越ノ潟渡船の行方
■平成28(2016)年7月28日付北日本新聞記事より
県営渡船の利用最少――行革委廃止提言住民は「生活の足」
県が射水市の富山新港で運行している県営渡船(通称・越ノ潟フェリー)の利用者が減少の一途をたどっている。代替ルートとなる新湊大橋が2012年に開通した影響が大きく、15年度は 5万7103人と過去最少になった。県行政改革委員会は将来の廃止を提言しているが、地元では「生活の足」として存続を求める声が少なくない。県は住民と協議しながら今後の運航の在り方を検討する方針だ。
(本文略)
■コメント
富山地方鉄道射水線の越ノ潟分断は昭和41(1966)年と、実に半世紀前まで遡る。射水線の廃止でさえ昭和55(1980)年と36年前の出来事だ。今日となっては、射水線の痕跡をたどることさえ難しく、八ケ山・鯰鉱泉・海老江各駅一部の残骸と、海老江東方の橋台が認められるほかは、痕跡はわかる人にはわかる程度の微かなものである。
筆者は平成27(2015)年度より富山在勤中で、休日にはBikeに乗り近所を走り回ることがある。射水線廃止跡転用のサイクリングロードを走るのは定番コースの一つだ。朝の内に越ノ潟渡船に乗り、午前中に高岡市内で昼食をとり、帰路も越ノ潟渡船に乗り、鯰鉱泉に浸かって帰宅する、……という往復約60kmの道のりは実に楽しい。
このコースは往復とも越ノ潟渡船に乗る点がミソだ。新湊大橋「あいの風プロムナード」を歩くのでは、のべつ幕無しで動き続けなければならず、息が切れる。ここで渡船に乗るならば、短い時間ながら休憩をとることが出来る。しかも無料で。筆者のような軟弱Bike乗りにはおおいにありがたい存在だ。
越ノ潟渡船
端的にいえば、越ノ潟付近の地域そのものが衰退している。射水線の駅名に当てはめると、射北中学校前−中新湊間にはコンビニエンスストアが存在しない。人の流れ、経済の流れは富山新港南側に展開している。これに対し、越ノ潟や堀岡付近は新港大橋が結んだとはいえ、地理的な「行き詰まり感」が解消されたといえるのかどうか。富山新港が分断したのは射水線だけでなく、道路網をも(一時)ぶった切り、越ノ潟・堀岡両地区を孤立させたのだ。
筆者が実見した限り、越ノ潟渡船には各便数名〜十数名の乗客が見られた。昨年度 5万7103人、一日あたり約 156人という実績は、筆者の感覚からは大きく外れない線である。極端にさびしい数字とまではいえないものの、事業を継続するにはかなり心許ない。
おそらく、越ノ潟渡船をすぐにでも廃止する、という話にはならないだろう。ただし、船の更新を要する、運転要員がリタイアする、……など運行休止に至るトリガーは幾らでもありえる。永続できる事業でないことは明らかだ。
越ノ潟渡船は風情ある乗り物で、今や稀少な射水線の名残でもある。もはや風前の灯といえる状況になったのは、時代の流れという形容はできても、明らかに人為の結果であり、素直に納得しかねる面がある。せめて筆者が富山在勤の間、もう何度か乗って、越ノ潟を渡る風を感じておくことにしよう。