三木鉄道橋梁図鑑





 三木鉄道が廃止されてから既に半年が経つ。三木鉄道の前身を辿ってみると、播州鉄道(のち播丹鉄道→国有化)が基本形を完成させた後、支線として開業させた路線である。開業時期は基本形の西脇までが大正 2(1913)年、北条町までが大正 4(1915)年。厄神から枝分かれする支線の開業は厄神−別所間が大正 5(1916)年、別所−三木間が大正 6(1917)年である。改正鉄道敷設法別表には載せられなかったものの、播丹鉄道は太平洋戦争のさなか昭和18(1943)年に国有化され、厄神−三木間は国鉄三木線となっている。

 余談ながら播丹鉄道国有化の際、区間毎に固有の名称が与えられたことが、かえって各区間の命数を縮めたといえなくもない。播丹鉄道のうち、国鉄→JR路線として存続しているのは加古川線のみ、高砂線・三木線・北条線・鍛冶屋線は全て特定地方交通線に指定され、国鉄からは経営分離されている。三木線が北条線と同時に第三セクター鉄道に転換されたのは昭和60(1985)年であった。

 高砂・鍛冶屋線が最初からバス転換されたことと比べれば、鉄道として延命できただけよかった、というのが国鉄改革当時の感触であったろう。しかしながら、この規模の支線を単独の鉄道として経営分離する、という発想には根本的な無理があったと指摘せざるをえない。実際のところ、三木鉄道の経営は年を追うにつれ悪化の一途を辿り、転換23年後の平成20(2008)年 3月末、廃止のやむなきに至っている。内部補助に依存せずして成立する鉄道ではなかったのだ。

三木鉄道
三木鉄道(西這田−別所間)


 筆者は三木鉄道廃止直前の時期に立ち会っている。その実績があるというのに、筆者は三木鉄道を鉄道史や交通論の対象として扱う気力を持てない。三木鉄道のインフラを間近に見てしまうと、所詮は厄神からの貨物側線に毛がはえただけの鉄道、という思いを拭いきれなくなってしまう。

 鉄道=大動脈という等式が常に成り立つわけではない。三木鉄道の場合、最初から支線であったことは紛れもない。そして、支線として採り上げてみても、おそろしくスペックの低い側線のような存在だった、と認定するしかないのである。

 その程度の鉄道を第三セクター転換したのは、英断というべきか、あるいは無謀とするべきか。北条鉄道も規模が小さいため、三木鉄道と同一視されがちであるが、鉄道路線としての筋は実は段違いに良い。廃止後の代替に専ら小型バスが充当されている三木鉄道と、同列の比較をすべきではないのである。

北条鉄道  三木鉄道転換バス
左:北条鉄道(北条町)     右:三木鉄道代替バス(国包付近)


 もともと播州(播丹)鉄道には、加古川水系の舟運の機能代替という性格がある。三木鉄道においては美嚢川の舟運代替(※)を企図した支線という位置づけになる。この舟運代替がくせもので、鉄道が川の流れに沿ってはいても、実際の貨物や人の流れに合致しているとは限らない。

 要するに、三木発の貨物や人がどこを目指したか、という話である。最終目的地を大阪や東京に擬するならば、加古川舟運の高砂港経由では遠回りもはなはだしい。たとえ地理的つながりがあったとしても、社会的・経済的な交流があるという保証はない。その意味において、三木鉄道は本来の貨物や人の流れにそぐわない鉄道であり、極端にスペックの低いインフラにとどめざるをえなかった(*)、と理解できるのである。

※:加古川舟運に関する基礎文献は多数存在するが、美嚢川舟運の存在を確実に裏づける基礎文献は今のところ見当たらない。三木の観光ガイドのなかに「舟板の壁」を持つ建物を案内するものがあるため、ここでは美嚢川舟運があったものとして話を進めている。

※*:播州鉄道は競合を経て加古川舟運を壊滅に追いやり、結果として舟運の機能代替という格好になった。その経緯から、地元要望に応えるため、美嚢川舟運の機能代替として三木への支線を(半ば不本意ながら)敷設せざるをえなかった可能性を指摘できる。三木鉄道のインフラが貧弱な理由は、このように考えるとおおいに納得しやすい。

注:「加古川方面への望ましい交通機関のあり方」(三木鉄道対策協議会)なる報告書が存在する。この報告書を読むと、三木鉄道の必要性が如何にも薄かったことが実感できる。以下、典型的な箇所を列挙する。
  ・そもそも表題からして加古川方面への流動の少なさが暗示されている。
  ・昭和 6(1931)年時点での「近事自動車営業の発達と共に影響さるる」という記録が紹介されている。
  ・「主な流動先である神戸方面に対して迂回を強いられる」という記述が見られる。
  ・第1回協議会での「三木厄神間のみなので、非常に不便、どこに行くにも中途半端」という意見が紹介されている。
  ・第2回協議会での「加古川に向いていても、学校も商業施設も何も無く、メリットがない(代替バスを走らせても同じ?)」という意見が紹介されている。
 同報告書は平成19(2007)年 2月に出されたもので、鉄道の存廃に関して良質な検討を加えた試みと高く評価できる。それだけ価値のある同報告書を、三木市はサイトから削除してしまっている。せっかくの良質な検討も、削除されては経緯が見えなくなってしまう。鉄道時代への懐古や鉄道廃止反対論を説得するためにも、翌々年度に入っているとはいえ、削除は早すぎると思えるのだが……。

