トンネルを抜けた将来(さき)に
■11年ぶりの青函トンネル通過
函館に来たのは、ずいぶん久々のことになる。「初雪のたより」をおこした際に訪れて以来だから 5年ぶりだ。「スーパー北斗」から降り立ってみれば、駅の様子がずいぶんと変わっている。駅舎が新築されて、駅前広場が整備されている。外見が美しくなり、物販店や食堂なども充実してはいる。その一方で、街とのあいだに微妙な空間が生まれていることもまた否定できず、「孤立」を連想させる立地となっている。
函館駅全景(宿泊先から撮影)
青函トンネルを通り抜けるのは、さらに久しぶりだ。「初雪のたより」の時には函館に舞い戻ってしまった。列車に乗って青函間を乗り通したのは、実に平成 6(1994)年までさかのぼる。この時は南部縦貫鉄道から深名線を目指す途中で、51系「海峡」のデッキで騒音に耐えつつ、たまたま乗り合わせた相客と談笑しながらの旅程だった。
ちなみに、当時のメモの一部。
予想より早く走破したため、「はつかり3号」に間に合った。先頭車のデッキに乗ろうとしたところ、なんとグリーン車で、慌てて中間車に移動する。先頭車のグリーン車改造は短編成特急でおなじみだが、「はつかり」にまで及んでいるとは知らなかった。
青森で「海峡7号」に乗り換える。混んでいるのはしかたないにせよ、デッキが狭く、自転車の置場が乏しいのには閉口した。やはり51系は使えない車両である。一般車からの改造であるため、車両性能や接客設備が中途半端であることは否めない。青函連絡列車の主力から、早いところ駆逐してもらいたいものである。
津軽海峡線に入って、さらに辟易する。スラブからの反響音がやたらとうるさいのだ。デッキであるから、防音がしっかりしていないのは当然といえば当然だが、51系に対する嫌悪は一気に深まった。
11年が経ち、青函を結ぶ列車は大きく変わった。快速「海峡」は廃止され、客車列車は夜行のみになった。伝統ある特急「はつかり」の銘も消え、新たに「白鳥」が登場した。JR北海道では新車を投入、「スーパー白鳥」と名乗らせ、意気ごみを示した。
そういう話題に触れる限り、華々しさは感じられる。しかし、時刻表を見る限り、なんともいえない寂寥感をも覚えざるをえない。日中の特急列車はわずか 9往復/日しか設定されていない。この運行本数では次列車まで 2時間ほど空く時間帯もあるわけで、最小限のサービスしか供給されていないと見ることもできる。 勿論、道内の他の系統、例えば「スーパー宗谷」や「オホーツク」と比べれば、はるかに恵まれた状況にはある。しかし、「スーパーホワイトアロー」と「ライラック」が雁行する札幌−旭川間と比べると、だいぶ流動が少ないことは間違いない。「スーパー北斗」「北斗」が近いレベルにあるが、こちらは11往復/日と、若干ながら設定数が多い。 函館から見て約 3時間の札幌よりも、約 2時間の函館の方が、より遠いということなのだろうか。確かに津軽海峡に画されてはいるものの、トンネルを通じて地続きになったのだから、いますこしつながりが強固になってもよさそうなのだが。 おりしも、北海道新幹線(新青森−新函館間)の着工が決まったばかりで、函館市内は祝賀ムードにあふれていた。新幹線は地域振興(特に観光)の起爆剤となることは確実だが、「トンネル・フィーバー」が今日では完全に「平熱に戻っている」経緯を考えれば、必ずしも楽観できるとは思えない。 そんなことを思いめぐらせながら、「スーパー白鳥」に乗ることにした。
新幹線着工を祝う垂れ幕(函館駅)
新幹線着工を祝うステッカー(函館駅前)
