第62回 三重県高等学校演劇大会・県大会


日時:8月9日(水)〜10日(木)
場所:三重県総合文化センター 中ホール
審査員:工藤千夏・山中 秀一・小熊ヒデジ
大会結果:
最優秀賞(三重県知事賞)   
 神戸高等学校「避難」 
最優秀賞(中日賞)      
 津商業高等学校「いのちのはなし」
優秀賞(三重県教育委員会賞) 
 高田高等学校「妖怪毛抜き地蔵」
 四日市西高等学校「彩色スクランブル」
優良賞        
 桑名西高等学校「テラフォーアマーズ」
 津東高等学校「袈裟と盛遠」
 暁高等学校「ダンバレガンバ」
 いなべ総合学園高等学校「せせらぎはいつも」
舞台美術賞          
 津商業高等学校
創作脚本賞
 「彩色スクランブル」 作・四日市西高校演劇部
 「いのちのはなし」  作・津商業高校演劇部

上演順    ※ ▲は創作作品

8月9日(水)
 開場 12:30 開会式 12:40
(1)13:00〜 桑名西高校 
「テラフォーアマーズ」
作・kuwanisi劇場脚本部▲
講 評
工藤 千夏 先生

 寺の娘たちという興味深い人物設定を見つけたことで、仏教、キリスト教、後継者問題、父親と娘の関係等、描かれるテーマに幅が出ました。姉妹たちが(キ ホも)丁寧語で話すのが、寺院という環境の特殊さも含め、作品自体のトーン、作品の個性につながっていました。登場しない父親の存在感がしっかり感じら れ、それが作品に奥行きを与えています。娘たちの年齢をもう少し上げて、たとえば長女が二十代後半、次女が二十代(大学生?)、三女が高校生位の設定にす ると、後継者問題や恋愛がもっとリアルに迫ってくるはず。「好きになってはいけない」という、キーになるセリフももっと切実に響くと思います。
 あくまでもナチュラル志向の演技、とても良かったです。特に、掃除や数珠づくりの作業をしながら話をしているのはとても良い。
 もう一度考えてみていただきたいことは以下。1)紗幕を使いたいがための演出になっていなかったか? 2)見せたい転換なら、明かりが暗すぎないか?  3)オープニングとエンディングの着替えシルエットを見せたいという演出で、芝居全体のリズムがくずれていなかったか? 4)停電を描くということは照明 を暗めにするということでいいのか? これらを、リアルをどう作るか、それを演劇としてどう演出するかという観点から考えてみてください。

山中 秀一 先生

舞台中央には3間四方程の居間、奥に同じ高さの廊下上下の袖へと続く奥に黒紗を貼った9尺程のパネル、大黒。上手に1間四方の部屋、2方を紗のパネルで覆われている。
 
冒頭の緞帳前の 暗転幕前
梵鐘からラップでのお経
 
紗幕の着替え、奥の3姉妹の部屋?回想シーンが、物理的にも物語的にもみえにくい。普段のシーンでは使用されない分効果が薄れた。夏の古い寺の屋外と部屋 の中の場面の空間のルールが曖昧でわかりにくかった。大仏を効果的に使いたい。見せながらの舞台転換は観客の視点をどうコントロールするか検証が必要。
不在の父を巡る、姉妹、居候の会話は自然で引き込まれた。
仏教とカトリックの題材に踏み込んだ以上、登場人物との接点を通じ一般人が知っている程度よりも詳しい情報が必要。

小熊 ヒデジ 先生

 日常的な会話が心地よく観られました。冒頭、長い渡り廊下を、モップで掃除しながらする会話がとても好きです。それは、セリフの情報以上に、俳優の行動 や佇まいが何かを伝えてくれるからだと思います。例えば、エアコンが動いていない夏の夜、その時の温度や湿度はどうなのか、肌は汗ばんでいるのかどうか、 風はそよとも吹かないのか、などなど、台詞以外の情報を見つけ出していくと演技の幅はさらに広がります。また、日常的な作品だからこそ、劇的な、例えば照 明の月明かり、音響の虫の声や外から聞こえる音などを有効に使っても良かった気がします。見えているであろう、上手側の庭への目線も欲しかったです。大仏 の観せ方の工夫も大切だと思います。

生徒講評委員会

 唯一無二の存在感を放って舞台上にそびえ立つ大仏。このお芝居と切っても切れない関係にある大仏の役割について考察しました。父が大仏から落ちて仏事に 関わることができなくなったり、三姉妹が大仏に関する仏事を面倒がったりすることから、仏事の象徴であり、いつも見守ってくれているという点から、死んで しまった三姉妹の母を象徴していると考えることもできようかと思います。                        
 三姉妹の家庭とキホさんの家庭で、寺と教会という対照的な家柄を設定した意図について議論しました。どちらも、一般的な家庭とは異なり、仏事祭事に関わ るという点では共通ですが、恋愛や養子という制度については対極にあります。その関係を巧みに生かし、登場人物それぞれの恋や愛について様々な切り口で語 られていました。家族に対する愛であったり、好きになってはいけない人を好きになったり、好かれてはいけない人に好かれてしまったりと、多様な恋愛がひと つの舞台上で表されていて、観ていて楽しかったです。