三木鉄道
三木鉄道(国包−宗佐間)


 江戸時代から連なる兵庫県内物流史の一貫として三木鉄道を扱うならば、意味も価値も生じるかもしれない。しかし残念ながら、筆者にさほどの力はなく、表層を撫でるしか手がない。もっとも三木鉄道の場合、表層が即ち本質に近く、なおさらもの悲しい面がある。

 本稿では、あたかも側線の如き三木鉄道の橋梁(モドキ)群を図鑑のように示す。これによって、読者諸賢が三木鉄道の本質に近づく一助となることを期待している。





路線図T

路線図U

三木鉄道路線概略図





【目 次】

  T  U  V  W  X  Y  Z  [  \  ]

]T  ]U  ]V  ]W  ]X  ]Y  ]Z  ][





国包橋梁

整理番号
名称国包橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置加古川起点7k840m
スパン3m824
記事JR加古川線の小鉄橋




無銘橋梁

整理番号T
名称(無銘)
橋梁形式鉄橋
区間・位置国包厄神起点 0k676m02
スパン1m52
記事鉄橋のうちこれだけが無銘
位置表示に国包が出てくる理由は不明
(厄神は開業当初国包を名乗った経緯はあるが……)




宗佐避溢橋

整理番号U
名称宗佐避溢橋
橋梁形式鉄橋
区間・位置宗佐−下石野 1k356m24
スパン6m53
記事区間表示は明らかに誤り(正しくは国包−宗佐間)だが表示ママで記録
避溢橋という表示からは美嚢川洪水のおそれがあることがうかがえる




水路跨線橋

整理番号V
名称(無名)
橋梁形式水路跨線橋
区間・位置宗佐−下石野間
スパン不明
記事跨線橋のうちこの一箇所を採択
水路跨線橋の上にコンクリート板を渡し歩道橋兼用というかなりの特殊形態
コンクリート板がばたつくためこの上を歩くには勇気が要る




鉄橋

整理番号W
名称下石野橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置宗佐−下石野 1k986m44
スパン1m52
記事スパン表示は明らかに誤りだが表示ママで記録
枕木の数からすれば実際には2m強というところか




橋モドキ

整理番号X
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚なし)
区間・位置下石野−石野間
スパン不明
記事堅固な橋台があるのに桁なし・枕木1スパン分で水路を飛ぶ橋モドキ
常識外の構造で最初にこのタイプを発見した時はとにかく驚いた




橋モドキ

整理番号Y
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置下石野−石野間
スパン不明
記事橋モドキのうち中間橋脚があるタイプ
水路が斜めに線路を横切っている(背景は代替バス)
写真は廃止後のもの
列車の走行画像はこちら(撮影 KAZ様)




橋モドキ

整理番号Z
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置下石野−石野間
スパン不明
記事水路に水は通っていない




橋モドキ

整理番号[
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置石野−西這田間
スパン不明
記事桁のように見えるのは古レールによる補剛




橋モドキ

整理番号\
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置石野−西這田間
スパン不明
記事水路には満々と流れがある
線路と水路が直角に交差




石野橋梁

整理番号]
名称石野橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置石野−別所 3k459m13
(正確には石野−西這田間)
スパン1m524
記事超短小な鉄橋
スパン表示がmm単位というのは意味があるのか……




花尻川橋梁  花尻川橋梁

整理番号]T
名称花尻川橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置石野−別所 3k630m05
(正確には石野−西這田間)
スパン8m080
記事三木鉄道では最長の二連鉄橋
それでも単行気動車がおさまる長さ
大断面の河積と申し訳程度の水の流れは平常時と増水時の極端な差を暗示する




橋モドキ

整理番号]U
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置石野−西這田間
スパン不明
記事水路は完全に埋め立てられており廃止後にようやく発見




橋モドキ

整理番号]V
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚あり)
区間・位置石野−西這田間
スパン不明
記事水路は埋め立てられている




橋モドキ

整理番号]W
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚なし)
区間・位置西這田−別所間
スパン不明
記事水路は埋め立てられている




橋モドキ

整理番号]X
名称(無名)
橋梁形式橋モドキ(中間橋脚なし)
区間・位置西這田−別所間
スパン不明
記事ケーブルの水路渡しの方が危なっかしく見えるほど




這田川橋梁

整理番号]Y
名称這田川橋梁
橋梁形式プレストレスコンクリート橋
区間・位置西這田−別所間
スパン不明
記事おそらく河川改修による架替
昭和51(1976)年架設で KS-14荷重に対応
大断面の河積に刻まれた細い水路は平常時と増水時の極端な差を暗示する




高木川橋梁  高木川橋梁

整理番号]Z
名称高木川橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置高木−三木 6k167m48
スパン4m38
記事二連の小鉄橋
這田川のような改修を受けなかったのが不思議




三木橋梁

整理番号][
名称三木橋梁
橋梁形式鉄橋
区間・位置高木−三木 6k408m23
スパン4m862
記事水路に架かる小鉄橋





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