■函館駅にて 函館駅で列車を観察してみると、ある二つのことに気づいた。 まずは 183系 500番台の老朽化。国鉄時代最末期に登場した車両で、経年はもう少しで20年になろうとしている。今日では第一線級の車両とは必ずしもいえないにせよ、厳寒にさらされながら、高速性能を発揮し続けた疲労は深く、老朽化がかなり進んでいるように見受けられた。溶接した箇所が波うち、窓枠下部から錆汁の筋がついているあたり、車体の腐食は覆いがたいところまできているのではないか。 この車両が北海道の高速輸送に果たしてきた功績は大きいが、そろそろ先が見えてきた観はある。「北斗」は「スーパー北斗」の約半数にすぎず、補完的役割しか担っていない。「おおぞら」は全て「スーパー」化されており、この「北斗」は 183系最後の花形列車といえるかもしれない。残る 183系列車といえば、「とかち」「オホーツク」「サロベツ」「まりも」「利尻」が全て、いずれもメジャーな存在とは決していえない。 急行型気動車は、ローカル転用で余命をなお保った。さてこの 183系はどうだろうか。車体を置き換えるくらいの大改造をしない限り、難しいかもしれない。 もう一つ気づいたのは、函館で乗り継ぐ利用者の数が減ったことだ。青函連絡船時代には、深夜未明の接続であっても、席をめがけた競争が繰り広げられていた。ところが筆者が実見したところ、「スーパー北斗12号」から降りた利用者のおよそ95%までが函館駅の改札を抜けており、「スーパー白鳥28号」への乗継客はわずかしかいなかった。 季節は真冬、しかも日中と、めぐりあわせが悪かっただけなのかもしれない。とはいえ、以前と比べて段差がありすぎることもまた確かである。 ひょっとすると、函館を境に流動が途切れているのかもしれない。というよりも、そのように考えない限り、青函トンネルを通る交通量の長期低落は説明できないのではないか。
■「スーパー白鳥24号」に乗って 明くる日、「スーパー白鳥24号」に乗車した。 789系に乗るのは初めてだが、281・283系に共通する前面のインパクトと比べて、側面の貧弱さは気になる。ステンレス車独特の風情ながら、安普請のように印象させるデザインには改善の余地がある。 通常は 5両編成のところ、増結 8両編成での運転である。八戸からの「スーパー白鳥 1号」は観光客で一杯だったものの、折り返す「24号」車内は閑散としており、ガラガラに空いている。利用者皆無という車両まであり、ひどくさびしいものだ。 13時40分に定時発車。せっかく 789系に乗った以上は、その健脚ぶりを見届けたいものだが、どうにも速度が上がらない。急曲線と単線区間が障害となっているのか。そういえば、延々とつらなる防音壁が目立つ。もともと軽便規格の路線で、民家の軒先をかすめるような箇所もあったから、速度向上には一定の限界があるのかもしれない。 木古内に停車する。少ないながらも乗車があり、それ以上に降車があったのには驚いた。この列車の直前には普通列車が設定されているし、なにより特急料金が必要であるのに、函館−木古内間の利用があるとは予想できなかった。意外なニーズがあるものだ。 新幹線規格の区間に入っても、速度が伸びない。だいぶ抑えて走っている感じだ。青函トンネルに突入した下り勾配でも同様どころかさらに減速、吉岡海底に停車してしまった。時刻表どおりとはいえ、おおいにものたりない。 木古内−蟹田間の所要時間は、最速の「スーパー白鳥10号」が45分である一方で、この「24号」は53分を要する。この 8分の違いは大きいといわなければならない。「28号」に至っては56分もかかっている。「24号」の場合、吉岡海底停車に加え竜飛海底臨時停車が考慮されている事情もあるが、吉岡海底のみ停車の「28号」がさらに遅いのは説明がつかない。これはいったいどういうことなのか。 その理由は蟹田でわかった。貨物列車が前につかえていたのだ。木古内−蟹田間の距離は92.2kmもあるのに、この区間に待避線はまったくない。そのため、先行する貨物列車が逃げ切るまで、「スーパー白鳥」は速度を抑えて控えめに走らざるをえない。せっかくの高速性能、そして青函トンネルという巨大インフラを活かし切れていないとは、なんとも勿体ない話だ。これは、江差線・津軽線の単線区間が如何にボトルネックになっているかの証左でもある。 逆にいえば、抑えて走らざるをえないからこそ、吉岡海底・竜飛海底、あるいは知内・津軽今別での停車が実現しているといえる。その恩恵でミニマムなサービスが提供されているというならば、本末転倒であるような気がする。