(2)14:30〜 津東高校
「袈裟と盛遠」
原作・芥川龍之介/脚色・杉山和寛
講 評
工藤 千夏 先生

 美しく、格調高い芥川龍之介の世界を見事に舞台上に現出させたと思います。芥川のテキストは、ことば自体が難しいだけでなく、一筋縄ではいかない登場人 物の性格も心理も難易度の高い世界です。それは、十代の若い俳優が体験したことのないで世界でしょう。欲望と欺瞞がからみ合ったその複雑な心理描写への挑 戦に、心から敬意を表します。朗読劇というジャンルを選択し、動きをストイックに抑えたことによって、語りの文学として世界を構築することができたのだと 感じました。
 反面、それはパフォーマンスの単調さにもつながります。朗読劇だから動いてはいけないということはありません。あくまでも語りを聞かせるという基本方針 を念頭に置きつつ、では、どんな演出の可能性があったのか。当日パンフレットのあらすじで誰が死ぬのかを説明していましたが、ならば、冒頭でまずラスト シーンを一度見せて(現在のラストと同様にカットアウト)から語り始めるという手はなかったのか? あるいは、どちらが死んだのかわからないような、新し いイメージシーンから始める、とか? 登場人物二人とも舞台にずっといて、盛遠が袈裟を語るときに観客は袈裟が見えている、袈裟が盛遠を語るときに観客は 盛遠が見えている、とか? 
 細かなことですが、タイトルを読むなら「芥川龍之介」も読んだ方がいいと感じました。また、テキレジですが、主観台詞だけにするか、客観描写はナレーション担当に読ませるという手もあったかと思います。

山中 秀一 先生

大黒前にわずかに高い屋内、寝床、その上手下手には赤い陣幕のような幕。
 
悪の中から出た良心なのか、良心から出る悪なのか、袈裟を巡って盛遠が葛藤。リーディング形式をとりながらしっかり見せた。
俳優の動きや演出を限界までそぎ落とす事で、文学先品の言葉を役者の体を通して、舞台に立ち上がらせていた。
転換では、盛遠と袈裟が入れ替わりながら、大黒がオープンする。
もっと立ち姿を見せながらでもよかった。袈裟が消す燭台は実際の物があってもよかった。袈裟のシーンは少し顔が暗く、表情からつかみ取れる情報が少なかった。
選には漏れたものの、人間の知らない力を描く芥川の世界観が表出していて良作である。

小熊 ヒデジ 先生

 幕が開いた時、凛とした美しさがあり、とてもワクワクしました。それぞれの俳優が一人で20分ほどでしょうか、舞台を支え続けることはとても力の要るこ とだと思います。テキスト内容は難しいものだと思うのですが、それに果敢に挑んだことは素晴らしいと思います。俳優は、物語(人物)と自分自身との接点を 見つけ出し、理解し、演技をしますが、高校生の俳優がこの物語を演じるにあたり、何を心当たりにしていたのかということがもっと手触りとして伝わると、さ らに引き込まれる作品になったのではないでしょうか。シンプルで美しく、力強い舞台でした。一方、ほころびも観てみたいとも思いました。

生徒講評委員会

 このお芝居を観て、「愛と欲」について深く考えました。袈裟と盛遠は、自分たちなりの愛と欲に貫かれて行動します。また、彼らの「愛のカタチ」を朗読劇 で表現した意図、価値はなんなのか。二人が本を持っていたのは「朗読」であることを表現したかったのか、「物語」であることを表現したかったのか。朗読で 動きがない分声や表情などで、盛遠と袈裟のお互いの気持ちや人間の欲求が赤裸々に表現されていました。愛がゆがんでひんまがってしまった結果、「袈裟が渡 の代わりに殺される」ということになってしまったのではないでしょうか。最後の盛遠が刀を振りかぶったところで終わったのは、二人の感情の極限だったので はないかと考えました。袈裟は「自分は自分のために、盛遠に復讐する」という復讐心が、盛遠は「憎んでいない人を殺してしまう」という罪悪感がピークに達 したのだと思いました。だから盛遠は最後、躊躇したのかもしれません。「朗読劇」という試みも目新しくインパクトが強かったです。

