![]()
みんなのエッセイ
![]()
会員等のエッセイを公開する。写真:数枚程度以内、文章:200字程度以上ー1,600字程度以内とする。
1 はじめての富士宝永登山 2010年10月31日 中辻 俊一
(この登山は2010年10月19日に行ったものです。)
下界は一面の曇りだが、上界はときおり薄日も射す上天気である。視界も悪くない。富士宮口5合目から宝永山頂上を目指すのに何の問題もなさそうだ。標高2400mから2700mまで途中休憩を含め3時間で登ろうという計画だ。今回ご一緒したTさんとMさんは富士山を含め登山のベテランだが、初心者の私に配慮しゆっくりとした計画を組んでくださったものと思われる。お二人は私専用の登山の指導者でありガイドである。
Tさんの車で5合目到着後、30分ほどブラブラして(高山病の予防のためという)、10時半、さあ行こう、出発だ。岩だらけの登山道に自分らの影が写る。このぐらいの坂なら全然平気だ。後ろを振り返って伊豆半島や駿河湾を探す余裕がある。20分ちょっとでラクラクと新6合目の山小屋に到着。T、Mのお二人と山小屋の主人夫婦とはごく懇意のようだ。さすがベテラン。ここで熱い味噌汁を戴いて早めの昼食をとる。「おにぎり2個では少なかったな、水筒に入れるお茶は熱い方がいいな」などと反省。トイレを済ませて11時半再びザックをかつぐ。
須山口分岐までは富士山腹を左に見て巻くように歩く。傾斜は殆どない。ただ大小取り混ぜた岩石が山の斜面のあちこちに、今にも転がりそうな姿勢で鎮座している。こんなのにやられたらひとたまりもない。どうか落ちてきませんように。岩石の合間のところどころに黄味を帯びた緑の低木が見える。この辺りの標高ではまだ木が生えるのだ。風が強いせいか、どの木も地に這うようにしっかりと伸びている。岩石と低木に目をやりながら、小石まじりの道を20分も歩けば、10m四方ぐらいの広場に出る。道案内の標識には「宝永山まで55分」とある。ここは須山口分岐だ。どれほどのペースであと55分か分からないが、いずれにしてもこの先大したことはなさそうだ、とそのときは思った。
広場はつま先上がりになり、その向こうは絶壁になって落ち込んでいるようだ。そろそろと前に進むと突然に目の前に赤茶けた巨大な山塊が現れた。「これは何だ?!」 驚いてもう一歩前に出るとパッと視界が開け、宝永山の噴火口が飛び込んできた。「スゲエなー」 絶壁の下は噴火口だったのだ。噴火口の向こう側、火口壁が圧倒的迫力をもってのし上っている。落ち着いて見ると噴火口は2つある。右に第2噴火口、左に第1噴火口。これらの噴火口は途切れることなく続いている。噴火口の火口壁は右側が宝永山、左側が富士山頂に至る。両者は2枚の屏風のように相連なって眼前を遮断する。ただ両火口壁の様相、色合いは対照的だ。宝永山側はのっぺりした地肌の赤銅色、富士山側は崩落止むことのないゴツゴツ状地肌の暗灰色といったところか。どちらも草木の1本も生えていない、まさに不毛の巨大な山塊である。
両火口壁の接する辺り、ちょうど「く」の字のように、細く長い道が火口底から左斜めに上がり、Vターンして右斜めに上がって行くのが見える。あれが宝永山の頂上に至る登山道だ。火口底はほぼ標高2420mというから、山頂まで標高にして300m弱(直線距離で1500m程度か)の登りである。5合目から須山口分岐までに稼いだ高度100mを吐き出して火口底に下り着いたのが12時ジャスト。10分ほどここで休んで宝永山に“アタック”することになった。ここから見る限り登山道は緩やかだしゴツゴツした岩もなさそうだ。道幅も3mぐらいあって整備されているようなので、余り難儀をすることもないだろう、とそのときも思った。
これがたいへんな間違いだったということは歩き始めてすぐに思い知らされることになる。道は整備どころか、じゃりじゃりの砂利道でまるで砂利の底無し沼だ。これが富士山特有のザレ場というものだそうだ。一歩進んで半歩下がる----それでも最初の500mほどは何とか持ちこたえたが、「く」の字のVターンの近くで斜度がきつくなったとたん、脚の筋肉に乳酸がどっと溜まり呼吸は酸欠にあえぎ、以後地獄の苦しみを味わうことになった。しかしたとえ10mごとに立ち止まっても、塵も積もれば山となる、 苦しみ続けたお蔭で午後1時半なんとか頂上にたどり着いた。火口底から80分も経っていた。須山口分岐にあったあの標識の「宝永山まで55分」とは、いったい誰を相手に言ったものなのだろうか、理解に苦しむ。
Tさんはグループの先頭に立って歩いた。彼はどんな坂道でもスタスタと歩く。たまにこちらを確認する以外は殆ど立ち止まらない。あのザレ場の登りでもだ。Tさん相手なら、55分は正しいかもしれない。Mさんは私の後方を私のペースに合わせて歩いた。せきたてるようなことは一切口にせず、ときどきこちらの安心するような言葉を投げかけてくれる。もともと地声が大きいのでそれがよく聞こえた。
宝永山の山頂近く稜線に出ると風が急に強くなった。ここは上界のさらに上の別世界だ。身体ごと吹き飛ばされそうな強風も、我々をやさしく歓迎してくれているようではないか。冷たい風がなんと暖かく感じられたことか。風とともに雲が湧き稜線に沿って富士山頂の方に上がって行く。時に雲が切れて下界が開ける。と思うまもなく雲が満ちて一面白い闇の世界となる。下界の景色は見えてもいい、見えなくてもいい、そんなことは今の心の充実に比べて些細なことのように思われた。烈風吹きすさぶ中、我々は宝永山の頂上で達成感と開放感に満ちた憩いのひと時をもった。我を忘れたひと時をもった。
帰り道は近かった。ザレ場の下りは慣れてくるとうまい具合に滑って膝への負担が少なくなる。下りは乳酸も溜まらないし呼吸困難にもならないので、膝の問題さえなければ、登りより随分と楽だ。重力に逆らうことの厳しさを改めて実感する。帰りはTさんが私についた。Mさんはこれまで痛めていた膝が回復したためか、快調に下山を続け、そのうち声はすれども姿は見えずの状態となった。火口底に午後2時帰着。上り80分のところ下りは20分で済むということがわかった。
火口底でしばらく遊んだのち須山口分岐に戻る。ここからは往路とルートを変えてダケカンバと唐松の生い茂る林道を抜けて5合目の駐車場まで下る。秋色著しいこれらの巨木にナナカマドの燃えるような紅がアクセントをつける。でも樹木の紅葉はそれほど印象の強いものではなかった。今回の登山にとっては紅葉なんて余禄のようなものだ。私の初めての富士宝永山登山は火口底に帰りついた時にあらかた終了していたように思う。5合目に到着したのは午後3時のことだった。
私は帰りの車の中でもしばらくはボーっとしていた。目標を達成した後の喪失感に捉われていたのかもしれない。途中立ち寄った御殿場のラーメン屋でやっと自分を取り戻すことができた。口いっぱいにほおばりその後胃にしっかりと収めたラーメンが心身の活力を呼び覚ましてくれたのだ。さあ、また下界の喧騒の中に帰らなければならない。 (以上)
注)関連の写真は「Private Links」に掲載してあります。
Home へ戻る。