■「トンネル商売」の限界 吉岡海底で降車した見学客がどれほどいたか、確認はできなかった。未見の状況を推測するのは危険であるが、列車全体が閑散としていたことから推し量れば、多くの見学客があったとは考えにくい。トンネルそのものが眺望に恵まれない、あまりにも地味な素材である以上、ドラえもんというキャラクターの力を借りてもなお、継続的に客を集めるには魅力が足りない。歴史上の価値と、観光地としての魅力とは、まったく切り離して考えるべきであろう。 筆者は列車の先頭に行ってみた。 789系の運転室は隔離されており、前面貫通扉は営業運転中でも利用者に開放されている。ワイパーで一拭いすると、トンネル内の様子を明瞭に眺めることができた。これで椅子さえあればパノラマカーなみの前面展望であり、巧く設計すれば展望席をいくつか設置することができるかもしれない。 実をいうと、同じように前面展望を楽しむ先客がいると思っていた。ところが、現実はさにあらずで、筆者は展望を独占することができた。この前面展望という「資源」を活用しないというのも勿体ない話である。 席に戻ると、車掌が「トンネル通過記念のオレンジカードは如何ですか」とセールスにきた。ぼんやり窓の外を見たままでいたら、車掌は「ご関心はありませんか」と残念そうにつぶやいて歩を進めていった。 念のためにいえば、筆者は青函トンネルへの関心を多量に持っている。試運転列車にも乗っているし、開業一番列車に乗車してもいる。近年でこそあまり乗らなくなったものの、トンネルを何度通過したことか、数えあげることすら難しい。今後の活用方法について、いささか所信を持ってもある。だからといって、通過記念のオレンジカードがほしいとは思わない。「記念」という言葉のひびきに心躍らせるには、あまりにもトンネルを経験しすぎてしまった。 青函トンネルが開業したのは民営化直後の昭和63(1988)年のこと。それから既に17年が経ってしまった。その間、全日本国民の少なからぬ数が、トンネルを通り抜けたに違いない。なかには日常的に青函トンネルを通るヘビーユーザーも存在するはずであり、そういう層にとって「トンネル通過記念」のセールスなど、耳にうるさいだけであろう。 青函トンネルの本質とは、天候に影響されず、相応の高速性をもって、北海道と本州を結ぶという一点につきる。その本質を極めていけば、利用者のニーズを満たし、さらなる需要をも励起するはずである。 53.85kmに及ぶ長大なトンネルを掘り抜いた先人の業績は偉大であっても、その偉業を種にした商売はいつか必ず枯れ果ててしまう。真にトンネルを活かす商売とは、より速い魅力ある列車を、なるべく数多く増発するに限る。 車掌の努力は健気ながら、スタッフの努力や創意工夫でトンネルを活かす段階はとうに過ぎている。車内のさびしさを際立たせているぶん、かえって雰囲気を害しているとさえいえる。こうしてみると、整備新幹線の函館延伸は大朗報であり、青函トンネルに初めて「大駒」が投入される画期といえる。「列車そのものの良さ」を堂々と売りこめるという意味において、車掌らスタッフの助けにもなるはずだ。
■青森を過ぎて 「スーパー白鳥24号」は青森に停車し、方向転換する。わずかながら降車があり、その3倍ほどの乗車がある。人影はやや増えたものの、閑散とした空気が変わるまでには至らない。やはり時間帯が悪いせいなのだろうか。この利用状況のさびしさは、時間帯が悪いことからくる一断面にすぎないと信じたいものだ。参考までにいえば、さらの八戸で接続する「はやて24号」も全般に空いており、そのように信じる補強材料になっているのだが……。 東北本線に入り、突如として 789系は高速性能を発揮しはじめた。これぞ 789系の本領であり、津軽海峡線では如何に抑えて走っていたかがわかる。複線区間の威力は絶大で、単線区間が介在したままでは改善にも限界があることの明確な証である。 新幹線が函館までくれば、函館−青森間の時間距離は劇的に短縮される。ただし、その「追い風」をしっかりつかまえる具体的な方策を用意しておかないと、今日の衰勢を再び迎えないとも限らない。青函トンネルというインフラを基礎として、新幹線という素材を活かすのは、あくまで人間の手にかかっている。トンネルを抜けた将来(さき)に明るい展望が見えているとは、まだまだいえない。