(3)16:00〜 暁高校
「ダンバレガンバ」
作・暁高校演劇部▲
講 評
工藤 千夏 先生

 20名の部員たちが舞台狭しと暴れまわるスポ根学園コメディ。双子の翔と亮を軸に、男子バレーボール部の青春を描きます。とてつもなく良かったシーンが 二つあります。一つは、女子バレーボール部の登場。とにかく強そう。チャラいダンバなんか相手にしている暇はないマジ運動部だという気迫と、本当に男子に も勝ってしまいそうな身体のリアリティが、登場とともに舞台を支配しました。女子バレー部全員が、台詞のないときも「マジ強い女子バレー部」の意識を持ち 続けていたのだと思います。もう一つは、亮が自分の高校のセッターと二人で会話しているのを、翔が見ているシーン。自分が求めている会話を、もしかしたら 自分がしていたはずの会話を亮とセッターが繰り広げているとき、翔は一言も言葉を発しません。そのときの翔の佇まいと、翔を気にせずに話している二人のコ ントラストが実に良かったのです。翔の悔しくてやるせない気持ちがひしひしと伝わってきました。
 大人数の俳優が舞台上にいるために段差をつけた台を上下に置いていました。あの台がかえって邪魔になってしまったのが残念です。後方のバレーボールネッ トをイメージしたパネルを動かしたのですから、見せる転換で台もガンガン動かしたら、芝居自体をもっとダイナミックに感じさせることができたのではないで しょうか? 各シーンの終わりに人がハケ切ってから装置が動くのは、芝居をまどろっこしく感じさせてもったいなかったです。後のシーンが、前のシーンを くっていくくらいのスピード感覚が欲しい。
 脚本に関しては、亮と翔の兄弟対決まで描くか、対決しないなら二人の関係がどうなったのかまで観たかったです。ダンバのギャグシーンの会話「長男か次男 か」「年上好きか年下好きか」は、単なるギャグではなく、実はテーマに直結させようと書き始めた大切なシーンのはず。翔が推薦を蹴って亮と違う高校に行く という展開は、「強いこと、勝つことよりも大切なこと」を描ける素晴らしい設定。そこをきっちり掘り下げて、スポ根ものに新しい風を吹かせてください。

山中 秀一 先生

奥にネットをイメージさせる可動パネル。その上下にそれより低い同じデザインのパネル。センター上下に四方にのぼり段がある4尺四方程の台。
 
役者同士のアンサンブル性の高さや大人数の移動や交通整理の精度の高さは、抜群にうまかった。
見えないボールを表出させ、舞台で繰り広げられた臨場感あふれるバレーボールの試合をみて驚きがあった。目の前で起こる事、演じられる事のおもしろさ、そ れらにプラスして、心に刻みつけて持ち帰る事の出来る趣や感動を表現するのは難しい。勝負だけに終わらない結末、双子の立ち位置の違いなど、脚本の後半が もう少し観たい。舞台を広く使う意味でも、パネルが全て可動で奥ももっと使ってダイナミックに展開したい。
 
小熊 ヒデジ 先生

 躍動感と迫力のある舞台でした。バレーの所作も優れていて、登場人物の多い作品をしっかりと時間をかけて練習したのだろうと好感を持ちました。ただ、物 語の中から観たいドラマが抜け落ちているように思いました。双子の兄弟のすれ違い、弱小バレー部を育てる苦労、奮起して再生するバレー部、そういうことだ というのはわかるのですが、それらの葛藤をもっと深く描くべき作品だと思いました。笑いを誘うシーンが、笑いのためだけになっていたのが残念で、その時間 はもっと物語のために使って良いと思いました。女子バレー部の登場は、僕もとても素敵だと思いました。もちろん、男子バレー部の方々も好演していたと思い ますが、人物としての在り方をもっと掘り下げれば、さらに素敵な作品になると思います。

生徒講評委員会

 まず第一印象として、とてもインパクトのある劇だと思いました。講評委員で話し合った際、「誰が見ても分かりやすい」という意見や、「起承転結がすごく 分かりやすかった」という意見がでました。後ろの白いパネルが動くことによって、場面が転換したことを分かりやすく表現しており理解しやすくなっていたと 思います。トスやスパイクなどのバレーボールの動きが、とても綺麗ですごく練習したのだと思いました。その動きや練習風景などから、男子バレー部である雰 囲気を感じ取ることができました。また、登場人物が多いのにも関わらず、一人一人のキャラクターがしっかりと作られていました。ダンスのシーンなどでは一 体感があり、みんなで協力をしてひとつの劇が作られているなと感じられました。翔が主人公・ほかの人はサブキャラという概念を壊し、ひとりひとりが物語の 中で成長していく「主人公」だと思えました。部活・兄弟の葛藤・人数のゴチャゴチャ感など等身大の『青春』を感じられました。

