみたら私の手元にギャウロフが出演している録音・映像が約10点ありました。バス歌手が主役になることは多くはありませんが、ギャウロフの存在感は印象に残ります。
それらの物と共に、私に残してくれた想い出を大切にしたいと思います。ありがとうギャウロフ!
ご冥福をお祈り致します。