(4)17:30〜 神戸高校
「避難」
作・村端賢志(川瀬太郎原案)/出典・季刊高校演劇No.219
講 評
工藤 千夏 先生

 2013年春フェスで、徳島県の富岡東高校羽ノ浦高校『避難』(原案:川瀬太郎、作:村端賢志)を拝見しています。その静かさとは対照的に、戯曲も演出 もとてつもなく強く、印象的な作品なので、オリジナルと比較せずに観劇することは不可能でした。その上で、神戸高校演劇部の『避難』として、とても強く 迫ってきました。どちらがいいとか、ディテールがどうこうという話ではなく、しっかりと今演じている俳優たちが、彼ら自身の『避難』を創っていました。
 既成作品、特に、この『避難』のように舞台美術が特殊で限定されている作品は、オリジナリティを出すのが難しく、創作脚本に比べて低い評価に甘んじるこ とが多いです。今回も、幕があいた瞬間には、ああ、同じセットだなぁと思いました。音楽室の外の廊下で話す生徒がガラス越しに透けて見えている、それに よって時間の描き分けているのですから当然です。しかし、ナカムラも、アベも、ノグチも、そして、ハセガワも、イトウも、登場する5人の生徒は、模倣では なく、戯曲を読んで理解した役柄を、一人の俳優としてしっかり捉え、演じ、その人物を浮かび上がらせていました。魅力的と称するには実にいびつな5人の キャラクターは、とてつもなくしっかりと舞台上に存在し、まさに生きていました。息苦しい、思い出したくない、いやな思い出のようなあの時間をとことんリ アルに紡ぐ演技力と、5人で作り上げた不協和音のようなハーモニーは特筆すべき。
 これから上演を重ねる中で考えて欲しいのは、効果音の入れ方です。ここまでデリケートな演技をしているのですから、音に対してももっともっとデリケート に取り組みたいです。どうしても鳴ってしまうという、音楽室の扉の音は大き過ぎないか。防音の音楽室の扉を開けたときにだけ聞こえる「悲愴」第二楽章は、 どんな音でどんな風に聞こえるべきなのか。ハセガワが最初に聞いたときに下手だと感じた(曲になっていなかった)イトウの弾くピアノはどれだけ狂気じみて いればいいのか。空気の振動と心の震えがシンクロするような世界です。極めてください。

山中 秀一 先生

音楽室の中とも、外とも感じられる壁。廊下側、或いは音楽室側の壁面。上下に引き戸、窓、換気窓。窓は紗になっていて、職員と生徒とのやりとりがみえる。上手にはグランドピアノ。
 
生演奏、カメラが登場すると、そこに何が映っているのか、また映されてきたのか気になる。音楽室、外ではピアノの音が聞こえてきてとの描写があるが、音楽 室の中では避難を促す音楽は聞こえない、と言う事をもっと細かく検証。4階からみえるグランドの風景を如何に観客に感じさせるか。
音の処理が難しい、誰かの中で流れる音、心の中で響いている音を舞台上にあらわしてみてはどうか。血の流れる鼓動、遠くで聞こえるグランドの雑踏。近くにあるかも知れない踏切。
抱えている物はそれだけでは伝わらない。効果的に見せていく手法を探りたい。

小熊 ヒデジ 先生

 台本の力に負けない迫力ある演技に引き込まれました。観ていてドキドキしました。生楽器と俳優との共演は、個人的には難しいと感じているのですが、この 作品ではとても良い相乗効果があったと思います。ある意味完成されているようにも思うのですが、さらに一歩前に進むには、一度完成した作品を壊す試みをし てみてはどうでしょうか。それぞれの人物造形を少しブレさせてみる、思い切った間を試してみる、無意味な動きを入れてみる、大胆に舞台美術を再考してみ る、等々。今のままでも十分に良くできていると思いますが、何か余白を見つけられたらしめたものだと思います。あと、ここが四階であり、窓から見下ろすと グランドに避難する生徒たちが見えるという設定が、もっとリアルに伝わると良いと思います。
生徒講評委員会

 タイトルの「避難」とは何を示しているのでしょうか。いじめを受けているイトウがハセガワの映画に使ってもらっているという事実に逃げているという「避 難」と、ハセガワがイトウを利用している自分からの「避難」など、多様な解釈が可能でした。また、この劇のテーマについては、イトウのハセガワへの「依 存」、また自分がいる意味を考えさせられたということで「存在価値」などが挙げられるかと思います。さらに、劇中でよく使われていた「ひとつらなり」と 「一貫性」という二つの言葉はこの劇のキーワードであり、イトウがピアノを弾くとき毎回曲の始めから弾き始めることにも何か関係があるのではないかと、観 客の想像力に訴えかけるお芝居だったとも思います。また、ピアノを生演奏することの音響効果は印象的かつ効果的で、すばらしいと思いました。照明と教室の パネルを使って舞台の奥と手前を使い分けるのも、場面の転換を分かりやすくするのに効果的でした。


8月10日(木) 開場 9:10
(1) 9:30〜 いなべ総合学園高校
「せせらぎはいつも」
作・高木豊平/出典・高校演劇SELECTION99
講 評
工藤 千夏 先生

 前半の演劇部の日常シーンと、劇中劇『せせらぎはいつも』の世界の成立のさせ方が全く違っていて、その差異に興味を覚えました。劇中劇は美術も小道具も 廃し、台詞に対峙したのが結果的に功を奏しました。演劇部シーンの置き道具の数々はこの芝居の持つ楽しさに寄与していましたが、その道具を使うためのだん どりに見えてしまったのが残念です。たとえば、なぜ俳優が上手に移動するかは、そこにそのあと手に取りたい小道具があるからではなく、上手に行きたい動機 があって、その結果移動した先にあった小道具を手にとることができる、という風に作りたいのです。良い俳優は、一緒に舞台上にいる登場人物の関係性から、 その動機を自分で見つけられるのだと思っています。
 アクションとリアクションの話をします。みなさんは自分の台詞がないときにも、その役を演じ続けなければという意識を持って演じてくれていました。これ はとても良いことです。ただ、台詞を言われたあとのリアクションが、言われたことへの反応ではなく、こういうリアクションをしようとあらかじめ決めている アクションになってしまっているのが残念でした。人は、何か図星なことを言われたら、必ず目をそらすのでしょうか? 目をそらす前提で前のセリフが終わる のを待っていなかったでしょうか? リアリティを考えるためにもっと人間を観察してみてください。実は、みなさんはもうそれが出来ていました。ロミオと ジュリエットを秋田弁で演じてみるシーンで、センターに置いたマネキンの顔の向きとかつらを田村先輩が触っていろいろ仕掛けます。そのアクションに対する 他の部員たちのリアクションが、とてつもなく良かったのです。本当に笑ってしまったのかと思えるほどナチュラルな笑い、うまく台詞が言えなくなる感じ、そ れを面白がってカツラを動かすいたずら、それらのタイミングは自分で勝手にやっているのではなく、田村先輩のアクションに対するリアクション、さらにその リアクションとしてきちんと反応できていました。素晴らしい。他のシーンもそんな風に演じて欲しいのです。
 「演劇部もの」の上演は、演劇とは何かという本質的なテーマに真っ正面から取り組む側面もあります。部室の舞台美術を全部とりはらうという大胆な転換を に、演劇的なダイナミズムを感じました。既成台本の潤色はどこまで改変しても良いかは、もちろん作家との相談になりますが、台本に登場する演劇部員たちの 行動をどう思うか、自分たちの演劇部ならどうするか、を、一度話し合ってみるのも必要かと考えます。そして、それは演劇をどう捉えるのか、の確認につなが ると思っています。

山中 秀一 先生

部室の壁、遠見の風景のパネル。上マネキンカラーボックスや衣裳掛けぬいぐるみ。下手、椅子、机、平台など。
 
部室での稽古中に流れるラジカセからの音の方向、音量に研究の余地有り。後半「せせらぎ〜」の上演に向けての舞台転換、舞台上の物が全て取り除かれ素舞台 に、見せながらの転換がメタ構造で面白い。戦争の取り扱いは兎も角、前半会話が早く、流れ気味、台詞そのものにいちいち体が振り付けのように付いていて、 見づらかったが、後半自然で川や風を感じる事が出来た。後半の出来、方法論から演繹してセットを組む所から始めるなど前半のシーンを再構築してみては。

小熊 ヒデジ 先生

 俳優はどこかで手応えを欲してしまうものだと思います。それは声であったり動きであったりします。声を出す、動く、という「運動」は、物理的な手応えに なります。しかし演劇は、心理状態や関係性、ドラマを描く芸術です。その声や動きが、本当にその時の状態に合っているのかどうかを、今一度検証してみてく ださい。そして演劇は、観客と一緒にドラマを作ります。説明するのではなく、共感できる演技とはどういうものなのかが重要だと思います。本当の手応えはそ こにあると思います。その辺りのことが、演劇部のシーンで気になりました。でも劇中劇ではそれを感じませんでした。それが不思議でした。部室のセットや小 道具、劇中劇のガランとした空間など、魅力的な要素は沢山あったと思います。転換方法も含め、是非再考してみてください。

生徒講評委員会

 全体的に見て、場転の間も動きがある飽きがこない劇だと思いました。演劇部という設定にとても親近感がわき、感情移入もしやすかったです。銀河鉄道に関 連した音響を流したり、場面転換のときも宮沢賢治の詩を題材とした歌を歌ったりと、宮沢賢治に関連するシーンをちりばめながら物語が進行していき、幻想的 な舞台をつくりあげていました。東北の学校という設定に沿った方言、衣装などの細かいところまでよく研究されていました。また、劇中劇のクオリティも高 く、大黒幕からホリゾント幕へ変化させ、また川のせせらぎをあらわすことで、劇中劇の美しさと、それ以外のシーンの力強さのコントラストや、現代と過去の 対比が鮮明に表されており、より引き込まれる劇となっていました。                    
また、かおるが、さきとの衝突によって一度部から離れるものの、再び客席から現れて、演劇の楽しさを再確認し、演劇を通して、さきと和解するというのも気持ちのいいラストだと感じました。

(2)11:00〜 高田高校
「妖怪毛抜き地蔵」
作・西尾 優▲
講 評
工藤 千夏 先生

 クオリティの高い緻密な心理劇です。確かな演技力がダークな世界観をきっちりと構築していました。幕が開くと、無言のまま進む美しいオープニングで、タ イトルの印象を小気味好く裏切ってくれます。このままこのダークな世界に身をゆだねていたかったのですが、幾つか、浸りきれない理由がありました。一つは 舞台空間の使い方。センターに置かれている和ダンスと紗幕バックの彫像。その両脇まで中幕が攻めて、演技空間を狭めていました。中幕の前だけが横長の教室 で、机と椅子の置き方は上手から下手に一直線。よって、俳優の動きもまた、奥行きのない横長の空間で平板なものになってしまいます。ミザンスを変えようと 立ち位置は座り位置の移動はありますが、それは、人間関係を感じさせる動きには結びつきませんでした。教室に和ダンスが置かれている経緯は台詞で言及され ますが、それがストーリーには関係がなく、残念ながら違和感だけが残りました。
 もう一つは、主人公コトネの痛みがいつまでも共有できないこと。毛を抜き続ける自傷行為に至るコトネは、何を悩んでいるのか。彼女の美術の才能に関係し ていることはわかるのですが、それが優れた者の孤独なのか、人間関係なのか、全く違うストレスなのか、観客は懸命に彼女に寄り添いたいのだが、なかなか解 き明かされないのです。実際にクラス以外の時間を描けということではなく、部室でのコトネ、家庭でのコトネ、コトネという人物のことをもっと知りたいので す。
 彫像(事故にあったマネキン)にまつわるミステリは興味深く、そして、それはコトネにからんでいきます。この戯曲を傑作にするためには、コトネが仕組ん でいないことがどんどん起こっていく、そして、それが美術部を辞めたモエカや、親友であるはずのカオリが関わっているという風な展開で・・・この世界は観 客の妄想を刺激する不思議な魅力を持っています。美術作品がモチーフなので、舞台美術全体がもっとシンプルな美しさに裏付けされていたら、もっと良かった と感じました。

山中 秀一 先生

中割が一間程のこし締まっている。古いタンス。その上に枠で囲われた紗。下手に教卓。教室の机椅子が十数セット。
 
顔の粗造の不気味さ、人間関係やそれぞれも思い、決してプラスの感情だけでない世界観が劇的で信頼できる演技の積み重ねで説得力があった。アザミや蓮など の差し色がビジュアルとしてイメージできれば深みが増した。紗の演出の都合か、全編割幕前で少し物理的に狭すぎるように感じた。ワンシチュエーションでは 自傷行為を繰り返す主人公の心の全てがみえにくい。SSで強調された挿入シーンの他に副部長の登場のタイミングや、美術部、風景や川、その他の場面を奇想 させるシーンがあってもよかった。

小熊 ヒデジ 先生

 とても興味深い作品でした。ただ、残念ながらその魅力を充分には発揮できずにいたように思います。それを象徴していたのが和ダンスのような気がします。 和ダンスに対する思いがあるのでしょうが、観客には伝わらなかったと思います。事前に台本を読んでいたのですが、僕にはト書きのイメージが捉えづらかった です。ト書きの捉えづらさが、そのまま作品に反映されていた気がします。繰り返しますが、興味深く魅力的な作品だと思いますが、作り手と観客に共有できる 部分がなければ思いは伝わりません。ミザンスも含め、今一度検証してみてください。中心的になる登場人物以外も慎重に掘り下げ、どのようにすれば全員の個 性が伝わるのかを考えると、色々なことが見えてきて、観応えのある作品になると思います。
生徒講評委員会

 タイトルにもなっている「妖怪毛抜き地蔵」。なぜ「妖怪毛抜き地蔵」なのかを考えるには、主人公のコトネを考えることが不可欠だと考え、講評委員では、 彼女について話し合いました。コトネの大きな特徴として「髪の毛を抜く」という行為がありました。この行為は自傷行為として扱われているのではないかと考 えており、自分の存在価値を明確に見出せないコトネの、「今自分が生きている」ということを確認する唯一の方法であったのではないでしょうか。また、コト ネとカオリは対照的な人物として描かれていると考えます。内気であまり意見が言えず、さらに抜毛癖も手伝い、クラスから浮きがちなコトネ。言いたいことを ハッキリ言うことができ、自分の良き理解者になってくれるカオリ。コトネはそんなカオリに少なからず憧れや劣等感を抱いていたのではないでしょうか。ここ に人間が誰しも持っている、周囲に認められたい、自分のことを好きになりたいという欲求が強く表れているのだと思いました。

(3)13:00〜 四日市西高校
「彩色スクランブル」
作・四日市西高校演劇部▲
講 評
工藤 千夏 先生

 タイトルを具現化するカラフルな脳内世界。この戯曲は、どんな色彩設計で舞台を作り上げるかがポイントだと思います。もっと登場人物の少ない設定なら、 主人公ナオトやナオトを取り巻くクラスメートを白い衣装でシンボリックに描くという手も有効だったかもしれません。が、20名以上俳優が舞台に上がってい るとき、主人公たち以外の衣装の色彩がカラフル過ぎて「白」が生きて来なかったのが残念です。ナオトたち高校生は普通に色味のある制服で、アンサンブルに なる人々は形やテイス
トの違う、しかし、白で統一という舞台の方が美しく、そして、戯曲のコンセプトにも合っていたのではないでしょうか? 講評のときに伺った「何にでもこれ から染まっていく高校生の世界」だから白、という演出意図はわかるのですが、実際に衣装をつけてみたときに、どう見えるか、うるさ過ぎないか、演出意図が 伝わるかどうか一度客観的に見て、再考することも必要だと思います。アンサンブルが白ならば、照明で舞台全体の印象をもっとカラフルにしたり、シーンで好 きな色に染めたりということもできたのでは? 逆に言うと、衣装プランを変えてカラフル過ぎる猥雑な印象が取り払われたなら、戯曲の持つピュアな世界観 も、ナオトの将来に対する考え方をめぐる話自体も、圧倒的な力を持って迫ってくると確信します。
 美術館でデートをするシーンの、絵画をアンサンブルで表現するシーンが素晴らしかたです。あれが白い服で、ナオトと彼女だけが普通の制服(あるいは色のある普段着)だったら、と、想像しただけでワクワクします。
 ダンスシーンをなんちゃってダンスの面白シーンに演出していましたが、たとえば、あれをきっちり美しく踊るという挑戦で、芝居自体がかなり深くなると思 います。錫はネガティブの象徴なのか? ならば、鈴が捕らえられたあとの世界の描き方は今のままで良いのか? 色彩設計だけでなく、感情も整理できる箇所 があります。もっともっとすばらしい作品になる可能性が満ち溢れているので、全員のパワーを集結して、楽しみつつバージョンアップしていってください。

山中 秀一 先生

奥にカゴか?後に囚われるカゴの様なオブジェ、小高く段の上に。下手から上れる。中心に4寸高い教室にも家にもなる現実世界の場所。
 
コンセプチュアルな舞台。主人公が絵画を目指すというストーリー性上、RGBYそれぞれの色を配した感情達、ホリゾントを染める照明の連動性が観衆に伝 わっていたか検証、また画家、美大を目指す人物が手に持つ道具についても検証の余地。特殊状況を設定するルール設定が少し荒く、わかりにくかった部分があ る。美術館を肉体を使って大胆に描写していて好感。現実世界のスペースと脳内世界の高低差がもう少しあってもよい。
グレーの衣裳を着たスズの葛藤や成長を伝えたい。同時代の選曲が心地よかった。

小熊 ヒデジ 先生

「感情」のアクティングエリアを広くとってあり、そこに可能性を感じました。設定自体が面白いので、それをどう観せるのか(演出するのか)が大切だと思い ます。登場人物が多いので、シンプルでわかりやすくする、移動のスピードを工夫する、所作の精度を上げる、などが作品の豊かな表情につながり、ダイナミッ クさを生むのではないでしょうか。これだけの人数が動くと交通整理だけでも大変だと思いますが、それがこの作品のクオリティにつながると思います。ダンス やかごめのシーンも、さらに魅力的になると思います。演出次第でいかようにも化ける作品だと思います。楽しみながらブラッシュアップしてみてください。
生徒講評委員会

主人公の感情がコロスを使いながら分かりやすく表現されている作品でした。喜怒哀楽という主要な感情に加え「不安」という小さくも大きい感情について話し 合いました。まず、不安を取り巻く喜怒哀楽の感情たちは、分かりやすく強く表現されていました。哀の感情と不安の感情は似ているのかもしれません。そんな 中、喜怒哀楽と不安を決定的に分けるのは「未来」に繋がるかどうかということです。喜怒哀楽は起こった後に感じる感情で、これがあったから嬉しい、怒る、 哀しい、楽しいという感情になる。不安はまだ起こっていないことを予測し考える感情で、先に進む事が可能な感情だし、進もうとする力を止める感情にもなり えます。主人公も合わせ、誰しもが持つ感情を分かりやすく表している作品でした。    
また途中、檻に入れられた不安以外の感情がすべて倒れるところは不安が爆発したことを表しているのかもしれません。人でセットを表す面白い形とあわせて、斬新な演出が施されていました。

(4)14:30〜 津商業高校
「いのちのはなし」
作・津商業高校演劇部▲
講 評
工藤 千夏 先生

 まっすぐで、正しくて、美しくて凛とした芝居です。看護師あゆみの成長、病院であゆみを取り巻く人々との交流、ひたひたと心に迫ってきました。幕あきの 戴帽式が美しく、芝居のトーンをきっちり提示してくれていました。明かりがもう少しあてて、二列目や三列目の看護師たちの顔ももう少し見たかったです。
 セリフで説明し過ぎていること、どうしても伝えたいテーマに関わる台詞を叫んでしまうことは、とてももったいないです。大切なことは敢えて小さな声で伝える、その方が耳を澄ませてもらえるという意識を持ってください。
 私の心に一番迫ってきたのは、入院患者のとみおばあちゃんが、挨拶に来た満里奈ちゃんを認識できなかったシーンです。あんなに親身になってくれたのに、 あんなに力になってくれたのに、そのお礼に来たときに話したことを覚えていない。満里奈ちゃんのことが誰だかわからず、ただ、お礼の手作りのお菓子の袋を 抱きしめている(一度、ちらっと袋の中を見たのが素晴らしかった)とみさん。人間の生き死にの話はもちろん「いのちのはなし」ですが、お母さんの手術に関 わる話より、こちらの方が私には人間の命について考えさせる材料をくれました。
 観客はわがままなので、どんなにその芝居のトーンが作品の主張にぴったり合っていたとしても、起伏がないと中だるみだと感じてしまうことがあります。前 半、たとえば、点滴中の入院患者だったり、松葉杖の患者だったり、見舞客だたり、他の医者だったり、もっと病院内の人々を歩かせて、看護師の忙しさを描い たらどうでしょうか? 重要なのはそこは後半とはスピードが違うこと。優しいだけでは務まらないプロの看護師の姿、疲労の極みまで肉体を酷使する忙しさを 垣間見させ、芝居に緩急をつけたいです。
 細かいことですが、シーン終わりのセリフが終わってから車椅子を押すところ、早くシーンを終わらせるために(次の人の台詞を始めるために)、とにかく早 く車椅子をはけさせよう、動かそうという意識が見えてしまっていました。車椅子を動かす速度は患者を気遣うゆっくりさで、次のシーンの台詞は動きと重ねて もっと早く出せばよいのだと思います。
 自分たちがこの芝居に取り組んでいる姿がまっすぐであることに自信を持って、このまままっすぐに進んでください。

山中 秀一 先生

舞台装置の出ハケの設定がうまい、舞台上で起こる事件と人の出入りがリンクしていた。ナースステーションと設定の都合もあろうか、正しさのあまり、「おか しみ」に欠ける部分があり工夫が必要。場面転換が単なる場つなぎや出ハケの都合にならぬように、しっかり演出して欲しい。雨の音の心象風景の描写はグッと 来る場面だけに繊細にオペレートしたい。
場所の設定や、置き道具の分量が過不足無い。現場へ見に行ってスケッチや、実際に勤めている人への取材が大きな演技や舞台美術を信頼できる物にしている。

小熊 ヒデジ 先生

 美しくて無駄のない舞台美術がとても良くて、それに呼応するようなまっすぐな演技だったと思います。素敵でした。気持ちの出所を検証してみると、さらに よくなると思います。言葉=声は気持ちの表れで、それは身体と連動していています。言葉は意外と雑だったり、あるいはだらしなかったりする場合もありま す。この作品は、しっかりと作り込んでいるので、そのしっかりさが印象に残ったりもします。もっとラフさ(それはもちろん、演技をする緊張感を伴うラフさ ですが)があると、さらに豊かな作品になると思います。とは言え、とても充実した作品でした。演じている皆さんが、本当のナースに思える舞台でした。
生徒講評委員会

 これは繋がる「命」に焦点をしぼってつくられたお芝居でした。                            満里奈のお母さんを始め、とみ の息子、満里奈、あゆみのそれぞれの人生や命の形がしっかり描かれていて「命」の大切さを感じることが出来ました。「命はつながっていく」というセリフ と、最初と最後の日常の部分のシーンが、これからも続いていく命を表現したいのではないでしょうか。また「命はめぐりめぐっていく」というセリフは、すべ ての生き物に共通することであり、とみさんの、花が咲いたと言うセリフで始まり、終わったのは季節の変化を示すとともに、めぐる命のつながりを示している のではないかと感じました。            
 満里奈とあゆみの二人にスポットライトがあたっていたので、物語の主人公は満里奈とあゆみの二人なのではないかと考えました。照明をあえてシンプルに し、小道具に点滴やエタノール、白衣を使用するなどの工夫によって、さらにリアリティを感じることができました。とても温かく、見る人の心に訴えかける劇 でした。